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復讐火葬  作者: SATOSHI
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一章『燃える家と燃やされる犬』 その1

 夜の住宅街といえばどこも基本的には静かなものだ。

 東京都三鷹市の南西部にある住宅地も例外ではない。


 しかしこの日は少々様子が違っていた。

 けたたましいサイレンや何かを吹き付けるような音、人々の大声がひっきりなしに飛び交い、緊迫した雰囲気が覆っていた。


 騒ぎの原因となっているのは、住宅街の中央付近に位置する二階建ての木造住宅。

 既に家の大部分を飲み込んで炎が燃え盛り、黒煙を吐き出しながら煌々と夜の闇を照らし上げている。

 とはいえ、周囲に延焼する様子はない。

 出火からの通報が早かったようで、既に消防車と救急車、隊員たちが到着しており、必死の消火・救助活動が進められていた。

 更にその外周を、遠巻きにして野次馬たちが固めている形だ。


 第三者から見れば、中島瑞樹も野次馬連中の一人としてカウントされていた。

 しかし彼は周辺にいる人間のように、好奇心で火災を眺めていた訳ではない。


 まず、たまたま現場が居宅への帰り道にあたる場所であったこと。

 そして彼の足をここに留まらせたのは、別の感情が複数入り混じっていたからだ。


 激しい炎、特に燃え盛る家を見るといつも思い出す。


 自分がやったこと。

 目覚めたこと。

 仇。

 燃やし尽くしても消えない記憶と憎悪。


 瑞樹は軽くかぶりを振って意識を今に引き戻す。

 夜空を仰いで肺の空気を入れ替えると、いくぶん気分が落ち着いた。


 瑞樹は野次馬群の最も外周に近い所にいたので、実際、現場の状況がどうなっているのかを詳細に目視できない。

 加えて、彼の身長は同年代男性の平均を下回っていた。

 見えるのは人々の後頭部ばかりで、木造住宅の様子は隙間から覗ける程度だ。


 断片的に聴こえる消防隊員たちのやり取りから推測するに、どうやら火勢は徐々に弱まりつつあるらしい。

 風がない夜なのも幸いしているのだろう。だからこそ、野次馬たちも割と呑気に眺めていられたのだが。


 ややあって、野次馬たちから、おおっと歓声が上がる。

 どうやら間一髪、家中に残されていた住人を助け出すことができたらしい。

 円の中央付近がわずかにどよめいた後、内側から飛び出た救急車がサイレンを鳴らして、道路の向こうへと走り去っていく。

 瑞樹は周囲の野次馬と同じように、ドップラー効果の余韻を感じながら救急車をしばし見送っていたが、やがて視線を再び住宅の方へと戻した。

 火勢は更に弱まっており、明度も落ちていた。


 住人が助け出され、消火のめどもついたことで興味が薄れてしまったのか、ゾロゾロと円の外周側へと歩き出してくる野次馬たちが現れ始める。

 そのおかげで、ようやく瑞樹も火災現場を直に目で見ることができた。

 逆流してくる人を避けながら、瑞樹は外周部の最も内側、警察官が立ちはだかるラインギリギリのところまで近付く。


 炎はもうほとんど消えかかっていた。

 窓ガラスは破れ、あちこちに痛々しい骨組みを晒していたが、倒壊は免れたようだ。

 もっとも、住むことはもう不可能だろうが。

 燃えている家を見るのは相変わらず気分がいいものではなく、今も色々な思いが去来しはするが、感情を乱されないくらいにはなっていた。


 瑞樹は消防車や隊員たちの方へと視線を移す。

 その中に、見知った顔が混じっているのを見つけた。

 その男は一際目立つ姿をしていた。

 防火服や救急服ではなく、スーツを着ていたからだ。とても消防の人間には見えない。


 細身のスーツ男は、消防隊と何やら忙しなく言葉をやり取りしているようだったが、瑞樹の耳にまで具体的な内容が届くことはなかった。

 しかし瑞樹には彼らが何を話しているのか、またスーツ男が何のためにいるのか、大体察しがついていた。


 あの人がいれば大丈夫だろう。

 実際に話をした機会は多くはなかったが、彼の能力や人柄については信頼を置いているからだ。

 瑞樹は、活動の仕上げにかかりつつある現場から背を向ける。

 すいませんと声をかけながら、いつの間にか新たに増えていた包囲の輪をすり抜け、一回深く息を吸って吐いた後、再び自宅へと歩き出した。




 朝の住宅街はどの曜日でも大抵は静かなものである。

 特に朝七時前ともなれば、通勤通学の人々もまだ家の中にいることが多く、通行人もほとんどいない。


 その中、住宅街を縫って通る道を、剛崎健は煙草をくわえながら車を走らせていた。

 BGMはAMのラジオ。

 特にお気に入りの番組という訳ではないが、無音よりはいいので流しているに過ぎない。

 電波越しに女性が高速道路の渋滞状況について語っているが、男には関係ない。


 強面な外見に似合わず、剛崎は慎重かつ丁寧に車を走らせる。

 一時停止の標識を見ればきちんと停まって左右を確認し、曲がる時は徐行する。

 

