六章『儚き焼失』 その2
秋緒は刀、瑞樹は炎。
己が武器を振るい、次々と邪霊やゾンビ、変異生物を討ち取っていく。
蟲や鳥は主に秋緒が仕留め、霊魂系は瑞樹が焼却する。
各個では瑞樹が想像していたよりも脅威ではなかったが、あまりに数が多すぎる。
次々攻め寄せてきてキリがない。
この十三区画のようにあまりに邪気が強すぎる場所では、極小規模結界発生装置のように"場"を形成するタイプの道具、呪札に代表される、対象を封印するタイプの道具は効果が見込めない。
直接攻撃できる武器やEFの方が有効なのだ。
塵芥となって群がる邪魔者を蹴散らしながら、二人は十三区画内を少しずつ前進していくが、愛美らしき姿は見当たらない。
新手が次から次へと湧いてくるだけだ。
秋緒は未だ無傷だったが、瑞樹は所々かすり傷を負っている。
このまま消耗し続けるのはどう考えても不利だ。
――やはり、愛美はいないのか? あの女は嘘をついたのか?
焦りと混じって、瑞樹の脳裏にそんな考えがよぎる。
右手にいる秋緒にちらりと視線を送ると、ちょうどバスほどの巨大ムカデを輪切りにしている所だった。まだ呼吸を乱している様子はない。
自分も先生もまだ戦うことはできるだろう。
だが、ここは一時撤退した方がいいのではないか。
徒労に終わってしまうのではないか。
妹どころか、まともな人の形をした霊体すら見当たらない。
いや、もしくは、既に討ち払った霊の中に……
「瑞樹君ッ!」
戦闘において余計な考えは命取りとなる。
そう秋緒からも教えられていたが、この時の瑞樹は遵守することができなかった。
さしもの秋緒も、激戦の中とあっては檄を飛ばすのがわずかに遅れてしまった。
瑞樹の左足に激しい痛みが走る。
足下を見ると、土中から現れたのか、いつの間にか赤子のゾンビが這い寄っており、長く伸ばした舌を針のように尖らせて、ふくらはぎを刺し貫いていた。
腐敗臭を放つ赤子が、ケタケタと笑って舌を引き抜く。血がしぶく。
瑞樹は呻き声をあげてその場に膝をつきそうになるが、気力でこらえる。
今は戦いの最中だ。
倒れる訳にはいかない。
それに、何を今更弱気になって迷っている。
「っ……ああああっ!」
瑞樹は叩き付けるように、手を振り下ろして火炎を浴びせる。
赤子ゾンビは一瞬にして炎に包まれ、くぐもった泣き声を短く上げて炭化した。
「瑞樹君……! 大丈夫か!? 動けるか!?」
即座に秋緒が駆け寄り、瑞樹を守るように背を向けて剣を構えた。
「へ、平気です、やれます。僕に構わず行って下さい」
全身を炎で覆った瑞樹は、ウェストポーチから回復薬を取り出しながら答える。
秋緒は火力の強さを見て、
「……私が無理だと判断したら、すぐに撤退するぞ」
そう言い残し、秋緒は再び邪悪が渦巻く群れの中へと飛び込んでいく。
継続の許しが出たことに瑞樹は安堵し、封を切った回復薬を直に傷口へ注ぐ。
刺された時とほぼ同等の焼けつく痛みが生まれ、顔を歪める。
染みるというレベルではない。
だがその分、感染症を防ぎ、解毒作用もあり、傷を超高速で治癒してくれる優れものである。
すぐさま出血は止まり、活発に動く細胞が傷口を修復していく。
わずかな傷跡だけが残った状態になったのを確認して、瑞樹は立ち上がった。
痛みはあまり引いていないが、動くことにはさして影響はない。
虫のように火に誘引される小粒な邪霊を振り払い、気合を入れ直す。
負傷、治療と、一度戦いと捜索から間を置いたことで冷静になったのか、瑞樹の視野は当初よりも広く、冴えを見せるようになっていた。
敵の流れがよく分かる。
動きに統率性などなく、各々が好き勝手に動いている。
