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魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
第五章 魔族戦乱
89/122

第七十二話 惰眠を貪る魔王






それは、ササカ達が『マスターロード』への会合に出向いている最中のことだった。


その日の夜。

フウセンは私室でメリスに出された課題をこなしていた。


クロムを通して設計図が送られ、彼女がそれを元に作成した秘密箱と知恵の輪をフウセンは左右の手で同時に攻略していた。

それも、ランニングマシーンで走りながら。


ランニングマシーンの速度はランダムで増減し、フウセンは両手の仕掛けを解きながらそれに対応して走ることになっている。

両手の仕掛けを落としたり、転んだら最初からやり直しだ。

殆ど急停止に近い減速もあり、なかなか鬼畜な難易度を誇っている。


状況の対応力と、一度に複数の思考を出来るようにする訓練である。

と言っても、これはシミュレーションで飽きるほどやらされおり、これは単純に彼女の自主トレなのだった。

そちらでは気まぐれでメリスが計算問題とかを出すので、ササカ共々涙を呑んだ回数は計り知れない。



「ふぅ・・・終わったわぁ・・。」

それを一通りこなすと、彼女はベッドに寝転がった。

この程度の運動では、もう彼女は汗一滴流さない。



他の者の部屋と変わらない普通の私室の天井を、彼女は無言で見つめた。

することが無くなったのだ。


「どないしよう、読みたい本はみな読みねんし・・・。」

時間は午後十時ごろ。現代人にとっては微妙な時間帯だが、昼型の魔族にとってはもう就寝時間で、夜型の魔族がぼちぼち働きだす頃合いだ。


「そういや、今日は賊が出たって言っとったな。」

今日の昼間あたりだろうか、賊の正体は逃げられて分からなかったが、どうやら自分と他人の会話を盗み聞きしていたらしいのだ。


幸い今日は謁見はお休みで、世間話ぐらいしかフウリンとか他の臣下たちとしていないので、聞かれて困る話はないだろうけれど。



「やっぱし、こういうことはあるんやな。」

覚悟はしていたが、やっぱり自分のことを盗み見されたりするのは不快極まりない話である。



「今日は早う寝よ。」

いつものように銀のカードを枕の下に置いて、毛布をかぶって眠ろうとした。




「『フウセン、聞こえますか?』」

だが、突如として響いてきた声に、フウセンは目を開けた。



「『その声は、『盟主』・・・?』」

念話の糸を手繰り寄せると、それは見知った相手からだと判明した。


いきなりの『盟主』からの念話に一瞬心臓が逸ったが、彼女は努めて平坦に問うた。



「『今更、ウチに何の用ですか・・・?』」

「『今、時間はありますか?

貴女に見せたいものが有ります。興味が無いのなら断ってもそれで構いません。』」

彼女の物言いは、一方的で淡々としていた。

本当に、別にどちらを選ぼうと構わないと言っているような、底知れない冷淡さがあった。


フウセンは、警戒を緩めず問う。



「『見せたいものって・・・なんなんですか、それは?』」

「『この『本部』至上の秘密ですよ。これは私と師匠しか知りえない秘密です。

勿論、メリスやカノン・・弟子にも言ったことのない秘密です。勿論、他言無用です。

この秘密を守るためならば、一万人の命ですら釣り合うほどの機密情報です。』」

「『それはッ』」

いきなり『盟主』がスケールの大きいことを言うので、フウセンは一瞬どもってしまった。



「『それを知ったウチは、どうなるんですか?』」

「『どう、とは?』」

フウセンは、まさかからかわれているのではないか、という疑念に駆られた。


無数の魔術師たちの命を弄ぶ謀略家が、まさかそんな大それていそうな秘密とやらを知った相手をどのように始末するのか、考えていないとでもいうのか?



