第六十七話 英雄の残影 前篇
調整のため、再投稿しました。
今からおよそ五百年。
後にフリューゲンと名乗り、『英雄』と称えられるリンドドレイクの生誕は決した祝福されたものではなかった。
それは激しい雨の日だった。
第二層の中心である昇降魔方陣がある場所は、“天井”にも達するような高い砦が存在していた。
そここそ、リンドドレイクが支配する城砦都市であった。
数々の魔族を統治する彼らの、その頂上付近の祭壇に彼は居た。
「・・族長・・・。」
「うむ・・。」
生まれたばかりの彼に、大人たちは渋い表情で見下ろしていた。
「きゅーきゅー!! きゅーきゅー!!」
大人たちに囲まれた台の上で高らかに産声を上げるのは、後の英雄と。
「きゅぅー!!」
一匹の、生まれたばかりのリンドブルムが同じ台に並べられていた。
彼らは、同じ卵から産まれた、双子だった。
「これはまさしく先祖返り・・・。」
「まさか我々の代で目にしようとは・・・。」
「ど、どうすればいい・・?」
「どうするもこうするも・・・。」
リンドドレイクの大人たちは、皆がどうすればいいのかわからず、困惑していた。
リンドドレイクが双子で生まれると、稀にその片方が先祖返りを起こすことが有る。
彼ら一族はドレイク族に比べて若干不安定であり、このようなことが起こりうるのだという。
だからこそ彼らはドレイク達に見下され、人間からはドレイクの亜種扱いをされている。
しかし、今ここで重要なのはそれではない。
問題は彼らの信仰が、人の形を得たことで始祖竜から人を超える叡智を得たという点だ。
つまり、先祖返りとは出来そこないも同然の意味が彼らの一族にはあったのだ。
彼らにとって飛竜種のリンドブルムとは、人間にとっての知能の低い猿と同じような認識なのだ。
所詮は乗り物に過ぎないのだ。
「・・も、もしや、今年の人間の生贄の質が悪かったせいか?」
「さ、されど、あれは年に何度も執り行えるものではないぞ!?」
「それに、今は時期がマズイ。どうしたものか・・。」
ある種のタブーに直面した彼らは、この状況に陥ったこと自体を恐れているかのようだった。
まるで、自分たちのコンプレックスを見せつけられたかのように。
しかし、彼らをどうするべきか既に決まっている。
「やはり、殺すしかあるまい。」
「両方か? 片方は我らと同じ形だぞ。」
「無論、両方だ。当然だろう? この翼を見てみよ。」
族長の言葉に、まるで猛る竜神が同意するかのように雷鳴が轟いた。
そう、もう一人の方は、本来リンドドレイクに備わっていないはずの翼を持っていたのだ。
まるでドレイク種のように。それは彼ら一族にとって許されないことだった。
「やはりか・・。」
大人たちの中には、出来そこないの処分はともかく、姿が近しい同胞をも同じように処分するのは躊躇われるようだった。
いくら掟だと慣習だと言っても、実際にそれが行われたのは遥か昔。
形骸化した、有って無い様なモノに等しかった。
「それが太古より我が一族の掟だ。」
族長の顔にも苦渋の表情が満ちていた。
一族の掟は、種族の結束の為に決して破ってはいけないとされている。
それが秩序をも守るという事であり、蔑ろにされていいものではないのだ。
例えそれが、殆ど誰も覚えていないようなものであろうと。
「始祖の御業が及ばなかったこの者らに、次代こそ加護を授からんことを祈って・・・。」
「・・待たれよ。」
族長たちが二人に向かってそう告げた時、祭壇の有る祠の入口からしわがれた声が聞こえた。
彼らが振り返ると、そこには老いたリンドドレイクの老婆が居た。
年老いて強靭なはずの竜の肉体は見る影も無くよぼよぼで、鱗の一枚もその皮膚に張り付いて居なかった。
「あなたは、“語り部”殿!!」
「“語り部”殿!!」
だが、二人を取り巻く大人たちどころか、種族の長であるリンドドレイクの族長までもが彼女に頭を垂れた。
この老婆こそ、一族の“語り部”である。
魔族がこの箱庭に押し込まれる以前の、魔王の時代を知る数少ない生き残りだった。
その齢は、800を超えると言う。
地上との交流の時代にはリーダーとして地上への進出を望む魔族をまとめ、その多くを減らして生きて帰ってきた。
偉大なるリンドドレイクの指導者だった。
精霊に愛され普通のリンドドレイクの寿命の倍を超える壮絶な人生を得た末に病床に伏せ、虫の息であった筈だった。
そんな彼女が、杖を突いてこの場にやってきたのだった。
「夢を、見たのだ・・・。」
もう殆どかすれて聞き取れない音量の声は雨音と雷鳴に掻き消されんほどだった。
されど、彼らの種族にはその程度の声でも十分聞き取れる音だ。
「・・夢、とは・・・?」
族長が聞き返す。
「精霊が教えてくれたのだ。この二人は我が一族を救うだろう。
私には見える。天に舞うこの二人が大いなる竜の化身を打ち砕くのを。
彼らは凶兆ではない。彼らは救世主である。
皆の者、彼らを鍛えよ。我らの言葉で最も偉大な名を与え、始祖の竜神の元へ参じるに相応しい戦士にするのだ。」
その言葉と同時に、“語り部”は祠の床に倒れ伏した。
「“語り部”殿!!」
「“語り部”殿ぉお!!」
「駄目だ、息が無い。」
「そんな・・・。」
大人たちは“語り部”の下に駆け寄って彼女の安否を確認したが、もう既に彼女は息絶えていた。
「予言だ。“語り部”殿の予言だッ!!」
ただ一人彼女に駆け寄らなかったリンドドレイクの神官がそう叫んだ。
「我らが始祖なる大いなる竜神さまぁ!!
