首吊り!?
この回の執筆者は星隴 朧矢さんです。
「何だよ、これ……」
俺の意思とは関係なく、そんな呟きが漏れた。
背後から漏れ入る外の光と、中の小さなランプのみが明かりとなる薄暗い部屋。窓には暗幕のようなカーテンが引かれている。委員長に案内されるまま部屋に足を踏み入れた俺は、普段の学校生活では絶対に見るはずのない光景を目にしていた。
これまでに経験したことのないくらい動悸が早い。今にも口から飛び出さんばかりに心臓が鼓動する。ドクン、ドクンという音が空気中からも聞こえるようだ。
全身から汗が噴き出し、額から分泌されたそれは俺の鼻筋を伝い唇の端をかすめ、顎からしたたり落ちる。
ドアノブを握った手がぬるぬるしてきた。気持ち悪いので手を離そうとするが、しかし俺の手はドアノブを掴んだままだった。
金縛り、とでも言うんだろう。神経系がマヒしているのか、指先一つぴくりとも動かせない。ただ動いているのは俺の心臓と、宙に揺らめくランプのみだ。
もし俺が普通の精神状態なら「なんで学校の教室にある電灯がランプなんだよ!」なんてツッコムところなのに。
ドアを開けたままの、傍から見れば間抜けのような格好で動けない俺の視線は、正面の首つりを見つめ続けている――いや、見つめ続けさせられている。さらに言えば、それは既に「人」ではなく「モノ」なのかもしれない。
あまり手入れのされていないボサボサの髪に、黒っぽい丸めがね。俯いているため顔は分からない。見たところ、身体の線もかなり細いようだ。これまで運動して来なかったとこがはっきりと分かる。
ランプの僅かな灯りに照らされたその姿は、やはり微動だにすることはない。
本当何なんだ、これ。何がどうなってる? そうえいばさっき委員長が「またか……」と呟いていなかったか。ということは、ここは自殺が流行っているのか? いや、それだとさすがに噂になっているだろうし、立ち入り禁止になっているはず。
ていうかどうすればいいんだ、この状況? 警察を呼ぶ? 先生に相談する? くそ、身体が動かないから携帯も取り出せねえ。
あまりに奇妙すぎる状況についてあれこれ考えていると、後ろで立っていた委員長が
「藍住君、早く中に入ってくれない? 私入れないんだけど」
微妙に苛立っているような声。まあ、当たり前だ。ドアを開けたのに10秒以上もピクリともしないんじゃ、誰だってふざけていると思うだろう。
「い、いや待ってくれ委員長。中で人が首を吊ってるんだが――」
前を向いたまま(振り向けないため)状況を報告すると、背後で溜め息の音が聞こえた。
「はあ。やっぱりか。ちょっとどいてくれる?」
そうは言われても身体が動かないんだが――ってあれ? 動く。そういえば、さっきも普通に会話出来てたな。
いきなり不自由のなくなった身体に首を傾げつつも、言われた通り部屋に入ってドアの前から退く。ドアノブにぴったりと張り付いていた掌も、なんなく剥がれてしまった。……さっきまで離れなかったのは何でなんだ。
そんな俺を気にも止めず、一直線に首つり死体のほうへと歩み寄る委員長。
「お、おい委員長。触ったりしたら――」
お前が警察に疑われる。と俺が言おうとするのを遮りながら、彼女は死体に話しかけた。半ば、呆れたように。
「いつまでそうしているつもりですか、部長」
は? 部長? ていうかそれ、死んでるんじゃ……
色んな疑問が俺の脳内を駆け巡っていると、突然死体が動き出した。
「やあ、こんにちは朝倉さん」
自然と目を開けて、右手を軽く上げる。目を凝らしてみると、椅子の上に立っているだけのようだった。……人騒がせな。
「こんにちは。で、今日は一体何の研究を?」
奇妙な男の間の抜けた挨拶に気を止めることなく、挨拶を返す委員長。
研究、か。
問われた死体(元)は肩をすくめて、
「いやあ、首つり自殺をする人の気持ちってどんなのかなあ、なんて思って。よかったら、朝倉さんもどう?」
「うーん。遠慮しておきます。間違って死ぬのはゴメンですし。それより部長、新しい部員が来てるんですけど」
そう言って指で俺を指し示す委員長。いや、人に向けて指差すなよ。
「そうなんだ。ああ、そこにいる人かな……暗いからよく見えないなあ」
部長と呼ばれたその男はやはり目が悪いのか、俺の顔を見るために少しずつ近づいてくる。
「よし、ここならよく見える。……へえ、普通の子だね」
彼が俺を見るためには、どうやらお互いの鼻同士がくっつくほどの近さじゃないと駄目らしい。いや、さすがに日常生活に支障が出るだろ。メガネ替えろよ。
つか、普通って何だ普通って。何故かこの人の言う普通は世間一般とはかけ離れているような気がしてならない。
「部長、そこまで接近しなくても、電気点ければ見えるでしょ。部長はともかく、藍住君がその気になったらどうするつもりですか」
「ああ、それもそうだね」
「おい委員長、俺は決して『そっち系』じゃないからな」
どこかズレた返事を、しかし必死にしていると、緩慢な動きでその男が部屋の明かりをつけた。
「ええと、色々と騒いでてごめんね。まあ、何はともあれ」
新聞部へ、ようこそ。
……あまり歓迎されたくない部活だということだけはよく分かった。