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魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
第四章 断片編
72/122

第六十四話 『悪魔』来訪



『黒き赤文字の悪魔』ことプロナウンサーデーモンは語る。


「僕を恐れて、半端に僕の事前知識を持っていると、大抵は僕が“人間”を憎んでいるだとか思っちゃっている人が多いんだよね。

まあ、そんな時期も僕にはありました。しかし、今は全くそんなことはありません。

だって僕は人間を存続させるために嘗てはあの恐るべき破壊を撒き散らす“鋼鉄”の“十番目”と戦ったことすらあるんだよ?

僕は見ての通り“夜の眷属”だから、存在を人間側に依存しているのもあるけれど。あの戦いは二つの眷属のぶつかり合いでもあったし。

ある時、僕は陛下に出会ってから、自分がいかに矮小か思い知ってね。

それから今でも色々とお世話になったりして、あの方の生き方に感服しているんだ。

だから僕も僕の“美学”で悪事を行うし、人を試して遊ぶのさ。それで僕も満たされるから、楽しくて一石二鳥さ。

人間の才能、人間の本質、人間の可能性、人間の醜悪さも、僕の掌の上で愛でるに値する。

僕はそう言ったものを否定しない。それが人間の根底であるが故に、否定なんてできるものか。

ねぇオリビア。だからこそ、僕はいつまでも願っている。

―――――この醜悪で地獄めいた世界で、人々がいつまでも愚かで健やかにいられますようにって。」



                       遥か昔の雑談より抜粋。








「なんや? これ。」

フウセンは目の前に積まれた金塊から視線を上げて、不敵な笑みを浮かべているメリスに視線を合わせた。



「今回にお詫びよ、お詫び。そちらに対して出してしまった損害に対する補償みたいな?

