表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新聞部(仮)【リレー小説】  作者: 「小説家になろう」LINEグループ
24/45

デュラハン・プロトコル

この回の執筆者は桜椛さんです。

 扉を開けて戦慄。


 ドアノブを握る手に思わず力が入る。いや、違う。これは驚愕という感情からただ固まっているだけだ。

 目から入る情報を、脳が理解しきれていない。とは言えそれも実際の時間にすれば数秒足らずの空白である。

 自然と息が荒くなる。心臓がとる拍が次第に早くなっていく。まるで内から響くバスドラム。

 冷たい汗が毛穴という毛穴から吹き出しているのでは無かろうと考えてしまうほど、正体不明の汗が溢れ頬を伝う。


 

 やがて脳が情報を理解する。目の前の状況を、──目の前の惨状を。



 

 歯の根が合わずガチガチと鳴りだす。まるで早打ちのカスタネット。

 視界も段々ぼやけてきて、呼吸が更に乱れてくる。苦しくなり胸を押さえると同時、膝が笑っていた。

 バランスを崩して膝からくず折れたのを皮切りに、俺は発狂した。



「ぅっ、うわぁぁぁああっあああああああああああぁぁぁぁっ!!」



 突如訪れたあり得もしない現実から逃れようと、俺はただみっともなく叫び挙げ涙を流しながら、両手を支えに足をばたつかせて退こうとする。

 しかし、それを遮るように俺の首筋に冷たく固い感触が触れる。

 何が起こったのか分からないまま、俺はただぶつかった()()へしがみ付く。



 ──ひぃっ!?ちょ、ちょっとな、何!!──



 怖い、寒い、辛い、苦しい、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、逃げたい、誰か、助けて助けて助けて!



 ──は、離れなさいって……あぅっ!そこはっ!?──



「う、う、うわぁああああああああああああああああああ!!!!」



 恐怖と言う感情が、叫びとなり溢れだす。それを止めることは俺には出来ない。

 ただ、今その恐怖から逃れるためには、俺の首に触れているそれにしがみ付くことだけだった。

 冷たかったそれは、太くて確かに熱量を持ちはじめる。それは、俺を恐怖と言う心から逃がすためには最適のものだった。

 人間は本能的に、何かにしがみつくと安心感を覚える。つまり、今の俺は恐怖から逃れるために、安息を得ようと本能的に行動している。頭では考えていない。体が、心がそれを求めて──



「いいから離れなさいって言ってるのよッ!!!!」



「はなずらぁっ!?」



 隕石が俺の顔面へ衝突した。

 その勢いのまま冷たい廊下へ叩きつけられ、ヤムチャポーズ。

 ヤムチャの気持ちが少し理解できたかもしれない。突如訪れる死の衝撃と言うものは、それが『死』だと認識できずにただ痛みだけが襲う。そしてやがて死に至るこのなんとも言えない虚無感。

 だからこそのこのポーズなのだろう。立ち上がる元気など微塵も──



「それに、私の脚はそこまで太かぁないッ!!!!」

 


「っみ、ぞぉちぃ…………」



 ヤムチャポーズをとっているにも関わらず、的確に鳩尾を狙ってきやがった。こんなことができるのは、そしてこの破壊力をもっているのは……



「い、委員長…………以前とは段違いのパワーだ……精神と時の部屋でも入ってきてたのか……」



 苦しくなり乱れた呼吸を、咳として吐き出し整える。体に力が入らないまま立とうとするため、まるで生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えている。

 顔だけを向けると、そこには怒りに満ちた表情で顔を赤くしている委員長の姿があった。

 恐ろしい。まるで汚物を見るかのような蔑んだ顔だ。俺が一体何をしたというのだ。

 


 恐ろしい──そうだ、それで思い出した。俺は今さっき委員長の怒り顔よりも恐ろしい物を見たんだった。脚が太いとかそんなことを言ってる場合じゃないんだよ。



「だから太くないって言ってるでしょ!!健康的と言いなさい!!」



 さっき見た惨状が映像として蘇る。

 部屋の中央に置かれた机の上、夥しい量の血と一緒にあるものが置かれていた。

 




 黒い丸眼鏡にボサボサの髪の毛をした──────部長の生首が。



 


「ちょ、ちょっと藍住くん……?どうしたの、すごいわよ汗が……」



 そりゃ汗だって噴き出てくる。ついこの間普通に話していた相手が、自分が長の部の部屋で生首と化していたのだから。

 初めて見る人の生首。大してあの部長のことは好きではなかったが、それでもあれほどショッキングな映像見せられれば、気分が落ち込むのも必然。

 もう会えない……その事実を認識してしまうのが怖かった。だから口に出すのも憚られたが、委員長も俺と同じ新聞部(仮)のメンバーである。どんなに悲しい事実だろうと、これは伝えなければいけない事実だ。



 そう思った俺は、意を決して震える体を押さえながら口を開いた。



「ぶ、部長が、………………死んでる…………」



 委員長は呆れたように吐息を漏らすと、肩を竦めてつまらなそうに言葉を発す。



「まーたいつものじゃないの?いい加減慣れなさいよ藍住君」



「ち、違う…………今度は本当に死んでる……」



 あの生首は偽装とかそういうクオリティでは無かった。何より生首が置かれていたのだ。偽装のしようが無いだろう。



「馬鹿ね……そんなわけないじゃない。まさか、それであんな取り乱してたの?」



 俺の言うことが未だ信じられないと言った風に鼻で笑うと、委員長は臆することなく部室へ入って行った。

 止める間もなく、委員長の悲鳴が廊下中へ響く。



「ちょ、っちょとこれなんなのよ藍住君!!ほ、本当に死んでるじゃない……」



 慌てて部屋から出てきた委員長は、目を一杯に開いて戦々恐々とした顔で俺にすがりつくようにひざから崩れ落ちた。

 やがてそれは涙と言う奔流となって溢れだす。

 いつも強気な委員長。いつも暴力的な委員長。

 こんなに声を挙げて弱い部分を見せるなど一度も無かった。といってもまだ出会ってそんなに経っていないんだが。

 

 俺は蹲った委員長へ寄りそうと、慰めるために、気持ちを落ち着かさせるために背中をさすった。

 これは委員長を鎮めるという効果を持ちながら、俺自身の気持ちを落ち着かせるためにも効果的だった。

 部長は死んだ。見間違いでも偽装でもなく本当に死んだ。

 この平和で充ち溢れた世界(がっこう)で、首と胴体を切断されて殺された。

 誰が……?一体誰がそんな惨いことを……?

 考えても埒が明かない。警察……そうだ、警察を呼ばなきゃ。

 そう思った俺は制服のズボンにしまっていた携帯を取り出すが、手が震えていたせいか、取り零してしまう。 

 数度回転しながら廊下を滑って行く俺の携帯は、ある瞬間ピタリと止まった。

 ぶつかったのだ、誰かの足に。

 その足は半歩遠ざかると、上から細くしなやかな色白い指が伸びて、俺の携帯を掴む。

 目でその動きを追うと、左手に抱え込むようにして分厚い本を持って、右手で俺へ携帯を差し出す一人の少女がいた。



「……これ」



「あ、……ありがとう」



 そこにいた少女は、背に鞄を背負って、俺のことを薄幸そうな顔で見ていた。いや、これは標準装備の顔か。

 強いて言うなら、怪訝そうな顔だ。

 当然と言えば当然だろう。部室の扉は開け放たれたまま、そこへ入らず入口付近で二人して蹲っているのだ。そりゃいくら本の虫の菅原だって気になるのも無理からぬことだ。

 俺は携帯を受け取ると、菅原に中に入らないよう制止を掛ける。しかし菅原は俺の言葉など歯牙にもかけず部屋に入って行く。

 あぁ……やめろ、お前までそんなもの見なくたっていいんだ……死体何ぞ、本の中の世界だけでいいんだ……

 

 いくら無口とは言え、叫びとなればそれは別だ。意図して出すのが声ならば、意図せず出るのが叫びだからだ。

 しかし、すぐに聞こえるだろうと思った悲鳴は、意外にも聞こえなかった。

 確かに菅原は部室に入った。ということは今そこには部長の生首があるわけで、その時点でそれを見ているということに他ならない。だというのに菅原は悲鳴を上げなかった。死体は見慣れているとでも言いたいのか、それとも死体は俺と委員長の幻覚だったのか。

 いや、それはない。確かに俺はこの目で見た。だからこそのこの震えだ。委員長だって今まさに怖がって──



「ありがとう藍住君。もう大丈夫だわ」



 涙を拭き、眼鏡を掛け直した委員長は、力無く微笑みやおら立ち上がる。

 そこにはいつも見る委員長の姿があった。



 何だか拍子抜けだ。

 女子二人が平気な顔をしているというのに、男である俺が情けなく震えている場合ではない。ここは大人しく警察に電話をするのが得策だろう。

 今度こそ俺はしっかりと携帯を握りしめ、110番へ掛けようとした。

 


