外伝 “処刑人”のお仕事 前編
「セラフィナ・ミシュラン。」
『盟主』は写真を執務机の上に置くと、その中に映る女性の名前を口にした。
「二人には、彼女の捕縛と連行を命じます。」
そして、彼女の前に並ぶ直立不動のロイドと欠伸をしているサイネリアにそう告げる。
ここは第二十九層にある『盟主』の邸宅である。
そこに呼び出された二人は今、“処刑人”としての任務を受けていた。
「捕縛、ですか? 抹殺ではなくて?」
ロイドが即座に思った疑念を晴らすべく問うた。
「ええ、相手は教会系の魔術師ですが、貴方達二人なら無事確保できるでしょう。
昨今は人手が足りないので、彼女をスカウトできれば戦力になるでしょうし。」
それはつまり、“処刑人”として勧誘しようという事だ。
それを聞いただけでロイドはその写真の女がまともな奴だと言う願望を諦めた。
「知っての通り、地上での魔術師事情は混迷を極めています。
戦力の充実化は急務であり、黒魔術師に無条件で強い彼女のような人材は貴重なのですよ。」
その黒魔術師に無条件で強い相手を、黒魔術師であるロイドに捕縛させようと言うのだから、信頼しているのか人使いが荒いのか分からない。
とは言え、こういった采配は『盟主』は一度も間違ったことが無い。
「教会系の魔術師なら、『カーディナル』辺りに通せば普通に勧誘できるのでは?」
「それが、彼女は『カーディナル』の思想と会わずにフリーで行動していまして、その行動が最近目に余るという事で、現在の事情を鑑みて抹殺より捕縛を選択した、と言う訳ですよ。
分かるでしょう? 今は大事な時期で、あとで詳細は資料で送りますが、彼女みたいな人間は非常に困るのですよ。」
「それは分かりますが・・・。」
ロイドは渋い表情で躊躇いがちにぼそぼそと言った。
分かるも何も、昨今の地上の魔術師事情が混迷している原因の、二人は当事者だった。
先日、ある魔術師がバックに付いた原住民の学者が、“魔力”の存在を地上の学会で証明して見せるという事件が巻き起こった。
当然、『盟主』は激怒した。
自分のやって来た千年近い努力が水の泡になりかけたのだから、無理も無かった。
その学者の抹殺を命じられた張本人が、そこのロイドとサイネリアなのだ。
二人は任務を遂行しに行くも、悉く邪魔が入り、失敗に終わった。
あわや、ロイドは怒り狂った『盟主』に殺されそうになるも、サイネリアの機転でどうにか命拾いした、という嫌な思い出だった。
とまあ、そんな事情で、地上では魔術師の存在が明るみになりかけているのである。
現在『盟主』は、それのダメージを最小限に抑えるべく、各方面に働きかけているのである。
政治は下手くそだが、『盟主』の策略は超一流である。
千年掛けて培ってきた各国や各勢力に対する恩やら貸しやらを消化しまくり、最悪の状況は回避できそうな具合である。
今でこそ科学万能時代で魔術の存在なんて眉唾扱いだが、百数十年も遡れば魔法も普通に信じられていたのがこの世界だ。
それに戻ると言うのなら、それなりの対処があるのだろう。
とは言え、どう動くか分からない地上で、馬鹿な魔術師が何か仕出かして、魔術に何か悪いイメージを植え付けられたら、魔女狩り時代の再来が起こりかねない。
で、そんな薄氷の上みたいな地上の魔術師事情を平穏に安定期に移行させるべく、地上に住む魔術師たちには大人しくしてもらわなければならないのだ。
それこそ、力づくでも。
もしかしたらだが、『盟主』はこれを見越していたのではないか、とロイドは思う。
今、『盟主』の支持層である“両立派”が、彼女の指示でこの『本部』から殆ど出払っているのだ。
それは現在、元々二十名近くしか居ない“処刑人”が五名も欠落して、なおかつ“処刑人”筆頭の愛弟子カノンまでも長期任務でいないと言う状況も、こっちの戦力が不足するのを分かっていたのかもしれない。
考えれば考えるほど深みに嵌る、根拠のない空論だが、『盟主』ならば、と思ってしまえるのだ。
何の覇気も威厳も無い、人畜無害そうなどこにでもいる町娘みたいに見えるこの『盟主』と言う女性は、それをやれてしまえる。
淡々と、利害や合理性でやってしまうのだ。
まるで機械か何かのように。
それを思うだけで、ロイドは背筋が寒くなる。
誰もが『盟主』を侮り、その背後に居る『黒の君』を畏れる。
だが、本当にそうだろうか?
