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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三十九章『愛憎のあいびき』 その3

 間断なく繰り出される沙織の攻撃を、瑞樹は紙一重でかわす。

 かわしながら炎で反撃し、逆転の糸口を探す。


 心は憎悪で満ちていたままだったが、決して飲み込まれてはいなかった。

 芯の部分は氷壁に閉ざされていた。

 狂気に顔を歪め、しきりに口汚い言葉を吐きながらも、脳の奥底では冷静な思考が展開されていた。


 ――まだ、このままでいい。


 相手は決して戦い慣れしてはいないし、優れた戦闘センスを有している訳でもない。

 ただ圧倒的な能力に任せて攻撃と防御を行っているだけだ。


 だが、それは瑞樹とて似たようなものである。

 戦いの場数は沙織よりも踏んでおり、人としての体捌きは勝っているが、剣は素人に等しい。

 昔、秋緒に憧れて手ほどきを受けたことがあったが、自分には剣を扱う才が無いことをすぐに痛感してしまった。

 ゆえに、今の戦いにおいても、直接的な武器としての期待はしていない。


 リングの外の闇を背中に感じながら、瑞樹は秋緒の教えを思い出す。


『私と同じようになる必要はない。自分の持ち味を伸ばして戦えばいい』

『怒りや憎しみが溢れてくるのは構わない。しかし、それに飲み込まれてはいけない』


 これまでは、頭では分かっていても実践できずにいた。

 それが今、この時、ようやく腑に落ちた。

 こういうことだったのか。これで良かったのか。


 感動はない。

 恐らく戦いの最中でなく、別の状況で悟ったとしても、興奮することはなかっただろう。

 ど忘れしたことを思い出した時のような、わずかな爽快感が湧き上がるだけだったはずだ。


 もっと早く出来ていれば……今の瑞樹は、ただこう思っただけであった。

 自己嫌悪が更に火勢を強める。


 雄叫びを上げ、五本の指から何十条もの火の矢を沙織に放つ。

 沙織は尽きることのない血を手で振りかけ、自分に突き立たんとする矢だけを消した。

 狙いが外れた矢は、緩やかな放物線を描いてリングの端に刺さり、あるいは奈落の闇へと消えていく。


 リングに突き立った矢は、何の糧を与えられずとも炎上した。

 そのまま輪郭をなぞるように左右へと走り、反対側で結びつき、高くそびえて中を包囲する炎の壁となった。


 沙織はゴキリと首だけを一回転させ、状況を知る。

 力が格段に強くなった。

 きっと細かいことを考えたり、感情に抵抗するのをやめたんだ。

 瑞樹の心情を瞬時に把握する。


「そろそろ私を殺せる? ねえ殺せるかな? これだけの力が出せるなら、もしかしたら私の血でも消し切れないかもよ」


 沙織は興奮のあまり、美しい顔を粘土のように崩してしまっていた。

 目と周辺の筋肉が触覚のように伸びたり、耳が餃子になって落っこちたり、口が真っ赤な薔薇になったりしている。

 幸い栞がいる角度からは見えておらず、彼女が気付く前に元に戻すことができた。


 そして元の美女に戻ったと同時に、瑞樹は炎の壁から矢を一斉放射した。

 ちょうど円の中心部にいる沙織へと収束する全方位攻撃。


 沙織は避けようともしなかった。

 じっと立ち尽くし、瑞樹を見つめている。

 血液で消火しようとする素振りさえ見せない。


 矢が突き立ってもそれは変わらなかった。

 手に足に顔に、所構わず刺さって全身を炎が包んでも、シルエットは身じろぎ一つしない。


 体内に流れている血そのものを防御に使うつもりでは……瑞樹は懸念するが、すぐに打ち消す。

 奴の言う通り、消火できるのは"今までの炎"であり、今の炎はそう易々と消せるはずがない。


 ではなぜ、無防備に攻撃を受けた?

