天才作家の息子……
この回の執筆者はトーカさんです。
「サイバー君、あーそびーましょ?」
正直、サイバーなんて単語とは、少しも、これっぽっちも、まったくと言っていいほど縁が無い。
しかし、日が傾きかけたこの微妙な時刻のコンビニには、俺と、ケータイを気だるげに弄る店員くらいしか人影が無い。
店員がサイバー君であることを願いつつ、雑誌へと落としていた視線を、しぶしぶ声の主へと向ける。
「え?」
夕陽に照らされ、うっすら赤く染まった白い肌。
服装自体は一般的な女子制服に、薄いストールのような物を羽織っただけなのだが、どこか彼女の出で立ちは神秘的とさえ感じる。
細くしなやかな指で、その佳麗な黒髪を掻き上げる様は、ともすれば見とれてしまう美しさを持っていた。
「はろはろーです、サイバー君」
そこには見る者を惹き付ける、イタズラな笑みを浮かべた少女が立っていた……ほとんど密着といえる距離に。
ち、近い! めちゃくちゃ近い!
あまりの驚きに、反射的に数歩後ずさる。
「んー? どうしました?」
「な、な、な……」
なんでそんなに近いんだよとか、間近で見ると意外と幼げな顔立ちなんだなとか、髪からすごく良い匂いがしたとか……思うことは多々ある、が。
「なんでこんなところに居るんだ……奇稲田」
「むむ、私が居ちゃいけないのですか?」
「そういえば、奇稲田、お前に聞きたいことが有ったんだ」
「んー? んんーんー!」
「いいから、飲み込んでから喋れ」
全国に多数店舗を展開している某チェーンファミレス。
そこで俺は、お嬢様で不思議系な美少女、奇稲田と向かい合って座っている。
彼女の前には、このファミレスで人気の、小難しい横文字の名前のパスタが置かれている。
……というか、お嬢様なんだから食べながら喋ろうとするなよ。
そういうところが少し子供っぽくて、そして同時に彼女の魅力でもある、のだろうか?
「んくっ……聞きたいこと、ですか?」
「ああ、この前、お前を俺が助けたって話を委員長……朝倉から聞いたんだが」
「あーそんなこともありましたねー」
皿の上に、一度フォークを置く奇稲田。
指に付いたソースをぺろりと舐めとり、そのままなんでもないかのように言葉を続ける。
「んーサイバー君困ってたみたいだから、ちょっと助けようかなって」
「いやいや、あの委員長が優しい笑みと共に罪を見逃してくれるほどに、必死に駆け込んできたって聞いてるぞ!?」
「私は演技派なのです!」
「そういう問題なのか!?」
はぐらかされてる……わけでは無さそうだが。
それにしても意外というか、まさかあの委員長を欺くほどの演技力を、この天然っぽい奇稲田が持っているなんて。
うちの学校は、無駄に優秀なスキルを持った人間が多い気がする……
「……とりあえず、助かった。ありがとな」
「いえいえ、サイバー君の役に立てて嬉しいです」
「お、おう……」
最近、こんな風に素直な好意を受けていなかった俺は、不覚にもドキリとしてしまう。
……よく考えたら、流れとは言えこんなに可愛い女の子と二人で食事なんて、凄い状況じゃないか?
やばい、ちょっとテンション上がってきた。
これこの後の予定とか聞いたらこのままデートとかに……
「く、奇稲田、お前この後……」
「はい、帰りますよ?」
「……ですよね」
うん、そんなに甘くないですよね。
べ、べつにそこまで期待してたわけじゃないんだから!
ただ、もう少し良い雰囲気になったりとかすればいいなって思っただけなんだからねっ!
……急激な期待値の上下で、テンションがおかしくなってるな、俺。
「残念ですけど、私はこの後、大切な用事があるのです」
「へ?」
「ですから、今日はご一緒できないです! また今度誘ってくれたら嬉しいです!」
どうやら「一緒にどこかに行こう」というニュアンスだけは汲んでくれたらしい。
なんとなく奇稲田も残念そうに見えるし、なにより今度なら良いって言ってくれてるのだ、今日はこれくらいで潔く解散しよう。……誰だ、 童◯思考って言ったやつは!
