表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
復讐火葬  作者: SATOSHI
103/113

三十七章『剣の結界』 その1

 静かな目覚めだった。

 頭も体も異様に軽く、冴えている。

 全ては悪い夢に過ぎなかったのではないか、とさえ錯覚してしまう。


 しかし、これは紛れもない現実なのだ。

 見覚えがある白い天井の吸音板の模様を見つめ、瑞樹は明確な自我をもって現状を認識した。


 横には窓があったが、カーテンのおかげで差し込む日光が柔らかく加工されている。

 程よい眩しさだったが、瑞樹は体を起こしてカーテンを開けた。

 当然、日差しが強くなるが、それでいい。

 身体が、心が、もっと光を求めている。

 もう、あの太陽が届かない地下で寝起きする必要はないのだ。


 思いっ切り伸びをする。

 筋肉だけでなく、精神や魂までもが解れていくかのようだ。

 躍動できる喜びに打ち震えている。


 ――そうだ、僕は解放されたんだ。


 ただ一つを残して……


「お目覚めですか。おはようございます」


 彼がそう自覚した時、抑揚のない声がした。

 看護服を着た女が、整った顔を瑞樹の方へと向けていた。

 二、三度くらいしか顔を合わせたことがなかったはずだが、印象深い人物だったのでよく覚えている。


「神崎さん」

「はい、神崎貴音です。只今の日時は十月二日、午前八時十六分です」


 ご丁寧にも神崎が、機械のように説明してくれた。

 続いて、テーブルの上に書類を置いた後、棚から紙コップを出し、流しで水を注ぎ瑞樹に手渡す。


「ありがとうございます」

「いえ」


 続いて、彼女がスカートをわずかにたくし上げる。

 すると、魅力的な曲線を描く脚の間から、何かが床へと落ちる。

 菓子パンだった。


「召し上がって下さい。まずはカロリーを補給すべきです」

「は、はあ」


 またか。ハムスターといい、一体あの中はどうなっているんだろう。

 解けそうにない疑問を抱きつつ曖昧に答えるが、空腹には抗えなかった。

 受け取って袋を破き、中のアンパンをかじる。

 パンの柔らかな食感、中に包まれていた餡子の甘みが口いっぱいに広がって速やかに浸透し、エネルギーになって瑞樹の体内を駆け巡りだす。


「じきに多嘉良先生もいらっしゃいます。それまでごゆっくりどうぞ」


 言葉を変えれば、多嘉良が来るまではここから出られないということだろう。

 服や所持品は、前日のままだった。

 つまり携帯電話もまだ戻ってきていない。


 昨日の朝から何も食べていなかったため、アンパンは水と共に、瞬く間に瑞樹の胃袋へ収まった。

 幸い多嘉良はすぐに、時刻で言うと午前八時半きっかりに現れた。

 

「おはようございます、中島君。ご気分はいかがですか?」

「おはようございます。悪くはないですね」


 多嘉良は妙に高揚していた。


「それは良かった。さて、一刻も早くこの場から出たいことでしょう。ですがその前に、どうしてもお話しておきたいことがありましてね。少しだけ、お時間を頂けませんか」


 瑞樹の無言を、多嘉良は肯定と捉えた。

 準備させて下さい、と前置きし、いつものようにコーヒーメーカーでコーヒーを淹れ始める。

 たちまち、部屋に漂う消毒薬の香りがコーヒーのかぐわしさに上書きされていく。


「どうですか」

「結構です」

「おや、珍しい」


 多嘉良は自分の分だけをカップに注ぎ、ブラックで一口飲んでから、話を切り出した。


「実は私・フランク=多嘉良と、そちらの神崎貴音は、かねてより血守会に協力していたんです」


 多嘉良は、夕べの食事のメニューを報告するようにさらりと言いながらも、瑞樹の反応を注意深く窺っていた。

 瑞樹は、わずかに目を大きくしただけで、それ以外に目立った挙動を見せない。

 まずは続きを促しているのだろう、と多嘉良は勝手に解釈した。


「協力と言いましても、正式に"血の盟約"は交わしておりません。言うなれば、アドバイザーに近い立場ですね。ですから、先の決起集会には参加できませんでした。

 私が血守会に協力した理由はただ一つ、中島君、あなたの力の全てを確実に見るためです。彼らからコンタクトがあった時はまさしく渡りに船と思いましたよ。ああ、別に私は彼らの思想自体に興味はありませんし、奥平氏があなたにこだわっていたのかもどうでもいいことです。

