第七十八話 森の番人
「森林でエルフと戦うなんて、無茶よ!!」
クロムが涙声で叫んだ。
「いいから戦えよッ、向こうは殺しに来てるぞ!!」
俺はエルフの男の一挙一動を見逃さないように油断なく対峙する。
彼が無言になってから、今はまだ何もアクションを起こしていないが、その透明さが殺意の裏返しなのはこれまでの経験でよく分かる。
「馬鹿ッ、貴方は何を教わったの!! そいつに時間を与えちゃダメ!!」
クロムが言うより早いか、攻撃準備を終えたクラウンがエルフに火炎の刃を叩き落とした。
爆炎が炸裂する。
「そいつは今、周囲の精霊を支配下に置いていたよ。
なにやってるのさ、精霊魔術の使い手相手に準備をさせるのは自殺行為だろう?」
「分かってるさ。俺に精霊が視認できないんだからしょうがないだろ!!」
実はクロムがあそこまでおびえる相手だから内心ちょっとビビってたから、思わず様子見してしまった。
クラウンに感謝して、気を引き締めなければ。
だが、クラウンの先制攻撃は虚しく、爆炎が晴れるとエルフには煤の一つも付いていなかった。
「ちッ、無傷か。こちらも準備する時間が無かったとはいえ、それなりの一撃だったんだけれど。」
クラウンが舌打ちすると同時に、エルフの男が動いた。
周囲から風が彼に不自然に纏わり、そのまま空気抵抗を無視して瞬間的に加速し、突撃してきた。
「防ぎますッ!!」
構えていた俺の前にエクレシアが飛び出した。
彼女は防護魔術を展開しながらエルフの魔剣の一撃を防いだ。
「なッ!?」
が、防いだはずなのに、彼女はまるで体重が無いかのように吹き飛ばされた。
俺は咄嗟に彼女を受け止めようとしたが。
「馬鹿ッ、ちゃんと前を見ろッ!!」
クラウンの叫び声で、俺たちの目の前までにエルフは迫っていた。
「大丈夫か?」
「ええ・・。」
クラウンが風を操って援護してくれたおかげで、何とか俺はエクレシアを抱えてその場から離脱する隙を得られたが、当の彼女はいったい何をされたのか分かっていないようだった。
そして、なぜか酸素の豊富な森の中なのに、とても息苦しい。
急に俺たちの周りの空気が徐々に薄くなっていくように思える。
「ヤバい、この辺の空気を掌握され始めた。
私がエルフどもに追い掛け回された時も、こんなに早くなんてなかったのに・・。あのエルフ、ヤバすぎる。」
木の後ろに隠れてがくがく震えてるクロムがぼやく。
きっと逃げたいんだろうが、周囲でもアンデッドたちとの戦闘が始まっているから、逃げられないようだ。
「ちッ、手練れだね。このままじゃこっちは戦えなくなる。
僕は風の精霊の支配権を奪い返すから、君たちはそいつを抑えて!!」
「わかったッ!!」
こんなに早く精霊を掌握しているだって? ふざけたスピードだ。
見たところ、このエルフの使う精霊魔術は魔族寄りだが人間の物にも近いような気がする。
むしろ、エルフ独自の精霊の使役方法があるのだろう。
俺とエクレシアは左右に分かれて、俺は魔術の構築しながら魔剣の雷撃で牽制する。
牽制の雷撃の後にエクレシアは再び前に出て、自分の役割を全うするべくエルフの男の前に立ちふさがった。
だが、雷撃はエルフには届かなかった。
突然吹いた風が木の葉を大量に運んできて、まるで雷撃を遮るかのようにエルフの前に現れた。
不思議なことに、雷撃を受けた木の葉は一枚も焼け焦げてはいなかった。
木の葉の風を突き破るようにして、エルフは再度突撃を試みてくる。
「くッ!!」
エルフの斬撃を迎撃しようとしたエクレシアだが、寸前で彼は真横に慣性を無視して水平移動し、側面から斬りかかった。
幾重もの防護魔術で守られているエクレシアの体に直撃したが、それまでに威力が減衰されているはずなのに、彼女は真横に吹っ飛ばされた。
恐らく、奴に空気を操っているからに違いない。
この森の空気は、完全に彼の味方をしているのだろう。
クラウンが頑張っているのか、あれ以上空気が薄くなることは無いようだが、動きにくいのは変わらない。
俺はいっそのこと、風の魔術で周囲の空気を操作して吹き飛ばした。
酸素が足りないのなら、ある場所から持ってくればいい。
しかし、それは一時凌ぎにしかならなかった。
「がッ!!」
エルフが纏う風は微塵も剥がせず、むしろ吹き飛ばされた風の精霊が戻る際に暴風となって戻ってきた。
俺もボールのように跳ね飛ばされて、ぐるぐると回転しながら上空の木の枝に背中を叩きつけられた。
