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復讐火葬  作者: SATOSHI
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三十七章『剣の結界』 その2

「とんでもないです。どうか頭を上げて下さい、社長」


 瑞樹は恐縮して腰を浮かせた。


「……君は、強いな。改めて言わせて欲しい。良かったら大学卒業後、是非うちに入社してくれ。悪いようにはしない」

「勿体ないお言葉です。ありがとうございます」

「無論、今回の件で、君が罪に問われることは一つもない。安心して欲しい」


 報告や説明のため、これから警察に顔を出さなければならないという花房を見送ると、天川がトレイを持って再びやってきた。

 受け取ったミルクティーは温かく、甘かった。


「美味しいです」

「喜んでもらえてよかったわ。……ねえ、瑞樹君」

「はい?」


 天川から笑みが消え、真剣な顔になる。


「無理、してない?」


 少し離れた自席で、ここまでのやり取りを密かに観察していた剛崎も、耳をそばだてていた。

 自分も、今朝対面した時から気になっていた。

 天川なら本心を上手く引き出せるかもしれない。

 期待を抱きながら、瑞樹の反応を窺っていた。


「してませんよ」


 瑞樹は変わらずに、あっさりと答えを返す。


「先程、剛崎さんにもお話したんですが、少しだけ時間をくれませんか。でも本当に無理はしていないので、大丈夫です」


 ミルクティーの入ったカップを置き、穏やかな口調で言った。

 同じことを何度も説明させるな、などとは思わない。

 むしろ、こんなにも心配してくれる人がいてありがたい。自分は恵まれている。

 中島瑞樹はそう考える青年なのだ。


「そう……」


 天川は、艶っぽいため息をついた後、


「わぷっ」


 椅子に掛けている瑞樹を引き寄せて抱きしめた。


「分かったわ、私からは何も言わない。瑞樹君のこと、信じてるから」

(いや、今の僕は何も言えない状態なんですが)


 高低差の関係上、豊かな胸が瑞樹の両頬を圧迫する形になる。

 加えて石鹸のような香水のいい香りが、鼻から流れ込んでくる。

 長い軟禁生活、そして大事件から一夜明けた朝に受けるには、色々と刺激の強い仕打ちだ。


「おーい、前途有望な若者を誘惑するなよー」

「あら、人聞きの悪い。私はただ、瑞樹君に自分の気持ちを伝えただけですわ」


 剛崎に対して、天川は心外といった風に微笑み返す。

 複数の思惑が含まれているのは明白だった。


 その後瑞樹は、ミルクティーを飲み干すまでの少しの時間、他のトライ・イージェス社員の動向を聞いた。

 庄典嗣と千葉悠真は、負傷だけでなく消耗も激しいために現在入院中で、現場復帰まで少々時間がかかるらしい。

 逆に、ほぼ無傷だった遠野鳳次郎と六条慶文、そして鬼頭高正は、現在動けない社員の分までフル稼働しているとのことだ。

 更に千葉は、かねてより交際していた相手と近々結婚することを決めたようで、それに触発された六条は三人目の子どもが欲しくなったそうだが、そのための暇がしばらく出来なさそうだと嘆いているらしい。


