その時
この回の執筆者は柚木葵さんです。
一通り調査を終えた俺は、部室へ一度戻ってみることにした。皆がいるかもしれないし、いないかもしれない。それは時の運次第というものだろう。
4階の廊下から見た空は、ほんのりと赤みがかっていた。すべてを赤に染めるような気さえした。
「誰かいますかー?」
そうつぶやきながら、俺は部室のドアを開けた。部室の中は真っ暗で、一寸先は闇という言葉がピッタリとあうほどだった。
「もう帰ったか……」
俺が部室に背中を向け、後ろ手にドアを閉めようとした時、
「やあ、藍住くん」
と部室の中から俺を呼ぶ声が聞こえた。
俺はドアを閉めるという動作を中断し、ドアのあたりにあった電気のスイッチを手探りで探し、それを点けた。
電気は二、三度点滅し、部室全体を明るい光で灯す。光の入る隙間のないほどピッチリと閉められたカーテン。部の名称にふさわしくないほど、お粗末な机や椅子しかないインテリア。そして、すでにすっかり見慣れてしまった部員三人の顔。
それは、まごうことなき俺たち『新聞部(仮)』の部室だった。
「なんで電気点けないんですか?」
「いや、その方が面白いかなと思って」
部長がすました顔でさも当たり前のように言った。
「何がだよ」
俺は嘆息しながら、入部して以来、自然と決まった俺の席へと座った。
菅原は相変わらず分厚い本を黙々と、俺が来たことすら気がつかないように、読んでいた。朝倉は何かを原稿に書き、部長はにやにやと気味の悪い笑みを浮かべていた。
というか、それをあの真っ暗な中でしていたのか。部長や朝倉なんて、目が悪いんじゃないのかよ。
「あ、藍住くん。おかえりー」
朝倉が顔を上げた。
「おう、ただいま」
「それで? 何か収穫はあったの?」
朝倉が肘をつきながら訊いた。
俺はさっきまでの職員棟での経験を想起した。だが、おかしなことしか思い出せなかった。
「あったというか……なかったというか……
一言で言えば、あそこはどこかのダンジョンだな」
そうとしか言えなかった。
「ふーん。まあ、何があったかは、藍住くんの記事を読んでからのお楽しみということにしましょうかね」
「皆はどうだったんだ?」
と、俺が訊くと、三人ともが同時に首を横へ振った。菅原、聞いていたのか。
「私たちは今日は行っていないわ」
「行ってないって。行かなきゃ記事も書けないだろう」
「まあそうなんだけどね……」
朝倉は言葉に詰まったようだった。言うべきことか、言ってもいいのかを迷っているようにも感じた。
すると、部長がそんな朝倉を見てか、横から口添えをした。
「少しこれからのことについて話し合っていたんだよ」
俺の眉がわずかに動いたのを感じた。
「それは……俺抜きでってことですよね?」
「まあそうなるね」
部長はやはり、すました顔で言った。
俺抜きでするべき、これからの話し。それはおそらく新聞部についてのことだろう。(仮)ではなく、真の新聞部について。『あの場所』とやらの奪還について。
「まだ、ダメなんでしょうか?」
俺は無意識につぶやいた。
俺がここへ入部してからほんのわずかしか経っていないが、それでも、ここの生活を楽しみを覚えてきたのだ。
だが、このままでいいはずがない。このままではいたくない。俺が知れることは、知っておきたいのだ。
だが、俺のそんな願いはたった一言で一掃された。
「ダメだ」
稀に見る真剣な面持ちになった部長はそう言った。
「これは君を信用していないとか、君を除外しているとか、そういったことではないんだ。
まだ時期としては早い。ただそれだけだよ。
ただ、これだけは君に言っておきたい。もし僕らに何かが起こった時、僕は君にすべてを託す。
それまでは、君を巻き込みたくはないんだよ」
部室に長い間、沈黙が流れた。菅原ですら、ページをめくる音さえ立てず、この部室だけ世界から切り離されたようだった。
こっちの世界と、あっちの世界。
内の世界と、外の世界。
僕らはこっち側にいて、彼らはあっち側にいる。
いや、僕だけはまだ、あっち側なのだろうか?
それは俺にもわからなかった。俺がどこにいるのか、俺にすらわからなかった。
「その時は……いつ来るんでしょうね」
「さあね。すぐかもしれないし、ずっと来ないのかもしれない。
すべては時の流れに身を任せるしかないのだろうね。僕たちは、それに抗うほど強い力は持っていないのだよ。
せいぜいわずかに曲げることができるくらいだろう」
部長は少し笑みを浮かべた。朝倉は強く拳を握りしめ、菅原はどこか一点を見つめていた。
「部長」
菅原が静かに本を閉じ、ささやくような声でつぶやいた。
「ふん? どうしたんだい?」
「格好つけているところ悪いですが、さっきからチャックが全開なのが気になります」
「早く言ってくれないかな?
そういうことは!」
部室は一転し笑い声に満ちた。
羞恥に頬を染めながら、焦ってチャックを締める部長。
そんな部長を指差しながら、大笑いする朝倉。
すでに興味を喪失したように、本に意識を向けている菅原。
僕は彼らが好きで、この部室が好きで、その部活が好きなのだ。
だからこそ、"その時"が待ち遠しくもあり、遠い時であってほしいとも、思うのだった。