今すぐに御身の守護に相応しい戦士を鍛え上げましょうぞ!!」
神官の叫びに応じるように、雷鳴が轟いた。
そうしてリンドドレイクのタブーとして生まれた忌み子たちは誕生したのだ。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
リンドドレイクはおおよそ七十を超えた頃に成人を迎える。
その歳に成れば、彼らの種族は各々に飛竜を与えられ、空へ飛び立つ本格的な訓練を受けることになる。
それらは彼らの生涯の友に成り、一心同体も同然で、生死を共にするとまで言われている。
飛竜を失ったリンドドレイクはもう二度と違う飛竜に騎乗することはなく、死んだように寿命を全うすると言う。
「となると、連中は全員死人も同然と言うわけだ。なあ、兄者?」
「ギャウ。」
幼生のリンドブルムに跨る彼は、もうこの当時から己をフリューゲンと名乗り始めていた。
下を見れば、地上遥か百五十メートルから墜落した若い同胞たち十数名と、同じ数だけの飛竜がいた。
そして例外なく、飛竜だけが絶命していた。
「化け、もの・・・。」
彼ら若いリンドドレイク達は、フリューゲンと共に成人を迎えた者たちであった。
そして飛竜を与えられると、一人与えられなかったフリューゲンを挑発するように馬鹿にしたのだ。
忌み子の貴様にはそのリンドブルムが相応しい、と。
“語り部”の予言を知らない若いリンドドレイクには、それは忌み子であるのに、一族で最も権威ある名を与えられた彼に嫉妬も混じっていた。
「違うな、俺は生まれながらにして最高の生涯の友を得ているのだ。」
彼は、その喧嘩を買った。
その結果がこの有様だった。
相手が未熟とはいえ、成体の飛竜と生まれながらにそれらに乗ることに優れているリンドドレイクを一方的に蹂躙したのだ。
一人と、未成熟なリンドブルム一匹で。
一般的に飛竜種が成体に成るまでは二百年は必要とされる。
その半分にも満たない幼生が、体力や強靭さが段違いの成体を一方的に倒すなど、普通なら出来ない芸当だった。
だが、生まれた時から共に過ごし、魂すら通じていると言っても過言ではない両者ならば、その道理を覆せる。
「この、馬鹿ものどもが・・・。」
それを眺めていた族長は怒りに打ち震えていた。
それは未熟な若者たち或いは貴重な飛竜を大量に殺したフリューゲン、どちらに対しての怒りだったのか。
フリューゲンを含めた若者たちが喧嘩を始めたことで呼ばれた族長が止めなかった時点で彼にも一抹の非はあるが、話はそれどころではない。
この事件は成人の儀の直後に発生したもので、族長の面子と言うものが丸潰れだったのだ。
それどころか、多くの種族が出席していた儀で、一族の恥を晒してしまったようなものだったのだ。
「そしてお前はまた問題か・・・。」
族長は悠々と空を舞うリンドブルムに跨りながら、勝利の凱旋を行っている彼らを睨んだ。
フリューゲンは若い頃、これぐらいのやんちゃは日常茶飯事であった。
彼はその生まれから一族の住む区画には居場所は無かった。
その為、彼は普段は砦の下級魔族の住む区域に顔を出し、ガキ大将の真似ごとをして、手下を率いて魔物に挑むなどを繰り返していた。
彼は生まれながらにして生粋の将であったのだ。
たまに魔獣なんかも撃退してくるので、大人たちも何も言えないのだ。
そして、悠々と空を旋回している両者に、飛竜に跨り接近してくるものが居た。
「族長からまた貴方が何かしたと聞きましたが、これは今までで群を抜いて酷い。」
「おお、“語り部”殿か。これを見てみよ。」
現れたのは、フリューゲンに予言を授けた“語り部”の曾孫にあたる、今代の“語り部”たるリンドドレイクの女性だった。
“語り部”は一族の歴史や出来事を口伝で受け継ぎ、その立場は一族でも神官や族長に並ぶ。
ちなみに、代々世襲制で女性がなることが決まっている。
そして彼と同年代と言う事もあり、比較的族長や神官と比べて身軽な彼女がフリューゲンの歯止め役をいつの間にか担うようになっていた。
「・・・・・これだけの飛竜を殺して、いったい補填にどれだけ掛かるか分かりますか?」
「それはリンドドレイクのくせに地の墜ちたあの連中から搾取すればいいだろう。そもそも自分たちが悪いのだからな!!」
フリューゲンは悪びれる様子も無くそう言って、カラカラと笑った。
「まあ、成人の儀の当日に問題を起こす彼らにも責はあるでしょう。」
彼女は“語り部”として、常に平等だった。
だからフリューゲン達が一族の忌避する存在だとしても、ただそれを口伝するだけだ。
「しかし、それは所詮一理にすぎません。ここまでする必要はなかったと思いますが。」
「相手を無力化するのに、飛竜を倒すのは当然のことだ。
それに騎手が死なないだけマシだろう。俺は同族殺しをしたいわけじゃなかったからな。」
この高さから落ちたところで、人間ならともかくリンドドレイクが余程打ちどころが悪くなければ死ぬはずも無い。
確かに彼らを殺さずに無力化するには、飛竜を狙うしかないのだった。
「そんなことより、せっかく俺も成人の儀を迎え、晴れて一人前の男として空を飛び立つことを許された。
“語り部”殿もそろそろ、俺のことだけを口伝する気に成ったかな?」
フリューゲンが言い放ったのは、どう控え目に聞いてもプロポーズの言葉だった。
「ですから、残念ですがそれは不可能です。」
“語り部”はため息と共に、何度も彼に繰り返し伝えた言葉を紡いだ。
リンドドレイクにとって“語り部”を妻にすることは最高のステータスであり、また名誉なことである。
それもあって、彼女は周囲の男から引っ張りだこなので、その手のことには慣れていた。
勿論、一度袖にされたくらいで引き下がるリンドドレイクは居ないが、フリューゲンはその中でも群を抜いてしつこかった。
なにせ、彼が四十の頃(人間に換算すると八歳の頃)から言っているのだ。
「それに、貴女は私ではなく私の持つ“語り部”の名声が欲しいのでしょう?
