幕間 VS“虚飾を纏いし者”
翌日の夜はすぐにやってきた。
「じゃあ、おやすみ。」
「ええ、おやすみなさい。」
聖油を塗り、ベッドに仰向けになる俺に、祈りの体勢のエクレシアが優しく言った。
だが、俺はちょっとモヤモヤした心境だった。
「あ、あのさ、やっぱりここで寝るのは不味いのでは・・。」
彼女の儀式が必要なのは分かる。
そうしないと、俺は死神に呼ばれてしまう。
だが、俺が寝た後、彼女がわざわざ俺のベッドに潜り込んでくる必要性は無いのでは?
俺が言いたいのはそういうことだ。
いや分かってる、ここは空気を読むべきところだと。
「しかし、ここから私の部屋まで距離があります。
この地域は夏場でも冷えます。もしかしたら風邪を引くかもしれません。」
うん、エクレシアの言いたいことは分かってる。
でもだけどさ、俺たちほら、健全な若い男女じゃない?
そんな二人が深夜に同衾するってどうよ?
そりゃあ俺たちは曲がりながらも恋仲だ。
相思相愛だと自負している。彼女だって別に真っ当なシスターと言うわけではないから終生誓願もしていない。つまり結婚できる。
聖堂騎士団は建前こそ修道士の組織だが、つまるところは魔術結社だ。
魔術の研究の為には代を重ねなければいけない。
その為に、教義に反しない裏技を幾つも持っているそうな。
司祭などの位階を得なければ、普通に結婚も可能らしい。
じゃなければ女性は基本修道女な宗教の組織のトップが、女性でありながら枢機卿なんて地位に就けるわけがない。
俺は詳しくは知らないが、別に位階を得ていても、何だか複雑な過程を経て普通の身分とは別の身分になり、宗教的制約を回避することも可能らしい。
信仰の形は人それぞれだろうが流石は魔術師である、裏技と偽装とズルのオンパレードだ。
通常の騎士修道会は、あくまで修道士であって本当に騎士の身分ではない。
しかし『カーディナル』を仰ぐ聖堂騎士団は、彼女の権力によって本当に“騎士”の身分を与えられる。
その傘下の騎士たちは修道士であることより、騎士であることを求められる。
同時に、形だけの修道士としての資格も得られるのだ。聖堂騎士団という宗教組織の“全体”の一員として。
つまりは、あべこべなのだ。
エクレシアが教会の人間でありながら結婚できるのはそういう理由もある。
修道士にして修道士に非ず、という事だ。
やっていることが教義の思いっきり反しているのだから、神を仰いでいても誓願してその愛を受けることはできないという事なのだろう。
こちらも愛ゆえに身を引き、地獄に墜ちるのだ。
それが、彼らの信仰だ。
長々と言ったが、そんなわけで彼女が同衾すると想像しただけで理性が砂の城のように崩れ去りそうなのである。
ただでさえ今朝彼女が真横に居て声を上げたというのに。
ああ、そうだよ、俺はヘタレだよ!!
これでもまだまだ幻想を捨てきれない童貞野郎なんだよ!!
「そ、それもそうだな・・・。」
と思っていても、彼女の遠回しなお願いを蹴れるわけもなく。
「じゃあ、問題ないですよね。」
「う、うん・・・。」
結局彼女に押し切られてしまった。
分かってたけど、多分俺は将来尻に敷かれるだろうな、とか思いながら、俺は目を閉じた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「こんばんは。さて、参加者が全員集まったところで、さっそく始めましょうか。」
俺とエクレシア、フウセンがシミュレーターの世界にやってくると、すぐに師匠が現れた。
真っ白な空間も教室に変わり、教壇の前に立つわけでもなく師匠は上に乗って足を組んだ。
何やら楽しそうに笑っている。
「もうかいな。いきなりやな。」
何か話す前にいきなり実戦の開始を告げる師匠に、フウセンも若干驚いたようだ。
師匠が急性なのはいつものことだが、今日は何かがあるのだろう。
「おっと、その前に、今回は先に顔合わせと行きましょうか。
・・・ふふふ、感動の再会よ。」
師匠がそう言って指を鳴らすと、この場に新たな人影が現れた。
現れたのは、染めたのか明るめの紫っぽい髪の色をした、成熟した大人の女性だった。
金糸で彩られた白いローブを纏った彼女は、とても師匠が語ったような武勇の持ち主とは思えなかった。
「・・・・メリス、話が違いますよ。」
彼女は俺たちをそれぞれ見渡すと、師匠に向けてそう言った。
「なんで? 私は約束を破っていないわ。」
「相変わらず胸糞悪い女ですね。
弟子を取ったとか鍛えてほしいとか言うから物珍しさから来てみれば、そういうことですか。」
彼女は嘆息すると、諦めたように首を横に振った。
「フウセン、私が分かりますか?」
「えッ、アンタ誰や、ウチ、アンタなんか知ら・・」
「本当に、私が分かりませんか?」
もう一度フウセンに訪ねる声は、声色が違うなんてものじゃなかった。
声そのものが全く違っていた。
それだけで、フウセンは察したのか息を呑んだ。
そしてそのまま体が小刻みに震え、両目から涙が零れ落ちた。
「ど、どうしたんだフウセン!?」
「まさか、貴女は・・・。」
エクレシアは心当たりが有ったのあろう、驚愕の表情を浮かべている。
「・・・生き、とったんですか・・?」
「いいえ、私は亡霊ですよ。死人も同然です。
私を生きていると証明できる者は、誰もいないんですから。」
「でも、でもでも、ウチは死んだって聞いて・・信じられなくて・・・。」
「それはご迷惑を掛けましたね。
私のことを気にする必要はありませんよ。貴女は強い娘ですから、フウリンと一緒なら心配していません。」
「なッ、ウチは一人でも大丈夫やもん!!」
フウセンが子供のような表情でそう言った。
彼女のそんな表情は、初めて見た。
「知り合いなのか?」
「まあ、うん、ウチの先輩や。死んだって聞いてたんやけど・・・。」
「先輩!?」
それってあれだろ、“処刑人”ってことじゃねぇか!!
ジャンキーや王李みたいな戦闘専門の魔術師ってことだろ?