「ちッ、サイリス!! ぼさっとしてないでササカのフォローを!!」
「え、ええッ!!」
エルフの実力に唖然としていたのか、硬直していたサイリスがクラウンに呼び掛けられてハッとしたようだ。
即座に彼女は呪文を唱えた。
そのお蔭か、落下する俺の体が地面に激突する寸前で減速して着地した。
「いてて、このやろ。」
俺やエクレシアなんて、木端に過ぎないとでもいうのだろうか。
俺は今まで、ふざけた実力やイカレた魔術を幾つも見てきた。
だが、奴のは技量や種族の差では説明できない何かがある気がする。
元々防衛戦に無類の強さを誇る精霊魔術で、攻勢防御を維持するなど彼の技量は並大抵ではない。
クラウンも何とか腰に差していた装飾剣を抜いて応戦したが、エルフの斬撃を受け止めると地面を擦り引きながら後ろに何メートルも押しのけられた。
精霊魔術が扱えるクラウンは流石に俺たちのようにはならなかったようだが、彼だって竜種。
精霊に近い種族だと言うのに、まるでエルフの男に敵わない様子だった。
化け物だ。
クロムの奴が戦意喪失するのも分かるほど、異様な強さだ。
これが、エルフ族。奴は自然そのものだと言うのか。
エルフはそのままクラウンに追撃を掛けず、一直線で部隊の中心へ飛び出す。
その狙いは、――――ミネルヴァだった。
「くそッ、奴の狙いはミネルヴァか。」
奴の目的は、初めからそれだったのだろう。
道理で俺たちに追撃が来なかったわけだ。
それに気づいたのか、一番彼女の近くにいる周囲の部隊指揮をしていた隊長が咄嗟に槍を構えた。
「アルルーナッ!!」
だが寸前でサイリスの叫びに応え、エルフの進行を妨害するように無数の木の根が突き出て、それと入れ替わるように悪魔アルルーナが現れた。
「・・・・ほう。」
彼女の対応の早さは、流石に人間のそれとは遥かに超えていた。
即座に地面から無数の木の根が剣山のように突出し、エルフを串刺しにせんと飛び出した。
危険を察したエルフがその場から飛び退り、アルルーナの触手による追撃を魔剣で打ち払う。
更に彼女は奇声を発し、それが衝撃波を伴う指向性の音波攻撃となってエルフを襲う。
それは風が運ぶ木の葉が邪魔して防がれるが、先ほどと違って木の葉が砕け散った。
なんと、あのエルフ相手に互角に戦っている。
流石は上級悪魔。敵ではこの上なく脅威で厄介だが、味方とすればこの上ないほど頼りになる。
そこで初めて、エルフが構えを取った。
それは今まで俺たちが脅威ですらなかったという事なのだろう。
奴の魔剣は、まるでイラストの樹木の形状のような刀身に、剣や棒、聖杯や硬貨などの装飾が端々にそれぞれ吊るされて、ちゃりと揺れる。
それに無数の精霊が集結していく。
それは、俺も以前に似たような物を見た事がある。
あの“ブラッティキャリバー”部隊の彼女が遣っていた、四大元素の魔術にッ!!
「あれは、マズイわッ!!」
態勢を低くしているクロムが叫んだ。
その直後、エルフは魔剣を一閃した。
それを一言で表すなら、恒星爆発に近い。
その魔剣の射線上にあった全てが、消滅した。
エクレシアが咄嗟に奴にタックルをかまさなければ、多分部隊の連中はほぼ壊滅していただろう。
やや上向きに逸れた斬撃は、その軌跡にある木々を消し飛ばし、あろうことか遥か先の“壁”にまで至り、本物の空まで見える始末だった。
どさどさ、と支えを失った木々が落下していく。
「化け物か、こいつ・・・。」
俺は人生で何度目か分からない、背筋が凍るという経験をしていた。
威力だけなら、暴走モードのフウセンに匹敵するか超えていた。
あれ以上の火力は見た事がないが、これは極限まで統制されている。
これが、エルフの英雄。
かつて絶滅した種族の随一の戦士。
「無理ッ!! こんなの勝てない!!
精霊魔術で四つの元素の精霊を結合させて無理やり反発させるなんてッ!!」
クロムが蹲って叫んでいる。
「クロムッ、お前なら何か打開策を思いつけるだろ!!」
「無理よッ!! あんたは知らないでしょうけど、エルフは何千年も人類から“世界樹”を守りながら独立を貫けるような連中よ!!
森でアイツらに勝てるわけがないッ!! 私がいったいどれだけあいつらに追い回されたことかッ!!」
「うるせぇ!! 俺の知ってるお前は、転んで怪我をして、泣きべそ掻いて泣き寝入りしているような奴じゃないだろ!!
