第七十一話 理想と願い
あの嵐のような『悪魔』が去って、一週間以上が経過した。
その間に、延びに延びたドラッヘンたちとの調印式も無事に完了した。
いや、その際に行われたお互いの軍の指揮権を賭けた模擬戦が無かったらそう言えただろう。
あの日のフウセンとドラッヘンは、民たちの前での模擬戦という事でとても張り切っていた。
その所為なのか、途中から二人がマジモードに突入し、収拾がつかなくなり、結局このままでは災害じみた状況になるということで模擬戦は引き分けとなった。
指揮権に関しては、結局お互いが綿密な合議によって運用することに落ち着いた。
その間に俺とフウセンが師匠に弟子入りしたり、改造手術を受けたり、仮想空間で訓練や修行をさせてもらったり、と色々あったりしたが、概ね今日までは平和である。
そして、遂に今日、俺とクラウンが使節団として彼の父親だと言う『マスターロード』に会合しに行くために出発するのである。
内容は先日の会議の通り、第五階層のアンデッド討伐の協力表明と、魔法陣の使用許可の獲得である。
他にも、“中立の立場として”食糧のこれまで通りの交易などに関して、とか色々と決めることがあるのだ。
当然ながら、使節団なわけだから、俺たち二人だけではない。
食料とかの交渉にも何人かそれ担当のゴルゴガンの旦那が任命した魔族が同行するし、サイリスも書記官役として同行するのである。
その際に、親衛隊第四隊が護衛に就くことになった。
なぜ栄えある親衛隊が、一応使節団の護衛とは言えそんな関係のない仕事をさせられるかと言うと、ある日フウセンがこんなことを言ったのだ。
「なぁ、ぶっちゃけ、必死こいてウチを守る必要無くない?」
正論である。
魔族で一番強いから魔王なのであり、寝首を掻こうにも物理的にそうしたぐらいじゃ死なない彼女が、馬鹿みたいに城に籠って兵隊で身を守る必要なんて無いのである。
正直俺も、毎日同じところをぐるぐると警備するだけでいいのか、と疑問に思ったりしたが、クラウンたち臣下からすれば城の守りを疎かにするなんて前代未聞らしい。
その時無性に嫌な予感がしたと言うクラウンが、彼女に親衛隊の必要性を長ったらしく説いたのを、俺は横で聞いていた。
だが、結局。
「なんや、ウチの見栄やとか外聞だとか、今は戦力を遊ばせとる余裕なんかあらへんやん。
なら、常に親衛隊の半分はウチが自由に動かせるようにして、いろんなことにすぐに対応できるようにすればええんじゃない?」
軍事権限を掌握している彼女にそう言われてしまえば、部下に過ぎない俺たちはどうしようもないのであった。
それ以来、俺たち親衛隊たちは日替わりでフウセンの遣いっ走りとなり、村中の雑務や問題を片づける為の部隊となってしまったのである。
当然、彼女は魔族の臣下たちにいろいろ言われたそうだが。
「あんたら頭固いねん、頭古いねん。
じゃあ、親衛隊の各部隊で、ウチに勝てた部隊はそれを免除するわ。」
と、彼女は一蹴していた。
魔族でそれを喜んだのは、負担が減ったゴルゴガンの旦那くらいだろうか。
それでも複雑そうな顔をしていた。
やはり、魔族と言うのは全体的に柔軟性に欠ける種族なのだろう。
「正直、今回の使節にクラウンの奴という人選に、不安を抱かずにはいられないわ。」
教会の長椅子に座ってサイリスが溜息を吐いた。
横には数日分の荷物が置いてある。愚痴を言いに来たのだろう。
俺は今朝早く、日課の教会の掃除を終えてから使節団の面々のところに行く予定だ。
すでに荷物は纏めてあるし、スケジュール的にぎりぎり間に合う予定だ。
それにしても、二か月前の自分だったら信じられないくらいの真面目さである。
「そうか? クラウンの奴なら何とかやりそうだと思うけど。」
確か、クラウンはドレイク族から追放されていると聞いたが・・。
「だって、追放された者が、追放した本人の前に行くのよ?