正直、私はこんな大事になるなんて思わなかったのよ。部下の不始末やら何やらで、色々と不都合が生じてね。

まあ、身内の不始末は身内がするのは魔術師のルールだし、文句まで言うなとは言わないけどこれでチャラにしてくれると嬉しいわ。」


場所は会議室。

廊下の外では激戦が繰り広げられて壁は半壊しているが、最優先で現在も外から修理を行う“メリス”の姿が幾人も見える。



メリスが直々にフウセンに直接の指名し、謝罪すると言っていきなり突き出してきたのがそれだった。

メリスの側には数名の護衛とリネンが居るのに対し、フウセン側は今回負傷した面々を除いて側近がほぼ全員居る形だ。

ちなみに、呼ばれても居ないのに厚かましくドラッヘン達も居る。


そしてフウセン達の目の前に積まれたテーブルには、ピラミッド状に積まれた金塊があり、一つ一つが十キロと刻印されている。

合計で150キロもある。


日本円なら時価にして軽く五億は超えるだけの分量だ。



「これで手打ちにしろ、そういう事なん?」

「まぁここで、はい分かりました、なんていうほど貴女は単純じゃないわよね。」

「わかっとるやん。これが金で解決できる問題やと思っとるんか?」

「そうね、だけどこれって金で解決した方が楽な問題でもあるのよ?」

メリスは不敵な笑みを湛えたまま、にやりと口元を形作った。


「考えてみなさい、現状ではこれからすることが沢山ある。

その上、“私”たちと争うなんて得策じゃないわよね。

まあ、こっちが全面的に悪いのだから、これだけで満足できないというのならもっと増やしてもいい。

なんなら、私の首でも差し出しましょうか? いくつが良いかしら?」

くつくつ、と悪趣味なことを言いながら笑うメリス。



「金よりも何よりも、ウチらは現状では金より大事な部下を五十人以上も殺されたんや。

ウチは王としてこれを人民に説明せなあかん。

ポンッと金だけ渡されて、殺された兵たちの家族が納得すると思うんか?」

「いや、それは違うだろ、フウセン。」

そこに口を挟んできたのは、ドラッヘンだった。

この場で彼女に意見できるのは、同盟者である彼くらいだった。


それ以外は、各々内心はともかく硬い表情でこの交渉を見守っている。



「兵たちはお前の為に戦って死んだんだぜ。

それについては、お前は堂々としてなきゃなんねぇよ。

敵に対して怒るのも当然だ、味方を労わるのも当然だ、だが犠牲があったこと悔いちゃならねぇよ。

お前の家族は俺を守るために死んだんだ、光栄に思えよ、ってぐらいで良いんだよ。俺たちは魔王なんだから。

相手もそれは名誉なことなんだから、それ相応の慰労金を渡せば満足する。」

「せやけど!!」

「犠牲を前提にしろ、とまでは流石に言わねぇよ。

交渉だか何だか知らないが、金だけ出して頭の一つもさげねぇこいつらに頭来るのも分かる。

だが、魔王の尖兵として戦いに生き、戦いに散る兵たちに、必要以上に入れ込むんじゃねぇよ。

最終的に俺たちが勝てば良いんだからな。

それで、面子は保たれる。敵から取るものも取った。トップとしては十分じゃねーのか?」

ドラッヘンは腕を組んで壁に背を預けたまま、フウセンを見下ろしてそう言った。


その言葉の意味は、フウセンにもすぐに理解した。

割り切るしかないのだ。そう、これは戦争の前哨戦のようなものなのだから。


余所者が祭り上げられた形のフウセンとは違い、ドラッヘンの私兵はすべて同族で構成されている。

長い年月を共に、狭い閉鎖された空間で研鑽し合い、強くなった朋友たちから犠牲が出るのだ。


そう思わなければ、無駄になると思ったのだろう。

戦って勝って、それが全てでなければこれから死んでいき、これまで犠牲になった仲間たちのことが。



「・・・・わかった。悪いな、少し熱ぅなったわ。」

「いいや、あんたは間違っちゃいねぇさ。だが、それは戦時の考え方じゃねぇってだけだ。」

「せやな・・。」

フウセンは彼に軽く頷いた。

そして、メリスの方に向き直った。



「悪かったわね、私って誰かに頭下げたことないからどうやって謝ればいいか分からないの。」

「なぁ、戯言はええからさっさと話しを進めよか。」

「それはそれは。」

ふざけた態度で煙に巻く気まんまんだったメリスは肩を竦めた。



「なあ、騎士殿、補償はこれだけで十分か?」

「ええまあ、しかし、十分すぎて持て余すといいますか・・・これだけの量は金鉱脈でもなければなかなか手に入らないので。

それにこれだけの量を市場に流せば金の価格は暴落します。」

先ほどからそれを考えていただろうか、ゴルゴガンは何とも言えない渋い表情をしていた。



「なら、これの半分でええから鉄で払ってくれへんか?」

メリスはフウセンの顔つきが変わったことで、また別種の笑みを浮かべた。


「ふふふ、面白くなってきたわね。――――ねぇリネン。」

「ええ。」

すると、ずっと背後で成り行きを見守っていたリネンが指を鳴らした。


床に魔方陣が展開され、そこから黒い四肢が這い出てきた。

悪魔だ。それも、明確な知性を感じる上級悪魔。



「私は魔界で弁護人を務めさせていただいております。

本日は彼女の依頼により、被告人の正当な権利と正当な利益を保証すべく、この交渉の矢面に立たせていただきます。」

そうして、上級悪魔は裂けるように笑った。


「高く付きますよ、具体的には向こう一週間の夕食のデザートとついでに触媒の都合。」

「了解よ、持つべきものは親友ね!!」

リネンはそれだけを言うと、さっさと会議室から退出した。




「さて、と。こちらは更なる補償の用意はしてあるわ。

・・・いったいどれだけ私から搾り取れるかしら?」

フウセンはメリスの試すような視線と笑みを受けながら、自然と挑戦的な笑みが浮かんでいた。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




俺は今、揉みくちゃにされている。


「ねー、初めて“私”と戦った時の状況と経過を教えてよ!!」

「具体的な魔族の戦闘力とかその詳細とかについて詳しくッ!!」

「それより魔王の『断片』と直接相対した時の印象よ!! 報告では分からないこともあるわ!!」

「さっきの戦闘で生き残った時の報告がまだなのよ!! 先に私に教えてよ!!」

「それで、データにある一番親しいあの娘との進捗状況を教えなさいよ!!」

俺は三階へ向かう階段の前になる廊下の前で、十名以上の“彼女”に体中のどこらかしこを掴まれて、引っ張られている。


皆好き勝手なことを言っているが、結局はどいつもこいつも自分の知的好奇心を満たすためだけに子供のように求めているだけに過ぎない。

要は言いたいことがいっぱいあって、それを言いたい分だけの人数で引っ張られているのだ。


全ての選択肢を選べるというのはこういう事らしいが、その結果お互いの行動がお互いを邪魔するとなると、果たして効率のいい手段なのか疑問である。

それは今回のこいつらの一件でも分かる通りだ。


と言うか、そろそろいい加減にしてほしい。

こいつらみたいに俺の体は一つしかないというのに。



最初の内は、まあ、なんだ。

数は少なかったし、仮にも複数の女性に引っ張りだこにされているのだから、滅多にない経験として堪能させてもらった。

数が増えて押しつぶされそうになっても、まあこいつら結構着やせするタイプだし、役得だと思って我慢した。

だけど、流石に揉みくちゃにされるのは勘弁してほしい。



「た、たす、・・け・・・。」

ちょっと息が出来なくなってきた。ヤバい。冗談じゃなくて!!

