第四十九話 最凶の刺客
まだ人間だった頃の『黒の君』の手記。
『久しぶりに、誰かを殺した気がする。いや、ちゃんとした人間を殺したのは久しぶりだった。と言うべきだろう。
あれからあまりにも生意気なことをよく言うようになったリュミスを、僕は殺した。
殺す気はなかった、と言えば嘘になる。うっとおしかったのは本当だ。
今、死の直後のまま保存している。僕の研究を否定したこいつが、僕の研究の成果によって生き返らせられたら、いったいどんな顔をするだろうか。
あのバカをいじめて楽しかったけど、なぜ僕は殺して何も感じないのだろう。
わかってたけど、僕はもう英雄を名乗る資格はないのだろう。
魔王を倒した後も、疲弊したこの国を何十万もの他国から軍勢から一人で守ったり、不死身の古代竜を撃退したりして来たけど、それも昔だ。
なにせ、僕はあの戦いを勝ち残った仲間たちの子孫を、手にかけたのだから。
僕はもう、あの日ともに戦った誰にも顔向けできない。未来を求めて戦ったみんなに。
僕は、もう死者蘇生の研究をする意義を失ってしまった。
この僕を止めたのが、アイツの面影が見えるあのバカだと思うと、皮肉な話だけれど。』
『僕は、リュミスを本当に弟子にすることにした。
僕は思いつく限りの施術を彼女に施し、一つの魔具として機能させ、生き返らせることにした。
初めて、人間の魂を動力として魔具を作った。冒涜を極めたと思っていた僕もこれは初めての試みだった。
しかし、いまさら僕が師匠面なんてできるわけもない。
僕は嘗ての使い魔と、魔導書を残して、この世から隠遁することにした。
この程度、罪滅ぼしになるとは思わない、むしろ、彼女のこれからを思うと言葉に表せないほど酷い仕打ちだろう。
人間らしい機能なんて、どれほど残っていることやら。
だが、僕の弟子になるということは、こういうことなのだ。
彼女にはその覚悟ができていなかっただろうが、諦めてもらうしかない。僕に頼った自分の浅慮が悪いのだ。
もしかしたら、僕は自分の理解者がほしかっただけなのかもしれない。
酷い傲慢だが、僕と同じ苦悩を知るやつが今後現れるとも限らないわけだし。
ああ、僕はなんて、どこまで愚かな奴なんだろうか。
だけど、それでいい。それでこそ、僕なんだ。もう今更、この生き方を変えられるはずもない。
僕は罪を背負って生きていく。永遠に。未来永劫。償うことなく生きていく。
滑稽に、これからを無様に生きていくことにするとしよう。』
場所は第二十九層、『盟主』の邸宅。
「―――と、まあ、そんな感じで一応落ち着いたらしいわ。」
その執務室で、メリスは『盟主』に報告された今回のフウセンの状態について説明していた。
「・・・・なぜ殺さなかったのですか?」
『盟主』は気だるげな視線を彼女に向ける。
「え、だって、こんなレアなケースの観察実験なんて滅多にできるものじゃないもの。」
「馬鹿を言わないでくださいよ。」
彼女は薄く笑うと、メリスに胡乱な視線を向けた。
「相手は“魔王”。しかも、二番目が持ち込んだというのは、魂だという話ではないですか。」
「それの何が問題あるの?」
「お姉さま、魂の状態の魔王が持ち込まれたということは、それは何らかの理由で滅ぼされたという可能性が高いということですよ。」
二人の会話に口を出してきたのは、小柄の女性だった。
『盟主』の背後に控える彼女こそ、“処刑人”筆頭にして、『盟主』の弟子のであるカノンだ。
本部から離反した魔術師や、裏切者たちから死神のように言われているその評判に対して、地味で小柄な自己主張の少なそうな、少女にも見える外見だった。
今の声も、か細く聞きづらい。
「それは分かるわカノン。
・・・・ああ、そういうことね。
肉体が滅んで、魂だけでいるということは、“有害”な可能性が大きいということね。」
察しの悪いわけでないメリスは、彼女の言わんとすることは理解できた。
「嘗ての魔王が、嘗てのまま魔王として復活する可能性がある以上、見過ごすわけにはいきません。
ただでさえ、相手は魔族なんですから。」
「・・・『マスターロード』はなんて?」
メリスは顎に手を当てて問うた。
「これに関しては、魔族の間の問題だと回答を拒否されました。
実にいい度胸ですが、向こうに今“砂漠”の魔女が訪れていると聞いた以上、強くは出れません。」
「“砂漠”の魔女・・・。」
その『盟主』の言葉に、メリスは苦虫をつぶしたような表情になった。
「問題なのは、いったい何番目の魔王の魂がばら撒かれたかと言うことです。」
「魔力振動や波動のパターンでわからないかしら?