アイツの性格は知っているでしょう? 正直人選ミスだと思うのよ。」
サイリスの表情にはこれからの会合に対する不安がありありと表れていた。
「かの『マスターロード』も公人です。
交渉の場に余計な感情を持ち込まない、・・・と信じたいですね。」
そしてここには当然、エクレシアも居て、雑巾掛けをする横で彼女は掃き掃除をしている。
「残念ながら、そういうのとは無縁な人なのよ、“代表”は。」
「うん、まあ、そうだろうな・・・。」
『マスターロード』は感情で周囲を煽り、激情のまま自ら先導するタイプの政治家だ。
悲しいことに人間の世界でも政治で感情が優先された事態など、数えるのも億劫なほど事例はあるだろう。
それでも彼に理性的な部分があるのは知っているので、俺としてはそこに期待したいところだ。
「最悪、人間出身の魔王という事で相手にされない可能性もありますね。」
そこで俺と一緒に雑巾掛けをしていたフウリンがそう言った。
「流石に、それは・・・。」
あの『マスターロード』は魔王の断片の持ち主の意思を尊重しようとまで言った人だ。
流石にそれは無い、と思いたい。
「大丈夫だと、言いきれますか?
これまで“魔王”という存在は、種族を超越した存在として平等でした。
しかし、今度はそこに出身種族と言う概念が付き纏うでしょう。
それによってはどこかの種族が優遇され、逆に不遇な扱いをされる種族も出てくるでしょう。
ただでさえ人間は、魔族にとって歴史的敵対者です。
フウセンが王位に就けば“二番目”のように、捨てられると思う者もいるかもしれません。」
「・・・・。」
流石フウリンだ、俺には思いつきもしなかった難しいことを考えている。
そして。
「ですが、フウセンなら大丈夫でしょう。自分は彼女の資質に賭けましたから。
最近、彼女は少しずつ以前の活発だった頃の彼女に戻ってきている。
それはきっと、貴方のお蔭なのでしょう。」
「買い被り過ぎだよ。」
そう、それは買いかぶり過ぎだ。俺のお蔭じゃない。
「そんなに心配することないと思うぜ。あいつがフウセンの顔に泥を塗るようなことはしないだろう。
「ええ、恐らく彼なら大丈夫だと思いますが、それがダメで次善の策はあります。
ですから、失敗を恐れずにあたってください、と彼には言っています。」
それはそれで不安になる言い方である。
確かにクラウンに交渉スキルがあると思えないが、そこは親子の愛情やらなんやらでどうにかしてもらいたいものである。
「そろそろ時間かしら。」
教会に差し込む日の高さを見て、サイリスがそう呟いた。
「分かった、じゃあ行ってくる。」
「お気をつけて。」
フウリンが雑巾を置いて、俺にそう言った。
「ご武運をお祈りしています。」
「おいおい、戦いに行くわけじゃないんだぜ?」
エクレシアの物言いに、俺は苦笑しながら荷物を持ち上げた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
二日ほどの日程を消化し、使節団は第一層の通称“不在宮”に辿り着いた。
途中で魔物の群れに遭遇したが、そこは護衛のゲトリクス隊長たちで退けた。
観光地として解放されている玄関ホールは、いつもならば観光客で溢れているのだろう。
しかし、現在は閑散としていた。
すぐに以前、魔物の掃討戦の際に野営地に現れたバフォメットの秘書官が対応し、俺たちは奥へと通された。
護衛の隊長たちを残し、俺とクラウンとサイリス、旦那から任命された魔族たちと分かれて別々の場所に案内された。
そこで別々の案件をそれぞれの担当が交渉するのだそうだ。
食料関係は彼らに任せるしかないだろう。
そして、俺たちの担当は。
「よくもまあ、私の前に顔を出せたな。息子よ。」
かの『マスターロード』である。
でかい。クラウンもドレイク族として成人しているはずなのに、彼よりも一回り大きい。
前は遠巻きに見ることしかできなかったが、今回は目の前にいる。
威圧感が、半端ではない。
睨まれただけで、魔獣の顎の中にいるかのようだ。
「親父、ここはそれを言う場じゃないだろう?」
通されたのは豪華な応接室だ。
レッドカーペットが敷かれ、金色の調度品や一目で高価と分かる代物が飾られている。
クラウンはそこに躊躇いなく進んでいく。