出来なことにぶつかったら、それを意地でも乗り越えるのがお前だろうが!!
それとも偉大な天才様の実力ってのは、その程度なのかよ!!」
俺はそうクロムに怒鳴りながら、魔剣を杖に立ち上がって奴に挑む。
さっきのアレを部隊の連中に向けて、ましてやミネルヴァの奴に撃たせるわけにはいかない。
幸い、あの一撃は精霊の精密な操作が必要だからか、若干のタメが必要なのだろう。
その隙を与えないようにするしかない。
「くッ、とにかく波状攻撃を仕掛けるぞッ、奴に隙を与えるな!!」
クラウンも焦りを感じているのか、すぐに俺たちに指示を飛ばした。
「ええ、分かっています!!」
エクレシアも自身の魔剣“トレーズベーゼ”に口づけし、三十の片々を周囲に展開する。
「ああ、いくぜ――――ッ!?」
俺たちは態勢を整えて、奴の妨害を試みようとした時だった。
ずるり、と滑って全員が転倒した。草地にも関わらず。
「これはッ」
エクレシアも思わず目を白黒させている。
いくら立とうとしても、地面が滑って経てないのだ。
「大地の精霊も同時に操っているのか!!」
クラウンの苛立った声が聞こえた。
精霊魔術は自身と精霊を共鳴させるという性質上、一種類以上の精霊を使役するのは通常の方法ではほぼ不可能だ。
精霊とて波長はそれぞれ違うし、共鳴させる自身の肉体は一つしかないのだから。
だがあのエルフとあの魔剣は、それを可能としているようだ。
もうそれだけで反則じみた能力だ。
「遠隔攻撃で何とかするぞ!!」
「援護しよう。」
俺は魔剣を弓に変形させ、“銀の弓矢”でエルフを打ち抜く。
クラウンも爆炎やエクレシアが光波、アルルーナの衝撃波で集中砲火を行うが、エルフの纏う木の葉の壁は厚く、突破できない。
そうしている間にも、エルフはもう一度魔剣を構えた。
「ヤバい!!」
あの魔剣に四種の精霊が集結していく、その時だった。
ころころ、とエルフの足元にこの場に似つかわしくない缶状の物体が転がり落ちてきた。
そして、その瞬間、それが破裂して真っ白な噴煙をまき散らしながら周囲一帯を霧のように覆い尽くした。
「これは、冷気!?」
エクレシアが瞠目する。
じめじめとした暗い森の空気が、一気に真冬のような寒さへと変貌した。
「口を閉じなさい、それは液体窒素の気化を利用した冷凍爆弾よ。
今ここは空気が押しのけられて、酸素が限りなく薄い状態よ。あと、この状態で固定されているから、そのうち拡散して爆発の危険性は無いわ。」
その声の主は、クロムだった。
「精霊魔術は急激な環境変化に弱い。
エルフの精霊魔術は、氷点下で使用されることを前提にしていないわ。これでアイツの精霊魔術を妨害出来るわ。」
「クロムッ、信じてたぞ!! だけど、この霧じゃ狙いが。」
「最後まで人の話を聞きなさいよ。
どんな魔術には準備期間が必要なのよ。この術式の構築には割と苦労したわ。」
クロムはそう言って、魔法陣を地面に展開した。
「この辺の地面と草木に、鉄の性質を一時的に付与したわ。
精霊は決して鉄には宿らない。これで地面を操れないでしょう?」
「でかしたッ!!」
俺は立ち上がりながら“輝ける金の矢”を解き放つ。
呪いの矢が、濃い液体窒素の霧の中に拡散する。
その範囲のことごとくのが枯れ果てる。
勿論、奴を守っていた木の葉とて例外ではない。
そして呪詛は精霊を退けるだろう。
即ち、今がチャンスだ。
だが、アホみたいに奴の対応も素早かった。
一瞬で霧がかき消され、またどこからともなく風が木の葉を運んでくる。
それに遮られて次々と追撃が防がれる。
一部の隙すらない、鉄壁な防御だ。呪詛も聞いた様子が無い。
「ちッ、なにこのバカみたいな対応力ッ!!
