第四十七話 真の覚醒 後篇
まだ人間だった頃の『黒の君』の手記。
『今日、僕の人生で最高の出来事が有った。
アイツが死んだ。最高の気分だ。アイツは嘗ての栄光と何の関係も無く、何の栄誉も無く死んだ。
あれで僕と一緒に魔王と戦ったって言うんだから笑えるよ。
僕より才能が有るくせに、魔王との戦い以来から魔術の研鑽をしないからこうなるんだ。
これでアイツを聖女やら何やらと持ち上げてた教会のバカどもも目を覚ますだろう。
所詮あのバカは、バカなだけなんだよ。誰かの為に死ぬまで働いて、結局報われずに死んで行ったんだ。可笑しくて可笑しくて、死にそうだよ。
だけど、まるで勝ち逃げされた気分だ。こんなの、兄貴が死んだ時以来かもしれない。
こんな決着は、僕としても不本意だ。よし、こうなったらアイツを復活させて改めて鍛え直してから、僕との決着を着けよう。
そうやって初めて、僕は納得がいく結果に成るだろう。今からアイツの悔しがる顔を見るのが楽しみで仕方がないや。』
『僕は、何をしてしまったのだろうか。
いや、僕は何て事をしてしまったのだろうか。
あれは何だ、あれは何なんだ。僕は、アイツを作った筈なのに、言葉にするのもおぞましい何かが出来てしまった。
思い出すのも吐き気がする。すぐに処分して正解だった。
僕の理論に間違いは無いはずなのに。確り何度も検証して、完璧に予定通りに術式も動作して、素材も全部確かに揃っていたはずなのに。
なんで、どうして、冗談じゃない。
僕は、ただアイツに勝ちたかっただけなのに。アイツを辱めたくて、こんな事をした訳じゃないのに!!
どうしよう、皆が、皆が、あれから僕を置いて死んで行った仲間たちが、どこからか僕に冷たい目を送ってきているような気がする。
これは嘘だ、僕は間違ってない。僕は天才なんだから。成功すれば、全部チャラに成る。そうだ、成功させれば良いんだ。
早速、どこが間違ってたのか検証しないと。実験を繰り返さないと。そうだ、皆も蘇らせれば良い。僕は正しいんだ、皆にそれを証明しないと。』
『今日、弟子に、言われた。違う、僕は、狂ってなんか、いない。
でも、こんなの、違う。こんなの、望んで、ない。』
以後、二百年分、失敗と後悔の記録が続いた。
バラバラに引き裂かれたこの記録は、もはや現存して居ない。
先手を打ったのは、エクレシアだった。
「その悲しみを、私が受け止めましょう。
ここに、神は居ます。貴女の悲しみを、憎しみを、殺意を、私が全て抱きしめてあげましょう。」
彼女が魔剣に口付けを落とす。
そしてエクレシアは、魔王フウセンの注意を一手に引き受ける。
「なに言っとるかわかららへんなぁ。
アハハッ、でもなぁ、ウチはあんたが憎いんや。」
俺たち全員に向けられていた敵意が、彼女に集中する。
精神干渉が通用すると言う事は、憎しみに狂っていても、理性を捨てているわけではないようだ。
「こっちです。」
「死ねぇええやぁああ!!!」
もう、フウセンに彼女以外の敵は見えて居なかった。
精神的に視野狭窄に陥っているのだろう。或いは、これから全部壊すんだから、どうでも良いのかもしれない。
距離が有ったのに、フウセンの一撃はエクレシアに届いた。
「ッ!?」
瑠璃色の魔剣の切っ先が、距離を無視して彼女に至ったのだ。
完全な不意打ちで対応できなかったようだが、エクレシアは咄嗟に衝撃を分散させたのか眉ひとつ動かさなかった。
重戦車とガチでためを張れる防護魔術の重装甲は伊達で無い。
吹き飛ばされそうになるのも堪えて、地面に足を踏ん張って何メートルも大地に足を付けて踏ん張る。
「貴女の憎しみは、この程度ですかッ!!」
「ああああああああああッ!!!」
強烈な敵愾心を抱いているだろうフウセンは、エクレシアの軽い挑発に簡単に乗った。
ここで、関係無いがドラムのパフォーマンスを思い出してほしい。
演奏前に高速で撥を叩きつけるあれだ。俺は年頃の男子らしくはなくバンドとか音楽とかに興味は無いが、あれは実に格好良いと思う。
それくらいの速さで、フウセンはエクレシアに連続攻撃を叩きこんだのだ。
コンクリートの壁も瞬く間に木端微塵になるだろう、爆撃のような魔剣の豪雨だ。
その直線的で、直情的な攻撃に、幾ら早くとも少しずつエクレシアも対応し始めていた。
所詮はバカみたいな魔力で、何の技術も無く、子供が駄々をこねているようなものなのだから。