俺とサイリスは物怖じしながらも、矢面に立つ彼の背後から追従していく。
そして俺たちは名を名乗るとソファーに座り、俺たちは彼に相対した。
「人間まで付いて来るとは、人間に魔王陛下の魂の“断片”が行き渡ったと言うのは本当らしい。」
『マスターロード』の視線が俺に向けられる。
ただの一瞥に過ぎないのに、魂まで震え上がりそうな恐怖が湧きあがってくる。
サイリスなんて、直接睨まれていないのに青ざめている。
「話の内容は先に通達しているから後でいいよね。
ねえ親父、本心を聞かせてほしい。貴方は我が王に関してどう思う?」
いきなり今回の会談とは関係のない事を話し出すクラウンに俺は視線を向けたが、それを諌めるには目の前から押し寄せる『マスターロード』のプレッシャーが重すぎた。
「『大丈夫よ、話し合いはもう殆ど内輪で手紙とかで終わってるようなものだから。』」
「『そうなのか?』」
どうすればいいか分からない表情を悟られたのか、無表情を貫いて固まっているサイリスから念話が飛んできた。
「『だから陛下の側近殿が言ってたじゃない、大丈夫だって。
だいたい、こういう政治的決定ってのは、上の連中が最初に話を通すもんなの。話し合いなんて、手紙で十分なの。
調印とか、そう言う大事なことをこういう場で成すために来るのよ。
だから私たちのすることなんて、極論座ってるだけでもいいのよ。クラウンが何かするみたいだし、今は余計なことをしないことを考えるのね。』」
「『ああ、分かった・・。』」
俺はサイリスの言葉に頷いて、クラウンに任せることにした。
つまり、俺たちがこの場に来たという事は、『マスターロード』も俺たちの提案を受ける意思があるのだろう。
彼の場合、土壇場でそれを反故にしかねないところが怖いのだろう。
手紙では分からないこともあるだろうから、それを見極めるための会合なのだろう。お互いにとって。
そして、クラウンの言葉に『マスターロード』は重々しく口を開く。
「魔族の“代表”としては、その力を示せば我々は付き従うだけだ。」
そう言った彼の言葉は、本心だろう。
「だが、気に食わんな。人間が我らの魔王として君臨するなど、怒りを覚える。
我ら魔族にとって、人間と言う存在はそれだけ度し難い仇敵なのだ。」
そしてそれも、紛れもない本心なのだろう。
彼は腕を組み、ゆっくりと湯気のような溜息を吐いた。
「もし、我らが陛下が完全なる“魔王”として君臨したら、その時はどうするつもりなんだい?」
「従うさ。我らは魔族だ。それだけで魔王に従う理由は十分だ。」
当然だろう、と逆に問いかけるように彼はクラウンに視線を向けた。
「親父、それは思考停止っていうんだよ。」
「なに?」
「なあ親父、あんたは考えが古すぎるんだ。古すぎて、凝り固まってる。
だから魔族は“二番目”に見捨てられたんだよ。」
クラウンの揶揄するような言葉に、『マスターロード』の周囲の怒気が徐々に膨れ上がって行くのが見えるようだった。
「なあ親父、あんたは“魔王”に何を求めているんだ?
ただ君臨し、その威光を放っていればそれでいいと言うのか?」
「何を言うか。我らは魔王に付き従い、戦うために生まれたのは貴様に言うまでもないだろう。
私は、その役目を果たしたいだけだ。魔王陛下の戦列に加わり、その御許で思う存分力を発揮したい。これは魔族なら誰でも持っている願いだ。」
「だけど、それは歴代魔王のどれだけが言っている言葉だ?
その多くは人間と敵対するどころか、我ら魔族からも距離を置いている御方もいる。
確かに僕ら魔族は初代魔王によりそのように創られた。
しかし、その肝心な初代魔王は“魔界”に閉じ籠り、そこに住む悪魔にさえ言葉を掛けない日々が続いていると言う話じゃないか。
ねえ、親父。そんな古錆びた観念を後生大事に守る必要って、あるのかな?」
「あるに決まっているだろうッ!!」
ガタンッ、と『マスターロード』はテーブルを片手で叩き割りながら立ち上がり、そう怒鳴った。
「認めろよ、親父。僕ら魔族は、魔王や創造主からも疎まれているんだよ。
確かに魔王は大事だよ。だけど、居もしない相手の、言われもしていない言葉を大事に守る意味なんてあるのかい?」
「黙れ、貴様魔族の一員としてそのような戯言をッ!!