「いや気にするな。助けてくれたお礼とかしようかなって思っただけだから」
「お礼……ですか?」
奇稲田の目が、彼女の目の前にあるパスタへと注がれる。
これは、奢ってくださいってやつか。
……少し高いが、お礼なんだから気持ちよく奢らせてもらおう。
サラバ、我が英世ちゃん。
「よし、じゃあそれを奢っ……」
「それでは、サイバー君の……お父様について教えてください」
「……え?」
場の空気が、止まる。
周囲が静寂に包まれたような感覚が、俺を襲った。
聞こえるのは、やけに大きな自分の心音だけ。
胸中で、さまざまな感情がせめぎあう。
「なんで、そんなこと知りたいんだよ」
混乱の中の複雑な思考の末、ポロリとそんな言葉を漏らしてしまう。
自分でも意外なほどの冷たい声音だった。
「そもそも、俺の父さんがどんな人間なのか……!」
「天才作家、藍住雄吾……ですよね?」
「……っ!」
……何が天才作家だ。
人は、父さんの作品のことを「まるで舞い踊るような文章だ」などと持て囃し、賞賛している。
俺に話しかける人間の多くは、よく父さんのことを話題にし、息子である俺を羨んだ。
だがアイツは俺たち家族を捨て、あまつさえ姿を消した後にも、作品だけはのうのうと世に送り出し続けるような、最低の人間なのだ。
最後に残された手紙に書かれた「ここでは俺の文章が死ぬ」という言葉を、俺は今でも鮮明に覚えている。
「……ごめんなさい、やっぱり今の質問は無しにしてください。一人の小説のファンとしてお話を聞きたいって思っただけですから」
「……俺も悪かった。ちょっと嫌なことを思い出したから、つい言葉が荒くなった」
珍しく真面目な奇稲田の語調に、俺も少し冷静さを取り戻す。
……お互い、そこからは無言だった。
しかし険悪な雰囲気ではなく、どちらかというと疲れというか、気の抜けたような空気である。
当然、そこから話が盛り上がることもなく。
奇稲田が残りのパスタを食べ終わるのを待ってから、俺が代金を払い、店を出てるなりそのまま解散となった。
「今さらだけど、父さんの小説は世の中を動かしてるんだよな……」
一人きりの帰り道。
夕暮れというには少し遅く、わずかに暗くなり始めた道を歩きながらそんなことを考える。
なんというか、悔しかった。
今、俺という人間は、父さんの小説のオマケほどの存在でしかないのだと改めて思い知らされたようだった。
だから、俺は決意する。
「小説……頑張ってみるか」
俺は、あんな父親に隠れてしまう俺を変えたい。
奇稲田に、世の中に、世界に、俺という存在を父さんとは別物として見てもらいたい。
まずはどうすればいいのかなんて分からないが、俺は俺のできる方法で動こう。
今まで目をそらしてきた父さんに、正面から喧嘩を売れるようになるまで。
……この気持ちの変化は、新聞部(仮)のおかげなんだろうか。
「やってやるぞ!」
一番星が輝き出した空に、俺の声が響き渡った。
部活動を行っていた生徒達もとっくに帰宅し、静まりかえった学校の廊下。
そんな中を、一人の少女が鼻歌交じりに歩いていた。
文化部の部室が立ち並ぶ中を、艶やかな黒髪と薄いストールのような物ををなびかせつつ、軽快に進む姿は、大和撫子と言うに差し支えないほどである。
「着きました!」
電気の消えた部室が並ぶ中のひとつ。
その扉の前で、彼女は……奇稲田は立ち止まる。
「失礼しますー」
何ら臆することなく扉に手をかけ……しかし、ふと思い直すと、ポケットから自分の名前の書かれた鍵を取り出し、開錠する。
部室内は、暗く静まりかえっているものの、先ほどまで誰かが残っていたようで、うっすらとコーヒーの薫りが漂っている。
「えっと……あっ、ありました」
頼りなさげに壁を探っていた手が、電灯のスイッチに触れる。
同時に、部室の中を、闇を塗り潰すように光が行き渡った。
その部室は明らかに、異常、であった。
他の部室の倍はある広い室内、まるで校長室や応接室に置いてあるような机や椅子などの家具類、壁にはこだわり抜かれたことが分かる凝ったデザインの本棚が並んでいる。