「『ウチをからかってるんですか?』」

「『あ、ああ・・・それを知ることで実害を被る事を恐れていたのですね。

いいえ、むしろこれは、貴女が知るべき情報だからですよ。

とは言え、我々の間に蟠りがあるのは承知しています。だから初めから強制はしていませんでしょう?』」

それは、感情を秤に掛けて計算でもしているかのような物言いだった。


と言っても、それが彼女の素なのだ。

悪気があるわけでもなく、彼女は自分に向けられるあらゆる感情に無関心なだけなのだ。

そして他人も自分のように扱う彼女は、そんな無神経なことが言えてしまえる。


だからこそ、自分に不利な印象操作すらも何千年と続けられるのだろう。

その精神性は、恐らくこれから長いだろうフウセンの一生を掛けても理解できないだろうし、その境地に至ることはできないのだろう。



「『質問に答えてください。何も答えてくれないじゃないですか。』」

「『まさか・・・私がメリスの弟子である貴女を彼女の許可なしにどうこうするとでも?

私は師匠じゃありませんから、そんなことはしませんよ。』」

一度はいた言葉は呑み込めない。言葉は、呪いなのだから。



「『・・・・ずるいですね、ウチが断れない事をしってるでしょうに。』」

「『それが、答えと取っても宜しいのですか?』」

「『少なくとも、ウチは『盟主』の判断を一度たりとも間違ってると思ったことはありませんよ。』」

そう、たとえあの時自分の為に死んでくれと、言われた時でさえ。

こんな身の上になってから、つくづくそう思う。



「『では、目を閉じて、三秒後に目を開けてください。』」

フウセンは言われた通りにすると、自分は知らない場所に立っていた。



「ここは・・・?」

「第二十九層の最北端ですよ。」

そして目の前に立っていた『盟主』がそう答えた。


よくよく周囲を観察してみれば、むき出しの白亜の“天井”や“壁”が見えるこの場所は、彼女の知る第二十九層に相違なかった。


そして、彼女の最北端と言う言葉通りに、外周の“壁”が真横にそびえ立っていた。



「ウチに見せたいものって、大図書館にでもあるんですか?」

この第二十九層と言えば、魔族が“箱庭の園”と呼ぶこの『本部』の中枢だ。

フウセンが言った大図書館や“議会”の会場、『盟主』の邸宅や他にも幾つもの重要施設を抱えているために、基本的に一般人の立ち入り禁止区域だ。

彼女も“処刑人”としての任務を受けにきた時ぐらいしか、来たことが無い。


「いいえ。」

しかし、『盟主』はそれを否定した。

そして彼女は、横にあるむき出し白亜の“壁”に手を触れた。


すると、その一部分が透き通り、消えていくではないか。

その奥には、同じく白亜の階段が続いていた。




「私が貴方に見せたいのは、第三十層にあります。」

そして、『盟主』はフウセンに向き直ってそう言った。



「第三十層・・・実在してたんや・・・。」

フウセンは思わず唾を飲み込んだ。


言わずもがなだが、この『本部』は全部で三十階層ほど存在する。

しかしながら、ここに住む住人達はおろか、魔術師たちでさえその第三十階層目があることを誰も知らない。


いいや、噂だけなら幾つも存在していた。

ただの屋上があるだけだとか、未完成区域だとか、どこかの遺跡と繋がっているとか、果ては根拠もない『盟主』への陰口として利用されてすらいた。

魔族の間でも、『盟主』に封印された魔王復活の為に必要不可欠な祭壇があるとかないとか、半ば伝説じみていた。




「付いてきてください。」

そう言って、『盟主』はさっさと自分だけ階段を上り始めた。

慌ててフウセンも彼女に付いていく。


彼女が階段を駆け上がると、入り口が白亜の壁で閉ざされた。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