初心者が指す将棋のように悪い意味で筋がなかった。
先日のチャイルド・プレイと大差ない。
冴え渡っていたのは視野だけではない。
気配を読む力も、いつもより鋭くなっていた。
大音響や腐敗臭のせいで、聴覚や嗅覚が既に麻痺しつつあるせいか、包囲の外まで透けて感じられるようだ。
そして、瑞樹は遂に感じ取った。それらしき気配を。
前方、右へ緩やかにカーブしていく歩道とは逆に進んだ先。
事前に確認した地図では、十三区画と隣接した調整池がある辺り。
そこから胸騒ぎにも似た気配が感じられるのだ。
「先生ッ!」
上空のコウモリを火炎放射で追い散らしつつ、瑞樹は大声で呼びかける。
「愛美かもしれない気配を見つけました! 左前方、調整池の辺りです!」
秋緒は背中越しに瑞樹の声を聞き取り、朽ちた体から巨大化した肋骨が張り出したゾンビを斬り捨てながら、
「分かった、行くぞ!」
そう返した時である。
前方の地面が爆発した。
地雷が埋まっていた訳ではない。
これまで地中に潜んでいた強大な存在が、激闘の余波で呼び覚まされたのだ。
降り注ぐ土、濛々と舞う煙の中から現れたのは、全長三メートルはあろうかという異形の人型だった。
頭がY字に二つついており、両腕は左右二本ずつ、足は二本だったが、巨像のように太く、三本の爪が土にしっかり食い込んでいる。
表面は粘土と腐肉を混ぜ合わせたような不気味な迷彩色をしており、片方の頭は嬰児の泣き顔、もう一方は不気味に笑う女の顔をしていた。
「なっ……!」
瑞樹は一、二歩たじろいだ。
外見にではない。
これまで相手にしてきた変異生物や邪霊とは、明らかにレベルが違う。
漂ってくる雰囲気も異様であった。
殺気や敵意ではなく、ある種の母性にも近いような感情が入り混じっているような、悪意無き善意、善意無き悪意とでも言うべきか。
並の相手ではないと、瑞樹の本能が告げていた。
「大丈夫だ、心配ない」
瑞樹の心境を察した秋緒が、彼の不安を断ち切るように言った。
視線は人型から切られていなかったが、その声はひどく落ち着きのある、穏やかなものだった。
「あの程度、私一人で片付けられる。それより、あの子の下へ早く駆け付けたいのだろう? 行くといい」
「で、ですが」
「こいつを始末したら、私もすぐ向かう。行くんだ。行って、妹と会ってくるんだ」
瑞樹の答えを待つよりも早く、秋緒が飛び出した。
八相の構えから袈裟懸けに剣を振ると、鋭い剣風が迅り、Y母子の胴体を深々と切り付けた。
身をのけぞらせると共に、嬰児の泣き声と母親の笑い声が同時に上がり、粘り気のある赤黒い体液がボドボドと垂れ落ちる。
「行けッ!」
「……すみません、お願いします!」
瑞樹は全身に炎を纏い、走り出す。
せめて少しでも助けにと、秋緒に迫ろうとしているゾンビを焼き払っていく。
Y母子を大きく回り込むような軌道で通り抜け、木々の間へと飛び込んだ。
身に纏う炎の勢いを更に強化する。
両耳のすぐ先で、蒸発音や呻き声が断続的に聴こえてくるが、いちいち目をやったりはしない。
最低限だけの注意を払い、前だけを見て一気に突き抜ける。
視界を遮る黒い霧を払う。
足下に集る甲虫どもを踏み潰して焦がす。
視界が、開けた。
幅約三十メートル、奥行約百メートルほどの調整池の周囲には木がなく、短い雑草だけが生えている。
池は枯れてはいなかったが、水の色がやけにどす黒く、魚の腐ったような酷い臭いを発しており、瑞樹のいる場所にまで届いてきていた。
何故かこの辺りはゾンビや邪霊、変異生物の姿が見当たらず、他の場所から寄ってくる様子もない。
空が明るいせいだろうか。