幸い、『才能』を受け継いだフウセンなら、元の魔王の性質を色濃く受け継いでるだろうし。」
「それも問題なんですよ・・・。」
といった『盟主』の言葉を聞きながら、メリスは報告書の束を捲って、計測された魔力のパターンを再現して見せる。
簡単そうにメリスはやって見せたが、自分の魔力の癖を完全に消して他人の微妙な癖を真似するような物だ。
「・・・!!」
「これは・・。」
そして、『盟主』とカノンが目を剥いた。
「・・・・・・・何ていうことでしょう。
その選択に悪意を感じますよ。二番目・・・。」
頭を押さえて、『盟主』は呻くように彼女は呟いた。
「寄りにもよって、十一番目とは・・。」
「どういうことなの?」
メリスはカノンも顔を青ざめさせているのを見て、改めて『盟主』に問うた。
「人類史上、最も我々人間に損害を与えた魔王。それが十一番目。」
「うそ・・・十番目でも、史上最大の事態だったって師匠昔に言ってたじゃない。」
メリスもかつて自分が生きた時代に語り継がれた魔王について知っている。
“鋼鉄”と称された、歴代最大規模の大きさと戦乱を齎した、破壊と混乱を招いた十番目の魔王を。
魔族さえ二分して戦いになったそれは、英雄と魔王の相打ちによって幕を閉じる。
その際に大陸を引き裂いたと言う魔王の一撃の痕を、彼女は見たことすらある。
それを上回るとなると、メリスも信じられない規模なのだろう。
「ただの破壊に関してなら、十番目を上回る魔王はいませんでしたよ。
十一番目の魔王は、純粋に人類の害悪だったのですよ。
いいえ、人類だけならまだよかったのですが・・・。」
「・・・? どういうこと?」
「とにかく、十一番目が相手とならば、もううかうかしていられません。どんな手を尽くしてでも滅ぼさなければ。」
一階層ぐらい消えることは想定しないと、とぼやく『盟主』は、もうすでに自分の世界に入っていた。
こうなったらどうしようもないのを、メリスは知っていた。
「じゃあ、“私”全体の方針は滅ぼす方向でオーケー? ファイナルアンサー?」
「恐らく、いえ、それでいいと思います。」
代わりに答えたのはカノンだった。
「わかったわ、じゃあさっそく、現地の担当に工作するように命令するわね。」
「お願いします、お姉さま。」
カノンはそういって頭を下げた。
「まあ、うまくいくなら御の字かしら。
なにやら先方はこっちに情報を流すのを最小限にして周りを出し抜こうとしているみたいだし。報告も必要最低限だったし。楽しみだわ。」
「どういうことでしょう?」
「こっちの動きを悟られてるってことよ。
深く考えないで動くのが師匠の悪い癖だわ。今の時代、情報は万金に値するんだから。急くより待つことも大事なのよ。
やっぱり師匠が余計なことするから、こっちの方針がダダ漏れになってるってことでしょ。
だから十中八九、徹底抗戦になるでしょうね。」
「さすがお姉さまです。」
知った風な口で言うメリスに、カノンは感心したように頷いた。
「でもまあ、ダメ元でやってみるわ。」
しかし、そういって肩を竦めたメリスが今回の決定を全体に伝えに行く頃には、予想通り第二層担当の探索チームは雲隠れしていた。
「ところで、参考までにその十一番目の魔王ってどう呼ばれているのかしら?」
メリスが問うと、カノンは答えた。
「十一番目、“貪戻”の魔王アヴァリティア。」
―――――――――――――――――――――――――――
「ああ、くそ、痛ぇ・・・。」
クラウンのせいで全身の節々が痛い上に、昨日は野宿だったから喉が痛く風邪気味だ。
ミネルヴァのやつが毛布持ってきてくれなかったら絶対に風邪ひいていただろう。
みんなが新たな魔王の歓迎に浮かれて準備をしているが、こういう時に馬鹿をやる奴もいるので俺は隊長の指揮の下にいつも通りの警邏を行っている。
この騒ぎに警備の量も三割増しにした旦那の判断は正しかったが、酒を飲んで暴れてるやつも割増なため、正直間に合っていない。
今日、何人張り倒したかわからない。
しかし、みんな今日フウセンがいつ来るのかわかっていないのに、気が早いものである。
時間があるならあるだけ準備できるので良いし、早いなら早いで早く歓迎ができるのでそれでいい、みたいな感じの空気なのだ。
なにせ、千年不在の魔王が訪れるのだから。
そして、いつもより魔族の数が多いと思ったら、町のほうからも来ている輩もいると同僚が話していた。
いったいどこから聞きつけたのだろうか。
昨日、旦那はその日のうちに各方面にフウセンの存在の通達と彼女へ服従の意思を示すかどうかの連絡を行ったそうだが、魔物の騎手によるそれも、今日届くか明日届くかぐらいの話だ。
もしかしたら、今準備中の宴は一日じゃ終わらないかもしれない。
祈願祭もほぼ中止みたいな状態になっていたし、その反動かもしれない。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
大量の警邏人数の増加のせいか、元々シフトが入っていた俺たちの隊の任務も午前中に終了した。
正確には、俺がピンポイントで今日の任務を解任された。
現在、俺はその理由を尋ねに旦那の屋敷へと向かっている。
そうするように指示も受けた。
そして、旦那の屋敷を訪れると、旦那の奥さんに応接間に通された。
そこには、エクレシアとクロムが既に居て、中にいた旦那が俺に目配りすると何も言わず出て行った。
その理由は、説明されるまでもなかった。
フウセンと、フウリンが来ていたのだ。
彼女は長椅子に座り込んで俯き、彼の方はフウセンを労わるように後ろに控えている。
「どうしたんだ・・?」
見た限り、フウセンは憔悴し切っていた。
彼女の身にいったい何があったのか急に恐ろしくなったが、俺は聞かずにはいられなかった。
「昨日帰ったらな、親父がな、首吊ってたんや。」
俺はフウセンの言葉に絶句した。
「全身を掻き毟って、真っ赤にしてな、そこらじゅうに頭ぶつけて血だらけになって、死んでたんや。」
「それは・・・。」
明らかに普通じゃない死に方だった。
「俺はフウセンから連絡を受けて、彼女の知人友人にも似たようなことが起こってないか調べましたが、皆無でした。しかし・・・。」
「誰も、ウチのことなんて知らんて。みんな、一晩でウチのこと忘れたんや。」
言いずらそうに口を閉ざすフウリンを引き継ぐように、フウセンが答えた。
「戸籍も抹消されていました。そもそも、風間千明と言う人物は存在していなかったことに・・・。」
「そこまで、するのかよ・・・。」