生憎とそういう殿方は誰であろうと御断りです。」
「つれないな、だから良い。
昔はそうだったのだがな、今は少し年上くらいが好みだと分かってな、“語り部”以上に相応しい相手が居ない。はてさて困ったな。」
そして簡単に靡かない“語り部”を口説くのが楽しいのか、フリューゲンは実に嬉しそうだった。
「だがまあ、しかし、そうでなくとも困る。
今は少しずつ自らを研鑽し力を積み上げ、いずれ振り向かせてやろうぞ。」
「・・・・。」
しかし“語り部”は静かに溜息を吐くと、彼を一瞥して無言で去って行った。
「おやおや。兄上、どうやら今日は“語り部”殿の調子が良くないようだぞ。」
フリューゲンは騎乗するリンドブルムの硬い鱗に覆われた長い首筋を撫でながらそう言った。
「きゅーいー。」
「ふむふむ、これは何やらありそうだ。行ってみるか。・・兄上、静動飛行で行くぞ。」
まだ明確な知性が有る筈もないリンドブルムと会話を交わし、フリューゲンは風を制して音も無く風に乗り飛んで行った。
その後分かったのだが、どうやら“語り部”は後日気の乗らないお見合いがあるらしかった。
それくらいなら、引く手数多な彼女にはいつもの事で、口が達者な彼女はいつものろりくらりと躱していた。
しかし、どうやら今度はそうもいかないらしかった。
明確な理由は分からなかったが、フリューゲンは気に入らなかったのでそのお見合い当日に会場に乗り込んで、相手をボコボコに伸してしまった。
当然後日、何て事をしてくれたんだ、と彼は“語り部”に加え族長やら神官やらと一族のお偉いどころ勢揃いで説教を喰らう羽目になった。
もう既に成人の儀は終わっているので、子供だからと許されるわけも無く、フリューゲンは十日間ほど牢屋に入れられた。
まあ、それで大人しくする彼ではなかったが。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
魔族全体が戦乱に陥り、無数の勢力が群雄割拠した全魔族大戦とでも言うべき戦争が起こったのは、あれから約三十年も過ぎた頃だった。
百を超えた辺りの年頃のフリューゲンには、なぜそうなったかには興味が無かった。
大人たちは皆が自分たちの野心のままに戦争に行き、そして死んでいった。
残った大人は非戦闘要員ばかりで、基本男社会な魔族にはリンドドレイク族も例外ではなく、彼の同世代の物ばかりが繰り上げで地位を獲得していった。
彼はと言うと、昔のやんちゃが災いし、手柄を立てられるような戦場から追いやられ、退屈な日々を過ごしていた。
リンドドレイクは強い。
多くの勢力を支配下に置き、当然のように殺し合いを行っている。
彼らの本拠地である砦も、昇降魔法陣の位置がそこにあるから入るのは簡単だが、そこに待ち受けている者たちを恐れてか、防衛の必要性すらなかった。
当然、昇降魔法陣に乗れる人員は限られている。
奇しくも転送先が強力な上級魔族の本拠地のど真ん中だからこそ、その状況は成立していた。
そもそも、こんな事態になるまで、元来味方である魔族から攻撃を受ける事を前提としては居なかった。
宿敵であるドレイク族とは不仲で古くから殺し合いをしている間柄と言えども、それは厳格とした決闘であったり、小競り合いだったりが精々だった。
だからこんな大規模な戦乱の時代になるなんて、誰にも想定できなかっただろう。
余りにも暇だったので、フリューゲンは砦の外周の周辺警戒と言う名の無意味な任務を放り出して、この戦争の起爆剤となった人物に会いに行くことにした。
場所はドレイク族が支配する第一層。
連中は長年この階層を占領し、ここに住む魔獣や幻獣などの化け物たちと激しい攻防を繰り広げつつも、順調に領土を広げている。
ここにしか存在しない火山を聖地とし、勝手に魔王の宮殿とやらを建造した自分勝手な連中だ。
何でもドレイク族に強力な指導者が現れたらしく、リンドドレイクの大人たちもそいつを筆頭にした連中に敗れて死んでいったという話だ。
その辺の権力争いに興味が無いフリューゲンは、彼が侵入してきたことにギョッとしたドレイク族の門番を押し通り、ドレイク族自称魔王の宮殿に押し入った。
“不在宮”と蔑称されるそこを、件の元凶は気に入っているのか、滞在しているらしかった。
「帰れ劣等種がッ!!」
「ここでぶち殺すぞ!!」
「うるさい、私は戦いに来たわけではない!!」
自分を押さえつけようとする門番たちを押しのけ、フリューゲンは強引に押し入ろうとしていた。
「おい、誰か大将殿の判断を仰げ!! こいつの処遇は自分には余る!!」
すぐに門番は周囲で彼らを窺っている魔族たちにそう怒鳴りつけた。
口では血の気が多くとも、無駄な被害を出さぬために即座にこのような判断が出来る門番は、優秀である証左だった。
それだけで遠目に見ていた無数の魔族が四方八方に散って行った。
これだけの数が向かうとなれば、彼らの上司が来るのは時間の問題だろう。
が、そんなことはフリューゲンには知ったことではなかった。
若さに任せ、全てにおいて我を通す。それが当時の彼だった。
無理やり通ろうとするが、流石に門番二人もそれを許すわけにはいかず、左右からもはや問答無用と抑えにかかった。
「邪魔だ、貴様ら!! 私は“賢者”殿に会いたいだけだ!!」
「それは叶わぬ、帰れ!!」
「貴様のような劣等種に、“賢者”殿を御会いさせるわけにはいかぬ!!」
そんな感じで三者が揉み合っていると。
「通してやれ。」
その一言で、門番のドレイク二人が固まった。
「ぞ、族長!?」
「なぜです!! こやつのような無礼な劣等種如きに“賢者”殿を・・・。」
「その“賢者”殿が会いたいと申されているのだ。」
やれやれ、と言った具合に首を振りながら、その男は現れた。
「貴様は・・・。」