遮るものがないおかげで、この辺りには太陽の光がたっぷりと降り注いでいる。
邪霊たちが騒ぎ立てる声も、実際以上に遠くから聞こえるようであった。
炎は消さずに、瑞樹は乱れた呼吸を整える。
息を吸うたび、肺に不快な空気が送り込まれていくが、贅沢は言っていられない。
少し落ち着きを取り戻したところで、ゆっくりと足を進めていく。
気配は池の中から感じられるが、水面には何の影も形もない。
水中にいるのだろうか。
流石に飛び込んで確かめる勇気は持ち合わせていなかった。
池の縁まで歩いて立ち止まる。
周辺に敵がいないことを確認してから、息を止めて水面を覗き込む。
底は見えず、どれほどの深さなのかは分からない。
瑞樹は池から十歩ほど下がり、ため息をついた。
そして、
「愛美ッ! 聞こえるか!? 分からないか!? 僕だ、瑞樹だ! お兄ちゃんだ!」
大声で呼びかけた。
しかし反応はない。
「愛美! 聞こえてるなら返事をしてくれ! 顔を見せてくれ! 頼むから……!」
瑞樹は諦めずに、妹の名を幾度も呼びかける。
すると、池の中央辺りの汚水が、沸騰したように泡立ち始めた。
緊張と期待で瑞樹は身構える。
出てくるのは化物か、それとも――妹か。
青白く、淡い光を放つ球体が、ゆっくりと浮上してきた。
光の中に、小さい人影があるのを、瑞樹の目は確かに捉えた。
「あ、あああ……!」
体から力が抜けていき、炎が消失する。
おかっぱ頭にくりっとした愛らしい瞳、形のいい小さな鼻、控えめにぷっくりとした唇。
衣服こそ何も身に着けていなかったが、瑞樹の記憶のままの姿だった。
「愛美……!」
様々な感情が、一気に溢れ出してくる。
視界が滲む。
声が言葉にならない。
立ち込めている臭いも敵の存在も忘れ、瑞樹は走り出していた。
「愛美ッ! 分かるか? お兄ちゃんだよ、話せるか?」
詰まった鼻と喉から何とか言葉を絞り出す。
愛美は、虚ろな表情で足元の水面に目を落としていた。
が、瑞樹が呼びかけ続けていると、ほんのわずかずつ、顔を上げ始めた。
焦点の定まっていない目が、瑞樹の姿を認識していく。
「……だれ?」
ざらついてはいたが、確かに愛美の声だ。
ぽろりと、瑞樹の睫毛についていた一滴の涙がこぼれた。
一度奥歯をぐっと噛んでから、ゆっくりと、優しく、言葉を紡ぎ直す。
「僕は、君の、お兄ちゃんだよ」
「おにい、ちゃん?」
「うん。思い出せないかな?」
「……よく、わから、ない」
「そうか……」
落胆しなかったといえば嘘になる。
しかし到底責める気にもならない。
再び、こうして話す機会を得られた。
それだけで瑞樹は嬉しかった。
例え生前の記憶を喪失していたとしても。
「寂しかったよね。独りぼっちでずっと、こんな場所にいたんだから」
「ううん、さびしく、ない、よ!」
「えっ」
「おとも、だち、が、いる、からっ」
「友達?」
瑞樹は怪訝な顔をする。
嫌な予感がした。
「うん、わたし、と、おんなじ、おとも、だち。ほらっ!」
愛美が両手を上げたのを合図に、池の汚水が生命を与えられたかのように波打ち始め、膨れ上がった。
瑞樹は背後へ飛びずさり、汚水と愛美を交互に見比べる。
愛美の顔を見て、唾を飲み込んだ。
いつの間にか、両目が丸々真っ黒になっていた。
抉り取られ、そこに墨汁を満たしたかのようだ。
「愛美……まさかEFを?」
EF保有者の残留思念が能力を発動させることはあっても、死後、EFを発現させた例は確認されておらず、瑞樹も見たことがない。
しかし、目の前にいる妹の亡霊は、確かに生前使えなかったはずの力を使っている。
「おにい、ちゃん、どう、して、にげ、る、の?」
