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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三十九章『愛憎のあいびき』 その2

 三人のいる空間全体に、ノイズが走り始めた。

 電波障害が起こったテレビのように灰色へと近付き、歪む。砂嵐になる。


 その後、まず地面に直径約二十メートル強の、石造りで円形のリングが浮かび上がった。

 有明のコロシアムだ。瑞樹はすぐ思い出す。

 彼の推論は正しかった。

 栞にとっての"瑞樹の正当な戦い"のイメージがまさしくそれだったのである。


 続いて、リングの周囲が創り上げられていく。

 始めは夜空。都会だからか、見える星の数は少ない。

 代わりに巨大な満月が、冷えた銀色の光を放っている。

 あの月は本物なのかと、自分で創造しておきながら栞は思ったが、どうあっても届かない以上確かめようがないことを悟り、すぐに意識から外した。


 リングの外は深い闇に沈み、地面は浮遊する円盤に変わった。

 続いて遥か下方に、黄金色や橙、深い青の光が無数に生まれ、小規模な銀河が形成されていく。

 いつの間に出来上がったのか、光の配置で、数百メートル下に無数の建造物が、地平線の彼方まで連なって建っているのが瑞樹たちの目に映った。


 道路や地面の概念があるのかは、栞自身、分かっていない。

 必要ないと思い、曖昧にしか思い浮かべなかった。

 明確なのは、円盤よりも頭が高い建物は一切存在しないこと、ここの三人以外、生物は一切存在しないということだ。

 風はなく、気温の変化もなく、スーツがちょうどいい具合に調整した。


 これでよかったのだろうか。栞は自問する。

 もっと、彼が戦いやすい地形にすべきだっただろうか。

 しかし、戦いから逃げ、遠い場所で日常を過ごしてきた彼女には、炎を活かす地の利など分からない。

 結局、自分が思い描くロマンチックに従ってしまった。


「素敵! 流石は栞ちゃん、本を読むのが好きなだけあってイメージ力が凄いし、センスもいいね。最後のデートにぴったりだよ」


 沙織は心からの感激に打ち震えていた。

 背中に天使のような羽を生やして、縦横無尽に栞の世界を飛び回り、存分に体感して楽しむ。


「……僕も、素晴らしいと思う」


 瑞樹もまた、栞の世界構築を賞賛した。


「瑞樹くん……」


 お世辞ではないと、栞は理解し、笑顔を零す。

 根拠は、振り向いた瑞樹が、確かに笑いかけてくれたからだ。


「スカイフラワーのこと、少し思い浮かべてただろう。分かるよ」


 しかも、ちゃんとあの時のことを覚えていてくれた。

 もう充分幸福だった。ようやく、肚が据わる。


「わたし、これから瑞樹くんがどんな風になっても、もう怖がらない。受け入れるよ。だから……悔いが残らないようにして」

「……ありがとう」


 瑞樹は、感謝を込めて、再び栞に背を向けた。 


「降りて来い! 早くしろ!」


 瑞樹が夜空に怒鳴ると、沙織は「あ、いけない」と舌を出し、羽をしまってリング上へ着地した。

 紅潮していた頬を瞬間的に元の透き通る白へと戻し、


「栞ちゃん」


 彼女の名を呼んだ。


「今から私たち……最後のデートをするから、悪いけど、手を出さないで見てて欲しいの。今だけ、瑞樹君を取っちゃうけど、許して」

「僕からも頼む」

「……わかってるよ」

「ありがとう。えっと、あとは最後の準備、栞ちゃんには安全な特等席で見てもらわないと」


 沙織は言い、栞に向けて手をかざした。

 栞の目の前に、宙に浮かぶ真紅のソファが出現する。


「どうぞ、お嬢様」


 沙織に恭しく促され、栞がちょこんと腰かけると、ソファはゆっくりと上昇していく。

 ぐんぐんと月へ近付いていき、ある地点で停止し――リングを見守る、一つの星となった。


 あれだけ離れていれば、戦いの余波が栞に及ぶことはないだろう。

 瑞樹は夜空を見上げ、ひとまず安心する。


 次に沙織へと向けた顔に、もはや優しさは一かけらも残っていなかった。

 闘争の炎を纏った戦士の顔が、そこにはあった。


「いいお顔」

「お前も、いい具合に腹立たしい顔をしてるな」

「そう? うふふ。――さあ、最後のデート、始めましょうか」


 瑞樹は歯を剥いて笑い、懐から布包みを取り出した。

 中に入っていたのは、瀬戸秋緒の愛刀の欠片。


「それって、先生さんの……」


 刃引きを行い、お守りとして常に携帯していたが、この時は役割を異にした。

 持ち主の守護ではなく、敵対するものを打ち滅ぼす武器となる。


 瑞樹は右手でそれを握った。

 続いて、右腕に炎が起こる。

 