俺は『盟主』のやり方に、怒りを覚えざるをえなかった。
「警告でしょうね、魔王として戦うのなら、容赦はしないと。」
フウセンと並んで座っているエクレシアはそう言った。
「さらに、刺客にも襲われました。」
続けて、フウリンがそう言った。
「やっぱり“処刑人”か?」
元になったとはいえ、かつての同僚が殺しに来たとなれば、そのショックも大きいだろう。
「恐らくは。『盟主』の一声で動かせ、情報を外部に漏らさずに我々に対して任務を遂行した以上、そうなのでしょう。」
「その言い方じゃ、知り合いじゃないのか?」
てっきり、“処刑人”だというから顔見知りだと思ったのだが。
「噂で聞いたことしか無い相手だったもので。」
「・・・噂?」
俺はフウリンの言葉に、首を傾げた。
「“処刑人”筆頭のカノン殿を超える、最強の殺し屋。二本一対の魔剣を携えた、黒い騎士です。何とか、撒きましたが・・・。」
「『盟主』の切り札やって聞いたことあるわ。
まさか己の目で見ることになるとは思わへんかったけど。」
最強の、“処刑人”。
それがどんな相手なのか、俺には想像もつかなかった。
「・・・それだけ、『盟主』も本気だということでしょうか。」
エクレシアもそれを聞いて、警告だけだと思うほどお気楽ではない。
険しい表情で、フウセンの手を握っていた。
「なぁ、交渉して不干渉にするじゃなかったのかよ?」
俺は応接間に入ってから一言も喋らないクロムに向かってそういった。
しかし、俺はそれを咎めたくて言ったわけではない。
こいつがこういう時に話さないと、なんだか怖いのだ。
「それがね、確かに不干渉は約束したのよ。契約書まで書いてね。」
「だったら・・・。」
「だけど、それを“私”が破棄したわ。」
「は?」
俺はクロムが何を言っているのか、理解できなかった。
「私とは別個体の“私”が、この私が成立させた契約を破棄したの。一本取られたと思ったわ。さすが私の師匠よね。」
「それはあれだよな、お前が“同一人物”と定義したお前そっくりの別のホムンクルスのことだよな?」
俺も先日聞いたばかりなのだが、それを利用して見事に裏を掻かれたらしかった。
俺は詳しく理解できなかったが、要は軍隊アリのようなものらしい。
それにさらにクローンを合わせたみたいな感じなのだろうか。
こいつとほぼ同じ頭と技術を持った軍隊が居るんだから、ちょっとしたホラーどころかSFの世界だろうが。
「それどころか、彼女についての詳しいデータとか要求してきたわ。
ムカついたから拒否してやったわ。そしたら、彼女に刺客が送られたって聞いて、情報を集めたら、オリジナルが『盟主』に呼び出されて慌ててトンズラよ。」
「それって、つまり・・・。」
「彼女を研究できる欲望に負けて、裏切っちゃった、てへ★」
信じられない一言だった。
いや、よくよく考えればこいつらしい一言だった。
「オリジナルは全面的に『盟主』を支持してるけど、“私”たちは与えられた全部の選択肢を実行できる。
“私”たちにこっそり協力してくれる研究部の連中とかを彼女のデータをチラつかせて抱き込んでる最中よ。
オリジナルも見逃してくれているようだから、孤立無援ではないけれど。」
「それって逆に言えば、お前たちやその協力者が裏切る可能性もあるってことだよな?」
「それもそうね、むしろ、現在進行形で誰か一人は裏切ってるでしょうね。
だけど、私にとってそれも有りなのよ。“私”は全体の生き物なんだから、それは当然のものと割り切ってもらうしかないわね。」
「・・・・・。」
一人ではなく、軍隊アリのように全体で“一人”の魔術師。
それが、クロム・・・いや、メリスと言う魔術師。
何百人居ようが“一人”で、一人が“全体”なのだ。
それはもはや、俺の理解できる範疇じゃない。
全員が全員、同じ道を辿らない故に信用でき、同時に信頼はできない。
少なくとも目の前にいるクロムと言う個体だけは、全面的にこちら側に付いたということなのだろうか。
それすらも、わからない。
それ故に、彼女は誰よりも人間らしかった。
「じゃあ、お前は味方なんだな?」
「私の目的に沿う限り、はね。」
やはり、彼女はどこまでも人間らしかった。
良くも悪くも、美しくも醜くも。
「教会の動きは分かりますか?」
エクレシアが問う。
「皆無らしいわ。恐らく、何も教えられてないんだと思うわ。師匠って、なんというか信頼する相手にも必要な情報を必要な時にしか与えないから。
今更、物量頼みの教会に何か頼むとも思えないし。オリジナルも彼女に何かしろと言われたわけじゃないもの。」
魔王相手に物量戦や人海戦術は愚策だと誰よりも『盟主』は熟知している。
ならばこそ、このクロムの言葉は正しいだろう。
そして、だからこその最強の刺客なのだ。
『盟主』は最強の猟犬を放ってきたのだろう。
切り札を切ってきたのだろう。
「だから、最強の処刑人の刺客か。」
「それは違うと思うわ、それはたぶん見せしめだと思う。
師匠が本格的に方針を決めたのは、ついさっきよ。」
と、クロムは言った。
では、昨日帰った後に刺客にあったフウセン達と、時間的に合わない。
「まさか、『盟主』の保有する最強の手駒ですら、挨拶代わりだというのでしょうか。」
「考えたくはないけれど。魔王が相手なら、威圧でも最高の手段を用いるということなんでしょうね。」
あれで『盟主』は容赦のない性格なのだろう。
「すみませんが、少しいいでしょうか。」
躊躇いがちに、フウリンが口を開く。
「この一件について、教会が認知していないのなら、それを伝えてきた方がよろしいのではないでしょうか?」
「確かに、『カーディナル』のご意見を伺いたいところですが・・・果たして、可能でしょうか?」
「やって見せます、命に代えても。」
「この程度のことに命張んなや。」
深刻な表情で話す二人に、フウセンが気だるげに突っ込んだ。
確かに、彼女からすれば、ただ会いに行くだけで命張られても困るだろう。
だが自体は、それくらい深刻なのだ。
フウセンが思うよりずっと、彼女がそう思っていたいと言う事態より、ずっと。
「わかりました。あと、一つよろしいでしょうか?」
「なんや。」
「一つだけ、ゴッドファーザーの安否を確認したいのですが・・・。」
俺はこの時教会もマフィアみたいな組織があるのか、とアホな勘違いしていたが、この場合ゴッドファーザーは洗礼名の名付け親のことを言うのだ。
それこそ、フウリンにとって親代わりに等しい人物だろう。