隅々の備品まで、けして一介の部活動が所有しているようなグレードの品では無いことは一目で分かる。
なにより、こんな特別扱いを受けている部室が、通常の部室と同じように並べられ、外観だけは違和感の無いように“装っている”ことに得体の知れない不気味さがあった。
そんな中を、奇稲田は慣れた足取りで進み、目的であった中央の黒塗りの机のまえで足を止めた。
「あ、やっぱりここでしたか!」
机の上には、青を基調とする一つの腕章。
奇稲田は、机の上の腕章を手に取ると、そのまま近くの本棚へ歩みよった。
いくつも並ぶファイルに指を滑らせ、やがて一冊のファイルで止まる。
ファイル名は……『藍住良太』。
「不良のことありがとう、ですか。 サイバー君にお礼を言われるなんて……初めてです!」
目を閉じ、頬を染め、恍惚な笑みを浮かべる奇稲田。
彼女が、藍住良太という人間を知ったのは中学の頃である。
……といっても、直接、良太という人間に会ったのは高校に入ってからなのだが。
友達に誘われて始めた、日記投稿をメインとするケータイ用のSNSサイト。
しかし、機械オンチである彼女がそう上手くサイトの操作を出来るわけもなく、どこをどう弄れば良いのか悩んでいた際、何かの弾みで一つのユーザーページへと飛んでしまった。
『cyber terrorist』。
ともすれば通報されてしまうような怪しいユーザーであった。
犯罪者を名乗っておきながら、出身地、年齢、本名を載せ、書いている日記も、日記ではなく小説まがいの、セリフの付いた設定集。
そんなものを恥ずかしげも無く晒していた相手に、少しだけ興味を引かれたのだ。
興味本意で読み始めた彼女が、初めに持った感想は「なんなんですか、これは」だった。
拙く、粗く、支離滅裂な文章で、とても人に見せるようなレベルでは無かった。
それは、今まで読んだどんな文章よりもめちゃくちゃで……そして、今までの誰より彼女を惹き付けた。
自分と同年代で、自分と同じ地域で生活し、それでいて、ここまで人を魅了する『サイバーテロリスト』……藍住良太に心奪われた。
それは、まさしく一目惚れで……彼女の初めての恋だった。
「まさか、本当に同じ学校になれるなんて……夢みたいです!」
ファイルを開き、新しく“藍住良太の校舎小説”を挟み込む。
不備の有無を確認し、本棚にファイルを戻すと、ポットに残っていたお湯を使ってコーヒーを入れ、そのままソファーに腰掛けた。
「サイバー君の文章、どんどん素敵になってます……特に、あの部活に入ってから更によくなりました」
藍住良太は、高校に入ると同時に例のSNSの利用を辞め、日記も消してしまっている。
しかし、彼女の見ていたファイルには彼の“ここ数ヶ月の”文章が保存されていた。
「ここは、本当に良い部活です。ちゃんと、サイバー君の成長を見ていられます……」
棚に並ぶ、無数のファイル。
『第一学年進路調査用作文集』
『国語定期作文試験解答まとめ』
『全校生徒個人情報一覧』
『校内の恋愛関係及び不純異性交遊の実態』
『生徒による軽犯罪の記録』
『部内会議による退学指定者リスト』
ざっと見るだけで、一般生徒が閲覧できる訳の無いタイトルがいくつか目につく。
さながら、秘密情報の集合体と言ったところである。
本棚を眺めていた彼女の視線が、ふと腕章に向かう。
電灯の光が反射し、美しい蒼の輝きを返すその腕章を、整った指先が拾い上げる。
奇稲田のその細い腕へと、流れるように通されたソレは、彼女の所属する部活動を端的に、明確に、表していた。
『新聞部』。
実質、生徒会以上の権限を持ち、その情報網は、時に教師すらも従わせてしまう。
そんな噂が存在し、そしてその噂を否定する者の居ない部活。
それが、ここ、新聞部である。
そんな噂の中心で、彼女は変わらず藍住良太を想い続ける。
まるで天才作家の生み出す物語のごとく、人を惹き付けて止まない笑顔を浮かべながら。




