仙術を操る異国の者・キア
「オレの住んでた街も、赤くて、派手だったんだ」
バハムートの背中で、キアは記憶をたぐり寄せていた。
隣では、マントの模様を薄く発光させた刹那が黙って聞いている。地面には雪が積もっているのに長袖シャツ一枚でいられるのは、刹那がこうして魔法を使っているお陰だ。
「色んな行事があって、その度にどんちゃん騒ぎで……明るい人が多かったよ。でもみんな商売上手というか、内心では利己的だった」
「読んだのか」
「うん。あの頃は、会った人の心を片っ端から読んでたよ。それこそ、息をするように」
今は違うけど、と少し笑う。
「ああ、あとそれから。白い動物は神として崇める風習が――」
あ、と刹那を見る。白い動物、つまりアルビノ個体だ。ヘビや鳥だけであんなに有り難がっていたのに、人間となれば。
刹那と目が合った。まじかよ、と目が訴えている。キアは少しの沈黙の後、「フードは被りっぱなしがいいかも」と答えた。
眼下の針葉樹林が途切れ、雪の積もった高原が見えた。そこに、石垣に囲まれた街がある。赤い大きな門、現地の建築方法とは違う独特の建て方。キアはそれに懐かしさを感じていた。
それは確かに、故郷と似た景色だ。
刹那もそれを見つけ、バサリとフードを被る。「降りるよ」とキアを抱き寄せた。
時計塔の街に降りたときと同じ方法を採る気なのだろう、と察し、覚悟を決める。視界の端で刹那のマントが輝いたのを認め、ぎゅっと目を閉じ、バハムートの背中を蹴った。
身体が宙に浮いて、風を切る。下向きの力が作り出す言いようのない感覚に耐え、死を覚悟し始める本能を理性で制御し、着地の瞬間が来るのを待った。
紙切れが一枚床に落ちるように軽く、二人の身体は地に届き、魔法が解けた瞬間に重さで雪に沈む。
「冷たッ!?」
「雪だから当たり前だと」
「あ、そっか……いやそうなんだけど、全然寒くないのに冷たいから」
びっくりして、と釈明するキアに刹那は「ああ」と納得する。
「俺の魔法はキアの回りの空気を温めているだけだから。雪自体の温度や、キアの温度感覚には干渉してない」
今度はキアが納得顔で頷く。それから起き上がり、服についた雪を払った。
「わ、濡れちゃったか。冷たい」
「乾かす?」
「え、いいよ、これ以上魔法使わないで」
そう、と少し不満げな顔をして刹那が起き上がる。辺りを見回して、自分の足元を見、キアを見た。
「何?」
「……悪いけど、魔法、使う」
え?とキアが呆けた隙に、刹那はぐいとその手を引っ張る。よろけたキアをしっかり受け止め、仄かな紫色を放つマントの模様を更に輝かせ、ふっと一瞬、視界を奪った。
視界がホワイトアウトしたのは本当に一瞬で、すぐに色が戻ってくる。それでもなお白い視界に、自分がまだ銀世界にいることを確信する。
ここどこ、と聞こうとして、辺りを見回したキアは、代わりに「へ?」と声をあげた。さっきの感覚は、時計塔から落ちた後と同じ、逆召喚だと思ったのだが、意外にも召喚先は数十メートル先だったのだ。
たかが数十メートルを、大して力も回復していない状態で、逆召喚などという大変な魔法で移動する必要はあったのかと眉を顰める。その横で刹那は大きく息を吸い込み、呼吸を正していた。
よし、と刹那は前を向く。目の前は大きな赤い門だ。彼はその重厚な扉を開くべく、一歩を踏み出した。
――そして、深く積もった雪に足をとられ、「あぅ」と声をあげて転んだ。
「えっ?だ、大丈夫?」
「……うー」
「もしかして刹那、雪の上歩いたことないの?」
キアが尋ねる側から、刹那は立ち上がろうともがいて、更に深みにはまっていく。上目遣いの紫眼が「助けろ」と言っていた。
「あ、うん……はい」
手を差し伸べる。それを掴んで、刹那はやっと立ち上がった。
「……だから、魔法で移動した」
「オレたちの地方はこのくらい降ったから……」
慣れたものだ、というキアに対し、刹那の出身地は豪雪地帯ではない。雪合戦を楽しめる程度で、しかも年に数回しか降らない。
キアはすたすたと扉に近づいて、押し開ける。その後ろに、足元に全注意力を向けながら歩く刹那が続いた。
「うわっ、誰だ!?」