直接風の精霊に触れていないはずなのに操れると言うの!?」
「この短時間でどれだけの精霊と契約しているんだよ、全く!!」
エルフの鉄壁の防護に、クロムの怒声とクラウンの悪態が聞こえてくる。
この火力で押し切れないとかふざけている。
流石は、クロム曰く森林での防衛戦では人類に一部の隙も見せなかった種族だ。
あの師匠が諸手を上げて逃げを決めるような種族の英雄クラスの相手となると、戦略レベルの戦闘力なのだろう。
きっとあの“権能部”の連中も各々がこのレベルの強さに違いない。
「こっちに決め手が欠けると言うのはつらいですね。」
エクレシアのぼやきが聞こえる。
こっちは先ほどから爆炎やら“金の矢”などの範囲攻撃で奴に攻撃の隙を作らせないだけで精一杯だ。
先ほどからクロムやアルルーナの援護を受けているにも関わらずである。
何とか足止めはできているが、それだけに過ぎない。
「まったく、頼りの無い連中ね。」
すると、苦戦する俺たちに思わぬ助け舟がやってきた。
「皆、仕方がないから手を貸してやるわよ。」
「そうよ、勘違いしないでよね、別にあんたたちの為じゃないんだから。」
「ミネルヴァが殺されちゃったら私たちが困るだけなんだからね。」
「それと、森をこれ以上荒らされたくないだけなんだからね。」
「まあ、前回は役に立てなかったし、今回は特別だってこと、よーく覚えていなさいよ。」
ミネルヴァに憑いている妖精たちである。
そして、こいつらがツンデレっぽいセリフを言うと、果てしなくウザいのはどうしてだろうか。
「手助けするなら最初からしてくれよ!!」
「うーん、ぶっちゃけ、どっちの味方しようか迷ってたし。」
俺の切実なセリフに、フェアリーの一人があっけらかんと平然にそう言った。
「どっちのって・・・お前ら、ミネルヴァが攻撃されたんだぞ!!」
「うーん、その辺の感覚を人間に説明するのは難しいし面倒だから省くけど、要約すると、それがどうしたの?」
「お前らな・・・。」
妖精の思考がこれほどわからないと思ったことは無かった。
不死身のこいつらには、あるいは人間の命の価値観が通用しないのは分かっていた。
でも、こいつらは誰もが自身の住んでいた森を追われた連中ばかりで、仲間が消えていく様を見ていたはずなのである。
だというのに、この物言いである。
「うーん・・どういえばいいのかなぁ。」
「相変わらずヒィアツィンテは真面目ね、たかが百年も生きられない人間にそんなこと理解できるわけないじゃない。」
「・・・・まあ、そうよね。」
一応俺が理解できないってことはくみ取ってくれたらしい。
その程度は、彼女らは人間を分かっているようだ。
そしてそれを、無意味なものだと断じている。
妖精たちが舞い踊る。
俺たちの上空で円を描くように、キラキラと光る鱗粉のようなものを散らしながらのその踊りは、溜息が出るほど幻想的だった。
そして、すぐに周囲の空気が一変した。
「これは、この辺りの精霊たちに呼びかけて、中立化させたのか!!」
クラウンが驚きの声を上げる。
精霊に確固とした意思は存在しない。
その為、一度術者と契約すればその者がどんな悪意を持とうとも従わざるを得ない。
従えられる精霊の量が術者の力量そのものと言ってもいい。
精霊魔術師同士の戦いは、より広範囲の精霊をどれだけ支配下に置けるかで決まる。
だからクラウンを初め、俺たちはあんなにあのエルフに苦戦していたのだ。
それをすべてニュートラルに変えられるというのは、あのエルフが今無防備だという事のなによりの証左だ。
「私たちに、精霊たちに特定の誰かにだけ肩入れするなという事は出来ない。」
「私たちが中立を呼び掛けられる範囲もそこまで大きくできない。」
「だってそれは結果的に貴方たちに肩入れするのと同じことだもの。」
「私たちは誰にも囚われない。天秤に乗る空気のように、等しく全てに圧し掛かる。」
「それが自然というものよ。」
「そして、そこに存在しない物を守ることはできない。」
「それが自然の意思。私たちは自然の代弁者。」
「傷つけ合うのなら、勝手に傷付け合えばいい。私たちを傷つけるのなら、傷つければいい。」
「私たちは、何も言わないのだから。」
「私たちは、何者も理解するつもりもないのだから。」
ミネルヴァに憑いている十匹の妖精たちが謳うように、舞い踊りながらそう囁く。
それが、妖精たちの絶対的な中庸の精神。
この地球に植物が芽吹き、それから今までずっと、そしてこれからもずっと変わることのない自然の意思。
何者にも肩入れしないし、人間がそれを知恵や技術で利用しても、それは人間の味方ではないのだ。
自然は、決して人間の味方ではない。彼らは彼らの法則に従っているに過ぎない。
誰の味方でもない。物理法則が特定の誰かに味方しないように。
自然は、ただこの世に在るだけなのだから。