フリューゲンは一目見ただけで分かった。
目の前に現れた存在が、そこにいるドレイク族とは格が違うと。
ドレイクロード。
かの種族でも一部の最精鋭でしか成れない、魔族でも屈指の最強種族。
その風格を纏った男は、傲慢にもこう自称している。
『マスターロード』、と。
戦乱の開始早々に自らをそう名乗り、魔族の全土に覇を唱えたこの男は、全種族の怒りを買ったのは言うまでもない。
だが彼は強かった。
ジャイアント、獣人連合を早々に蹴散らし、同族同士で潰し合いを始めて弱体化したヴァンパイアロードも下した。
そして先日、リンドドレイクの最精鋭も蹴散らした。
多くの魔族がこの歴代最強とも目されるこのドレイクロードが率いる軍勢とその圧倒的な暴力に、服従と恭順示した。
言うまでもなく現状で、最も魔族の頂点に近い存在だった。
或いは覆しようのない事実でもあった。
「行くがいい、虫けら。“賢者”殿を待たせるな。」
通常のドレイクより一回り大きい彼は、その体格に物を言わせて彼を見下してそう言った。
「・・・・良いのか?」
「戦士なら、戦いの理由を求めるのは当然の帰路だ。」
そして『マスターロード』は彼を見下していながらも、フリューゲンを僅かでも侮ってはいなかった。
何より、まだ若い彼を戦士として認めたのだから。
誇り高い男だと、フリューゲンは思った。
そして彼に敗北した同胞は、きっと魔族として満足して逝けただろうとも。
この男そこの時代に現れた英傑だと、彼は確信した。
だからフリューゲンは、彼を育ててきた知己の大人たちを彼に殺されたにも関わらず、彼を憎めなかった。
ただ純粋に磨かれた強さは、魔族にとって正義なのだから。
相手が種族積年の仇敵であっても、畏怖や畏敬を抱くことさえ躊躇わなかった。
「武器も持たず、単身で敵地に潜り込んできたその蛮勇を賞して教えてやろう。
話が終わったら、すぐに自分たちの巣に帰ることだ。
我々はこれから、貴様らの巣に攻め込む心算だ。
先ほどそちらに送った使者が死体になって帰ってきた。同伴に聞いたところ、無条件降伏の勧告だと勘違いしたらしくてな。肝心なそれを連中に伝え損ねたのだ。
くくく、我々は貴様らに降伏を求めていないと言うのに。
・・・我々が貴様らに求めているのは、ぐぅの音も言わさぬただ圧倒的な、屈辱的な敗北だけだ。」
残虐な思考を瞳に映しながら、薄く笑う『マスターロード』は、どこかフリューゲンを試しているようであった。
「だが、それが貴殿の策略であり、虚報を持ち帰らせる偽りの情報であるとしたら?」
だからフリューゲンも不敵に笑ってそう返した。
ドレイク族が策略家であるように、リンドドレイクも戦術家の一族だ。
鵜呑みにする気はない、とフリューゲンは言外にそう言ったのだ。
当然『マスターロード』の言葉が嘘と言う可能性もある。
しかしそれは限りなく無いに等しい。
なぜなら、意味が無いからだ。
虚報で軍隊を動かさせて、自陣を手薄にさせるわけでもなく、現状殆どの戦力が本拠地に結集している状態で、わざわざ攻め入ると言って守りを固めさせようと言うのは。
なるとしても、精々嫌がらせ程度にしからならない。
竜の劫火のような苛烈な攻めを得意とする彼が、今更優位なのに嫌らしく持久戦に持ち込むはずもない。
なにより、誇り高い彼がそんな生温い手を使うとは思えない。
『マスターロード』は彼が何も答えず、それを分かっていると確信すると、くくく、と笑みを深めた。
「貴様ら一人残らず根絶やしだ。それで我ら一族と貴様ら一族の因縁を清算するとしよう。
喜べよ、お前たちは私の記憶と、私が記す歴史の中で永遠となるのだ。」
彼が求めているのは、決着だ。
混じり気のない白と黒に分けるような、決定的な勝敗だ。
両者が万全の状態で、文句のつけようのない絶対的な勝利。
それが、それだけが彼の望みなのだろう。
それはまさしく、気高い竜のように。
「そこのお前、案内してやれ。これから死に逝く若き戦士への選別だ。」
彼はそう門番の一人に命じると、ローブを翻して去って行った。
それが二人の最初の邂逅だった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
その部屋は、酒の匂いが充満していた。
賓客室であろう、豪華な内装のその部屋には無数の酒瓶が散乱していた。
そこを占拠している主は、ソファーにどっぷりと座り込み、ワインのボトルを下品にラッパ飲みしていた。
茶褐色の肌に、色素の薄い銀髪の、笹の葉のような細長い耳。
闇の如き黒衣を纏った彼女こそ、魔族が“賢者”と称えるダークエルフに相違なかった。
生きている年月は二千を超えると言う魔女は、全く老いを見せずにエキゾチックな美貌を誇っていた。
どこか寒気を覚えるような、美しさだった。
彼女は六百年前に滅びに瀕した魔族を、同じく滅びかけていた人間たちに自ら協力することによってこの“箱庭の園”に居場所を獲得し、滅亡から守ったとされている。
かの魔術師の支配者たる『盟主』にも顔が利き、彼女が居るから『盟主』も魔族に対して強くは出られないとまで言われている。
魔族の救世主にして、絶大な力を持つ魔女。
それが、全ての魔族に“賢者”と称えられる彼女だった。
「あなたが、私に会いたいって言っていた奴かしら?」
彼女は胡乱な目つきでフリューゲンを一瞥したが、酒に酔っているようには見えなかった。
これほどの部屋が毎日掃除されないわけがないのだから、この無数の酒瓶は今日呑んだものだと思われた。
「・・・・恐れ多くも、“賢者”殿には答えていただきたい。
なぜ、この安定していた我ら魔族に戦乱を齎す真似をしたのだ。
自ら統治を放棄し、他者に委ねるとあらば、主導権を握りたい各種族の争いになるのは必定であろう!!