真に恐ろしいのは、いつ来るか分からない天災のような魔術師ではなく、いつも自分たちの頭上に居て、駒を動かすように無数の命を秤にかける、彼女ではないのか、と。
「期限はいつも通り二か月もあれば十分でしょう。
いつも通り、早ければ早いほど良いです。その分ボーナスも出しましょう。」
「分かりました。いつも通りですね。」
ロイドは敢えてターゲットの詳しい話を聞かなかった。
詳細は追って貰えるらしいが、元々彼は自分で敵の詳細を調べる性質だし、現地での事前調査も怠らない。
あらゆる手段を用いて、勝利を可能な限り、僅かでも上昇させる為に手を尽くすのだ。
『盟主』もその辺りはよく分かっているので、最低限の情報だけ渡すのである。
「それでは、失礼します。」
「しつれーしまーす。」
ロイドはサイネリアの頭を掴んで下げさせると、自分も一礼して『盟主』の執務室から立ち去った。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
ロイドが『本部』で情報収集に要した時間は、一週間ほどだった。
いつものショットバーにサイネリアと共にたむろして、事前に打ち合わせをしていた。
「これが今回ロイド君たちのターゲットなのー?」
たまたまヴィクセンと来ていたソニアが、ターゲットの写された写真を覗きこんだ。
そこには庭のような場所で修道服を着た金髪の女性が中心に写っており、他にも修道服を着た後姿の女性が何人も写っていた。
「ああ、こいつはセラフィナ・ミシュラン。
『盟主』がご所望のお相手だ。」
「ご所望って・・・まさか?」
「そのまさかだよ。」
察しのいいソニアに、ロイドは頷いて見せた。
「ふーん、本当に私たちの同僚になるのかな。
それにしてもミシュランって、ガイドブックみたいな名前ね。美味しそう。」
「こいつの経歴、っていうか家の歴史を辿れば、グルメガイドを編纂していて、それを見て美味しそうなんて言いそうに無いけれどな。」
ロイドは地上で活動していた時代の情報屋や、探偵などを雇って収集した情報をまとめた資料を叩いてそう言った。
ちなみに隣に座っているサイネリアはバーのテレビで魔法少女モノのアニメを見ている。
ロイドはそれを咎める様子は無い。いつものことだからだ。
これで文句を言おうものなら理不尽に拳が飛んでくるし、彼女はこれでもちゃんとロイドの話を聞いているのだ。
高位の魔術師は二つ以上の物事に意識を向けるなんて余裕なのだ。
それをこんなところで発揮する必要があるかどうかは大いに疑問を抱かずにはいられないが。
「セラフィナはスペイン名、ミシュランはフランス姓だ。
気になって調べてみたら、真っ赤っかだった。」
「真っ赤っか?」
「血まみれだってことさ。」
ロイドは忌々しそうに資料をテーブルに放った。
「ミシュラン家はフランスの教会系魔術師の家系だ。
その起源は中世初期の異端審問が行われていた時代まで遡る。
初代はドミニコ会にも所属する敬虔な神学者で当時の教皇に異端審問官を命じられている。
それから家業のように異端審問官を何人も排出させ、代を重ねてローマで異端審問が盛んになる十六世紀には禁書目録の編纂にも関わり、徐々に魔術師としての側面を帯び始めたようだ。
時代の移り変わりに合わせて場所を変えながら、まるで異端審問の歴史を追うかのようにその一族はそれが行われる地域を転々としている。
八百年近い歴史を持つ、筋金入りの異端審問官の家系だ。」
うはぁ、とソニアが呻くほどその一族の経歴は血に塗れていた。
「最近まではスペインに居を構え、王家お抱えの影の執行人として、誰もが嫌がる死刑執行や異端審問に進んで携わっていたようだ。
スペインの異端審問制度の廃止となると用済みになってスペイン王家に放り出されたそうだが。」
最近と言っても百九十年近く前だが、魔術師の感覚は六十年前でも“この間”と言うレベルで長い。
「よく報復されなかったね・・・そこまで代を重ねるなら、強力な魔術師でしょうに。」
「それは無かったようだ。
異端審問というのは時代によって背景や特色が違うから、それぞれ時代ごとに別物と言っても良い。