バーゲンセールのおばちゃんの群れもこんな感じなのだろうか!!




「・・・・あんた、何をやっているの・・・。」

すると、通路の向こうからサイリスがやってきた。


「・・・アルルーナ。」

「うおッ!?」

呆れたサイリスが、アルルーナを呼び出して俺を“彼女”たちの中から転移魔術か何かで助け出してくれた。



「済まない・・・ってか、なんでお前こんなところにいるんだ?」

俺は床に這いつくばって新鮮な空気をたっぷりすいこみつつ、サイリスの方を向いた。

最近は書記みたいなことをやらされているから、てっきり上で記録を取っているのかと思ったが。


「師匠に秘薬を取ってくるように言われたのよ。今まで怪我人にそれを処置していたの。

とりあえず、生き残ってる奴で大事に至った者は居ないわ。」

「そっか・・・。」

それを聞いて俺は安心した。


人間の癖に親衛隊とか調子のるな、とか常日頃から嫌味を言われてきたが、流石に死なれては目覚めが悪い。

流石に俺もクラウンのおまけみたいな扱いだし、調子に乗った覚えはないのだが、隊長たちを馬鹿にされたときは流石に一触即発になったこともある。


その時は隊長と一緒にいたので、親衛隊のお前が騒ぎを起こすと陛下の顔に泥を塗ることになる、と諌めてくれたが。



「あ、なにこれ!!」

すると、背後で何やら人型の枯れ木みたいのを持ち上げている“彼女”たちがいた。

どうやら、揉みくちゃにしていた俺を悪魔がすり替えたのに漸く気付いたらしい。


そして、連中はすぐに俺を発見した。(いや、当たり前だが。)



「なにしているのよ貴女たち!!」

「げッ!!」

「マズイわ、逃げるわよ。」

「さ、サボってなんかないわよ!!」

さあ今度こそ、といった具合で十何人かの“彼女”たちだったが、首から「チーフ」という文字の刻まれたプレートをした“彼女”が現れ、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。


「待ちなさーい!!」

全員が示し合わせたかのように別々の方向に逃げて行ったのを、「チーフ」は追いかけて行った。



「“一人”であんなに騒がしいなんて、愉快な人たちね。」

「ああいうのは迷惑っていうんだよ。」

女が三人寄れば姦しいと書くが、アイツらの場合は喧しいだろう。


俺とサイリスがげんなりしていると。



「おや、あなた達は・・・・。」

三回に繋がる階段から、一人の女性が降りてきた。

何やら、俺たちの顔を見て驚いている。


何と言うか、クラスにいる地味で目立たないがそれなりに人気があるような女子みたいなタイプの、年上の女性だった。

美人と言うより、可愛い系だ。されど『盟主』とは違うタイプの女性だ。

だが、茶髪でセミロングに、魔術師の黒いローブと言う人物は俺の記憶には無い。



「ふむ・・・。」

ふと、そこで俺は彼女の視線が俺ではなく俺の後ろに向かれているのに気付いた。



「魔力の循環効率は良好・・・どうやら、良い契約者を得られたようですね。」

「召喚主殿か、いろいろあったが、感謝しているよ。

魔界は退屈な場所だからな。悪魔と言えど、刺激が無ければ腐ってしまう。」

どうやら彼女は、あの悪魔と知り合いらしかった。


ん? 召喚主・・・?



