第六十六話 魔王とは
ダークエルフ。
それは魔族がこの地球に来る前の世界の伝承では、彼らは元々エルフと同じ民族だったと言う。
しかし、彼らは仲間を裏切って魔王の側に就き、砂漠に領地を得て、そこで過ごすうちに褐色の肌を得たのだと言う。
そうして、魔族の一員となった彼らはダークエルフと呼ばれるようになった。
今ではエルフ族は絶滅し、そのダークエルフも現在は一人を残して全滅している。
ただ一人、“砂漠の魔女”と呼ばれる、二千年以上の時を生きる魔族の賢者だけが生き残っている。
魔族にして、その時代最高の女性魔術師に贈られる“魔女”の称号を得し者。
あの魔女『パラノイア』さえ取り損なった称号を、彼女は保有しているのだ。
とは言え、彼女の場合は運が悪かっただけで、彼女が中世最大最強の魔女だったのは大師匠が証言している。
「お会いできて光栄でございますわ、魔王陛下。」
まるであの『悪魔』が来ていたローブを身に纏うのは、肩まで掛かる銀髪で褐色肌の女だった。
そして、伝承にあるように、耳が尖がっていた。
本物だった。
本物のエルフで、ダークエルフだった。
今更ながら、俺はその事実にある種の感動さえ覚えていた。
「本日は無理を言って謁見の順番に割り込んでしまい、大変失礼いたしました。」
「構わへんよ。一時期は魔族全体を取りまとめていたっていう“賢者”殿が相手なら、割り込まれた相手も納得するやろ。」
フウセンは玉座から片膝をついて跪く彼女を見下ろしながらそう言った。
現在俺達は謁見の間で、“砂漠の魔女”に相対している。
親衛隊の俺はクラウンと共に謁見の間に当然いるし、お目付け役のラミアの婆さまとフウリン。
あとは経理担当の魔族が一人と、いつもどおりの面子だ。
しかし今日は魔女が相手と言う事で立ち会いを申し出てきたエクレシアに、同じく立ち会いをしたいと言うドラッヘンとフリューゲンも居た。
そして玉座のフウセンに並ぶようにドラッヘンは壁に背を預けて“賢者”殿を見下ろしている。
「お久しぶりです、また生きて会えて光栄です。」
すると、ラミアの婆さまが深々と頭を下げた。
「あら、貴女まだ生きていたの。随分と長生きね。」
くすくす、とまるで恋を知った少女のように“魔女”は妖艶に笑った。
それが素なのだろう。
「婆さま、知り合いだったん?」
「ええ、まあ、若い頃に魔術の手解きを少々。師匠と呼ぶほどではないのですが。」
フウセンの問いに、ラミアの婆さまはしわしわの顔に楽しそうな笑みを浮かべて頷いた。
「私も若い頃に一度だけお会いしたことがありましたな。」
「へぇ、爺さんもかい?」
ドラッヘンの視線が、興味からかフリューゲンに移った。
「ええ。彼女が魔族を取りまとめていたのは、四百年前ほど前まででしたので。」
御歳五百を超えると言うリンドレイクのフリューゲンにも面識はあるようだった。
「確かそれから魔族全体が幾つにも割れて、覇権を争う戦乱になったんやったな。」
フウセンもそれくらいは知っているらしい。
それから現在まで、『マスターロード』がその覇権を手にし、魔族の頂点に立った。
そして今、魔王の『断片』達が新たな覇者として、覇権を奪い合う時代だ。
「どうしてそうなったんかは伝わってないみたいやったけど、どうしてなん?」
「身も蓋も無い言い方をしますと、単にわたくしが飽きたからでしょう。」
すぐさま淑女のような態度で応じたその答えに、フウセンはぷっと噴き出した。
やはり彼女は正真正銘の“魔女”だったらしい。
「私が彼女に会いに行った理由は、まさに彼女にその真意を問いただしに行った時です、
まあ、その時も魔王フウセンと全く同じ答えを頂きましたが。」
フリューゲンも苦笑を浮かべながらそう言った。
「雑談はこれくらいにしとこぉや。
そんで、わざわざ割り込んでウチに謁見に来た理由は何なんや?」
そしてフウセンは背もたれから体を起して、“魔女”に問うた。
「我が主が、貴方様に会いたいと我がままを言いなさりまして。」
その瞬間、俺とエクレシアは無意識に体が強張るのを感じていた。
そしてその直感は、正しかった。
「初めまして、お姉さん。」
まだまだ幼い少年の声。
しかしそれは、どうしようもないほど悪意を孕んでいるのを、俺は知っている。