「待って。警察」



 端的な言葉が小さい声となって俺にそれを止めさせた。



「待ってって何で!部長が死んでんだぞ?お前だって見ただろ菅原」



 菅原は未だ大事そうに本を抱えながら、誤差程度の範囲で首を上下させた。

 その間にも委員長は部室へ足を踏み入れ、微かに息を飲む。



「だから待って。今はまだその時じゃない」



 その時じゃない?何を言っているんだ。部長が死んだ、その時点でもう『その時』などとうに過ぎているじゃないか。

 菅原は俺の裾を掴むと、グイと引っ張ってきた。



「来て」



 こんなときでも必要最低限の言葉しか発さない菅原に連れられて、俺は少々気が引けたが部室へ入った。

 


 先ほど見た景色と変わらない。

 中央に置かれた机には、未だ部長の生首が置かれている。窓には暗幕が垂れており、天井に吊るされたランプが淡く光り、部長の丸眼鏡に反射している。

 この『演出』は初めて会った時と変わらない。しかし、これは演出でないということを、この生首のリアリティさが物語っている。

 机の隣には椅子が置いてあり、部長の荷物だろうか、鞄が二つ置いてあった。何故二つ?という疑問もあるが、今はそれよりも大きい衝撃がある。

 それはその隣の椅子。そこの上には切り離された胴体部分の部長の体が置いてあったのだ。

 着衣の乱れが見られないことから、部長はここで一思いに殺されたということになる。

 血がぽたぽたと垂れていることから、殺されてまだ間もないということだろうか。

 血の気が引くのを体で感じた。微かにふらつくが、委員長に腕を掴まれ支えてもらった。



「ありがとう委員長……」



「いいわ、気にしないで」



 言葉こそ気丈に振舞っていたが、その顔は苦虫を噛み殺したような顔をしていた。

 改めて胴体を見る。足を投げ出し、力無く腕垂れているそこから、血が垂れ一つの池を形成していた。

 制服の襟も見事に赤く染まっていることから、相当量の出血だと見受けられる。

 人間の血液量は大体8%がそれだとされる。つまり、体重が60kgならば大体5リットルがそうだ。

 そして部長は痩せ形だ。精々40後半程度ではなかろうか。となると、それでも4リットルだ。

 一体今この部屋に、この体からどれだけの量の血が流れ出ているのかは分からないが、それでも人が人として維持できる血液量は確実に流れていた。

 そもそも、血液量などと考える前に、首と胴体が切断されているのだ、その時点で絶命確実だ。



 首との切断面は、血に染まった頸椎が微かに突き出ており、肉の部分が綺麗に円を描いて途切れていた。

 よほど切れ味のいい刃物を使ったのだろうかと思うが、どっちかと言われればピアノ線で切断されたかのように滑らかだった。

 犯人はここでピアノ線を使って部長を殺した……?そして生首をここに置いて何処かに立ち去った?

 何故そんな事をする必要があったのだろうか。ここに部長の死体を置いておくと言うことは、衝動的な殺人だったのだろうか。

 いやだとするとしかしおかしな点がいくつも浮上する。衝動的な殺人な場合、手頃なナイフで一刺しの方が容易だろう。しかし、この犯人はわざわざ首と胴体を切り離してみせた。

 ただ衝動的な殺人な場合、そんなことをする必要はない。手間がかかるからだ。さっさと殺して現場から逃げるのが犯人の心理として適当だろう。

 では何故犯人はこんな手間がかかることをわざわざしたのだろう。普段はしていない暗幕なぞ垂れさせ、机の上にこれ見よがしに生首を置いていく。

 ここから分かるのは、犯人は『首と胴体が切断された部長』を見て欲しかったということになるのではなかろうか。

 つまりは計画的犯行。愉快犯ということだろうか。

 ということは、今も犯人は俺たちのことを観察している……?

 いや、まさかこの学校にそんな変人が…………愉快犯的なサイコパスはいないことを願う限りだが、変人と言う変人ならこの数日でこれでもかというくらい出会った気がする。

 


 俺がこの部屋を眺めながら思案を巡らせていたところ、菅原はペタペタと上履きの音を響かせて、おもむろに机へ手を伸ばした。

 まさか部長の生首を掴んで『討ち取ったり!』とか叫び出すのではなかろうか。

 一日一冊分厚い本を読破する本の虫という変人こと菅原美乃(すがわらみの)と言えど、よもや自分が所属する部の長を討ち取るなどという奇行には至らないだろう。至らないでくれ。

 しかし、そんな考えなど馬鹿馬鹿しいとばかりに、菅原は一枚の紙切れを手に取った。



 さきほどまで気付かなかった……というか、生首のインパクトが強くてそこに紙が置いてあったなど全然分からなかった。

 果たして何が書かれているのか、覗きこもうと菅原の右へ立つと、委員長も同じように左から覗きこんでいた。



「これは……」



「うん」



 菅原と委員長は互いに顔を合わせて、何かを納得したように頷き合う。俺一人だけおいてけぼり感が否めなかったため、菅原が手に持った紙に目を通した。

 綺麗に半分、縦横に折り目が付いた紙は大して大きくは無かった。ノートより少し小さくらいだ。

 しかし、そこに書かれた文字はでかでかと、はっきりとこう伝えていた。




『今ここに将は討たれた。

        恐るる者はもういない。

                いざ来るべし我らの時代。』




 と書かれていた。

 よく見るとその紙の右端に、『リー』という文字と、目玉のイラストが書かれていた。サインか何かだろうか。


 将ってのはまさに部長のことだろう。もういないということからこれもそうだ。

 じゃあ最後の我ら……とは?犯人のことではあるのだろうが、それが誰なのかまでは分からない。

 ヒントはこの端に書かれたサインらしきものだろう。『リー』をそのまま読んでいいのか分からない。別の読み方でもあるのだろうか。しかし皆目見当もつかない。

 そして極め付きはこの目玉のイラストだ。意味が分からない。

 確かに、目玉のイラストがロゴの会社はいくつもある。怪しげな組織だって確か目玉がマークだった気がする。

 目は口ほどに物を言うとは言うが、基準となる口が無いためその判別がつかない。いや、基準となる口はもしかしたらこの『リー』という部分だと言いたいのだろうか。つまりは、この目玉が分かれば『リー』という部分も分かり、結果的にこのサインらしきものがどういった意味を持つのかを解読できるということだろう。

 目玉のイラストの前に『リー』があると言うことは、イラストを文字として変換して繋げて読むのが妥当な線だろう。

 目玉と言うことは、単純に思いつくのがそのまま『め』だ。しかし、それでは『リーめ』ということになり意味が通じない。何処か別の国の言葉だったりするのだろうか。だとしても結局は分からない。

 じゃあこの最初の『リー』も何か別の読み方に変えることができるのだろうか。



 俺がうんうんと唸っていると、菅原は紙を四つ折りに畳んでそれをポッケにしまってしまった。



「お、おい見せてくれよ」



 菅原は機械的に振り返り俺のことを見上げると、



「意味が無い」



 と言って、俺には用が無いとばかりに委員長へ視線を投げかけた。委員長はそれを受けると、うんと頷いてランプの光を消した。



「行くわよ藍住君」



「え、行くって何処に?」



 すたすたと歩き出し、部屋の入口へ手を掛けた委員長は、首をこちらに向けて口の端を吊り上げた。



「犯人のところよ」



 そう微笑んだ委員長は、冷酷な悪魔のような妖しい魅力を放っており、俺は鳥肌が立ったのを実感した。








 委員長は何処へ行くのかは言わなかったため、大人しく付いていこうと俺も部室から出た。

 その後ろを付くように菅原が出て来て、扉を閉めた。

 


「鍵、閉めとく」



 そう呟いて鍵を掛けると、俺に鍵を渡して歩き始める。

 そうだよな……誰かに見られたらまずいもんな。

 俺は菅原から受け取った鍵をポッケにしまうと、改めて二人の後を追った。









「なぁ菅原」



「何」



 特別棟3階にある新聞部(仮)の部室、そこから階段を2個3個と降りて1階に辿りつこうとした頃、俺はさっきから気になったことを聞こうとしていた。



「い、いや……さっきからずっとさ、本を抱えているから何故かなって思ってよ」



 俺が零した携帯を拾ってくれたときから菅原はずっと左手で本を抱え込んでいた。

 毎日本の表紙からめくるという委員長の証言からも分かる通り、菅原が毎日図書室に通っているのは事実だろう。

 つまり昨日俺が菅原に会ったのも当然の事実で、同じように、新しく借りたということだろう。

 ということは、菅原は図書室に寄ってから部室に来たと言うことになる。したらばそこからずっと抱えていたと言うことだ。

 ハードカバーなぞその外見を見ただけでも気分が重たくなってくる。

 例えるならば、揚げ物にマヨネーズをめいっぱい掛けて止めのラーメン。と言ったところだろうか。胃もたれが凄そう。

 

 菅原は視線が定まっているのかよく分からない呆けた顔で、頭を傾げる。



「ん……でもあそこには置けない」



「え?……あ、あぁ確かに」



 ()()()()()()()()()


 そんな当たり前のこと言われるまで気づかなかった。

 こいつは本が好きなのだろう。毎日毎日1冊本を読むくらいだから、それは間違いない。

 だからそんな好きな本を、血で汚れた机に、ましてや死体が置いてある部屋に何か放置しておきたくないのだろう。

 だからってそんな重そうな本をいつまでも持つのは大変だろう。鞄だってあるのだから入れれば良いのにとは思うのだが。



「持っててやろうか……?」



「いい」



 老婆心ながらそう申し出ただけなのだが、まるで触るなと言わんばかりの否定ぶりである。

 無理強いをするのもよくない。相手が嫌だと言うのならば…………やりたくなるのが男の性だよな?