「って、まさか、あんたがッ、こいつを召喚したのか!?」

「ええ、そうですが。それがどうかしましたか?」

俺は湧き上がる激情のままにそう言ったが、彼女はただ日常の些細な疑念でも投げかけられたと言わんばかりの態度だった。


「それがどうしたって、あんたの所為でエクレシアがあんな目に―――ッ!!」

言ってから、後悔した。


生徒の質問を聞く教師のような微笑を浮かべているが、その眼はどす黒く濁っていた。

まるでヘドロのように、底の見えない悪意がその眼に宿っていた。


俺は疑問に思った。

人間が、どうやったらここまでおぞましい目をできるのか。


そしてそれが凝縮された殺気だと、俺はここの生活で感じ取れるようになっていた。



一目で、理解させられた。

この化け物は、下手すればあの魔女『パラノイア』に匹敵するか、或いは上回るだろうと。


格が違うというのは、このことだった。

本能が言う。おとなしく頭を垂れて、やり過ごせと。

いかに自分に目が止まらぬかを願いながら、それが過ぎ去るのを祈れ、と。



「私、あなたみたいな生意気な子は好きじゃありません。」

とても自然に、俺は彼女を下顎を撫でられた。


「ふむ。」

そして、俺の胸元に視線を向けて軽くそこに触れると、そのまま首を片腕で締め上げてきた。



「あ、がッ、が!!」

その細腕からは想像できない万力だった。


「ちょ、あんた、なにをやって!!」

そのあまりに突飛な暴虐に、サイリスが慌てて止めようとしたが、背後に控えていたアルルーナが彼女の口を封じると掻き抱くようにして拘束した。

それはひとえに主人を守るための行動だった。


「とりあえず、歯を全部引き抜いてから、舌を焼いた鉄の棒でぐちゃぐちゃにしてやりましょうか。」

まるでスーパーに買いに行く食材を決めるかのように、彼女は悪魔じみた決定を下した。



「泣き声がいつまで続くか見ものですねぇ!!」

俺は、とっくに人間を辞めたと思っていた。

鬼になったのだと、思っていた。


だが、目の前の相手は、格が違った。

息をするように、人を殺す災厄だった。


それがなぜ、フィールドでランダムエンカウントして出てきた魔王の如く冗談のように突然現れたのか。

あまりにも理不尽で、理解不能だった。



なぜ、と言う単語が頭に浮かんだ。

俺はどうして、こんな脈絡も無く事故死のように突然にして無意味に死ななければならないのか、と。



俺は、無意識に胸元のロザリアを服の上から握りしめた。





「リネンッ、サンセットおおおおぉぉぉ!!!!」

その時、敬虔なる俺の祈りやら願いやらは神へと通じたらしい。


今日一杯は動けないはずなのに、エクレシアが長い廊下を一瞬で詰めて、剣を一閃した。



「わぁ。」

女は俺をボロ雑巾のように捨てると、その手で彼女の剣戟を軽く受け流した。


じゅっ、とその女の手が焼けるような音が聞こえた。



「けほッ、げほッ!!」

放り出された俺はたまらず急き込んだが、途中で無意識に強化魔術を使っていたのか、すぐに息苦しさは消えた。

今まで意識しないと出来なかったのに、命の危機にできるようになったのかもしれない。


魔術師の位階、つまり実力はタロットのアルカナで示されるらしい。

上級魔術師と下級魔術師を分けるのは、『死神』のアルカナ。


つまり、死を超えるだけの実力がある者が、真の魔術師となりうる素質を持っているのだろう。

それとは違うが、俺は今、何か死の先にある“何か”を見えた気がした。



「大丈夫ですか!!」

そしてエクレシアは、相手のことなど無視して俺の目の前に這いつくばって安否を確認してきた。

正直、かなり嬉しかった。



「ふんふん、“デーモンスレイヤー”系の魔剣ではないですね。

となると純粋に聖なる浄化系が付与されている人造兵装でしょうか。」

女は焼けた手の甲を眺めながらそう言った。

しかし、その手の甲の火傷は見る見る間に小さくなり、果てには痕すら見当たらなくなった。



「あんた・・・何者だ・・。」

俺はエクレシアに無事だと手旗で示すと立ち上がってから、彼女にそう言った。


「私ですか? 私はリネン・サンセットと申します。

有り体に言えば全聖職者の敵です。ちなみに教職者は含まれません。

今回は友人であるメリスの付き添いで来たのですよ。」

「はぁ?」

リネンと名乗ったその女の発言を、俺は理解できなかった。


言葉の内容が理解できなかったのではない、理由はともかくメリスの為に動いているのにそれをこの状況で実行してしまおうと思えるこの女の思考回路が理解できなかったのだ。


この女、控えめに言ってイカレていやがる。

まさに息をするように、敵を殺し尽くすのだろう。



「あいつに友人なんていたんだな、友達できそうな性格してないのに。」

咄嗟におどけてみたが、半ば本心だった。

むしろ、自分は完璧だから友人なんていらない、みたいなこと言いそうなのに。