階段は螺旋状になっていた。

十分以上も上り続けてもまだ終わりは来ず、天井壁階段が一面白亜なのも手伝ってか、本当に自分は階段を昇れているのか分からないような感覚に陥っていく。

まるで空間がループした結界の中を歩いているようだった。


常人なら根を上げそうな拷問のような果てしない階段にも、やはり終わりは訪れた。




「ここが、第三十層・・。」


辿り着いた第三十層は、一言で言えば拍子抜けするほど殺風景だった。

景色と言うものが皆無で、第二十九層からあらゆる建物や地面を取っ払ったかのように、白亜一色だった。


これだけだったら、フウセンは二時間もこの空間に居れば発狂する自信がある。

幸い、何もないと言うことは無かった。

むしろ、物が有り過ぎた。



見渡す限り、カンバスや奇怪なオブジェや彫刻、画材や彫刻刀や石材などが適当に放置されていた。

その広大さ故に散らかっているようには見えず、奇妙な一体感を持っているように見える。

カンバスに描かれた絵画はどれもが名画と素人のフウセンにも分かるほどの物ばかりで、道具はそれぞれがそれぞれの歴史を経ているかのように使い古されている。


まるで、この第三十階層まるごとが芸術家のアトリエのようだった。



「ここはいったい・・・。」

「行きますよ。」

思わず足を止めるフウセンの疑問に答える者は無く、『盟主』は足を進める。

それに慌てて追いすがるフウセン。


ふと、『盟主』が指を鳴らした。

その直後、フウセンの周囲が変化した。


彼女はただ歩いているだけなのに、まるで新幹線にでも乗っているかのように周囲の景色が流れていくのだ。

フウセンは、それが一種の空間操作だと気付いた。


もっと術式に彼女が精通していれば、縮地法を個人レベルで使いやすくアレンジした物だと分かっただろう。

むしろフウセンは、空間が歪曲するまで目の前で魔術を使われたなんて全く気付かなかった。


魔術の発動時に魔力を発露させるようでは三流だとメリスが言っていたのを、彼女は覚えていた。

一流の魔術師なら、魔術が完了するまでそれを察知させないのは当たり前でなければならないとも。


今のがどういう種類の魔術かまではフウセンは分からなかったが、『盟主』があの『黒の君』の弟子と名乗るに相応しくない技量ではない事だけは理解した。



そうして、第三十層の中心に辿り着いた。

そこが本当に中心なのかは分からないが、フウセンの感はそこが中心だと告げていた。



「――――ッ!?」

そして、そこにあったのは。




等間隔に並んだ石柱と、その床に描かれた魔法陣の中心には、――――キングサイズのベッドが存在した。


その石柱が超高性能の防音の結界を敷き、床の魔法陣があらゆる振動を抑える効力があるなどと、彼女は知る由もない。

ベッドには豪華な天幕が備え付けられ、これだけ明るいのにベッドの内部だけを薄暗い闇が包んでいる。


おおよそ睡眠するのにこれ以上適した環境は無いだろうこの場所に、是が非でも起こしてはならない存在が、そのベッドの上で惰眠を貪っていた。




「紹介しましょう。“彼”こそが“八番目”の魔王。

その名も、“惰眠”の魔王インソムニア。」

ゆっくりと手で『盟主』が指示した先に、その異形の存在はベッドと言う玉座に座して眠っていた。



「魔王インソムニア・・・。」

フウセンはゆっくりと静かに天幕の中を覗き込んだ。


まるでコイルのように円柱状の螺旋の肢体を持った、漆黒の異形。

そしてその頭部に貌はやはり、のっぺらぼうのように認識が出来ない。


間違いなく、あの“二番目”と“同族”に違いなかった。



「『盟主』、その、“彼”は・・・。」

「寝ている分には、“無害”ですよ。」

フウセンの懸念は先んじて『盟主』が口にした。


「ですが、起こせば手が付けられない。

“彼”が起きれば、目につく全てを見境なく滅ぼし、海は煮え滾り、夜は訪れない。

それは自身でも止められないようで、時間が経てば経つほど悪化する。

私はその姿を見てきました。“彼”にとっても、我々人類にとっても悪夢のような光景でした。

“彼”が一度三日三晩暴れた時は、三つの都市を壊滅させました。」

その『盟主』の言葉は、多分今にでもフウセンに魔が差せば容易に実現されるだろうことは、彼女にも理解できた。