よもや、“賢者”殿とあろう御方が、もはや魔王の再誕は成らずと血迷い申したか!!」
戦いをすること自体、フリューゲンは疑問など無い。
自分は戦士として育てられたのだから、戦争になるなら敵を倒すことに躊躇う余地などあり得ない。
だが、どうして戦いになったのか、彼は知りたかった。
その理由は、“語り部”に対する点数稼ぎもあった。
彼女は週に何度か皆に対して一族の歴史や様々な物語を語る。
それに毎回通い詰めているフリューゲンは、今回の戦争の原因を聞いて彼女に教えることで好印象を受けようと言う算段だった。
だいたいそれが理由の半分。
もう半分は、自分が戦う理由を見つけたかったからだ。
産まれてこの方、フリューゲンは戦士として育てられてきたが、一度として自ら望んで戦いを行ったことは無かった。
一族が支配している魔族の子分たちと戦うのも、魔物の被害が手に負えないという事でたまたま通りかかったところを乞われてからだ。
同族たちを叩きのめしたのも、喧嘩を売られたからで、彼らに何一つ悪印象は無かった。
誰かを襲う悪漢に遭遇したことが有っても、それは義憤に駆られたからではなく、悪人を叩きのめすことが当然の行いだからだ。
無色透明で、澄み切った刃のような戦士。
無骨でただ持ち主のままに振るわれる剣のように、彼は育ってきた。
だから彼は求めに来たのだ。
この戦争で、戦う理由を。
だから、問いに来た。
“賢者”と称えられる、偉大なるダークエルフに。
「なに、そんなことを聞きに来たの?」
だと言うのに、“賢者”殿は彼を小馬鹿にしたように口元に笑みを浮かべ、ワインボトルを揺らしながらこう言った。
「ただ、飽きただけよ。」
「・・あき、た・・・?」
フリューゲンは、最初は何を言われたのか、理解できなかった。
余りにもそれは予想外過ぎて。
かの“賢者”と称えられようとする人物の起こす戦争は、さぞ自分には理解できない崇高な物だと、どこか信じていたのだ。
そうでなければ、そうでなければ、それで命を落とした同胞はなぜ死んでいったのだ?
「そんな、そんなバカなッ!!」
「馬鹿も何も、それが事実よ。私は有力な種族の族長を集め、その前で言ったのよ。
・・『私はもうここを統治するのは辞めることにした、あとはお前たちで好きにしていい。場合によっては『盟主』に口をきいてやってもいい。』ってね。」
魔族が協調体制など取れるはずもない。
その言葉は、全魔族で殺し合いの末に支配者が決まることを初めから前提にしていた。
フリューゲンは思い出す。
彼らの族長が、“賢者”殿に呼ばれたと言って出立して帰って来た時のあの怒り様。
族長はその後に戦いの備えをしろと、皆に命じた。
そして、戦争が始まったのだ。
「それでは、皆は貴女の下らない気まぐれな一言で殺し合いになったと言うのか!!」
フリューゲンも冷血漢ではない。
その言い様に腹が立つのも当たり前だった。ふざけていると言ってもいい。
「下らない、か。まあ、そうなのかもね。どうでもいいけれど。」
そして彼女は、まさしく魔女だった。
彼女の伝承通り、容易に国一つを傾かせるほどの。
「このような真似をして、貴方はそれでも魔王陛下の従僕か!!」
「はッ!!」
罵声を浴びせるフリューゲンを、彼女は鼻で笑った。
「私は確かに魔族よ。だけど、その前に私が忠誠を奉げているのは、この世でただ一人。
私が魔王の従僕ならば、その御方を通じてのみ。
あの方なら、むしろ良く六百年も持ったものだと褒めてくださるに違いないわ。こんなつまらない、閉塞に満ちた仕事はこりごりなのよ。」
酒を飲んでいる方がまだマシよ、と“賢者”はワインボトルを呷った。
「文句があるなら、私を力づくで納得させなさい。そこの彼らのようにね。」
空になったワインボトルを持った手で、彼女はフリューゲンの横を指さした。
「ッ!」
そこにあったのは、今にも動き出しそうな石像だった。
それが幾つもの種族を模り、並べられていた。
「石化魔術・・・伝承に変わらぬ腕のご様子・・・。」
フリューゲンは唸ることしかできなかった。
魔族の“賢者”、否“砂漠の魔女”の最も得意とするところである石化魔術。
ダークエルフが得意とする精霊魔術ではなく、黒魔術。
そのあまりの強力さに、本人すら解呪することは不可能であるとされている。
そこには魔力抵抗力が非常に高い種族の石像も混じっていた。
彼らであっても、この恐るべき魔女の力の前には無力だったいう訳だった。
もはや、神話級の腕前だった。
「帰りなさい、貴方の戦場はここではないはずよ。」
「・・・・・・失礼しました。」
結局、実力の差を感じ取ったフリューゲンは頭を下げて、帰ることしかできなかった。
「・・・聞いているんだろう、若造。」
「ええ、まあ。」
どこからともなく、『マスターロード』の声が響く。
傲慢な彼から決して少なくない敬意と言う物が声に含まれていた。
魔族の“賢者”にして“魔女”たる彼女は、動揺すらせず新しいワインボトルの栓を抜いた。
「私も聞き損いましたが、本当に飽きたと言う理由だけであんなことを?」
「さて、どうかしら。」
蠱惑的な笑みを浮かべて、彼女はとぼけた風にそう言った。
「しかし、まあ・・・・。」
一口で半分も中身を減らしたワインボトルの中身を揺らしながら、彼女は言葉を続ける。
「お前さんが魔族を手中に収めるのは目に見えている。
ふふ、お前さんだけには教えておいても良いかもしれないわね。」
「やはり、真意は別にありましたか。」
ふふッ、と彼女は不敵に笑った。
「ここ数百年見てきて、魔族の傾向が明らかに変わってきている。」
「傾向・・?」
「ああ、傾向と言ってもごく僅かだ。根本的には何一つ変わっちゃいないわ。
だけれど、同じ規格に当て嵌めたように生まれ死んでいく魔族が、少しずつ違いと言うか、個性と言うか、そう言うのが見えだしてね。
・・・お前だってその一人さ。ドレイク族の族長と言えども、自ら『マスターロード』なんて名乗るなんて、正気の沙汰じゃない。」
「・・・・・。」
「お前さんも、もう少し長く生きて全体から見渡せばいずれ気付くだろうさ。