 途中、焼け落ちて見るも無残な姿となった住宅がフロントガラスに映り込み、サイドガラスへと流れていく。

 昨晩発生した住宅火災のなれの果てだ。

 剛崎は事件発生後、即座に情報をキャッチしていたので、焼け跡を見てすぐに合点がいった。

 懸命の消火・救助活動の結果、何とか隣接する住宅への延焼は免れ、救出された住人も幸いに一命を取り留めたらしい。


 焼け跡を通り過ぎてから更に数分、住宅街内を車で走らせると、左手に時間貸駐車場の看板が見えてきた。全て空車だった。

 四台分あるスペースのうち、剛崎は最も奥のスペースに車を入れる。

 ラジオを切り、煙草を車内の灰皿に押し付けて捨て、頭をかきながら車外へと出た。

 まだ少し肌寒い四月の朝の空気に触れ、剛崎は大柄な体を竦ませる。自然と少し早足になった。


 駐車場を出て数分ほど歩いた所で、剛崎は足を止める。

 目の前には、ややこじんまりとした二階建て住宅。

 しかし建物自体はまだ建築からさほどの年月が経っていないことが窺えるし、下部には専用のガレージもついている。

 シャッターが閉まっているので車の有無は不明だが、時間帯的にまだ外出はしていないはずと、剛崎は判断した。


 ガレージの逆側にある短い階段を上ってドア先に立ち、インターホンを押す。

 十数秒待ってみたが、応答がない。

 小さく息を吐いてから、剛崎はもう一度、インターホンを押す。


 三十秒ほど待つと、ようやくインターホンから声が聞こえてきた。


「……どちら様ですか」


 いかにも不機嫌そうな、女性の低い声。

 剛崎は丸いレンズを覗いて苦笑し、自分の名を名乗った。


「剛崎です。朝早くすみません、瑞樹君に用があるんですが」

「何の用だ」


 女の声のトーンがますます低くなる。

 だがこういう対応をされるのはもう慣れている。

 剛崎は気にした様子も見せず、訪問の目的を切り出す。


「昨晩、近所の住宅で火災があったのはご存知ですよね? そのことで、少し瑞樹君に話をしたいんです。ああ、先に言っときますけど、俺自身は瑞樹君を疑っちゃいませんからね」

