執筆の助言者
この回の執筆者は鈴風さんです。
「ふぁ〜……」
翌日の朝、俺は痛み切った体がまだギシギシしているコトを実感しながらベッドから起き上がった。
一つ大きく欠伸をすると立ち上がり、締め切られたカーテンを開け放つ。
窓の向こうからは温かな陽光が部屋を照らしてくる。実にいい朝である。
やがて頭が目覚めてきたのを感じ首を後ろへ捻って壁掛け時計を確認。現時刻は7時08分。
いつもよりは遅い起床となったが問題は無い。まだ朝食と弁当を作るだけの時間はある。
だが一応は急ごうと思い俺はすぐさまリビングへと駆け下りた。
「ん、おはよーお兄ちゃん」
「相変わらず朝は早いな。おはようさん」
リビングへ入ると普段通り優子がソファで新聞を読んでいた。
扉を開けたのに気付いたのか、優子は新聞を畳むと俺にそう挨拶を交わしてくる。
当然のように俺は挨拶を返すと、食卓の椅子にかけっぱになっているエプロンを引っ掴んでキッチンへと向かった。
今日は実に気分がいい。
理由は目覚めの良さもあるのだが、やはり目覚めの良さの原因でもあろうコトがあるのだ。
それは勿論、日記についてである。
俺は空白の一時間を経て再び机に向かって小説を書こうとペンを持った。
椅子に座ったものの初めのうちは最初と同様何も書けず、だが頭を振り絞って書いた文も意味の分からないもので即刻原稿用紙をゴミ箱へシュート。
駄文を書いては丸めてゴミ箱へシュート、の流れを軽く十回は繰り返しただろう。
幸い原稿用紙については親父が親父だったおかげか120枚入りが山ほどある。
だから何度も書き直しては何度も納得する書き出しを模索していた。
「いやはや、でも助かったねアイツには」
俺は昨日のコトを思い出し思わず口元をニヤけさせてしまう。いかんいかん、優子に見られたら兄としての尊厳が崩れる。
だけどアイツには、結構大きな借りが出来ちまったかもしれない。
そんなコトを思いながら俺は、料理をしながらも昨日のコトを頭の片隅で思い返していた──。
* * *
時刻は9時半を過ぎ、書いては捨て書いては捨てを繰り返して体力が擦り減ってきた頃。
「マジで書けねぇ」
俺はもう無理なんじゃないかと感じ始めついそう呟いていた。
書き出しだけで軽く30分は費やしているが、一向に自分で納得のいく文が書けていない。
こういうのを読む時大抵は書き出しで判断される、というのをどっかで聞いたことがある。
だからその後の本文よりも基本的に書き出しで読者を読ませるらしい。
本文も大事だと思うけどねぇと思ったりもするが、確かに『岬と流星』の書き出しも不思議と見入ってしまうような"何か"があったと思う。
学生カバンから今日図書室で菅原に勧められつい借りてしまった『岬と流星』を取り出す。
時間が経ち精神状態も変わった今、改めて表紙の絵を見てみるとなんだか不思議な感覚を味わった。
青白い星々で作られる銀河、そこを数個の流れ星が斜めに通っている。絵の構成自体は至ってシンプルであるが、何処と無く色遣いが綺麗だと思った。
これは俗に言う油絵だろうか、背景が夜空と言う濃い青で塗られているおかげで比較的明るめの銀河や星々が映えている。
よく見てみると細かいところにまで色が塗ってあり、夜空のグラデーションから星ひとつひとつの色の違いが如実に出ていた。
「はあー……、スゲーな」
体感時間一分ぐらい本の表紙を凝視していただろう。
無意識に零れたその言葉で、ふと視界が開いた。……あぁ、明るい。
「……でも、なんかこの絵の塗り方見たことあるな〜」
絵に関しても素人である俺が塗り方なんて区別出来るわけないが、でも何処かで見たことのある雰囲気が『岬と流星』の表紙からは感じられた。
多分学校だと思う。
だからと言って本の置いてある図書室や資料室では無い。
確か普通棟から美術室とかがある実習棟を繋ぐ渡り廊下に、美術部達が毎年コンクールに提出している絵が飾られていたはず。
恐らくはそこで見たと思う。
「って言ったら美術部にこんな絵を描く天才がいることになっちまう。そんなわけは無いだろう」
確認のために俺は、本の背表紙下部に書いてある著者と絵師を見てみる。ここに書いてある名前を明日にでも美術部部員にいるかを確かめれば済む話だ。
『著・川見爽秋
絵・キサラサラ』