「対外的にも死んだ、で合っていますよ。
本当に色々あったんですよ。本当に、ね・・。」
「そう、そうや、確か吸血鬼どもにやられたって・・・。」
「ああ、そちらではそういうことになっていたんですか。
事実ではありますが、ぎりぎり何とかなったんですよ。」
彼女はそう言って、俺とエクレシアを見た。
「私は・・・そうですね、ファントムとでも名乗っておきましょうか。
私は死んだことになっているので、本名を名乗るわけにはいきませんし。そういう約束ですから。」
「本名? 魔術師名でいいだろ?」
「ああ、必要もなかったので私は本名以外名乗ったことが無いんですよ。」
「それって危なくないのか?」
魔術師名は呪術を防ぐために必要なものだと聞いたが。
「彼女には必要ないんですよ。」
「エクレシア?」
「彼女は私の同業者です。しかも最高位の。」
「えッ・・。」
エクレシアの同業となると、それは教会の魔術を使うことである。
あの魔術体系の特性は、即死攻撃や黒魔術に対する耐性だ。
それの最高位の魔術師となると、確かに魔術師名は不必要なのかもしれない。
「本名は名乗れませんが、人は私を“虚飾を纏いし者”と呼びます。」
「やはり、“虚飾”の・・・。
私はエクレシアと申します。貴女には一度、騎士団本部でお目に掛かったことがあります。」
「ああ、貴女は聖堂騎士団所属なのですか。」
なるほど、とファントムと言うセンスの無い偽名を名乗った女は頷いた。
しかし、“虚飾”どこかで聞いたような単語だ。
あれ、思い出せない、いつ聞いたっけ。
「メリスの弟子を取ったと聞いたので、ボコボコにしてやろうと思いましたが、気が変わりました。
相手がフウセンと、大恩ある『カーディナル』の配下となれば、多少稽古を付けてやるくらいはやぶさかではありません。
それで、貴方がメリスの弟子ですか?」
「あ、ああ・・・そこのフウセンもだが。」
「なんですって・・?」
それを聞いた彼女は、苦虫を噛み潰した様な表情になったが、次第に表情を顰めたままで落ち着いた。
「まあ、彼女なら貴女の才能を全て引き出せるでしょう。
ええ、魔術に於いてだけは貴女を信用していますよ。メリス。」
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない。」
「褒めていませんよ。」
このファントムと名乗った女、相当師匠が気に入らない様子だった。
「これは約束ですが、私のことをここ以外で口外しないでください。
それが出来ないのであれば、貴女であっても私は非情な手段を取らざるを得なくなる。」
「わ、わかりました。誰にも言いません、フウリンにも。」
「よろしい。貴方たちも宜しいですね?」
彼女の真剣な表情での問いにフウセンでなくても、俺もエクレシアも思わず頷いた。
「じゃあ、今度こそ始めましょうか。
形式は貴女に任せるけど、どうする?」
「実戦に近い形で十分でしょう。
私と彼女らが出会った。魔術師同士なら、あとは簡単ですよ。」
「実に単純で、分かりやすい理論ね。そういうの大好き。」
師匠は笑いながら、コンソールを操作した。
すぐに場所が変化する。
何もない、ただひたすら広い平原へと。
ファントムと俺たちの距離は、三十メートルと言ったところか。
「胸を借りるつもりで行きましょう。」
そう言ったエクレシアが抜刀し、フウセンや俺も魔剣を呼び寄せた。
「それでは、始めましょうか。
そちらは本気で構いませんよ、私は軽く鍛えてあげるつもりですから。
そして・・・そうですね、一撃でも当てられれば、キスして差し上げますよ。」
それを見て、ファントムも両手に武器を手にした。
細く、短い銀色の槍だった。
長さは大体70センチ前後。槍と言うより、俺は釘に見えた。
それを両手の指の間に挟むように、四本。
あの緋色の女を彷彿とする武装に、俺は背筋に寒い物を覚えた。
「まず最初に、私は貴方たちに教えなければならないことがあります。」
ファントムは柔和に笑ってこう続けた。
「敵に出会ったら、先制攻撃しないと死にますよ、と。」
直後、俺の頭がぐちゃぐちゃになった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「魔術師は頭で考えてから動きます。
考えさせてはいけません。遭遇戦なら状況をかき回し、必ず主導権を握りなさい。
これを守れるか否かで、生存率が段違いになるでしょう。
自分たちがどう動くかは、その時に考えても遅くはありません。」
脳みそをミキサーで掻き混ぜられたような感覚とテレビの砂嵐のようなノイズの中で、ファントムの声が鳴り響く。
―――『対抗』 視覚による強力な幻覚攻撃を受けています。このままではショックで気絶する恐れ有り、直ちにレジストします。
パチン、と火花がする様な音と共に、俺の感覚がぐにゃりと平常に戻った。
それでも自分のこの感覚が正しいと思えなくなるような、奇妙な感覚に陥る。
「二人とも、大丈夫なんッ!?」
フウセンの叫び声と共に、俺は我に返った。
「ええ、なんとか・・・。」
エクレシアは額に片手を当てているが、俺より被害は少なかったのか、すぐにそう返した。
「おや、全員立ってますね。
フウセンはともかく、他の二人は昏倒まで行くと思ったのですが、騎士の貴女はリカバリーが上手ですね。
そしてそこの彼は・・・ふふ、なるほど、メリスが私をここに呼んだ理由はもう一つあったというわけですね。」
ファントムは悠然と歩きながら、笑みを浮かべていた。
「ほら、遊びではないんですから早く向かってきなさい。私ならもう五度は殺せていますよ。」
彼女はそう言って、左右の手を振るう。
細長い短槍が煌めく。
合計八条の銀閃が真っ直ぐと俺たちに向かってきた。
「フッ!!」
それに反応したフウセンが、全てを魔力が乗った斬撃で叩き落とした。
たったそれだけで局地的に暴風に晒されたような状態になった。
「相変わらず無駄が多いですよ、フウセン。
貴女の場合、力が有り余るのは分かりますが、それでは繊細な術式の魔術を扱うのはハッキリ言って無理です。
簡単な攻撃を力技でどうにかするのは魔術師として如何かと。もっとスマートに行きましょうよ。」
続く短槍の第二射を放ちながら、ファントムは苦言も投げかける。
「そんなん、言われたってッ!?」
それを打ち払うと、突然フウセンの前に彼女が現れた。
「うあぁ、あッ!!」
慌てて魔剣で振り払うフウセンだったが、ほぼ同時に彼女の真後ろに現れたファントムがその背中を軽く押した。
その結果、前のめりになったフウセンは地面に倒れた。
「うえッ!?」
「はい、一回死亡。」
地面に倒れたフウセンの首筋の真横に、銀の短槍が突き刺さった。
俺は少なくとも、彼女がどう動いたのか全く把握できなかった。
フウセンの人外じみた動体視力でも、彼女の移動は見切れなかったのだろう。
赤子の手を捻るように、制圧された。
「はいはい、次、次。そこのお二人はいつまでボーっとしているんですか。
ほらほら、立っているだけなら案山子でもできますよ。」
「はッ」
次に彼女に挑んだのはエクレシアだった。
俺はその背後から攻撃の準備をする。
魔剣を弓に変形させ、“銀の矢”を番えた。