 ぶっつけ本番だが、できる確信はあった。

 何せ、内側には、最強の剣士の魂が宿っているのだ。


 瑞樹の自信に応えるように、炎が握っている手から伸び、細く鋭く形を変えていく。

 バーナーなどと生易しいものでは表現しきれない。

 もっと凶暴で、破壊的。

 濃密な赤が迸り続ける刀身を有する、一振りの剣が生まれた。


「カッコいい……」


 距離が離れているにも関わらず、切っ先を向けられて早くも熱にあてられたのか、沙織は頬に手を当て、艶っぽい吐息を漏らす。

 憎悪と殺意、そして闘争心の炎を纏う瑞樹の姿が、今取り巻いている風景よりも美しく見えていた。


 ――二人に会えて良かった。


 沙織は、心からの想いを言葉にした。


「瑞樹君、栞ちゃん、愛してるよ」


 栞と満月が見守る中、瑞樹と沙織の最後のあいびきが、愛憎のあいびきが始まった。






 沙織の下半身からゴキゴキと、骨が動く音が鳴りだす。

 ワンピースからのぞく沙織の両脚が、体内で大蛇が這い回っているかのようにおぞましく隆起し、変形している。

 その過程でタイツが千切れ飛ぶ。

 曲がるべきではない方向に関節が曲がり、ありえないほど筋肉が膨張していく。


 変形を終える前に、瑞樹は剣を縦に振るう。

 炎の刃が、巨大な鞭のようにしなりながら伸び、一瞬にして沙織を包み込んだ。


 瑞樹は夜空を見上げる。

 沙織は防御しながら回避、跳躍していた。

 月を背後に背負い、描き出されるシルエットは既に人外であった。


 手足であった部分が夜風を切って一斉に瑞樹へ向かってくる。

 瑞樹は炎の剣を一閃して焼き落とす。


 斬られた部分を再生しながら、沙織の胴体が迫り来る。

 異形の抱擁を、瑞樹は横に飛んで回避。

 沙織の下半身が石床に突き刺さり、鈍い音が響いた。


 石床はヒビ一つ入らず、衝撃は全て沙織に行くが、ダメージを受けた様子はない。

 にこやかに笑い、立ち上がりながら乱れた髪をかき上げている。


 沙織は後ろ髪を力任せに毟り取った。

 美しい毛の一本一本が生命を持ち、体積を増加させ、環形動物のように波打って動き出す。


「私から愛のプレゼント。血をチューチュー吸っちゃう黒ミミズ」


 沙織は無造作にそれらを投げつけた。

 十数匹の黒ミミズは口を尖らせて、錆びたブランコのような声を上げ、一斉に瑞樹へと襲いかかる。

 彼の端正な顔に吸い付き、潜り込み、這いずりながら血液を啜るために。


 醜悪だ。

 瑞樹は不快感を露わにし、開いた左手を前に出して火炎を放射し、一匹残らず焼却処分する。

 消し炭さえも残らなかった。


「こんなものが僕に届くと思うのか」


 過信ではない。

 瑞樹の炎は、攻撃と同時に防御の役割も果たす。

 身に纏えば、生半可な攻撃や生物は全て遮断するどころか、跡形もなく焼き尽くしてしまう。

 沙織も長年の"デート"で、それは重々承知している。


 しかし、それでも彼女は明快に答えた。


「届くよ。強い愛さえあれば。きっと、どんな障害があっても、ね」


 沙織は自分の胸元に手をあてがった。

 細く長い指が服を貫き、その下の柔肌に食い込む。

 そして鮮血をしたたらせながら、肉を抉って掴むのを瑞樹は見た。

 肉が無理矢理引き千切れる嫌な音。


 あれは……瑞樹の頭に、過去の記憶が蘇る。

 四年前、羽田空港にほど近い海浜公園で同じことをしていた。

 夕陽に照らされた、筋を引いた血肉が妙に気持ち悪かったことを強く覚えている。


 瑞樹は剣を正眼に構えた。

 "肉片爆弾"を確実に撃墜するために。


 沙織の起こした結果は、瑞樹の予想を上回るものであった。

 投げつけられた肉片が血を振りまいて飛んでくる。

 瑞樹は炎の剣を横に薙ぎ、正確にそれを捉える。


 消えたのは肉片ではなく、炎の刃の方だった。

 赤黒い血と接触したオレンジの炎が、短い蒸発音を連続させて瞬間的に消滅していく。

 驚愕の表情を浮かべながらも、咄嗟に瑞樹は全身に炎を纏って身を守ろうとしたが、肉片は容易に炎の防壁を貫いた。


 パン、と乾いた音。

 瑞樹の間近で肉片が破裂した。

 飛び散った血が、更に彼の周囲を消火していく。


「どう? ほらね、愛があれば瑞樹君の火だって消せちゃうんだよ!」


 破裂の衝撃を受け、仰向けに倒れている瑞樹に、沙織は声のトーンを上げて言った。

 勝利を確信した傲慢さはなく、純粋な『褒めて欲しい』という思いに満ちた声色だ。


 瑞樹はすぐさま跳ね起き、沙織を睨み付ける。

 左肩の辺りが熱く、痛い。

 しかし動かせないことはない。まだ戦える。


「その分威力が落ちてるようだな」


 瑞樹は唇を歪めて評価を下した。