 それに協力と言いましても、あなたのカウンセリングデータを教えたりとか、その程度ですけどね。大したことはしていません。余計なことをすればそれだけ、あなたの力に不純物が混ざってしまいます。それは私の望む所ではありません」


 黙っていればいいものを、どうしてこの人はわざわざ話してしまうのか。

 神崎は心中で呆れ返っていた。

 しかし多嘉良は彼女の心境など露知らず、声に段々と熱を帯びさせ、言葉を続けていく。


「中島君、昨日あなたが見せてくれた漆黒の炎、とても美しく、儚く、そして熱かったですよ。これまで何百何千もの情動力を目にしてきましたが、あなたのそれは他の誰よりも素晴らしかった。後世に残すべき芸術品と言っても言い過ぎではないでしょう。お目にかかれて、私は大変満足しております」


 長々とした口上がようやく終了しても、瑞樹は沈黙と停止を貫き続けていた。

 ただ無表情で、多嘉良を見据え続ける。

 混乱? 抑制? 恐怖? 諦観?

 いや、これは……達観? 安心もしている?

 多嘉良は己の職業で培った眼を活かし、彼の心境を解析する。

 が、どうも特定できないので、少し揺さぶりをかけてみた。


「おや? 怒らないのですか?」

「……もう二度と、力を暴走させる訳にはいきませんから」


 瑞樹は目を閉じ、静かに言う。

 多嘉良の推定自体は、概ね当たっていた。

 ただ、付け加えるならば、自然に、穏やかに、彼は自らの感情を選択したのだった。


「そうですか。いやはや、私が言うのも何ですが、大したものです。正直、この場で焼き殺されるくらいは覚悟していましたが……まるで悟りの境地にでも達したかのような静謐さを、今のあなたから感じますよ」

「買いかぶりすぎです」


 瑞樹は苦笑した。


「ときに、あなたの彼女、青野栞さんのことですが」

「もう知っているので、説明する必要はありません」

「あれ? バレてましたか。では逆にこちらから質問させて下さい。あなたのお師匠様、瀬戸秋緒さんのことですが……」


 瑞樹は首を振った。


「教えません。強いて言うならば、それが僕から多嘉良さんへの"仕返し"です。せいぜい考えてみて下さい。僕がこうしていられる理由と一緒に」

「ほう、分かりました。あえて受けましょう」


 実際、別に分からなかった所で痛くも痒くもないのだが、多嘉良は頷いた。

 コーヒーを流し込み、眼鏡を一度外して拭いてから、


「私がお話したかったことは以上です。次、お話したがっている方に、大人しくバトンタッチすることにしましょう。病院の外にいますから……そうそう、私が今ぶっちゃけたことを、誰かに話してしまっても構いませんよ。昔からそうですけど、自分だけ痛い目に遭わずに済まそうとは思ってませんから」