それでいて、的確に魔剣は彼女の一撃を運ぶのだから、そのあやふやさを彼女も既に気付いているだろう。
「稚拙ですねッ!!」
そして、まるで雨の中を掻い潜る様に、エクレシアは斬撃の嵐を抜け出した。
ゆらりと彼女の姿が揺らいだから、幻術も併用したのだろう。
「こっちですよ!!」
そして、彼女は村の裏手である森の方へ駆けて行く。
「うあああああぁぁああ!! 私を嗤うなぁぁぁあ!!!」
何かの妄想に取りつかれたのか、そんな叫びを挙げながらフウセンはエクレシアを追う
まるでマンガみたいに木々を根元から吹き飛ばしながら。
木が舞い上がる光景は、中々にシュールだ。
「さっきみたいな魔力を垂れ流されるよりマシみたいだな。」
「その代わり、魔力の暴走による息切れは期待できなくなったけれどね。」
エクレシアはきっと己の役目を果たすだろう。
彼女が囮になっている間に、俺たちも準備をしないといけない。
すると、ワイヤーが破られた時点で地面に隠遁していたクロムの小人軍団が、姿を現した。
多少数を減らしているが、まだかなりの数が居る。
「今の内に装備を整えるわ。彼を優先して。
あと、開発した強力な武器を何でも良いから片っ端に用意して頂戴。」
次の瞬間、連中が俺に纏わり付くように色々な物を取りつけ始めた。
着ていた服には呪術的な処理が施され、材質から何まで変化して防刃服みたいになった。
今までの激戦で酷使していたボロボロになっているスニーカーを、特殊能力を持つブーツに作り直していく。
そして、極め付けなのは黄色いマントだった。
なにこれ、念話で説明を受けたが何だか悪趣味な気がする。
「わぁ、かっこいいよ、お兄ちゃん!!」
ミネルヴァが褒めてくれたのが救いだった。
「とりあえずはこれだけで十分だ。俺たちは先にエクレシアを追うぞ。手筈通りなら、そろそろ行かないとな。」
「ええ。」
クロムは頷いた。
彼女も同じように全身に色々な装備を取り付けられている。
「行くぞ、ミネルヴァ。絶対に無茶するなよ、危ないと思ったらすぐ逃げるんだぞ。」
「うん。だいじょうぶ。」
そうは言ったが、俺なんかよりこいつの方がよっぽど危機管理は出来ているだろう。
それに飽くまでミネルヴァの役割は後方支援。
彼女の仲間の妖精に頼んで、やってもらうことがあるのだ。
流石に前線で直接戦わせるような作戦を提示するほどクロムも鬼畜ではなかったようだ。こいつにそんな能力もないだろうし。
「ねぇ、あの子を助けたら、みんなでいっしょに遊ぼうって、みんなが言ってるよ。」
道中、ミネルヴァがそんな事を言ってきた。
「妖精の遊びって死に掛けるって聞いたが、それ大丈夫なのか?」
「ん? みんなは、お兄ちゃんとお姉ちゃんがきにいったみたいだから、もう悪さはしないって言ってるよ。」
「うーん・・・・。」
何となく妖精の言葉なんて信用できないが、ミネルヴァの純粋な信頼には応えようとは思った。
「当然、お前も一緒だよな?」
とりあえずこいつも一緒なら大丈夫だろう、と言う目論みで俺はミネルヴァにそう言った。
「え、うん!! みんなでいっしょに、遊ぼうね!!」
そしたら、えらく嬉しそうに言われた。
小さい子供に慕われた事なんて無かったから、悪い気はしなかった。
『聞こえていますか? 事は予定通りに運んでいますが、少々マズイ状況です。』
『わかった、こっちは今からそっちに向かう。連絡はもう良い、お前も無理するな。』
『了解です。』
流石にエクレシアも、これ以上の単独での囮は無理があるのか。
そして、次の瞬間、爆音が聞こえた。
ついにフウセンが魔剣だけで戦う事にじれったくなったのだろう。
これに関しては予想通りと言うべきか、想像より使ってくるのが遅いと思ったくらいだ。
もうすぐ、箱庭の外周である“壁”に到達する。
エクレシアは、そこで戦っている。
すると、俺の耳につんざくような雑音が聞こえた。
ラジオの周波数が合わずに使っているようなそんな音だ。
これは念話の波長が合わず伝わらない時の、俺の抱くイメージだ。
誰かが俺に念話を仕掛けていて、それが伝わっていないと言う事をそう言う感覚で認識する。
俺はエクレシアが続けて念話を繋げようとしていて、フウセンの魔力の所為で繋がらないのかと思っていたが、どうやら違った。
『あー、あー、聞こえる?』
聞こえたのは、サイリスの声だった。
『サイリス!? どうしたんだ、今忙しいんだ、後にしてくれ!!』
『そっちこそどうしたのよ。貴方も聞いたんでしょ?