特にスペインの異端審問は王家が教皇から政治的圧力で裁量権を奪い取った、宗教裁判とは名ばかりの王家の権力集中の道具に過ぎなかった。
つまりこの一族は、異端審問が出来るから王家に雇われ、それが出来なくなれば連中の場所も用済みってことさ。」
「なるほどね・・・。」
お互い利害一致で行動していたから、当然の帰路だったのだろう。
「業が深いな。仮にも敬虔な聖職者が、好き好んでそんなことに手を貸すなどとは。」
ソニアの隣で酒を飲んでいたヴィクセンが呟いた。
「まあ、魔術師が魔術師として何を追及するかは、家に依るからな。
それから教皇庁の教理省に身を置いたり、『カーディナル』の所でも一時活動していたようだが、長く続かずスペインを拠点に百年以上各地を転々としているな。
ここしばらくはフリーで活動していたようだが、次第に散発的になり一族の痕跡も見えなくなって、この時代の煽りで一家断絶したと思われていたようだ。」
ところが、とロイドは資料をめくって続ける。
「その一族・・・というより、彼女はあらゆる後ろ盾を失いながらも、独自の裁量で異端審問を続けていたのさ。
もはや病気だね。聖職者と言うより、サイコキラーだ。」
そして、ロイドは様々な国の新聞の切り抜きを張り付けたノートをぱらぱら捲る。
どれもこれもが猟奇殺人事件として扱われ、被害者は凄惨な殺され方をされ、犯人はいずれも捕まっていないと言う。
問題なのは、奴の被害者が一般人で、世間に大々的に広まっているという事だ。
闇から闇の中へ、その手段を持っているだろう者が、それを行わないのが問題であり、それが表沙汰になること自体が問題なのだ。
魔術師にとって不利益にならなければ、極論、町一つ滅ぼうが周囲が気付かなければ問題は無いのだ。
彼女らの一族が今まで存続できた理由はそれである。
「『カーディナル』の動向は?
彼女ならこのような蛮行は許すまい。」
「セラフィナは仮にも連中と同じ神を信仰している相手だ。
連中の同業者殺しは手順が必要だからな、その準備で出遅れているのかもな。」
「或いは、そもそも問題視していない、か。」
「それは奴の行っている異端審問が正当ってことか?
それは奴が教皇の後ろ盾があるってことだぜ。だったら『盟主』は何も言わんだろう。」
確かに、とヴィクセンは目を瞑ったままロイドの意見を肯定した。
「まあ、奴が殺した奴はどうしようもないクズ野郎ばかりだが・・・。」
ロイドは新聞の切り抜きの内容に目を落とす。
殺された連中は、少女強姦、親兄弟殺し、強盗殺人、新興宗教詐欺犯、等々。
どいつもこいつも二十時間以上の拷問の末に言葉にするのもおぞましい方法で惨殺されている。
全ての国が基督教圏内であり、生まれた時に誰もが洗礼を受けるだろう国々でだけで行われている。
きっと彼らは自ら異端だと告白し、苦痛の限りを受けて死んでいったに違いない。
そう言う行いをしてきた連中を、標的にしている。
まさしく、現代の異端審問。
その思想、行為が聖書に書かれた内容に反するか否かを問う、神の詰問の代行だ。
「それを表に出しちゃぁ、ダメだろ。」
例えそれが正義でも、この業界には業界のルールがあるのだ。
それが守れないのなら、この世に居させるわけにはいかない。
「まったく、ヤクザな商売だぜ。」
個人的な感情を胸にしまい、ロイドはため息を吐いた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
ロイドはダルそうなサイネリアを伴い、スペインに飛んだ。
セラフィナの一族の拠点に潜入し、何かしらの弱点を入手するためだ。
雇った探偵による事前調査で彼女の一族は全員没していて、セラフィナが独り身であることは掴んでいた。
一族郎党事故死扱いできな臭いが、誰もいないのなら好都合である。
「そんな雑事、なんで私まで・・・・。」
「お前カタルーニャ話せるだろ? 俺はスペイン語しか話せないんだから仕方ないだろ。」
飛行機の中でぶさくさと文句を垂れるサイネリアに、ロイドは非難するような視線を投げかけてそう言った。