「あんた、は・・・。」
「僕がエリーシュの主人だよ。生憎と名乗る名前は無いけれど。」
あの『悪魔』はもう一人従者を引き連れ、音も無く現れたのだ。
彼は物怖じなどせず王の御前を歩き、もう一人の従者が“魔女”に並ぶとそこに片膝を突いて跪く。
それはまるでフウセンに敬意を示していると言うより、己の主人に控えて彼にのみ敬服しているようにさえ見えた。
「ねぇねぇお姉さん、―――張りぼての王様は楽しい?」
そして、まだあどけない子どもの声で、俺たちと同じようにフウセンにとっての禁句を口にした。
恐らくこの場で言ってはならない言葉で、トップ3に入るだろうその言葉を。
「んなッ!」
当然、初見で対処できるはずも無い。
フウセンはまさか目の前の子どもの姿をしたモノに、いきなりそんな自らの急所を的確に突いてくる言葉を投げかけられるとは思わなかったようだ。
たった一言で、あの『悪魔』はこの場を支配した。
誰もが唖然として、特にフウセンは二の句どころか言葉さえ出ない。
「魔族の皆は君に服従しているわけじゃない。
君の後ろに居る、魔王の威光に自発的に服従しているんだ。
わかっているよね? 自覚しながら、その地位に甘んじているんだもんね。」
まるでフウセンにそうやって言葉で攻め立てることが、何よりも楽しく美味だと言わんばかりの表情で。
「それじゃあ、結局、お姉さん、君はどこに居るのかな?
その玉座に座っているのは、魔王の威光そのものだけだ。
ねえ、教えてよ、君はどこに居るのかなぁ?」
「な、なにを、ウチは、ウチは、ここに!!」
フウセンは向きになったように立ち上がって反論しようとした。
「え、どこ? 僕には魔王の威光と、案山子しか見えないなぁ?」
しかし、相手は『悪魔』の独壇場だった。
誰も「無礼者ッ!!」とあの『悪魔』を怒鳴りつけられない。
誰もフウセンに、落ち着け、と言う事が出来ない。
彼の、フウセンを軽く凌駕するカリスマ性に、圧倒されて。
「君はあたかも周囲には自覚している振りをして見せ、自分自身を見て見ぬ振りして問題を先送りしているだけなんだろう?
流石王様だぁ、見栄を張るのが得意なんだね!! あはははは!!」
彼はフウセンを見上げて嘲笑っていながら、どこかその笑い声は空虚だった。
俺達の時は心の底から馬鹿にしていた様子なのに、今はどこか様子を窺うような、相手の出方を見ているようにも見えた。
一見しただけでその人間の大よその人となりを見破る『悪魔』は、的確に相手の心の隙間に刃を差し込んでくる。
元来直情的なフウセンが、彼の様子に気づく筈も無く・・・。
「あんたは、ウチを馬鹿にしに来たんか!!」
「力で―――」
玉座から立ち上がってフウセンに合わせて動き出そうとした彼の従者の一人を手で制止し、『悪魔』は言葉を強めて言った。
「力で僕を排除したところで、力で君は自分の中に巣食っている問題は根本的に解決されないよ。
それとも僕を殺して、自ら僕の発言が自分にとって忌々しいと認めるのかい?
できないよねぇ、君はそれらを一番見せたくない部下の前にいるんだから。」
フウセンが立ち上がると同時に振り上げた魔剣が、ぶるぶると左右に揺れる。
その様子に『悪魔』はため息を吐くと、更に言葉を続けた。
「君を馬鹿にしに来たかって? 違うよ、純粋に苦言を呈しに来たんだよ。予想外にも当初の目的は既に達したし。」
俺とエクレシアにちらりと視線を向けられて、俺はビクリを震えてしまった。
エクレシアも表情が硬くなって動かない様子だった。
「今の状態は僕の尊敬する“美学”の陛下から聞いているから大凡は分かるけど、君は五分の一とはいえ魔王になってしまったんだろう?
君は貴族や王様が好きでその階級に生まれたわけじゃないのはわかるよね?
彼らは煌びやかでどす黒い世界に身を置き、そして上の立場の人間としてその多くは責任を取った。」
それが立派だったか、見苦しかったかはさて置き。
「だが君はどうだい、政治にも興味も無く、覇道も無い君はまるで暗君だ。
・・・生まれには責任が伴うんだよ。泣こうが喚こうが、それはどうしよもない。
僕は君の決意や絶望を知らないし、また興味も無い。僕は君に、最後の止めを刺しに来たようなものかな?
