世界を壊す力をあげるよ
「仲間……って……」
扉がゆっくりと開ききる。その先、ステンドグラスの光しかない小部屋では、ケルンと、先程見かけた少女、たくさんの黒いコートを着た魔導師達が、一様に此方を見ていた。
「僕の見当違いだったようだね、キア君」
嘲笑を浮かべた紫紺の瞳がキアを射抜く。びくりと肩を震わせると、刹那が身体を引き摺って前に出た。
「見当違いなんかじゃない。こいつは魔導師じゃない」
「ああ、知ってるよ。だけど、魔導師より遥かに面白いモノを持っているじゃないか。君が暴走しなかったのは彼のおかげだろう、月緋」
ケルンは優美に笑う。怪しい笑みだ。刹那は盛大に舌打ちした。
キアをケルンに奪われたら、それは刹那にとって大事件だ。
キアを守る、という約束を、破る訳にはいかない。腕を払って刀を召喚する。
ケルンは目を細めて、「おやぁ?」と首を傾げた。
「今君が魔法を使ったら、暴走を誘発して自爆するだけだと思うけどね?」
「自分の魔法陣で暴走する訳ない。馬鹿にしすぎ――」
「馬鹿だよ、君。自分の異変に気付いてないのかい」
刹那は「え?」と動きを止める。キアは刹那を見たが、特に異常は見られない。
騙したのかと声を上げようとした時、キアの耳に突然、幾つもの断末魔がこだました。
「う……うぅ……」
思わず耳を塞ぐが、直接脳裏に伝わるその声は弱まらない。単発ならなんとも思わなかったこの声も、一斉に響き出すと吐き気を誘う。
「キア?」
刹那が振り向く。苦しんでいるキアを認め、彼を保護する魔法を発動しようとする。
マントの模様を淡く光らせた瞬間、刹那は、力が過度に流れ出すのを感じた。
「――!!」
慌てて発動をキャンセルする。ケルンを睨むと、彼は俯いて肩を震わせていた。
ふふ、と笑い声が漏れる。
「知ってるんだよ、月緋。君のファミリーネームも、それが示す意味も。――あのね、ここは数十年前まで処刑場でもあったんだ」
だからこんなに断末魔が聞こえるのか、とキアは感心したが、そんな場合じゃない。
「ねぇ月緋。君、そういう所だと力が増幅するだろう?」
「……!!」
刹那が目を見開く。
「君の家って、そういう家だもんね?」
「……何を……」
「ああ、君がそれを知らなくても当たり前かな」
誰も知らないかもね、とケルンは笑った。
「でも、そんなことどうだっていいんだよ!!!!誰かを傷つけたくないだろう?自分の力が怖いんだろう?僕の仲間になれば、世界を変える力をあげる。幸せにするも、不幸にするも、君の思い通りだ」
「そんな力、俺は」
「いいの?例えばそこの彼、このままじゃ弱っちゃうと思うけど」
ちっ、とまた刹那は舌打ちをする。すぐ後ろでうずくまるキアを視界の端に認め、彼はマントの模様を光らせた。
「その勇気には完敗だけどね――」
ケルンは楽しそうに目を細め、彼の周りにいる魔導師達に目配せする。先程の少女が前に出て、黒革のコートの裾の模様を光らせた。
「こういうのは、先手必勝って言うだろう?」
対峙した二人の魔導師の力が爆発する。しかし少女の方が一瞬早く、ピッと刹那の頬に切り傷ができる。少女は連続で魔法を繰り出し、刹那の放った魔法の5分の4ほどは防御でかわした。残り5分の1の威力で少し吹っ飛ばされたが、大したダメージはない。
キアはその戦闘を、おぞましい声に魘されながら見ていた。
刹那は、発動から行使までの僅かな時間に攻撃をされて傷だらけだが、彼が放つ魔法は確実に強力になっている。時折苦しそうな表情さえ見受けられる。暴走まであと少し、ということかもしれない。
止めなければ、なんの為に自分はここにいるんだ、と手を伸ばすものの、身体が思うように動かない。
ぐっと唇を噛んだその時。
『お願い、あいつを止めてくれ!!』
おぞましい声を割って、そんな言葉が頭に響いた。
それは確かに、竜の住む街で刹那の魔法の中にいる時に聞いた、この力を授けた、あの声だ。
『君ならできる。君の力なら、あいつの力ごと包み込んで押さえ込める。そしたら、すぐにここを出るんだ、二人で』
ばっと刹那を見る。もう目に光が無かった。
「あっはは、もういいよニーナ。あとは僕がやる」
少女が振り向いて、一歩下がる。代わりにケルンが一歩前に出た。
「心配しなくても、殺しはしないよ」
『まずい、はやくしないと手遅れになる』
ケルンの声が、キアの脳内で「誰か」の声と重なる。
「だって僕の目的は」
『ケルンの本当の目的は』
「暴走、なんだから」
『暴走、なんだよ』
「あはははははは!!!僕が解放してあげるよ、増幅した力ごと全部!!!そして君に、暴走すらコントロールする力をあげる!!!」
ぶわ、とケルンから真っ黒な光が広がる。