押し開けた瞬間、キアに槍が向く。キアも戸惑ったが、明らかに東洋人顔の門番らしき男のほうが戸惑っていた。咄嗟に両手をあげて、事情を説明しようと「あの」と言いかける。
「……あれ?」
しかしそれより先に、槍を向けた男の表情が変わる。
「みな……じゃない、ハーフェンの、息子さん?」
「あ、えと……ご存知……なんでしょうか……」
「え、えええほほほほ本物!?うわっ、えっ、し、失礼しました!中へどうぞ!あっお連れの方も!」
男は慌てた表情で扉を全開にする。「今、長を呼んできますので!」とコケながら走り去った男を見送って、刹那は少しだけフードを上げた。
「見事な変わり様」
「うん……どうしたんだろう」
「どうって、そりゃ……キアのお母さん、こんな辺鄙な所に住んでる人と比べたら、尊敬に値する成功者だろ」
刹那に指摘されて、そういうものかと再認識する。キアの家は副都の郊外で、副都周辺に比べたら田舎だと思っていたのだが、さすがに万年雪の平原よりは都会だ。しかも一応貴族である。
さっき走っていった男が、走って戻ってくるのが見える。また同じ場所でコケそうになったが、見事キアたちの元までたどり着いた。
「長が、お呼びです……こちらへ……」
「あの、すごい息切れしてるけど大丈夫ですか?」
大丈夫です、と大丈夫じゃなさそうに男は返す。
男は二人を連れて歩き出し、また同じどころで躓いた。
「キア!大きくなったな。ようこそ桃華郷へ!」
笑顔の長を前に、キアは戸惑っていた。
彼はキアを知っているようなのだが、正直記憶がない。一緒に逃げているグループの中にいたのだろうか。刹那に助けを求めるわけにもいかないので、先程から曖昧な返事でやりすごしている。
長の家は巨大な石造りの門があるやはり赤い家で、家自体は木造のようであった。こちらではなかなか見かけない建築様式なのですこし懐かしさを覚える。
刹那はフードを被ったまま、キアの右斜め後ろでじっとしている。俯いているが、耳にかけているのか銀髪は垂れていない。
「して、その後ろにいるのは?」
その刹那に話題が向いた。彼は少し顔をあげる。
「あ、彼はオレの――友達、で……」
友達、というべきか迷ったが他に言葉が見つからなかったのでそう答える。通信魔法陣からネックストラップを伝って「保護者じゃね」と刹那の声が聞こえた。
外部にあるためいちいち声に出さないといけないキアに対し、埋め込み型の刹那は言わなくても思った言葉を伝えることができる。刹那はキアに通信魔法陣で「誰?知り合い?」と質問を浴びせながら、自身は「お初お目にかかります」と長を見た。
「君は、西洋人かね」
「はい」
「一般人かね」
「いえ、一般人よりも下の地位に属します」
「……この国に奴隷制度はなかった筈だが?」
「奴隷ではありません。しかし、表立って出てくることを禁じられています、社会から」
「……君はなんだね」
「魔導師です」
二人のなぞなぞのような掛け合いを、キアは黙って見ている。
「魔導師なら、街にはびこっているではないか。我らを街から追い出したのも、彼らだ」
怒りが見え隠れする長の言葉を聞きいて、キアはそうだったのかと納得する。東洋人であるからと社会的に差別されて追い出されたのだろう。
「貴方がいらした約3年前には、もういませんでした。俺達が迫害され始めたのは100年前なので」
「……簡潔に言いなさい」
「街で見かけたであろう魔導師は本教会魔導師、俺達は彼らから迫害された偽教会魔導師です」
あるとめとーで?とキアは首を傾げる。あとで聞いてみよう。
「違いはなんだね」
「アルト・メトーデは宗教と密接な関係にあり、自分の力は神に与えられたものだと定義します。発動には簡易的な儀式を用いる他、生活に密着した魔法が殆どです。対し、ノイ・メトーデは魔法を道具と捉えます。円に脳内の魔法陣を転写することで発動し、主に攻撃魔法を扱います。攻撃魔法が使えるのはノイ・メトーデのみです」
流暢に刹那は説明する。まるで暗記した言葉の羅列を口に出すように。その語尾から明確な感情は読み取れず、営業用といった雰囲気が強い。何度も説明してきたのだろう。
長はそれを聞いて暫く考え込む。
「……原則、ここへの魔導師の立ち入りは禁止だが、今回は許可しよう。我々の敵はアルト・メトーデという魔導師らしいのでな」
