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魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
第五章 魔族戦乱
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第七十四話 魔女の渇き




第五層最深部には、かつてこの地域を支配していた古城がそびえ立っている。


セテア古城。

そんな立派な名前を憶えている者は、この城には一人しかいない。



「我が主よ、他の候補たちがこちらに向けて侵攻を開始したようです。」

燕尾服を身に纏ったこの白髪の老紳士といった風体の男は、この城に仕える執事である。

真っ青に青ざめた肌に血の気は無く、彼がヴァンパイアの一人であることを示している。

セバスチャン、と愛称で呼ばれるが、彼の名を覚えている者もまたここには誰も居ない。

そう、彼が仕える主さえも。二百年前に全滅してしまったからだ。



「そう。」

それに応じる、この城の主はただ興味などなさそうにそう応じた。


無気力を絵に書いたようなその少女は一人用にしては大きすぎるベッドに丸まり、金糸の如き髪を散らばらせている。



「あの食客の女がアンデッドを率いて迎撃に出ていますが・・・私めはどうしてもあの女が信用できませぬ。」

「そう。」

「この階層に住む民たちは、『マスターロード』に支配を受けるまでは我々に尽くしてくれました。

いいえ、彼らとの戦争に負けてもあの時まで我々との交流は絶えなかった。

それらを襲い、屍に変えて町を襲わせるなどと。正気の沙汰では御座いません。」

「そう、私には関係が無い。」

「我が主よ、遺憾ながらそれは貴女が命じられたのですよ。」

声音を強くしてセバスチャンはそう言ったが、少女の態度は一貫していた。



「関係ない。彼女がやりたいと言うから、勝手にしろと言っただけ。」

「嘆かわしや、御労しや、我が主よ・・。」

「私は貴方の主人ではない。」

そんな冷たい返答に、セバスチャンは口を開きかけたが、ゆっくりとすぐに閉じて行った。


「分かりました、事態が変容するのならば、再びお伝えいたします。」

「別に、不要。」

「それでは。」

セバスチャンは一礼すると、古城の一室から退出した。




「私とて、今のような御方にお仕えしている訳ではない・・・。」

そう俯いて呟くセバスチャンは、どこか悔しげで、複雑そうな表情をしていた。



「その様子じゃ、城主殿のご加減は変わらないようだねぇ。」

彼が顔を上げると、先日この城にやって来た客人の一人が居た。


「ルーフスリテラ殿。」

「やあ、君はそう呼ぶことにしたんだ。」

「誠に勝手ながら。呼び名が無いというのはこちらも困りますので。」

「いや、結構気に入ったよ。“赤文字”って安直だけど。

しばらくそう名乗ろうかな、こっちじゃもう僕の異名は古臭くてダサいみたいだし。」

そう言って笑うのは、黒衣と赤い目を持つ少年の姿をした『悪魔』だった。


彼とその一行は何十年ぶりにこの城にやってきた客人であり、セバスチャンは無下に扱う事は出来なかった。

この城は“夜の眷属”が集う場所。

ここの城主の資質を見極めたいと言われれば、尚更だった。



二人は長い廊下を共に歩く。


「ルーフスリテラ殿から見て、我が主はどのように映られるか?」

「それ、何かを期待して訊いているのかい?