―――諦めろよ、魔王。君はもう、逃げられやしないんだから。」
「・・・・。」
ガタン、とフウセンが玉座に崩れ落ちるように座るのと同時に、魔剣の切っ先が床に落ちた音がした。
「・・・わかっとるよ、そんなん・・・。」
そして、魔剣を手にしたまま彼女は顔を両手で覆った。
まるで玉座に座る自分自身を恥じるように。
「でも、誰もそれを言ってくれる者は居なかった。
当然だよね、君は魔族と言うシステムの歯車なんだから。
・・・・歯車はただ、黙って回ってさえいれば十分役割を果たせるんだから。」
そこは周囲の解釈次第でどうとでも言えるのに、『悪魔』は言葉巧みに責め立てた。
自分で気づかなければ意味がないと黙っていた者も居るだろう。
彼女を気遣って歪な彼女の在り方に口を出せなかった者も居るだろう。
『悪魔』は、それらまで王に忠言しない奸臣扱いしようと言うのか。
「ウチは、間違っとらん。」
「それを自分で判断するのかい? ただの歯車のくせに。
それを判断するのは周囲で、君は正しかろうが間違っていようがただ回り続けていれば良いんじゃないのかい?」
「ちゃうッ!! ここではウチが法や!!
ウチが気に入らんならば誰であろうと斬り捨てるし、ウチが認めんモンは何であろうと許さへん!!」
「あはははははははは!!」
顔を上げて怒鳴り散らすフウセンに、『悪魔』は笑い声を上げた。
侮蔑の感情を隠そうともしない、嘲笑だった。
「すごい、それでこそ恐怖と破壊の権化たる魔王だ!!
・・・ところで、魔王って言葉はいつからガキっぽいって言葉と同意義になったんだい?」
その瞬間、フウセンの怒りが魔力の暴風となって吹き荒れた。
全ての状況がそれでリセットされ、それを止めるべくドラッヘンが動こうとした。
「―――魔王とは、生き様だよ。」
しかしその中でなお、『悪魔』は一歩も引かずに、フウセンの眼前に立つ。
「かつて、僕は破壊を撒き散らす“十番目”の魔王ドレッドノートと戦った!!
破壊と戦乱を撒き散らすだけだった彼にも、理由や想いは在った!!
僕が戦線を共にし、暴虐の魔王に相対したのは、“人間”と称された“九番目”の魔王、プリンキュトゥス!!
彼は自らを人間と思いこんで人間の中で育った、人類最盛の王国の最も偉大な王者にして、魔王!!
彼は人の為に、自らの同胞を守る為に、“闇の眷族”と人類を率いて強大な破壊の権化へと立ち向かった!!
君は魔王として、彼らに並び立つ何かはあるのか!!
――――さあ答えろよ、魔王フウセン!!」
「・・・ッ」
その時、フウセンは自分より小さな少年に気圧された。
魔力だけは万全で、その圧倒的な魔王の力で威圧されながらも、その少年は威風堂々としていた。
今なら分かる。
魔族に賢者として称えられる偉大なる“魔女”が、彼を己の主人と呼ぶのを。
上に立つ者としての、格が違うのだ。
それを理解させられたフウセンは、自ずと魔力に威圧が収まっていた。
「ウチは、そんな立派な奴やない。」
そして、彼女はうつむきながらそう呟いた。
「今更自分は普通だと、そんな戯言が通じると思っているのかい?