 それも分からない。

 そもそも考える必要などない。

 瑞樹の強みは、考えることをやめた所にあるのだから。


 総攻撃は、瑞樹の集中力の続く限り行われた。

 精神的な疲労を感じたところで我に返る。

 攻撃を止め、炎の壁を消去。

 火の生成を刀身の形成のみに留め、様子を窺うことにした。


 沙織の立っていた場所には、白骨だけが残っていた。

 一滴の血も残っていない。

 瑞樹の憎悪が、沙織の愛情を超えた瞬間であった。


 骨の形や構造は人間と何ら変わりはない。

 だが不自然なほどに白く、また何故か重力に逆らって、吊るされた骨格標本のように佇立している。

 周囲に栞以外の気配はない。


 一連の猛攻を上で見ていた栞は、ついに決着がついたのかと思っていた。


 しかし、瑞樹は確信していた。

 まだ終わってなどいない。

 血肉を焼き尽くしてやったが、こいつはまだ生きている。


 果たして、人骨が駆け出してきた。

 カタカタと音を鳴らし、不格好な動きで、瑞樹に向かってくる。

 足の遅い園児ほどの速度だったが、瑞樹は気を緩めず、剣を構えて迎え撃つ体制を取る。

 想像の範疇をはみ出した沙織の執念に少々恐れを抱いたが、戦う意志は衰えていない。


「そんな姿になってまで、しがみついていたいか……! 無様だな!」


 瑞樹は、相手をかわしてから火炎をぶつけ、バラバラにしてリングの外に吹き飛ばしてやろうと考えていた。

 地上の銀河が具体的にどうなっているのかは分からないが、落とすことができれば、とりあえず二度と復活できないはずだ。


 人骨の単調な突進をさっとかわす。

 勢い余ってたたらを踏んだ所に、剣を一突きする動きで渾身の火炎放射を食らわせる。

 目論見通り、骨はパーツごとにバラバラとなってリングの外へと投げ出され、あっという間に闇に吸い込まれ消えていった。


 瑞樹はリングの縁から下を覗き込む。

 人の息遣いを感じない無数の光だけが変わらず灯っていて、他には何も見えない。

 無風なのがかえって怖い。早々に視線を戻した。


 リングの中央まで歩き、立ち止まると、少しずつ実感が湧いてきた。

 ようやく、ようやく全部終わった。

 炎よりも熱い涙が頬を伝う。


「父さん、母さん、愛美……終わったよ」


 思い出したように、肩の傷が激しく痛み出し、顔をしかめるが、すぐに緩む。

 涙を拭わず、夜空を仰いだ。

 大きな満月の隣に、ソファに座った栞が見える。

 どんな顔をしているのか、ここからでは見えない。


 彼女へ手を振ろうとした時だった。


「つれないなあ、もうちょっと付き合って欲しいな」


 濁りのない、あの透明な声がした。

 瑞樹の顔が、一瞬にして驚愕に染まる。


「バ……バカな……!」

「バカじゃないし、冗談でも嘘でも幻聴でもないよ」


 沙織の声が、改めて響く。

 瑞樹のすぐ近くから確かに聞こえてくる。

 まるで抱き合いながら言葉を交わし合っている時のような距離で、鼓膜というより骨を伝わって音が聞こえる感覚。

 声は、左肩の辺りから聞こえてきてきた。


「まさか……!」


 正体に気付き、傷口に指を突っ込もうとしたが、既に手遅れだった。


「う、動かない……! 貴様……!」

「私たち、一心同体になれたね」


 おぞましさに嘔吐感がこみ上げてくる。

 生理的な反応ではなく、世界で最も忌み嫌っている存在を体内に容れているという気持ち悪さに起因するものだ。

 胃の中を逆流させそうになるのを堪え、代わりに全身を炎で包む。

 狙うは体内に潜む悪魔。


 能力こそ妨害なく発動させることができた。

 が、焼いたという確かな手応えが伝わってこない。


「残念、もう届かなくなっちゃったみたい」

「くそっ……!」

「今、私に残ってるのは、魂だけ。魂で瑞樹君に話しかけてるの」

「焼けろ! 燃えろ! 消えろ……!」

「口も声帯もないのに、心で思うだけで話せるなんて便利だよね。ここからだと、瑞樹君の魂がよく感じられるよ」

「死ね! 死ねよ!」

「思ってた通り、凄く素敵な魂をしてる。とても熱くて、眩しくて、太陽みたいな感じがするの」


 瑞樹の焦燥にも構わず、沙織が一方的に喋り続ける。

 しかし、これまでのように興奮を伴った様子はない。

 ひどく落ち着いていて、背筋が寒くなるほど柔らかな声色。

 人間でも怪物でもない、肉を持った存在を超越した概念にでも到達したかのように、一切の情念が感じられない。


 人の子である瑞樹には、現時点で魂の概念を明確に理解することはかなわない。

 しかし、とにかく、この状況がとてつもなく危険だということだけは分かっていた。


 魂を壊されてしまえば……


「私、やっぱりね、瑞樹君と深く結び付いていたいの。こうやって夢の世界で潜り込んで繋がれちゃえば、また元の世界で私を感じてもらえるよ」

「ふ、ふざけるな……!」


 先生がやってくれたことを、無駄にするつもりか。

 そんなこと、認められるわけがない。

 瑞樹は削れるほど刃を食いしばり、全身全霊をかけて炎を燃やす。


 だが、実体の分からないものを燃やそうとしても、徒労に終わるだけだ。

 むしろ力が入りすぎたことで焼く範囲の微調整ができず、傷を焦がすだけに終わり、逆効果であった。

