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にたり

作者: 瀬川潮

「借金取りにひどい目に遭わされたんです」

 深夜の繁華街。

 客を乗せて走り出したばかりのタクシーの中で、ドライバーの佐田新蔵(仮名)はぎくり、とした。

「もう、ずいぶん昔の事になるんですけど」

 新蔵の図星にはかまわず、後席に乗った妙齢の女性は続けた。

 乗客は彼女一人。妙に元気のなさそうな、蒼白の女性だ。心なしか生気のないように新蔵には感じられたが、繁華街で拾う泥酔客には、そういった人もいる。

「お加減、大丈夫ですか。ずいぶん飲んでらっしゃるようですが」

「ええ。私は死んでません」

 言葉は小さいながらはっきりしているが、内容はいくぶん噛み合っていない。「こりゃ、相当酔ってるな」とため息をつくが、客は客だ。このタクシー極寒の時代、長距離客がつかめたこと自体が幸運なのだ。あまり贅沢も言えない。

「とにかく、私は借金取りを恨んでます。恨んでも恨みきれません。彼らが私や私の家族にした仕打ちは、死んでも忘れません」

 女性の毅然とした声に、新蔵はうんざりして前を見、運転に集中した。

「もともと、返せもしない借金を抱えた方にも責任はあるでしょうに」

 との言葉は飲みこんだ。酔っ払いに理屈を言って泥沼にはまるのは、ごめんだった。

「死んでも絶対に忘れるもんか。……死んだら、絶対に見つけ出して呪い殺してやる!」

 新蔵が目をひん剥いて総毛立ったのは、女性の口調が突然かわったからだけではない。何故か一瞬だけ切れたヘッドライトと、バックミラーに映っていた女性客の顔が、突然青白く光ったように感じられたからだ。闇の中でぽう、と浮かび上がった様子はさながら般若の面のようだった。


「その後、どうしたんですか」

 後部座席に独り座る男が聞いてきた。

「そりゃお客さん。ずっとブルブルガタガタってモンですよ」

 そう言ってドライバーの佐田新蔵は肩を震わせた。

「……それだけ?」

 先の不気味な女性乗客と似たような年齢の男は、確認するかのように聞いてきた。

「よっぽどその後、とり殺されるかと思いましたが、無事にこの通りです」

 運転の最中、新蔵は左手でぽんぽん、と左太股をたたいてみせる。

「その女性、もしかしたら幽霊じゃないかと思いましたが、思い違いでしたね」

 そうですか、と男性乗客は笑った。

「違ったら申し訳ないですが、あなた、前職か何かで借金取りをなさってたでしょう?」

 不意に笑いをやめて聞いてきた。

「まさか」

 新蔵ははぐらかした。

「本当ですか?」

「本当です」

 ウソをついた。

 新蔵はタクシードライバーに転職するまでは、金融会社で督促係のような職に携わっていた。今思えば、業界でもひどい部類の会社だった。

 自分が滞納者から金を搾り取っているのか、会社から自分の良心が搾り取られているのか分からなくなったので、辞めた。本意ではなかったが、滞納者をひどい目に遭わせたし、上司や会社から成績のためにひどい目に遭わされた。すべて精神的なこととはいえ、加害者であり、被害者だった。自分が、嫌になって辞めた。五年以上前の話だ。当時のことはすべて忘れたかったし、実際に忘れた。今では、忘れなくちゃならないという思いと、思い出しちゃいけないという思いしか残っていない。

「……どうして、そんなことを聞くんです?」

 男性客にこれ以上、心のキズに触られたくなかったので、逆に聞いた。

「話を聞いていて、何となく思っただけですよ」

 男性客に特に悪意はなさそうだった。すまなそうな笑顔を作っている。

「ああ。さっきの話ですが、ちょっとしたオチがあるんですよ」

 新蔵も、男をとりなす意味で話題をもとに戻した。

「例の女性客、バッグを飲み屋に忘れたらしくてお金を持ってなかったんです」

「へえ、それで?」

「郊外の住宅地で降ろしたんですが、零時を回ってもう家族も寝ているから、明日の夕方お金を取りに来てくれないか、と」

「へえ、信じたんですか」

 男性客は、どうやら頭が切れるようだった。女性客は、それまでの話で金融業界のブラックリストに載っていてもおかしくないことが分かる。その口から、「お金は、明日」と言ってきたのだ。

「困ったモンですよ。どう返答しようか迷っていたら、自分の免許証を押しつけてきましてね、『証拠にこれを預かっていてください』って。あと、担保か何かのつもりだったのでしょう、ネックレスも首から外して預かるようにと渡してきました。」

 新蔵はそういってダッシュボードの中から女性が写っている免許証とネックレスを出した。もちろん、免許証の面は客に見せないようにしている。

「こっちとしても、こんな大切なもの預かる気もないんですが、女性もあの話の後では信じてもらえないと思ったんでしょう。必死に押しつけてきたので、可愛そうになって仕方なく預かりましたよ」

