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復讐火葬  作者: SATOSHI
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五章『兄と妹』 その1

 瑞樹が家に着いたのは、日付が変わる間際だった。

 出迎えた秋緒は、幽鬼の如き表情をしたスーツ姿の彼を一目見るなり、次々と質問を浴びせたが、


「すみません、明日にしてもらえますか」


 とだけ答え、二階に上がって自室へ引っ込んだ。

 ネクタイだけを緩めてシャワーも浴びず、そのままベッドに倒れ込む。

 今は何も考えられない。考えたくない。

 一回寝てから仕切り直そう。

 幸い、目を閉じると、意識はすぐに遠のいていった。

 眠りに落ちる感覚も、沙織の爪に背中を刺されたことを思い出して不愉快だったが、押し寄せる睡魔の方が圧倒的に優勢だった。


 この夜、瑞樹は夢を見た。


 夢の中の瑞樹は、赤と黒のペンキがついた、うちわ程もある大きな刷毛を両手に持っていた。

 ロッソ・ネロの二刀流で、周りのあらゆるものを塗り潰していくのだ。

 犬も猫も、男も女も、自分の部屋も学校も。


 時系列を無視して目まぐるしく場面は変わっていくが、瑞樹の行動は一貫していた。

 誰もが無抵抗で、瑞樹にされるがまま、赤や黒一色、あるいは混合色に染まっていく。

 おまけに刷毛は全くペンキを付け直す必要がない。

 大笑いしながら、世界の全てを塗り潰す。

 自分自身も例外ではなく、飛沫が体中に降りかかる。


 そうだ。

 この世界では能力なんか使わなくてもいいんだ。

 火を出さなくても思い通りにできる。

 ここなら、あの女だってベチャベチャにしてやることができる。

 腹の底から笑いが込み上げてくる。いい気持ちだ。


 と、そこで突然、両手の刷毛がナイフに変化した。

 どういうことだ。これでは世界を塗り潰せない。

 首を傾げてペンキ塗れの刃を見ていると、今度は空間そのものが歪み始めた。

 今立っている場所は六畳の和室だったが、壁、天井、畳が波打ち始め、まるで生物の体内にいるようだ。

 バランスを崩し、瑞樹は尻餅をついてしまう。

 はずみで落としたナイフが、粘膜と化した床に飲み込まれていく。


 瑞樹は恐怖に突き落とされた中、理解した。

 そうだ、ここはあの女の中で、自分は取り込まれてしまったのだ。

 もう逃げられない。

 死ぬまで、奴からは――


 救いの手を差しのべたのは、甲高いアラームの連続音だった。

 目を開けると、朝日が差し込んで白っぽくなった天井が映る。

 見慣れた自分の部屋だ。


「なんて夢だ……」


 額に浮いた汗を拭う。ぬるりとしていた。

 ゆっくりと上体を起こす。頭も体もずっしりと重い。

 着替えず、シャワーも浴びず眠ったものだからリラックスできず、あんな悪夢を見てしまったのだろう。

 付けっぱなしだった腕時計で時間を確認する。

 七時過ぎだった。

 今日の大学は二限からなので、充分すぎるくらい余裕がある。

 コンディションは良くなかったが、流石に二日連続で休む訳にはいかない。

 それと、秋緒にも昨晩の顛末を説明しなければ。


 頭の中の靄が晴れてくると、再び思考がザワザワと騒ぎ出す。

 それでも一夜を明かしたことで精神的には大分回復し、敗戦のショックからも立ち直っていた。

 新たな闘志と復讐心が湧き上がってくる。

 また来年まで待たなければならないのは腹立たしいが、次こそは。

 今見た夢のような結末を辿る訳にはいかない。負けられないのだ。


 しかし――


 スーツを脱ぎ、ハンガーにかけ、クローゼットにしまう動作を行う間、瑞樹の頭の中に新たな考え事が浮かぶ。

 昨晩、沙織が口にした一言だ。