君はもう、半ば不老不死に踏み入っているんだよ? これから長い時間が有る。本当に、永い時間だ。
その中で、自らの魔王としての生き様を見つけることといいさ。」
最後にそう、『悪魔』は締めくくった。
彼の言葉は全て、当事者じゃないからこそ言える言葉だった。
俺達には辛い境遇に居る彼女に言う事はできない。
本当に、魔王に対する客観的な苦言だった。
「魔王様ッ!! 何事ですかッ!!」
「また敵襲ですか!!」
すると、その時警備の魔族たちが謁見の間に押し入ってきた。
「いいや、ちゃう・・・。」
そう答えたフウセンは、傍目から見ても分かるほど落ち込んでいた。
「悪いけど、今日はもう終わりや。・・・疲れた。」
「分かりました。皆の衆、今日の謁見は終了だ!!」
親衛隊長としてずっと静観していたクラウンがフウセンの意を汲んでそう宣言した。
そうして、本日の謁見の時間は終了になったのだ。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
あの後、フウリンがフウセンの奴の部屋に送り届け、俺たち全員は謁見の間から追い出された。
「あんたの考えは実に感服したよ。魔王は、生き様か。」
「若のもう既に自らの生き様を体現しておられるからな。」
追い出されてすぐ、ドラッヘンはあの『悪魔』にそう言った。
フリューゲンはそんな彼に苦笑を禁じ得ない様子だった。
「悪いけれど、僕は魔族に掛ける言葉は無いね。君らは実につまらない存在だからだ。」
しかし当の『悪魔』は素っ気なくそう言ったものだった。
「なに?」
まさかそんな態度を取られるとは思っていなかったのだろう、ドラッヘンが急に不機嫌になった。
「まあ僕も一応区分は魔族だけどさ、人間でもあるんだよね。
それは関係ないけど、“獣の眷族”は野蛮で単純だからあんまり好きじゃないんだよね。悪いけれど。」
彼は肩を竦めて嘲りの混じった笑みが浮かんだ。
「・・・お前の考えには感服した。だが、気に入らないことはあった。
フウセンに、五分の一とはいえ魔王相手にあそこまで言うのだ。
“賢者”殿に主と呼ばせる御身は、自らの実力を誇れるのなら武器を交えることに相違は無いな?」
それは端的に言って、喧嘩を売ったのだ。
ドラッヘンが、あの『悪魔』に。
「あーやだやだ。これだから“獣の眷族”は嫌なんだ。
僕は悪魔と言っても全然弱い方なんだよ、だって人間だもん。
・・・だけど、売られた喧嘩は買うのが僕の美学だ。
僕は今まで誰の挑戦も拒んだことはない。なぜなら僕こそ絶対悪たる存在であるが故に。」
妙に格好つけた芝居がかった風体で、『悪魔』は言った。
「我が主、ここは私が・・。」
そこで、“賢者”殿とは違う、もう一人の従者が彼の前に出た。
フードを深く被り、表情は窺えない。
ボロキレみたいな黒衣を纏っているが、それが彼らの一味と同じ物だと分かる。
一応人間だが、まるで幽鬼か何かのようにも見えた。
「ふーん、・・・こいつはこう言っているけど?」
「俺は構わない。従者は主人の鏡だと言う。
それで主の顔を立てると言うのなら、その心意気は天晴れと言おう。それで見極めても、俺は全く構わない。」
「あーあ・・。」
自信満々な態度のドラッヘンに、『悪魔』はどこか残念そうに首を振った。
「オリビア、命令だ。良い勝負をしろよ?」
「了解しました、我が主。その御命令に全力を尽くします。」
オリビアと呼ばれた『悪魔』の従者は、小さく頷いて擦れたようなか細い声でそう答えた。
「ふむ。若よ、努々油断なさるな。」
「なんだよ爺さん、俺が負けるとでも思っているのか?」
「まさか。だがしかし・・。」
「大丈夫だって、こんな小賢しい悪魔の小僧くらい、従者ごと纏めて捻り潰してやろう。」
フリューゲンの心配を他所に、ドラッヘンは戦いへの興奮から荒い鼻息をしながらそう答えた。
戦場なら実に頼もしい返答だろう。
だが、あの『悪魔』の従者ともなると、いかな魔王の『断片』を持つドラッヘンと言えど、相手がどんな手を使うか分からないので不安が過った。
「表に出ろ、外で決着を付けるぞ。」
ドラッヘンは今まで謁見の間に居たので外に置いてあった自分の槍を担いで出口に歩きだした。
それに続いて、オリビアはゆっくりと歩いて追従する。
それを観戦するつもりなのか、傍観していた面々も次々と二人の後を付いていく。
「・・・おい、いいのかよ、相手はリンドレイクで、魔王の魔眼を持ってるんだぞ。」
「あれ、お兄さんアレが心配なの?」
俺が一応忠告のつもりでそう言ったら、彼は唇の片方だけを釣り上げて笑いながらそう言った。
あんなことが有ったあとなのに気負わずこんなこと言える俺は、実はすごいのか、ただの考えなしなのか。