「まぁまぁそう言うなって、持ってやるって」

「いい」

「何をそんな恥ずかしがってんだよ~」

「恥ずかしがってない」

「ほら、力仕事は男の仕事だろ」

「それはそう。だけどこれが力仕事足りえているかと言えばそうではない」

「何ムキになってんの~」

「ムキになってない」



 うっは、なんだか楽しくなってきた。ちっこい女の子をからかうのは楽しいな~反応が実に可愛い。

 気分が乗ってきた俺は、ほらほら~と言いながら菅原から、抱えている本を無理に取ろうとする。

 しかし、それがいけなかった。

 俺の手の甲に、マシュマロのようなやけに柔らかい感覚が触れたのだ。

 俺は一瞬、世界が静止したのかと思った。まさかこの学校、スタンド使いでもいるのだろうか。


 その静止した世界の中で、菅原は顔を真っ赤にさせて俯いていた。

 背後にただならぬ気配を感じ、鉛のような重い体でゆっくりと振り返る。

 そこには、鬼の形相をした委員長の姿があった。俺、命の危険を察す。



「もしかしてオラオラですかーッ!?」



 YES!YES!YES!゛OH MY GOD ″



 ────そして時は動き出す。

 


「最低ーッ!!死に晒しなさい藍住君!!」



 委員長の規格外のパワーで、両の拳がつるべ打ちされる。成すすべなく受けた俺の全面に、委員長の拳の跡がくっきりと彫り込まれる。 



 藍住良太────()()()()




 唯一つ言い残すならば────貧乳は意外と柔らかい。ということだ。


 







 俺が図らずもパイタッチしてしまったせいで、微妙な空気になり非常にきまずい。自業自得と言われればそれまでだが、これはからは少し自重しよう。

 

 特別棟一階に降りる。ここは東端。委員長と菅原はそこから西端に向かって歩き始めた。

 辿りついた場所は突き当たりの音楽室……の隣だった。



「ここは?」



 俺の言葉を無視し引き戸に手を掛ける委員長。誰かがいるのかもしれないのにノックすらしないとは。

 戸を開けた委員長は息を飲む。後ろから付いていた俺は、どうしたのかと覗きこみ──目を疑った。



 新聞部(仮)の部室と同様、部屋の中央に机が置かれているのだが、その左には、俺らの部室にはないホワイトボードが設置されていた。

 問題はそこではない。その設置されたボードに、人が磔にされていた。




 二人目の犠牲者が出た。

 しかし、部長とは明らかに手口が違っていた。

 磔にされた人は顔がよく見えないが、制服から男だと言うことが分かる。

 両手のひらに何やらネジのようなものが刺さっており、ホワイトボードにまで刺さっていると言うのだろうか。そして何故だか、数粒の米が床に散らばっていた。

 どこかに傷があるようにも思えない。精々手のひらくらいだが、これまたすごい出血量である。案外この人は生きているかもしれない。



「委員長。救急車呼びましょう。ただ気絶してるだけかもしれない」



 俺はごく普通の当たり前のことを提案しているまでだが、委員長は何故か、



「いや、騒ぎを大きくするのはやめましょう。気絶をしているだけなら放っておいても問題は無いでしょうし」


 

 とか言ってきやがった。



「待て待て、この出血量だぞ?今助けなきゃ死ぬかもしれないだろ」



「救急車は、呼ばない」


 

 これまた同調するように菅原は言う。何故だ、俺の言っていることがそんなにおかしいか?



「だから何で!そもそもここはどこなんだよ!何で、何でこの短時間で二人も殺されてんだよ!!」



 受け入れられない現実を、叫びとして吐き出す。こんなこと、2人に言ったところでどうしようもないのは分かっている。だけど、それでも言わずには居られなかった。

 委員長は何も言わず眼鏡を掛け直すと、菅原へ視線を投げた。またか、また二人でそうやって俺を除け者にするのか。

 確かに、お前らにとって俺はまだ出会って間もない薄っぺらい関係だろうさ。だからって俺も新聞部(仮)の部員なんだぞ。いい加減話してくれたっていいだろ。



「……ここは新聞部の部室よ」



「……え?」



 左足を後ろにやり、体を倒して散らばっていた米を拾う委員長。それを人差し指と親指でこねくり回しながら、唇をきゅっと噛みしめている。

 ここが、本来の新聞部……?



「な、何でここに?」



 この人達にとって新聞部に対して色々思うところがあるだろう。だからそんな人が何故その新聞部の部室に訪れたと言うのだろうか。



「さっきの紙よ。『いざ来るべし我らの時代』ってとこ、あれはきっと新聞部のことだと思ったの」



 四つ折りの紙に書かれた謎の言葉だろうか。



「何故新聞部だと」



「『恐るる者はもういない』ってのは、新聞部(仮)のことを言ってるんじゃないかって思ったからよ」



 新聞部が新聞部(仮)のことを『恐るる者』として認識したと委員長は考えたのだろうか。

 いやそれはおかしいだろう。本物の新聞部が、新聞部(仮)などとふざけた部を認めるわけがない。もっと別のアプローチをしかけるはずだろう。ましてや『恐るる者』など認識するはずが無い。

 


「でも違った。これは新聞部の部長よ」



 これ、と言って磔にされた男を親指で差す。新聞部の部長。つまりは知り合い。部長が一日に二人も殺された。川見部長の生首ほどひどくないにしろ、それでも精神的ショックは大きいはずだ。

 だと言うのに委員長も菅原も酷く冷静だ。悲しんでいるようには見えるのだが、だとしても普通の人の反応ではない。



「これ。見て」



 か細い声でホワイトボードを指し示す菅原。改めてみると、ホワイトボードには血が滴り、赤いラインを引いていた。

 そのすぐ隣、黒いペンで文字が書かれているのを見つける。





『その血で濡らすは豊穣の稲。

        我らの渇きは飢えることなく。

                誰彼時に神は死んだ。』


     

 そしてホワイトボードの左端、またも『リー』と目玉のイラストが描かれていた。

 


「待て委員長。さっき犯人のとこに行くって言ってたよな?」



「えぇ。言ったわね」



「だからここに来た。でもそこでは新聞部の部長が殺されていた」



「そうね」


 

 ただ肯定の意思だけを伝える委員長。



「じゃぁ何で川見部長の時と同じサインがここにあるんだよ!」



 『リー』と目玉のマーク。これは犯人を示すそれだろう。そして今ここにそれが書かれているということは、



「犯人は新聞部ではないと言うことでしょうね」


 

 あんな顔を見せながら犯人のところに行くと言っといて、間違ったことに対して多少なりとの恥があるようにも見えない。

 想定済みだったとか?いや、そんなわけはないか。これが想定済みだった場合犯人とグルということになるからだ。

 こいつらがそんなことするわけがないと思いたい。そんなことをする気が狂った人達だと思いたくない。



「じゃあ一体誰が犯人だって言うんですか……」



 『その血で濡らすは豊穣の稲』

 血で濡れているのはこの床とホワイトボード。豊穣の稲と言うのは……いや、米は散らばってるけども……。

 『我らの渇きは飢えることなく』

 我らと言うのはやはり犯人のことだろう。渇きが飢えないと言うことはまだ他にも犠牲者が出る可能性がある。               

 『誰彼時に神は死んだ』

 誰彼時とはいつのことだか分からない。神というのをこの磔にされた部長に見立てるとするならば、死んだと言うのは部長のことを言っている。

 そして犯人を指し示すマーク。



 やはり分からない。犯人は誰で、何が目的で、次は誰を殺そうとしているのか。



 更なる犠牲者を出さないためにも、やはりここは警察を呼ぶべきだ。



「やめなさい藍住君。言ったでしょう?騒ぎを大きくしてはいけないと」



「警察はダメ」



 真剣な眼差しで、端的ながら力強い口調で俺を止める。何故、何故二人して止める。止める必要性がないだろ。騒ぎが大きくなるのは今に始まったことじゃない。人が死んだ時点でそれは大きな騒ぎなのだ。