「フウセン、いつまで寝ているんですか。」
接近戦を仕掛けようとするエクレシアは、それを避けてファントムは投擲武器の中距離を保つように動き回っている。
「くッ」
フウセンもすぐさま立ち上がってその戦いに入ろうとするが、ダンスのように入れ替わる二人の立ち位置に、割り込めないでいる。
「そこだッ」
俺は隙を突いて“銀の矢”を射出した。
それは真っ直ぐにファントムに向かっていったが、寸前でエクレシアの方に逸れた。
「な、なんでッ」
「うろたえないでくださいッ!! 私は大丈夫ですッ!!」
強力な防護魔術に守られているエクレシアだから、どうにか掠り傷程度で済んだようではあった。
「あ、ああ!!」
混乱していた俺はエクレシアの叱咤で我に返った。
もう一度“銀の矢”を番え、今度は弾道補正と追尾を付けて今度こそ射出する。
「きゃッ!!」
「甘い、昼間に食べたチョコケーキより甘い。」
今度こそ確実に命中するはずだった“銀の矢”は、エクレシアの眼前から消えたファントムには無意味だった。
正面から“銀の矢”がエクレシアに直撃した。
「く、そッ」
「男でしょう、もっと堂々としなさい。」
そして俺の目の前に現れたファントムを振り払おうとすると、今度は足払いを受けて転ばされた。
「はぁッ」
その時、背中を見せたファントムに鞭のように形状が変わったフウセンの魔剣が、しなるように彼女に襲い掛かった。
「ぎゃあ!!」
が、それは地面に転ばされた俺に直撃した。
「ええッ!?」
それは攻撃していたフウセンも奇妙に思えただろう。
俺はいつの間にか立っていて、それも彼女を守るような立ち位置に居たのだ。
フウセンの馬鹿力で俺は木の葉のように吹っ飛ばされた。
「く、そぉ・・・。」
「ササカぁ、大丈夫か!!」
「肋骨五本折られて人間が平気だっていうなら、大丈夫かもな・・・。」
「うッ、ごめん・・。」
「いいから前見ろよ。」
俺は駆け寄ってくるフウセンを手で制し、痛みを堪えながら何とか立ち上がった。
「大丈夫です、これくらいならすぐに治癒できる。」
直後にエクレシアが駆け寄ってきて、俺に治癒魔術を施してくれる。
彼女の手から放出される白い魔力の輝きで、すぐに痛みが引いていく。
「ふふふふ・・・。
その未熟さが愛おしいですよ。私も昔はそうだった。」
その様子をファントムは可笑しそうに眺めながら、笑みを浮かべている。
まるで亡霊のような動きをするくせに、普通の人間のように邪気なく笑っている。
魔術と言う深淵に使っているのに、まるでそれに囚われていないかのように。
「彼女は幻覚・幻術の達人です。
それを極めた故に“虚飾”と称されたのです。」
苦渋に満ちた声で、エクレシアが言った。
道理で、面白いように同士討ちさせられたわけである。
と言うか、そういうことは先に言ってほしかった。
「対抗策は?」
「それぐらい自分で見つけましょうよ?」
ドキリ、とした。心臓が止まるかと思った。
エクレシアの顔で、奴は言ったのだ。
エクレシアの姿で、ファントムは言ったのだ。
声を戻して、ようやく分かった。
「ぎょえッ!?」
ビックリしてフウセンは後退った。
「・・・・。」
俺は無言で後ろに歩いた。
「っくっくっく・・・。」
俺たちがまんまと騙されたのが相当に可笑しかったのか、ファントムは口を押えて笑った。
ふとその時、今まで何も無い平原だった場所に、棒立ちして半眼で俺を見るエクレシアが居た。
思わず身構えた俺に対し、彼女はつかつかと俺に歩み寄って、思いっきり拳を振りかぶってから、腹を一発殴られた。
「おふぅ!?」
「ふんッ!」
当たり前だが、我が愛し君は相当にお怒りの様子だった。
なるほど、“虚飾を纏いし者”とはよく言ったものだ。
嫌と言うほどその所以を理解できた。
“スラッグショット”部隊の連中が手も足も出なかったわけである。
「ああ、あとイ・・先輩は変身とか、偽装とかも達人級やねん。
しかも本人と寸分たがわずに。何でも他人に変身しまくって本来の自分の姿忘れたって話もウチ聞いたことあるんよ。」
ご立腹のエクレシアを見て、フウセンが俺にフォローをくれた。
・・・道理で知り合いのはずのフウセンが、最初ファントムを誰かと分からなかったわけだ。
でもさ、だからそういうことは最初に言ってくれよ。フェアじゃないかもだけどさ。
「私を相手に、現実も虚構も変わりません。
五感六感全て掌握して操り人形にしても構わないのですが、それでは稽古になりませんね。」
俺たちの予想外の弱さに、先方に訓練から稽古に格下げされた模様。
「趣向を変えましょう。
耐えなさい。できれば、反撃して状況を打開しなさい。」
その直後、ファントムが増えた。
何の比喩もなく冗談でもなく、何もないところに次々とファントムが現れたのだ。
そう、例えるなら某忍者マンガの主人公の得意とする、影分身の術みたいに!!
その数、ざっと二十四。
「ちょ・・」
「ほらほら、頑張りなさい。」
二十四人のファントムが、一斉に短槍を投擲した。
集中砲火ではなく、面制圧を目的とした投擲だった。
次々と繰り出されるその弾幕に、逃げ場はない。
幻術だとわかっているのに、そのあまりにもリアルな臨場感に、俺の本能は警告する。
アレに射られれば、死ぬ、と。
俺たちは全員、回避より防御や迎撃を選んだ。
エクレシアは障壁を展開し、フウセンは魔剣の斬撃で吹き飛ばそうとした。
俺は“アイギス”を展開して、防御を図った。
だが、ダメだった。
幻影にすぎない短槍の投擲は、防御魔術や迎撃をすり抜けて俺たちに降り注ぐ。
当たり前であるが、防いでも実体が無いんだから当然の結果だった。
俺たちは、全身串刺しになった。
勿論、即死だった。
「敵の正体不明の魔術を受けるなどとは、馬鹿のすることですよ。
相手に魔術を撃たせない、魔術を受けない、そもそも準備をさせない、これを基本としなさい。
魔術師は基本的に、予想外の手を持っていることを前提としなさい。」
ファントムの言葉と共に、幻覚の短槍が冗談のように消え失せた。
「ハッ、く・・・」
リアルな死の感覚に、俺の全身が汗まみれになる。
昨日の模擬戦でも何度も死んだが、それとこれは全く別の、本物の死の感覚を植え付けられた。
それは虚構かもしれないが、彼女は、ファントムはできるのだ。
それを現実に。本物に。死に。
正直、レベルが違う。
今回も模擬戦になるかと思ったが、酷い自惚れだ。
彼女は“パラノイア”に匹敵する魔術師だ。
俺たちが逆立ちしたって、勝ち目なんて有りはしない。
彼女にとって、俺たちは稽古を施す程度でしかない。
「まだ、・・まだです・・。」
エクレシアが、かすれた声でそう言った。
その状態は真っ青な表情で、だらだらと汗が止め処なく溢れ出ている。
きっと俺も同じなのだろう。
「えッ、二人とも、どないしたん? そんな真っ青で。」
ただ、フウセンは違ったようだ。
まるでビックリした、とでも言うように顔を腕で庇い、俺たちの様相に驚いていた。
「おや、生存本能を刺激する幻術だったのですが・・。
フウセン、貴女の本能はこの程度では“危険”だと感じないようですね。
これくらいでは動じないくらい図太い・・・何てことありませんよね?