と言うか、クロムの度々知り合いの悪魔召喚士とやらは彼女のことではなかろうか。

何と言う事だろうか、俺たちはあの時エクレシアを害した元凶に、エクレシアを助ける方法を聞いたことになる。

実に滑稽な話だった。



「まあ、腐れ縁とも言いますかね。お互いを利用し合っていると言えばそれまでですし。」

リネンはそこまで言うと、エクレシアが彼女に剣を突き付けた。


「邪悪な魔女め。これ以上の暴挙、この私が赦さない。」

「はあ、そうですか。私としてはもう少しインターバルを置きたかったところですが、まあ敵として出会った以上は殺し合うのが宿命ですかね。

―――まあ、育つ前に芽を刈り取るのも悪くはありませんか。」

エクレシアの今まで以上に真剣な表情に対し、リネンは邪悪な笑みを浮かべた。

両者の間に、殺伐とした空気が流れた。


俺は慌ててエクレシアに加勢すべく魔剣を取り出した。

サイリスは悪魔に抑えられながらも、この状況に困惑しているようだった。



「さて、こちらも一人増援と行きましょう。ファに―――」

「おいリネン、マズイことになった。」

リネンが指を鳴らそうと構えて誰かを呼ぼうとした直前に、長身のやたら派手な金髪赤目の男が彼女の背後に現れた。


「は? なんですか、今いいところ―――」

「あの『悪魔』の気配がこの階層に現れた。」

その時のリネンの表情は、強張ったとかそういうレベルではなかった。

そう、例えるなら安全な公道を歩いていたら地雷を踏んでしまった兵士みたいな、そんな感じだった。



「しかも、こっちに向かっている。」

「かッ、帰りますよッ!!」

あの災厄みたいな女が、取り乱したように男の腕を掴んだ。


「まずは落ち着けよ、まだ時間はある、落ち着け。」

「え、ええ・・・すー、はー、すー、はー。

・・・とりあえず、メリスに伝えておきましょうか。魔王の相手をしている場合ではありません。

よりにもよって、なんであの『悪魔』が・・・ああ、そういうことですか。」

何度か深呼吸して落ち着いたのか、冷静に一人でつぶやき始めた。


少なくとも、その時点で俺たちのことなんか眼中どころか思考の欠片も割いていなかったのだろう。



「とりあえず、お互い不干渉の契約だが?」

「契約の抜け道なんていくらでもあります。何事もない内に撤収しますよ。」

「分かった。ほかの連中に言っておく。」

そう言って男はスッと消え失せた。


「運が良かったですね。いや、運が最悪ですねと言うべきでしょうか。

ふふふ、あの『悪魔』に餌をくれてやるのは癪ですが、やつに関わり合いになるよりは何万倍もマシでしょう。」

「まさかそれは、あなたが先日の一件で召喚した『悪魔』・・?

なぜそこまで嫌う存在を呼び出そうとしたのですか!!」

「煩いですね!! 契約なんですよ、そうでなかったら、いったいどういう理由があればあの『悪魔』なんか・・・。」

リネンは癇癪を起したかのように怒鳴ると、そのまま振り返って三階へ消えて行った。




「どういうことだ・・・?」

全く話についていけなかった俺は、訳も分からず首を傾げるしかなかった。


「分かりません、分かりませんが、何か良くないことが起ころうとしているようですッ。」

エクレシアは剣を鞘に収めると、ぐらりと倒れそうになった。


「おいバカ!! 無理しやがって!!」

どうやら虚勢だったようだ。俺は咄嗟に彼女を受け止めた。

やっぱり一日は休まなければダメなようだ。



「済みません、だいぶ楽になったのですが・・・」

彼女は俺の手を借りて力を込めると、何とか自力で立つことができた。


「なにあの悪魔召喚士、本当に人間?

内臓魔力が中級の竜種並みだったわよ。・・・それに付き従ってた男の方は想像もしたくないわ。」

アルルーナから解放されたサイリスが、ただでさえ白い肌が青白くなってそう言った。



「・・・なるほど、あの『悪魔』か。」

そこでふと、心当たりがあるのか、同じ悪魔であるアルルーナがぼそりと呟いた。


俺は、その瞬間エクレシアの肩が震えたのを見逃さなかった。

俺はさりげなく若干表情が強張って俯いた彼女の肩を抱いて、その場を離れることにした。


いったい何が起こるのか、予言をできるアイツなら分かるのだろう。

それが気になるが、今はエクレシアが最優先だ。


道中、遠くで、近くで、騒がしい声が聞こえる。

どたばたと、作業を急かす声や、片づけを急がせる声が足音と共に響き渡っていた。





「どういうことなの、アルルーナ?」

俺たちが去った後、サイリスが己の使い魔に問うた。


「これを言葉にする意味はない。悪魔の予言は既に確定した、決して変えられないものでしかない。

だから無意味だ。どの道、彼らが越えなければならない試練だ。」

悪魔はそれだけ呟いて沈黙した。


「・・・・・。」

その沈黙は、サイリスに不安となって重く圧し掛かるだけだった。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