愛美が、口を大きく開け、口角を持ち上げて笑う。
瑞樹は改めて思い知らされる。
この少女は妹であって、もう妹ではないのだ。
操られているのか、死を経て霊園の邪気にあてられてしまったからなのか、原因は分からない。
やるべきことはハッキリしていた。
一刻も早く除霊を行い、妹をこの場所から解き放ってやらなければならない。
「愛美……今、解放してあげるから」
瑞樹は炎を生み出そうとした。
が、上手く行かない。
ライターの灯ほども出てこない。
彼の能力発動の源泉となる"憎悪"よりも、躊躇いや悲しみといった感情の方が強く顕れてしまっているためだ。
情動の力は顕在意識よりも正直であった。
火葬してやりたいが、したくない。
まだ一緒にいたい。まともなコミュニケーションが成立しなくとも、話をしていたい。
そんなジレンマが、ますます悪循環となって、焦りばかりを募らせていく。
この期に及んで迷っている自分を"嫌悪"しても、ダメだった。
そのうち瑞樹は炎を出すことを諦め、ホルスターから回転式拳銃を抜いた。
弾丸ではなく、霊体を浄化する閃光を放つ特殊拳銃である。
予備の弾薬はなく、撃てるのは六発限りだったため、万が一を考え、ここまで使わずに温存してきたのだ。
「おとも、だち、と、なかよ、く、しよっ」
愛美の"力"が、より広範囲へと伝播していく。
汚水は瑞樹の身長の二、三倍はあるかと思われる小山にまで盛り上がり、今まで静かだった周辺が、急に騒がしくなり始めた。
怨嗟の声が再び大きくなり、ゾンビが、邪霊が、周辺からわらわらと集まり始めた。
動きこそ緩慢であったが、一様に瑞樹を目指している。
瑞樹は動揺を抑えるよう努めつつ、愛美に話しかけた。
「お兄ちゃんのお願いなんだけど、お友達をみんな、動かさないでくれないかな」
「……どう、して? みん、な、なかま、はずれに、す、るの?」
「そうじゃないよ。ただね、もう少しだけ、愛美と二人だけでお話がしたいんだ」
そんなことを言っている場合ではない。
照準を愛美に合わせ、問答無用で引き金を引かなければならない。
そうしなければ自分が、押し寄せる敵にやられてしまうだろう。
それに、じき秋緒が到着してこの状況を見れば、速やかに愛美を斬りにかかるだろう。
手に入れた経緯こそ不明だが、愛美の持つ"力"は、死者や邪霊を操るものであることは明白であり、彼女を除霊すれば彼に降りかかっている危機は去る。
そこまで分かっていながらも、瑞樹は、どうしても迅速な行動に移せずにいた。
――撃て。撃つんだ。早く撃て!
心で檄を飛ばしても、右腕だけが自分の体ではないかのように命令を無視する。
瑞樹は周囲の状況を窺う。
ゾンビや邪霊は、少しずつ包囲の輪を縮めてきている。愛美は彼の頼みを聞くつもりはないらしい。
もっとも、彼女に悪意はなかった。
「おにい、ちゃん」
瑞樹がちょうど愛美に背を向けていた時、池の汚水の山から何かが撃ち出された。
色褪せた銀色で覆われた流線型の物体。
愛美の声で振り返り、魚の死骸が放たれたと認識した時には、既にそれは彼の腹部へ突き刺さっていた。
「ま……まな……」
「わた、し、たち、と、いっしょ、に、なろ?」
愛美は笑っていた。
池と同じ色の瞳で、瑞樹を覗き込んで。
瑞樹は覗き返すことができなかった。
薄らいでいく意識の中で瑞樹が考えていたのは、恨みではなかった。
――当然の報いだ。
あの時、自分だけが生き残ってしまった。
発現させた能力を制御できず、我が家を全て灰にしてしまった。
(ごめん、あの時、守ってやれなくて。ごめん……)
ただ、愛美を独りのままにしてしまうことが、心残りだった。