今ので死を予感できなかったら、その人間の感性は壊れている。」
そして、ファントムも怪訝そうな表情で、フウセンの異常性に気付いたようだった。
「え、だって、でも、ウチ・・・ッ。」
彼女の言葉に戸惑うフウセンは、最後まで言葉を紡げなかった。
なぜなら、彼女は全身がバラバラになっていたのだから。
首と四肢が全部バラバラに。
「うッ・・。」
その光景を見たエクレシアが、ただでさえ青かったのに顔面蒼白になった。
きっとトラウマを呼び覚ましたのだろう。
「えッ、なに今の、ウチ、なんでバラバラに・・・。」
しかしそれも、出来の悪いホラーのように、何事もなく彼女はさっきと同じように立っていた。
それでもフウセンは、自分に何が起こったのか理解できないようだった。
「これだけしても、ですか・・・?」
ファントムが、初めて目を見張った。
きっと、彼女はフウセンが俺たちと同じような状態にならないことに驚いているのだろう。
そりゃそうである。彼女は天下の魔王の『断片』。
元々バラバラにされているんだから、これ以上バラバラにされたって変わりは無いだろう。
・・・そう思う俺は、もう異常なのだろうか。
「・・・メリス、どういうことです。」
『聞きたい?』
「聞かせられないようなことなら、そもそも私を呼ばなかったはずでしょう?」
違いない、と師匠は笑った。
『かくかくしかじか、っと大体こんな感じ。』
「なんと・・・まぁ・・。」
本当にそれで伝わったのか、と師匠に突っ込みたいが、きっと念話で事情の一部始終を伝えたのだろう。
「可哀想に、その若さで私と同じ境遇に陥るとは、数奇と言いますか、『盟主』も罪深いと言いますか。」
そして彼女はそれを嘆くでもなく悲しむでもなく、ただただ苦笑していた。
「よりにもよって、“魔王”ですか。」
「ッ・・・・。」
その時、フウセンの表情が恐怖で凍った気がした。
親しかった人に、致命的な秘密がばれてしまった時のような、そんな表情だった。
「大変でしたね。『盟主』は多くを語らなかったと思いますが、彼女の深謀遠慮を把握できる人間なんて“あの人”くらいなものですから、気にするだけ無駄ですよ。」
私の時もそうでしたし、と彼女は苦笑しながら愚痴っぽく言った。
「え・・・まさか、先輩も・・?」
「ええ、メチャクチャなことを言われて、死んだことにされました。」
フウセンの問いに、ファントムは頷いた。
彼女の表情は、もうその話は過去の物とした人間のそれだった。
ああ、あれは今にして思えばいい思い出だったなぁ、と言うような感じで。
「悲しむことはありませんよ。悪いことばかり起こったでしょうが、こうして私たちが再び出会えた。
ほら、良いことがあったでしょう? 私も有りました。
現状を悲観しないでください。きっと貴女にも、手を差し伸べてくれた人たちがいるはずですから。」
そう言って、彼女は俺たちを見やった。
「貴方たちはもっと強くなれる。私がそうだったように。
だから私は貴方たちが強くなれるよう、手助けしましょう。」
彼女はそう言って、挑発するように人差し指でくいくいと自分を指した。
「・・・はいッ!!」
フウセンは、笑顔で腹の底から元気な返事をした。
―――これは後から俺が思ったことになるのだが、この時初めてフウセンは吹っ切れたのだと思う。
――――彼女を取り巻く現状から、しがらみから、本当に憂いを心の底から絶ったのだ。
『ふーん、貴女ってそういうことも言えるのね。』
「これでも教会所属ですから。
一時期は潜入の任務で神父に変身して、信徒の懺悔を聞いてあげた時もありまたし。
・・・っていうか、それってどういう意味ですか?」
『きゃははははッ!! フォートから貴女に対する評価の報告を見ると、ねぇ?』
「ちッ、あのポンコツめ・・・後で話し合いが必要なようですね、物理的な。」
どうやら、師匠とファントムとの間には、好悪では表せない複雑な人間模様があるようだった。
「さて、そちらの実力も大体わかったので、そろそろ本格的に戦闘訓練をしましょうか。
分身はそちらの数に合わせて二人まで、そちらの実力に合わせて私は手加減します。
私の言ったことを覚えているのなら、それを可能な限り守れるように行動してください。」
師匠との会話を終えて、俺たち全員に向き直りファントムはそう言った。
と、いう事は。
「私も気になったことを見つけ次第、今までのようにその都度口にして言いますので―――」
俺は“銀の矢”を番えて撃った。
エクレシアは光の波動を放った。
フウセンは魔剣を振り下ろした。
ファントムが全て言い切る前に、俺たちは先制攻撃をかました。
「・・・私が言ったことですが、やっぱりやられると嫌な事ですよね。」
自ら土ぼこりを払い、三人になったファントムが姿を現した。
そうは言うが、口元は好戦的な笑みが浮かんでいる。
『エクレシア、フウセン、二人は前衛で交互に前に出て攻撃と防御してくれ。俺は中距離から後方支援する。
念話でお互いの攻撃のタイミングが被らないように知らせ合うぞ。』
『わ、わかったわ。』
『分かりました。ですが、出来る限り抑えますが、彼女の実力なら私たちを簡単に抜けてくるでしょう。
ある程度それを念頭に入れておいてください。』
『勿論だ。』
どうやら偵察部隊時代の経験が役に立つ時が来たようだ。
近くで隊長の指揮する姿を見てきたから、それを参考にさせてもらった。
と言うか、初めからそうしておけば良かった・・・。
そうすればあんな醜態を晒さずに済んだというのに・・・。
こういう場合の司令塔は、戦場の全体を見渡せる後方にいる俺がやるべきだろう。
その旨も伝えておくと、了承の意が返ってきた。
そして、三人のファントムが動く。
一人は真っ赤な長槍を持ち二人に接近、後の二人は後ろから銀の短槍を投擲する構えだ。
「ああ、そうそう、ハンデとして先に言っておきますが。」
長槍持ちを最初に相手にするのは、エクレシアだった。
「この槍を持っているのが本体です。
頑張って、可能なら一撃でも当ててみてください。」
刺突の構えを見せながら、ファントムは余裕綽綽でそう言った。
慇懃なだけに非情にムカつく態度である。
「くッ、うッ!!」
ファントム本体の長槍をエクレシアは剣で受け流し、火花を散らす。
が、その長槍の穂先はなんと途中でグネリと蛇のように曲がり、エクレシアの喉元に食らい付かんと迫る。
防護魔術を軽く無視できる魔術師の凶刃が、まさかタダで済むわけがないだろう。
「はあぁぁッ!!」
しかし、若干先急いでいたフウセンの行動が幸いした。
二人の真横から強襲を仕掛けたフウセンが、鉄槌に変形した魔剣でファントムを叩き潰さんと振り下ろす。