そうだねぇ・・・ああいうタイプは追い詰められて土壇場になれば力を発揮するタイプと見たけど、そもそも彼女はその状況に陥ることは無いかもね。

だって、彼女には“何にも無い”んだから。彼女は何も傍に作ろうとはしないようだし。お手上げかな。」

「そうですか・・・。」

久しぶりに訪れた外部の刺激が、彼女に何か齎すのではないのかと期待していたが、セバスチャンはため息を吐いて肩を落とした。


「がっくりさせてごめんよ。

流石に僕も、何もかも投げ捨てて無気力になられちゃどうしようもない。」

手段を選ばなければね、と内心で『悪魔』は付け加える。



「いいえ、私めもどこか諦めていたのです。

先代があの“伯爵”に敗れ、復活なされた時からもう何もかもが別人のようで・・・

私は悔しくてなりませぬ。彼女があの誇り高き夜と不死の王であらせられたあの御方の成れの果てだと思うと。ううッ・・。」

セバスチャンは涙を拭うような仕草を見せる。

ちなみに、ヴァンパイアは人としての代謝なんて捨てているので涙なんて流さない。



「それにしても、アンデッド如きでどれくらい持つかな。

僕の部下の報告によると、なんだかすごい連中まで出て来たみたいだし。

彼女も君も、落ち延びたりするつもりはないんだろう?」

「勿論でございます。」

「ふーん、じゃあ僕もギリギリまで付き合ってあげるよ。

どうせ数日は滞在する予定だったし。この様子じゃそれまでに連中が来そうだからね。

それまで僕がゆったりできるように、足止めを命じておくよ。」

「ルーフスリテラ殿・・・恩に着ます。」

「いや良いんだ、僕らも無理言って滞在させてもらってる身だからね。この城の蔵書とか宝物庫とか見て回るのも面白いし。」

「はははは、宝物庫には何もありませんがね。

敗戦の折、『マスターロード』の奴めに、持っていかれてしまいましたわ。」

「そうなんだ、それは残念だなぁ。

まあいいか、じゃあさ、先代についていろいろ教えてくれよ。」

「それに関してはお任せあれ。三日三晩語り尽くしても、かの御方の話題は尽きませぬ。」

セバスチャンは、嬉々として彼に話をするのだった。




彼が先代の自慢話から解放されたのは、夜になってからだ。


「やれやれ、あの爺さん。思ったより長引いて困ったよ。」

彼は宛がわれた部屋に戻ってきた。


「お待ちしておりました、マスター。」

「それでどうだったの? まあ、その様子じゃ予想は付くけど。」

部屋にはオリビアとエリーシュが待っていた。



「明日から切り崩してみるよ。このまま無気力に無抵抗にやられちゃ詰まらないからね。

エリーシュ、こっちに来るようなら適当な理由で連中に足止めしといて。」

「了解。全力でやっちゃう?」

「いやぁ、第三者に過ぎない僕らが彼らに大打撃を与えるのは可哀想だよ。右に左に揺さぶって、遊んであげると良いんじゃないかな?」

「ふふッ、では彼らには“砂漠の魔女”の蜃気楼をご覧になっていただこうかしら。」

エリーシュは意地の悪い笑みを浮かべて、彼に応じた。



「マスター、これを。」

「ん? どれどれ・・・。」

彼とオリビアはお互いの額を合わせた。

それだけで、彼女の記憶が彼に伝わる。


「なるほど、なんかヤバい連中ってこいつらか。

うわぁ、これ現存していたのかよ。・・・決めた、深入りは止めよう。あんな魔剣の切っ先を向けられちゃ、堪らないよ。」

「そんなに危険なのですか?」

魔剣の性質を見極める事においてオリビアに敵う者は居ないが、彼女は主人の顔を立てて問うた。


「あんな魔剣らしい魔剣は、この世に一つしか知らない。

そしてそう言った魔剣は得てして無二の性質を誇っている。アレを苦手としない存在は居ないよ。

魔剣のランクはどれだけの人物に影響を与えられるか、によって決まる。アレは歴史の表舞台に出続けていれば、SSSランクは間違いない怪物魔剣だ。

遺失してればどれだけ良かったか・・・。エリーシュ、それにだけ気を付けておけよ。君がアレに切られたら、アレの格が上がって手が付けられなくなるからね。」

「了解したわ。」

無類の魔剣マニアの彼に層まで言わしめる危険性を肝に銘じて、エリーシュはその場から陽炎のように消え去った。



「まあ、個人的にはアレを使いこなせている方に驚いているんだけれど。

どんな人間にも使いこなせなかったアレを魔族がねぇ・・・ふふふ、面白いじゃないか。『マスターロード』もなかなかの切り札を持っているようで。」

「魔剣“デストロイヤー”ですか・・・。」

「そう、破壊者だ。アレはこの世の事象の悉くを破壊する。

場合によっては魔王とも正面切ってやりあえるだろうね。文字通り、バランスブレイカーさ。

あんなものは僕のコレクションとして死蔵されているのが一番美しいんだ。」

「では?」

座っていたオリビアが、立ち上がる。


「待て待て、早まっちゃいけない。アレが持ち主を相応しいとして認めているのなら、それを横取りするのはもっと美しくない。

まったく、敵の恐ろしさを聞いてあわあわ言ってた君が恋しいよ。

良いかい、高名な美術品っていうのは金で買っても所有権を持てるわけじゃないんだ。飽くまで管理する権利でしかないんだ。

だから、それは僕がアレに相応しくないと思った時で十分さ。」

その物言いではもう既に自分の物だと言っているようなものだが、その傲慢さが悪魔らしくもあり、また人間らしかった。



「オリビア、椅子。疲れたから僕はもう寝るよ。」

「はい。」

オリビアは主人の言葉に応じて、近くにあった椅子を引き寄せ、そこに座った。

そして彼は躊躇いも無く彼女の上に座り、体を全て預けた。


「ふわあぁ・・まったく、相変わらず貧相な椅子だ・・ねむねむ。」

彼は欠伸と嫌味を一つすると、目を瞑ってすぐに眠ってしまった。



「良い眠りを、我が主よ。」

オリビアは彼が起きるまで、いつまでもその身を預かっていた。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




“権能部”の奴らが来て以来、この町は今までが嘘のように活気であふれていた。


「すげえや、祭りみたいだ。」

俺の率直な感想が、この町の状況を表していた。

物資もほとんど残ってないだろうに、なけなしのそれを振る舞って魔族たちは騒いでいるのだ。

それがどこか痛々しく見えるのは、俺だけだろうか・・?