更には人間などと共に行動し、お前は魔族として恥ずかしくは無いのかッ!!」
「親父が怒るのも分かるさ。
だけど俺は、親父のことを否定したいわけじゃないんだ。
僕は素直に親父のしてきたことは尊敬に値すると思っているし、間違っているとは思っていない。
僕は魔族として、魔王を捨てようと言ってるわけじゃない。
・・・僕は魔族が一人一人、変わるべきだと思っているんだ。」
「な、に・・?」
何を思ったのか、あれほどの怒気を振りまいていた『マスターロード』が息を呑んだ。
「ねえ親父、僕はね、地上に行きたいんだ。
魔族がこんな閉塞された土地に縛られ、文明も情報も制限されているから僕らは人間に負け続けてきたんだ。」
「貴様は我々魔族が、人間の劣ると言いたいのか?」
「いいや、まさか。むしろ彼のような実物を見て、彼から地上の話をたくさん聞くたびに、いつも思うよ。
人間はなんて愚かで脆弱で愚昧な連中なんだろうって。だけど、彼らはとても面白い。
僕ら魔族にはない無数の文明や機器、それらを想像するだけで心が躍るんだ。
親父、僕は思うんだ。僕ら魔族は、人間の力が必要なんだよ。」
クラウンの言葉に、『マスターロード』はいつの間にかソファーに座り直し、睨むような目つきで息子を凝視していた。
「僕ら魔族は、人間と敵対者としてではなく、隣人として隣り合うことはできると思うんだ。
僕が遣える陛下は、それが出来ると思うんだ。」
「我々が、人間と共存できる、と?」
それを聞いて、『マスターロード』は鼻で笑った。
「勿論、平和に仲よく手を取り合って、なんて僕も考えてはいないさ。
僕ら魔族も人間も、殺し合いが好きで好きでたまらないんだから。
僕はね、殺し合う者同士の陣営に、人間も魔族も関係なく混ざり合っていたらいいなって、そう思っただけなんだ。
それこそ、ただの平和より僕ら魔族と人間のあるべき共存の姿じゃないのかい?
地上に魔族の国を作り、魔王がそれを治める。それが僕の理想だよ、親父。」
勿論個人的には人間の文化を謳歌したいけど、と彼は付け加えたのがクラウンらしかったが。
「・・・それがその人間と過ごして得た答えか?」
「我らが魔王陛下なら、きっとそれを実現してくれると思う。だから僕は彼女を主と仰ぐことした。」
「なるほど、青い・・・が、悪くない未来だ。」
初めて、『マスターロード』が笑みを浮かべた。
それはまるで、本当に息子の成長を喜ぶ父親のようにも見えた。
「私も魔族の“代表”である以前に、一人の魔族だ。
人間との戦いを望む魔王が居ないと言うのならば、作り上げればいい。」
「親父・・?」
どこか楽しそうに笑う『マスターロード』を、クラウンは少し警戒した表情で彼を窺う。
「まだ思案の段階に過ぎないが。
私は誰か、魔王に相応しいと思える者を祀り上げようと思っている。」
「それ、は・・・。」
「そう、“二番目”の陛下は言った。五つの断片を持つ者を次代の魔王にすると。
参加権は元々魔族全員に等しくある。ならば、元々魔王の“断片”を持っている者だけではなく、それを集め、私が望む理想的な王へと変貌してもらえばいいのだ。
私の望みに違う魔王候補ばかりであった時は、そうしようと思っている。」
それは、根本的にクラウンの考えとは対立する言葉だった。
第六の勢力として、俺たちへ敵対を示唆するには十分すぎる内容だ。
「その時には私は、息子と争わなければならないのか。」
だと言うのに、『マスターロード』は楽しそうだった。
「手紙の名前は連名だった。
ドラッヘンとかいう、リンドドレイクの小僧らしいな。
となると、奴も私の敵になるという事か。くっくっく・・・なるほど、そうか、奴とは共に轡を並べたかったが、そうは上手くいかぬようだな。」
凶暴に、牙を剥いてとてもとても、心底楽しそうに。
俺は思った。あんたほど魔王に似合う奴はいねぇよ、と。
なるほど、彼以上に魔族らしい魔族は存在しないのだろう。
「予定通り、“善意”の協定は受けよう。
こちらもこの魔王陛下の治めるべき土地を不浄なアンデッドに蔓延ってもらっては困るからな。