それに対し彼女は状況を不利と見たのか、即座にバックステップで回避した。
彼女の寸前までいた場所が、フウセンの鉄槌で完全に陥没した。
それで巻き上がった土のカーテンを突き破るように幾条もの銀の短槍が飛来する。
「《ヨハネによる福音書、第十四章六節―――「私は道であり、真理であり、命である。誰も私に依らないで、父の御許に行くことはできない。」》」
聖句を唱えながら、エクレシアがその幻影の短槍の前に立ちはだかり、次々と剣で叩き落とした。
地面に散らばった短槍は初めからなかったかのように消え失せた。
「ほう、そう来ましたか。てっきり幻痛を防ぐ方で来ると思ったのですが。
貴女が自分で幻術を“現実”だと定義し、それを打ち払ったというわけですね。」
「冗談を。貴女相手にそんなよく知れた対処法で防御すれば、手痛いしっぺ返しを受けるでしょう。」
ファントム本体は感心したように斬りこんでくるエクレシアに向けて頷いて見せた。
「ご名答です。正解者に拍手を。
ちなみにその場合、こうなりました。」
その時、突然エクレシアの肩に短槍が突き刺さった状態で現れた。
「ん、なッ!!」
幻覚かと思われたそれは、エクレシアの感覚と確かな質量を持ってそれを否定した。
血が滲み出て、彼女の服を赤く染める。
「言ったでしょう、私を相手に現実も虚構も変わらない、と。
私にとって、現実と虚構を入れ替えることなど容易いのですよ。」
予想以上の反則技だった。
これが、師匠が魔術師は必ず持っていると疑えと言っていた即死技に当たるのかもしれない。
しかもやりようによってはいくらでも回避不可能にできるじゃないかッ!!
「まあ、今回は自重しますが。」
意地悪くニヤリと笑ったまま、ファントムは隙が生じたエクレシアに長槍を突き出す。
しかし、そうはさせない。
彼女の隙をカバーするように、俺は番えていた“銀の矢”を解き放った。
当然、弾道補正と追尾付きだ。
「おっと。」
エクレシアの背中に直撃する寸前で急な方向転換して、カーブを描いてファントムに直撃するはずの“銀の矢”は、彼女にそんな声を漏らさせる程度で終わった。
だが、俺は見逃さなかった。
一瞬だが、奴の武装が長槍から両手の短槍に変わったのを。
奴自身、実体と幻影を入れ替え、攻撃を躱すことも可能なのだろう。いや、むしろ出来て当然のはずだ。
その旨を即座に二人にも念話で伝えた。
つくづく反則な魔術だ。
これで幻影の数が多かったら、本当に手に負えない。
「今回のようによく知られた対象法と言うのは、当然相手も知っているという事を忘れずに。
だから特に魔術の相性差で有利だからと言って、油断しないこと。
相手は弱点を補ったり、逆にこちらの足元を掬う方法を考えている物です。―――っと。」
ファントムが話している最中に、フウセンが接近して魔剣を振るった。
今回は身体スペックと馬鹿魔力に任せた一撃ではなく、本体と幻影と巻き込むバカげた破壊力の一撃で。
物理攻撃術式、“魔王の鉄槌”。
強力な物理エネルギーを凝縮させ上から押しつぶす単純明快で強力な破壊と殺戮だけを目的とした魔術だ。
一点集中から広範囲の拡散、武器を起点にすれば横薙ぎに使用できる汎用性も高い。
なにより単純な魔術故に、魔力を注ぎ込めば注ぎ込むほど威力が上昇し、そして単純な術式故に術者が魔力を持て余さない限り、術死自体が自戒して暴発するなんてことが起こらない。
つまるところ、超力業。流石、魔王が開発した魔術だ。
通称、“ジェノサイド・デストロイ”と呼ばれるのも頷ける話である。
「う、わあッ!?」
余波でエクレシアが吹き飛ばされた。
直径50メートルくらいの効果範囲が、丸ごと数メートルほど円形に陥没していた。
完璧に制御された術式により、衝撃が範囲外に飛び出ることは無かったが、それでもこの有様である。
「うっはぁ・・・本気でやったら、サイネリアちゃんがやったみたいになったわ。」
フウセンも自分でやっておいて引くほどの威力だった。
そしてそのサイネリアちゃんとやらは人間なんだろうな?
「ちょっとびっくりしました。
油断するなと言っておいて自分がマジで殺されかけるなんて、シャレになりませんね。
いやはや、魔術を極めたつもりになっていましたが、私もまだまだ未熟という事ですね。」
とか何とか言いながら、陥没した場所の中心に無傷で立っているファントムが居た。
いったい、どうやって避けた?
今までの瞬間移動も、幻影を使ったと考えれば辻褄が合う。
移動したい場所に幻影を出し、お互いを入れ替えればいい。
そして移動したのなら即座に幻影の方を消す。
こういった魔術は、属性魔術の体系にも属性ごとに存在する。
魔力で生成した自分と同質量に調整した人型を水や土で模り、自身が攻撃を受けた瞬間にその身代わりと自分を入れ替える、“トリック”と言う魔術だ。
あの悪魔も枯れ葉や切り株で自身を模り、変わり身の術みたいな魔術を使っていた。
それらと似たようなものだろう。
だが、今回はその身代わりごと巻き込まれたのだ。
いったいどうやって、避けたんだ?
俺の知らない教会の魔術か?
「さて、正直甘く見ていたようなので、こちらもちょこっと難易度を調整しましょう。」
そう言ってファントムは体をほぐすように首を回したり腕を回したりし始めた。
・・・その度に、バキボキとか、ゴキゴキとか、異音がするのは気のせいだと思いたい。
「なに・・・この音・・?」
フウセンが顔を引き攣らせている。
ああ、気のせいじゃなかったのか・・。
「よし、ストレッチも終わったことですし・・・。」
その瞬間、ファントムのフウセンの前に幻影が現れた。
「えーいッ、と。」
彼女が迎撃の態勢を整える前に、幻影を介して瞬間移動したファントム本体が長槍を繰り出した。
「えッ」
それは、フウセンでなくてもそう言ってしまうだろう。
彼女は強力な魔力障壁で守られている。
それをファントムはガリガリガリッと長槍で無理やり抉り、突き破ったのだ。
クロムは以前この手の障壁は槍などの“点”の武器での一点突破が有効だと言ったが、あいつのバカげた威力の軽機関銃を何十発も当てて破れなかった高密度で強固な魔力障壁なのだ。
それを、力づくでぶち破った。
フウセンは、あまりにも呆気なく喉元を長槍で突き破られた。
「ごほッ」
「これは時々あることなんですが、相手の魔術の傾向から小技を重ねるタイプか、大技で一気に攻めてくるタイプか見極めたと思った直後に、予想外なパターンの魔術で攻めてくる、って性格の悪い奴が。
普通は無いので、念の為に警戒する程度でいいでしょう。」
血を吐くフウセンを空中に持ち上げながら、ファントムは淡々と解説しだした。
・・・その理論で言うなら、アンタは性格の悪いやつにならないか?