「庄さんに伝えておいてくれませんか。相楽慎介を倒して下さってありがとうございます、と」

「伝えておくわ」


 言付けを頼んだところで、ちょうどカップが空になる。

 天川からおかわりを勧められたが、やんわりと断り、


「そろそろ、僕をここへ連れてきた目的を教えてもらえませんか」


 剛崎と天川に尋ねた。


「……分かった。それじゃあついてきてくれ」


 剛崎はデスクワークを中断して立ち上がり、瑞樹を促す。

 瑞樹は、ごちそうさまでしたと天川に礼を述べ、ついていく。


 階段で一階へ降り、通路の最奥にあるドアを開け、更にもう一度階段を下る。


「嫌な思い出しかないよなあ。すまん」


 瑞樹は何も言わなかったが、剛崎は詫びた。


「だが事情があって、どうしてもここじゃなきゃ色々と都合が悪いんだ」

「事情、ですか」

「すぐに分かるよ」


 剛崎は苦笑し、暗証番号を打ち込んで、地下室に続く大きな鉄扉を開けた。

 顕在意識に恐怖はなかったが、潜在的な部分ではまだ明瞭に覚えていたらしく、部屋内部が目に映った瞬間、理由もなくどきりとし、汗が滲み出しそうになる。


 しかし、そのような緊張は、すぐに打ち消された。

 思いもよらぬ人物との再会があったためだ。


「あ……」

「お久しぶりですね」


 椅子に座っていた女が、瑞樹の姿を見るなり、嬉しそうな笑顔を作る。


 ベリーショートの髪。

 ハスキーな声。

 品の良い立ち振る舞い。

 服装こそ初めて見る黒のパンツスーツ姿だったが、女を特徴づける要素が、瑞樹の胸に懐かしさを湧き起こさせる。


「五相さん!」

「今は人手が足りん状態だからな。とりあえず臨時扱いだが、彼女を正式雇用することにしたんだ。内緒で大人の取引をした上でな」


 剛崎が含みを持たせて説明する。


「デスクワークや、何かを探すぐらいしかお役に立てていないんですけれどね。こちらで働かせて頂くことで、少しで多くの償いができればと」


 五相が申し訳なさそうに、やや曇りがちの微笑を見せた。


「とにかく、無事で良かったです」

「いえ……瑞樹さんの方こそ、生きていて……本当に……」

「五相さん……」


 自分の呼ばれ方が変わっていることに瑞樹はしっかり気付いていたが、彼女が泣きそうになっていることの方が重大な問題だったため、指摘しなかった。

 剛崎はばつの悪い顔をしつつ、頭をかきながら話に割り込んだ。


「すまんが、先に瑞樹君の用件を済ませてやってくれないか」

「あ、すみません。……こちらへ来て下さい」


 五相はハンカチで目元を拭い、瑞樹を促す。

 曇った顔が晴れていないのは、自責の念や瑞樹への想いが理由ではなかった。


 五相の存在に気を取られ、半ば見過ごしていたが、部屋の隅には前回と変わらぬまま、ベッドやコンピュータなどが置かれている。

 収納したのか、前回来た時にあった格子は撤去されていた。


 目覚めてからずっと涼やかな態度を崩さなかった瑞樹が、ベッドの上にあったものを見て、初めて心を揺り動かした。


 これまで散々自分を追い詰めた血守会の首魁・奥平久志が、寝かされていた。

 というよりも、置かれていたと表した方が正しい。

 だがそこには、かつての姿はおろか、押し潰されそうなオーラさえも存在していなかった。


 四肢はほぼ根元から無く、内出血したような色で隈なく覆われた裸の胴体はすっかり干からび、顔からは一切の生気が消え失せている。

 薄く開けられた目蓋の裏にある目は変わらずに虚無的なままだ。

 口と鼻を覆うチューブ付マスクで辛うじて生かされている、生ける屍、という言葉では足りないほどの惨状であった。


「この男は……」

「鬼頭のダンナから伝言だ。『好きにしろ。責任は全部持つ』だそうだ。五相さんは既に権利を放棄している」

「元々、私が復讐する資格などありませんから。ですが、瑞樹さんがどんな決断をしても、私は決して見損なったりしません」


 それきり、五相と剛崎の二人は無言になり、瑞樹の選択を待つ体勢に入った。

 機械の低い駆動音、甲高いファン音が地下室を支配し始める。


 瑞樹は奥平を見下ろし、口をつぐむ。

 こうなってしまっては無残だ。掛け値なしで最初に浮かんだ感想だった。

 四肢を切ったのはともかく、この内出血のような傷は、鬼頭のEFによるものだろう。

 尋問・拷問に用いる、"責め"の刺青があるという話を剛崎から聞いた記憶がある。


 好きにしていい、ということは、そのまま言葉通りの意味だろう。

 鬼頭とてこの男を八つ裂きにしてやりたいと思っていただろうに、あえて瀕死に留め、警察に引き渡すこともせず、自分のために余白を残しておいたのだ。


 当然、瑞樹も奥平を激しく憎んでいた。

 山手線結界の破壊を企てただけでなく、大切な恋人・青野栞を人質に取り、非道な命令を下し、知歌を死に追いやった。

 到底許せるはずなどない。


 しかし……

 瑞樹はほんの短時間思考を止め、自我を客観視し、五感を希薄にする。

 やはり、この男の存在にも、確かに息づいていた。

 自分ではない人たちの存在が。