「警察を呼ぼう。この文面から次の犠牲者が出るのは時間の問題だ。警察を呼べば犯人も派手に動き回れないだろう」



 冷たい沈黙が流れる。二人もそれを分かってはいるということか。なればこそ警察を呼ぶべきではないか。

 この時間が無駄だ。無視してかけよう。そう思った俺だったが、それを止めるように委員長が吐息を洩らした。



「分かった。藍住君の言う通りにしましょう」



 やっと諦めたか。いや、それが普通の人の反応なのだ。では早速警察に──



「だからまずは、一度部室に戻りましょう」



「は?何で戻る必要が」



 あそこには未だ部長の死体があるだけだ。出来ることならば戻りたくはない。だというのに、だというのにだ。



「鍵は開けておかなきゃ。現場保存ってあるじゃない?」



 犯行現場をそのままの状態にするってことか。鍵がかけたまんまだとややこしい話になるとでも言うのだろうか。しかしそんなもの鍵は空いていたと証言すればいいだけのことでは?



「それじゃあ私達が疑われる可能性があるでしょ。減らせる可能性は減らさなきゃ」


 

 委員長の言うことも一理あるような気がして来た。俺だって無駄な容疑はかけられたくない。 

 仕方ないと思い大人しく従うことにした。逆らうとまたあのオラオララッシュをかまされるかもしれないという危惧があったからとかそういうことではないと誰に対してか分からない言い訳をしておく。



「……分かった。一度部室に戻り鍵を開けてから、警察を呼ぶ。これでいいよな?」



「えぇ、構わないわ」



 伏し目がちに答えた委員長は、腕を組みちらと菅原を見た。菅原は相も変わらずの無表情でそれを受けると、一度瞬きをして首肯した。 

 菅原も異存はないということなのか、それとも別の意味を持っているのか……いや、疑うのはよそう。二人だって部長が死んで悲しんでいると言う事実は一緒だ。そこを詮索するのは無粋だろう。

 取敢えずさっさと警察を呼ぶためにも、部室に戻ろう。








 新聞部(真)の部室から出た後、元の道を辿り新聞部(仮)の部室へ。

 この扉の前に立つだけで動悸が激しくなる。未だにこの戸を一つ挟んだ向こうで、部長は首と体が離れた状態でいるのだと思うと、何だか心苦しくなってくる。

 委員長も菅原も何処となく顔が強張っているように見える。



「……開けるぞ」



 溜まった唾を飲み込む。二人は重苦しく首肯をする。

 ポッケに手を突っ込み、菅原から受け取った部室の鍵を取り出すと、それを鍵穴へ差し込み、捻り回す。

 ガチャリと鈍く重い音が響く。念のため一度中を見てみようと思った。



 しかし、それが更なる謎を呼ぶことになるなど、気付くはずも無く。



 扉を開けて戦慄。

 部屋の中央に置かれた机の上、その隣にある椅子の上、そこにあるべきはずのものが無かった。



「な、何で……」

「ちょ、どうなってんのよ!」

「っ…………」



 


 ────部長の死体が消えていたのだ。








 何が起きた。今俺の視界に映る景色は本当に現実のものだろうか。

 いや待て、実はこっちが本当の景色なんじゃなかろうか。

 そうだ。部長が首と胴体を切断されるなんてそもそもがおかしい。現実的じゃない。

 だからそうだ、本当は部長は生きている。さっきまでのあれは何かの見間違いなんだ。




「ちょっと藍住君。どいて」



 後ろから委員長に背中を押されて、倒れ込むように部室へ入る。委員長は机へ両手をつくと、思い切りバンッ!と叩いて激昂した。



「何でっ!!何でここにあった死体がないのよ!!」



 ……さっき見た景色は幻でも何でもない。現実だ。事実、部屋に出来た紅い池が今も尚そこにあるからだ。

 な、何故……?何故部長の死体が無くなったんだ?犯人がここに戻ってきてどこかに隠した……とか?



「それはない。鍵は確かに掛けた」



 無表情ながら怪訝そうな顔をしている菅原。そうだ。確かに菅原は鍵を掛けた。それは俺も見ていたことだから間違いはない。

 では何故?鍵は俺が受け取ったから開けられるはずが無い。では何故部長の死体が無くなった?死体だけじゃない。鞄だって二つとも無くなっている。

 ランプはちゃんと消されている。暗幕も掛けられたままだ。第一ここは3階。仮に窓のかぎが開いていたとしても、外から入り死体を持ち出すことなど不可能だろう。

 部屋を改めて見渡す。ここには誰かが隠れられそうなところは全くない。

 つまりは部長はこの部屋にはいない。ということは誰かが持ちだしたと言うことになるのだが、やはり鍵がかかっていたから無理という結論へ至る。

 じゃあピッキング?いやいや、ちゃんと鍵はされていた。それは今さっき俺が開けたことから証明されている。

 …………密室から消えた死体。

 何だかミステリじみてきた。この手際、犯人は一人じゃない……?



「な、なぁ……この際犯人がどうとかそういうことは置いといてよ、何で鍵がかかった部屋から部長がいなくなったのかを考えないか?」



「何故そんなことをする必要があるの藍住君」



「……きっとそれが分かれば、犯人も絞れるからだ」



 『如何に』が分かれば『誰』が分かり、『何故』が分かる。

 

 そういうものだ。だからこそまずは考えるべきだろう。



「思い当たる節でもあるの?藍住君」



 焦りを感じているのだろうか、眉を顰めて眼鏡を掛け直す委員長。

 思い当たる節……あるわけではない。しかし、どうだろう?部室の鍵が手元にある場合、この部屋を開けられる手段として、



「マスターキーならここを開けられる」


 

 ということだ。

 委員長は息を飲み目を見開く。腕を組み、そうかと呟き顎に手を掛ける。

 


「確かに、マスターキーならここを開けることは容易。だけど待って藍住君」



 顔を俯かせたまま、視線だけをこちらへ投げると、ただ間違いを指摘する教師のような声音で、説明をする。



「確かにマスターキーって線はあるわ。だけどそうなると、教師が持ちだしたってことになるわ。その場合どう?普通は死体を持ち出さずそのまま警察を呼ぶはずだわ」



 警察を呼ぶなと言った人間が何を言ってんだと思った俺であったが、確かに委員長の言う通りである。



「だけどそうじゃない。死体はここから持ちだされて何処かに運ばれた。そんな事をするのは犯人である証拠。つまりは、マスターキーを使ってここを開けた、ということならば……犯人は教師と言うことになるわ」



 犯人は教師……確かに、普通生徒にマスターキーは貸さないだろう。貸すにしても教師同伴が当たり前のはずだ。

 つまりあり得る線としては委員長の言う通り教師。確かに、俺は教員棟の調査をして色々な教師に出会った。どいつもこいつも変な奴らばっかだった。変人のオンパレードだ。

 だけど、だけどだ。この新聞部(仮)のメンバーだってそうだ。いくら変人だと言えど、殺人を犯す変人ではないということを俺は信じたい。

 人の首を切り離し、人の体を磔にし、人の死体を持ち出すなどと、そんな残忍なことをする人がこの学校にいて欲しくない。

 だからこそ俺は信じたくなかった。教師が犯人など、信じたくはなかったんだ。



 気付けば奥歯を噛んでいた。ギリッという音が新聞部(仮)の部室にうら寂しく響いた。



「…………やめだ、委員長」



「……え?」



 ここまで二人に黙って付いて来たが、もうやめだ。



「犯人が教師というところまで分かったならそれで充分だろう……これ以上は、もう踏み込んではいけない気がする」



 踏み込んだら戻れなくなってしまうような、そんな気がした。そうだよ、端から警察に任せておけばよかったんだ。嫌な現実など目にすることなどなかったんだ。



「今度こそ警察を呼ぶ。お前らの言うことは聞かない」



 死体が消えた……何処に消えたのか分からない。現場保存もへったくれもねえじゃねえか……


 重苦しい空気の中、俺は携帯を取り出して警察へ電話を掛ける。



「待って」



 待たん。



「私が掛ける」



「は?」



 未だに本を抱えながら、右手をこちらへ向ける菅原。その目は希薄でありながら確かな意志を放っていた。珍しいこともあるもんだ。お前らの言うことは聞かないと言ったばかりだが、そう言った用件なら別に良いだろう。そう思った俺は携帯を渡した。



「うん。ありがとう」



 そう言うと菅原は俺の携帯を握りしめたまま、すたすたと早足で暗幕へ寄ると、それを避けてガラッと開けて──開けてっ!?



