死にたくないから
「……キア!!」
目を開くと、目の前でぱっと少年の顔が華やいだ。
ルビーの瞳に雪色の髪、間違いなく刹那だ。
ということは自分は生きているらしい、とキアは考える。
白い天井、木枠の窓、差し込む温かな日差し。恐らくここは宿屋だ。
そう認識すると同時に、先程までいた空間を思い出す。
真っ暗の中話していたあの人は、誰だったのだろうか。
……いや。外がこれだけ明るいということは、もしかしたら日付けが変わっているのかも知れない。とすると先程ではないな、などとちらりと考えた。
「よかった、死んでなかった……」
「刹那、すごく嬉しそうな顔してる」
「え」
面食らったような表情をして、それから決まり悪げに視線を逸らす。キアはそれに小さく笑った。
「ねぇ、刹那が助けてくれたんでしょう?ありがとう」
暗闇の中で聞いたことを思い出して、笑みを浮かべて言う。すると刹那は一瞬驚いた顔をして、心配そうな表情をした。
「え?あ、その……助けたっていうよりは、寧ろ殺したんじゃないかって、ずっと心配だったんだけど」
「え?」
首を傾げる。殺されるどころか、苦しい思いは一瞬たりともしていない。刹那の心配の意味がわからなかった。
彼はしまった、という顔をした。暫く迷いを見せ、ついに諦めたのか俯き、少し震えた声で言う。
「……あの魔法は……ちょっとでも加減を間違えると殺してしまうから……」
「そうなの?」
黙った。暫く俯いたままで、それから何か決意したようにキアの方を向いた。
「あれは、時間を狂わす魔法。……ヒトの時間を狂わせると、一瞬で死ぬ」
一瞬で。――刹那で。
「世界で俺だけ、後にも先にも俺だけの、最凶に分類される魔法だ」
それが刹那。そんな恐ろしい魔法の、唯一の使い手。
想像して、キアは恐ろしくなった。そんな魔法をかけられていたこと、そして、そんな魔法の使い手が隣にいるということ。
死が想像できないような、幸せな人間ではなかった。祖国から逃げる途中、死が追ってくる気配も、それに捕らわれた沢山の人間も、その身で感じ、その目で見ている。大量の死の記憶は、一時的に封じることは出来ても忘れ去ることは出来ない。
刹那が笑った。少し悲しげな色をたたえて。
「帰ってもいいんだよ?」
いつになく優しい口調で言われたのは、想像もしていなかった台詞だった。
「え……?」
刹那がにっこりと笑う。
「怖いだろ?こんな奴。そばにいたら、いつ死ぬかわかんないよ?」
今なら引き返せるよ?と、刹那はキアの記憶の中で一番の笑顔を見せた。
「どうしてそんなこと……」
「だって、怖いって顔に書いてある。無理もない、君は死から逃げてこの国にきたんだから。だから、帰るなら今のうちだ」
瞬きした。そんな風に言われるとは、思っていなかった。
「死にたくないだろ?俺は一人でも大丈夫だし」
刹那は確かに笑っている。しかし、日に照らされたその表情はとても、儚げに見えた。
「ねぇ刹那」
首を傾げる刹那に、思い切り抱きついた。
「わ……!?」
驚きと焦燥を映した紅い瞳を真っ直ぐに見つめ、
「ねぇ、この状態で魔法使ってみてよ」
これで正しいはずだ。自分のことだから、わかる。
「……?」
刹那は次第に困惑顔へ変わった。
闇の中で与えられた『使命』、自分の中にある、今までなかった力。読心術の存在に慣れ親しんでいるからこそ、その存在を感じる。
それは恐らく、触れることで刹那の力を押さえ込む力。特に使い方を教えられた訳ではないが、魔法や仙術というのは感覚の世界だ、使うことができる。
「使えないでしょう?刹那の魔法で隔離されてる間にね、誰かの声がしたんだ。刹那を良く知ってる人らしいんだけど……その人がくれたんだよ、これ」
キアは真剣な表情で刹那を見た。
「これがなんなのかオレにはわかんないけど、でもね」
ぐい、と顔を近付ける。
「世界で唯一オレだけは、刹那の魔法を止めることが出来る」
そして、目を閉じる。
「ねぇ刹那、オレは、もっと世界が知りたくて、君についてきたんだよ。死ぬのは怖いけど、刹那を嫌いになったりはしない。約束する。だって――」
それから、笑った。
「君も、オレが知るべき世界の一部だもん」
刹那はじっとキアを見つめる。特別扱いされてきた刹那は、キアの言葉に驚かずにはいられなかった。
「だから、オレは引き返したりしないよ。それに、君がオレを殺しそうになったら、オレが全力で止めてあげる。君に殺させやしないから」
本当は優しい君の、その手でオレを殺させるようなことはしないから。
刹那は泣きそうな表情でキアを見た。
この人はどこまで分かっているのだろうか。
自分の周りの人を傷つけることがないようにわざわざ離れていく、そんな行動原理がどうしてわかったのだろうか。
それはキアの並外れた観察眼故なのだが、そんなことはどうでもいい。
「キア、君は――」
刹那が何か言おうとした、その時。
部屋のドアが、開いた。
「あっすいません、部屋間違え――」
一応説明しておくが、現在この日の当たる部屋では、キアが刹那に抱きつく体勢になっている。
「あっ……お取り込み中すいません……」
申し訳なさげにドアを閉める、部屋を間違えたらしい宿泊客。
「「え……あ、違いますからぁぁああぁあ!!!!」」
宿屋に、悲鳴が響いた。