「そりゃあそうだろう。

なんてったって、“権能部”ってのは反逆者の始末が主任務らしいからな。

魔王としての権限を持った連中を歓迎しないっていうのは、魔王を尊敬していないってことになるんだろうよ。」

隊長はそう言っていた。


「俺、みたことあるんだ。あの“沈黙の騎士”が活動した跡を。

村一つあった場所が、何もなかったんだ。綺麗さっぱり、痕跡ひとつ無かったんだ。

そこに初めから何もなかったって言われれば、信じてしまいそうになるくらいにな。俺は恐ろしくて身震いしたもんさ。」

と、隊内でのささやかな酒宴で同僚の一人がそう言った。



「“沈黙の騎士”・・・?」

「ブラックトロールが居ただろう? あの御方さ。」

同僚からそれを聞いて、ああ、と俺も思い当たった。

確かに彼は拠点に案内している最中も終始無言で、何一つ言葉を発しなかった。


「確かに、すごい無口だったな。」

「はっははは!! 違う違う、無口だからじゃないさ。

あの人が通った後は、本当に静かになるんだ。だから畏怖を込めて“沈黙の騎士”殿と呼ばれているのさ。」

同僚たちは彼の言葉に釣られて笑ったが、俺は笑えなかった。


あの後、“権能部”の連中に滅ぼされたアンデッドが再利用されないよう、エクレシアと数名の護衛を伴って供養にあの場に訪れた。

俺が見に行った方が済むと、その反対側へと赴いて、俺たちは絶句した。


そこで戦いが行われたと言うのが、嘘のように何もなかったのだ。

死者の嘆きも、亡霊の絶望も、死体も何もかもが。


血の一滴すら発見できなかったそこは、まるで生死すら介在の余地のない異様な空間に思えたのだ。



結局、俺たちは町の周囲に聖水を撒いて清め、アンデッドが近づけないようにすることしかできなかったのである。

それでも十分な功績だろうが、エクレシアの技術と知識は本当に役に立った。


アンデッドから受けた傷は一種の呪詛が込められており、それは自然治癒などを阻害するらしいのだ。

或いは毒のように体を蝕んだりもするらしい。

人間なら一生続くらしいが、そこは魔族、一月もすれば収まるらしい。


それでも、具体的に対処できないというのは辛い。

エクレシアはそれを解呪する方法を知っていたのである。


お蔭で、治療の後も呪詛に苦しむ多くの魔族を救えたのである。

彼女に弟子入りを志願する者まで現れた程である。


ちなみに、その治療のためには多くの聖別した聖水が必要なのだが。



「まさかこんな方法を取るとはね・・・。」

手伝わされたクロムが呆れたようにそう言った。


目の前には小さな浴槽くらいの柩が置かれ、その中に水で満たされている。

ただ、その底には先日あの『悪魔』から受け取った“聖剣”が沈んでいたのだが。

エクレシアはそれを触媒にして、簡易的な儀式で聖水を量産しているのだった。



「最高位の触媒をこんなことに使うなんて、気が知れないわ。」

クロムからしたら正気の沙汰ではないのだろう。


「他言は無用よ。神秘性が損なわれる可能性があるからね。」

「聖水の聖別は十分神聖なる行いです。事象の強弱で物事を計るような浅ましい判断で物を言わないでください。」