「“彼”は睡眠欲を具現化したような存在です。

その暴走の際には「眠れない」と叫びながら破壊の限りを尽くすのです。

故に、彼は不眠症インソムニアと呼ばれるのです。」

本当に不眠症に悩まされている人間が聞けば笑っちゃうでしょう、みたいな顔を『盟主』はしているが、フウセンの顔の筋肉はピクリともしなかった。



「話してみますか?」

「えッ、でも・・・。」

「その眠りを直接妨げさえしなければ、起きて話ぐらいはできますよ。

それに十年に一度くらいは勝手に起きだしますし、ここ毎年は技術の進歩のせいか地上から安眠グッズを取り寄せるために起きてるくらいですから。」

「・・・・・。」

複雑そうな『盟主』の表情を見て、フウセンはなんて言えばいいのか分からなかった。

よくよく見れば、ベッドの横に何かの分厚いカタログが幾つも重ねて置いてあったが、彼女は見なかったことにした。



「はい、話してみます。・・・話したいです。」

フウセンは知りたかった。

“彼”が、どのような魔王なのか。


いいでしょう、と言ってから『盟主』は何ごとかをぶつぶつと呟いた。

すると。





――――“誰ぞ、我を呼び覚まさんとする者は。誰ぞ。”


全身に響き渡るような低い声が、第三十階層全体に広がった。



むくり、と“八番目”は体を起こした。

そして“彼”は『盟主』とフウセンに頭部の正面と思しき箇所を向けると。





・・・・・そのまま、ぼふん、とベッドに倒れて二度寝をし始めた。





「起きんのかい、このボケぇ!!」

その身に流れる関西人の血がそうさせたのか、フウセンは思わずつっこんでしまった。



ごほん、と『盟主』は咳払いして、もう一度何かをぶつぶつと呟いた。


そして。





――――“・・・・誰ぞ。我を眠りから呼び覚まさんとする者は。”


今度は若干イラついた声だった。


フウセンは全世界の寝起きの悪い息子を起こす母親の気分になった。



「ウチや、ウチッ!!」

また眠られる前にしっかりとフウセンは自己主張をした。



「・・・・汝、いかなる用向きで、我を呼び覚ましたか。」

少々不機嫌そうだったが、“彼”は面倒そうにフウセンにそう言った。



「ウチ、フウセン言います。魔王候補です。」

「だから、何ぞ。」

自己紹介してみたが、まるっきりどうでも良さそうな態度だった。



「ええと、魔王の先輩として色々とお話を聞きたいかなぁ・・・と。」

「下らん。」

そんなフウセンを無視して、“彼”は毛布を被る。



「んあぁ!? ちょっとくらいええじゃないですかぁ!!」

その態度にイラッときたフウセンは、“彼”の腕を掴んで強く揺すった。


すると、ぎょろり、と“彼”の双眸がフウセンを捉えた。

オパールのような美しい魔眼だった。


それだけでフウセンは何百メートルも弾き飛ばされた。



「魔眼使ったッ!! ウチをどかすためだけに魔眼使った!!」

あまりの大人げなさに、フウセンも激怒した。


むがあーーーッ、っと彼女は詰め寄り、ぐらぐらと彼の体を揺する。

そしてすぐに魔眼で吹っ飛ばされる。




「・・・・・・分かった、良いだろう・・・。」

暫らくそんなことを繰り返していると、さっさとフウセンの用事を終わらせた方が早いと判断したのか、渋々ながら折れたようだった。



「ええと、・・・先輩はどんな覚醒を経たんです?」

ぶっちゃけ何を聞こうかすぐに思い浮かばなかったので、とりあえず当たり障りのない事を聞いてみた。



「我は闇より深き眠りの中で覚醒を経た。」

「・・・?」

「人が最果てと呼ぶ、常夜の森の奥深く。我はいかなる関わりを持たずして、覚醒を迎えた。」

「最果て・・・?」

「かつて、私たちの故郷にはそう呼ばれる夜の明けない土地が最北にあったのですよ。」

首を傾げるフウセンに、『盟主』が補足してくれた。



「他にも魔女の住む砂漠、常に虹がかかる丘、一部を持ち帰っても溶けない氷河などなど、そう呼ばれる土地があったのですよ。」

「ふわぁ、滅んだってのが残念なとこやなぁ。ウチも一回行ってみたかったわ。」

『盟主』が懐かしむのを、フウセンは素直に楽しそうに聞いていた。



「でも、魔王は覚醒までに経た環境に影響を受けるんよね?

