黒い竜
バハムートの背中に乗り、山の頂を目指す。とにかく黒い竜と接触しないことには始まらない、らしい。
刹那は真っ直ぐに前を見つめていたが、ぽつりと
「……こういうのって、得意じゃないんだよなー……」
「……え?」
「相性が悪い、っていうか……」
「えぇええ!?」
大丈夫なの!?と身を乗り出すと、ぐらりと体が傾き、落ちそうになる。
「うわっ」
「危ないな。多分大丈夫だ、うん、そう信じてる」
キアを支えながらそう言うが、実に頼りない発言だ。
黒い竜に近づく。竜もこちらに気付いたようで、威嚇するような荒々しい声をあげた。
それに呼応するように、雷鳴が轟く。この雲を呼んでいるのが竜であることは明らかだった。
「これ……この状態がずっと続いたら、絶対畑も枯れちゃうよね」
「日が当たらないからな……バハムート、俺を山頂に下ろして」
刹那の発言に従い、緩やかに高度が落ちる。刹那が山頂に飛び降りると、物凄い突風が吹き荒れていた。
バハムートに乗って上空で待機しているキアからでも、刹那のマントがバタバタと靡いているのがわかる。
「これは……さっさと終わらせないと……」
呟く刹那の隣へ、キアも飛び降りた。
「わっ、飛ばされそう」
「確かに。キア軽いし」
「ひどっ、そんなに軽くないよ!!」
反論に小さく笑う。
「……兄貴の魔法がかかってた、痕跡がある……なんで解かれたんだ……?」
刹那が呟いた。魔法の痕跡などキアにはさっぱりわからないが、魔導師同士、もしくは兄弟同士、なにか感じるものがあるのだろう。
「竜の力が大きすぎて保たなかった、とか、そういうことはないの?」
「ん、普通だったらあり得るんだけど、兄貴に限ってはない。あいつの魔法は、何があっても絶対、本人が解かない限り解けないっていう、特殊な性質を持ってるんだ」
「じゃあ……まさか」
刹那の顔が苦しそうに歪む。
「兄ちゃんは……そんなこと、する人じゃ……」
キアとて信じたくない。刹那の気持ちは、更に大きなものだろう。
少し黙り込んでから、フルフルと首を振る。
「……今は、こいつを鎮めることが最優先だ」
いつの間にか右手に金色の横笛が握られていた。召喚したのだろうが、いつしたのかキアには全くわからなかった。流石だ。
「どうするの?」
「俺の魔法じゃ、永遠にあれを押さえ込み続けることはできない。だから、鎮めの歌を使う」
「鎮めの歌?」
「子守歌の一種だけど、力を込めることで精神の自然な安定を促す立派な魔法になる」
強制力が無いから持続させる必要がないのだ。それなら永久でなくてもできる。実はこれだけ大きな力を持ったものを鎮めるには相当な潜在能力が必要なのだが、その点は刹那は十分クリアしている。
刹那が横笛を構えた。そこへ竜が視線を向ける。
『なんだ……なんだお前は!!せっかく解放されたというのに、また我を縛り付けようというのか!!』
「喋った!?」
「神に祀り上げられた竜だから、喋ってもおかしくない。……というか、驚く所が間違ってる気がするんだけど」
冷静なツッコミを受け入れられるほどキアは落ち着いていないのだが、どうやら刹那は違うようだ。
『この我がこの街を守ってやっているというのに、この街の者はちっとも感謝をしていない!!神を畏れぬ者に制裁を下すのは、当然のことだ!』
戸惑う中でも怒りを感じたキアが、竜に向かって反論する。
「そっ……そんなことない!!みんなちゃんと、貴方を崇めてて」
『貴様に何がわかるというのだ!!』
「わかるよ!この街にいて、感じたもん!!」
竜に守られているという安心感、そして人々の、竜への信仰心。酒場の者、宿屋のおばさん、街の雰囲気などから、キアは敏感に感じ取っていた。それをこの竜が分かっていないということに、悲しさと共に苛立ちを覚えたのだ。
『無礼者め……神に刃向かうとは、なんと罰当たりなことか。貴様ら、前に我を封じ込めた者によく似ている。その愚かさ、この我が解らせてやろうぞ!』
咆哮が轟く。次いで、竜の口から炎が放たれた。