もし、この僅かな変化が間違いでなければ、私なんかがこんなところに居座る必要も無いと思ってね。」
「“賢者”殿よ、貴女はその幻のような可能性に、何を見ておられるのでしょうか?」
『マスターロード』は、どこか声を押し殺したように厳かに問うた。
「さてね、今はどこの次元や異空間に居るかも分からない、私の仲間なら分かるのだろうけれど。
だけど、きっとあの方ならこうするだろうから。それに飽きたと言うのも本当だし。」
ふふふッ、と魔女はどこかを懐かしむように笑った。
「きっと、あの大いなる“二番目”の陛下も見向きもしなかった、魔族の可能性。
良いじゃない、限りなくないに等しい物でも。それに掛け金を投じるのは、とても楽しいことじゃない。
この退屈に比べれば、魔族の首魁の座くらい、掛け金にするのは惜しくない。」
「では、退屈だと言っておきながら、未だ貴女がここに残っているのも・・・。」
「ええ。一応、最後まで見ておく責任はあるだろうしね。
あの『盟主』に新たな魔族の統治者として、私の後継者に据えておくことを言っておく必要もあるし。
貴方が魔術に精通していてよかった。“魔導師”の称号でもあれば、説得力も出るでしょう。
私の隠居の引き換えだもの、それくらい認めさせるわ。」
「・・・貴女がこれからも“賢者”であられることを、私は願います。」
「あはははは、今更魔女のほかに、賢者が悪名に代わっても大して変わらないわよ!!」
けらけら、と可笑しそうに彼女は笑った。
ずっと気だるげだった彼女が、初めて生き生きとしていた。
「・・・みんなは任せたわよ。」
「ええ、全ては我が理想の為に。」
その言葉と共に、この場に居ない声の主の気配は消えた。
「・・・・・・・・・・。」
そして、ただ豪華な賓客室に取り残された魔女は、ただ何もない虚空を見上げて、どこかを眺めていた。
ともすれば、彼女こそ時代に取り残された石像のように。
ただただ、遥か先の未来か、はたまた過去か。
その眼には、少なくともこの時代は映ってはいなかった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
フリューゲンが第二層に戻り、任務放棄を仲間に問い詰められたところで、彼は『マスターロード』の襲撃のことを告げた。
しかし。
「なにを馬鹿なことを。」
「そのような無駄な真似を、誰がするか。」
「怖気づいて逃げる理由にしてももっとマシな物は無いのか?」
と、誰もが口々にそう言って、フリューゲンの言葉を相手にしなかった。
それはフリューゲンも半ば覚悟していたことだった。
彼らが決して危機管理が疎かな無能では無く、そのような結論に達する理由は有った。
ここ数百年続いた“賢者”殿の統治と、この“箱庭の園”と言う階層が分かれた特殊な地形は、戦争と言う物を非常にやり難くしていた。
ただでさえ、平和で戦争のやり方を忘れた魔族。
今では平地にお互いの陣営を構え、正面から決着をつけると言う方法が取られていたのだ。
敵の本拠地に直接殴り込むなどと言う事は、昇降魔法陣の許容量から見ても、被害ばかり出て現実味の無い行いだと思われていた。
勿論それは正しい。
昇降魔法陣は詰め込んでも魔族なら精々千人前後、仮にそれで敵の本拠地に乗り込んでも四方八方が敵だらけ。
一度昇降魔法陣を使うとしばらく使用不可になるから、退路も断たれる。
とは言え、今回の戦争が厳格に規律で管理されたものであるわけがない。
誰も奇襲を行わないなんて、決まりはない。
結局、フリューゲンは独房に入れられることになった。
その処置に、彼は疑問を抱かなかった。
それどころか、彼は今まで同胞のどんな命令も理不尽だと感じたことは無かった。
自分の人生そのものが、彼にとっては戦いなのだ。
今ここで黙して待つのも、彼には戦いの一つだった。
彼には、戦いしかなかった。
ごごごごご、とその時、城砦都市が揺れた。
悲鳴が、独房まで聞こえた。
しばらくして、独房の前に居た看守のリンドドレイクまで呼ばれた。
見るまでも無く劣勢なのは明らかだった。
独房の申し訳程度の窓から、空を見上げる。
そこから、空を舞う飛竜の使い手であるリンドドレイク達が、同じく飛竜を駆るドレイク族に木に生った果実のように、悉く撃墜されている。
圧倒的な強さだった。
ドレイクの支配者、『マスターロード』に率いられた彼らの圧倒的な火力の前に、リンドドレイク達は成す術も無い。
羽虫のように、落とされる。
これも運命かと、フリューゲンが覚悟を決めた時だった。
がら、と独房の入り口が空いた。
「・・・・“語り部”殿か。」
振り向くと、沈痛な面持ちの“語り部”が彼の独房の扉の錠前に鍵を差し込んでいる所だった。
「戦ってください。我が一族の戦士よ。
敵は竜騎兵をただ十のみ揃えて、この城砦に奇襲を掛けてきました。
我ら一族は、それに果敢に挑むも・・・・。」
その先は、彼女が語るのは憚られるだけだった。
「たった十の敵兵に、我が一族は危機に瀕しています。
あれが、あれが曾婆さまの仰っていた、大いなる竜の化身・・。あまりにも、強すぎる。
でも貴方なら・・貴方なら、この危機を救えるはずです。」
がちゃん、と錠前が外れ、鉄格子の扉を開けて、“語り部”はフリューゲンの眼を見つめた。
「貴殿がこれからは、我が武勇を死ぬまで語ると言うのなら。」
「それで、貴方が満足するのならば。」
「・・・・ちッ」
フリューゲンは面白くなさそうに舌打ちしたが、すぐにその表情には笑みが浮かんだ。
「ここで無理やり物にするのも悪くないが、それでは詰まらない。
なあに、すぐにでも私から目を離せなくなるさ。」
そんな気障な捨て台詞を残して、フリューゲンは独房から出陣した。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「っふ、ふふふ、ははははは。こんなものか虫けらども。」
上空400メートル、『マスターロード』は精鋭部隊を従えて、大きく城砦の周囲を凱旋していた。
「ふふふ、ふふふふふ、この程度か、・・・この程度かッ!!