手は幾ら有っても足りない。昇降魔法陣の使用許可も出そう。そうして輸送した軍を別のことに使うのも、多少なら目を瞑ろう。」
恐らく、今回は利用されてくれるのだろう。
クラウンの意思は、『マスターロード』の御眼鏡に適ったという事だろう。
「なあ、我が息子よ。私も人間どもの文明を認めていないわけではないのだ。
魔族の発展のためには、人間の技術や英知がどうしても必要だということはな。
人間を滅ぼすと口にしても、人間を絶滅させるのは容易ではない。だから、元々使える人間は選別して手に置くべきだとも思っている。」
「でも、それだと人間の“文化”は死ぬだろう。」
「だろうな。命の息吹ある文化は廃れるだろう。
だが、それを踏み台にして、我ら魔族は繁栄を得るのだ。人間が同族にしてきたようにな。」
『マスターロード』は楽しそうな笑みを崩さない。
クラウンと彼の言葉は、きっと平行線で交わることは無いだろう。
根本的に考え方が違うのだ。
その時であった。
応接室の扉を開けて、バフォメットの秘書官が「失礼します。」と一礼して入室してきた。
「なんだ?」
「それが・・・。」
彼は『マスターロード』の耳元で何かを囁いた。
「なに? すぐに通せ。」
「ですが、彼らは・・?」
「構わない。どうせあの例の案件ならば、こいつらも無関係ではない。」
「了解しました。」
二人はそんな会話を交わすと、秘書官は退室していった。
「あの・・どういうことでしょうか?」
ずっと固く口を結んでいたサイリスが、『マスターロード』に問うた。
いつの間にかあの重力が何倍にも増したかのようなプレッシャーが消えていた。
「新たな客人だ。」
彼はそう言うと黙り込んだ。
俺たちは予想外の出来事にお互い顔を見合わせる。
程なくして、新たな人物が入室してきた。
「これはこれは“子爵”殿。ご機嫌麗しゅう。」
そしてあの『マスターロード』が、恭しく一礼してその人物を向かい入れた。
その人物は、外見は人間そのものだった。
魔術師の着るような漆黒のローブを纏うその男性は若く、若干顔色が悪かったがその物腰は柔らかだった。
恐らく同族だろう軽装の男女二名の護衛を引き攣れ、彼は現れた。
「“子爵”ですってッ!? まさかあの“ノーブルブラッド”の!?」
『マスターロード』の言動に驚き、サイリスが驚いてそう言った。
俺の脳裏の魔導書のページが、蜘蛛の群れのように集まっていき、文字を形成していく。
―――『検索』、251ページ。
種族:ヴァンパイア(イモータル:変異種)
カテゴリー:ノスフェラトゥ
性格:中立 危険度:E 友好性:高い
特徴:
極めて特殊な変異を遂げたヴァンパイアの究極体。
吸血鬼伝承に伝わるあらゆる弱点を自らの研鑽と、種族的な“悪性”の概念を気が遠くなるような時間を掛けて行われた善行による“善性”で打消し、ヴァンパイアと言う存在から昇華した存在。
故に筆者はその存在に“ヴァンパイア・イモータル”と名付けた。
あらゆる弱点を克服した彼らは真の意味での“不死者”である。
現在、吸血鬼集団“ノーブルブラッド”の最古参に六名だけ確認されている。
その特性故に、彼らに危険性は無い。むしろ人間の最大の有効種族と言ってもいい。
彼らは夜の闇から闇へと渡り歩き、最下級のヴァンパイアを狩り続けている。
最早魔族と言う定義にすら当てはまらないだろうが、魔族でも最高位に位置する能力と、吸血鬼伝承の特徴を全て備えている。
その魔力抵抗力はもはや魔術を殆ど受け付けないと言うレベルで、強力な再生力も相まって、物理的に殺すのは非常に困難であろう。
人間に友好的であるが故に、同族狩りも相まって、魔族からはよくは思われてはいないようだ。
瞬時に、“子爵”とその護衛の男女の情報が頭に入ってくる。
「ヴァンパイア・イモータル・・!?」
そんな吸血鬼が存在するなんて、初めて知った。
「お久しぶりです、“代表”殿。
ところで、君は『黒の君』の縁者かな?」
『マスターロード』に挨拶もそこそこ、いきなり俺に“子爵”殿は話しかけてきた。