「ふ、フウセンさんッ!!」
そこで既に短槍を抜いて肩の治療を終えたエクレシアが彼女を助けようと動いた。
だがその時、彼女はファントムが元に居た位置の幻影の動きに注意していなかった。
幻影が、彼女を指さす。
その直後、光の柱が落ちてきて、閃光と共に爆発した。
注意が疎かになっていたエクレシアは、直撃を受けて吹っ飛ばされた。
「ほらほら、主導権取られちゃってますよ。」
長槍をフウセンから引き抜いて、彼女の頭を空中で蹴り飛ばすとファントムは俺たちをからかうように笑ってそう言った。
「くそッ」
俺は危ないと思ったエクレシアを援護する為に番えていた“銀の矢”を解き放った。
「同じ魔術を見せすぎですよ。もはや避けるに値しません。」
だが、ファントムの周囲に発生した球状の防護魔術に弾かれて、遥か後方で“銀の矢”は爆発した。
「はあああああぁぁぁ!!」
すると、光の柱の直撃を受けたエクレシアが、すぐに態勢を立て直して突っ込んだ。
「無策で相手に挑む。愚かですよ。頭を使いなさい。」
しかし渾身の一撃で振られただろうエクレシアの剣をあっさりと片手で掴むと、ファントムは彼女を蹴り飛ばした。
エクレシアの体は軽いとは言え、打ち上げロケットが飛んでいくような高さまで吹っ飛ばされた。
ありえない・・・。
「エクレシアッ!!」
俺は彼女を心配しつつも、即座に魔術を構築していた。
昨日とは段違いの術式の処理速度で、師匠の技術の凄さが窺える。
以前の魔力の大量消費の負荷も、かなり落ち着いたものになっていた。
そして、すぐに魔術が完成し、起動させた。
俺が発動させた魔術は“ギガースの進撃”。
巨人戦争と言われるギリシア神話における神々と巨人の戦争ギガントマキアの際に、巨人たちは山をその身で引き裂いて進撃したという。
それを再現し、今回は山ではないが大地を引き裂きながら突き進む強力な衝撃波を発し、破壊した地形の下敷きにするという派手な魔術だ。
だが。
「えッ・・・」
地面を両断しながら直進する衝撃波が、ファントムに直撃した。
したのだが、幾重にも張った防護魔術であっさり防がれてしまったのだ。
それはいつも見ている、エクレシアが俺たちを守るために使う技術そのものだ。
これでは、二次的な被害での追撃を目的とした魔術は破られたことになる。
と言うか、衝撃波だけでもかなりの威力なのに、それをあっさり防ぐとは、流石エクレシアの同業者である。
「おや、フウセンみたいに陥没とかすると思ったのですが、それで終わりですか?」
と、向こうは拍子抜けしたみたいな表情をしてやがる。
おいおい、お前があっさり防いだのは対軍隊用の魔術だぞ・・・。
幻影を使った高機動で、多彩な攻撃方法による高火力、多重障壁による重装甲。
・・・打つ手、無えじゃねえか!!
なにこのオールラウンダー。
俺の知ってる魔術師って、こんな万能選手じゃねぇんだけど!!
漸く、俺は師匠が言っていた言葉を理解した。
世界屈指の実力者、対人戦と対魔術師戦では五指にも三指にも入る、と。
手加減して、これである。
これが、世界最強クラス!!
「そうだ。女の子二人を蹴っておいて、もう一人男が無傷と言うのもあれですし、貴方も蹴っておきましょうか。」
「え、―――がはッ!!」
今度は幻影の瞬間以上じゃなくて、純粋に身体能力で動いて俺に回し蹴りを頂戴してくれた。
動きが見えないわけではなかったが、普通に時速百キロとか出てたのは間違いない。
フウセンもふざけた馬鹿力だったが、これもそれに負けていなかった。
俺もロケット花火のように、ぽーんと蹴り飛ばされた。
「あれ、皆さんもうダウンですか? だらしがない。」
誰一人立っていないことに、ファントムは溜息を吐いた。
俺は蹴られて高い所から落ちて全身がボロボロ。
エクレシアも大体俺と同じような感じで、気を失っている。
フウセンは頭を蹴られた時に脳震盪でも起こしているのか気絶中。
『あれだけやられりゃ当然でしょう・・・。
と言うかその強化魔術、かなり無茶苦茶じゃない。初めて見たわ、そんなの。』
「変身魔術のちょっとした応用ですよ。
ローブの上からじゃ見えないでしょうが、この下はキマイラみたいにいろんな生物の身体能力を発揮できるように肉体を変形しているんです。
その上に強化系の魔術を重ね掛けしているんですから、これくらいはできますよ。」
『うへぇ、そんなことやろうとしてできるのは貴女だけでしょうね・・・。』
「私しかできないから、こんなに簡単に原理を教えているんですよ。」
バキボキ、と体を元に戻しながら、ファントムは言った。
肉体を変形とか、・・・化け物かよ、あんた。
いや、最高位の魔術師って化け物みたいなもんだけどさ。
『私は、貴女がもうちょっと苦戦するとは思ったのだけど。
特にフウセンの扱いとか、“私”も初回は苦労したようだし。』
「冗談を。私が何年生きているとお思いですか。私はその長くを『盟主』の下で魔術師狩りに費やして来たんですよ?