 理性がもげそうなほどの痛みに呻き声をあげ、膝をつく。


 見かねたのか、沙織は抑揚のない声で、瑞樹に宣告した。


「これ以上苦しまないで。力を抜いて、全部私に委ねて。大丈夫、怖くないよ。私と瑞樹君と栞ちゃん、三人一緒に、永遠に幸せになりましょう?」

「くっ……そおおおおおおっ!」


 痛みよりも屈辱。絶望よりも敗北感。

 今感じているあらゆる感情を、意識そのものを鷲掴みにされる感覚が覆う。

 この女に、全て飲み込まれてしまう。

 瑞樹は明確な最期を認識した。



 ――完全に終わった。僕は、負けた。


 瑞樹は目を閉じる。

 全身から力が抜けていき、出した炎がどうなっているのかも分からない。

 痛みが段々遠ざかっていく。

 もはや意識が消えるのを待つばかりだ。


 無念だ。

 悔しい。

 闇。

 絶対の孤独。

 眠りとは似て非なる忘失。

 魂の死。


 みんな、ごめんなさい。

 さよなら、栞――






「…………?」


 違和感。

 消えていない傷の痛みが、気付いたきっかけだった。


 まだ、意識が消えていない。

 一時的に遠ざかり、薄らぎはしたが、命がまだ途絶えていないことを知る。


 目を開く。

 夜空と月と灯、そしてソファーに座った栞のシルエットが映る。


 妙に頭が冴えていて、短い仮眠から目覚めた時のような感じだ。

 更には、傷の痛みが、少しずつではあるが和らぎつつある。

 どうなっているんだ。瑞樹は戸惑う。


 ふと、温かいものを感じた。

 血でも、自分の感情でもない。

 自分以外の存在が、内側にいる。

 沙織ではない。


「あっ」


 瑞樹は、思い出した。

 ずっと自分を護っていてくれた存在を。

 この時もまた、救ってくれたのだ。


「ありがとう」


 声は届かなくても、言わずにはいられなかった。

 溢れるばかりの伝えきれない想いを。感謝を。


 その時、そよ風のような感触が、そっと瑞樹の頬を撫でた。

 これは、錯覚でも、創造された存在でもない。

 確かに内側から現れたものだ。


「ごめんなさい、未だに心配かけて」


 でも、もう大丈夫。

 瑞樹は起き上がり、リング中央に向かってゆっくりと歩き出す。

 転がっていた"お守り"を拾い上げ、虚空を見て、声を張り上げる。


「まだ、いるんだろう」

「分かってた? いい雰囲気だったから黙ってたんだけど……それにしても予想外だったな。まさかここまで瑞樹君を」


 沙織の言葉は、傷口に突き立てた刃の一撃によって中断された。

 血飛沫が瑞樹の顔と服を汚し、痛覚そのものを引き裂くかの如き、尋常ではない痛みが全身を駆け巡る。

 だが、瑞樹は表情一つ変えず静かに語りかける。

 もはや、この程度で揺らぎはしなかった。


「もういい。今度こそ本当に終わりだ。僕は、お前を、完全に殺す」


 突き立った刀から、黄金色をした炎が生まれた。

 瞬く間に全身へと燃え広がっていく。

 上空で見守っていた栞も、瑞樹の体内で魂だけとなった沙織も、同じことを思った。


 ――今までで、一番美しい炎だ。


「私と一緒に消えてくれるの?」


 瑞樹は答えなかった。

 栞のいる空を一度見上げた後、微笑んでから、全身の力を抜き、脳内にイメージを描く。

 栞や沙織にできたのだから、自分もできるはずだ。

 創ってくれたのに悪いが、これからこんなものは必要ない。


 瑞樹の立っていたリングが、忽然と姿を消した。

 

 落下が始まるまでの一瞬、瑞樹は、宇宙空間に放り出されたような無重力感を味わった。

 これからすぐ始まる出来事を思う。

 恐怖よりも多幸感が圧倒的であった。


 自分の名を呼ぶ栞の声が一瞬聞こえた気がしたが、すぐに消える。

 どこまで落ちていっても、無数に輝く光の海は一向に拡大されず、同じ距離を保ち続けている。


 対照的に、身を包む金色の炎はますます輝きを増していく。

 瑞樹の体だけではなく、周囲の闇へ際限なく拡がっていき、照らしていく。

 照らされた場所が何かを映すことはない。単なる輝きとなるだけだ。


 あまりの眩しさに、瑞樹は目を閉じる。

 その顔は穏やかだった。

 これは、自分だけの力ではない。

 だからこそ、安心できる。

 そして、全てが終わることを確信していた。


 瑞樹の内側で、沙織は感動していた。

 本物の宇宙で、星々の営みを、宇宙の始まりや終わりに起こる大爆発を余す所なく観測していたとしても、これほどの情動は得られないだろう。

 中島瑞樹という一人の小さな人間が、円城寺沙織がこの宇宙で最も愛した人間が、これほどの輝く炎を引き起こしたことに意義があったのだ。


「きれい……」


 沙織は無意識のうちに、全てを手放していた。

 自分の手でこんなにも美しく壮大なものを引き出せたことが、誇らしくてたまらない。

 既に未練も何もなくなっていた。

 このまま、身も心も全て、宇宙と人が織り成す光と闇の彼方へと溶けて消えていきたい。


 葬送の炎が、眩い光となって、総てを飲み込んだ。

 世界は、光だけになった。

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