箱詰めのようなエコノミークラスの客席で隣同士に座っている二人は、周囲に溶け込むために観光客みたいな風体を装っている。
これから二人が行くのは、スペインでもカタルーニャ州にあるバルセロナ市である。
かの有名なサクラ・ダファミリアがあり、1992年にはオリンピックの舞台にもなった。
そこではカタルーニャ語が地方公用語なのである。
幾ら共通認識の魔術を使えても、一般人相手では相手に違和感を覚えさせることになる。
それを暗示で誤魔化したりするのも可能だが、こう言った言語は覚えておいて損は無い。
「それにターゲットは同市内の修道院でシスターに身を窶している。
今にそこに居るが、戻ってきたのは最近で、それまでは色んな修道院を転々としていたらしい。
そこで生活しているから、拠点である屋敷に帰ることは滅多にないそうだが、万が一遭遇戦にでもなったらお前の力が必要だろう。」
でも可能な限り手加減しろよな、と釘を刺すのを忘れない。
あそこには世界的な建築物が幾つもあるのだ。破壊の限り、暴れられてはたまらない。
「魔術師が、シスターの真似事?」
何に興味を示したのか、サイネリアがそんなことを訊いてくる。
「その辺の調査結果も出た。
どうやら彼女は魔術師である前に、敬虔な神の信徒らしい。
まあ研究筋ではなく、行為を究めるタイプの魔術師なんだろうな。」
魔術師の全てが全て研究者ではなく、修行などによって真理を会得しようとする者もいる。
仙道などが良い例だろう。
「ああ、ガチなのか。」
サイネリアは一人納得したように頷いた。
「周囲に聞き込みの結果、性格良好、品行方正、信徒の鑑みたいなやつらしいぞ。
俺は本性が拷問・処刑好きの変態野郎に賭けるがどうよ?」
ロイドはおどけてそう言ったが、サイネリアは窓の外の景色をボーっと眺めるだけだった。
彼女に無視されることは日常茶飯事の為、ロイドはやれやれと溜息を吐いた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
ロイドは一週間ほどバルセロナ市の安宿の最上階に泊まり、窓から望遠鏡でセラフィナの拠点らしい屋敷を監視した。
そして二人は場所を変え、もう一週間ほど時間を掛けてセラフィナの過ごしている修道院で彼女の動向を観察し続けた。
「一体いつまでそうしてるつもり?」
「お前が俺に協力的なら、半分の時間で済むんだけどなッ!!」
「もうこの町、飽きたー。」
観光名所には事欠かないバルセロナ市も、二週間も歩き回れば遊びつくしてしまえたのだろう。
質の良さそうには見えないベッドでゴロゴロと漫画を読みながら文句を言うサイネリアに、流石に温厚なロイドも怒鳴り声を挙げた。
ロイドが一人ターゲットの調査をする最中、サイネリアはと言うとバルセロナ市の観光三昧である。
彼が大きく行動に出ない以上、彼女の仕事は無いのでロイドも何も言わないが、自分の行動を非難されるのなら話は別だった。
「文句があるならテメーひとりでぶん殴って連れて来ればいいだろうがよッ!!」
慎重に慎重を重ねるのは、それだけ相手が厄介な相手だからだ。
サイネリアだって、それを理解しているから一人で殴り込まないでいるのだ。
彼女が一人で対処できる相手だと判断すれば、ロイドなんて気にせずいつも自分一人でさっさと相手を片付ける。
「・・・・・・。」
「けッ、黙るなら最初からそうしてろよ。」
ロイドはぐちぐち言いながらも、監視を続けていく。
「・・・・なぁ、これは魔術師としての勘だが、これ気付かれてねぇか?」
「・・・・・・さあ?」
「お前に霊的な感覚を期待した俺が馬鹿だったよ。
おい、あの女、どこがガチだよ、黒魔術でも齧ってなきゃ極力魔術的要素を排除した監視に気付くはずないぞ。」
「それ以外の要素でバレたんじゃないの?」
「ちッ、周辺調査があからさま過ぎたか。こうなると、泳がされているのはこっちになるな。
ここは静観して出方を窺うか? いや・・・・。」
ロイドは諦めたように溜息を吐くと、望遠鏡を片付け始めた。
「気付かれていることを前提にするぞ。