『八柱霊園で、愛美を見た』


 その言葉を、単なる虚言と切り捨てられずにいた。

 沙織のことを信用した訳ではない。

 愛という言葉の下、沙織は今まで一度も瑞樹に嘘をついたことがなかったが、瑞樹はその言葉自体信用ならなかった。

 しかし、答えはもう決まっていた。


 何故沙織が八柱霊園に足を運んだのか。

 何故家族が眠っている多磨霊園ではなく、遠く離れた場所なのか。

 何故妹だけで、両親は見なかったのか。


 理由はどうでもいい。

 可能性があるというのなら、会いに行くだけだ。

 行って確かめてみたい。話がしたい。


 復讐の前にやるべきことが一つ増えたが、面倒さや苦痛は一切感じない。

 むしろ力が湧いてくる。瑞樹は全身に精気が駆け巡るのを感じた。

 シャワーを浴びて髪を乾かし、着替えを済ませた後、既にリビングにいた秋緒に挨拶をする。

 昨夜とは打って変わった瑞樹の様子に秋緒は最初面食らったが、すぐさま物問いたげな目を向けてきた。

 瑞樹は連絡を絶っていたことと昨夜の振る舞いを詫びた後、キッチンのテーブルに何も出ていないのを見て、


「その前に朝食を食べましょう。コーヒーもまだですよね? 待ってて下さい、すぐ用意しますから」


 と言った。


「待ちなさい」


 キッチンへ向かおうと踏み出した瑞樹の足を、秋緒が止める。


「何があった? いや、何をしようとしている?」

「え?」

「キミが目を逸らしながらもハキハキと行動する時は、心に強い決意を抱いて、何かを一人でやろうとしている時だ。話してもらおうか」


 やはり、この人には敵わない。瑞樹は苦笑した。


 秋緒はブラックコーヒーを、瑞樹はいつも通り甘くしたコーヒーと、いつもより量の多い朝食を取る。

 秋緒はいつもより早いペースでコーヒーを飲み干したが、瑞樹はいつもと変わらない速度で咀嚼と嚥下を行う。

 秋緒は急かすことをしなかった。

 空になったカップに視線を落とし、静かに待っているだけである。


 やがてコーヒーカップを置く音が鳴り「ごちそうさまでした」と瑞樹が声を出したのを聞き、秋緒は顔を上げた。


 瑞樹はまず、昨晩の出来事を説明した。

 秋緒は沙織に逃げられた所まで黙って聞き、かつ続きを促す。

 それだけではないことは、とうに分かっていたのだ。

 瑞樹は少し間を置いた後、静かに口を開いた。


「――妹が、まだ現世にいるかもしれないんです」


 秋緒は眼鏡の奥の細い眼を二、三度瞬かせた。


「あの女が、妹を八柱霊園で見たと言ったんです」

「……虚言ではないのか? それと、気を悪くしないでもらいたいのだが、変異生物の仕業という可能性はないだろうか」

「僕も正直、完全に信じ切れてはいません」


 瑞樹もその可能性は考えていた。

 人間に化ける能力を持った狸の変異体なども存在するからだ。


「……ですが、妹がいる可能性が少しでもあるというなら、確かめたいんです」


 瑞樹はまっすぐに秋緒の目を見つめる。

 その眼差しに、強固な意志の強さを秋緒は感じ取っていた。


「先生に迷惑はかけません。僕一人で何とかします。仮に除霊が必要な状況になったとしても」

「ダメだな」


 秋緒はぴしゃりと言った。


「先生ッ!」


 身を乗り出そうとした瑞樹を、秋緒は手で制する。


「以前、約束したことを覚えているか? 望まない限り、キミの復讐に、私からは一切口も手も出さない、と」

「……忘れていません」

「それ以外のことに、私が何もしないと約束した覚えは、一切ない。知っているだろう。八柱霊園が危険な場所ということは」

「知ってます」

「気持ちは分かるが、焦ってはいけない。まずは都に立入許可の申請をしなければならないし、色々と準備が必要だろう」


 眼鏡のブリッジに手を当てて秋緒が言う。


「今更気遣わなくてもいい。私も力を貸そう」