「そうですか。そういうつもりですか。安心しました」

「え?」

「あ。ここでいいです。降ろしてください」

 男は、当初の予定とはまったく違うところで降りた。

 午前三時ごろの話だ。


「運ちゃん。シートが濡れてるんだけどね」

 午前四時ごろに乗せた客から、意外な事を言われた。

「本当ですね……」

 新蔵は愕然とした。確かに後ろのシート、先の男性客が座っていた部分がぐっしょりと濡れていた。

「幽霊でも乗せてたんじゃないの?」

 年配の男性客はそう言いながら、濡れた隣りのシートに座った。

「幽霊を乗せてたかもしれない車に、よく乗りますね」

 呆れて新蔵は言った。

「こっちは、困ってる。そろそろタクシーを拾うのも難しくなるからな。幽霊なんか、どうでもいい。ありゃあ、めったなことで第三者に危害があるわけじゃないしな」

「へえ、そうなんですか」

 感心したように新蔵は言う。

「これでも私は心霊研究家だ。……そもそも幽霊ってのは、基本的に恨んでる相手にしか見えんわけだ。恨んでいる相手にも、見える場合と見えない場合がある」

 もちろん、世を恨んでいる幽霊は万人に見えるわけだが、とも注釈する。

「へぇ~」

「そんなのが相手だから、まず危害なんざないわな。精神的に追い詰めるだけ。幽霊にとれば、そうするにも人に憑りつく必要があるわけだが、現代のスピード社会じゃ、それもなかなかかなわん。もともと幽霊は場所に憑くものだからね。で、幽霊が誰かをとり殺そうとするなら、方法はふたつ」

「ふたつ、ですか」

「そう。とり殺す奴の住みかにつくか、何かモノを渡して肌身はなさず持たせておくかのどっちかだな」

 そんな話をするうち、あっという間に目的地へ着いた。

「もしも、シートをぐっしょり濡らされた奴から何か受け取ってたら、さっさと手放すことだな。受け取った金は、早いトコ使ってしまうか両替してもらいなさい」

 年配の男性客は、それだけ忠告して去っていった。新蔵は念のため、例の男から乗車賃として受け取った一万円札をコンビニで酒とつまみを購入し、くずした。


 タクシードライバーは一日働いて、一日休む。

 新蔵は次の日非番であったが、いつもの非番の日のように一日中眠りこけるということはしなかった。

 夕方から起き出し、例の女性客の自宅に、運賃の受け取りに向かったのだ。

 彼女の指定は、夕方の六時。バッグが見つからなかったとしても、銀行からお金を引きだすなどの対策がとれるから、との言い分だ。

 寝ぼけた頭で、考え事をしながらぼんやり走っていても、なぜか女性の自宅にすんなりと到着した。何となく、来たことがある道だな、という気がした。

「あれ? そういえば」

 玄関で呼び鈴を鳴らした瞬間、ある疑問が新蔵の頭をよぎった。

 財布入りのバッグを店に忘れて、どうして銀行から金が引きだせるのか。

 まあ通帳と印鑑を使えば、引き出せる。

 だが、運転免許証はなぜ、バッグに入れてなかったのだろう。

 昨晩、女性は免許証をポケットからそのまま出していた。

 今思えば、絶対に不自然だった。

「はぁい」

 女性の声が聞こえた。おそらく女性客の母親なのだろう。

「どちら様ですか」

 年配の女性が出てきた。新蔵は、昨晩の事を説明した。

「……そんなことを言われても」

 女性の表情に、陰りが下りた。

「娘は、嫁いで出ましたし、五年前に死んでいます」

「え……」

 とてつもなく、嫌な感じが新蔵の全身を襲った。

 何となく、この女性のこの表情に見覚えがあるのだ。

 見たくもない、と視線を強引に外した先に、表札があった。

 昨夜の、女性の旧姓も分かる羽目になった。

 借金取りをしていた頃の、五年前の感覚が蘇る。

 新蔵自身、滞納者を追い詰めて自殺させたことはない。

 だが、会社を退職した後の事情などまったく、知らない。

 それでも、すべてを思い出した。

 新蔵は、この母親を知っていた。

 昨晩の女性客も、知っていた。

 借金取りだったか聞いてきた男性客も、思い出した。あれは、女性の夫だ。

 逃げねば――。

 もう、新蔵の頭の中はそれだけだった。

 きびすを返した瞬間、立ち止まった。

「何か受け取っていたら、さっさと手放すことだ」

 ふと、心霊研究家の言葉が蘇った。

「あ、これをお返ししておきます」

 かろうじてそれだけ言うと、かばんの中から預かっていた免許証とネックレスをつかみ出した。

「!」

 出した瞬間、体が凍りついた。

 新蔵が手にしていたのは、輪になった図太く古い荒縄と、四つ折りになった白い紙だった。

 呆然としながら、紙を広げる。

『見つけた』

「うわああああっ」

 閑静な住宅街に、新蔵の悲鳴がこだました。

 腰を抜かした視線の先、実家の二階のカーテンの隙間。

 新蔵は、見た。

 昨晩の女性客が、にたり――。



   おしまい

 ふらっと、瀬川です。


 他サイトの競作企画「タクシーの怪談」に出展した旧作品です。

 2003年の作品で、「タクシーに幽霊が乗る」、「お金がないので次の日に取りに来てもらうよう交渉する」、「作中どこかで、にたりと笑う」の三つが執筆条件だったはずです。きつい縛りですが、その中でどう違いを出すかという回でした。(ついでに原稿用紙十枚程度の長さ)

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