「ていやっ」



 外へ放り投げた。



「ちょ、ちょぉおおおおおおおっ!?何してくれてんのおい!!」



 俺の携帯がオレンジの空へと溶けて行く。それは綺麗な放物線を描いて地へと消え失せた。

 数秒の沈黙の後、固いコンクリートと携帯がぶつかる音が木霊した。

 あぁ……完全に逝った……



 突然の奇行に疑問を持ちつつ、携帯が破壊されたと言う事実に悲嘆にくれる俺。

 突然の奇行に目を丸くしつつ、自分の携帯も投げられるのではないかと言う危惧に不安になる委員長。

 突然の奇行を暗幕を閉めつつ、自分のしたことに何故疑問を持たれるのか不思議になる菅原。



 三者三様の反応。

 なるほど、これが実行犯と被害者の認識の違いか。加害者は自分の行いを正しいと思っている。差して責められる必要のないことだと認識している。つまりはだから人の首を刈り取るし、人の体を磔るし、人の携帯を窓から放り投げるのだろう。


 


 …………っておかしいだろおいっ! 



「す、菅原~……?一体どうして俺の携帯を捨ててくれちゃったのかな~?もしかしてさっきのパイタッチのこと怒ってらっしゃるのかな……んて……ははっ」



 だとしたらあれだな、これはもう低頭平身して謝るしかないな。

 あ、そうだ。何なら学校に置いていないような気になる本を買ってやっても良いぞ?うん。そうだそうだ、それくらい安いものよ……



「いくよ」



 うん。ガン無視ですか。

 なんだろうなーこの虚しい感じ。罪の赦しを乞うキリスト教信者のような気持ちだ。

 委員長もなんだか憐れむような目で俺のことを見ている。やめろ、同情するなら携帯くれ!



「ご、ごめん……充電切れちゃってて」



 役に立たねえなぁおいっ!



 菅原はそんな俺たちのことなど気にも留めず、部屋から出て行こうとする。

 俺たちはそれをただ目で追うことしかできなく────後を付いてこないことに疑問を覚えたのか、半身翻し首を傾げる。



「こないの?」



 純粋すぎる!純粋すぎるがゆえに俺は携帯壊されたことなど追及できなくなっちゃったよ!



「……どこに?」



「付いてくれば分かる」



 さっきから付いて行って碌なことが起きていないから俺は聞いているんだが。

 菅原はこれ以上は語るつもりはないらしい。真一文字に口を結んでしまった。

 困った。これは大人しく付いていくしかないのだろうか。ちらと委員長を見ると、コクンと頷く。



「行きましょう藍住君。これで多分終わりのはずだから」



  

 委員長の言葉の意味を、理解するのはこの10分後のことだった。








 菅原に連れられたのは、美術室だった。

 特別棟の2階西端。音楽室の真上だ。果たして音楽室の真上で大人しく絵など描けるのだろうか。せめて逆だったら……同じことか。

 そして何故だろう。警備が悪いことに鍵はかかっていないようだ。委員長は手をかけて戸を開いた。

 鍵がかかって無いということは中に人がいるのだろうか……そしてまた、誰かが死んでいるのだろう。



 俺の嫌な予感は当たった。

 美術室特有の絵具の臭いが鼻につく。部屋の両脇には流し台があり、突き当りは作品を乾燥させるための棚や、乾燥機が設えてある。

 彫刻刀などで削り取られてしまったであろう木の長机が等間隔で並べられている中、一人だけそれに向かう人物がいた。

 絵筆を握っている男は、パレットを机に乗せて紅い絵具をぶちまけている。



「なぁ……委員長……」



 俺はもう嫌気が差していた。一日に何度死体を見れば気が済むんだ。もう、いい加減にしてくれ。



「えぇ……多分彼も殺されているのでしょうね……」



 顔を俯かせた委員長は、震える体を抑えるように自分で自分のことを抱きしめていた。

 何て声を掛けていいのか分からなかった。掛けないことが正解なのかどうなのかも俺には判別がつかない。悩んでいるくらいなら男として慰めろと充也なら言うかもな。童貞だけど。



 一見すると、一人真面目に残って作業している、というように見えたかもしれない。だけど、机の下から流れ出る川が、彼がもう生きていないと言うことを証明するには充分に足りえていた。

 いや、それだけならばまだ絵具を零した、といえるかもしれない。だけど、言えない理由がはっきりとある。

 それは、流れる紅い川に溺れる、男の下半身があったからだ。



 これで三人目…………俺は血だまりを避けて死んだ彼の目の前においてある、一枚の紙を覗きこんだ。

 例に倣ってそれは、あるメッセージとマークが描かれていた。紅い絵具でだ。 


 



『天と地は分かたれた。

      流れは一つの海となり。

            我今ここに完遂せり。』



 紅いせいだろうか、それは一種のダイイングメッセージのように見え、気分が悪くなる。

 しかし、これももう終わりだ。『我今ここに完遂せり』殺人はもうこれで終わりと言うことで間違いないだろう。

 ならばもうここに書いてあることは考えるだけ無駄だろう。マークについてもそうだ。警察を呼ぼう。

 そう思い死体から目を離した時、ゴトリと音を立てて男の上半身が床へ落ちる。



 

「ひっ!?──」



 思わず情けない声を出してしまう俺であったが、このままだと可哀想だ。せめて千切れた下半身と近くに置いて寝かせてあげよう。

 そう思った時、俺は心臓が破裂するかと思った。何故なら、死んだはずの男の上半身が、俺の足にしがみついていたからだ。



「た、────すけ────て……」



「ぅぇ、うっうわぁあああああああああっ!!」



 まるで地獄の底から響くような声だ。ねっとりとしたそれは俺の足を這いずりまわり全身を駆け巡る。

 鳥肌と冷や汗が止まらない。心臓を直接握られているような息苦しさを感じつつ、俺はしがみつく男の顔を見た。



「って、高井良(たかいら)先生?」



 口から血を垂らしながら俺の足にしがみついているのは、上半身だけの高井良先生だった。

 一昨日、職員棟の調査をしていた俺は学校内で迷子になった。原因はこの目の前にいる高井良先生と、もう一人の美術教師の戸村田(むらた)先生によるものだったのだ。自分たちで描いた学校の廊下。それを配置することで出口の無い迷路を創造してみせた。なんとも傍迷惑な人達なのである。



 え、え?何で何がどうなって?上半身、生き……血だって。



 人が死ぬというあり得ない現実よりも更にあり得ない現実が突然押し寄せ、俺の思考は纏まらずぐちゃぐちゃだ。

 だというのに、そこに追い打ちをかけるように更なるあり得ない現実が現われた。





「やぁやぁ藍住君!!中々にいい表情(かお)でいい悲鳴(こえ)で鳴くじゃないか!!」




 

 え──?




 その声は、もしかしたら俺が今一番聞きたかった声なのかもしれない。

 無駄にでかい声、無駄に芝居がかった様な台詞で、俺の鼓膜を震わせ脳を揺らした。

 そう、──この声は──



「ぶちょ────ってあんたもかいっ!!」 


 

 待ち遠しかった声が聞こえた方へ振り返ると、そこには足にしがみつく高井良先生と同じく上半身だけの川見部長がいた。

 ボサボサ髪に黒い丸眼鏡。道化のように吊りあげた口の端。それら全てが俺の知る川見部長と一致した。

 でも何で……?部長は確かに首を刎ねられて殺されていた。あの出血量もあるし生きているはずがない。

 だというのに今度は首がくっついて下半身が離れている。だけど元気そうにぴんぴんと笑顔で……



「どうだい?中々の出来だろう?」



 からっと笑った川見部長は、両手で床を押しながらこちらへ迫ってくる。

 どんなホラーだよ!!テケテケか?テケテケなのかっ!?



「……やりすぎです部長」



 委員長は疲れ果てた顔で肩を落とすと、呆れたと言った感じで息を漏らす。



「今回は容認しかねる」



 微かにむすっとした表情でテケテケ部長を見据える菅原。二人は部長の姿に驚きつつも、俺ほど衝撃を受けている感じは見受けられなかった。



「ふむ?そうか?流石にクオリティが高かったようですよ先生」

「おうおうそうか!それはいいことだ!後で戸村田先生にも報告しておこう!私たちなら、ハリウッドの美術スタッフも夢ではないと!!」

「おぉ!その時は私も是非役者にどうですかね?死体役ならいつでも待ってます!!」

「おいおい、私はスタッフだぞ?決められる訳無いだろう」

「それもそうですな!」



 はっははとお互いの肩をたたきながら笑い合うテケテケ二人組。

 何だ、この異様な状況は何だと言うのだ。夢か?夢なのか?