「先生……」


 ――ああ、やっぱり先生はそういう人なんだ。


 深く感謝すると同時に、瑞樹は申し訳なさでいっぱいになった。

 秋緒とて暇ではないはずだ。

 ただでさえこれまで色々と世話をかけているのに、これ以上手を煩わせたくはなかった。


「そんな顔をするな。いいんだ」


 秋緒はその言葉の後に何も付け加えなかった。

 瑞樹はその言葉の後に何が付け加えられるはずだったのか、気になって仕方がなかった。




 秋緒から即日突入を禁じられた瑞樹は、ひとまず素直に大学へ行くことにした。

 車は使わず、いつものように電車での通学である。

 喋る猫の一件については解決したため、車を借りる必要はなくなったからだ。


 瑞樹の通う大学は御茶ノ水にある。

 結界がもたらす絶対的な安全が、山手線内にある大学の倍率を急上昇させていたが、瑞樹が選んだ理由はそれではなく、単にレベルで決めただけである。

 それ以前に彼は、高校を卒業したらすぐにでも秋緒の下で社員として働くつもりだったが、当の秋緒が「見聞と選択肢を増やすに越したことはない」と、進学を強く勧めてきたのであった。


 大学生活はそれなりに充実していた。

 友人や恋人もでき、講義も中々に面白い。

 これであとは沙織が早く死んでくれればなおいいのにと思うが、引きずっても仕方がない。

 中三日ぶりに見たキャンパスは、瑞樹の目に妙に懐かしく映った。

 仲のいい友人たちとのいつもの合流場所、一番背の高い校舎入口に入ってすぐの所へ向かうと、既に三人とも揃っていた。

 顔を合わせるなり、色々と茶化される。


「おっと中島くん、この時期になってサボリの魔力に取り憑かれてしまったのかな?」

「それとも愛人との浮気かな?」

「馬鹿。カウンセリングに行ってたら、ちょっと長引いたんだ」


 眼鏡をかけた茅野佑樹、のっぽな梶谷翔の言葉を軽くいなし、ベンチに座る。

 友人たちは瑞樹の詳しい事情を知らない。

 家族のことと、犯人である沙織と密かに復讐の逢引きをしていることを両方知っているのは、秋緒と栞だけだ。


「中島、ちょっと」


 松村春一に、横から腕をつつかれる。


「お前、今日は二限からだろ? ちょっと相談があんだけど」

「何?」


 茅野と梶谷は一限から講義があるが、松村は瑞樹と同じく二限からで、時間に空きがある。

 にも関わらず瑞樹が早く来たのは、昨日欠席した科目のノートを誰かに写させてもらうためだったのだが、友人から相談を持ちかけられれば断るのもはばかられる。


「俺の"レイブレイド・ゲイザー"を強化したいからさ、アドバイスくれよ」

「……はぁ」


 瑞樹はため息をついた。何かと思えばそんなことか。

 松村も瑞樹と同様、EF保有者だった。

『自己顕示欲』で刃物を光線に変換し、打ち出す能力である。

 しかし威力は弱く、殺傷力はほとんどないに等しい。

 なのに"レイブレイド・ゲイザー"なる大仰な名前をつけていた。


 自らのEFに必殺技の名称をつける者は少なからず存在するが、瑞樹は特に名前をつけていなかった。

 自分の力に愛着を持てないためである。

 ちなみに彼の師匠の秋緒に言わせれば、能力に名前をつけるのは邪道だそうだ。


「昨日の分のノートを取っておきたいんだけどな」

「それは俺がやるからさ。な、な、頼むよ」


 あまりにしつこいので、瑞樹は渋々相談に乗ってやることにした。

 茅野、梶谷と別れ、ひとまず建物から出る。

 あくまで話だけだ。

 能力を使うには最短距離を取っても岩本町の方まで行かなければならないため、時間を考えると往復している余裕などない。

 松村が買ってきたサイダー缶を受け取り、喉に流し込みながら話を聞く体勢に入る。

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