「……分かった」


 数秒の沈黙が流れた後、女は聞き取りづらい声で呟き、通話を切った。

 剛崎がそのまま待ち続けていると、ドアが開き、グレーのスウェットを着た小柄な青年――中島瑞樹が姿を現した。

 色白で彫りの深い、目鼻立ちの整った美形だ。


「おう、おはよう瑞樹君。朝早くからすまないな」

「いえ、大丈夫です」


 剛崎がニッと笑うと、瑞樹も人当たりが良さそうな笑顔を見せて軽く会釈した。

 剛崎に中へ入るよう促し、ドアを閉める。


 きれいに片付いた玄関の先の廊下には、白いシャツに黒いパンツ姿の女が立っており、剛崎をじっと見ていた。

 四十代半ばという年齢の割には、髪にも肌にも艶がある。体つきもすらりと細長い。

 化粧っ気がないというより単に化粧をしていない顔には眼鏡が乗り、細い切れ長の目は実際の心情以上に憮然としているように見える。


 剛崎は軽く一礼した後、おはようございますと声をかけたが、


「ああ……」


 と、これまたボソっとした返事を返されるだけだった。

 この場で笑っていなかったのは女だけだった。


「そんなに怖い顔をしないで下さいよ先輩! さっきも言いましたけど、瑞樹君を捕まえに来たってんじゃないんですから」


 剛崎は厳つい顔をくしゃっとさせ、両手をひらひらと振ってみせる。


「先生、眠気がまだ覚めきってないんですよ。コーヒーを飲んでないから」


 瑞樹が口を挟んで説明すると、先生と呼ばれた女の表情が微かに変化した。

 強張っていた表情が、ほんの少しだが柔らかくなる。


「……何度も言っているように『先輩』はできればやめて欲しい。私はもう部外者だ」

「おっと、これは失礼。もう先輩で慣れちまってるもんでつい……ああ、ここで構わないよ。すぐ済むから」


 中に招こうとしていた瑞樹を手で制し、剛崎は早速本題を切り出す。


「千葉から聞いたんだが、瑞樹君、ゆうべ四丁目の火災現場にいたんだって?」

「ええ」


 千葉というのは、火災現場で救急隊員らと共にいたスーツの男だ。


「大学の帰り道にたまたま通りがかったんですよ。でもよく僕に気付きましたね。声をかけるどころか、目すら合わせてなかったのに」

「ああ、まあな」


 剛崎の返事が多少歯切れの悪いものになった瞬間、先生と呼ばれた女の鋭い視線が彼へ突き刺さった。


「だから怖い顔しないで下さいって。瑞樹君は天地がひっくり返ってもそういうことをする子じゃないってのは、俺だって分かってますから」


 剛崎はため息を一つついた後、顔から笑みを消し、瑞樹のくっきりした目をまっすぐに見つめた。

 初対面の人間がこの顔で見つめられたら、大抵は圧迫感を覚えて目を逸らしているだろう。

 しかし瑞樹は特に何も感じた様子はなく、これから語られることについて、真剣に耳を傾けようとしている。

 剛崎が、ゆっくりと口を開いた。


「単刀直入に言う。今から言うことは、他意のない、客観的な事実として聞いてくれ。夕べの件について、君は警察から完全にシロだと思われていないようだ。容疑者候補とまでは行かないが、参考人のリストには含まれている」


 話している最中、剛崎は一度も焦点を動かさなかった。

 瑞樹の変化を観察するためではない。

 話を聞かされた瑞樹は途中でわずかに視線を左右へ泳がせたが、すぐに剛崎を見つめ直し、肩をすくめて苦笑してみせた。


「まあ、しょうがないですよね。僕が警察の立場でも疑っちゃいますよ」

「すまない」

「剛崎さんが謝ることないですよ。警察じゃないんですし」

「犯人は必ず俺達が、俺が捕まえてみせる。だから、もし今後警察やうちの連中が聞き込みに現れたり、あるいは君を尾行していることに気付いたとしても、どうか穏便に応対してやって欲しい」

「僕は大丈夫です……けど、先生の方が問題ですね」


 剛崎は先生の顔を確認してみた。

 誰が見ても、寝起きの不機嫌さはとうに消えており、代わりに込み上げている怒りを抑え込んでいるようにしか見えなかった。

 細い目がますます細くなり、眉間に深いしわが寄っている。


「善処はするが、出方によってはどうするか分からんぞ」

「連中には言っておきましょう。これに誓って、ね」


 剛崎はポケットからライターを取り出す。

 どこにでも売っている使い捨てライターである。

 右手の人差し指と中指でライターの上下を押さえ、親指を中央部に添える。

 そのまま親指に力を入れると、プラスチック製の本体が、剛崎の力を受けて、粘土のようにぐにゃりと曲がり『く』の字に変形した。


 瑞樹も先生も、それを見ても特に驚いた様子を見せない。

 ただ先生の方は、険悪だった表情をある程度緩めていた。


「分かった。少なくともキミのことは信じよう。ただ……吸っていたのか」


 先生は二回連続で鼻呼吸を行った。


「いやあ、この歳まで来てしまうと、止めようにも止められなくて」


 剛崎は左手で頭をかき、右手の折れ曲がりライターをワイシャツのポケットに突っ込んだ。


「さて、俺の話はこれで終わりだ。朝からすまなかったね」


 剛崎はおどけるように、少し崩した格好での敬礼を瑞樹と先生に向けて行った。


「こちらこそ、わざわざ教えて下さってありがとうございます」

「一応礼は言っておく、剛崎君」


 剛崎はニッと笑った後、これから別件の仕事があるからと、早々に場を辞した。

 実に五分にも満たない滞在時間であった。


「……何故、疑う」


 ドアが閉まった後、先生の表情が再び険悪になっていく。

 玄関の床を睨み、忌々しげに呟く。


「この子が好き好んで放火などするわけないだろう。連中は何を考えているんだ。乗り込んで文句を言ってやろうか」

「まあまあ先生、本当に僕は気にしてませんから。それに少なくとも、剛崎さんは誠実に約束してくれたじゃないですか」


 とりなし顔で瑞樹が言う。

 これ以上空気を重々しくするのはこれからに差し支えると考え、話題を変えることにした。


「それより出発の準備を続けましょう。細かいことは僕がやっておきますから、先生はその間にゆっくり眠気を覚ましておいて下さい。もうすぐコーヒーも入りますから」


 先生は、ようやく顔をしかめることをやめ、わずかに微笑んでみせた。


「分かった。ただし準備は、一緒に食事を取ってからな」

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