「アレって、自分の従者を物扱いかよ。」
「少なくとも、僕は今のところあいつを物以上に見れないね。つまらないもん。」
少年のような悪魔は、まるでそれがごく普通の理由だとでも言うようにそう言った。
「それにしても、僕は別にキューピッドに成ったつもりはないんだけれどねぇ。」
そして彼は俺とエクレシアを交互に見てそう言った。
ずっと睨みつけるように彼を見ていたエクレシアは、その言葉にビクリとした。
今やこの場に居るのは俺と彼女と『悪魔』の三人だけだった。
「な、な、な、・・・」
「そんなの、視線とか距離とか、雰囲気を見ればわかるよ。」
俺が何を言っていいのか分からずどもっていると、『悪魔』は呆れたようにそう言った。
確かに、俺たち二人はいつの間にか隣り合っていたし、ちらちら視線を交わしてたりしたけど。
「一応聞いておくけど、僕は君らをそれなりに気に入っている。
なんなら従者してあげても良い。僕に忠誠を誓ってくれれば、退屈のしない人生を送らせてあげることを約束しよう。」
どうせ答えは分かっているくせに、『悪魔』はそんなことを言った。
「『いっさい誓いを立ててはならない。
天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
地に掛けて誓ってはならない。そこは神の足台である。
エルサレムに掛けて誓ってはならない。そこは大王の都である。
また、貴女は頭に掛けて誓ってはならない。髪の毛の一本すら、貴女は白くとも黒くも出来ないからである。
あなたがたは「然り、然り」「否、否」と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。』」
エクレシアは流れるように一息で聖句を述べた。
それが答えだった。
「そう言う事だ。生憎だが、間に合ってる。」
流石に物扱いされるのは御免だ。
「そう。まあ、これは僕に喰われて立ち直った奴全員に言ってることだから気にしないで。
・・・・それに、本当に手に入れたい人材は手段を選ばないし。」
ぼそっと呟いた言葉が、本当に彼が悪魔だと言う事を窺わせた。
「やはり貴方が、五百年地上で生きた伝説の『悪魔』なのですね。」
「まあ、その伝説とやらの大半は僕が作って流させた物ばかりだけれど。五百年ってのは事実だよ。
へまして肉体を失って、現在魔界帰りだからこの肉体の維持に苦心している最中なのさ。
それでどうする? 僕を倒してみるかい?」
そういって挑発的な笑みをエクレシアに向ける『悪魔』。
「あのリネンとかいう女や、メリスが尻尾を巻いて逃げだすあんたをか?」
それは実に勘弁してほしい。
「ん? もしかして君ら、あのデビルサモナーと因縁があるの?」
「ええ、まあ、私が眼を付けられたと言いますか・・・。」
「ああ、それは災難だったね。あの女の思考は魔族より単純だから。」
くくくくく、と『悪魔』は楽しそうに笑った。
「その、彼女に何をしたんですか?」
「ん? 特に特別なことは。
せいぜい彼女の兄を従者にして戦わせたり、嫌がらせしたり、邪魔したり、殺したりしたくらいさ。」
「おぉ・・・。」
そら嫌われるわ。
「あの錬金術師はあまりにも目立ちすぎるから、元戦友のよしみで『盟主』から奴の妹弟子を押し付けられて討伐を依頼されたのさ。
あれも邪魔したり、あれが作った要塞に攻め込んで半壊させたり、と楽しかったな。」
ニヤニヤと『悪魔』は笑いながら己の所業を楽しそうに語った。
と言うか、要塞化した魔術師の陣地に踏み込むなんて正気の沙汰じゃない。
特に道具作成に秀でた錬金術師の拠点に攻め入るのは、常軌を逸しているとさえ言える。
それ位常道から外れているのだ。
「僕の敵に成ると言うのはそう言う事だってことだよ。覚えておくといいよ。」
逆を言えば、それ位の無理を軽く通すくらい笑ってやるのだろう、彼は。
でなければ、あの強大な魔術師たちが恐れたりはしないのだろう。
「「・・・・・・。」」
俺とエクレシアはお互いに息を呑んだ。
「・・・・あんたが、俺達の妨げにならないのなら。」
「妨げ?」
俺が喉から絞り出した言葉に、敢えて『悪魔』は問い返した。
咄嗟に出た言葉で具体的な内容が伴った言葉じゃないのを分かっていて問い返したのだ。
しかし、こちらを真剣な表情で見つめてくるエクレシアを見返して、俺は決意が固まった気がした。
「それが何かはまだ分からない。
だけど、俺は魔族をただの魔王の尖兵ってだけの存在にしたくない。
あいつらは俺達と同じ魂を持っている、地球人だ。」
「・・・地球人・・。」
その言葉を、エクレシアは小さく含むように呟いた。