これが空を駆ける流星と称されるリンドドレイク族だと、何が流星だ、この程度は虫にも劣るわ!!!」
その中心に君臨する『マスターロード』は、あまりにも手ごたえの無い戦いに、怒りを覚えていた。
それも当然だった。
彼らがここに攻め込む前の戦争で、リンドドレイクの最精鋭は全て屠っていたのだから。
ここに居るのは全て若い弱卒ばかり。
手ごたえも歯ごたえもないのは、当たり前であった。
竜騎兵たった十騎による奇襲。
それで、百を超えるだろうリンドドレイクの全てを撃墜した。
それらすべて、『マスターロード』の采配に依る者が大きい。
だが、それを抜きにしても、若いリンドドレイクたちはあまりにも呆気なかった。
「こんな、こんな雑魚共を、我が一族は目の敵にしていただと?
笑わせる、こんな滑稽なことはあるまいッ!! まだ泥に手を突っ込んだ方が手ごたえはあるわ!!」
航空部隊全てを撃退した後は、歩兵部隊が昇降魔法陣から現れ、この城砦を占領する手筈になっている。
それまでに、ここに住んでいる魔族たちに、この空の支配者が誰か、教え込むために空を飛んでいた。
逆らえば、竜の怒りを買い、火だるまになって焼け死ぬ。
この空は竜の名を語る虫けらではなく、真のドラゴンの化身たるドレイクの物であると。
そろそろ歩兵部隊がやってくる時間だと、『マスターロード』が思ったその時だった。
砦から、一匹の飛竜が飛び立った。
まだ生き残りが居たのか、と思いながらも、『マスターロード』は油断することなく部下に指示を出した。
竜騎兵三騎が三方向に散り、側面を封じながら確実に敵兵を撃滅する陣形を取った。
後はもはや半ば作業と化した集中砲火で、仕留めるだけだった。
しかし、敵兵がある程度上昇したところで、突如としてそいつが全員の視界から消えたのである。
「なにッ」
と言う、暇さえ与えられなかった。
風が、竜上の三人を刈り取った。
そう見えた。
だがそれは正確に言うと、真横から強襲してきたフリューゲンが水平に弧を描くようにして、高速で滑空し、竜騎兵の鞍を引き裂いて竜の上から叩き落としたのだ。
「貴様は、あの時の小僧!?」
それを認識できたのは、『マスターロード』だけだった。
「いつまで経っても現れぬから、怖気づいたかと思ったぞ!!」
大きく旋回してこちらに向かってくるフリューゲンを認め、彼は楽しそうな笑みを浮かべた。
「総員散開、竜翼の陣形で一斉射撃だ。」
敵兵がたった一体でも、『マスターロード』は容赦をしなかった。
大きくドレイクの竜騎兵たちが空中に広がり、一斉に精霊魔術を解き放った。
「ほうッ!!」
フリューゲンは視界を埋め尽くすような精霊魔術の集中砲火に、感嘆を上げた。
連射力と火力により制圧を目的にした、間断無い無数の精霊魔術が飛来する。
火球が、氷塊が、雷鳴が、真空の刃が。
爆炎が、雹が、雷雲が、竜巻が。
精霊魔術の猛威が、フリューゲンを叩き潰さんと怒涛の如く降り注いできた。
「なるほど、これは確かに恐ろしい。」
同胞たちが成す術無くやられたと言うのも頷けた。
いくらリンドドレイクが竜の扱いに長けていても、これを前にすれば成す術も無いだろう。
ドレイクの竜騎兵を爆撃機とするのなら、リンドドレイクの竜騎兵は戦闘機。
飛竜も攻撃に参加し、滑空しながら強力な精霊魔術で敵を薙ぎ払うドレイクの竜騎兵。
そしてスピード重視で一撃必殺を旨とする空中戦を展開するリンドドレイクでは、仲間との連携が邪魔して十分な力を発揮することはできなかったのだ。
しかし、フリューゲンにはその制約が無い。
仲間と連携を気にせず、空の全てを自由に使える彼には。
「なんだ、あの動きは!?」
ドレイクの竜騎兵の誰かが呻いた。
なんとフリューゲンは、正面から精霊魔術の弾幕に突っ込み、飛んでくる攻撃を見極めて急加速と急停止を巧みに使い分けて、蝶のように舞い、ツバメのように鋭く飛ぶ。
ドレイクと違い、空間把握能力がスバ抜けて高いリンドドレイクだからこそ成せる技だった。
されど、その程度でうろたえる筈もない。
彼らは『マスターロード』が魔族を支配した暁には、“騎士位”を授けると確約された最精鋭のドレイクロード。
飛竜の扱いを心得ているからこそ、その有り得ないふざけた動きに恐怖を覚えたのだ。
フリューゲンは上下逆さになっても易々と攻撃を躱し、転回も九十度直角、いざ直撃しようとなったら突然真横に平行にスライドする。
悪夢のような飛行機動。
「ありえな―――」
そして、間合いを完全に詰められた。
もはや線にしか見えないフリューゲンに、竜騎兵が二人落とされる。
「あれは、まさか四翼の飛竜・・・!?」
そこで『マスターロード』が気付いた。
なぜあんな動きが可能なのか。
その秘密は飛竜ではない。
まだ幼体の飛竜があのような無茶苦茶な動きが、自らできる筈も無い。
二対四翼の竜の正体。
それは、飛竜に乗ったフリューゲンが、リンドドレイクには存在しえない背中の翼を広げて、細かく風を調整しているからに他ならない。
リンドドレイクが飛竜に乗っている?