フウセンの父親の惨状からすれば、すぐにでも駆けつけてその安否を確認したいところだろう。
「そんくらいええよ、けど、それ大丈夫なん?」
「仮にも教会所属の魔術師ですから、記憶を消されたり死ぬような事態にはなっていないでしょうが。恐らく・・・・。」
フウリンがそれ以上を言うのは躊躇うくらいには、悲観的な状況らしかった。
「この状況で不用意なのは重々承知です。
しかし、なるべく早く、一目見るだけでこちらは終わらせますので。」
「ええから、早よ行けや。」
フウセンが彼を気遣ってか、強い口調でそう言った。
フウリンは彼女に一礼すると、輪郭がぼやけて消え失せた。
「・・・・・・・・・・・・ひぐッ」
そして、その直後にフウセンは両手を目に当てて、嗚咽を漏らした。
フウリンを前に強がっていたのだろう。
彼女が自分の父親に対してどれほどの、いったいどんな感情を抱いていたのか知らないし、あるいはこの過酷な状況に対して悲しんでいるだけなのかもしれない。
だけど俺は、この俺は、彼女の過酷な運命に対して、何一つとしてかける言葉は出なかった。
そんな資格もないのだから。
エクレシアは、そんな彼女に言葉を掛けようと口を開いた。
――――そして、そのまま突き飛ばした。
「―――――ッ!?」
何してんだ、と言えるほどの余裕はなかった。
まるでフウリンが離れたのを見計らったかのように、フウセンを突き刺すように黒い刀身が彼女の居た位置に現れたのだ。
それは片翼の意匠が施された柄を持った、武骨な鋼鉄の魔剣だった。
人を殺す鉄の剣の形。それが、単純に死を表していた。
まるで死神の鎌のように、命を刈り取る武器だった。
そして、それを振るうのは、死神のように誰の背後にでもいるのが当然だと言わんばかりに現れた、黒い甲冑を纏った騎士。
青ざめた馬にでも乗っていたら、黙示録に出てくる第四の騎士とでも言えるのだろうが。
それくらい、明確な死を意識する相手だった。
これが、最強の“処刑人”。
納得した、こいつに殺せない敵は居ない。
直感で、納得した。理解した。
あらゆる条理を無視して、こいつは人を殺すだろうと。
その時俺は悲しいかな、反射的に魔剣を顕現させ、斬りかかっていた。
この黒騎士の存在に納得したのも、そのあとだった。
「んなッ!!」
しかし、それは空振りした。
そもそも黒騎士に、避けられることさえされなかった。
まるで、幽霊のように魔剣の軌跡が素通りした。
確かに目の前にいるはずなのに、当たらないのだ。
「そいつに、どんな攻撃も効かへんッ!!」
フウセンが悲鳴を上げるようにそう言った。
問答無用で死を与える、無敵の怪物。
まるで、ホラー映画の化け物だ。そりゃあ悲鳴の一つも上げたくなるわ。
「逃げてッ!!」
エクレシアはすぐさま間合いを取って、顕現させた魔剣に口づけを落とす。
三十の断片が、展開した。
クロムも反射的に護身用のリボルバーを抜いて連射するが、黒騎士には素通りだった。
「逃げるぞッ!!」
俺はフウセンの手を取って、窓に体当たりして逃亡を図った。
砕け散るガラスの破片。
魔族の間じゃ、ガラスは貴重品なんで旦那には悪いが、後でクロムに新調して貰おう。
フウセンを守るためなら、旦那も許してくれるだろう。
俺とフウセンは、旦那の屋敷の裏門から外へ出る。
「そんなッ!!」
エクレシアの声に、俺は思わず振り返った。
すると、今にも黒騎士が黒い魔剣を振りかぶって、フウセンの命を刈り取らんとしていた。
まるで気配が無い上に、エクレシアの魔剣の効力が全く無意味だった。
いったいどうなってるんだ、こいつ!?
「くそッ!!」
俺はフウセンの手を強く引っ張った。
寸でのところで、黒騎士の魔剣はフウセンの後ろ髪の先をかする程度にすることができた。
しかし、切り取られたフウセンの髪の毛の端は、地面に落ち前に塵になり、魔力へ霧散した。
一目でわかったが、確信した。
あの黒い魔剣、ヤバい。
下手したらフウセンの持ってる魔剣と同等かもしれない上に、より専門的な機能に特化している。
だが俺はその時、黒騎士の左手に持つ漆黒の魔剣だけでなく、右手に持つ純白の剣が目に映った。
意識してなかったが、初めて右手のそれに気づいた。
だが、フウリンは言っていた。
二本一対の魔剣を持つ、黒騎士が刺客だと。
ならば、あれがもう一振りの黒騎士の魔剣なのだろう。
だが、異様なほどの存在感を発する死の黒剣と違い、白い方は驚くほど存在感のない魔剣だった。
薄く儚く、手で力を加えれば簡単に折れてしまいそうなほど、脆そうな魔剣だった。
しかし見た目はそれでも、秘めている力はもう片方と同じかそれ以上に思える
しかし、そんなことは今気にする余裕はなかった。
フウセンの殺害に失敗した黒騎士は、さらに踏み込んできて返す刃で黒い魔剣を振るう。
派手さはないが、一手一手確実に、チェスのように駒を詰めて、確実に息の根を仕留めようと動いてくる。
勝つと負けるとかそれ以前に、やり過ごすか死ぬかの二択しか与えられていない。
理不尽なまでに一方的で、絶対的な死の如く。
その黒騎士は、淡々と命を刈り取る。
「このやろッ!!!」
「ッ!!」
不本意ながら抱き留める形になったフウセン越しに、俺は苦し紛れに魔剣ケラウノスを盾にする。
二つの魔剣が衝突し、いったいどんな現象が起こっているのか、鍔迫り合いになっただけで火花が散る。
しかし、その優位な状況を放棄して、黒騎士は再び黒い魔剣を振りかぶる。
「ちゃんと、実体はあるんだなッ!!」
もしかしたらあの黒い魔剣も幽霊みたいに素通りするのかと思ったが、違うみたいだった。
一応、霊体も斬れる魔剣ケラウノスだが、あの黒騎士は斬れなかった。
その差は、間にある壁は何が違うのか、それが分からない以上、この黒騎士を攻略するのは不可能だろう。
俺はフウセンを横に突き飛ばし、黒騎士の第二撃を受け止める。
それだけで、激しい火花が散っていく。
まるでバーナーで溶接でもしているかのように、二つの魔剣の間に火花が生じる。
これは何かの現象が生じ、それがこの世界の条理に合わずに発火現象に還元されているのだ。
つまり、あの黒い魔剣の効果範囲はあくまで魔剣の刃の中だけだということだ。
それだけ分かれば、十分だ。
時間稼ぎができる、と思った直後、黒騎士は俺との鍔迫り合いを放棄し、フウセンに向けて黒い魔剣を振りかぶる。
こいつは、あくまでターゲットにしか興味を持たないってことかよ!!!
確かに攻撃が効かないんだから、足止めなんて意味ないし普通ならフウセンを攻撃するよな!!