「有り難く存じます」
そう言いながらも、刹那の顔は無表情のままだ。当然とか思ってるかもしれないなとキアは勝手な推測をする。
「だがな、魔導師よ」
刹那が首を傾げる。
「一度そのマントを脱いで見せて欲しい。見るからに怪しい立ち居でだと思わぬか」
え、と二人が固まった。
言われてみれば確かにその通りだ。黒いマントに黒いフードを被り、黒いズボンを穿き下も黒いタイツ。マントの赤いリボンと白い模様以外真っ黒なんて、不審者極まりない。刹那としては目立ちやすい自分の配色をカバーする為に使いやすい色なのだが、逆効果な時だって勿論ある。
キアと刹那は視線を合わせた。ここで見せたら、神として崇められて面倒くさい事になる予感がする。かといって長に不審がられたまま過ごすのも面倒だ。ここに長期間滞在する気はないが、キアが好かれている一方で刹那が嫌われたら立ち回りに困る。
打開策になるかは分からないが、キアが口を開いた。
「長。その前に一つ質問があるのですが」
「なんだね」
「オレが村にいた頃は、白い動物を崇める習慣がありました。ここでもその習慣はありますか?」
問いに、長はにこりと笑う。
「勿論だとも!」
状況は改善しなかった。
「ここでは色々な不自由があるからな、昔以上に力を入れて祈りを捧げておる」
むしろ悪化だ。
上手い逃げ口上も思いつかず、刹那は渋々フードに手をかける。俯いてフードの端を掴んだまま、こう言った。
「長。先に言っておきますが、俺は人間です」
何を今更という顔をする長の前で、刹那はゆっくりとフードを取る。同時に彼は眼帯をも外した。
そこに現れた少年の姿に、長だけでなく召使いや同席した役人、案内役の門番までもが、息を呑む。
真っ黒の中から現れ、はらりと零れ落ちた銀糸。それに縁取られた氷のような肌、彫り込まれた端正な顔。そこに浮かぶ紅玉と紫水晶の瞳。凛とした眼光の先で、長ははっと我に返った。
ぱくぱくと口を動かすものの、声は発せられない。暫くその状態が続き、やっと長は「そなたは……」と呟いた。
「昔は神童とか、言われたらしいですが。俺は人間です。汚く汚れ、落ちぶれた人間」
薄い笑みを浮かべて、彼はそう言った。
「そんなことないよ、刹那は――」
その言い草は、刹那に信頼を寄せる者に不快感を与えるほど自嘲を帯びている。謙遜だろうと推測し、キアはフォローしようとしたのだが。
「――キア。黙って」
刹那はぴしゃりと言い放った。
「え」
「お前は俺を評価出来るほど俺を知らない」
「……っ、それは、刹那が教えてくれないからで」
「そう。俺は教える気はない。いつかお前が気付くまで」
ぐわっと苛立ちが募った。原因は自分でもはっきりと言葉に出来ないが、刹那の言い方が頭にきた。意味が分からない。教えないくせに、知らないんだから評価するな、なんて、それは。
「話が矛盾して――」
「お前が俺に対し、どんな印象を持つかは自由。だけど、お前は俺を現状評価できないし、されようと思ってはいない。……それで、長。ご理解頂けましたか」
話を振られた長は明らかに慌てたが、居住まいを正してコホンと咳払いをし、「う、うむ」と頷いた。
「君の滞在を正式に認めよう」
有り難うございます、と刹那は頭を下げる。下がって良いと言われると、彼は行くよとキアに声を掛け、長の家を出て行った。
キアももやもやした気持ちを抱えながら後に続いた。
この感情はなんだろうか。
キアは一人で懐かしい雰囲気の町を歩いていた。
刹那はさっさと町の端に宿を取り、というか東洋人顔のキアに宿を取らせ、部屋に籠もってしまった。部屋の中でもフードを外さず、簡易的な結界のようなものまで張るという念の入れようだ。それに対しキアもツッコミは入れなかった。ここの住人なら透視系の能力者もいておかしくないからだ。キアが昔そうだったように、珍しく来た客の部屋を躊躇無く視るだろう。
昔食べたお菓子の香りや記憶にある線香の匂い、宿屋の店主に借りたコートに包まれながら、キアはぼうっと町を歩く。
キアには刹那が頑なに心を開かない理由が分からない。
確実に、何か自分では対処しきれないものを抱えているのに。