違う、あれはリンドドレイクが飛竜を引っ張りまわしているのだ。
精霊魔術で風を操り、飛竜ごと無茶苦茶な軌道を実現している。
だから強力な精霊魔術の射撃を得意とするリンドドレイクが、わざわざ間合いを詰めて接近戦を繰り広げようとしているのだ。
だが、それは普通なら有り得ない。
なぜなら、飛竜がいくら優秀な騎手を得ようとも、その飛行の一部でも他者に預けようとするなど、絶対にありえないからだ。
飛竜は下等な竜種だが、それでも竜の端くれなのだ。
プライドは高く、雄々しく強大に飛行する。
それを無理やり捻じ曲げようとするなど、彼らの誇りが許さないはずだ。
そればっかりは、誰であろうとどうしようもない筈なのだ。
―――それはまさしく。
「兄者、終いだ。」
「ぎゃう。」
それはまさしく、竜身一体の極地。
「がッ!?」
呆然とする『マスターロード』の鞍を槍で引き裂き、フリューゲンは彼を飛竜から叩き落とした。
そうして、後々深い因縁となる両者の初戦は、フリューゲンの圧勝で終わった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「く・・・なぜだ。」
地面に叩き落とされたドレイクの精鋭全てが、負傷しながらも生きていた。
空中から叩き落とされただけなのだから、人間から見れば常識外れに頑丈な彼らがその程度で死ぬはずもない。
だが問題は、今のフリューゲンが出てきてからの一連の戦闘で、誰ひとり死傷者が出なかったことに、『マスターロード』は困惑した。
彼ほどの腕なら、多少手間取っても心臓を槍で貫き、首を落とすくらい容易だっただろう。
「ああ、しまった、いつもの要領で殺さず落とすだけにしてしまった。」
そしてその彼から見て無様な惨状を生み出した張本人は、ゆっくりと飛竜リンドブルムを羽ばたかせて、地上に降りてきた。
「まあ、ここで仕留めれば変わらないか。」
そう言って、竜上から降りたフリューゲンが槍を突き付けてくる。
だが、そこはドレイクの最精鋭。
彼らは空中戦だけでなく、地上戦でも(むしろ普段はそっちが専門)でもその実力をすぐに発揮した。
近くに墜落した彼らは、『マスターロード』をフリューゲンから庇うように前に出て、剣を抜いて相対してきたのだ。
「劣等種が、空の上と同じように行くと思うなよ!!」
「確かに貴様は他の虫けらと一味違う、しかし地上では同じように行かぬぞ!!」
「自ら竜を降りるとは愚かな!!」
などなど、精一杯の負け惜しみを言いながら、忠誠心篤いドレイクロード達は自分たちの族長を救うべく、今からもう一戦やらかそうと殺気立っていた。
むしろ、先ほどの失態を帳消しにすべく、隙を見せればすぐにでも戦いになるだろう。
「やめろ、お前たち。」
だが、それを諌めたのほかでもない、今起き上ろうとしている『マスターロード』だった。
「ぞ、族長・・し、しかし!!」
「竜に乗った総大将が地に墜ちた・・・これは誰がどう見ても、文句の言えない我らの敗北だ。」
立ち上がる時、『マスターロード』の両腕は怒りと屈辱からかぶるぶると震えていた。
そう、その場に居る最上位の指揮官の敗北は士気に大きく影響し、そのまま敗走に繋がる。
だがこれはそれに当てはまらない、と彼の部下の誰かもそう言おうとしたことだろう。
しかし、それを言ったらぶち殺されそうなほど、『マスターロード』は怒り狂っていた。
「竜の言葉は真言である。我が言葉はそのまま真実を意味し、誇りを持って真理とする。」
それを撤回する気などないのだろう、フリューゲンも知る竜族の格言を述べて、彼は踵を返した。
「我々は一度、撤退する。
だが忘れるなよ、リンドドレイクの戦士よ。
貴様ら一族の寿命が一日延びただけだ。我らは明日もここを攻める。
今日この身に勝ったことを、素直に褒め称えよう。だがそれを後悔するほど徹底的に叩きのめしてやる。」
ぐつぐつメラメラと、燃えたぎるような怒りを宿した視線をフリューゲンに送ると、『マスターロード』は残りの部下たちを回収して、堂々と城砦の正面から撤退した。
「きゅう~~。」
「ああ、そうだな。兄者。」
フリューゲンは顔を摺り寄せてくるリンドブルムの首を撫でながら、頷いた。
『マスターロード』の言葉は、負け惜しみではなく本気だ。
彼どころか、その精鋭たちですらまだドレイク一族の秘術を繰り出していなかった。
精々全力の二十パーセントも出していれば良い方だ。
彼らの戦い方に油断は無かったが、その根底に強者の余裕が見えていた。
油断はしていなかったが、侮っていたのだ。
しかしその侮りは間違いではなかったことを、同胞たちの墜落が示していた。
彼らは十騎で十分、ここを落とせたのだ。
それは彼らの傲慢でも驕りでもなく、純然たる事実。
一騎当千の最強種族に相応しい連中だった。
だからこそ、『マスターロード』は怒り狂った。
敗北そのものではなく、敗北を生み出した自分に。
傲慢だからこそ、誇り高いのだ。
ちなみにこれはフリューゲンが知らない事だが、昔からドレイクと戦う際に人間たちに伝わる必勝法が存在する。
それは、速攻。
やられる前に殺すこと。
彼らに実力を出させない事だ。
彼らが本気になったら、もう手が付けられないからだ。
「まさに、竜の逆鱗に触れたな。」
フリューゲンの手は、震えていた。
恐怖からではない。
初めて出会えた、強大な敵に対する武者震いだった。
何とも形容しがたい感情が、ふつふつと湧き上がってくる。
確かに敵は強大だ。
だが、今は湧き上がった感情の赴くままに、叫びたかった。
フリューゲンは自身の愛竜に跨り、空を滑空しながら町中で叫び回った。
「――――敵将『マスターロード』、打ち破ったり!!」
歓喜と歓声の声が彼を迎える。
彼が『英雄』になった瞬間だった。
それを見ていた“語り部”は、男ってみんな馬鹿ね、と苦笑したと言う。
―――インフォメーション
人物紹介に、魔族全般や特定の人物にスキル:“指揮官”を追加見直すと面白いかも。
ケーニッヒドラッヘンを追加。
フリューゲンを追加。
こんばんわ、ちょっと時間が空きましたが、無事投稿しました。
最近ちょっと忙しいので、なかなか時間が取れませんが、これからも変わらず継続したいですね。
魔族はまさに男の世界、って感じに渋くできたらいいなぁ。最近そういうのも格好いいと思うようになりました。
それでは、また次回。