「魔導書、いったいどうなってるんだあれは!!」
滑り込むように魔剣の刃を差し込み、フウセンに迫る黒い魔剣の刃を遮る。
―――『不明』 極めて、彼は不確かな存在です。
「お前にもわからないのかよッ!?」
いよいよどうして、手に負えなくなってきた。
「うくッ・・・!!」
そしてフウセンもぼーっとしているだけではなく、自ら走り出して村の中へ走り出す。
やはり黒騎士も、彼女を追うように動く。
俺に何て眼中にすらない。
「待てよッ!!」
せめて黒い魔剣だけでも叩き落としてやろうと思ったが、今度はその魔剣すら素通りしてしまった。
そして黒騎士の姿が、幽霊のように揺らめいて消え失せる。
初めから、そこに存在してなどいないかのように。
「消えちまったよ・・・・。」
訳が分からない。
俺は首を振って忌々しいやつの姿を脳裏から追い出した。
消えた今でも、アイツの姿が頭の中に残っている。
「大丈夫ですか!?」
エクレシアやクロムも、すぐに駆けつけてきた。
「どうやら、想像以上の相手みたいよ。
各方面に情報収集したけど、アイツって当初は“魔導師”三人がかりで封印された化け物らしいわ。」
「なんだそれ・・・。」
魔導師ってあれだろ、『マスターロード』と同等の魔術師が三人で漸くあれを何とか出来たっていうのかよ。
なんて、ムリゲー。
『盟主』が切り札にするのも頷ける。
「あの魔導師『パラノイア』の傑作だっていうから、あの怪物性も頷けるわ。
本来なら精神的な適合性がなければ他人の魔剣なんて扱えないけど、あの化け物はそれを可能としているみたいなのよね。」
「一振り他人の魔剣を扱えるだけですごいことなんだよな? それを二振りだろ? ありえねー。」
魔導師なんて連中も、よほど規格外な奴らなんだろう。
「その代償かはわかりませんが、彼には自意識が欠片も見当たりませんね。
作る方も作る方ですが、使う方も使う方です。」
エクレシアもその内容に怒りを隠しきれないようだ。
確かその魔導師って、魔女なんだっけか。
「それより、このままじゃフウセンが危ない。
あの魔剣、マジでヤバいぞ。ホントにフウセンを殺せるかもしれない。
つーか、弱点とか無いのかよ。やっぱり“魔導師”三人掛かりとかじゃないとどうにもならないのか?」
「あったら苦労しないわね。大師匠にも殺せないって謳い文句よ。」
「ふざけてる・・・。」
そんな化け物、どうしろっていうんだよ。
そう言っている合間も惜しい。
俺たちはフウセンを追って、走る。
「エクレシア、なんだかあいつ幽霊みたいだったが、除霊とかできないのか?
もう死んでるから誰にも殺せないみたいなオチじゃないだろうな?」
「霊体特有の雰囲気がありません。あれは生物ですよ。生きています。信じられませんけれど。」
「ウソだろ・・・。」
エクレシアも打つ手がないという。
「クロム、お前はなんか対抗策あるんだろ? こんなこともあろうかと、とか言ってさ?」
「そのセリフはぜひとも行ってみたいけれど、残念ながらどういう原理かもさっぱり理解できないわ。
だからこそ、見た魔術を瞬時に理解する魔王に対抗するために送り込まれたんでしょうけれど。」
確かに、あれが相手ならどんな破壊をまき散らす魔王でもどうにもならないのかもしれない
さすが盟主の誇る最強の切り札だ。
今のところ完敗だ。
「せめて魔剣の能力とか分からないのか?」
「あなたは分かったんじゃないの? ヤバいって言ってたじゃない。」
「見りゃわかるだろ、あんな死の臭いをぷんぷん撒き散らしてんだからよ。」
俺はそう答えたが、クロムからの返答は若干間があった。
「普通は分からないわ。解析魔術でも掛けないと。それがあなたの才能なのかもね。」
「・・・嬉かねーよ。」
せめて叩き落とせれば、魔剣キマイラヘッドで奪い取れるんだが。
「固有名称も不明。元がどういう存在なのかも不明。
ただ、魔剣『デザイア』と『デストルドー』の“処刑人”。そう呼ばれている以外、一切不明。」
魔剣デザイアと、デストルドーねぇ・・・。
たぶん白いのが前者で、黒いのが後者だろう。
「欲望と、・・・もう一つはフロイドの心理学用語ですよね?」
「デザイアじゃなくてリビドーならいい感じに統一されてるんだけれどね。」
二人は無学な俺にはよく分からない内容の言葉を交わす。
「魔剣の能力は名称だけじゃ測れないものね。代替関連してはいるけど、変な方向に飛んでたりするし。」
よく分からないわ、とクロムは言う。
フウセンを見つけるのは、案外簡単だった。
この村の連中の殆どに、彼女の面は割れているのだ。
騒ぎになっている方に進めば、自然とたどり着くだろう。
「なんだ、これ・・・。」
そうして村の繁華街に入って、その騒然とした状況にあっけにとられてしまった。
午前中の、浮かれて騒いでいるといった状況とは、一変していた。
多くの魔族の人だかりが出来ていて、その中心に何人かの警備員に取り押さえられている魔族が居た。
「あああああああああああああああああああああ!!!」
そして、喉が枯れ果てんばかり絶叫していた。
「どうしたんだ!?」
知り合いの魔族が取り押さえて居たので、俺は思わず尋ねてしまった。
「分からんッ!! 変な奴に追われている陛下を庇ったら、突然暴れだして!!」
「うがああああああああ!! 俺たちはもう、終わりなんだああああぁぁあ!! 陛下から見捨てられて、終わりなんだぁあああ!!!」
まるでこの世の終わりと言わんばかりに、組み伏せられた魔族は絶叫する。
「お前らも、道連れだ!! 死ね、死ね、死ねえええぇぇ!!」
「いい加減にしやがれッ!!」
完全に抵抗できない状態にされているのに、魔族は暴れるのをやめない。
地面には、どんどんと血が流れ落ちているというのに。
なんとなく、あの黒い魔剣の力を察せて、俺は血の気が引いた。
「自殺願望、あるいはそれに類する破滅的な強迫観念を抱かせる、ということでしょうか。」
「・・・師匠、いったい報告をどう解釈したのよ。いや、報告前の命令で動いてるんでしょうけれど。」
二人のそんな言葉が耳に入ってくる。
俺も、『盟主』がいったいどんな思惑であんな最悪の化け物を送ってきたのか分からない。
だけど、フウセンがこの魔族のようになってしまったら、最悪だ。
「フウセン・・陛下はどこに?」
「あちらに行かれた!! 急げ!!」
「すまない!!」
今は一刻も早くフウセンに合流しないとマズイ。
あの黒い魔剣は、彼女には危険すぎる。
雑踏をかき分けて、俺たちは警備の魔族に示された方向へ進む。
しかし、ここは村の中心に走る大通りだ、魔族でごった返していて思うように前に進めない。
焦りばかりが募る、そんなときだった。
『我ら同朋たちに告ぐ、私はこの村を魔王陛下から預かる総代のゴルゴガンと言う。
これより、我が権限に於いて第二種戦闘時緊急待機勧告を行う。
総員、早急に自宅または近くの建物に退避せよ。
そしてこの命令が解除されるまで、兵役を課せられているもの以外、一歩たりとも外出を許さない。