フウセンの対処に関しても、今ならまだ魔剣“ソウルイーター”に比べれば、対物理対魔術仕様じゃないだけ有情な魔力障壁でしたし。
この業界、堅いだけならいくらでも対処法はありますから。」
『あのSSSランクのゲテモノ魔剣を引き合いに出す時点で、あんたも相当よ・・・。』
「いや、流石にあれを相手に正面から挑もうと思えるほど私は蛮勇を持ち合わせていませんからね?」
『じゃあ、アレはノーカンよね。』
「ノーカンでしょう。さて、次へ行きましょうか。」
師匠との談笑を切り上げると、ファントムはパンパンと手を叩いた。
『じゃあ、気絶してる連中は起こすわね。』
「怪我も治癒して構いませんよ、次に響いては困りますし。」
『オッケー。』
師匠の一言で、俺の全身をじくじくと苛んでいた痛みが消えた。
「う、うぅ・・。」
「あ・・・あれ、ウチ・・。」
そしてエクレシアもフウセンも覚醒し、何とか起き上がった。
「さて、そろそろ最後のレッスンと行きましょうか。」
ファントムはそう言って、手に何かを呼び寄せた。
それは、魔導書だった。
―――魔導書『虚飾聖典』 著作:W・F
聖典と称されながら、ごてごての華美な装飾の施された装丁が、どこか寒々しかった。
「それは・・・!」
「貴方の為に魔導書の使い方を教えてあげましょう。
本気で掛かってきなさい。これを使って生半可な手加減はできませんので、体で覚えてください。」
彼女の真剣な表情に、俺も唾を飲み込む。
あれだけ化け物じみて実力が有って、まだ隠し玉があるなんて卑怯なレベルだ。
しかもそれが“大師匠”の魔導書だなんて。最早チートだ。
『どないする!?』
『落ち着けよ、今度は俺も前に出る。後ろからちまちまと攻撃する機会を狙ってちゃ、この人の相手にはならない。』
狼狽しているフウセンに俺は念話で諌めて、話を続ける。
『私は幻影を斬ることができます。
そして的が減ったところで、大出力の魔術で一気にケリをつける。なんてどうでしょう?』
『賛成だ、と言うかそれしかないだろう。』
だが、エクレシア並みの防護魔術を展開されたら、フウセンくらいしかそれを打ち破る手立ては無い。
幻影の中を渡り歩かれては困るのだ。
エクレシアが何とか一人斬り倒しても、あと幻影は一つ。
向こうはフウセンを警戒しているだろうから、かなり分の悪い賭けになる。
『それやったら、ウチが魔力をバーンと出して、妨害したらどうや?』
『有り、だと思います。あれの幻影は幻覚とは違い、現実に虚数を魔力で出力しているのでしょうから、空間に乱れが生じるなら、ジャミングは可能だと思います。』
『う、うん。細かい理屈は分からんが、分かったわ。それでいく。』
と思ったら、それも二人が解決してくれたようだ。
『最初にそれで幻影を妨害するってのは?』
『魔力の密度を上げた状態を再定義して計算し直されれば、二度と通用しなくなるでしょう。』
つまり、チャンスは一度だけってことだ。
ではまず作戦の根幹であり、第一段階であるエクレシアの手により幻影の数を減らすという過程をどうにか処理しなければならないのだが・・・。
「私が最初に行ったことを、もう忘れましたか?」
それを考える余裕は無さそうである。
「物覚えの悪い子にはお仕置きです。」
ファントムが魔導書を開くと、開いたページの文字を指でなぞった。
「《レビ記第十章三節―――「私は、私に近づく者のうちに、私の聖なることを示し、全ての民の前に栄光を現すであろう。」》」
その声が、俺たちの頭に響いた。
そして、その直後、目の前に突如として業火が発生し、爆発的に俺たちを飲み込んだ。
「神の命令に反したものを罰する、“神の火”の術式をこんなに短時間でッ!?」
咄嗟にエクレシアが防護障壁を張ったが、その声は驚嘆を含んでいた。
俺も今のは大魔術だというのが分かる。
今のは、相手が何であろうと問答無用で焼き尽くすタイプの最上級の魔術だ。
食らったら即死なのは言うまでもないだろう。
その割にはそこまで火力が無かったが、問題はそれを受けた時に知るだろう副次効果だ。
こういう単純に見える魔術の何が恐ろしいかといえば、こういった追加効果の方なのだ。
エクレシアが防いでくれなかったら、どんなヤバい効果を受けたか分からない。
「気を付けてください、あれがこちらに燃え移ったら、何をしようとも消えずに、私たちの魔力を貪って死ぬまで燃え続けますッ!!」
予想以上にヤバい効果だった。
「これは誤った火を神に捧げた者に対する罰ですから。
それまでいかに敬虔に神を信じ尽くそうとも、たった一度の油断で断罪される。
それと同じように、たった一度の油断が貴方たちを死に至らしめる。」
講釈を聞いている暇なんてない。
俺たちはすぐにタイミングを合わせて飛び出して、ファントムに突撃する。
しかし、二体の幻影がファントムの両翼を守るように左右に離れて現れ、すぐに短槍を投擲し迎撃を行ってきた。
標的は正面に居たエクレシアとフウセンだ。
エクレシアはそれを剣で弾き、フウセンは左腕を盾にして突き進む。
「無策、というには顔つきが違いますね。」
俺正面の先にいるファントムの本体は、魔導書に目を落としてボソボソと何かを呟く。
「《民数記第十六章三十三節―――彼らと全て彼らに属する者は、生きながら、黄泉に下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。》」
すぐにそんな言葉が頭に響いてくる。
そのあまりにも直接的でわかりやすい言葉は、まさしくその通りになった。
大地が避け、俺たちの足元に地割れが起こり、俺たちの周囲の岩盤が隆起してそのまま、俺たちを包み込むように覆い被さってきたのだ。
「ふざけ、のわぁッ!?」
惜しみない大魔術の大盤振る舞いに、俺たちは崩れた足元に飲み込まれる。
「うりゃああああぁぁぁぁ!!!」
しかし、フウセンが機転を利かせ、魔力の風を割れた大地の底に向けて放射し、吹っ飛ばされるように脱出に成功した。
そして、目標のファントムももう目の前だった。
「――――術式、『聖ヒルデガルドの幻視空間』を発動ッ!!」
地面に転がりながらも気合で起き上がったエクレシアが、渾身の魔術を発動させた。
「おや?」
剣の一閃が、間合いを無視してファントムの幻影を引き裂いた。
俺も即座にフウセンに近い幻影と入れ替わってもらうために、畳み掛けるように魔術を発動させた。
「これでも、食らえッ!!!」
俺は術式“ヘカテーの松明”を起動させた。
触媒に松明は無いので、起点は俺の掌だ。燃費が悪くなるが、仕方がない。
俺の掌を起点に魔力で真っ赤な火炎の塊を構築させ、そいつを投げつける。
これを防御されたら終わりだが、それは無いことを知っている。
だって奴が言っていただろう?