ああいう変態は俺みたいなやつに鼻が効く。それを逆手に取るぞ、俺の指示通りに動け。」
「・・・・・・。」
ようやく作戦行動に移るとなって、サイネリアは両腕を回してベッドから起き上がった。
ロイドは念話で作戦をサイネリアに伝えた。
「さて、今日の衣装はどれがいいかなぁ・・・と。」
「・・・お前は緊張感持って行動しろよ。」
呑気に旅行鞄を漁る彼女を見て、ロイドは肩を落とした。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
その日の夜、ロイドは早速セラフィナの拠点へと侵入していた。
張り巡らされた魔術的なトラップを掻い潜り、一つ一つの部屋を調べていく。
屋敷と言ってもそれほど広くは無い。
表向きは普通の民家として登録されているので、こういう家には・・・。
「ほら、あった。」
地下室などに、人目に触れない場所に一か所に纏めて工房などを設置する者が多い。
書庫兼物置部屋と思わしきそこは、まさしく“工房”だった。
魔術的な代物は殆どなく、見た目通りの光景が広がっている。
その見た目通りの光景が、また異常だった。
無造作に転がっているのは、釘の付いた鉄板だったり、作りかけの大きな木製の車輪、ハンドルの付いた棒を回す装置などなど、一見用途が分からない代物ばかりだ。
だが、ロイドのような魔術師が見れば、それは背筋が凍りそうな道具ばかりだ。
「これ全部、異端審問で使われた処刑具じゃねぇか・・・。」
不完全な物も多いが、そのどれもが異端者にあらん限りの苦痛を与えるために開発された、悪意に満ちた創作物ばかりだった。
「こっちも異端審問関係の書籍ばっかり・・・。」
有名どころでは、『異端審問の指針』の初版という魔導書級の一冊や、フランスの異端審問官ベルナール・ギーの『異端審問の実務』などなど。
異端審問関連の図書館と言えるほど、そこにはそれに関する記録が充実していた。
当然、そこには自分の一族の歴史という異端審問の記録も残されており、無数の怨念が染みついている一冊もあった。
ロイドはその中の一冊を手に取り、軽く目を通した。
「・・・・一族揃って血塗れ手やがるな。」
ロイドはそう吐き捨てたが、そこに記されている内容はむしろ当時の人間としての視点から拷問などに直接携われる場所や地位に就き、それを減らそうと試みる働きが多く見られた。
血塗れてこそいるが、彼ら一族は代々そうやって悲運な犠牲者を救うために尽力していたようだった。
勿論、本当の異端者には容赦と言う言葉を知らない。
無残と言う言葉すら生ぬるいほど、苛烈な責めの末に殺している。
それすらも、罪人の魂が地獄で減刑されんが為の行いだと、涙と思しき跡も見える。
どこまでも敬虔で、血塗れで、慈悲深い。
そう言う一族のようだった。
だが、彼ら一族の記録も、ここ二百年近くは皆無に近かった。
あれほど几帳面に記されていながら、近代の記録だけがすっぽりと抜け落ちている。
どういう事かと首を捻ったが、ロイドはそれ以上のここで得る物はないとこの場を後にした。
そして、各部屋に這いつくばるようにして綿密な調査をしていると。
『ターゲットがそっちに行ったよ。』
「なにッ!?」
作業をしていたロイドはガバッと顔を上げた。
ロイドが潜入するにあたって、サイネリアは現在この屋敷の周囲を警戒しているのだ。
『あの女、今月は一度も屋敷に戻っていないのに、どういうことだ!?』
『多分、幻術かなんかで姿隠してる。見えない。
きっと夜にこっそり偽装系の魔術で出歩いてる。』
『なるほど、夜は動きを見せないから油断していたか。
奴は今まで修道院を転々としている。今までの地域ごとの犯行範囲が狭いのも納得だな。』
ロイドはローブの中から人型の折り紙のベッドの下に滑り込ませると、さっさと屋敷から退避した。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「戦いにならなかった・・・。」
「文句を言うな。向こうの感知能力が知れただけでも行幸だ。
奴は誰かに監視されていると気付いてこっちを警戒しているだけに過ぎないようだ。