じゃあ、先輩はいったいどんな魔王だったん?」

「魔王・・・我にはよく分からぬ。」

「よく、わからない・・?」

反芻しても、その言葉の意味はフウセンには分からなかった。


「我を魔王と呼ぶのも、我にはよく分からぬという事だ。」

「えッ、それはどういう・・。」

「人は我を魔族とかいう連中を束ね、魔物を率いて人たちを襲うと言い掛かりを付ける。

そもそも、我は魔族とかいう連中を見たことが無いのだ。」

フウセンは、“彼”の言葉に絶句した。


彼女は“彼”の「分からない」と言う言葉を理解した。

彼にはそもそも、“魔王”としての自覚なんて無いのだ。




「じゃあ、どうして・・・町を三つ滅ぼしたりしたんです?」

「・・・? なんのことだ?」

しかし、“彼”は首を傾げる。


「前にもそこな『盟主』とやらにも同じことを言われた。

だが、それは我の眠りを妨げる愚か者に鉄槌を下したのだろう。

我が怒りは全てを塵と成し、何物も住めぬ場所を作り出す。

何人たりとも我が眠りを妨げることは能わず。我が能力の全てはそれにのみ特化し、使われる。

以前、我の眠りを妨げた流れる星が来た時、我は怒りのあまりにそれを砕いた。

天から星の欠片が舞い降り、それにより大陸の一部が滅びたと糾弾されたが、我は興味すら浮かばぬ。」

フウセンは、理解した。


“彼”にとって、周囲の存在や他社と言うものが、文字通り眼中に無いのだ。

そして“彼”に自覚は無くとも、彼自身が“魔王”と言う存在を体現している。


己の欲望の為に、邪魔をする者を全て滅ぼすのだ。



「あんたは・・・何にも興味なんてないんですか?」

「一度だけ、寝心地のいい場所を求め、南の大陸に赴いた。

言い掛かりはその時受けた。仕方がないのでそれ以来、ずっと氷の大陸で眠っていた。」

「・・・・・・・もう、いいです。」

もうこれ以上、フウセンに聞くことなんて無かった。


“彼”はベッドの奥に置いてあったカタログを『盟主』の前に投げ置くと、そのまま毛布を被って微動だにしなくなった。

眠ったのだろう。誰にも邪魔されることのない、深い眠りに落ちたのだ。




「これが、一万の命に匹敵するだろうこの『本部』の秘密ですよ。

これが解き放たれれば、軽く一国ぐらいは塵にするでしょう。何としてでも、それを阻止するのが私の仕事です。」

カタログの折り目が付いているページを開き、溜息を吐きながら『盟主』は呟いた。



「・・・『盟主』、なんでウチに“彼”を・・・。」

「“彼”のような存在もいるという事を、一応伝えておいた方がいいでしょうから。

こちらには、貴女が望めば全てを投げ捨てて深い眠りに就いてもらう用意があるということです。」

だが、フウセンは彼女の言葉に首を横に振った。


「ウチは、逃げません。」

「そうですか。では次に行きましょう。」

『盟主』の言葉と共に、二人はその場から掻き消えた。











「おや、リュミスの奴でも来たのかな?」

大量の絵の具をビニール袋に入れた“二番目”が、入れ違いになるようにやってきたのは、そのすぐ後のことだった。






・・・・

・・・・・

・・・・・・





次に二人がやってきたのは、第二十九層に存在するある場所だった。


「ここがあの悪名高い“コキュートス監獄”ですか。」

そこは空気すらも凍り付くような、極寒の牢獄であった。


空気中の水分が完全に凍結し、砂漠のように乾いたその場所がどれだけ冷えているかは不明だ。

何せ温度計すらも凍り付いて使い物にならない。


一度この獄中に繋がれれば、魂すらも凍て付く鎖に囚われるのだ。



ここは『盟主』に反逆した極悪人が永遠に投獄される場所とも、殺すのには惜しいが生かすわけにもいかない魔術師が保管されていると言う。