「ぐぐぐ、この・・・。」

悪魔の弁護人は、非常に強敵だった。

こうして歯噛みしてるのはフウセンだけではない。


こちらがどんな弁舌を駆使しても、知恵を振り絞ろうとしても、あの手この手と巧みな誘導と論理の展開で悉くこちらの要求は突っぱねられ、または切り崩される。

最初にメリスが提示した補償が最低限こちらの確定している賠償で、それ以外は殆ど引き出せていないのに等しい。


まるでボーナスゲームだとでも言うかのように、メリスは自分から搾り取って見せろと言った。

しかし、この悪魔の弁護人と言う城壁は分厚く固い。


ラミアの婆さまやゴルゴガンたちからの援護射撃があっても、悪魔の前にはどれだけ年季や知識が有ろうと、成す術は無い。

何せ相手は悪魔。そもそも真正面からどうにかなる相手ではなかった。



この悪魔の弁護人が付いてしまえば、たとえ明確な証拠があって有罪になろうとも無罪を勝ち取ってしまえるような、条理を逸脱した結果すら齎せるかもしれない。


まあ、それでこその“悪魔”な訳だが。

流石にメリスは今回の一件は本当に悪いと思っているのか、悪魔にそこまでは命じなかった。



そして、その状況を生み出したメリスはと言うと。


「(なんか圧倒的過ぎて詰まらないわ。)」

殆ど飽きていた。

ロマンとスリルと真理を追い求める女、メリス。


圧倒的な力で捻じ伏せるのは好きだが、それは派手だからであって、勝つことが好きで倒すことが好きなわけではない。



もう適当に手加減しろ、とメリスが悪魔の弁護人に命令して、譲歩が幾つか決まったところで、リネンが会議室の扉を力強く開けて入ってきた。



「メリス!! 大変ですよ、あの奴が来ているそうです!!!」

「なんですってぇ!!」

もう二人の間では、あのアレ=ゴキブリみたいな認識で、その対象が何であるか把握しているようだった。



「ごめんなさい、ちょっと急用ができたわ。」

メリスは蒼い顔で頭を押さえながら立ち上がって、フウセンにそう言った。


「はぁ? 話はまだ終わってないやろ。」

「あとは今までで挙がった残りの案件は、全部そっちの好きに決めていいわ。

のんびり交渉している暇がなくなったのよ。」

フウセンはこの時、彼女に何かあるのかと困惑していた。


もうほとんど重要な事柄は決まっており、残りは細かいことでフウセンがどのように決めたとしても大差なは無いようなことばかりだったが、それでも悪魔なんて持ち出してくる相手なんだから、何かあると疑ってしまうのが人情と言うものだった。



「なんや顔色悪いやん、こっちの生水でも飲んで腹でも壊したん?」

なんてとぼけたことを言いつつも、フウセンは探るように二人を見つめていた。


『総員に通達。あの『悪魔』がこちらに来ているとの情報が入った。

私は全部隊の即時撤退を命令する。総員、現在の作業を可及的速やかに終わらせ、一刻も早くこの場から離脱するように!!』

だが、メリスは答えずに部下たちに念話を飛ばしていた。



「(ん?・・気のせいか。)」

一対一で特定方向の念話ではなく、全方位に特定の信号を撒き散らすような念話は、フウセンの感性に引っかかったがそれを解読するのは彼女には無理だった。



「とにかく、私たちはすぐに引き上げるわ。

そちらの面子としても長時間ここに居座っても迷惑だろうしね。

それに魔族に不干渉を決めた『盟主』の意向に逆らってしまう形でこちらに来ているわけだし。これ以上の危険は冒せなくなったの!!」

それらしい理由をでっち上げて、メリスはさっさと帰る言い訳をまくし立て始めた。


「まあ、そういう訳なら・・・。別にそっちがそれでいいと言うんなら。」

そこで『盟主』を引き合いに出されたからか、フウセンはしぶしぶながら引き下がる姿勢になってしまった。



そんな感じで、各々の交渉は幕を閉じたのである。


その後、フウセンはドラッヘン達と調印式はこの状態では不可能と言うことで延期が決まり、今後の日程を再度打合せすることになった。

それにより、殆どの主要な予定が繰り下げとなった。

そのことにドラッヘンが終始不機嫌そうになったこと以外、特に問題はなく進行した。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