「信じられないわ・・・まあいいけど。」

頑固とした物言いのエクレシアに、クロムは頭を抱えて溜息を吐いた。


しかし、そのお蔭か町中に溜まっていた怨念を駆除しきることができたのである。

あの腐臭と血の臭いに満ちたこの町は、何とか通常の空気に戻った。


本来なら町中から賞賛されてしかるべきだが、“権能部”の連中が居る為か、皆そっちに目を向けている。

折角エクレシアの本願が果たせそうだったと言うのに、俺は何だか虚しさを感じていた。

やはり魔族が分かりやすい武功に目が行くのは仕方がない事かも知れない。

それに、治療に関してならあのメリュジーヌが呪歌で怪我人の治癒力を促進させていたのも大きかったのだろう。



「いいえ、これでよかったんですよ。」

そんな胸の内を伝えたら、彼女は複雑そうな表情でそう言った。


彼女は先ほどまで、十数名ほど魔族に色々と人間に神について説教をしていた。

それだけでも疲れている様子だと言うのに、それが町中に広がったら彼女は持たないかもしれなかった。




何はともあれ、遠征初日が終わり、翌日の朝までに起こったことが以上である。


俺は日が上る前には仮眠が取れた。

昨日はいろいろあったし、今日は動けないだろうことは昨日のうちに聞いたことである。

行動の単位が軍にもなると、身動きが取りづらくなるのは当然だ。


周囲の偵察、行軍の為の部隊編成、兵站の確認やらと、準備することは腐るほどあるのだ。

そう言った難しいことは頭のいい連中がやるだろうから、俺みたいなのは出来る事が単純なので楽で良いや。


俺が起きたのは毎朝の朝食の時間である。

いくら魔族と言う連中が一週間飲まず食わずで活動できても、当然食事は士気に関わる問題だ。

保存性優先のマズイ食事だが、栄養価もあるし何より軍には多くの種族が居るため、俺みたいな人間でも食べられるように出来ている。

それだけでも、睡眠時間を放棄してそれに参加する意義はあると言う物だ。

隊長たちとの行軍で、食事のありがたみは嫌と言うほど理解した。


それでも我慢ならない時もあるが、その時はこれまた保存の聞く嗜好品を個人的に購入して、適度に摘み食いして気を持たせるのだ。

ちなみに俺はこっちに来る前に、ハーブが練りこまれたクッキーもどきや、乾燥させた柑橘系の果実の切り身とかをホルダーのポケットにありったけ詰め込んできた。

どっちもあんまり美味しいとは言えないが、無いより断然マシである。



朝食を取ったらすぐに隊長たちと合流し、軍議を行う本拠点の警護を行う。

“権能部”の連中が合流して以来、彼らを見に来る連中が激増して隊長たちは忙しそうであった。

流石に日を跨いだ現在は大分沈静化しているが、空気も読まずに遠くから見ている連中も多い。

それもこれも怪我人が大幅に減ったから出来る事なんだろうが、少しは状況を自分で判断してほしい物である。



まあ、そんな連中が溜まれば。


「これ、お前たち、そんなところにたむろすれば、人通りの邪魔となろう。」

本拠点の真横に腰を下ろしている巨人騎士アダマンティウスがその腰を上げる。

それだけで気の弱そうな野次馬は散り散りとなる。


・・・・これ、俺たちが警護する意味無くね?