「それで十分だッ!!」
それでもいい。
それだけでいい。
少なくとも、連中はミネルヴァの味方ではあるのだから。
連中は相手の殺意を否定はしない。仮にあの時ミネルヴァが殺されていたら、それが成り行きだと彼女らは受け入れたのだろう。
それで自分たちが困っても、それは一つの結果に過ぎないのだ。
最初にどちらの味方をしようか迷ってたなんて言っていたが、そもそも連中は俺たちやエルフの味方になるつもりなんて無かったのだろう。
自然と言うものは、残酷なまでに公平なのだ。
こうしてくれているだけで、最大限の譲歩なのだろう。
俺は少なくとも、彼女らに情があることぐらいは知っているのだから。
「態勢を立て直している暇はないッ、一気に畳み掛けろ!!」
周辺の精霊が中立化しこの場で何もできないのか、クラウンが俺たちに鋭く指示を飛ばす。
俺は“銀の弓矢”を番えて射出した。
エクレシアは宙に浮かぶ魔剣の断片から複数の光波動を放った。
クロムはルーンの呪符を投擲し、氷の棘の散弾を放つ魔術が発動する。
アルルーナが振動を操り、全方位から音波攻撃を仕掛けた。
複数の魔術と現象が同時に重なり合い、最終的に爆発と言う結果をこの世界の法則は齎した。
まるで少年アニメの無意味な爆発の演出みたいな激しい煙と炎は、そこまで大したものではなかった。
この爆発はあくまで別々の法則の魔力が入り乱れ収拾がつかなくなった時の辻褄合わせとなる、魔術の残滓に過ぎない。
至近距離でなければ、火傷もしないだろう。
それでも毎年多くの魔術師が、この現象で命を落としていると師匠は言っていた。
「ちッ、これでようやく一太刀か。」
煙が晴れても、エルフはまだ健在だった。
奴は寸前で木の葉の障壁が間に合ったのだ、それでも先ほどまでの術のキレは無かった。
それでも、流石に無傷ではなかったようだ。
尋常じゃない防御力を誇ったあの木の葉の障壁を破れたのは大きい。
だが、奴に与えたはずの傷が徐々に塞がっていく。
「くそ、このまま消耗戦となると、面倒だな。」
クラウンが忌々しそうにつぶやく。
精霊魔術の治癒能力に任せてこのまま消耗戦となると、種族的に持久力が乏しいこちらが不利なのは明らかだ。
「ならば搦め手で行くか?」
「なに?」
クラウンがアルルーナにその真意を問う。
「簡単なことだ。無双を極めた強靭な英雄ほど、精神的な揺さぶりに弱いものだ。」
「どうやら彼は自我を奪われているようだけれど、そんな相手にどうやって精神的に揺さ振れるというのさ。」
「自我が封じられているのなら、解き放てばいい。
幾ら魔術に長けようとも、我々以上にそれを操る方法に熟知した存在は居ないだろう。」
「とは言え、精神干渉にじっくり時間を掛けられても困るけれど?」
「それは違う。我々は時間を掛けなければならないのではなく、出来る限り時間を掛けるようにしているのだ。」
そう言って、悪魔は指を鳴らした。
「・・・・っが、あああああああああああぁぁっ!!!!」
その瞬間である、ずっと沈黙を保っていたエルフが、突如として呻き声を挙げて頭を抱え始めた。
「そう言う事が出来るなら、初めからそうしてくれよ・・・。」
エルフが地面にのたうちまわり、完全に無力化したと悟ると、俺はそうぼやいた。
「これは異なことを言う。お前たち人間はこういうことを忌み嫌っているのではないのか?」
「・・・・・・。」
そう言われれば、ぐうの音も出ないわけだが。
「分かっている、人間は平等ではない。
奴と自分たちの身の安全を秤に掛け、自分たちの為なら相手がどうなろうと知ったことではないと思えるのが人間だ。
人間は同族の痛みを理解できない種族だからな。」
「分かってるなら口に出すんじゃねーよ。」
そもそも、てめーの面をエクレシアの前に出させること自体が不愉快で仕方がないと言うのに。
「それは魔族だって同じことさ。
いや、きっと人間以上に分かっていないと、僕は思うけれど。」
何を思ったのか、クラウンがそう口を挟んできてくれたおかげで、俺はあの悪魔とこれ以上無駄口を交わさずにすんだ。
丁度、その時ずっとミネルヴァを守るように抱きしめていたサイリスがこちらへやってきたのだ。
「アルルーナ、余計なことは話さなくていいわ。
貴女、彼との確執をわかっててそんな事を言うんだから。」
「すまぬな、我が主よ、こればかりは我が性なのだ。
以後は指示があるまで口を噤んで黙っているとしよう。」
「まったく・・・。」
どうやらサイリスはサイリスで、この手に余る従者を持て余しているようであった。
「それより、こいつはどうするの? 殺すわよ? 殺すからね!!」
とりあえず全員が武器を下したのに、クロムは血走った目でショットガンを構えてじりじりとエルフとの間合いを詰めていた。
「ちょっと待ってください、彼は“砂漠の魔女”の犠牲者でしょう?