「は、はい、偉大なる大師匠の系譜に連なる者です。」
「そうですか。その言葉は彼が私たちに言った言葉でして。
この場に人間がいると怪訝に思いましたが、彼の系譜というなら納得ですね。
私はハーレント。“ノーブルブラッド”にて畏れ多くも“子爵”の地位を拝命している者です。」
俺は咄嗟に反射的に答えてしまったが、ハーレントと名乗ったヴァンパイアは丁寧に俺にも一礼した。
それより、横で「ほう。」と興味深げに『マスターロード』が俺を見定めようとしているのが怖いんだが。
「『見た目に騙されちゃだめだよ、あれでも九百歳は超えている。』」
ふと、クラウンが念話で俺にそう言った。
「『うえッ!?』」
ウソだろ、流石吸血鬼。二十代半ばにしか見えない。
ハーレントの後ろに控えている男女も美青年と美女って付きそうなほどである。
まさに、人外じみた美しさだ。
「彼の系譜に連なる者がいるのなら、これは心強い。
今回、私がここに来たのは他でもありません。」
「あの、俺たちはここに居合わせただけで、どういうことです?」
話が分からないところで勝手に進まれては困るので、俺は意を決してハーレントに聞いてみた。
「サー・・?」
「いいえ、“子爵”殿。彼らは当事者ですよ。続けてください。」
なぜか、俺たちを見て『マスターロード』は笑った。
「では。今回私がここに派遣されてきたのは、我が首領たる“伯爵”殿からの要請により、魔族の“代表”たる『マスターロード』にご協力願いたいことがあったからなのです。」
「窺っております。
我々も、第五層のアンデッドには手を焼いております。
高名な“子爵”殿や“ノーブルブラッド”の騎士のお力には及ばないでしょうが、魔族の平穏の為に微力を尽くす所存です。」
「結構。我々としても、周囲に被害が出るのは好ましくありません。
ここはお互い協力し合い、共におぞましいアンデッドを駆逐しましょう。」
“子爵”と『マスターロード』ががっしりと握手を交わした。
「ねえ、親父。盛り上がるのはいいけど、僕らにもわかるように説明してくれない?」
「ああ、失礼。ところで、彼らは?」
「現在の騒動の中心である、魔王の“断片”の持ち主に仕えている者たちですよ。」
「なるほど、それについてはつい先ほど聞きました。
こちらは主に地上で活動していたので、しばらくこちらに来ていなかったこともあり、情報が行き届いていないのですよ。」
そして、ハーレントがこちらに向き直って、説明をし始めた。
「今回、彼らに協力を依頼したのは、この『本部』の第五階層にあるアンデッドの大量発生の原因の件についてです。」
「原因? あの“原生”の吸血鬼とやらのせいじゃないんですか?」
「・・・いいえ、私が聞き及んだ限りでは、違います。」
しかし、ハーレントは俺の疑問をきっぱりと否定した。
どういうことだ、と疑問を抱いたが、彼は話を続ける。
「貴方は、エリザベート・バートリーと言う名をご存知ですか?」
そして彼は俺にその名を問うてきた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「エリザベート・バートリー。バートリ・エルジェーベトという読み方もありますね。
十六世紀に実在したハンガリーの伯爵夫人です。生粋の殺人鬼として、恐らく人類でも屈指の記録を誇った人物でしょうね。」
会合から帰り、その日のうちにその名のことを教会に居るエクレシアに尋ねてみた。
「彼女はその権力を悪用し、自身の欲望の為に多くの人を手に掛けました。
公式には八十人ほどだそうですが、彼女の記録によれば六百人以上だとそうです。
彼女はその人数を拷問で殺し、その肉を喰らい、血を啜ったとさえ言われ、吸血鬼伝承の発祥の一つとして扱われていますね。」
「そして真実、吸血鬼に成っちまった、と。」
「記録によると、彼女は晩年には黒魔術に傾倒し、親類には悪魔崇拝者まで居たそうです。
重税で民を苦しめる権力者が血を吸う姿に見立てられ、それが吸血鬼の原型とも言われますが、彼女はそういう意味では本物ですよ。