翌日、俺は現場復帰していた。


あれだけいた“彼女”たちは、一晩で煙のように消え失せてしまった。

魔族たちを押しのけて、まるで占拠したみたいに我が物顔でこの城砦のどこにもいたのに、その見る影もなく今は魔族の兵士たちも通常業務に移って居る。



午前中はあんなことがあったので、治安の悪化を危惧して村の警備の強化をして見回りを行った。

流石に午前の謁見は中止だったが、午後には再開するらしい。


これはフウセンが仕事熱心だからではなく、それ以外アイツはハイかイイエと言うぐらいしか出来ないからなのである。

だからアイツは午前には謁見を再開させようともしていた。


アイツは王様の仕事は謁見だけだと思っているのだろうか。

だとしたらやっぱりアイツはゲームのやりすぎだ。



明日の朝の訓練にでもその辺を言い含めておこうか。

今日はクロムがあんな状態なので休みだが、明日から問題なく再開できるらしい。


メリスは最低限の部隊を地下研究所の復旧の為に置いて行った。

その面々はなぜか葬式でもしているかのように暗く、未だに配属されてから地下から顔を見せていないが、アイツらはいつもあんな感じなので特に気にはならなかった。


いつもはその後に教会の掃除をエクレシアと行うのだが、今日ばかりは安静に寝ているように厳命して、忙しいにも関わらずフウリンが手伝ってくれた。

神官が不在なのは、まあ仕方がないだろう。



俺はシフトの関係で昼前には勝手知ったる村から城内警備となり、隊長と嘗ての同僚たちと昼食を取ってから、そのまま午後の謁見の時間まで中庭で業務に勤しむことになった。





「―――ねぇねぇ、そこの人間のお兄さん。」


――――この時は知る由もなかったが、それが奴との出会いだった。



俺は子供の声に釣られて、門番の連中何やっているんだ、と思いながら振り返ってしまった。

魔族の子供はよく城内にミネルヴァのやつが連れ込んだりしているので、今回もその類の面倒事だと思ったのだ。



振り返った先にいたのは、確かに子供だった。

見た目は確かに人間そのもので、俺は一瞬びっくりしたが、魔族にも人間と見分けがつかない奴も居るのですぐに平静に戻った。



「なんだ、お前どこの子だ。ここは魔王様のお城だぞ。勝手に入ってきちゃいけないんだぞ。」

俺は幼児用に努めて優しい声で言った。

勿論、相手の目線に合わせるように片膝を地面に点いてだ。


すると、フードの中の少年の顔がより詳細に見ることができた。



身長は俺より頭一つ分下で、ミネルヴァの奴よりは少し年上と言った感じで、黒髪だが東洋人特有の顔立ちはしていなかった。

何より、目が赤かった。普通の人間でも非常に少ないアルビノでしかありえないそれは魔性を示す証拠になると言う。

或いは魔術の理論から、その希少性からこそなのかもしれないが。


だが全身黒づくめで、目元まですっぽりと覆うフードという怪しい格好は魔族の文化ではありえない。

そのことに気付くのは結構後のことだった。


最近は人の流入が増えており、まさに“夜の眷属”みたいな格好に、そういう種族の子供なのか、と思ってしまったのである。




「ねぇねぇ、なんで人間がこんなところにいるの?」

それは子供の些細な疑問のはずなのに、俺は心を爪で引っ掻かれたような気がした。

最近、学の無い僻地では人間がどんな形をしているかもわからない魔族も多く、子供なら殆どが抱くはずもない疑問だったから、俺は油断していたのかもしれなかった。



「ああ、確かに俺は種族は人間だけど、ちゃんと魔王様の兵士だから大丈夫だよ。」

子供から心無い言葉を投げかけられるのも慣れていたので、俺は苦笑いしながらそう応じた。


「ふーん、そうなんだ、それは良かった。

じゃあ、人間どもと戦争になったら、僕が人間どもに捕まっても、ちゃんと助けてくれるよね?」

それは純粋さを盾にした、明確な悪意。



「そしたら僕は人間どもに言ってやるんだ、お兄ちゃんはお前たちみたいな馬鹿な人間どもと違って、偉大な魔王様の元で魔族のための世界を作るために戦ってるんだって!!」

くくくッ、とその幼い唇から、悪意に満ちた笑みを形作った。


俺は、一度見たら二度と忘れられないだろう、印象深いその笑みに気圧されて後退った。

とてもおぞましく、とても純粋な、底なし沼のような魔性の瞳だ。



「ねぇ、本当にただの人間の癖に人間そのものを裏切るってどんな気分なの?

人間の癖に人間の天敵に与するなんて、それって生きてるって言えるのかなぁ?

無意味って、こういうことじゃないの? 無価値って、君みたいなやつのことを言うんじゃないのかな?」

まるで一言一言に、俺の心を削り取るような魔術でも込められているかのような、奈落のような闇に満ちた声色だった。


「そんなの、今更だ。俺は人類失格だって、大師匠からお墨付きを貰ったんだからな。」

俺は少年にではなく、自分に言い聞かせるようにそう言った。


もはや少年が誰だとか、なぜここにいるかと言った疑念はどこかに行っていた。

それどころではなかった。なぜなら、彼は俺を『否定』しているのだ。


俺が俺であることを。俺がこの世に存在していることを!!