なお、これに違反した者はこの村の平穏を乱す危険人物として何者であろうとも強制的に捕縛する。』
「旦那ッ!?」
「使い魔を送って詳しく連絡しておいたの。」
驚く俺に、警告に騒然となった中でクロムがそう言った。
第二種戦闘時緊急待機勧告とは、簡単に言えば緊急の戦闘時における非戦闘員の退避命令だ。
具体的には、盗賊などの武装集団や危険分子がこの村に迫ってきたときに発令され、戦闘要員を招集しそれ以外の人員を危険から守るために行う。
ちなみに、第一種は先日の魔物の掃討作戦のような近隣で大規模な軍事活動の際に発せられる。
なにはともあれ、ナイスフォローである。
さっきのやつのような犠牲者を、これ以上増やしてはならない。
『続けて、全兵員は各持場ごとに集結し、陛下の身を守るのだ。
現在、陛下は卑しくも浅ましい下劣な判断で脅威と見なした人間の魔術師どもの刺客に追われている。
刺客は、万全ではない今の陛下では成す術が無いほどすさまじく強大だという。
作業中の者はそのすべてを中断し、陛下の捜索と身の安全の確保を急務とせよ。決して出しゃばった真似をせず、最低限の行動を持って最大限かつ最上の結果を齎せ。』
旦那の宣言は続く。
自分が一応分類上は人間なんで複雑な気分だが、今回ばかりは全面的に旦那に同意したい。
「フウセンッ!! どこだ、聞こえるか!!」
波が引くように、旦那の命令に一般人たちが大通りから立ち退いていく。
この辺りには店屋が多く、今の騒動でそこに一時的に避難している人も多かったのが幸いした。
あっという間に、道の端を駆けて帰ろうとする魔族しか見当たらなくなった。
あの黒騎士は物理的な障害が、恐らく距離ですら無意味のようだし、さっきの人混みはやつの目をかく乱するどころか、他者への被害や俺たちの邪魔しか齎さなかった。
「無事なら無事って言いやがれッ!!」
その判断が正しいと信じて、俺はフウセンを呼びかけた。
『うっとおしいわ!!』
急に念話で返事が返ってきたことで、俺はずっこけそうになった。
『無事かッ!?』
『無事じゃなんだら返事できへんわ。』
フウセンからは呆れたようにそう返って来た。
『悔しいけど、一晩中何度もただ追われてただけやあらへん。』
彼女はそう言ってくるが、憔悴した精神状態まで伝わってくるので、俺は何も言えなかった。
『一応、人混みで撒けたわ。あいつ、目ぇ見えてへんのやろ。
そんでメイ君が邪魔したのも、邪魔されたともおもっておらへんと思うわ。』
『その割には、頭使って行動してるみたいに思えるけれど。』
クロムは疑問を投げかけるようにそう言った。
『いや、アイツの動きは単調だった。
見た目は騎士っぽいけど、あれはたぶん、剣術を会得したやつの太刀筋じゃない。ただ、強力な剣を振ってるだけに見えた。』
『それは私も感じました。魔剣を振るうというより、魔術の触媒として振るっているようにも見えましたが、それとあの黒騎士に知性が無いかどうかは無関係ですよ。』
エクレシアに俺の意見は的外れだって言われて、ちょっとへこんだ。
『とりあえず、合流しましょう。
あれの奇襲は脅威だわ。視界に捉えて対峙していた方がまだマシよ。あの希薄性はもはや亡霊ってレベルを超えてるわ。』
『私の魔剣やメイさんが抑えていた時に聖句を唱えてもまるで通用しませんでしたし、その方がよろしいでしょう。』
クロムの提案に、エクレシアも同意した。
確かに、危険な攻撃性能を持っているが一応防御できる方策があるなら、一度こっちでフウセンの周囲を固めた方がいいだろう。
そのうち俺より頭いいクロムとかが打開策を打ち出すのを期待しよう。
俺じゃあれをどうにかできるとは思えないし。
そもそもどういう仕組みなのかも分からないのだ。
『うん、じゃあそっちに向かうわ。』
『場所は分かるか?』
『うん、分かる。最近、魔力のパターン知ってるやつなら、誰がどこにいても居るかわかるんや。』
『なにそれ・・・。』
畏怖が混じったような思念が、クロムから発せられた。
『い、いや、・・・さすがに気配とかいろいろ隠ぺいされてたら無理やけど。』
クロムが何を思ったのか悟って、フウセンは取り繕うようにそう言った。
やはり彼女は、自分が普通じゃないことを恐れているのだろうか。
『前に仕事で追ってた魔術師が使ってた隠遁術式を思い出したから、それ使いながらそっち行くわ。』
だが、それ自体が普通でないことに自覚のない彼女は、己の異常を正確に認知するまで相応の知識が必要なのだろう。
エクレシアや、クロムが、息を呑む声が聞こえた。
俺も背筋が凍るような思いだ。
あの、魔王の化け物じみたという言葉すら控えめな絶大な『才能』に。
息をするように魔術を使うクロムでも、それはあくまで習得した技術という枠を出ないのに対して、フウセンは魔術が初めから使えるのが当然の領域なのだ。
今はそんな彼女にすら見て理解できない黒騎士の脅威に恐れるべきところかもしれないが、俺はこの時確かにフウセンを恐ろしいと思った。
俺はほんの僅かでも、頭の片隅に、彼女はやっぱり魔王なんだと思ってしまったことに後悔した。
エクレシアやクロムの二人ならともかく、俺が念話で感情を隠すなんて芸当はできないのだから。
『ッ・・・』
とても複雑な、感情が伝わってきた。
それからバッサリと、念話の接続が切られた。
「気持ちは分かるけどさ。私たちの業界じゃ、他人に自分の研究の粋を集めた魔術を奪われるのって、命を売り渡すより重いことだから。」
クロムがバツの悪そうに言った。
この場で俺を責めても良いはずなのに。
ある意味、『盟主』が彼女を恐れる理由は、そこもあるのかもしれない。
「彼女の場所は分かりますか?」
「さあ、どこで覚えたのか知らないけど、今の念話はかなり複雑な隠蔽術式組み込まれて逆探知とか余所から傍受とかできないようにされてたわ。
まあ、これだけ近くなら発生源くらい割り出すくらい余裕だけど。」
最近何からか影響されたのか、クロムはドヤ顔でそう言った。
だが、その言葉の中に隠された刺は、俺の耳に残った。
立ち止まって魔方陣を片手に展開し呪文を呟き始めるクロムの結果を、俺たちは待つしかない。
「まだか?」
まだ数秒しか経っていないのに、俺はクロムに尋ねた。
返答は、睨まれただけで終わった。
集中させろということらしかった。
「急いてはことを仕損じます。まずは落ち着きましょう。」
「わかってるッ・・・。」
エクレシアの言う通りだけれども、俺がフウセンを傷つけてしまったと思うと居ても立っても居られない。
このまま彼女があの黒騎士の手に掛かるような事でもあったら、俺は一生フウリンに顔向けできない。
「・・・貴方たち?」
俺が落ち着きなくイライラしていると、横道からサイリスが現れた。
「あ、お兄ちゃんお姉ちゃん・・・と。」
なぜか一緒にいるのはミネルヴァだった。珍しい取り合わせだった。
そして俺とエクレシアを見る目はともかく、クロムを見る目はなんだか微妙そうだった。
「・・・なんでお前ら一緒にいるんだ?」