著者が川見爽秋という人で、絵師がキサラサラという人らしい。
流石に本名でないことは一発で分かった。
「……ふむ、確かめようが無いな」
絵師としての芸名だろうと検討付けると、おもむろに時計を見て既に9時半から15分も経っていることに気づく。
ただでさえ書き出しに30分も手こずる人間が、全文完成させるには一体何時間必要なんだって話。
一分でも時間を執筆に当てたいところだ。
「つってもその書き出しだって出来てないから、今日中じゃ無理かなぁ」
期限は一週間設けられているためまだまだ焦る必要も無いかもしれないが、それこそこうして書き出しごときに苦戦している俺だ。一週間フルに使わないと完成しないかもしれない。
「んま、朝倉たちは今日は調査に行ってなかったって言ってたし、明日俺だけが全文完成させてアイツらを驚かせてやるのも面白いかもな」
よしこの意気で行こう藍住良太。
執筆に対する意欲が何処かで欠け始めていたが、そう考えたらみるみるやる気が湧いてきた。
そして小さく拳をグッと握ると、俺は机に置いていたペン──万年筆を掴み取り机へと向かう。
ちなみにこの万年筆も、新聞記者だった親父の置き土産である。
「……とりあえず『岬と流星』の書き出しをもう一度チェックしようか」
ついつい表紙に見惚れた俺は肝心の書き出し部分を確認するのを忘れていた。
再び万年筆を机に置くと、隅の方に寄せて置いた本を手に取る。
そして表紙を捲り目次を飛ばして本文へ。
…………。
なるほどわからん。
「流石に執筆経験が浅すぎる俺なんかが話題の小説をマネなんて出来るわけ無いか」
話題の本のコーナーにあるような本の書き方を模倣するなんて素人に出来るわけが無い。
それぐらい少し考えればわかるコトだ。
浅はかすぎた自分の考えに思わず溜め息を零す。
とその時、ベッドに置いたまんまになっている携帯に着信が入った。
布団の厚め固めの敷き布団の上だから、マナーモードになっている携帯のバイブレーション音は聞き取りやすい。
本の書き出しのページに指を挟み栞代わりにしながら、重い腰を持ち上げベッドの上の携帯を引っ掴む。
バイブレーションの長さからしても分かっていたが、液晶のディスプレイを確認すると電話であるコトが分かった。
そしてその画面に同じく表示されている発信者の名前を見る。
「混沌の……。充也か」
『混沌のラプソディ』と表示されたそれを確認して充也というコトを知ると、俺は渋々通話ボタンを押す。
本当は執筆に専念したいから出たくは無かったが、後からぐちぐち言われても面倒なので仕方ない。
『グッドゥアフタヌ〜ン、サイバーテロ予備軍、いや藍住良太くん』
「なんだお前、ラプソディじゃ無いな。切るぞ」
『待て待て、友人のこの昂ぶっているテンションをスルーするのか』
「その友人かどうかが危ういんだから。切るぞ」
『切り症かよ待てよ! ……待って下さい良太さん』
「さん付けキショいな。切るぞ」
『ちょ、マジで待てお前。ちょっと話があるんだよ』
流石にあんなテンションでいきなり話しかけられたら、誰でも相手が本人かどうか警戒するのも当然だろう。
だがまぁ口調からして本人だわな。この耳に残るような完成された男声は完全に充也のものだ。
「んでなんだ、話って」
時間が無いから出来るだけ手早く済ませて欲しいね。
俺はお前に割くほど時間に余裕は無いんだから。
『切らなくてありがとう。まぁ、つっても話というかちょっとした自慢話なん』
「切るわ」
『ちょっ待っ──』
はい、さようなら。
通話終了のボタンを押してアドレスから充也の番号からの着信を拒否。所謂『着拒』。
一つ溜め息を吐くと、俺は何事も無かったかのように携帯をベッドへ放ると再び机へと戻る。
「よし、再開しようか」
と意気込んだ矢先、再び電話の着信音だろうバイブレーションが聞こえた。
いい加減にして欲しい。俺には着信履歴を男に染める趣味は無い。
「ったく、面倒だな──」
俺は仕方なく椅子から立ち上がると、挟んだままの指を抜き本を机に戻してから携帯を取る。
そして通話ボタンを押すと、アイツに面倒くささ全開の口調で話してやろうと気怠そうな声で第一声を発した。
「は〜、んだよ全くこんな時間によー。俺は今から風呂にでも入ろうかと思ってたんだぞ〜」
あれ、でも俺さっき充也の番号着拒したよな……?