それを見る度に、俺たちの部隊に漂うどんよりとした空気は、俺の疑念が頭の中にぐるぐると渦巻いていることだろう。


「おい、半分を町の警備に回す。そっちに回りたい者は志願しろ。」

結局、隊長が隊員たちを招集させてそう言った。

俺を含めたおよそ八割方が手を挙げて、隊長が頭を抱えたのは言うまでもない。


「分かった、全員が交代で警備を行うこととする。」

すぐに隊長は町の地図を引っ張り出して、班分けとルートをテキパキと決めていく。

こういう柔軟な対応が隊長の有能さを雄弁に語っている。



これまで五十人で本拠点の警護をしていたが、十人が残り四人ずつでグループを作って町中を見回りすることになった。

元々警備の人数は足りていなかったようだし、治安維持に力を入れて入れすぎる事は無いだろう。



「よう、坊主。俺達が一緒なら百人力だな!!」

「なんなら、乗せてやろうか?」

「まあ、お互い頑張りましょう。」

俺と一緒になったのは、ワータイガー、ケンタウロス、バフォメットのいつもの三人組である。

ばしばし俺の肩を叩くのは止めてほしい。

魔族の筋力は人間とは比べ物にならないんだからさぁ!!


「さ、行くぞ人間。この町の平穏は俺たちの双肩に掛かっているのだからな!!」

そして相変わらず俺の名前を覚える気は無いらしい。

だから俺もこいつらの名前を意地でも覚えてやらん。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




「それでだな、そん時ゴルゴガンの旦那の奥方が出て来たらしくてな・・・」

「うっそ、マジかよ!!」

「ぎゃはははは!!」

「は、腹いてー・・・。」

隊内屈指の噂好きらしいこいつらの話を聞いて、俺は警備中だと言うのにみんな揃って爆笑していた。

何してんだ俺は・・・。


しかしながら、そんな馬鹿騒ぎをしていても周囲から浮かない程度には町に活気が戻っていた。

この町は“夜の眷属”が多く、姿が人間に近い者も多いがそれ以上に人間離れしている外見の連中も多い。

傍から見れば人外魔境である。


これが仮初めの活気であっても、腐臭と血の臭いの中で怪我人が溢れているよりはマシだ。

空は相変わらず毒々しい紫色の霧で満ちている。

だが、この空に屈するほど、魔族は脆弱ではないのだ。



「お、あれはお前の女じゃないか?」

そんな感じで俺たちは見回りをしていると、目のいいケンタウロスが大通りの外れの方でエクレシアが何人かの魔族に絡まれているのを見つけた。

どうやらエクレシアの話を聞きたいって連中ではなさそうである。


「おい、お前ら、俺たちの仲間に何をしてんだ!!」

「てめぇら男のくせして女に複数で囲むとはいい度胸してんなぁ!!」

同僚たちが恫喝気味に怒鳴り散らして近づくと、彼らはそそくさと逃げて行った。



「大丈夫か、エクレシア?」

「ええ、助かりました。どう切り抜けようか困ってましたので。」

皆さんもありがとうございました、とエクレシアは同僚たちに一礼した。


「でもいったいどうして絡まれてたんだ? やっぱり人間だからか?」

俺は基本的に、なるべく魔族と一緒に行動するようにしている。

魔族の領域では人間と言うだけであらぬ誤解を受けるものなのだ。



「いいえ、彼らは私が撒いている聖水に関して文句を言ってきているのです。」

「ああ、なるほどね。」

エクレシアの言葉に、同僚のバフォメットが納得したように頷いた。


「どういうことなんだ?」

「僕らは悪魔属だからねぇ、聖水が撒かれた場所に近づくとちょっとピリピリしたり、肌がジンジンしたりするんだよ。

こればっかりは体質みたいなもんだから、どうしようもないんだ。」

普通対処法ぐらい知っているはずなんだけれど、と彼は言う。



「ああ、そう言えば“夜の眷属”って悪魔系の魔族が多いんだっけ。」

「みんなは戦時だから表だって文句は言わないけれどね。窮屈な思いはしていると思うよ。」