あれからこっちは葬式みたいな空気なって、各村々の代表が出てきて話し合いを始めたりして辟易して居るのよ。』
どうやら愚痴を言いたいらしかった。
幾ら念話での交信はほぼ一瞬だとは言え、今が急を要する事態だと言う事は変わらない。
『ちょっと待て、いまこっちも大変なんだよ。』
『・・・どう言う事よ?』
『今から伝える。』
俺はこの状況に関する事の知る限りの情報を、念話の応用で彼女に送った。
俺の切迫したこの状況に置かれている心境も伝わった筈だから、彼女が息を呑むような感情が伝わってきた。
『うそ・・・。そんなこと、有り得るの?』
サイリスは呆然とした声を漏らした。
あの魔王はフウセンに関する情報は俺達にしか伝えなかったらしく、魔王の断片が人間に渡っていることなど想像だにして居なかったようだ。
『なぁ、一応聞いとくがクラウンの奴、自分が魔王に成るとか騒いでないよな?』
アイツの性格だからそれぐらいは言いそうだ。
近くに居るらしいし、ついでだから訊いて見ることにした。
『いいえ、なんだか考え込んでるみたい。不気味なくらい静かよ。
とにかく、この事は師匠と騎士殿には話すわよ。
もしかしたら、私達の村の立ち位置が激変するかもしれない内容だから。』
『ああ、任せた。』
これに関して俺はどうしようも出来ない。
この世界は、ゲームじゃない。魔王を倒せばエンディングを迎えて、ハッピーエンドに成ると言うわけではない。
この後の事も、考えないといけないのだ。
俺たちは、生きる為に戦うのだから。
『死なないでよ。』
そして、サイリスがぽつりと漏らすようにそう言った。
『後でエロいことしてくれるならやる気でるかもな。』
『あはは、考えといてあげるわ。』
サイリス相手ならこんなセクハラ発言も冗談にできるから気兼ねしなくて良い。
このまま暗い雰囲気で終わるなんて、まるで死にに行くみたいじゃないか。
剣戟がすぐそこまで聞こえる。
そして、二人が見えた。
俺はミネルヴァに安全な所まで下がる様に支持して、剣を交える二人の元へ向かう。
「くッ!?」
それとほぼ同時に、エクレシアがフウセンの猛攻に耐え切れず逃げ腰になる。
彼女が幾重にも重ね掛けしている防護魔術の最後が、たった今剥がされたのだ。
つまりフウセンは重戦車を無理やり解体したに等しい。
勇気とは有る程度の安全の上に成り立つ。
ここで彼女が距離を保とうとするのは当然の行動だ。
しかし、バカみたいな反応速度でフウセンは彼女に肉薄する。
「待たせたッ!!」
俺は二人の間に、『アキレスの盾』を展開して割り込む。
「すみませッ―――」
エクレシアは俺に礼を言おうとしたが、出来なかった。
フウセンが、『アキレスの盾』を叩き破って俺に魔剣の一撃を直撃させ、そのままエクレシアを巻き込むようにブッ飛ばされたのだ。
当然、ぶち破られると思っていたからこっちも防御していたし、威力は『アキレスの盾』のお陰で大分激減していた。
だが、フウセンの奴、手加減して居ない所為かさっきより数段威力が上がってやがる。
これを相手に一分でも持ちこたえたエクレシアには頭が下がる。
だから俺はフウセンにブッ飛ばされて、エクレシアと一緒に地面をごろごろ転がされる最中に彼女が俺を庇うように咄嗟に掻き抱いていた時、彼女のむにゃりとした胸の感触に、このまま死んでも良いかな、なんて考えた俺をぶん殴りたい。
ぶっちゃけ、洒落に成らない。
実際、このままフウセンの追撃が飛んできたら、十中八九二人纏めてあの世逝きだった。
しかし、すぐに追い打ちは来なかった。
少なくとも、俺とエクレシアが立ち上がって武器を構え直すまでは。
フウセンは、何やらまたぶつぶつと呟き始めていたのだ。