まあ、元々教会系の魔術師の探知能力はそんなもんだが。」
せっかく着替えたのに、と文句を言うフリフリの華美なコスプレを着込んでいるサイネリアを無視して、ロイドはそう言った。
「しかし夜に抜け出しているとはな。
先祖がドミニコ会出身だけあって、反異端審問派の民衆から目を誤魔化し逃れる術は持っていたという事か。
俺が気付けないとなると、相当の技量のようだ。お前はよく気づけたよな。」
「人が居て、空気の流れまでは誤魔化せないから。」
二人は安宿に戻ると、互いに向き合うようにベッドに座り込んだ。
「俺が屋敷に仕掛けておいた憑代を通して奴を追跡する。
お前にも映像を飛ばすから、よく観察しろよ。」
「ぶっちゃけ、ここまでする必要ある?」
「相手の情報は有って困るもんじゃないだろ。
相手の魔術の癖が分かれば儲けもんだろ。儀式の最中ならそこを強襲してやっても良いしな。」
サイネリアは面倒臭そうな視線を投げかけてくるが、いつものことなのでロイドは気にしない。
五年も組んでいれば、もう彼女の言いたい事は大体理解できてしまえるロイドであった。
ロイドは精神統一し、瞑想すると自身が屋敷に残した人型の憑代に意識を飛ばした。
『どう?』
『うるさい、話しかけんな。
案の定、自分の根城に入ったら偽装魔術を解いたらしい。魔力の残り香を辿って奴の動向を見るぞ。』
魔術で周囲を誤魔化すと、その効力中はともかく、効果終了後は纏っていた魔力が枯渇し、不活性状態になる。
これが体中に花粉のように纏わりついているのである。
これを辿ることで相手を発見できるのだ。
普段ならそれにも注意を払うだろうが、流石に自分の根城でそこまではしない様子だった。
ロイドは憑代の人型に折った折り紙をぴょこぴょこと動かして、魔力の残り香を辿る。
それを追っていくと、地下室に続いていた。
地下室に行く階段に差し掛かったその時であった。
「いぎゃあああああああぁぁぁぁ!!!!!」
と、くぐもったような男性の絶叫が響いてきたのである。
『・・・拷問屋の活動中らしいな。』
ロイドの憑代は躊躇うことなく、進んでいく。
すると、地下室には本棚が左右にスライドしており、奥に続く通路が有った。
絶叫はそこを進むたびに大きくなる。
通路の奥にあるドアの下の隙間から、ロイドは憑代で様子を窺った。
中は六畳間くらいの広さがあり、そこには血の付いた無数の拷問器具が取り揃えてあった。
中央には床に固定された椅子があり、そこには中年のスペイン人男性が血走った眼で悲鳴を上げている。
男性は拘束具で椅子に固定され、対面するように一人の修道服の女が立っていた。
「自らの罪を悔いましたか?」
その女こそが、セラフィナ・ミシュランであった。
ドアの位置からその背しか見えないが、彼女な何かしらの道具を両手で持っているようだ。
「あが、が、この、くそ、あまッ」
「なかなかの胆力でございますね。
丸一日暗闇に放置され、小指ひとつ潰された程度では小揺るぎもしないとは、流石その筋の人たちでございますね。」
まるで称賛するようなその言葉も、淡々としていた。
すると、痛みに慣れたのか、男が叫んだ。
「て、てめぇ・・どこの組織のモンだ・・。
俺に手を出すってことが、どういうことか分かってんだろうな!!」
「できればその辺も諸々喋ってくださると嬉しいのですが。」
「俺を殺せば、親父たちが黙っちゃいねえぞ。」
「まず勘違いしないで頂きたいのは。」
セラフィナはそう言って、無造作に、筆記用具でも使うかのように男の左手の薬指を手にしていた器具で潰した。
尖ったハンマーのような、ロイドでも見たことの無い道具だった。
めちょ、と肉が潰れ、爪が割れ、骨が砕ける音が響いた。
一瞬遅れて、男の悲鳴が響き渡る。
「これは異端審問です。」
男の絶叫が響く中で、セラフィナが淡々と告げる。
「自身の罪状はお解りですね?」
「気取ってんじゃ、ねぇよ、クソ尼あああぁぁ。」
激痛の中虚勢を張る男を、セラフィナは左手の中指を潰すことで黙らせた。
「貴方の調達した麻薬がメキシコに流れ、抗争によって幾人もの死者が出ました。