よくよく考えてみれば、彼の言うとおりである。

聖水は不浄なアンデッドに効果抜群だ。そして“魔界”の悪魔ほどではなくとも、彼やサイリスが触れれば火傷する程度には効果がある。近づけば嫌悪感を抱いたりするらしい。


「それは私の不徳が致すところです。

この手の効力は基本的に対象を選別できるのですが、ゾンビ化している魔族も対象に入れているため、どうしてもアンデッドだけを退ける事が出来なかったのです。」

「町の中だけは違う効力の聖水じゃダメなのか?」

「別の効力の聖水を作る時間が無かったのですよ。

先ほど調整が済んだので、現在聖水の効力を上書きしようと町中を歩いて回っているのです。」

なるほど、と俺は頷いた。

よく見れば、彼女は背中に聖水の瓶が入ったバッグを背負っている。



「おい坊主、お前彼女に付いてってやれよ。」

「え?」

「そうだぜ、また絡まれちゃ面倒だろ。次はお前が守ってやれよ。」

「そうですよ。」

「だけどよ、今は仕事中で・・・。」

同僚たちの気遣いの言葉に、俺はエクレシアをチラチラ見ながら遠慮しがちにそう言った。


「俺達なら気にすんなって、どうせ“権能部”の連中が居るんだ。進んで悪事をするような奴らなんかいねぇよ。」

「そうそう、俺たちが町の警備をしたいって言ったのも、サボりたかっただけなんだよ。」

「お前真面目ですからね、一緒に居られると邪魔なんですよ。」

と、口々に言いやがる。

何だかんだで気のいい連中である。


「分かったよ・・・でも、サボんのもほどほどにしろよ。

あんまり目につくようだと、クラウンに給料減らされるぞ。」

「ちょ、おま、それは卑怯だぞ!!」

それだけは勘弁だからなッ、と言い捨てて、同僚たちは去って行った。



「愉快な人たちですね。」

エクレシアがくすくすと口元を抑えて笑っている。


「アホなだけだよ。」

俺は何だか気恥ずかしくなって、照れ隠しにそう言った。


「では、彼らの気遣いに感謝して、行きましょうか。」

「うん。」

俺は彼女に手を引かれて、歩き出した。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




俺はエクレシアと町中をデートもとい、歩き回って悪霊が溜まりやすそうな場所に聖水を撒いて回った。

他の魔族に絡まれるような事も無く、順調に滞りなく作業は進んだ。


「ここで最後だな。」

「ええ。」

エクレシアは町の外周付近にある最後の地点に聖水を撒いて、呪文を唱えた。

撒かれた聖水が淡く光ると、地面に吸い込まれていった。


これで効力を発揮したはずである。



「ふう、やっと終わったな。昼ごろまで掛かっちまった。」

「ええ。しかし、まだ一度調整しただけですので、魔族の皆さんが違和感を覚えるようならばやり直しですが。」

「大変だよな・・・。」

そのことはもう既に道中で聞いていたので、俺はそう言うしかなかった。


「いいえ、不浄の存在から人々を守るのが聖職者の役目ですから。」

「まあ、出来るだけ俺も手伝うよ。クラウンや隊長とかにも言っておくから、次からは声かけてくれよ。」

「分かりました。・・・ありがとう。」

「いやいや。」

彼女に普通に頭を下げられては、俺だって困ってしまう。




「おや、町中に浄化儀礼が施されていると思っていましたが、やはり貴女でしたか。」

ふと、後ろから声を掛けられた。


振り返ると、ハーレント子爵が居た。

今回は護衛が居ないようだ。



「子爵殿じゃないですか、何で貴方がこんなところに?」

「私も魔術師の端くれですからね。

怨霊の侵入を防ぐ結界の基点となる場所を探していたのですよ。」

彼はそう言って、試験管に入っていた真っ赤な液体を地面にぶちまけた。


それは、血であった。

真っ赤な飛沫に過ぎなかった血は、まるで生き物のように蠢いて、魔法陣を作り上げた。

たったそれだけで、老練とした技量だと理解できた。



「浄化儀礼と競合はしないように調整しておきました。