珍しい組み合わせをしている二人に俺は思わずそう言ってしまった。具体的にはミネルヴァの情操教育上こいつと一緒にするのはなんだか良くない気がするし。
「なんだか失礼なこと思ってない? 私はただ薬の納品の帰りよ。その途中で、一人になった彼女を見かけたから、一緒に帰ってるだけ。」
「うん、みんな遊んでたんだけど、急いで帰らないとダメだっていうから。」
不本意そうにしているサイリスと、純粋にどういうことか分かっていないミネルヴァだった。
「ここでこのタイミングで貴方たちと遭遇したとなると、これは楽に帰れそうにないかもねぇ・・・。」
そしてサイリスは何だか諦めたような表情だった。
「陛下を襲っている刺客ってのはどこの連中なの?」
「え? 魔王のお姉ちゃん、どうしたの?」
「実は―――」
俺はこの一大事に自ら関わろうとするサイリスと、不安そうな表情を浮かべたミネルヴァに事情を説明した。
「ええッ、魔王のお姉ちゃん・・・。」
事情を聴いたミネルヴァは不安そうな表情になってこちらを見た。
「そのよく分からない敵っていうのが分からないわね。
本当にどうにもならないのかしら?」
「ホントにどうにもなりません。あれほど理不尽な相手は中々お目に掛かれませんよ。」
普段なら極力彼女と話そうとしないエクレシアも、険しい表情で言った。
「それにどんなに逃げても無理みたいなんだ、ホラー映画の怪物かってなぐらいにな。」
「そのホラー・・何とかが何かは知らないけど、デュラハンのようなやつなのね。」
しまった、ついつい魔族には分からない表現をしてしまった。
俺がどう言い直そうかと考えていると、エクレシアがハッとしたような表情になった。
「もしかしたら、本当にデュラハンなのかもしれません。」
「えッ?」
その意味を聞き出そうとしようとした直後、クロムは見つけたと呟いた。
「どこにいるッ!?」
「そこよ。」
「え、おおッ!!」
振り返ると、目の前にフウセンが居た。気配が無かったのでかなりビビった。
「きゃあはははは、ビビっとるわッ!!」
当のフウセンは落胆している様子はなく、俺がビビるのを見て笑いやがった。
「・・・・・・・。」
とりあえず、無事でよかったと思うべきだろう。
「それよか、どするんやあの化け物。」
俺とエクレシアが周囲を警戒して奇襲に備える中、フウセンはクロムにそう尋ねた。
「え、みんな良いかんがえがあるの?」
クロムも答えを出しかねていると、意外なところから解決策は齎された。
「あのね、みんながみんなの国に連れてってくれるって。そこならぜったいにあんぜんだからって。」
「妖精の国? もしかしてティルナノーグ?」
「うん、そこだって。」
それを聞いたクロムは、眩暈にでも会ったかのように頭を押さえた。
「そこは安全なのか?」
「安全どころか、この世界じゃないわね。
伝説に歌われるリンゴが絶えず実り食べても食物が減らないという楽園よ。
そこへ行く方法は完全に喪失していると言われてるわ。ケルトの妖精に教えてもらう以外にはね。」
「まるでエデンの園のようですね・・・。」
エクレシアの呟きに、クロムが眩暈を覚えた理由がようやく分かった。
「それはどちらかと言えばアヴァロンだけどね。
でもそこに行けたなら、たとえ万全の魔王にだって手出しできないわ。
なにせ、この世とは別の次元にあるんだから。」
フウセンのやつも十分に規格外だが、ミネルヴァの才能も途方もないからだ。
それこそ、眩暈を覚えるくらいには。
そして、この会話の中で僅かに生じた絶妙な隙を、やつは突いてきた。
「ッ!?」
まるで意識の合間を掻い潜るかのように、俺の脇をすり抜けていった。
亡霊の如く存在感の無いそれは、そこにいるという意識すら持たせない。
気づいた時には、振り返ってフウセンが魔剣を抜いて応戦していた。
「そう、何度も、同じ手は食わへんよぉ!!!」
黒騎士の黒い魔剣が、瑠璃色の魔剣に衝突して火花が散る。
「ひッ・・・・!!」
ミネルヴァが、その姿を見て息を呑んだ。
俺にも気づいたこいつの恐ろしさを、彼女が分からないはずがない。
「なにこれッ!?」
そしてサイリスも、俺たち全員が抱いた感想を口に出した。
俺にとっての、あの化け物との第二ラウンドが始まった。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「アルルーナ、来てッ!!!」
フウセンを守るべく黒騎士と応戦する俺たちの横で、サイリスはあの悪魔を呼んだ。
銃声と剣戟と火花の音の横で、枯れた木の葉が集まって人の形を模り、そこからあの悪魔は現れた。
「ここに、我が主よ。」
「あれが何かわかる・・・・?」
サイリスは、黒騎士を指さしそう言った。
「あれが何か・・・?
それはあまりにも無意味な質問だ。」
「どういうこと・・・?」
悪魔は、あの黒騎士の正体など考えるまでもないと言わんばかりの態度で、こう答えた。
「あれは、そもそもこの世に存在していない。」
「えッ」
サイリスは驚愕した。
それは、あまりにも矛盾した内容だったのだ。
「なるほどねぇ、合点がいったわぁ!!」
牽制にもなっていない銃撃で応戦するクロムが、そう言った。
「右手の魔剣ですか?」
「たぶんね。」
エクレシアとクロムは、核心を得てようやく黒騎士の力の正体を見破った。
今まで一度も振るわれなかった、あの右手の白い魔剣。
それが、この世界に干渉しながら、この世に存在しないという矛盾を成し遂げていると言う。
道理で、俺たちの攻撃や魔術が一切通用しなかったわけだ。
なにせあの黒騎士は、この世に存在しないのだから。
俺たちは、誰かを殺せる空気に向かって戦いを挑んでいるようなものだった。
「おい、存在してない敵を、どうやって倒すんだよ!!」
「どうしようもないわねぇ!!」
俺が何とか黒騎士の黒い魔剣を弾き返すと、クロムがそう答えた。
「おまえ、最近そればっかだな。」
「貴方馬鹿なんじゃないの。この世に不可能がどれだけ多く存在しているのか分かっていないの?」
「うっせ、やつあたりだよ、分かってるよそんなこと!!」
自分が馬鹿なのはわかってる。俺だってどうやってこの化け物を撃退すればいいのか分からない。
このどうしようもないという感情を吐露するしかできない、子供のミネルヴァさえ、こんな低次元のことなどしていないというのに。
時々まるで成長していない自分が嫌になる。
「ミネルヴァッ!! 頼んだ!!」
「うん、あんなの、ダメだよ、ぜったいに。」
ミネルヴァが黒騎士を見て震えながらそう言った。
「みんな、おねがい。」
ミネルヴァの言葉に応じるように、フウセンの周囲に高密度の魔力の円環が生じた。
フウセンの魔力みたいにバカげた出力のそれではなく、完璧なまでに緻密な円周だった。
まるで機械で描いたかのように、魔術的な意味を持つ円。
それはゆっくりと回り、この世とあの世を曖昧にするゲートを構築する。
フェアリーダンス。
妖精が、踊っているのだ。
「完全に向こうに送ってはダメよ!!