『え、えーと……藍住さんで、合ってますか?』
「…………はぁあああ!?」
はぁあああ!? 誰だよこの耳が癒されるようなよく通る綺麗な声は!
まだ"彼女"が何か喋っていたがそれを気にする間も無く、すぐさま携帯を耳から剥がしディスプレイを確認する。
『090-4726ー2885』
その液晶には、名前ではなくそんな携帯番号だけが表示されていた。
つまりは俺のアドレス帳には登録されていない番号からの着信、ということだ。
そんな見ず知らずの相手に俺は初対面から気怠さMAXの口調で話しかけてしまった。これは男として最低なのではなかろうか。
彼女も訝しんでるような声になってたし。
……でもさっきの声、どっかで聞いたことある。
「あーなんかすいません、俺の携帯には登録されてない番号みたいで」
『それはそうですよ、私だってさっき"教えてもらった"ばっかりですもの』
「……ん? 教えてもらった?」
『はい、藍住さんの番号を知っているという方から教えていただきました』
未だ正体がはっきりしない彼女は、俺の番号を『教えてもらった』と言った。
つまりは俺の番号を知っている人間からで無いとそれは成立しない。
俺のアドレス帳なんてせいぜい充也か優子ぐらいのしか入っていない。
相手が女性なら必然的に同性である優子が犯人、という考えに至る。
けど……、
「……もしかして君って、奇稲田?」
『ええ、もしかしなくても私は奇稲田琴美ですよ』
聞き覚えのある声の正体は、まさに今日職員棟調査の際に遭遇し会話をした奇稲田だ。
あの時は決めゼリフのような言葉を聞かれて恥ずかしかったから声をちゃんとは覚えてなかったが、改めて今声を聞いたら合点がいった。
この声は正真正銘充也を期待させて見事に裏切ってみせた奇稲田姫こと奇稲田琴美だー!
…………ということは。
「奇稲田……さん? 奇稲田さんが俺の番号教えてもらったっていう相手って、追崎って奴か?」
『はい、確かにそうです! 追崎……充也さんです!』
「……だよな、やっぱりアイツからだよな」
今日会った時点では"間違えていた"はずなのに、今は間違えてなかったな。まぁいいか、ひとつ楽しみが減ったぐらい。
「それで、俺になにか用でもあるのか?」
やがて話を戻すように俺は、奇稲田にそう訊く。充也に対してもそうだったが俺は今時間がない。
だからと言って相手は女子生徒だから充也の時のような扱いはとても出来ない。早いところ用事を済ませよう。
『はいそうなんです、ちょっとサイバー藍住さんにお話がありまして──』
「ちょっ……待て待て、まだその名前安定なのか」
『え、これが本名なのでは?』
そんなわけが無いだろ。
「そんなわけ無いでしょ……俺には藍住良太って言う真名があるのよ。ってこれ職員棟でも言ったよな……」
『あ、そうだったのですか! これはとんだ失礼を!』
素だったのかよ。
と俺は心の中でツッコむと、奇稲田は『ちょっと待ってくださいね』と一言残しそれっきり黙った。
微妙に聞こえるカツカツという音から察するに、恐らくなにか書いているのだろうか。
大方俺の名前を忘れないためにメモでも取ってるのかね。それ以外に今する必要のあるコトが無い。
『……っと、お待たせしました! 今軽く字を書いてみたんですが、どうです? 合ってますか?』
「…………いやいやビデオ通話じゃあるまいし。見えないよ」
声が何だか遠くへと伸びていった感じから、多分画面にメモかざす格好を取ったのだろうか。
普通の通話だから当然そのメモは見えないが。
『あっ! そうですね、すみません!』
アワアワしているのが、声からもちょっとした物音からも丸分かりだ。
それぐらいに慌ただしいヤツなんだろう、奇稲田という女は。職員棟四階での時も何だか落ち着かない雰囲気だったしな。