 


「委員長……ちょっと俺のことを殴ってく──」



 最後まで言いきる前に俺のこめかみに鉄球がぶつけられる。

 2転3転しながら美術室を回った後、ぴゅーっと頭から血を出し立ち上がる。

 そこにはやけにすっきりと爽やかな顔をした委員長がいた。これはあれだ、賢者と通ずる何かを感じる。



「す、少しは手加減しようぜ委員長……」



「あらごめんなさい藍住君。手加減してくれと一言いってくれればしたのだけれど」



 言う暇なぞ与えなかったくせに……この女、凶暴性が増してやがる。



「それより部長、説明の要求をするわ」



 人のことを殴っておきながらそれよりと言いやがった。委員長の中で俺は一体どういう立ち位置なのだろう。

 数秒見つめ合ったテケテケ組は、にやりと笑うと、少し待ち給えと言った。

 言われた通り少し待とうと思っていたら、



「よいしょ」



 と言って、()()()()()()()()()



「うわぁあああああああ!?」

「きゃぁあああああああ!?」



 今更過ぎるかもしれない悲鳴が、美術室に木霊する。

 委員長は叫びながら、ボクサーに顔負けの綺麗なローキックを、起き上った下半身へ見舞ってみせた。



 ごはっと血を噴き出しながら苦しみ出す高井良先生。そう、その下半身は血だまりに溺れていた高井良先生の下半身だったのだ。



「先生ーっ!!先生っー!!だ、大丈夫ですか!!しっかりしてください!!」



 必死の形相で高井良先生の肩を掴み揺さぶる部長。そのたびに口から血が吹き出て、大人しくしたほうがいいのではないかと思う俺。



「な、中々いい蹴りを持っている……」



 パタリ。その言葉を最後に、高井良先生は仰向けに倒れてしまった。



「せ、……先生…………くっ…………息をしていない……」



 少々大げさとも思えるくらいに唇を噛んで俯く部長。

 改めてどういう状況なんだこれ……上半身と下半身が離れているのに普通に生きているし。

 第一この出血量で生きてるってのも……もうあれだ、全てが疑問だ。




「部長。いい加減にしないと眼鏡を粉微塵にした後、それを脳みそに掛けて食べてしまいますよ。藍住君が」



「俺がっ!?」



 そんなスプラッタな趣味ねえよっ!?



「ふむ……脳みその味、か……流石にそればかりは実証のしようがない」



 先ほどまでの悲しんでいた部長は何処へやら、真面目なトーンで考え始めている。

 やめろよ?しようとした瞬間警察呼ぶからな?

 じろりと委員長が部長を睨む。まるで溝に塗れた子犬を見るようだ。最早憐みの境地。

 


「わ、分かったよ説明すればいいんだろう?だから怒らないでくれ朝倉君」



 観念したように両掌を空へ向けると、部長は非常に楽しそうな笑みを浮かべていた。



「全ては僕の研究だよ」



 まるで気が狂った科学者のようなことを言っている。

 

 研究……この人は死ぬ人間の気持ちに疑問を持っている。その疑問を解消するためには、自らが()()となるということだった。

 初めて会った時は首吊り自殺に見せかけ、その次は青酸カリだっただろうか…………そう、言い換えればこの人は自分を殺して、周りの反応を伺い楽しむ人種なのだ。




 じゃあ今回のもそうだということなのだろうか。今までとはクオリティが違うし何より趣向が異なる。



「うん。そうだね。今回は『人を殺す人間』の気持ちも気になってね。それで少々協力を仰いだのだよ」



 人を殺す人間。何故殺人者と言わないのだろうか。そこに違いはないと言うのに。

 というかそのまま説明を続けるのね。



「協力って……高井良先生にですか?」



 部長は両手を付いて体を浮かせると、まるでブランコのように前後させて揺れている。



「そう!高井良先生と戸村田先生の技術力を持ってすれば、僕のこの疑問を解消することも容易だと判断したわけだ」



 じゃあ今まで見た死体は先生の偽物(つくりもの)?てかその戸村田先生はいないし……



「で、でもじゃあ……この血は?」



 視線を右端へ寄せる。未だ流れる死の川は、何処からどう見ても普通の血液にしか見えない。



「あぁ、それもつくりものだよ。凄いだろう?」



 まるで我が事かのように嬉しがる部長の首が落ちた。────首がっ!?

 コロコロと転がって行った部長の頭は、つくりものらしい血だまりに濡れると、首の切断面が()()した。

 ぶ、部長が!部長が死んだ!首!首ぃっいい!



「落ちついて。ちゃんとついてる」



 俺の裾を引っ張り、テケテケ部長の頭を指差す菅原。確かに、そこにはちゃんと満足げな部長の顔があった。



「藍住君はからかいがいがあるなぁ~それに比べてこの女子二人は……」



 つまらなそうに口を尖らせ委員長と菅原を順に眺める部長。

 視線を受けた委員長は鼻で笑うと、



「タネが分かれば怖くもなんともないわ。確かに最初はちょっと驚いてちょっと取り乱しちゃったけど、もう大丈夫よ」



 ()()()()驚き()()()()取り乱した、ね……物は言いようだな。

 胸を張って見栄を張る委員長。余裕ぶっこいてるなー鳴き叫んだこと部長に言ってやろっかなー。

 とか思いながら部長に視線を移すと、何やら悪だくみをする小学生のような顔をしていた。



「ふふん。実はここに全て録画されているんだよ。朝倉君が僕の死体を見て鳴き叫んでいたことも知っているのさ。第一あの場で聞いていたからね」



 何処から出したのか、メタリックなごついビデオカメラを覗きこんでいる部長。

 いつ、どのタイミングでどうやって撮ったのか気になるが、あのシーンが撮れているとなると部長を責められまい。寧ろ褒めてあげたいくらいだ。普段強気な態度であんな姿見せないからな。貴重だし何よりいい弱みを握ったじゃないか。グッジョブ!部長!

 ぐっと部長へ向けてサムズアップをした瞬間、風を切った鉈が部長の手元へ吸い寄せられる。



「あぁああああああっ!?三万円のビデオカメラがぁあっ!!」



 鉈が接地する音が、ビデオカメラの破壊音と共鳴する。

 粉微塵になったのは部長の眼鏡ではなくビデオカメラと言うことになってしまった。

 ただの蹴りでビデオカメラを破壊する女委員長。本当に戦闘民族と化してるな。

 委員長はふんすと鼻を鳴らすと、腕を組んでそっぽを向いてしまった。


 てか待てよ?



「じゃあ何、委員長と菅原は、これが部長の『研究』だってことに気が付いていたってことなのか?」



 本当にそうだとしたら、2人が警察を呼ぶことを止めたのもうなずける。 

 騒ぎを大きくするな、人死には出ていないのだから。

 そういうことだったのだろう。



「えぇ、最初は本当に死んでるって思ったわ。でも、あのメッセージを見て、これは部長の仕業だってね」

「同じく」



 分かった上で俺のことを振りまわしたのか、全くこいつらはやはり変人の集まりだな。



「まぁ二人には分かってもらっておかないと困ったからね」



 未だテケテケのままの部長は、得意げに口を吊り上げる。 



「にしてもよくここまで来れたね。分かりにくいようにはしたつもりなんだけど」



 委員長は馬鹿にするなと言った感じで嘆息を漏らす。菅原は無表情のままだが、本好きのこいつにとっては愚問だろう。

 しかし残念ながら俺にはさっぱり分からんかった。ただ二人について行っただけだぞ。



「じゃあ最初から行きましょうか。まず、『今ここに将は討たれた。恐るる者はもういない。いざ来るべし我らの時代。』これはさっきも説明したけど──」



 と前置きして丁寧に教えてくれる。もしかしたら語りたくて仕方ないのかもしれないと俺は受け取った。



「将を討たれた、を受けての恐るる者はもういない。この将は新聞部(仮)の部長のことだから、それがいては後々困る存在……それが我らに繋がるの。つまりは本当の新聞部。(仮)だなんてふざけた部活、放っておいても邪魔なだけでしょ?」



 何だか楽しそうに笑みを浮かべている。暫く好きにさせてあげよう。



「そして新聞部へ向かった。次のメッセージは確か……『その血で濡れるは豊穣の稲。我らの渇きは飢えることなく。誰彼時に神は死んだ。』」



 よくもまぁ覚えているもんだ。あの一回で。



「神は死んだで連想するのは何?藍住君」



 まるで子供を相手にしているかのような柔らかい口調で言う委員長。



「あれだろ、詳しくは知らんがニーチェだろ?」



 そう、と言って深く首肯する委員長。



「そして、豊穣の稲。ここね、正直こじつけがすぎると思ったわ」



 豊穣の稲。確かに意味が分からなかった。



「ふむ。そこは私も無理があるかなと思いながら考えたからな」



 ふぅむと唸る部長を、だったらもっと通じやすいものを考えろと目で訴えながら睨む委員長。



「我らの渇きは飢えることなく、『飢える』は誤変換で『植える』になる。そして思い出して、最初の部長の姿を」



 最初の部長の姿。首と胴体を切り離された状態のことだろう。



「首なし死体?」



「そうね。だけど今求めているのは違う。首をどうされていた?」



 微かに首をかしげながら、眼鏡のレンズを光に反射させる。いや~な顔だ。何だか心がざわざわする。



「首を……刎ねられてた?」



「そうね。だけど今求めているのは違う。首をどうされていた?」



 まるで選択肢を与えるくせに正解を選ばないと進まないゲームシナリオのようだ。

 首を刎ねられていたが、別の言い方がある。首を飛ばされていた……?