キアは半分やけくそになって、最大出力で力を解放した。黒い光が壁も天井も突き抜けて空に広がり、キアの白い光が刹那の紫の光を包み込む。
「あは、そんなことも出来るんだ。やっぱり邪魔だねぇ、キア=ハーフェン」
ケルンは驚いたようだったが、何より驚いているのは自分だった。遠隔で力を使うなんて、できると思わなかった。最近自分がわからない。
白い光は、充満しだした黒い光に浸食されていく。長くは保たないようだ。
これ以上、自分に対抗手段はない。体を動かすしかない。
先程まで痙攣したように言うことを聞かなかった体は、不思議と軽くなっていた。
これも刹那の兄――あの声の主の仕業だろうか。
立ちあがって、刹那に駆け寄る。かなりぐったりとしているが、暴走しかけの力は収まったようだ。
「刹那っ、逃げよう!」
「……」
身体を揺すると、白い瞼からうっすらと紅が覗く。「肩貸すから!」と叫んで彼を引っ張り上げ、腕を回す。
「逃がさないよ?」
ケルンの声だ。真っ白の光を切り裂いて、黒い鷲が飛び出してきた。恐らく、ケルンの黒い光で形作られたものだろう。
捕まる、とキアが振り返った時。
「えっ――」
思わず拍子抜けした声を上げた。
キア達と黒い鷲の間に、誰かが滑り込んだのだ。
ケルンやその配下の魔導師と同じ黒革のコートに身を包み、背中に巨大な黒い翼を一対生やした青年。彼はちらりと一瞬、此方を見た。
「こいつらを倒すのは俺だ、ってことかい。だから傷つける事さえ許さないと?」
光で遮られて見えないケルンが、苦々しそうに言う。
「全く本当に厄介な失敗作だ――総員、彼らを捕らえろ。傷はつけるな」
光の向こうで、ざわりと何かが動いたのを感じた。
瞬間飛んでくる、色とりどりの光。
「ちょっ、待って、これどうすれば、うわっ」
飛んできたネット状の光をすれすれで避ける。光は壁にぶつかり、破壊した。
キアは魔法を避けながら一歩ずつ下がる。逃げようと試みても、この空間で外と繋がっているのは螺旋階段へのドアと崩壊した壁だけだ。しかもドアには魔導師集団を突っ切らないとたどり着かない。
ついに壁が背中に触れた。
目の前には魔導師達が迫っている。
絶体絶命だ。
キアの力で相殺することは出来るかもしれない。しかしそれをやった所で、攻防戦が続くだけだ。そうなれば力を扱い慣れていないキアの方が不利だろう。
剣を召喚して戦っても良いかもしれない。けれどキアに、これだけの魔導師相手に刹那を庇いながら剣一本で戦える自信はなかった。
護身用、といったって、本当に護身したい時は役に立たないなと、頭の片隅で不条理を嘆く。
不意に、身体がぐらついた。
「えっ?」
背後からの力だ。振り返るより先に、目に映る景色が魔導師達から天井に変わる。
「え、刹那?」
肩に掛かった白い手に、力が籠もる。
ついに見えるものが、天井から青空に変わった。
そして緩やかに、床から足が離れる。
透き通る蒼の空、小さく見える街。
風を切って、壊れた壁からキアの身体は宙に投げ出された。
その後は勿論、落下。
「――――!?!?」
混乱して声すら出ない。
最後に少女――確かニーナと呼ばれていた――が、自分の名前を叫んだような気がする。
キアはそこで、目の前が真っ暗になった。
魔導師達が解散した後も、ニーナは壊れた壁から下を見下ろしていた。
「キア……」
あの少年は、死んでしまっただろうか。
彼は本来読心術師だと聞いた。恐らく、抑制と相殺以外の魔法は使えない。それすら「魔法」と呼ぶべきものなのかは不明だが、少なくとも、魔導師が命の危機に晒された時咄嗟に使うような魔法は心得ていない。
「生きてる」
横で声がする。振り向くと、背中に翼を生やした青年が立っていた。
「黒羽」
「あの程度で、あいつの魔法行使能力が停止する訳がない」
「あいつって、月緋のこと?……彼を知ってるの?」
黒羽は表情を変えない。ただ前だけを見つめていて、その瞳に感情は見られない。
「本名も、自分とどんな関係だったのかも、性格も、出身地も、何もわからないが、俺はあいつを知っている」
「だからさっき、ケルンに反抗したの?知り合いだから?あんなことするの、あんたぐらいよ」
「彼は俺に勝てない」
え?とニーナは目を丸くする。
「彼が失敗作だと言っていただろう。俺は、彼の希望も、未来も、心も、身体も破壊する、彼より強い力を持っている。それこそ、世界を変える力だって」
黒羽は一歩前に出た。
「もしお前が、ケルンに反抗してあの少年を助けたいと言うなら、俺が力を貸してやる」
そう言い残し、黒羽は壊れた壁から空へ飛び立つ。バサ、と翼がはためいて、黒い羽がニーナのところにも飛んできた。
その一つを捕まえて、ニーナはつぶやく。
「あの人に反抗して、あの子を助ける――」
空は、少しずつ雲に覆われ出していた。