それを証明するように、先ほどから氷漬けにされた人間が幾つも置かれており、中にはこの世のものとは思えない化け物も凍り付いていた。


「メリスもつい先日までここに居たんですよ。」

と言う『盟主』の言葉に、何とも納得してしまった自分がいたフウセンだった。



暫らく『盟主』と共にコキュートス監獄を進んでいると、やがてこの氷漬けの牢獄の中に於いても動く存在が居た。

この監獄の、看守だ。


まるで雪面のように上から下まで、真っ白。

雪の妖精かと見紛うようなその容姿を持つのは、この極寒に相応しくない目麗しい少女だった。



「・・・今日の囚人は彼女?」

眠るように目を瞑っていた彼女は、『盟主』が近づくと彼女を見上げてそう問うた。



「もしかしたら、そうなるかもしれません。」

「・・・そう。」

それだけ確認すると、その少女は再び目を閉じた。

そして氷像のように動かなくなった。



「・・・彼女は、何なんですか?」

「彼女は、“凍結の魔女”。

自身の国を凍土に変え、その罪を償うためにここで看守をしている者です。

その絶大な力は、アレを見れば理解できるでしょうね。」

そう言って『盟主』が指差したのは、巨大な氷柱だった。


「ッ・・・。」

その中に居たのは、またしても魔王だった。

氷柱は曇っていて具体的な姿までは黙視できないが、間違いなく魔王がそこに眠っていた。



「あれが、“十三番目”です。

俗称はまだ決まっていません。“彼”の活動時間がそれほどまでに短かったと言うのもありますが。

それゆえ歴代最弱でしたが、それでも一人でどうにかできる相手ではありませんでした。

それでも彼女は“十三番目”を相手に勇敢に戦い、絶滅に瀕した人類を救いました。

それから千年以上、ここで魔王の封印をしているのです。」

「・・・・・。」

「魔王の魂は滅ぼせませんから、封印するしかないのです。

貴女が人類に仇成すのなら、“彼”のようになるでしょう。」

フウセンはもう一度、氷柱の中の“十三番目”を見上げた。


先代の、十三番目の魔王。

フウセンは不思議なほど“彼”に対して何の感慨も浮かばなかった。




「・・・『盟主』はなぜ、ウチに“彼”を?」

「・・・・・・。」

彼女は答えなかった。


「今回のことは、きっとウチには必ずしも必要なことやなかったと思います。

どうして、ウチに“彼”らと引き合わせたんですか?」

「・・・・・・。」

「答えてください、『盟主』。

どうしてウチなんかの為にこの『本部』の最大級の秘密を・・・。」

「私にも、思うところが有りまして、ね。」

ふと、『盟主』はぽつりとそう言った。



「最近、ちょっとカノンと仲違いしまして。

ほんの少し、彼女の気持ちを分かってあげればよかったな、と思いまして。」

「筆頭と・・・?」

カノンと言えば、『盟主』の正式な弟子にして彼女に忠実な“処刑人”の筆頭だ。

まるで機械のように彼女の命令を実行するカノンと、『盟主』が仲違いするなんて想像もできない。


二人それこそ、何千年と共に過ごしている仲なのだから。

それこそ、悪魔にでも誑かされないような限り、有り得ないことだ。




「少しばかり、後悔しています。

才能を買って娘として拾った彼女ですが、今として思えば親らしいことなんて何一つ・・・。

親は子に多くの道を指し示すものです。私はそれが出来なかった。

ですから、貴女にはこれだけはしたかったのです。貴女の道は一つではない、と。」

「それなら、ウチはもう振り返れない場所まで来てます。

もうほかの道は選べません。ちょっとばかし、遅かったと思います。」

どこか哀愁の漂う『盟主』に、フウセンは正直に答えた。



「そうですか、また私は出来なかったのですね。」

「いいえ、どっちにしろ、ウチは逃げなかったと思います。