「そうね。だけど今求めているのは違う。首をどうされていた?」



 段々ロボットと相対しているような気味の悪さを感じた。

 他に何か言い方があるのだろうか……



「刈り取られた……?」


 

「正解!」



 やっと正しい選択肢を選んだようだ。委員長はしたり顔で腕を組むと、続きの説明を再開させる。



「つまりは、既に刈り取られていたということ。そして『飢えることなく』の誤変換で『植えることなく』にして、……新聞部の部屋にばらまかれていた不自然なものを覚えている?」



 新聞部の部屋にばらまかれていた不自然なもの?そんなものあったっけ……



「あ、……米?」


 

 本当におかしな話だろう。それが家庭科室にあったのならばまだ納得できる。しかし、新聞部の部室に数粒の米が撒かれていたのだ。不思議以外の何物でもない。



「そう。米。私も何故?って思ったわ。だけどね、意味も無く米が撒かれていると思う?思わないわ。普通は何かしらの意味があると考えるはず。少なくとも、そこに米が撒かれる過程が存在するはずなのだから」



 確かに。突然新聞部の天井から米が降ってくるなどあり得ない。たとえそれが今回の『研究』に関係がなくとも、『米がそこにあった』理由は必ず存在する。

 その理由を、研究のために必要なヒントだとしたら、故意にばらまかれたということになる。



 では何故それがヒントになるのか、床に米がばらまかれている。これがどういう意味を持つのか、委員長は気付いたと言うことらしい。



「私もね、米を拾って気付いたわ。今までの全てがヒントだったんだって」



 全てがヒント……?



「そう、稲は『植えない』。既に刈り取られており、米を拾う。これらはすべて、ある一枚の絵を表していたの」



 腕を組みながら指を立てる委員長。その姿はまるで彫刻像のように綺麗なポージングだった。



「ある、一枚の……絵?」



「ミレーの『落穂拾い』よ。いくら芸術に疎い藍住君であろうと、それくらいは知っているわよね?」



 何故俺が芸術に疎いということになっているのか分からないが、事実なので何だか気恥ずかしい。

 だがしかし、これまた委員長の言う通りミレーの落穂拾いだったら見たことがある。ポスターなりテレビなりで目にする機会は一度くらいはあるだろう。



「……知ってるよ。だけど今までのそれが何でミレーの落穂拾いに繋がるんだ?芸術に疎い俺にも是非ご教示願いたい」



 皮肉が通じたのか、恥ずかしそうに顔を赤らめた委員長は、それを隠すようにふんと鼻を鳴らして胸を張った。



「ミレーの落穂拾いってのは、稲の刈り入れが終わった後に、刈り残った麦の穂を拾ってる人物を描いた絵なの。収穫もしてなければ、『植えてもいない』ということなの。分かる?」



 へぇ~全く知らなかった。



「だから私が新聞部の米を拾った時、あの文と照らし合わせて分かったわけ。正直あれがなきゃ分かんなかったわ」



 あの時にここまでのことを考えていたのか。すごいな委員長。あ、でもあれか、これが部長の仕業だって知った上でのことだもんな。

 


「えーっと、……部長の首が刈り取られていた。つまりは刈り入れが終わった。植えずに米……麦を拾い上げている。これら全てがミレーの落穂拾いという絵のヒントになっていた」



 分かりにくかったので、口に出して整理してみてなるほど。こりゃ確かにこじつけが過ぎる気がしなくもない。



「まぁまぁそう言うな。こじつけできるだけの因子はちゃんとあったということじゃないか。事実、今君達はここにいる」



 ここ、と美術室を示すように両手をめいっぱい広げる部長。テケテケのままだろうか、全く広さを表現できていない。



「まぁ確かに……でも委員長?何でさっきニーチェの話を出したんだ?」



 あの文がミレーの落穂拾いを示しているのは分かった。しかし、何故にニーチェを連想させる『神は死んだ』を入れたのか。先ほど委員長が説明したということは、全く関係がないということも考えられない。

 委員長はうん?と眉を上げると、まるで忘れてたと言わんばかりに嘆息を漏らした。



「ニーチェね。神は死んだと言う文から連想されるのは、思想家であるニーチェだわ。だけど、おかしいでしょう?前の二文でミレーの落穂拾いを示しているのに、何故全く関係の無いニーチェが現われたのか。もし仮に、前の二文で音楽に関することが出ていた場合は、思想家のニーチェが登場してもおかしくないけどね」



 つらつらと述べる委員長はとても楽しそうだった。しかし、俺には途中から全く何を言っているのか分からなかった。



「え~っと……何で?」



 ただそういうしかなかった。



「思想家ニーチェは音楽にも精通していたからね。だからおかしくはないっていったの。でも表されているのは何度も言うようにミレーの落穂拾い。つまりは、このニーチェはニーチェであってニーチェでない」



 思想家に感化されたのか、何だかわけのわからないことを言っている。

 ニーチェであってニーチェでない?ニーチェはニーチェであってそれ以上でもそれ以下でもないだろう。



「そうね。それがただの『ニーチェ』ならば確かに頷けるわ。だけど残念。『ニーチェ』は人の名前なの。つまりは『ニーチェ』の前なり後ろなりに人の名前に準ずる言葉が付くってこと。例えば、『藍住良太』君と『山田良太』君は、『良太』であって『良太』でないでしょう?」



 な、なるほど。委員長の苗字センスはともかく、言いたいことは分かった。



「つまり、あそこに書いてあった文はニーチェだけどニーチェではない。別のニーチェということか」



「そう。実はね、思想家フリードヒ・ニーチェの生まれであるドイツに、同じような名前の画家がいるの」



 画家?同じような名前の?同じ国に?



「それはまた」



 紛らわしいな。



「えぇ、そうね。画家、ミレーの落穂拾い。ここまでの条件がそろえば、次の目的地が何処だかもわかるわよね?」



 流石にそこまで分かればな。

 俺は改めて美術室を見渡した。今日は夕暮れが綺麗だ。



「にしても凄いな委員長。よくそんなこと知っている」



 俺は素直に感嘆から拍手をした。委員長はそんな褒められるようなことではないという感じで恥ずかしがっていた。

 直後、美術室の扉が勢いよく開けられる。振り返るとそこには──



「まさかこんな短いスパンで呼ばれるとは思いませんでしたよ!良太さん」



 俺の便利なパシリ、如月希沙良(きさらぎ きさら)ことロリぃ員長がそこにはいた。



「逆ですよ!?いや逆でもおかしい──って、あなたは朝倉さんじゃありませんか!!」



 矮躯を震わせ、ずびしと朝倉へ指をさすロリぃ員長。

 他のクラスからも委員長と呼ばれる朝倉と、自称委員長の如月の邂逅である。

 委員長は眼鏡を弄り、見下すようにロリぃ委員長を見ると、



「誰かしら?初めましてね」



 とか言っている。知らない訳無いだろうとは思うのだが、きっとロリぃ員長は誰からも弄られる存在なのだろう。

 わなわなと肩を揺らしたロリぃ員長は、体重の乗ってない蹴りを地面へぶつけると、



「初めましてのわけないでしょ朝倉さ────にゃ、にゃにゃっ!?く、首!!血!!あ、高井良先生っ!?」



 ばたんきゅ~。

 顔から血の気が失せたロリぃ員長は、背筋がぴんと伸びたまま固まり、後頭部から倒れた。

 騒がしいやっちゃな~。まぁこれが当たり前の反応だとは思うのだが。

 てか何で急に現われた?俺は別に呼んだ覚えは──あ、拍手か。



「んで次の場所がここだったわけだ。何故ここが終わりだと?」



 ロリぃ員長のことをほっておいて、話を元に戻す。

 委員長もさっきのは何も無かったとばかりに説明をする。



「それは部長の死体が消えたからよ」



「は?」



 全く説明になっていないと思うのだが。

 委員長はめんどくさそうに吐息を漏らし、片目を閉じてこちらを除いた。



「……あのメッセージに添えられた、サインのことを覚えている?」



 サイン。あの『リー』という言葉と目玉のイラストのことだろう。あそこに書いてあると言うことはそれが犯人を示すものだと言うことはなんとなくわかる。だけどそれをどう読み解いたら答えになるのかが分からなかった。



「単純だからこそ分かりにくい、そういうものよ」



 そういうものなのだろうか。俺にはよく分からん。



「じゃあ藍住君。『リー』というのをまずは読み解きましょう。そうすれば目玉の意味も分かるから」



 そう言って委員長は黒板へ寄ると、白いチョークを握り『リー』と目玉のイラストを端っこに描いた。



「……リーはリーじゃないのか?他に何か読み方でもあるのか?」



 少なくとも俺には思いつかない。リーはリーであってそれ以上でもそれ以下でもない……リーはリーでもリーではない?いや、これはただのリーのはずだ。



「違うわ。確かにこれは『リー』。だけど、リーをリーと読んではこれは解読できない。『リ』と『ー』を分けて考えてみましょう」



 『リ』と『ー』?