そうしたら、こっちに戻ってもこの世界を現実だと思えなくなるそうよ!!
そうなると、妖精の仲間になって他者と馴染めなくなる。」
クロムが慌てて叫んだ。
それが、チェンジリング。取り替え児。
妖精に攫われる言うこと。
「わかった、・・・みんな!!」
ミネルヴァの嘆願に、円環の回転が止まった。
だけど、それで俺はもうフウセンに絶対に手出しできないのを悟った。
彼女とその周囲の円環の内側と外側とでは、もう別の世界なのだと。
普通の人間ならどんなに努力しても通じない、それほどまで彼我の差は隔絶している。
そして、俺たち三人掛かりで押さえていた黒騎士は、魔剣を振るうその手を止めた。
機械のように動いていた黒騎士は、機械のように停止した。
「止まった・・・のか?」
「ただ標的を見失っただけかもしれません。」
だろうな、と俺はエクレシアの言葉に頷いた。
目が見えていないのは、本当なのだろう。
ゆっくり、とぼんやりとしていた黒騎士の存在が、浮き出るかのように確かなものになる。
そして、
『命題遂行に対して深刻な障害が発生。
魔剣“デザイア”の機能低下。効力の初期化に対する再設定と再定義を要求する。』
がらん、がらん、と黒騎士の漆黒の鎧が剥がれ落ちる。
「ッ・・・」
その中身を見て、俺は、俺たちは絶句した。
『自己の保全に関する深刻な脅威の発生。
中枢精神は直ちにこの脅威を取り除き、自己の完全性を再構築し、存在の安全確保を申請。』
魔剣の力と、鎧の中に守られていたのは、
「死体・・・!?」
そう、死んだ姿のまま腐食せずに形を保った蝋状の女性。
黒いローブに、緑のスカーフを纏い、目を閉じ、人形のように眠っている
「死霊魔術でしか製造できない、死蝋・・・?」
エクレシアはそう呟いて、息を呑んだ。
「もしかして、彼女生きてるの・・・?」
だが、彼女はクロムの見立て通り生きていた。
死んでいながら、それを否定するかのように、生前の状態を魔術で再現されている。
ただそれは生き返るわけではなく、ただ生前の状態になっていると言うだけ。
死体には、変わらない。
俺の頭じゃ理解できないが、そういうことらしい。
だが、なぜだろう。
俺は彼女に、この死体に見覚えがある気がした。
「うくく・・・。」
そして彼女の言葉の正しさを示すように、永遠に口を閉ざすべきその死体が、笑みを浮かべた。
生前は美人だっただろう東欧系の顔立ちは、悪意に満ち溢れ、邪悪に歪んでいた。
「うくくく、くくくくく、想定外の事態だわ。よくもやってくれたわね。」
死してなお動く死体は、楽しそうに笑いながら憎悪の籠った言葉を吐いた。
「貴女は・・・まさか・・」
エクレシアは、その正体に感付いたらしい。
俺も、いつか見たジャンキー記憶に鮮明に映っていた姿に、彼女が居たのを思い出した。
「魔女“―――(検閲)―――”。」
もはや歴史にも、誰の記憶にも残らない、名前を失った伝説の魔女。
「なんで、貴女がここにいるのよ、“魔導師”『パラノイア』。」
そして最後にその正体をクロムが口にした。
「うくく、許さない。くく、許さない。
私を殺そうとした全ての人間を許さない。」
中世ヨーロッパの魔女狩り時代に、最悪とさえ言われた有史以来最も人類の人命を奪った邪悪な魔女。
魔導師、『パラノイア』。
今も現世におぞましいほど執着する亡霊だった。
魔剣百科事典コーナー
魔剣:「デザイア」
所有者:魔導師パラノイア
ランク:SS
特徴・能力。
願望剣。極限まで存在感の薄まった、無いに等しい薄く細い純白の魔剣。
精神分析学者フロイドの「生きる意味など実在しない」という言葉をモチーフにしている。
持ち主の生存に対する願望を、持ち主の能力で可能な限り実現させる。
この魔剣の持ち主は、分不相応の願望を持たない限り、あらゆる事象・原因を無視して寿命以外の原因で絶対に死ななくなる。
ただし、不可能な願望を元に行動すると、その条件が不成立になり、この魔剣の効力は消失する。
この魔剣の持ち主は効力の発動中、生命の安全を保障される代わりに、自己の生存理由を徐々に喪失していく。
魔導師パラノイアはこれを利用し、「『盟主』の命令を遂行している限りの生存の保障」を持って『盟主』への忠誠とした。
名前を奪われ、自身を見失った彼女の性質を示すように存在自体が希薄な魔剣。
魔剣:「デストルドー」
所有者:魔導師パラノイア???
ランク:S+
特徴・能力。
死望剣。死を思わせる鉄のような武骨で漆黒の刀身を持ち、柄に片翼の意匠が施された魔剣。
魔剣デザイアと同じくフロイドの精神学の用語をモチーフにしている。
この魔剣の刀身に触れた生物は強烈な自殺願望や、破滅的な衝動に支配され発狂し、自傷行為を繰り返し、最終的に自殺する。
魔剣に触れたのが物質、または少しでも精神破壊に抵抗が生じた場合、物質的に時間を逆行させ分解、破壊し消滅させ魔力へ還元させる。
死に祝福され、タナトスの力を秘めたギリシャ系の呪われた魔剣。
※少し間が空きました、主に夜に眠い中に書いてたので、文章に拙さが見え隠れしているのが反省点です。
ちょっと展開が急だったかもです。でも悠長に書くと第二章みたいに長くなるのであしからず。