「キア!!」
その炎がキアへ向いたのに気づき、刹那が叫ぶ。
「――え?」
弱まった風で勢いを増した炎は、ゴオッと音を立ててキアを飲み込んだ。
「キア……っ」
紅い瞳に映る炎は、更に勢いを増して燃え上がる。
『どうだ、友を目の前で燃やされる気持ちは!!悲しいか!?苦しいか!?自分が死ぬより辛いだろう!!思い知れ、これが神を崇めぬ愚か者への制裁だ!!』
竜が雄叫びを上げた。憎悪に染まった竜の声は、街中に響き渡って人々を震え上がらせる。
『さぁ、次は恩深き我を忘れたこの街への制裁だ――』
竜が街へ向けて炎を吐き出そうとした、その時。
「……まれ……黙れ!!!」
強大な力が、刹那から立ち上った。
荒れ狂う力は炎を包み込み、山頂付近全体を覆ってゆく。
『なんだこれは……結界、か?』
右目の眼帯はしたまま、左目は怒りを映している。先程までとは迸る力も纏う雰囲気も全く違う。真っ正面から刹那に睨まれた竜は、少し後退りした。
『貴様……一体……』
何者だ、と問われ、はっと刹那が元の静かな瞳を取り戻す。
一瞬ばつの悪そうな顔をして、それからひとつ深呼吸をする。
「……何者だっていい。目を覚ませ」
冷静な口調で、しかし背後の荒れ狂う力は抑えぬまま、そう言って横笛を構え直した。
『……これは……ッ』
澄んだ音色が響き渡る。優しい旋律が、竜だけでなく街全体を包み込んだ。
『なんだ……これは……我は……』
普段の刹那からは想像出来ないような、慈愛に満ち溢れた音。ゆりかごに揺られているような、心地よい気持ちが心に広がっていく。
『そうだ……我は、あの男にそそのかされたのだ……封じられても、冷静になろうともせず……我ともあろう者が、なんということだ……』
笛を吹きながら、竜の懺悔に耳を傾ける。
(唆された……お前は崇められていない、とでもいわれたのかな。でもあの男って誰だ……?兄ちゃんじゃないっぽいし……)
『少年よ、迷惑をかけたな。連れの方は、もうどうにかしたようだ。謝罪を込めて、我が些細な贈り物をしよう――』
「え……」
視界の端に、白い光が映る。
瞬間、光が広がり、目の前が真っ白になった。
ここは……?
ここは、どこだろう。
真っ暗で何も見えない。
……あ、笛の音が聞こえる。
優しい曲だな。刹那かな?
刹那、どこにいるの?
――この音が聞こえる?
え?誰?誰かいるの?
――この音、とても優しいだろう?
うん、優しくて、温かいよ。
――これが、本当の刹那なんだ
本当の……?
――そう 優しくて真っ直ぐな刹那 君が知っている刹那とは、全然違うかも知れないけど
真っ直ぐかは分からないけど……でも、刹那は優しいよ
オレを助けてくれるのは、いつも刹那だから
――そうか 刹那は、良い友達を持ったね……ところで君、自分がどうしてここにいるか知ってる?
え?ううん。炎に包まれて……あれ?そういえばなんでオレ、生きてるんだろう。
――そうだね 君は死にかけた だけど、彼のお陰で生きのびたんだよ
え?どういうこと?
――君を助けたい一心で、彼の固有の魔法が発動したんだね
固有の魔法?
――そう 時を狂わす魔法だ
そんなことができるの?
――ああ、できるよ、彼だけは でも、あまりに強大で発動の制御が難しいんだ 激しい感情によって無意識に発動させてしまうこともある だから彼、あまり感情を表にださないだろう?
そういうことだったんだ……
――でも、彼、優しい故に激しやすいんだよ
そうなの?良く知ってるんだね、刹那のこと
――もちろん 君よりもずっと長く彼と共にいたからね
え?……あなたは、もしかして……
――でも、これからは君の方が彼のそばにいる 君に、一つ使命を与えよう
待って、あなたは、――っ眩し……!
――さぁ、これで、彼を制御できるのは世界で君だけだ
え……?
――君を元の世界へ返そう こんな時間の狭間に、長くいない方がいい
ちょっとまってよ!!まだ、聞きたいことがっ……
――刹那を よろしく頼むよ……
待……わっ――