死後に吸血鬼として蘇生し、四百年近くたった今現在まで生きながらえていたのでしょう。」
「そいつが、今第五層でアンデッドを作りまくってる・・・らしい。」
それが、俺がハーレントさんから聞いた話だった。
ハーレントの話はこうだ。
奴は吸血鬼としての格は中堅、魔術師としても中途半端で、正面から戦えば余裕だが、彼女は狡猾であった。
それ故に中々退治できずに、長年の敵として追い続けていた彼女が、ここ百年ほどぱったりと姿を身ぜず、活動した形跡を見せなかった。
しかし、最近地上情勢の都合でこっちに越してきたハーレントさんたち“ノーブルブラッド”なのだが、彼らの探査担当が彼女と思われる魔力の波動を探知。
その場所こそが、第五層である。
彼女の手口はいつも下級のアンデッドを大量発生させ、近隣住民を攫ったりすることなどから、そこで湧いているアンデッドの発生源がエリザベート・バートリーだと断定。
彼らの首領たる“伯爵”が、ハーレントさんに彼女の討伐を命令。
しかしハーレントさんたちは引っ越しでごたごたしていて戦力はあまり割けずに、『マスターロード』に協力を要請したと言う次第である。
「なるほど、確かに筋は通りますね。」
「あのハーレントさんって人と、あの『悪魔』。どっちが正しいんだ?」
あの『悪魔』は魔王の“断片”を持つ“原生”の吸血鬼がアンデッドを創っているかもしれない、と言った。
しかしそれは推測で確証がない。
信憑性と手口から、エリザベートの犯行かもしれないが、そうなると魔族がアンデッドに苦戦しているのが解せないということになる。
情報がちぐはぐに噛み合い、混雑して訳が分からなくなっている。
「それは、実際この目で確かめるしかないでしょう。
どちらの情報も、正しいとは限らないのですから。」
「まあ、そうなんだろうけど。」
「私は吸血鬼・・アンデッドと協力することになったことがどうしても解せません。」
「そりゃあ、エクレシアの立場からしても納得いかないだろうけれどさ・・・。」
正確には、連中はノスフェラトゥというカテゴリーの魔族だが、似たようなものなのでまあいいか。
「死者の復活を成していいのは、主イエスのみ。
不浄を撒き散らす不死者がこの世に存在して良い訳が有りません。」
「ま、ハーレントさんから不浄って感じはしなかったけれどな。」
「良いですか、ササカさん。吸血鬼は厳密に言えば、死者が生き返っているわけではありません。
意識や魂を受け継いだ、現象として出現しているだけに過ぎないのです。
彼らのような存在は、似たようなものを引き寄せ、害悪しか人間に齎さない。彼らがどのような存在かは、関係がないのですよ。」
「ああ、うん、それは分かってる。」
その話はもう二度目だ。ハーレントさんの話をした時にも同じようなことを言われた。
「だけど、フウセンたちも納得しているんだし、戦力が多い方はいいだろう。
こっちも周囲の被害を出したくないって気持ちは一緒なんだしさ。」
「分かっていますとも。
非常に不愉快ですが、利害が一致しているうちは我慢できます。」
エクレシアにとってアンデッドと言うのはよほど許容できない存在らしい。
魔族はぎりぎりオーケーでなんでアンデッドがダメなのかは分からないが、俺が生理的にも精神的にも猫を受け付けないのと同じなんだろう。きっと。
まあ、アンデッドと言えばゾンビみたいな連中なんだろうから、生理的に無理なのはよくわかる気がする。
今日はそんな彼女を宥めるだけで終わりそうだった。
そんなこんなで、俺たちの第五層派遣の日取りが決まったのは二日後のことだった。
皆さん、こんにちわ。ベイカーベイカーです。
今年最後の更新になりますね。本当は外伝の後篇を投稿しようと思ったのですが、今年最後の更新があれっていうのもなんなので、こっちを先に書いた次第です。
でも逆に年始初投稿がそっちになるってことだから、あんまり変わらないですかねww
まあ、そういうことで、よいお年を。また来年もご愛読くださると幸いです。
それでは、以上。