それは、弱肉強食の生存競争にも似ていた。

俺は哀れな草食動物に過ぎず、いかに獰猛な肉食動物から食われないように身を守るか、必死に自分に言い聞かせていた。



「へぇ、なるほど、それはすごいね。

でも僕は君みたいな人間は何人も見ている。いつでもどこでも必ず存在している、心の弱いごく普通の人間だ。

その気になって、自分が状況と言う激流で壊れないようにそう思い込んでいるだけだろう?

君は流されているだけだ、抵抗もできないほど強大な激流の川に、落ちた葉っぱのように。

でも君はただの葉っぱじゃないから沈まなかった。

誰かに手を加えられ、川を下るのにより適した形に・・・まるで船のように作り変えられて、より早く川に流される。

・・・そう、君は哀れな“笹舟”だ。」

まるで、氷の塊をアイスピックで突き刺して割るように、俺の心の外郭を少年は抉ってくる。

或いは冷めたゆで卵の殻を剥くように、簡単に。



「君は初めから、いや今まさにこの瞬間も激流に流される笹舟に過ぎない。

そうさ、いつ沈むかもわからない、不安定で脆弱な泥の如く脆い船だ。

でも泥よりはマシだ、君には一応確固としたものがあるみたいだからね。

だけれど、君は基本的に浮かんでいるだけだろう? 川の表面である水の上で。

君は何一つ選べず、選んだ気になっている。ただの一本道を、進むことを選んだと錯覚している。

ただただ、振り返ることもなく流されて、考えることなく川を下っていく。ましてや、濁った川の水の中を覗こうと言う勇気もない。

ふふふ、強がるなよ・・・それが、君という存在の本質だろう?」

そして俺は、あっさりと屈服した。


表面上は全く変わりない。それどころか、やつは何の変化も俺に齎していない。

だが、俺の心の根底にある、何かがぽっきりと折れた音が聞こえた。


自分でも目を逸らしていた自分を、嫌でも直視せざるを得なくなったのだ。

もう、元には戻れない。



そう、だからこそ、“やつは俺に何の変化も齎していない”。

“自分が、自分で自覚しただけなのだから”。




「あんたは・・・なんなんだ・・。」

自分が思った以上に卑屈な声音で、俺は問うていた。



「分かっているだろう? どこにでもいる“人間”だよ。

・・・・そう、“人間”と言う名の『悪魔』さ。」

俺は理解させられていた。


奴が自分と根源的に同種の存在であると。それでいて、隔絶したどこか別の世界を生きているのだと。



「驚いたよ、こんなところに君みたいな人間が居るなんて。

それとも人間の魔王とやらは、自分の同族を重用する性質なのかな?」

まあどうでもいいけど、少年は正しく子供のような笑みを浮かべてそう言った。



「従者にアポを取っておくように言っておいてね、ちょうど暇だったんだよ。

ねぇ、お兄さん。謁見までまだ時間はあるみたいだし、少し付き合ってくれよ。」

誰がお兄さんだ、見た目通りの年齢じゃないのは俺でもわかった。



「ガキが・・・。」

俺は負け惜しみからなのか、忌々しげな間抜けな声しか漏れなかった。



「見てわからないの? 見た目通りガキだから、ガキらしく振る舞っているんだよ。」

しかし、少年は俺の見苦しい言葉を機にした風もなく、にやにやと笑ってそう応じた。


それがどこか、大師匠に似ているように思えた。



「僕は名乗れる名前はないけど、皆は『黒き赤文字の悪魔』と言う。或いは“プロナウンサーデーモン”とか。

覚えておくことだね。ねぇ“笹舟”、それで、君の名前はなんだい?

まあ、他人の名前を覚える気はないし、覚えるのは苦手だけれど。」

「辻本、命・・。」

「ふーん、じゃあ“笹舟”。とりあえず時間潰すからこの辺の案内をしてよ。

ああ、あと、これから悪魔相手に名乗らない方が良いよ。魂とられちゃうからね、あはは!!」

宣言通り、こいつは俺の名前を全く覚える気はないらしかった。



・・・・そうして、俺は『悪魔』と出会ってしまった。








こんにちは、ベイカーベイカーです。

なかなか物語が進展しなくてすみません。

やっぱり詰め込みすぎですよね、でも彼らのフットワークの軽さは作中でも随一なのでご勘弁ください。私は書きたいことしか書けませんので。


それはともかく、今月中の更新は余程のことがなければ無理です。

全話のあとがきでも言いましたが、詳しくは活動報告を参照してください。


そういうわけで、次回からはついに『悪魔』がフウセンに接触します。

はてさて、いったいどうなることやら。


それでは、また次回まで!!

来月にまた会いましょう。




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