「それで、俺に用事があるんじゃないのか? 俺ちょっと今忙しいんだが」
一つ咳払いをしてリセットすると、俺は未だ慌ただしい様子の奇稲田にそう言う。
『そうでした、失念してました! そうです用事です。ちょっとした用事があるのですよサイバー……じゃない、藍住さん』
「……あぁそれは聞いた。それで、その内容は?」
最初は普通に『藍住さん』って呼んでたのになんでサイバーが馴染んでるんだよ。
まぁ初めは俺が俺かどうか怪しんでたし、多分そういうコトだろうけど。
『はいすみません! それで、内容というのは…………携帯電話のアドレスについてなんですけど』
彼女は携帯越しでも分かるぐらいに余所余所しい話し方で、そう俺に言ってきた。
奇稲田の声が頭の中で響き、少しして大体事情を把握した俺は口を開く。
「あー、充也の名前か?」
『そ、そうなんです! 充也さんに名前について指摘されたんですけど、どうも上手く登録変更出来なくて……』
「それで『サイバー』なんて言ってた俺のことだから機械系得意だろうな、と思って俺に当たったって感じか」
『全くその通りです……面目無いです』
今までの状況を整理してなるべく話が込まないようにと俺は、事情を予測して話を早く進めた。
「まぁ元は俺が悪いからいいさ。んで、具体的に何が分からないんだ? 単純な操作か?」
『はい、どこをどう押したら何が出来るのかが全くちんぷんかんぷんでして……』
「ちんぷんかんぷんなんてきょうび聞かねぇな……なんてことは置いといて。んと、とりあえず一から説明するぞ──」
奇稲田が機械音痴でありそして慌ただしい子であるコトを改めて知った俺は、そんな彼女に操作手順を教えていった。
〜〜〜
『──あっ、出来ました! ありがとうございます!』
「いやいいよ別に、気になさんな」
携帯越し故に声だけの指示だったが、何とか奇稲田はアドレス変更が上手くいったようだ。
多分充也も操作手順を説明したはずだろうが、アイツの指示では要領を得なかったのだろう。
だがしかし、仮にも『サイバーテロ予備軍』である俺は機械音痴だと思われる奇稲田を見事アドレス変更させるコトに成功した。
流石俺だな。サイバーテロ予備軍"だった"ことだけはある。
『それじゃあそろそろ切りますね。藍住さん用事があるんですものね?』
「あぁそうだな……つってももう10時回っちゃってるけどな」
だからと言って執筆をしないわけにもいかないが、軽く15分も文字を書こうと思っていなかったからか少しだけ気持ちが削がれていたり。
「あ、そういえば一ついいか?」
『はい何でしょう。藍住さんの言うコトなら何でも聞きますよ?』
俺はついでだから彼女に訊いておこう、と思った事柄を尋ねようと思い声をかけた。
だが彼女は単純にさっきの件について恩義を感じているからか、そんなアブナイ返答をしてくる。
今後の彼女のためにも一応注意をしてやりたいが、これがもし充也にまで影響したら充也は得するだろう。
名前の件も含めてアイツには悪いことしたな、とは思っているから注意するのはやめておいた。別に面白いことを期待しているわけではない。
そして気を取り直して、俺は彼女に質問をする。
「えーと……奇稲田ってさぁ、小説とか書いたりする?」
『え?』
さっきまで書き出しで詰まって、俺は本を参考にしている。
けど今ふと『奇稲田みたいなお嬢様っぽい子なら文学を心得てても不思議じゃないよな』と言う考えが頭を過った。
だから念のため訊いてみたわけだ。
『わ、私は特に嗜んでは無いですね。すみません』
「そりゃそうだわな。いいよいいよ、気にしなくて」
そうなると他に参考に出来る人なんていないよな……。