ウチには“彼”らと違って、支えてくれる人がいますから。」

「そうですか。」

そして、出ましょう、と『盟主』は続けて言った。





「あの、『盟主』は・・・。」

“コキュートス監獄”を出た時、フウセンはふと喉元から出かかった言葉があった。


それは聞いてはいけない質問だと分かっていたが、彼女は問わずにはいられなかった。



「なんでしょう?」

「その・・・『盟主』は、自分の役目に疑問を持ったことは無いんですか?」

言った言葉は呑み込めない。言葉は、呪いなのだ。


『盟主』は笑った。

フウセンが今まで見た事がないような、能面のように底知れない冷えた人形めいた笑みだった。



「まさか、私が自分の役目に疑問を持つわけがないでしょう。

なぜならそれは師匠に言われたことですから。師匠の言葉は絶対で、間違ってることなんてないんですから。」

「え・・・・じゃあ、『盟主』は仮に大師匠が間違ったことをしていても、それに付き従うんですか?」

なぜだろうか、フウセンは今、先の魔王のことよりもなお、禁断に迫っているように感じた。


それはどこか深淵の底に通じる、泥沼に首を突っ込んだような、恐ろしさがあった。



「その時は、共に間違えましょう。

私は一度たりとも、師匠の行いに疑問を持ったことはありませんから。」

「でも・・。」

「だって、そうじゃないと私は捨てられるじゃないですか。

私にはもう、師匠しか無いのですから。私の全ては、師匠の一部に過ぎませんから。」

フウセンは気づいてしまった。


『盟主』には、“我”が無いのだ。

自分が無いのだ。



フウセンはかつて、カノンのことを機械じみていると思ったことがある。

ならば、『盟主』は道具じみていると言うべきだろう。


彼女には感情もあるし、感傷をも抱くだろう。

だが、彼女には我が無い。

まるで歯車か何かのように、自分を部品のように思っているからだ。



フウセンはふと、本当に自分は“人”と話しているのかと、思ってしまった。

自分の尊敬する存在は、間違いなく目の前にいるその人だと言うのに。


「あ・・・」

フウセンは言いかけた。

あなたはだれ、と。



「わ、私もそうでなければならないのでしょうか?」

フウセンは地雷を踏みそうになった足を逸らした。

逸らした先に、もっと危険な地雷が埋まっているとも知らずに。



「いいえ、師匠の犠牲者は私だけで十分です。

私だけです。私だけなんです。永遠に、私さえ囚われていればいいんです。

この世は、師匠と私だけで完成しているんですから。師匠は世界を見捨てても、私を見捨てるなんてできないんですから。」

フウセンには、彼女が何を言っているのか分からなかった。


でもなぜか、フウセンには『盟主』の薄笑いがこの世の地獄に見えたのだ。






それから、彼女はどんな過程を経て第二層の自室に帰ったのか覚えていない。

城ではフウセンを急な案件で訪ねてきた臣下が、探して彼女がどこにもいないと騒ぎになっていた。


帰ってきたフウセンはそれを収めると、異様な疲れで泥のようにベッドに眠った。

彼女は次の日の昼まで、誰が起こしても起きることは無かった。




この世には、知らないが方が良いことがたくさんあるのだ。






あけましておめでとうございます。ベイカーベイカーです。

リュミスの言葉の矛盾にはお気づきでしょうか? その理由は、先日の一周年記念の続きでわかります。

今のところそれを投稿する予定はないですが、知りたかったらリクエストしてもいいのよ?(チラッ

なんてねwww まあそういうことで。


それより、いろいろと今後は忙しくなるので、不定期になると思います。

それでは、また次回。



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