得体のしれない魔術を受けるなんて、馬鹿のすることだって。
案の定、魔導書を持っている本体は、爆発し火柱を上げる俺の魔術を避け、フウセンの正面へ出た。
『今だッ!!』
「任したれやああぁぁぁぁ!!!」
フウセンが、その身に宿る絶大な魔力を開放する。
俺たちの背筋も凍るような、圧倒的な魔力の波動が轟いた。
「ああ、そういうことですか。」
そしてここでようやく、ファントムが俺たちに誘導されたことに気付いた。
だが、もう遅い。
この魔力の波動の中で、繊細な幻影の構築は不可能なはずだ。
「喰らええええぇぇぇぇ!!!」
そして、フウセン渾身の“魔王の鉄槌”が発動した。
「まあ、及第点としましょうか。」
膨大の破壊のエネルギーが直撃する寸前、彼女はそう呟いた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「・・・倒した・・・か?」
「わからん・・手ごたえは、有ったけど・・。」
再び陥没した大地の中に、ファントムらしき形跡は無かった。
見たくもないが潰れた肉片も無いし、血の跡もない。
「いえ、多分、・・・躱されました。」
エクレシアから見ても必殺の間合いだったのだろう。
だから、そう言った彼女も自信がなさそうだった。
「いいえ、ちゃんと受けましたよ。
ここで無粋に避けるのもアレだと思いますので、防護魔術を張って防いだんですが・・・。」
すると、そんな声と共に陥没した地面から、ファントムが這い出てきた。
どうやらそのまま埋もれてしまっていたようだ。
「うげッ・・・。」
具体的な表記を避けるが、思わずそう言ってしまうくらい、あのバカげた威力の一撃を受けた彼女は原型を留めていなかった。
さながら、ゾンビのようだった。
それで生きているんだから、普通じゃない。
「いよいしょっと、これでよし。」
そして、体の足りないところがメキメキと生えてきたりするんだから、もう人間じゃなさそうである。
恐らくだが、これはきっと元の体に“変身”しているのだろう。
・・・なるほど、これは首を落としても心臓を貫いても意味は無さそうだ。
「まあ、とりあえず合格としましょう。
私の訓練は、これで終わりです。今回のことはよく守るように。
・・・私が教えたことは必ず貴方たちを助けるでしょうから。」
ファントムは俺たちの顔をそれぞれ一人一人確認するように見回しながらそう言った。
「ありがとうございましたッ!!」
「ありがとうございます。」
「あ、ありがとうございました。」
俺は疲労でげんなりしつつも、二人に倣って頭を下げた。
「じゃあ、私は帰ります。
・・・フウセン、お互いもう会うことは無いかもしれませんが、お達者で。」
「はい・・・先輩も、お達者で・・。」
最後、フウセンは涙を流さなかった。
「メリス。」
『はいはい、お疲れ様。』
師匠の声と共に、場所はすぐに教室へと戻った。
そこに、ファントムの姿は無かった。
代わりに師匠の姿はあったが。
「彼女に頼んだかいはあったわね。いい経験になったでしょう?」
「確かに師匠の言うとおり、あんなのを相手にすれば多少のことじゃ動じなくなるでしょうね・・・。」
若干嫌味も籠っていたが、師匠は「でしょう?」と言った感じだ。
「私もとても参考になりました。
彼女の戦い方は一つの完成系、『カーディナル』や騎士総長のような到達点の一つですから。」
「そう? やっぱり貴女も誘っといて良かったわ。」
エクレシアにまでそう言われて、師匠は得意げだ。
「あの、師匠、ありがとうございます。
ウチ、嬉しかったです。先輩に再会できて。」
「なんで? 私は師として、当たり前のことをしただけよ。
二人がどんな関係かは知らないけど、私は私の弟子に有利になることをしただけのことだわ。」
おお、なんか今日の師匠は格好いい。
フウセンにお辞儀されて気障ったらしいポーズを決めてるが、これはきっと照れ隠しに違いない。
師匠も、たまにはこういう本当に良いこととかするんだなぁ・・・。
師匠の行動っていったらたいていろくでもないことばかりだし。
そうでなくても変な方向に行ったり、なんか想定と違ったりで、いつもなんか微妙なところに落ち着くし。
と、思っていたら、師匠が笑顔で俺の方を向いていた。
そして口だけで「お、し、お、き、ね」と声に出さずにそう言った。
俺はそれから、表に出さずに不機嫌な師匠のご機嫌を取るため、お許しが出るまで美辞麗句を上げ連ねる羽目になった。
それが終わると、今度はねちねちと俺に言葉で嫌がらせしながら今日の訓練の内容を説明していく。
俺は師匠の弟子イジメに耐えつつも、ふと気づいた。
いつもどこか陰りを帯びていたフウセンが、晴れやかな表情をしていたことに。
少なくとも、明日の現実は魔族にとっていい日になりそうである。
名前:ファントム? 年齢400以上 性別:女性
筋力:―― 鋭敏性:――
頑健:―― 精神力:――
魔力:―― 抵抗力:――
感覚:―― 才能:88
特徴:
フウセンたちの先輩である、元古参の“処刑人”。通称“虚飾を纏いし者”。
事情があって、死んだことになり、現在隠居している。
教会所属だからか、魔術師にしてはかなり良心的な性格をしている。
世界屈指の戦闘能力と、幻術の腕を持ち、変身魔術を極めている。
変身魔術のし過ぎで、自分の元の姿を忘れてしまっているが、女性であることは確か。
今は名乗れないが、かつては本名で名乗っていた。
ゲスト登場なので、基本的に出番は無い。
スキル:
“神聖白魔術” レベル5
基督教の奇跡や聖書の伝承を礎にした魔術体系。
黒魔術に対する優位性を持ち、攻守共に汎用性が高く、他の魔術体系に比べ圧倒的な生存率を誇る。
通称、神聖魔術、教会魔術。そう言われたらだいたいこれ。
レベル5は篤い信仰心と共に己の高い才能を絶え間ない研鑽にて磨き上げなければできない。並みの精神力では不可能。
“変身魔術” レベル5+
肉体の構造を変化させ、文字通り変身する魔術。
高レベルに成れば質量保存の法則を無視出来たり、細かな応用が可能になる。
レベル5+にもなると、その魔術の極地に至ったと言えるレベル。
また、それによりレベル×100までを自分のステータスに振り分け、自由に決定できる。
“幻術” レベル5
幻術や幻覚系の魔術を扱うスキルの熟練度。
他者だけでなく、現実そのものにも干渉することで、極めれば事実を捻じ曲げることすら可能である。
レベル5ともなれば、現実と虚構の境界をも曖昧にできる、
“魔導書補正” レベル―――
魔導書“虚飾聖典”による魔術的サポート。
精神防護、代理詠唱、高速詠唱、詠唱保護を自動で行い、大規模な最上級の儀式魔術を最速で6ターン(六十秒)にまで短縮することが出来る。
この魔導書は独自の魔導炉を備えており、能力/魔力200、能力/精神力50を備えている。
※こんばんわ、とりあえず、幕間でやりたいことは現時点では終わりました。
ゲストばかりで辟易した方もいるでしょうが、ご安心を。
次からはちゃんと本編へいきますよー。
ある程度進まないと、一気に強くなったみたいでいやですからね。
私は強くなる過程はしっかり描写しないといやなタイプです。
三行で強くなった、では説得力がなく、そういったものを萎えた経験もあります。
それでは、また。次回。