「こいつら何で死なないや、こんなんじゃ他の連中も殺せへん。もっと上手く殺さへんと。もっと軽く殺さへんと。もっといっぱい殺さへんと。
なぁ、お前もあいつらの血を呑みたいやろ。ウチにもっと力を貸せや。」
そう呟いて、フウセンは魔剣の刀身に頬ずりする。
まるで危ないクスリでもやってるような狂気に満ちた行動だった。
そして、
「そっか。」
彼女は怖気が走るほど不気味な、壊れた笑みを浮かべた。
俺たちは、彼女の世界に踏み込めなかった。
エクレシアは様子を見ながら防護魔術を張り直しているし、俺も無防備だからと言って下手に相手に攻め込む訳にはいかなかった。
「お前ら、“生きる”の禁止や。」
そして、フウセンはそう俺たちを見ながら言った。
その直後、俺たちは呼吸が止まった。
心臓の脈動が、止った。
血の巡りが止った。
全身のありとあらゆる生命活動が、停止した。
「は?」
俺はまさにそんな気分だった。
まるでゲームの選択肢を選び間違えて、突発的な突然死に見舞われたような、そんな気分だった。
俺たちは、意識あるままに死体になった。
まるでゾンビのように。
奇妙な感覚だった。
息が出来ない事や心臓が止まっていることに苦しみにもがくこともなく、俺たちは急に訪れた理不尽を受け入れていた。
「これは、魔眼・・・!?」
そう言葉にしてしまって、肺の中から空気を出してしてしまったと言う失態に気付いたエクレシアは、咄嗟に言葉を呑みこもうとして息が詰まっている事を再確認させられていた。
動く事は出来る。
だが、俺たちはもう“生きる”事は出来なくなっていた。
生命活動が、停止して居たのだから。
まだ死んでいないだけの、肉の塊になったのだから。
このままフウセンに近寄って剣を振るう事は出来るだろう。
だが、それは結局自分の寿命を減らす事に等しい。
自分の中に内在している体力気力が諸とも減る一方なのだから。
それ以前に、呼吸で取り込んだ酸素もいずれ尽きて、死ぬ。
こんなの、反則だ。
「あははははははははは、全員ここで死ぬんやでッ!!」
フウセンが、莫大な魔力の乗った魔剣を地面に叩き付ける。
俺たちはその衝撃で、ボールのように宙に舞った。
「みんな、おねがい!!」
今にも地面に頭から墜落しようとした時、ミネルヴァの声が聞こえて、身体がふわりと軽くなった。
同時に、たった今まで停止していた生命活動が、復活した。
「はぁはぁ・・・た、助かった、サンキュー、ミネルヴァ。
つーか、・・・はぁはぁ、どうなってやがるんだ。」
都会じゃ味わえない新鮮な森の空気を何度も吸い込んで、俺は事態の把握に努めていた。
「なあ、魔眼は別の誰かに渡った筈じゃなかったか?」
「はぁはぁ・・・ええ、あれは恐らく、魔術による物です。
はぁはぁ、しかも、神話級の。古来より魔眼と言うの魔術は幾つも伝わっていますが、相手を見た瞬間に直接的で問答無用に死に至らしめるなんて、人間のスペックでは不可能です。」
「それって、ズルいだろ。アイツ、才能だけで伝説級の魔眼を再現しやがったのか!?」
それが本当なら、魔王の『両目』の断片を受け継いだ奴は文句を言っても良いだろう。
とにかく、その効果範囲から逃れたから、こうして俺たちは再び息をする事が出来るのだろう。
呪術の原理をエクレシアから聞いたことが有るが、それを知れば見ただけで相手を殺すなんてどれだけ荒唐無稽か分かる。
視線を合わして相手の存在を確認すると言う行為は、立派な呪術的行動の一つらしいが、そこから発展できる魔術は精々暗示くらいなものらしい。
強力な魔眼は、飽くまで先天的な物に限られるらしいのだ。
呪殺、つまり呪って殺すと言うのは非常に難易度の高い魔術と言うのだ。
なにせ、直接手を下さずに、悪意を持って相手を殺すのだから。
