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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三十七章『剣の結界』 その3

 集合玄関機で呼び出すと、すぐに応答があった。


「……はい」

「栞? 僕だよ、瑞樹」

「えっ!? ホントに!?」

「正真正銘、本物だよ。話がしたいんだけど……」

「わ、わかった! すぐ来て!」


 ロックが解除された瞬間、瑞樹は飛び出していた。

 早歩きで向かう。エレベーターが上階へ行ったままなのがもどかしい。早く来てくれ。

 ドアが開く。ボタンを押す。閉まる。

 遅い。もっと早く閉まってくれ。早く上がってくれ。


 目的の階に上がった瞬間、ドアの透明な窓を隔てて、栞の姿が見えた。

 彼女もまた待ち切れずに、部屋を飛び出していたのだ。

 目が合ったと同時に、二人は距離を詰める。

 瑞樹はゆっくり開くドアの隙間を強引にすり抜けた。


「瑞樹くんっ!」


 栞が、瑞樹の体に強くしがみついた。


「栞!」


 瑞樹はしっかりと受け止め、抱きすくめる。

 声。柔らかさ。体温。髪の匂い。

 全てが本物の彼女だった。

 達成感と安心感が、実感という推進力を得て、心の底から天上の彼方へと吹き上がっていく。


「良かった! やった! やったんだ! 遂にやったんだ!」


 ――僕は、栞を守り抜けたのだ!


「おかえりなさい! 無事で……よかった……!」


 栞は、笑顔だった。

 世界中のどんな美しい花も色褪せて見えてしまうほど、喜びを満面に咲かせ、最愛の恋人を出迎えた。

 瀬戸秋緒と交わした約束を、忠実に守ったのだ。


 だが、一切の曇りもなくそう振る舞えている訳ではなかった。

 震えた声が、それを物語っていた。

 実際、その笑顔は、美しさや眩しさと同じくらい脆かった。

 何か予定外の出来事が起こってしまえば、きっと儚く崩れ去ってしまっていただろう。


 恋人としての察知力で、瑞樹もそれを理解していた。

 ゆえに、あえて触れはせず、別のことを聞く。


「昨日は大丈夫だった? 何もなかった?」

「うん、瀬戸さんに言われた通り、一日中家でじっとしてたから」


 やっぱり栞のことを気にかけてくれていたのか。瑞樹は心で深く感謝する。


「瀬戸さんは? 瑞樹くんがこうして無事だったってことは、瀬戸さんが助けだしてくれたんでしょ?」

「これから全部話すよ。だから、急で悪いんだけど、僕の家まで来てくれないかな。あの場所じゃないと駄目なんだ」


 いつまでもこうして抱き合っていたかったが、公衆の場であることを差し引いてもそうはいかない。

 瑞樹は栞をそっと引き離し、決意した顔を向けた。




 随分と早かったな。

 煙草を吹かしていた剛崎は、マンションから出てきたカップルを見て思う。

 仮に、栞の出発準備にかけた時間がもっと多かったとしても、そう言っていただろう。


 最初、剛崎と栞が挨拶と社交辞令を交わした以降、三人の間に会話は発生しなかった。

 剛崎は気を利かせて口を閉ざし、瑞樹と栞もまた、自分以外の二名に遠慮して慎んでいたのである。

 とはいえ、別段気まずさや重苦しさはなく、昼間の公共交通機関のような空気が車内に流れていた。


 栞を一目見てからずっと、剛崎はある感想を抱いていたが、決して口にはしなかった。

 下手をすれば、瑞樹にも栞にも失礼になってしまう。


 結局、剛崎は三鷹の自宅まで送ってくれた。

 二人は礼を述べ、走り去っていく車を見送った後、家の方に向き直る。

 瑞樹にとっては久しぶりの帰宅だった。


「数年ぶりに戻ってきたような気がするよ」


 瑞樹は感慨深げに言い、ポケットから鍵を出してドアに挿し込んだ。

 血守会のアジトに移動させられた際に没収された所持品は返ってこなかったため、元から持っていた鍵も無くなってしまったのだが、剛崎がスペアキーを所持していたため、何とかなった。