石化していないのならば、どうにか助けることはできないのでしょうか?」
「冗談じゃないわ!! 連中に話なんて通じないわ。
人を見れば平気で弓や魔術をぶっ放してくるような日本の鎖国時代みたいな排他主義者の集まりなんだから!!」
苦痛にのた打ち回るエルフを痛ましく思ったのか、エクレシアがそう提案したがクロムはヒステリックに叫んでそうい言い捨てた。
ってか、何気に俺の国を比較に持ち出すなよ。
「その、なんだ、クロム・・・種族全体と個人を同列に扱うのはどうかと思うんだが・・。」
「なんですってッ!!」
「わッ、こっちに銃口を向けるなよ!!」
クロムのエルフ恐怖症はなかなかに重度な様子だった。
俺はとりあえず、指揮官であるクラウンに裁定を求めようと目配りした。
「まったく、エクレシアもどうかしているわ。エルフなんかに慈悲をかけようなんて」
「・・・・ここは、地上か・・?」
「うッ、ひぃ!!」
俺は人生で初めて、人が飛び上るほど驚くさまを見た。
「い、意識を、取り戻した!?」
クロムはショットガンを放り出して腰が抜けたのか、がくがくと震えて地面に尻もちをついた。
いったいそこまでエルフに怯える彼女に何があったのだろうか。
「この森の息吹は・・・違う、ここはどこだ?
・・・知らない。まるで異世界の森に迷い込んでしまったようだ。」
エルフの男はゆっくりと立ち上がると、苦痛に顔を歪ませて頭を抱えたまま周囲を見渡した。
「まだ正気を保っていたのか。信じられない精神力だ。」
ボソッとアルルーナが呟くのが聞こえた。
彼はおそらく、あの魔女にずっと自我を封じ込めない程度に抑圧し、生かさず殺さず嬲り殺しにしていたのだろう。
それでよく発狂しなかったというものだ。
少なくとも俺は真似できない気がする。
「・・・そうだ、そうだ。思い出したぞ。
私はあのデックアールヴの魔女に敗れ・・・それで・・・くッ・・・」
彼はふらついて地面に這いつくばると、強く土を抉るように握りしめた。
「見たところ、人間に・・・魔族か。奇妙な取り合わせだ。
どうやら迷惑を掛けたらしい。済まなかった。」
彼は俺たちを見やると、屈辱からか苦々しげにそう言った。
「・・・どうやら、話は通じそうですね。」
エクレシアは、自分の足にしがみついているクロムを見下ろしてそう言った。
まあ、彼女はぶんぶんと首を振っているが。
「もう大丈夫なのか? あの魔女に無理やり暴れさせられたんだろう?」
誰もが未知の種族になんて声を掛ければいいか分かっていないようなので、俺が試しに話しかけてみると。
「いや、これは一時的な物だ。
私が自我を取り戻すことは度々あったが、こちらでは初めてだ。」
「どういうことだい?」
その意味が測りかねたのか、クラウンが彼に問う。
「奴の根城とする“最果ての砂漠”のある空間で、いつもとは言えずともそれなりに長い時間自我を保つことができることがある。
しかし、奴の呼び掛けで外に連れ出されると、例外なく私は狂って誰かを襲う。
今回、こうして呼び出された先で私が正気を取り戻したのは初めてだ。」
「そうだったのですか。」
その境遇に、エクレシアが目を伏せた。
「一つだけ、聞かせてくれ・・・あの魔女は同胞たちどころか、星そのものまでも滅んだと言う。
信じたくはない・・この森を見れば信じざるを得ない。自然は嘘をつかないからだ。
だが、それでも問わずにはいられない。―――ここは、どこなのだ?」
エルフのその質問に、誰もが一瞬言葉を失った。
そして、殆どが無意識に目を逸らす。
その仕草だけで、彼は全てを悟ったようだ。
静かに、目を伏せた。
「ここは地球と言う星だ。多分、貴方の見聞きしたことは全部本当だと思う。」
だから、俺がその辛い役を買って出た。
「そうか・・・。私は、何も遺せなかったのか。」
その一言に、万感が籠っていた。
「自我を失っても、その太刀筋から高名な武人をお見受けする。
これ以上、捕虜の辱めを受けるのは辛いだろうから、お望みなら介錯を引き受けよう。」
そして厳かに、クラウンが前に出てエルフにそう告げた。
「いいや、この身は既にあの砂漠の一部だ。
奴に囚われ、殺されたのは一度や二度ではない。この身が滅んだところで、私はあの砂漠へ還るだけだ。」
「そんな・・・。」
その残酷な運命に、サイリスが口元を覆った。
「なるほど、一種の使い魔にしているのね? 全く、いい趣味をしているわ。」
とりあえず相手に危険が無いと分かったからか、ようやく落ち着いたクロムがエクレシアの手を借りて何とか立ち上がった。