 しごくあっさりとした口調だったが、多嘉良は本心でそう言っていた。


「考えておきます。この先機嫌が悪くなることがあったら、話してしまうかもしれません」


 瑞樹の方もまた、あえて濁した答えを返す。


「あっはっは! それは怖い! これから先、するつもりのお詫びを一層弾まなきゃいけませんね」

「楽しみにしています」


 そう言って、瑞樹は部屋を出て行った。


「……くくくく、まだまだ中島君からは目を離せなさそうだ。まさか、あれだけのことがあったにも関わらず、あんな風に一皮剥けてみせるとは」

「懲りない方ですね。その内本当に殺されますよ」

「それはそれで本望ですよ。むしろ今日まで生き延びてしまったことが何かの間違いだと思ってますから」

「……多嘉良先生は本当に変態なんですから」


 そう言いながらも、神崎はさほどの不快感を見せてはいなかった。




 瑞樹が病院を出ると、多嘉良の言っていた通り、すぐに呼び止める声がかかる。


「よう、瑞樹君」

「剛崎さん。お怪我の方は……」

「頑丈なのが取り柄でね。問題ないさ」


 トライ・イージェス社員、剛崎健は、あちこちに包帯が巻かれた体をものともせず、強面の顔をくしゃっとさせた。


「まあ何にせよ、お互いよくやったよな」

「そうですね」


 瑞樹は爽やかに笑う。

 やけに清々しい、いや、上機嫌にさえ見える彼の様子に、剛崎は内心面食らった。

 昨日の今日とはとても思えない。

 とは言っても、空元気の類でもないようだ。一体……


「剛崎さん?」

「……ああいや、すまない。お医者の先生から聞いてるだろうが、家に帰る前に少しだけウチの事務所まで付き合ってくれないか」

「ええ、分かりました」


 瑞樹は嫌な顔一つせずに了承し、剛崎の車、後部座席に乗り込んだ。


 道中、剛崎は煙草を吸わなかった。

 勿論、いつものようにシャツの胸ポケットへ忍ばせてはいたが、この時は瑞樹に許可を求めさえしなかった。


「この間はすまなかったな。中島先輩たちの息子だってのに、あんなことをしてしまって」

「いえ、平気です。仕方なかったと理解してますから。それに先生も、そんなに気にしてませんよ」


 瑞樹は、人当たりの好い態度で、剛崎の謝罪を受け入れる。

 むしろ謝るべきは自分の方だ、とさえ思っていた。


 と、そこで剛崎が、少し言い辛そうに切り出す。


「瑞樹君……その、瀬戸先輩についてなんだが」

「すみません、少しだけ時間をもらえますか。早ければ明日にはお話しますから」

「……分かった。そんなに焦らなくてもいいからな」


 剛崎は頷く。

 本当は今すぐ問い質したかったが、彼の心情を痛いほど理解できたため、できなかった。

 今し方行った謝罪では補えないほどの後ろめたさも、多分に影響していた。


「そうだ、先に渡しておきたいものがあるんだ。横にある包みだ。後で持って帰ってくれ」


 言われて、横に目線を移す。

 黒い布に包まれた細長い包みが、シートに寝かされている。

 乗車時、目にした時点で大方察していたが、やはりこれは……瑞樹は包みを一撫でした。


「剛崎さん、お聞きしたいことがあるんですが」


 話題を変えてみることにする。


「ん、彼女のことか? 安心してくれ、無事を確認済みだ。瑞樹君が守り抜いたんだ。俺が言うのも何だが、本当によくやったな」


 まだ完全には喜べず、安心もしきれなかった。

 確かに尋ねたかったのはそのことだが、肝心な部分が抜けていたのだ。

 そこを更に掘り下げて尋ねる。


「血守会のメンバーなんですが、阿元という男を知りませんか? 今だからお話できますが、奴のEFを解除しないと、彼女の身が百パーセント安全とは言い切れないんです」

「その点も心配ない。……阿元団十郎は、死んだからな」


 一瞬、瑞樹は息ごと声を詰まらせた。


「本当ですか」

「血守会のメンバーだって言う髭の男に言われて、身柄を押さえたのはいいんだが……隙を見て、自分の力を使って自殺しやがったよ。もっとも、思い切りが悪かったのか威力が足りなかったのか、簡単には死ねず、半端じゃなく苦しんでたがな。ありゃ公にゃできんよ」


 剛崎は遠い目をして説明した。


「そうですか……」


 知歌と同じような目に遭ったならば、相応の報いを受けたと判断していいだろう。

 何より、栞が無事ならばそれでいい。

 瑞樹は一応の溜飲を下げることができた。


「それと、髭の男は事件後に大人しく投降したよ。今は警察だ」


 細々と世話を焼いてくれたカイゼル髭の男の姿が、瑞樹の脳裏に浮かぶ。

 このような結果になった今、もう少しだけ話をしてみたいと思ったが、もう二度と会うことはないだろうという妙な確信があった。




 事の顛末を聞いている内に、瑞樹は中野にあるトライ・イージェス社の事務所へ到着する。

 あの時は針の束を流し込まれたような、胃が痛む緊張感を伴っていたが、今はリラックスした状態でビル内に入ることができた。

 セキュリティにも通路にも階段にも、何の圧迫感も感じない。


「只今戻りました」


 オフィスには、剛崎と同じく社員の天川裕子、そして社長の花房威弦の二名がいた。


「うむ、二人ともお疲れ様」

「お帰りなさい、剛崎さん。それと、瑞樹君も」


 立ち上がった天川は、柔らかな微笑みを瑞樹へと向け、歩み寄ってきた。


「ほらほら、立ってなんかいないで、こっちに来て座って」


 両肩に手を置かれて、手近の空いている席まで誘導され、座らされる。

 いつもと変わらない、ボディタッチの多い妖艶な天川であった。


「ミルクティーが飲みたい、って顔をしているわね。それでいいかしら?」

「はい、ありがとうございます」


 飲み物と菓子の用意をするため、天川が一旦離れていく。

 それと入れ替わるようにして、今度は花房がやってきた。

 立ち上がろうとした瑞樹を手で制し、


「今回は本当に大変だったな」

「いえ……色々とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」

「気にしないでくれ。我々の方こそ、結果的に君を苦しめるような結果になってしまい、申し訳なく思っている」


 花房は深々と頭を垂れる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