心が分からなければ、関係はいつヒビが入ってもおかしくないし、相談に乗るにも乗れない。良いことなど何もない。刹那にだって得なことは無いはずだ。
レーゼには「踏み込まれるのを嫌うから」と言われたが、その感覚すらキアにはわからない。心の中を知って、それを自分の頭の中に置いておく。それのどこが「踏み込まれる」ことになるのかキアは理解できなかった。
先程の刹那の言い草に腹を立ててから、ずっとその事を考えている。そのせいで、キアは進行方向の障害物に気付かなかった。
「っ!?」
向かってきた、沢山の荷物を積んだ台車にぶつかる。木箱の角に額をぶつけて、痛みがじわっと広がった。
「おやぁ、大丈夫かい?悪いね、前が見えなくて――おや?」
台車を押していた老婆がキアの元へやってくる。二人は互いに既知の人物であると気づき、目を見開いた。
「ライばあちゃん……?」
「坊ちゃんじゃないか。どうしたんだい?――あらあら、血が出てるね。うちに一度おいで」
優しく笑う老婆の言葉に頷き、キアは立ち上がる。台車を押す役目を引き受け、話ながら老婆の家へ向かった。
ライという老婆は、母国にいた時キアの近所に住んでいて、よくキアの面倒を見てくれた仙術師だった。
村に虐殺命令が下って他国へ逃げることになった時も、一緒に逃げてきた。
手当てをして貰いながら、キアと母親が逃亡集団を離脱した後の話を聞く。
「じゃあやっぱり、ここはあの村の人達が沢山いるんだね」
「他にも沢山合流して、色々な村の人々が共存しているよ。街に弾かれた者達がね。それよか、坊ちゃんはなんでここに来たんだい?母さんの姿を見ないが」
「母さんは一緒じゃないよ。旅してるんだ」
ほぉ、とライは目を見開く。一人旅かい、と聞かれたので、ううんと首を振った。
「偽教会魔導師の子と一緒」
「……魔導師、かい?どこで知り合ったんだ」
不審感を感じ、違う、とまた首を振る。彼との出会いや偽教会魔導師という存在について知っていることを話すと、そうかい、とほっとしたようだった。
「大変だろう、仙術師でない人と付き合うのは」
「うん、さっきもちょっと喧嘩した」
おやおや、と言う割にライは心配はしていない。キアが首を傾げると「喧嘩するとは良いことだ」と笑った。
「……なんで?」
「坊ちゃんはあまり喧嘩したことがないんじゃないかい?」
「え、喧嘩くらいしたこと――ん?あれ?そういえば……」
周りの友達がしていたから、喧嘩という行為に違和感は無かったが、そういえば当事者になったことはないかも知れない。「坊ちゃんは心が分かるからねぇ」とライは笑った。
昔ながらの薬草からできた軟膏を塗って貰う。3年前まで普通に嗅いでいた香りが、今では懐かしい。こちらに来てから使っているレーゼの薬はもっと違う匂いだ。
ライは「できたよ」とポンと肩を叩いた。ありがとう、と返したキアに無言で笑う。その笑顔が本物であることをキアは知っているし、心からキアを気にかけてくれるライが好きだった。
お茶を用意すると言われたので、時計を見てから頷く。まだ夕飯にも早いし、疲労困憊の刹那はぐっすり寝ていて貰おうというキアなりの配慮だ。彼の態度は気に食わなかったが、それだけで嫌いになれる訳がなかった。
出されたお茶と、懐かしい味のお菓子を頬張るのをライは嬉しそうに見ていた。そしてキアを見ながら「大きくなったねぇ」と呟く。
「坊ちゃん、その魔導師の子の心が読めないんだろう」
「!?」
思わずお茶をこぼしそうになった。なんでわかったの、と問うと、「喧嘩するってことはそういうことだろう」と言われて黙る。確かにそうだ。
「読めないというか、読む気にならないというか……」
「読めない筈だよ。今度読んでみると良い。坊ちゃんの父さんもそうだった」
「父さんも?」
「ああ、あれも坊ちゃんと同じくらいの時だったかねぇ……大きくなったもんだ」
しみじみと言うライの言葉に、キアは二個目のお菓子を食べながら首を傾げる。「あの子は、息子に何も伝えずに逝っちゃったからねぇ」と溜め息をついてから、ライはとても重要なことを教えてくれたのだった。
「読心術師が心を読めない相手は、家族と、これから自分と一生を共にするパートナーだけなんだそうだ」