「むしろ、“使徒契約”の一種だろう。」
「なんなんだ、それは?」
何か心当たりが有るらしいアルルーナに、不機嫌な視線を送りながらも一応訊いてみる。
「我々悪魔が地上で活動する手法の一つだ。
ある人間を媒体とし、我々が肉体のまま活動できるようにした上で魂を縛り付け、その状態を保存すると言うものだ。
それにより、我々が万が一地上での活動の際に肉体が滅びたとしても、遥かに容易に肉体の再生が可能となる。実質、ほぼ不死身だ。」
「・・・初耳です。」
悪魔にそれなりに詳しいはずのエクレシアも、驚いてアルルーナの話に耳を傾けた。
「当然だろう、これは媒体とした人間が死亡すればその一切が失われ、なおかつ悪魔はその人間にある程度従わなければならない。
状況によっては有用だが、我々にメリットが少なく、そしてリスクが大きい。それ故に廃れている。
そもそも、肉体で我々を呼び出せる者が居なくなってしまったのだから、それが行われること自体が人間達に忘れ去られている。」
「なるほど、使い魔契約の上位版みたいなものなのね。今度リネンに聞いてみましょ。」
自分の好きな魔術分野の話になって、クロムはすっかり調子を取り戻したようだ。
「じゃ、どうするんだ。俺はもうこの人と戦いたくないぞ。」
強さ的にも、心情的にも。
「仕方があるまい。それが敗者の定めだというのならば。」
「あんたはッ、それでいいのかよッ!!」
俺はエルフの男の全てを諦めたような態度にイラッときた。
確かに故郷や同族を失ったことを知って、失意のどん底だろう。だけどそれで全てがどうでもいいってことになるのだけは納得がいかない。
「あんなクソ外道の魔女に良いように扱われて、やりたくもない戦いや人殺しをやらされてッ!!」
「彼女にはその権利がある。報復の権利だ。」
「なんだってッ?」
「私は彼女を恨むつもりはない。たとえどんな非道をさせられようとも、だ。」
「・・・そんな、どうして・・。」
そう言った彼の言葉には、諦め以外の強い何かがあった。
だから俺は、言い返せなかった。
「あれは、“邪悪なダークエルフ”を演じることでしか自分を表せない哀れな女だからだ。」
エルフはそう言って、目を伏せた。
その時だ。
「ぐッ、があああ!!!」
再び、彼が苦しみだした。
「くっそッ!! どうにもできないのかよ!! 本当にダメなのかよ!!」
このままでは、再び先ほどと同じように戦いなるだろう。
彼に、あの魔女に抗う術は無いし、積極的に抗う理由もないようなのだから。
「これ、を・・・。」
そしてエルフの男は苦しみながらも、自身の魔剣を俺に差し出した。
「私がッ、後世に残せるものはッ、何も無いッ!!
せめて、我が魂たる“リゾーマタ”を・・・それが無ければ、私はッ、ぐがッ!!」
「・・・おい、やめろよ。」
武器が無ければ簡単に倒せるだろう、ってか?
ふざけるなよ。アンタの強さは、魔剣や精霊を操る力じゃないだろうが!!
「救いになるかどうかは分からないが。」
そこで、ふと。
「誰かの自己満足で、彼を今の苦しみから解き放つ手段がある。」
悪魔が、囁いた。
「それはッ!?」
「お前が決めるではない。そう、彼女だ。」
俺が悪魔にその方法を問い詰めようとしたが、彼女はゆっくりとエクレシアを指さした。
「お前が決めるのだ。
彼の意思ではなく自分の自己満足で勝手に、それも悪魔の外法の力を借りて、そのエルフを助けるか否かを。」
「このッ」
悪魔が。
「おねえちゃん・・・。」
俺が内心はらわたが煮えくり返るような思いでいると、ミネルヴァが不安そうにエクレシアとエルフの男を交互に見やった。
「ええ、大丈夫です。私の心は初めから決まっています。
私はもう既に信念の為に清濁を飲み干す覚悟を決めていたのですから。自分が正しいと思ったことに、手段は選びません。
でも、少しだけ迷ってしまいました。
ありがとうミネルヴァ。貴女のお蔭で、踏ん切りがつきました。」
「おねえちゃん・・・!!」
そして、エクレシアは彼女の頭を優しくなでると、一度だけ俺の方を見た。
「悪魔よ、私に力を貸しなさい。」
「いいだろう。・・・くくく、だから人間は飽きないのだ。」
そうエクレシアに乞われた悪魔アルルーナは、触手の腕の中からあの針金で出来たカンテラのような魔剣を取り出した。
「閉ざせ、牢獄剣“ソウルレスケージ”。」
その切っ先が、エルフの男に向けられた。
「これ、は・・・。」
悪魔の魔剣に魂を吸い寄せられる瞬間、ようやく彼は苦痛から解放された表情となった。