「俺の恩人である魔族の友人は、人間の文明に興味があるから人類を滅ぼすのは嫌だ。だから、人類と魔族の共存を目指すと言っていた。
だけど魔王が人類を滅ぼすと言うのなら逆らえないとも言っていた。
俺は出来ることならそれに抗いたいと思う。彼の夢を手伝いたいと思う。フウセンに協力すれば、それが出来ると思うから。」
「もしダメだったら? それは、共闘は出来た“九番目”にも出来なかったことだよ。」
「別の方法を探す。絶対に諦めない。それが俺の彼らに報いる方法だと思うから。」
俺の言葉に、『悪魔』はなるほど、と頷いた。
「じゃあ、彼女が駄目だったとして、人類に敵対的な魔王が誕生したら、どうする?」
「俺が倒す。でも、たぶんその時は、俺はもう死んでると思う。
それは出来ないんだ。俺は大師匠に誓ってしまったから。魔術師として生きるって。
だから、そうならないように立ち回ってやる。魔術師らしくな。」
俺は虚勢を張って笑って見せた。
魔術師らしい、と言う言葉がいまだ完全に理解できていないくせに。
強がるなよ、という『悪魔』の声が蘇り、足が震える。
だけど、退いてはいけない。ここで退いたら、全部が嘘になる。
「君は、どうしたいの?」
今度はエクレシアに『悪魔』は問う。
「私は魔族に神の教えと御心を伝えに来ました。
上司に無謀だと、死にに行くようなものだと言われました。
ですが、私は挫けません。彼らもまた、誰かを慈しむ心が有る。私はそれに賭けます。
それがどんなに愚かだと笑われようと、無意味だと言われようと。
私は、私が示され、信じた道を歩みます。」
そして彼女は、『悪魔』をまっすぐ見ながら俺の手を取った。
「―――彼と共に。」
俺はその言葉に強く手を握り返すことで応じた。
「ふふ、くくくッ・・・・やっぱり人間は面白いなぁ。
君らは多分、大馬鹿だよ。歴史に残りうる馬鹿者たちだ。
君らは現実味のないことを考える夢想家のようだよ。」
彼は眼尻に涙を湛えながら、心底可笑しそうに笑い声を上げた。
「だからこそ、君らは愛おしい。
君らに会えただけでも、ここにこの時代に蘇った甲斐はあったかもね。」
くつくつ、と『悪魔』は俺達を見上げて怪しく笑う。
「君たちの行く末に興味が湧いたよ。
さて、そろそろ行こうか、僕の従者が待っているだろうから。」
そう言って、彼は身を翻して歩き出した。
俺とエクレシアも、お互いに顔を見合わせると、共に城外へ歩き出した。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
ドラッヘンが決闘すると言う話は、瞬く間に城中に広まった。
俺達が奴と話している間に、何十もの魔族たちは遠巻きに俺達の様子を窺い始めたのだ。
勿論彼らは仕事中であり、持ち場から離れれば当然減給である。
だが強者の決闘とあれば、強さが全ての魔族からすればこれ以上ない娯楽になるのだ。
見るなと言うのも酷であるし、町中なら多少は目零されるのが普通だ。
しかしここは王城である。みんなあからさまに近づいて観戦するような真似は流石にしないようだった。
ちなみに俺も危うくあの『悪魔』の所為で減給になるところだったが、そこはクラウンが上手く誤魔化してくれるらしかった。
やはり、持つべきものは友人である。
「我が名はドラッヘン!! 誇り高き強壮なるリンドドレイク一族の長!!
この一族随一の戦士にして比類なき魔王の『断片』を持つこの俺と、刃を交えんとするのなら己の誇りに掛けて名乗りを上げろ!!」
ドラッヘンが槍を掲げて宣言した。
「・・・我が名はオリビア。絶対悪たる『黒き赤文字の悪魔』が従者。」
それに対峙するオリビアの宣言は簡素なものだった。
覇気どころか戦意すらも垣間見えない。
「・・・貴様、俺を愚弄するのか?」
その態度を侮辱と受け取ったのか、ドラッヘンは表情を怒りで歪ませる。
「若よ、だからお前は若なのだ・・。」
傍から見ていたフリューゲンが顔に片手を当てて首を左右に振った。
彼から見ればまだまだドラッヘンは若く、そして青いのだろう。
武人としては立派でも、上に立つ者としては未熟と言わざるを得ないのかもしれない。
「一応この場では第三者として立会人をさせてもらうが、これは両者に異議はないね?」
ラミアの婆さまが二人の間に立ってそう言うと、両者は頷いた。
ドラッヘンは同盟相手だが、根本的には他人なのでラミアの婆さまが立会人には適任だろう。
「では両者、構え!!」
ラミアの婆さんが片手を上げてそう宣言すると二人は戦闘態勢に入った。
ドラッヘンは槍を両手で構えた。
相対するオリビアは不気味にも自然体から微動だにしない。
「・・・・始め!!」
そして、ラミアの婆さまが上げた片腕を振り下ろした。
その瞬間に、二人の戦いの火蓋が切って落とされた!!
