岬と流星
この回の執筆者は立待月です。
授業という長い戦いを終え、迎えた後。
俺の足は図書室へと向かっていた。
職員棟というダンジョンから無事に帰還できたのが昨日。あらかたネタが揃ったため今日は小説を書くにはどのようにすればいいかを調べにきた。活字離れの若者の一人である俺は第一段階として、小説を読んでみることにしたのだ。
普段訪れることのない室内に入ると図書室特有の匂い――本の香りとでも言うのだろうか――が鼻孔をくすぐる。多くの本棚が規則正しく並べられ何処にどんな本があるか一目瞭然。中を見回すと静かに読書をする者や勉強をする者、借りる本を選んでいる者など様々だ。
俺は他の生徒の邪魔にならないように入り口近くに設けられた『話題の本』のコーナーへと近寄る。
ここには最近入庫した本やドラマ化あるいは映画化などした書籍が置いてある、と毎月一度発行される図書便りに書いてあった。
分かりやすいように並べられた本たちをざっと眺めた後、テレビCMでも見たことのあるドラマの原作書籍を一冊手に取る。
『岬と流星』。銀河を流れゆく星々が描かれた表紙を開き、文章に目を通す。
文頭は『僕』という少年の一人称で始まっていた。ずらずらと縦に並ぶ文字列を追っていくのは、国語の教科書より長い文をめったに読まない俺にとって苦行であり、難題である。
その理由は普段そういったものを読まないという以外に、もう一つの理由があるのも解っていた。
新聞記者である俺の父親。俺を、優子を家に残し置いていった藍住忠義のような活字好きと同類にはなりたくなかったからだ。
それは今でも変わらない。いくら部活動で小説を書こうとも、おそらく変わることはないだろう。
読書の気分でもなくなった。
俺がさして読んでもいない本をパタリと閉じ、元の場所へと戻そうとしたときだった。
「読まないの?」
「うわあ!」
すぐ近く、右隣から聞こえた少女の声に驚き、俺は思わず本を取り落した。
「図書室では静かに」
言って彼女は足元に落ちた本を拾い、表紙についた埃を手で払う。
「脅かすなよ、菅原」
心臓がバクバクいっている。
俺の脳内で『本の虫』としてインプットされている同じ部活のメンバー、菅原美乃が何を考えているのかわからない無表情でこちらを見ていた。
「脅かした覚えはない」
精神を落ち着かせながら思う。
そういえばこの女に話し掛けられたのは初めてだな。
「なんでここにいるんだ?」
言ってから「馬鹿か俺は」と思う。
分厚い本を読むことを日課としている彼女にとって、今の発言は愚問でしかないだろう。
だが目の前の少女から発せられた言葉は俺の予想とは違った。
「調査」
調査?
「ああ、そういや菅原は『普通棟』担当だったな」
納得。俺が職員棟視点の小説を書くというノルマを与えられたと同様、他の三人もそれぞれノルマがある。それが菅原は普通棟担当になったということだ。
「けど図書室なんて毎日来てるだろ。わざわざ調べる必要なんてないと思うが」
「いつもは本を読むため。今日は調査のため」
「目的が違うと?」
コクリと頷く菅原。
「そういうもんかー?」
よく分からんが……まあいいか。
こいつなりにノルマを達成しようとしてるのなら、俺がとやかく言う筋合いはない。
「本」
異常なほど白く、俺の二周りほど小さな手から渡されたのは、俺が先ほど取り落とした『岬と流星』だ。
「そこに戻してくれていいぞ」
置いてあった場所を指差す。
「これ……面白いから」
すぐ従うと思ったが、意外や意外。『面白いらしい本』を再び俺へずいっと突き出す。
相変わらずの無表情のためどういうつもりかはわからない。
単に読んで欲しいだけなのか、図書室を利用する人が増えてほしいのか。
「たまにはいいか」
俺は自然な動作で本を受け取っていた。
別にこの本が読みたくなったわけじゃない。
ただ、こいつの感情らしいものを初めて見た気がしたから。
「ありがとう」
「それは何に対してだ?」
俺の勘違い、思い違いかもしれないし、気のせいかもしれない。
貸し出し表にタイトルと名前を記す。
読む本も決まったことだし、ここに居る必要はもうないな。
俺は図書室を後にする。
最後に振り返って見た菅原の顔はどことなく笑っている気がした。




