タイムセールは戦いである
今回の執筆者は立待月です。
部室を後にし、俺は帰路についていた。
朝倉はスクープになるネタの目星はついていると言っていたが、それは明日話すと言って今日は解散になった。
しかし、この学校に新聞部があったことすら初めて知ったのに、まさか二つもあったとは。
もしかしたら他にも知らない部活があるのではないだろうか?
とはいえ既に新聞部(仮)に入部した俺にとっては、あまり関係のないことだ。
茜色の空を見上げて思い出す。
今、何時だ?
左腕につけたホームセンターで五千円の腕時計をチラリと見やる。
時刻は午後四時五十五分。
まずい! 今日は午後五時から近所のスーパーマーケットでタイムセールがあるんだった。
普段は既に家に居る時間だから気づくのだが、すっかり失念していた。
いつもならこんな重要なことを忘れたりはしないが、今日は新聞部に行ったからそれが要因だろうか。
俺は左肩に掛けた鞄の紐を強く握り、目的地であるスーパーに全速力で向かった。
店の前で立ち止まり絶え絶えになった呼吸を整える。
スーパーに着いたのはタイムセールの一分前だった。
どうやらなんとか間に合ったらしい。
だがここで気を抜いてはいけない。本当の戦いはここからなのだから。
何の気なしに駐車場を見ると、どこかで見たことがある黒塗りのセダンが停まっている。
それはどこだったのか? 記憶を辿ってみるが、すぐに答えは出ないため思考を中断した。
今はそれよりもタイムセールのほうが大事だ。
俺は頭を切り替え店内に足を踏み入れた。
自動ドアが開き、ひんやりとした冷気が身体を撫で付けた。
お馴染みのスーパーマーケット独特の曲が流れる中、両目を鋭くさせ周囲を見回してみる。
緑色の買い物籠を持ち歩いている様々な年齢層の客。そのほとんどがある一点へと集まり始めていた。
こうしてはいられない。
入り口の近くに重ねられている籠を引っつかみ、俺も参戦を表明するように“そこ”へと近づいていく。
これは戦いだ。その結果によって今日の晩御飯が豪盛になるか質素になるかが決まる。
天井に設置されたスピーカーに意識を集中。
聞こえるのは店内に流れる曲だけだ。
俺が左腕の袖を捲り上げた時、ついに戦いの火蓋が切られた。
『ご来店のお客様にお知らせです。これより本日第三回目のタイムセールを開始します。皆様お怪我のないよう奮ってご参加ください』
そのアナウンスを合図に、一点に固まっていた客達は獰猛な獣の如く激烈な勢いで商品に手を伸ばしている。
俺も負けじと人ごみの中へと身を投じ、狙っていた鶏もも肉に少しずつ近寄っていく。
押し競饅頭状態で身動きが取りにくいが、ここで負けるわけにはいかない。
タイムセールが開始する前から先頭にいた客達は、既に目当ての食材を入手し戦線から離脱していく。
強引に前を目指しようやく入手圏内に入ったところで何も持っていない右手を精一杯伸ばした。
だがほんの少しだけ足りない。勢いをつけようと一度後退した時だった。
黒い服の袖、大きな手が横からぬるりと現れ、俺が狙っていた鶏もも肉を掻っ攫っていった。タイムセールではよくある事とはいえ、黒い服という異質さに驚きを隠せなない。
その略奪者の顔を拝んでやろうと袖を目で追っていく。
一体どんな奴なのか、今後も対峙するならば注意しなければならない。
そう思い黒服の主に視線を向ける。見覚えのある顔に俺は再度驚愕した。
「……なんで、あんたが、ここに」
戦利品の鶏もも肉を小脇に抱え、俺を見下すように眺めている生徒指導部の嵐山の姿がそこにはあった。
「もっと力をつけることだな」
嵐山は俺の問いには答えず、それだけ言って去っていった。
黒塗りのセダン。見覚えがあると思ったあれは、嵐山の車だったのか。
そうと分かっていれば事前に警戒することもできたはずだ。
心の奥底から悔しさがこみ上げてくる。
ここは俺もよく世話になっているスーパーだ。普段は来ない奴に獲物を盗られたこと、あいつの吐いた言葉「もっと力をつけることだな」という上から目線な態度、そのことに俺は悔しさと同時に怒りも覚えていた。
だが客達の喧騒や店内の曲が耳、心に響いてくる。
俺は何を考えている。
今はそんなことより今晩のおかずのことを考えろ。家でお腹を空かせた優子が待ってるんだぞ。
意識が現実へと戻ってくる。
負けられない。
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は腹の底から雄たけびを上げまだ売れ残っている鳥もも肉に狙いを定め、あらん限りの力で掴み取りにいった。俺の大事な優子のために。
手に確かな感触。俺は掴み取ったのだと遅まきながら気づく。
「……任務……完了」
戦利品を見事手に入れた俺は、その他諸々の食材を籠に入れレジへ向かった。
《タイムセール品》のシールが貼られた鳥もも肉を見たレジのおばさんに満面の笑みを向けられ、つられて笑顔で返す。
僅か数分の出来事だったはずなのに、とても長い時間のように感じられた。
スーパーを後にし駐車場を見やる。
先ほどまで停まっていた黒塗りのセダンは既にない。
もしかしたらまた対峙することになるかもしれない。
その時は……。
「俺が勝つ」
そう決意し俺は優子の待つ家に向けて歩き出した。