これでもう、アンデッドは町に近づけないでしょう。」

簡単に言ったが、それはコーヒーにミルクを混ぜて交わらないようにするようなもんである。


結界などの空間に作用する魔術は、基本的にお互いが邪魔し合いやすい。

だからより強い方が上書きするのが基本なのだ。そもそも、普通は相手の魔術を残しておく理由がない。



「吸血鬼の魔術ってスゲーんですね。」

「いやいや、魔術に強いのはうちでは私だけでね。

時間は腐るほどあったから、色々と覚えてしまっただけだよ。」

ヴァンパイアは生来からプライドが高いらしいが、彼は謙遜までして俺みたいな若造にそう言った。


「子爵殿は俺が大師匠の系譜だということを気にしてたようですけど、子爵殿にも大師匠が?」

「いいや、そもそも彼が我々“ノーブルブラッド”の創設者みたいなものでね。」

「えッ」

普通に驚いてしまったが、あの人ならやりかねないと思った。



「およそ千年前、我らが“伯爵”殿に彼はこの世界に吸血鬼が蔓延らないように監視するように頼んだそうだ。

破天荒な御方だが、確かにあの御方は地上の平穏を願っているようだ。」

「ええ、うん、まあ・・・。」

少なくとも大師匠は人類の味方ではあるようなので、曖昧に頷いておいた。

群衆を虫みたいで気持ち悪いとか言っちゃうけど。


「だから、普段から吸血鬼狩りをしているんですか?」

「いいや。勿論それもあるが、弱者の味方となることが多いな。

戦争に巻き込まれた村を防衛したり、・・・他にも色々あるが、理不尽に住んでいた土地を追われそうになる人々を脅威から守ることが多い。」

意外である、本当にこの人は吸血鬼なのか疑ってしまうくらいだ。


「立派なことを成さっているんですね。」

俺は先ほどからだんまりを決め込んでいるエクレシアを横目で見ながら、そう言った。



「最初は殆ど成り行きだったがね、“伯爵”殿はその・・義侠心溢れる御方でね。

あの恐ろしい父親の反発もあるだろうが、困った人を見捨てられない御方なのさ。

我々は人間としての尊厳を忘れぬように律しながら、この世の闇を生きているのだよ。」

どこか可笑しそうに笑いながら話すハーレント子爵は、どこか誇らしげだった。


確か、彼らの首領であるらしい“伯爵”殿の父親が、あの“流血公”らしい。

あれから興味を抱いて“流血公”とやらの伝説を調べたのだが、端的に言って極悪人である。

吸血鬼の概念そのものみたいな悪行を、ざっと1500年以上に渡って繰り広げつづけ、魔王が現れればその下で進んで人間を虐殺したり、不死者の軍勢を率いて町を攻めたり、と人類の天敵そのものだったようだ。

そら、魔族からは英雄扱いだろうよ。


そんなのに反発もすれば、吸血鬼らしくもない超善人にもなるってものである。



「最近はやはり彼の娘だなと思う出来事もあったが、我々は概ね変わらない。変わりようがないと言うべきか。」

「人であることを辞めて、失った物はあったりするんですか?」

「それはあるさ。人が人以上の寿命を生きるのは傲慢なことだからね。

私たちは色々な物を失い、そして気づかぬうちにまた色々と失っているのだろう。」

「なるほど。」

流石900年以上生きている吸血鬼はいう事が違う。



「だから君も、魔術を極めるつもりなら心しておくと言い。」

「大丈夫ですよ。散々師匠たちに言われましたから。」

「そうか。ではお互い、長い付き合いになることを願おうか。」

そう言ってハーレント子爵は踵を返して去って行った。


なんだか、不思議な時間だった。

まるで今を生きているのに、ずっと先まで生きているような人だった。



「行きましょう。」

「ああ。」

彼の感覚に中てられると、俺たちまで時間間隔が狂ってしまいそうだ。


人でありながら、吸血鬼であるハーレント子爵。

何とも奇妙な人物である。



・・・そう言えば、あの『マスターロード』でさえ“騎士”位に甘んじているのに、なんで彼は子爵を名乗れるのだろうか?