充也は論外として、新聞部(仮)のメンバーに訊くのは仲間でありながらも一応はライバルなのだから避けたいし、そもそも携帯番号を知らない。今度誰か一人ぐらいからは訊いておこうか。
だからと言って優子じゃ心許ないし第一小説書くことがバレたら馬鹿にされかねない……。
そんな風に悩んでいると『そういえば』と耳元に奇稲田の声が響いた。
『あの、実は私のお父さんが昔記者をやっていて、その関係で文章の書き方についての本を何冊か読んだことがあるのですが。それに書いてあったことでよければ、お話ししましょうか?』
「マジか。でもなー」
願ってもいないチャンス到来に心が跳ね上がるも束の間、奇稲田という女子生徒からの読み聞かせを高二になって受けるのはちょっと気恥ずかしい。
俺は少し考えてから「明日その本を貸してもらうことは出来ないか?」と尋ねた。
『……すみません、勝手にお父さんの本を持ち出すと怒られてしまうので……』
だがどうやら貸し出しは出来ないらしい。
それもそうだ、元々はお父さんの私物なんだから。勝手に他人に貸せるわけが無い。
「いやそりゃそうだよな、すまん。こっちが鈍感だったわ」
少し考えればわかるコトだっただけに、彼女が申し訳なさそうに謝ってきたことについ謝ってしまう。
そして選択肢が一本に絞られた俺は、だからと言って偶然にも手にした"参考書"を手放すことは出来ない。
恥ずかしながら、読み聞かせ受けさせて頂きます。
「えー、じゃあ奇稲田さん」
『あの、琴美……でいいですよ? あんまり苗字好きじゃないので』
彼女は苦笑気味にそう俺に言ってきた。
俺自身呼びにくいな、と何処と無く思っていたからありがたい。
「お、おぅ……それじゃあ琴美、さん。読み聞かせよろしくお願いいたします」
ついつい丁寧語になってしまった俺は、その流れで携帯を片手に少し頭を下げながらそう言った。
彼女の雰囲気に飲まれてしまったらしい。
『はい、こちらこそよろしくお願いいたします』
彼女の──奇稲田のその弾んだ口調で発せられた返答を聞き、俺はそれから約10分間黙々と奇稲田の澄んだ声を聞いていた。
* * *
「──結局、あいつのおかげで小説はある程度進められた。これで少なくとも朝倉たちから悪評は受けないだろう」
主に奇稲田が要領良く要点を掻い摘んで説明してくれたおかげで書けたんだが、俺はまるで自分一人の力で書いたと言わんばかりのドヤ顔を浮かべる。
まぁ、ちゃんと内心では感謝してますよ奇稲田には。
「……っ!? お兄ちゃん魚焦げてるよ!?」
「はっ!」
物思いに耽っていたせいか、今日の朝食の一品である焼き魚が俺の想定していた焼き加減をオーバーし焦げくさい臭いを発していた。
すぐさま換気扇を回して立ち込めた黒煙を外へ追い出す。
「もう、しっかりしてよお兄ちゃん。その魚お兄ちゃんのだからね」
「……分かってますとも」
ソファに座りながらも少しだけ怒った様子で優子はそう俺に命じてきた。
別に言われなくても、自分の焦がした魚を他人に食わせたりはしないけどね。
そんなこんなで調理は終わり、やがて朝食が完成する。
今日は昨日のことを思い返していただけにあまりしっかりとした料理は作れなかったが、まぁ問題なのは想定通りの朝食を作ることにあるから大丈夫だ。世界は平和だ。
そして数回に分け皿に盛った料理達を、俺はただ機械的に食卓へと並べる。
やがて今日の朝食全てを並べ終わると、エプロンを椅子の背もたれに掛けながら優子を呼んだ。
優子が目の前の席にピョンピョン歩きながら座ると、俺は手を合わせる。
「それじゃあ、いただきます」
「いた〜だ〜きますっ!」
朝食開始の挨拶をするとそれに次いで優子も口を開く。
けれども相変わらず変な口調だなぁ、と毎度のように思いながら俺は焦がした焼き魚にまず手をつけたのだった。