先手は当然、ドラッヘンだった。
まずは小手調べと言わんばかりに、長大な槍のリーチを生かした薙ぎ払いを繰り出した。
竜種の身体能力がいかんなく発揮された、目にも止まらぬ一撃だった。
円形の平面の空間を刈り取らんばかりの一撃は、オリビアの逃げ道ごと引き裂くだろう。
・・・そうなるはずだった。
「《―――『報復』の概念を想定。》」
「なにッ!?」
まるでドラッヘンがそう来るだろうと読んでいたかのように飛来してきた投擲用の細長いナイフが、槍の軌跡を捻じ曲げた。
問題はそれがオリビアの投擲によってでは無い事だった。
文字通り目に見えない速さで投げたのではない。
投擲用のナイフが自ら勝手にドラッヘンの攻撃を阻害したのだ。
彼がそれに気を取られている瞬間に――と言っても、コンマ一秒にも満たない――オリビアは後方に跳んでいた。
「《―――『魔弾』の概念を想定。》」
そして彼女は手品のように手を握って手首を回すだけで取り出した投擲用ナイフを指の間に挟んで、それを投げた。
五本の指に挟まれていた四条の銀の軌跡が、今度こそ彼女の手によって解き放たれた。
それらはまるで意志を持ったかのように動き、それぞれバラバラの方向に動いてドラッヘンに包囲攻撃を仕掛けてきた!!
「そんな玩具で!!」
だが、いかに魔術の秘儀が尽くされていても、所詮はただの脆いナイフ。
ドラッヘンの暴風のような槍の一閃によって軽々と叩き落とされた。
暴風の進軍は止められないし、止まらない。
ドラッヘンの槍捌きは変幻自在で卓越しているが、それが目立たなく感じるほど暴力的な旋風を繰り出すのが彼だった。
あっという間にオリビアを槍の射程範囲に捉え、脅威の連撃を見舞った!!
上下左右、袈裟掛け逆袈裟、たまに突きも混じった達人技の連続攻撃。
俺があの暴力の中に入れば瞬く間に挽肉にでもなってしまいそうだったが、彼女は違った。
細い投擲用のナイフ一本をまるで指揮棒のように操り、その全てを受け流しているのである。
少なくとも、人間業ではなかった。
傍から素人辺りが見れば、緊迫した接戦にも見えるだろう。
だがここに居るのは殆どが武に携わっている本物の戦士たちばかりだった。
どちらが優勢で主導権を握っているのか、言うまでも無かった。
「まさか若が遊ばれていようとは・・・。」
それにはフリューゲンも驚きを禁じ得ないようだった。
実際、ドラッヘンは恐らくあらゆる能力面で彼女に勝っているだろう。
魔王の『断片』たる魂によって、彼の地力は普通のリンドドレイクをも超越しているのだから。
だが当たらなければ意味が無い。
まるでひらひらと舞う紙片のように、避けているのが当たり前のように避けるのだ。
これでまだお互い手加減しているようにも見えた。
もはや俺には、別次元すぎてそこで何が起こっているのか理解できなかった。
そして、その槍の暴風の中で。
「まだ『両眼』を封じたまま戦うつもりですか?」
いつの間にか、ドラッヘンの両眼を覆う帯がオリビアの手に握られていた。
「貴様・・・見えているのか?」
ドラッヘンは距離を取り、槍を構えたままアズライトの魔眼を見開いた。
「私は人間の中でも少々『特別』ですから。
魔王の魔眼には負けますが、少しくらい先のことなら見通せます。」
あの槍の暴風の中で後ろに吹き飛ばされたフードの中には、幽鬼のようにやつれた緋色の髪を持つ女の顔があった。
「いいだろう、ならばその瞳に自ら我が命運を映させてくれようぞ!!」
風がドラッヘンの周囲に渦巻き、徐々に帯電していく。
オリビアも投擲用のナイフを取り出し応戦しようとするが、彼女はそれを使うことなく迷わず捨てた。
「なるほど。」
その短い動作だけで、彼女は何かを掴んだらしかった。
「我が主。」
オリビアは自分の主を見据えて言った。
「うん、いいんじゃない?