今度会ったら、聞いてみよう。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




「おい、大変だッ!! 誰かこっちにッ!!」

俺たちが本拠点に戻ると、何やら騒がしい様子だった。


伝令があっちこっちから行ったり来たり。

どうやら情報が錯そうして、混乱しているようだ。



「あ、隊長!!」

そこで俺は、何やら苦虫を噛み潰した様な表情をしている隊長を見つけたので、俺たちは彼の元に歩み寄った。



「いったい、どうしたのですか、この騒ぎは?」

「あ、お前たちか・・って、おいササカ、お前警備はどうしたんだよ。

まさかサボって女と遊んでたのか?」

「あ、いやその・・・。」

ぎろり、と隊長の爬虫類の縦に割れた瞳で睨まれて、俺は思わず萎縮した。


「はぁ・・・いいえ、私が無理に頼んで護衛してもらっていたんですよ。

魔族の町で人間が一人で歩くのは心許ないですから。」

そこですかさずエクレシアがフォローしてくれた。


「・・・・まあ、彼女に免じてそう言うことにしておいてやるよ。」

俺より彼女の方が強いことをよく知っている隊長は、俺を睨みつけたままだったが一応理解はしてくれたようだ。



「それで、この騒ぎは?」

エクレシアがもう一度隊長に問うた。


「ああ、何でも、外に行った偵察の連中が全員、いつの間にか城門前の森の入口に戻ってきてたんだよ。

これはただ事じゃないってなってな。

そしたら次は、なんと俺たちの兵站が干乾びてやがったんだ。」

「えッ、干乾びてたッ!?」

「いや、干乾びてたっていうより風化したっていうのか?

砂のようになっちまってて食えたもんじゃない。

その上、住人から町の井戸が干上がってたって報告が来て、調べてみたら町中の井戸が一滴の水も無くなっちまってたらしい。」

「そんな、馬鹿な・・・。」

エクレシアもその異変に唖然とした様子だった。


「現在原因究明中で、どいつもこいつも走りまわされている。

こいつはやべーぞ。兵站も水も無いんじゃ、軍はうごかせねぇ。

一応、第二層の旦那に伝令で追加の補給物資を要請したみたいだが・・・こりゃあ下手すりゃ三日は何も食えないな。」

「なんてこった・・。」

俺たちが町中を回っているうちに、いつの間にか新手のスタンド攻撃でも食らったみたいな混乱状態に陥っていた。



「今んとこ、少しでも蓄えがあるところから片っ端から食料や水を買い集めようと動いているらしい。

クソったれな商人どもが足元みてくるのが目に見えるようだぜ。」

「隊長、俺たちはどうすればいいんですか?」

こんな時に俺はどうすれば分からない。

俺たちも食料を買いに行けばいいのか、それとも水を探しにいけばいいのか?


「馬鹿野郎。こういう時こそ、足元の守りを疎かにしたダメなんだよ。

とりあえず全体が落ち着くまでは、ここで俺たちは俺たちの仕事をするんだ。そうすれば小さな事からやらなきゃならない事まで嫌でも見えてくるもんだ。」

「わ、分かりました。」

こういう時だからこそ、隊長がなんだか頼もしく思えた。


「私はクロムさんを探してきます。

彼女なら、少なくとも水を確保する方法を幾つも知っているでしょうから。」

「分かった。この混乱だ、無理すんなよ。」

「ええッ」

エクレシアも、自分のすべき事を見つけて駆け出して行った。


本拠点の近くにいるだけで、叫びのような報告が幾つも聞こえてくる。

町の方からは悲鳴に似た何かも聞こえてくる。

騒ぎは収まるどころか、より一層混乱に満ちて行った。



結局、この混乱は夜になるまで収まることは無かったのである。


どこかで、“魔女”が哂っていた。






こんにちは、ベイカーベイカーです。

戦力が整ったぞ、さぁ行くぞ!! ってならないから、いつも私の小説はぐだるんですよね、わかります。

でもまあ、このままアタックを仕掛けるなら、小説内で三日もかからず終わるんですよね、地理的に。

戦争が一週間以内に終わるわけないじゃないですかー、やだー。

そういうわけで、まだまだ大きく事態は動きません。

それでは、また。次回ッ!!



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