 いざという時のために、秋緒が過去、剛崎に渡しておいたものだ。


「ただいま」


 懐かしい匂いをいっぱいに吸い込み、瑞樹は言う。

 誰の声も返ってこなかったが、彼は穏やかに微笑していた。

 続いて栞が、靴を脱いで上がる。


「おじゃまします」


 当然、無反応。

 昼間にも関わらず、照明が一切ついていない家中は薄暗く、森閑としていた。


「栞はもう朝ごはん食べた?」

「うん、だいじょうぶ」


 瑞樹は頷き、ふうっと一度深く息を吐いた。

 わたし、どこまでも瑞樹くんについていくし、従うよ。

 栞は決意を固めつつ、彼の次なる挙動を見守る。


「先生の部屋に行こう」

「いいの? わたしも行って」

「うん」


 瑞樹は優しく笑いかけて、栞の手を引いた。


 階段を上がり、秋緒の部屋の前に立つ。

 瑞樹はドアノブに手をかけた。

 冷たい鉄の感触。

 下へ回し、ゆっくりとドアを開け、中へ足を踏み入れる。

 秋緒の部屋に入るのは久しぶりだった。

 栞も「失礼します」と口にしてから、後に続く。もちろん彼女はこれが初めての入室である。


 がらんとした部屋だった。

 簡素なパイプベッドと小さな事務机、その上にパソコンと数冊の本とスタンド、椅子が添え物のように置かれているだけだった。


「最後に入った時と全然変わってないな」


 恐らく私物のほとんどはクローゼットに収納されているのだろうが、その中も物があまり入っていないだろう。

 瑞樹は苦笑する。

 そして、床に膝をつき、剛崎から渡された包みの紐を解く。

 思っていた通り、中から出てきたのは、秋緒が肌身離さず傍らに置いていた愛刀だった。

 ただし完全な形ではなく、折れた刀身の一部と鞘だけだった。


 瑞樹はしばしの間、無言で秋緒の愛刀を凝視していた。

 栞はそんな彼の姿を、息を潜めて耐え忍び、見守っていた。




 どれだけの時間が流れただろうか。

 瑞樹はゆっくりと、音を出さずに立ち上がる。

 ほとんど真後ろにいるため、今の瑞樹がどんな表情をしているか、栞からは見えない。


 栞に顔を見せないまま、瑞樹はデスクに移動する。

 脇に置かれていた、木製のフォトスタンドを手に取る。


 はめ込まれていたのは、大学に入学した時の瑞樹と秋緒が、家の前で並んで立っている写真だった。

 記念にと、剛崎に撮ってもらったものだ。今もよく覚えている。

 スーツを着て澄ました顔の瑞樹とは対照的に、秋緒はひどくぎこちない笑顔を作っていた。


(そういえばいつも、写真は好きじゃないって言ってたっけ)


 思い出して、唇が緩む。

 緩んで、ふるふると震え出す。締め直せない。


 おかしい。

 感じているはずなのに。

 写真だけでなく、机にも、床にも、あの刀にも、認識している全てにあの人が在るのに。


「……ダメだな」


 掠れ声。


「瑞樹くん……?」

「大丈夫だと思ってたんだけど……やっぱり、無理みたいだ」


 瑞樹の顔には、悲しみの陰が濃く差し込んでいた。

 栞は声を詰まらせる。大きな瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。

 秋緒の部屋に向かう時点で不吉な予感がして、折れた刀を見た時にほとんど確信していた。

 それでも、彼より先に泣く訳にはいかなかったから、必死に抑え込んでいたのだ。


「いいんだ、我慢しなくても。ありがとう」


 違うよ。それは、わたしが瑞樹くんに言うことだよ。

 栞はどうしても、上手く言葉にすることができない。

 悲しくなれない彼を何とかしてあげたい。そんな思いばかりが先走って、舌が空回りしてしまう。


 栞の想いはどこまでも純粋で、慈愛に満ちていた。

 しかし、彼女は一つだけ思い違いをしていた。


「栞……今から僕が言うことは、誓って嘘じゃない。信じて欲しい」

「……うん」

「先生は…………先生は、死んでないんだ」

「えっ」

「先生は、僕を助けて、護ってくれたんだ。いや、今もずっと護ってくれている」


 瑞樹は、自分の胸に手をあてて、目にうっすら涙を浮かべたまま言う。


「ここにいるんだよ。ずっと意識にこびりついて離れなかったあの女を消してくれて、代わりに側にいてくれてるんだ」


 瑞樹の告白は、彼と最も近しい存在、言い換えると最も彼を理解している人間の一人である栞さえも戸惑わせるものだった。

 しかし、とても現実逃避しているようには見えない。

 ましてや嘘を言っているとは思えない。

 真摯で、正気だ。


 ということは、彼が宣言した通り、全て真実なのだろう。


「つまり、今の瑞樹くんは、さびしくはないの?」

「……分からない」


 これまで瑞樹が剛崎たちに秋緒の生死をはっきり告げなかったのは、何よりも最初に確かめたかったからだ。

 一度、秋緒と長い時を共に過ごした自宅に戻り、秋緒が残したものを感じることで、ありのままの現実を受け止められるかどうかを。

 悲しみを湧き起こさせずに済むかどうかを。

 沙織の代わりに、秋緒が遍在するようになったことによってもたらされる安心感を、受け容れ続けられるかどうかを。

 そして、遅れてやってくることが運命付けられている"実感"に、耐えられるかどうかを。


「だけど……やっぱり、もう二度と会えないと思うと……」


 ようやく今、彼の中で結論が導き出されようとしていた。


「もっと、こっちで一緒に過ごしたかったって気持ちが湧いてきて、抑えられないんだ。すぐ近い所にいて、安心感を与えてくれるのに会えない、話もできないって、おかしくないか。それに、あんな別れ方……」


 瑞樹が目を閉じると、溜まっていた涙が長い睫毛を濡らし、露となって零れ落ちた。


「いいよ、もう無理して言葉にしなくても」


 ――瑞樹くんの気持ちだけで、伝わってきたから。


 栞は、自分が流している涙にも構わず、小さく細い指を彼の頬に添えて雫をすくい取った。

 嗚咽も、すすり上げることもせず、瑞樹はただ瞑目したまま、微動だにせず立ち尽くしていた。

 自身の内に在る、血の繋がらない家族の気配に、感覚の全てで訴えかけることに専念するかのように。


「わたしがいるよ。ずっとそばにいるよ」


 瑞樹が目を開けた直後、栞は真っ直ぐに目を見つめて言う。

 直感、理屈の双方で強く確信していた。

 これからこの現実で彼を支え、共に歩んでいくのは、自分の役目だ。


「うん、家族になろう」

「ちがうよ。これからも、この先もずっと、わたしたちは家族なんだよ」


 その時、前触れなしに、瑞樹の腹の虫が鳴った。

 二人はしばしきょとんとした後、笑い合う。


「お昼ご飯、食べようか。その後に全部話すよ。今まで僕と先生に何があったか」


 瑞樹は晴れ晴れとした表情で、持っていたフォトスタンドを机に戻した。

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