「私は、まだ、遺せるのか・・?」
そして、彼の肉体はゴトリと地面に崩れ落ちた。
「これで、何が有ろうと彼と敵対することはなかろうよ。」
悪魔の持つ魔剣の中には、可視化した魂が薄緑色の炎として揺らめいていた。
「・・・・これで、良かったのか?」
俺は、誰にでもなくそう呟いた。
「少なくとも、誰も悲しません。」
「そうか、そうだよな。」
きっとそれが正解なのだろう。
大円満を迎えられるのなら、それがどんな非道で非人間的な手段でも。
今回だけは、今回だけは、そうあってほしかった。
魔術師のくせに、今更な感傷だ。
「だけれど、どうするのよ。彼の魂をずっとそのままにしておくわけにはいかないでしょう?」
「そうね、私に任せてもらえるのなら、いい方法があるのだけれど。」
サイリスの言葉に、さっきの態度はどこへやら、クロムが生き生きとした態度でそう言った。
「そろそろアンデッドの掃討も終わるだろうから、僕は部隊の指揮に戻るよ。」
「私も負傷者の手当てを行います。」
「私も手伝うわ。」
クラウン、エクレシア、サイリスと次々に自分のやることを見つけて、細かな部隊指揮をしている隊長の下へ向かった。
「おにいちゃん。」
「ん? なんだ?」
「ありがとう。あの人を、助けてくれて。」
ミネルヴァはにっこりと笑ってそう言った。
「そう言うのは、俺だけじゃなくてみんなに言えよ。俺だけの力だけで何とかしたわけじゃない。」
「うんッ!!」
俺は彼女の頭をがしがしと撫でてそう言うと、ミネルヴァは元気にそれを実行しに行った。
律儀に、あの悪魔にまでお礼を言いに行く始末だ。
そんな微笑ましい彼女の姿を見て、俺はなんとか心の中で折り合いをつけることができた。
―――――――――――――――――――――――――
第二十八層、リネンの屋敷。
「エルフが現存して居たですって?
絶滅したと聞きましたが、隠れ里でもあったのですか?」
いつものお茶会の席で、リネンはメリスから聞いた話に驚いた様子だった。
「ええ、あの“砂漠の魔女”が使役していたのよ。
もう完全に無力化したみたいだから、実質的に完全に滅んだと言えるわね。」
そう語るメリスの表情は、途轍もなく晴れ晴れとしていた。
「精々、連中の蓄えた叡智と技術を利用させてもらうわ。
連中の文化性は酷いけど、人間とは違う文明はとても評価しているもの。」
「そうですか。それはよかった。」
リネンは紅茶を啜ると、ソーサーにティーカップを置いた。
「―――――また、貴女の腹いせにエルフの里を焼き払ってと頼まれるかと思いましたよ。」
「あはッ」
メリスは笑った。純粋な悪意と狂気を秘めた、清々しい笑顔で。
「あの頃は私も青かったのよ。
連中も連中だわ。“世界樹”の枝葉の一本くらい、どうってことないでしょうに。
神聖だかなんだか知らないけれど後生大事にして、ケチなのよ。その木ひとつであらゆる実りが約束されるっていうほどなのだから、少しくらい分けてくれたっていいじゃないのよ。
そのお蔭で私が連中の森から脱出するまでに、どれだけ追い回されたことか。」
「相変わらず、貴女の辞書には自業自得って言葉は無いんですね。」
「あれから私も成長したわ。
次にリネンに頼む時は、阿鼻叫喚の地獄絵図だけじゃ済ませないわ。確実に、全滅させる。」
「やれやれ。」
彼女の高すぎる自尊心には嫌味も全く通用せず、リネンは肩を竦めるばかりだった。
「まあ、もうその機会は無いでしょうけれど。
なにせ、あんな腹の立つ連中はもうこの世にはいないんだもの。あー、せいせいするわ。最高の気分よ。」
「ふふふ・・・・。」
「あら、どうしたの?」
「いえいえ、貴女の友人ができるの、本当に私以外は無理でしょうね、と思いまして。」
「なによ、当たり前じゃない。
この世でこの私に友人として釣り合うのは貴女だけよ、リネン。
この私に対等でいられる唯一の人間なんだから、誇りなさいよ」
メリスは至極当たり前のようにそう言った。
「ええ、そうですね。」
リネンはそんな親友に笑みを浮かべながら、紅茶を継ぎ足すのだった。
どうも、こんにちは、ベイカーベイカーです。
どうも地味ーな戦いになった感が否めませんが、彼の強さはフウセンのように絶大な力ではなく、戦いにくさによる相対的なものであるというのがコンセプトです。
それでもふざけた火力の大技を持っているあたり、芸達者です。まだまだ本気じゃないですが、彼がもう戦闘することはないので、ここだけの話になりますが。
それでは、また次回。では。