その原因たる貴方は地獄に堕ちるべきでしょう。」
「てめぇもこの国の人間なら、ポロくらい吸ってるだろうが!!」
男の言う通り、この国では麻薬が合法であり、若者が日常的にドラッグを吸って、パーティでは友達同士で回しているという現実がある。
「私を魔女と同じように扱うのは辞めていただきたい。」
今度は人差し指を潰して、彼女は淡々と言う。
「おぞましいことに、この国は堕落している。
次代を担う若者は魔女のように邪悪な香料に染まり、国はそれを止めない。
私の居る修道院にも隠れて麻薬を吸い、それを知っても咎めない周囲。吐き気を催します。
悲しい時代です。もし私が四百年前に生まれていたら、少なくともこの町は焼き滅ぼしていたでしょう。」
そこで彼女の言葉にようやく悲哀のような感情が灯った。
「まあそれは、今は関係ないのでいいでしょう。
私の役目はあらん限りの苦痛を貴方に与え、現世での罪を贖って貰うことです。
貴方も洗礼を受けた身、さすれば地獄での責苦も多少は手心が加えられるでしょう。」
まるで慈愛を与える聖母のように言いながら、男の親指を潰した。
それが、男の心が折れる音だった。
「も、もう、やべで、くれ・・。」
男は激痛でびくびく痙攣し、顔のあらゆる器官から体液を垂れ流して許しを請う。
「何を仰っているのでしょうか。貴方はこれから地獄で絶え間なく苦痛の日々を過ごすのですよ?
その前に多少慣れる意味でも、これから死ぬまで一瞬たりとも痛みの無い時は有りません。
それに、この程度まだまだ序の口ですよ?」
セラフィナはそう言って、足指締め具を取り出した。
ねじ回しの要領で足の指の骨まで砕くと言う、拷問器具である。
「そのあとはノコギリと、ヘッドクラッシャー・・・そしてトリはこれにしましょうか。」
そう言って彼女が男の前にガラガラと持ってきたのは、一見すると巨大な木製の回し車にも見えるそれの内側には、等間隔で黒光りする釘が内側に突き出ていた。
アラゴンの死の車輪。
奇しくもスペイン発祥のこの拷問具、いや処刑具は人間をハムスターのようにこの中に放り込んで、側面のハンドルを手動で回転させ、中の人間を殺すのだ。
その見る者の恐怖のどん底に突き落とすだろう処刑器具が男の目に映ると、彼は痛みとは別種の悲鳴を上げた。
「私情により朝までしかお付き合いできないのが残念でなりません。
当家の秘術を用いれば、たとえひと月だろうと続けられるのですが・・・流石にあなた一人に時間を割けませんから。」
「やめろ、こっちくるな、やめ、や、ああああああああああああ!!!!」
その日、夜が明けるまで彼の悲鳴が絶えることは無かった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「イカレてやがる・・・正気であれをやってんだから、イカレてるよ。」
流石のロイドもドン引きだった。
セラフィナが男の両手両足の指を潰し、歯の荒いノコギリを取り出した辺りで見るのを止めた。
「昼間は修道院で生活、夜は拷問で手一杯とは・・・一体いつ寝てんだよ。」
ご苦労なことだ、とロイドはげんなりとした表情で言った。
「哀れだねぇ、時代に必要とされない職業を延々と続けてる家柄ってのは。」
「それは、私達も一緒。」
「俺は必要とされてるさ。邪魔な政敵や憎い相手、俺の呪殺はどこだろうと引く手数多だろうよ。」
ロイドは鼻で笑ってそう言ったが、サイネリアは無言の中にどこか哀愁を感じ取って、彼も遣る瀬無さそうに溜息を吐いた。
「明日の昼に仕掛けるぞ。夜が工房に引きこもって拷問三昧なら、それが一番だろう。」
「分かった。」
サイネリアは頷くと、もそもそと安いベッドの中に入り込んで、白い毛布を被って寝始めた。
「“代用”タイプは事前準備が楽でいいよな。」
嫌味を言いながらも、ロイドは備え付けのテーブルに座ると、明日の為に準備をするのだった。
こんにちは、ベイカーベイカーです。
卒論に追われ、なんだか落ち着かないので、外伝を投稿しました。
こんなことしている場合じゃないのですがねww
いい気分転換になったので、気合入れて頑張ります。