勝ちを譲った所で納得する相手じゃないでしょ、格の違いを見せつけてやれよ。」
彼も心得たもので、それだけで自分の従者の意を汲んだ。
それを受け、オリビアが軽く手を振ると、そこにはひと振りの剣が握られていた。
「魔剣“メモリアル・タイムレス”。」
ガラスのような透明な刀身の中に、銀色の砂時計が内蔵された不思議な魔剣だった。
だがしかし、その魔剣が力を発揮する前に、当然ながらドラッヘンが動いた。
可視化できるほど活性化した風の精霊が凝縮され、槍の周囲を渦巻き、それが指向性を持って解き放たれる。
まるで、竜の息吹きを思わせる雷光の束が、竜の咆哮を思わせる爆音と共に怒涛のように迸ったのだ。
それは同じく精霊魔術を使うクラウンにして、ふざけてる、と言わしめる威力だった。
「《―――『魔力無力化』の概念を想定。》」
しかしオリビアはそれを、魔剣のひと振りで散らしたのだ。
凝縮された無数の精霊が凄まじい突風と化して城内に飛び散った。
俺には、ドラッヘンの下でピカっと轟音と共に光ったと思ったら、オリビアの目の前でパッと散ったようにしか見えなかった。
「《―――『加速』の概念を想定。》」
そして、ドラッヘンが驚愕の表情を浮かべる前に、オリビアは彼の背後に瞬間移動していた。
彼女の足元の地面に急停止した跡が見えなければ転移魔術か何かと勘違いしていたかもしれない。
だが、次の瞬間には彼女が元の位置に戻っていた。
「《―――『竜殺し』の概念を想定。》」
そしてその直後に、肩口から血飛沫を出しながら倒れるドラッヘンが存在していた。
彼は何が起こったのか、恐らく何も分かっていなかったことだろう。
俺だって何が起こったのか分からなかった。
多分事を起こした本人にしか何をしたのか分からなかったに違いない。
それくらい、圧倒的だった。
強いとか弱いとか、そんなことを語る次元を超越していた。
二次元と三次元のような、比べるのもおこがましい、差だった。
「若ッ!!」
ドラッヘンの体が倒れ落ちるよりも早く、フリューゲンが弾かれるように飛び出して彼を抱きとめた。
「ああ、やっぱり無理だったわね。」
「そりゃあ、無理だよ、オリビアを倒すなんて。
何てったって、あの『黒の君』がどうやっても殺せなかっただろう三人のうちの一人なんだから。」
ただ『悪魔』とその従者たちだけが、その結果を当たり前として受け止めていた。
「これ、は・・・爺さんの・・。」
そして、その時倒れたドラッヘンの脳内には、彼女の魔剣で切られた瞬間に走馬灯のようなものが駆け巡っていたと、後に彼は語った。
「若ッ!! 意識はあるなッ!! 確りしろ!! すぐに止血するからな!!」
フリューゲンが必死に彼に呼びかける声が聞こえていた。
ドラッヘンの脳裏に繰り広げられる数々の演武。
それは、英雄の記憶だった。
魔剣百科事典コーナー
魔剣:「メモリアル・タイムレス」
所有者:オリビア・“スカーレット”
ランク:D
能力・特徴。
時刻剣。銀色の砂時計が内蔵されたガラスのような透明な刀身を持つ魔剣。
過去視の能力を持ち、対象に望む人物の過去を見せることができる。
睡眠している対象に使えば、持ち主がその対象の過去を垣間見ることも可能。
魔剣としての能力はそれだけだが、持ち主の魂が特別なため、同じ魂を秘める子の魔剣もカタログスペック以上の特性を秘めている。
未来を見ることができるオリビアが、過去に固執する皮肉を示している。
―――インフォメーション
人物紹介に、オリビア・“スカーレット”を追加。
※とりあえず、予定通り更新です。
本当は日付が変わる直後に更新したいのですが、直前になって細かいところを詰めるため、なかなかそれも難しいのです。
まあ、ちゃんと更新できましたし、細かいことは別にいいですよね。結果おーらいおーらい。
それでは、また次回に。