 過去に使用された時は牽制の役割が主だったため、まともに食らったのは今回が初めてだったが、爆風の威力も範囲も明らかに縮小されている。

 とはいえ、"新型肉片爆弾"の攻撃は、瑞樹の精神面に少なからず衝撃を与えていた。

 血液が炎を掻き消す効果を有していたのは誤算だ。


「こんな新しい力が目覚めたのは、死んでからもずっと、ううん、一度死んでもっともっと瑞樹君のことを愛するようになったからだよ」

「忌々しい女だッ!」


 瑞樹は右手に握った剣から火炎を噴射した。

 全身を朱に染め上げた沙織は、躊躇いなく自らの胸を拳で叩く。

 勢いよく噴き出した血が火炎を押し返した。

 瑞樹は歯噛みする。と同時に、少しだけ笑った。

 自分のものか沙織のものか分からない、むせ返るような血の臭いを嗅いで、ようやくこの時初めて確信した。


 まだ躊躇が残ってはいるのだろうが、沙織は、本気で自分と戦いにきている。

 自分の能力を封じる力を用いてきたことは、本気で向かってきていることの何よりの証左であったからだ。


 このような状況で彼の心に去来したのは、絶望ではなく歓喜であった。

 ここで手加減などされては、お膳立てをしてきた意味がない。

 ひいては、最大限の侮辱にも繋がる。

 そういった意味では、瑞樹は沙織に感謝していた。


 ――だが、どうする。どうやって奴を殺す。


 炎が効かないということは、これから先、瑞樹の攻撃はほとんど無効化されてしまうということだ。

 更に相手は人間離れした怪物だ。

 再生能力があるため、失血死は望めないだろう。

 現に、服を真紅のドレスへ変貌させている今も、抉り取った傷口を再生させて、何事もないように立っている。


「考え事は終わった? まだ時間がいるかな?」

「気を遣うなよ。殺し合いの最中なんだぞ」


 瑞樹は嘯く。

 そう、と言って、沙織は右手を大鎌のように変形させた。

 そのフォルムはカマキリを思わせる。


「顔はきれいに残してあげる。首を切り離して、魂を脳みそに入れて、永遠にずっと見つめ合いましょう」

「断る。僕は生きて、栞と元の世界に帰るんだ。こんな所で死ぬのは許されない」


 瑞樹は再び、燃え盛る火の玉となる。

 未来に待つ、贖罪と幸福が複雑に交錯し続けるであろう日々を思って。


 相手の新たな力を知ったところで、自分にできることは変わらない。

 火力に任せて攻め続けるしかない。

 客観的に見れば愚直、無策と嘲笑されても仕方がない。


 だが、瑞樹には妙な自信があった。

 今、手に握っている剣が、無限の力を与えてくれる。

 まるで感情ではなく、剣自体が源泉となっているようだ。

 あとはここから溢れ出してくる熱に、憎悪や嫌悪を注ぐだけでいい。

 それだけでいくらでも炎を生み出せる。

 気持ちが尽きるか、相手の血が枯れ果てるか、勝負だ。


 いや。勝てる。

 やれる。殺れる。あの時、八幡の藪知らずのように、今夜も必ず奴を焼き殺せる。


「クックックッ……そうだ、死ね! 死ね! 今すぐ焼け死ね! 殺してやる! カラカラのミイラにしてやる!」


 とめどない思考が勝手に声として出力される。


 沙織は絶頂に達しそうになっていた。

 体は甘く痺れ、力が抜けていきそうになる。

 せっかく変形させた右手までもが、元に戻ってしまいそうになる。


 自分への戒めか、昂った愛情のせいか、沙織は常軌を逸した行動に出た。

 自らの右目をくり抜いたのである。




 凄い。二人とも。

 リング上空で見守っていた栞の、正直な感想であった。


 いつも二人は、会うとあのような調子だったのだろうか。

 想像を巡らせると体が震えてくる。涙が出てくる。

 自分だけが詳しいことを知らずに蚊帳の外。


 せめて、何があろうと、妹でいようと思った。

 同時に、愛情が一層強まる。

 愛する人があんなことになっているというのに、目を背けたり、止めようとは全く思わなかった。

 むしろ応援したい気持ちにすらなっていた。


 ――瑞樹くんに勝ってほしい。


 例え、姉を殺してでも。


 どうしてそう明確に思えるのか、自分でも分からない。

 単に姉より彼の方に親密さの比重が傾いているからだろうか。

 それにしても不思議なものだ。

 争うことを何よりも嫌っていたのに、眼下で起こっている全てを、一つも漏らさぬよう目に焼き付けている。

 今まで争いを見るのも避けようとしてきたのは、この時の出来事を見届けるために"溜めて"いたのかもしれない。

 栞はうっすらそう思い始めた。


「終わらせて」


 月だけが、栞の呟きを聞いていた。

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