旅立ち
「キア」
呼ばれたキアは振り返り、「何?」と首を傾げる。
母親は、優しげな表情を浮かべていた。
「これを持っていきなさい。役に立つ時があるはずよ」
「これって……」
首にかけられたのは、金色の懐中時計。
でも、それは時計ではない。
蓋の内側に模様のように描かれた魔法陣は、通信、記録を司るものだ。
「彼に聞いたら、魔導師達は通信の魔法陣を身体に描くらしいの」
刺青ではない。見えぬ烙印だ。力を通すと青白く発光する魔法陣を、まるでスタンプのように身体のすきなところに捺すのだという。
「キアにもできるか聞いたら、やめた方がいいと言われたわ。維持するのに微量の力を使ってるから、キアにはお薦めできないと」
もともとキアの力は、読心術に特化するように性質変化してしまっている。簡単な魔法ならばそんな力でも使えるが、大掛かりな魔法には使えないし、魔法陣の維持にも向いていない。
「だから、その代わりよ。あなたから彼に、私に、誰かに、連絡できるように。そして――記録の方は、わかるわね?」
「うん」
自信満々に頷く。読んだ心を記録する魔法陣だ。キアの家業には欠かせないもので、使い慣れている。
「ありがとう、母さん」
嬉しそうに笑うキアに、母親は優しく微笑んだ。
「本当に――あの子のお陰ね」
こんなにも、表情が豊かになったのは。
二日後、母親に見送られキアは旅立った。勿論刹那と共に。
少しのお金も持たせて貰い、安心した出発となった。
「そういえば刹那は何でお金稼いでたの?」
「ギャンブルと芸」
「……」
石畳の街道を歩きながら、思わず黙り込んだ。育ちの良いキアからしたら有り得ない。
「だって、仕方ないよ。俺みたいな放浪者が仕事なんてつけないし、魔導師ってことはなるべく知られたくない」
「どうして?」
「本教会に知られたら、追いかけられて殺されかねない。今偽教会の純血は少ないけど、絶やしちゃいけないから……」
「あ……えっと、なんかごめん」
「え?」
キアの一族とて迫害され虐殺されたが、まだそこまで切羽詰まってはいない。再興の見込みがある。数年前の話だからだ。しかし100年前に滅亡させられた一族の生き残りとなると、キア達に比べて人数が少なすぎる。再興の見込みなどもうないし、誰一人として殺されないことが血を繋ぐ最大の条件とも言えてくるだろう。
何が?というふうに首を傾げる刹那になんでもないと返し、前を向く。
悲劇に見回れているのは、自分達だけではないのだ。
誰一人肉親が近くにいない少年が、隣にいるのだから。
「刹那、最初は何処へ行くの?」
「最初は……」
どこからか地図を取り出し、開く。
「ここ」
現在地よりも少し東を指して、
「竜に護られた街だ」
楽しそうに笑みを浮かべた。
その夜。
二人旅初めての夜は、宿もとらずに酒場にいた。
刹那が言っていた芸とは、宿屋で行うマジックだった。
「じゃあこの紙切れ――そうだな、すり替えられないようにマークを書いておく」
ペンを取り出して書く。それは、キアも見たことのある印だった。
「じゃ、いくよ。――ほら」
手を握り、また開く。するとそこに紙切れは無かった。
おぉー、と歓声が上がる。ネタが分かるキアは黙ったまま笑みを浮かべていた。
召喚魔法を使っているだけだ。書いた印は、召喚するものに予めつけておく印。魔導師だとバレていないのを良いことに、手品と言い張って酒場でこういう見せ物をして、お金を稼いでいるのだ。
「そして、ほら」
くるりと手を回し開くと、ひらひらと模様の書いてある紙が舞い落ちた。さっきの紙だ。
「面白いな」
ちゃり、と刹那の前の机に硬貨が置かれる。それを皮切りに次々とお金が積まれた。
珍しいのだ。キアが最初に驚いたように。流浪の旅人である刹那は、同じ酒場で同じ芸はやらない、むしろやれない。だからこそまた稼げる。
キアは酒場というものもあまり来たことが無かったが、この陽気な雰囲気は気に入った。酒が飲めなくても、初めてでも、いるだけで楽しくなるような賑やかさを持っている。人はそこまで多い訳ではなく、五月蠅くないほどほどの、心地よい賑わいだ。
「キア、酒飲まないの?」
酒場の客と話していた刹那が振り向いた。
「あ……苦手だから」
「そか。じゃあここ来ない方が良かったか」
「え、ううん。雰囲気は好きだよ」
「なら良かった」
少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべて、彼はぐいっとグラスの酒を飲み干す。
「なんだ、そいつは。酒飲めないのか」
明らかに酔っている客が言った。刹那は一瞬行動を止めて、それから「あぁ」と返事を返す。
「こーゆーわけで」
隣に座るキアをぐいっと抱き寄せ、ニヤリと笑って見せる。戸惑うキアをよそに、刹那はキアの額に口付けた。
「お前の女か!?ヒュー、若いのにやるねぇ」
「でもよ、女にしちゃ髪が短すぎるだろ」
「家内で揉めて、追われてるから。変装だ」
嘘を次々と繰り出す刹那に呆然とする。
「ははぁ、なるほど。男にしちゃ綺麗すぎるわな!!」
「だからって手出したら殺すぞ」
「おお怖い怖い!!」
がはははは!!と豪快な笑いが起こる。キアが状況についていけず刹那の服を小さく引っ張ると、刹那は「ごめん」と囁いた。
「でも、ここで男が酒飲めないなんて言うと、なんだ意気地なし、とか言われて無理矢理にでも飲まされるから……。いきなりごめん」
彼の手が、そっと額を撫でる。キアはふるふると首を振った。
「大丈夫。ありがとう」
気にかけてくれて、と付け足すと、そりゃそうだよと返された。
3杯目のビールを飲み干す刹那を、じっと見つめる。
キスされて、嫌じゃなかった、なんて言えないまま。