 わざわざ分けると言うことは『リ』と『ー』で別々の読み方が存在するのだろう。

 委員長は改めて空いたスペースに『リ』と『ー』を離して書く。


「まずこの『リ』はそのまま読んでいいわ。問題は『ー』でしょうね。さぁ藍住君。『ー』は何て読める?」



 『ー』をチョークでこんこんと叩く委員長。こりゃまるで教師だ。案外向いてるかもわからん。



「……伸ばし棒?」



「そうね。だけど今求めている答えは違う。惜しいところまで来ているわ」



 また正解を選ばないと進めないのか……めんどくせえな。



「えーっと、線?か」



「違う!答えから少し離れたわ。棒を英語で何て言う?」



 間違いを選んだら怒られヒントを教えてもらった。急に反応を変えるなよ。びっくりするだろ。



「バー……?」



「そう。バー。じゃあ改めて『リー』を読んでみてちょうだい」



 えーっと、『リ』はそのままで『ー』はバーと読むんだよな?それを繋げると……



「リ……バー……?」



 委員長は『リ』と『ー』をぐるっと線で囲んで、その上に『リバー』と書いた。



「そう。これはリバー。リバーは英語で川って言う意味だから、()()には次に続くこの目玉の意味を理解できるはずだわ」



 『リバー』に等号を書いて『川』と書くと、委員長は顔だけをこちらに向けた。

 目玉の意味?川を見るってことなのだろうか。



「…………そこまで出てわからないの?」



 委員長は呆れたように目を細めると、顎で部長のことを差した。

 何のことだろうかと考えていた俺だったが、部長のことを数秒見つめて気が付いた。



 川見廉(かわみれん)。新聞部(仮)の部長だ。



「そうか!目玉はこちらを『見る』っていう意味を持っていて、前の『川』と繋げて読むと、『川を見る』となる。つまりこれが犯人を示すものだとすれば、それは人物の名前と言うことで間違いない。そこまで分かれば、()()にはそれが『川見』という人物の名前を差すことだと言うことがすぐに分かる」



 そんなの、そんなの分かるかっての。第一部長は最初に死んでいたんだ。まさかまさかの犯人だとは考えるはずがないじゃないか。



「うん。実はこれまだ解読できるというか、意味を持っているんだよ」



 テケテケのまま──あれ、いつの間にか下半身もくっついている──部長は髪を掻きながら、委員長の隣にいってチョークを手に取る。

 そして自身の名前である『廉』を書くと、



「これは(れん)と読むのだが、(かど)とも読むんだ。意味は違うが(かど)と置き換えると、この『川見』を示すマークが、紙の端、ホワイトボードの端に書かれいた意味が分かるかね?」



 そう語る部長の目は、眼鏡越しでもはっきりと分かるくらい、子供のように純真だった。



「角は隅と言う意味を持つ……つまり、紙、ホワイトボード。それらの角に川見が書かれているから、このサインは『川見廉』という一人の人物を表している。ってことですか……」



 

 何ともまぁ……確かに単純と言えば単純だ。馬鹿馬鹿しいほどに下らない。だけど俺にはそれが分からなかった。だからだろうか、余計に腹が立った。

 こんな単純なものを分からなかったということもそうだが、委員長も菅原も分かっておきながら黙っていたってことにも腹が立った。



「…………ごめんよ藍住君。研究には君達被験者の反応も必要だったからさ。そのためには救急車や警察を呼ばれては困る。だから二人には分かっておいてもらおうと思ってこのサインを残した」



「ごめんね藍住君。少し君をからかいたくなったの」


「……反応、面白かった」



 満足げな顔の部長。

 すまなそうに眼を伏せているが、口は笑っている委員長。

 無表情ながら何処か笑いを堪えているかのような菅原。



 …………つまりは全て、俺は新聞部(仮)のメンバーに弄ばれたってことだろう。




 殴って良いすか?



「さぁ!今日はもう帰りたまえ!!後片付けがあるから部室も使えないだろう」



 快活に笑っている部長。汚した本人はお前だろうと目だけで訴える。

 しかし、流石に俺も精神的に疲れた。一日に死体を3つも見たんだ。大人しく休もう……



「……そういえば、何で上半身と下半身が離れてんのに生きているんですか?それはどう見てもつくりものではないでしょう」



「あぁそうだな。これはマジックだよ。タネは教えられない」



 ふふんと笑って腹を思い切り叩いた部長。いい加減なことを言っているな。この人の言うことを真面目に聞くのはやめようかな。

 とか考えていたころ、ある疑問がふと脳裏をよぎった。


 

「ってそうだ部長。どうやって部室から出たんですか?鍵もかかっていましたし」



 すっかり忘れていたが、その謎はまだ分かっていなかった。

 そう、内側にも鍵が付いているのだから部長が死体のふりをして生きていた場合は、密室は意味を成さない。

 しかし、鍵は菅原から受け取ったまま俺が持っていたのだ。出るまではよくても、鍵を掛けることは不可能なはずだ。

 だからそこには必ずトリックが存在するはずなのだが……部長は目を丸くさせて首を傾げて見せた。



「鍵?……なんのことだい藍住君。鍵なんて端から掛っていなかったよ」



「へ?」



 端から掛って無かった?いやいや、それはおかしい。菅原だってちゃんと掛けていたところを俺は見た。俺自身の手で鍵だって開けた。その間に部長が消えたのだから鍵はかかっていたはずだぞ。

 俺は振り返り菅原を見る。



「ちゃんと鍵は掛けた。これは嘘ではない」



 これは嘘ではない。菅原がそう言うのだからそうなのだろう。つまりはちゃんと鍵はかかっていた。だけど部長は掛って無かったと言う。となると、部長が嘘を言っている可能性が高い。



「いやいや、もう研究は終わった。そんなつまらない嘘を吐く必要はない」



 何故だろう。今の部長の目は嘘を語っているようには見えない。だからこそおかしい。部長が嘘を付いているとした方が謎は全て収まる。しかし、それはただ目をそらしているだけではないのだろうか?部長は嘘をついていない。ここだけは、ここだけは俺だって信じてやりたい。



「そ、そうだ!鞄は?何で二つ持ってたんですか?」



 もう一つの疑問。何故に部長は鞄を二つも持っていたのだろうか。研究のために必要なものだったのだろうか。

 だというのに……



「二つ?おいおい藍住君はさっきからどうした。鞄は一つしか持ってないよ。君達が出て行ってからも、部室にはそれらしいものは何一つとしてなかったぞ?」



 またも認識の食い違い。

 どういうことだ?確かに鞄は二つあった。俺はこの目で確かめた。見間違いなはずはない。



「二つ……あったかしら?覚えてないわね。菅原さんは?」



 思い出すように首を傾げる委員長は、視線を菅原へと投げかける。

 しかし菅原は黙りこくっており、やがて口を開くと、



「知らない」



 とだけ発して俯いてしまった。



 俺の見間違い?恐怖と同様のあまり幻覚を見た……?



「うーむ……カメラさえ生きていれば確かめることができたんだけどね」



 口を尖らせ半眼で委員長のことを見た部長。委員長は少しだけ申し訳なさそうに目を反らしていた。




 

 




 こうして、二つの謎を残して大がかりな部長の研究は幕を閉じた。

 犠牲者が一人もいない中、俺の携帯だけが犠牲になったことを菅原にどう責任をとってもらおうか。

 




「なぁ菅原」



「何」



 無機質に振り返った菅原は、まるでロボットのようにぎこちない動きをしていた。



「疲れたか?」



 冷たい沈黙が流れる。オレンジに染まった夕日が菅原の顔に当たり、少し眩しそうだった。

 やがて顔を前に向けながらぽつりとつぶやく。



「……今日は体育があった」



「……そうか」


 

 今にも消え入りそうな声。夕暮れに染まった廊下を歩く菅原の小さな背中には、少し重たそうな鞄が背負ってあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