 二人は喜ぶだろうか。望むだろうか。

 自分が、この男を焼き殺すことを。


 瑞樹は目を閉じた。






「すみません、タクシーみたいな使い方をしてしまって」

「何言ってるんだ。これくらいはさせてくれよ」


 軽快にハンドルを滑らせながら、剛崎は唇を持ち上げた。

 窓は開けられているものの、車内には煙草の臭いがしぶとく漂い、BGM代わりにラジオも流れている。

 瑞樹の顔にいくばくかの戸惑いが差しているのは、これらが理由ではない。


「……僕の選択は、正しかったんでしょうか」

「正しいさ」


 瑞樹の呟きを、剛崎は一言で断じた。


「自分で決めたことだろう? それでいいじゃないか」

「そう、ですね」

「後は俺達に任せておけ」

「ありがとうございます」


 瑞樹はふっと、表情を緩めた。

 剛崎の言う通りだ。いつまでもクヨクヨしてなどいられない。

 これからは一層、自分を強く信じていかなければならないのだから。


 ラジオは長々とニュースを伝えていた。

 昨日、山手線の主要駅で起こった血守会のテロ攻撃のことばかりをしきりに伝えている。

 恐らく新聞やインターネットなどの他メディアも同様だろう。


 事件は完全に収束したようだ。

 五相のような例外を除き、血守会の主要メンバー・兵隊共に全て敗れ、捕縛された。

 今度こそ、血守会は壊滅したのだ。

 結界の破壊を目論むものも、瑞樹たちを束縛する呪縛も存在しない。


 山手線の結界も破壊されずに済んだ。

 路線の方は安全確認などのために終日運転を見合わせていたが、その他の各鉄道は時機を見て当日中に順次運転を再開していたため、交通網だけを見れば大きな混乱が起こることだけは避けられた。

 その山手線も、今朝から運行を再開しているようだ。


 しかし、血守会の攻撃によって刻まれた傷が、わずか一夜で消えることはありえない。

 瑞樹はまだ実際に目にしていなかったが、結界発生装置のある山手線各駅前を中心に、建造物への被害は甚大であったし、人的被害については今更列記するまでもない。

 都市機能の回復、市民や企業などへの補償などで生じる経済損失額は膨大な額になる見通しである。

 これらの傷が完全に癒えて元通りになるには、これから長い時間が必要となるだろう。


 穏やかな気持ちばかりでもいられない、と瑞樹は再び憂いの表情を作る。

 自分も出来ることをしていかなければ。

 それが、事情はどうあれ、事件に関わってしまった者として果たすべき責任だと考えていた。


 ニュースは次の内容に移っていた。

 有明コロシアムで行われているEF格闘技、そこの現王者である宗谷京助と波照直宣も、品川駅の防衛にあたっていたという主旨を喋っている。

 そのことは瑞樹も既に把握していたが、その後の結果までは知らなかったため、ラジオから流れてきた言葉を聞いた時は驚きを隠せなかった。


「波照さん……亡くなったのか」

「瑞樹君はEF格闘技ファンだもんな。残念だったな」

「ええ、以前剛崎さんから頂いたチケットで観に行った時のメーンイベントが、この二人の対戦だったんですよ」


 波照が血守会に加入していたことは、あえて言わなかった。




 瑞樹が波照や宗谷のことを考えていたのと同時刻。

 トライ・イージェス社のビル前に、突如として異形の人型生物が現れていた。


「だ、誰か……助けて…………死ぬ、このままだとマジ死ぬ……」


 通行人から上がる悲鳴にも構わず、単眼の化物はノイズの激しい音声を吐きながら、細長い手で出入口の扉をガンガンと叩く。

 寵愛を与えていた瑞樹からさえ存在を忘れられていた、電脳女王にして血守会最後の未発見メンバー、橘美海が使役した人工生物であった。

 アジトから全ての人員が消え、世話役が誰もいなくなったため、飲食の運搬がストップしてしまったのだ。


 人工生物はともかく、彼女本体はアジトから出る手段を持たない。

 これまでは必要がなかったため、全く気にしていなかったのが仇となってしまった。

 餓死するよりはいいと、力を振り絞って監視に使っていた人工生物を動かし、救助を求めてトライ・イージェス社前まで動かしたのであった。




 瑞樹と剛崎の移動先は、東京都北区王子だった。

 JRの駅から少し離れた所にあるマンションが、正確な目的地だ。


「野暮なことを聞くが、この後は彼女のマンションで過ごすのか?」

「いえ、彼女を連れて僕の自宅に行こうかと」

「タクシー代を出そうか」

「流石にそこまでは悪いですよ。せっかくですから、中野まででいいので送って頂けませんか」


 親指を立てた剛崎に笑顔を向けて一礼し、瑞樹は一人下車してマンションへと歩いていく。

 爽やかな秋晴れを味わうゆとりなどない。

 頭の中は既に、栞のことでいっぱいになっていた。


 彼女が今、家にいることは確定している。

 五相の能力で現在位置を確認済みのため、携帯電話がなくても何とかなった。

 急な訪問となってしまったのは致し方ない。

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