具体的には、こいつ死ねと思っただけで、相手が突如銃殺されるような、何の脈略も無い事柄を事実にするような物なのだから。
それに対策や返し技も多く、リスキーなのだ。
それ故に“偶然”死んだように偽装を施したり、色々と状況を操って負荷やリスクを軽減するらしい。
当然、俺も魔眼に対する対抗策は知っている。
魔族には魔眼を扱う種族も多い、ラミアの婆さま何てその代表格みたいなものだし、サイリスも暗示の強化版みたいなものも扱える。
「魔導書、『青銅鏡の盾』を。」
ならば、『パンドラの書』に、魔眼対策が載っていないはずがないのだ。
―――『了承』 術式『青銅鏡の盾』を展開します。
魔術の名前は『青銅鏡の盾』だが、実際には網膜に薄くコンタクトレンズでも取り付けるような防護膜を形成するだけだ。
『アイギス』の派生の一つで、有名なペルセウスのメデューサ退治に使われる防具の伝承を模して居る。
魔眼の基本は、自分或いは相手が視線をどちらかに合わせることにある。
直接こちらの目を見られなければ基本的に魔眼の効力は半減されるし、こちらも相手を直接見なければ魔眼の影響を受けにくくなる。
同時に、この魔術は副作用として恐怖を感じなくなる。
メデューサの石化は、その姿を見て恐怖に凍りついた者が石に成ると伝えられているからだ。
俺の中から恐怖が消え去り、落ち着きを取り戻す。
「悪い、取り乱した。ミネルヴァ、危ないから下がってろ。」
「・・・うん。」
下がってろ、と言う言いつけを守って遠巻きに俺たちを見るだけだったミネルヴァに、再びそう伝えた。
彼女は素直に頷いて、森の中に消える。
森の中は彼女の独壇場だ。例え魔王が相手でも、彼女は決して捕まりはしないだろう。
「ですが、ズルいのは確かですよ。凄過ぎて嫉妬も起きません。
こちらも防護魔術が甘かった。次は後れを取りません。」
「ああ。」
「しかし、」
続けてエクレシアが何か言いかけた時、爆音が轟いた。
音源は、目の前だった。
「生きるの駄目やって言ったやないか。」
血走った眼でこちらに跳んできて、そこから魔剣の一撃を繰り出す。
殆ど不意打ちに等しい強襲に、エクレシアは反射的に対応した。
三十片の魔剣が彼女の盾に成る様に展開し、エクレシアも手を翳して防護魔術を張った。
目の前が真っ赤に染まる。
フウセンの引き起こす圧倒的な規模の爆撃は、森の一角を消し炭にせんと燃え広がる。
それが収まる前に、俺はフウセンに突貫する。
火炎の先に居るフウセンに、出力最大の雷撃を喰らわせる。
多少なりとも怯ませれば幸いで、出来れば彼女を守る障壁を剥がせれば儲け物だ。
しかし、雷撃は彼女の周囲の空間を流れるようにして過ぎ去った。
そして怯むどころか、フウセンは逆にこちらに向かって斬り込んできた。
「一体どういう障壁なんだよそれッ!?」
まるでこっちのダメージが通らない。
フウセンに攻撃が届かない。
『その障壁の分析が今終わったわ。
典型的な魔力放出の障壁よ。魔力を周囲に発散させて持続的な壁を作り、攻撃を押し退けてるのよ。』
すると、こちらを見ているのだろうクロムの念話が届いた。
『つまり、超力業かよ!!!』
実に分かりやすい防御だった。
さっきの魔力の波動を壁にしているような物なのだ。
『これを破るには、貫通力のある、槍みたいな物で突き刺すとか。面や線の攻撃じゃ意味がないわ。
或いは彼女の魔力放出を上回る連続攻撃で、障壁を構成している魔力を分散させて剥がすしかないわね。』
『でもそれって、ただでさえ濃い魔力を周囲に拡散させることにならないか?』
『ええ。彼女にとっては攻守一体って訳ね。
でも、その為のミネルヴァちゃんでしょう?』
そのまま、今そっちに行くわ、と彼女は言ってきた。
俺はフウセンの斬撃の衝撃に、ブッ飛ばされて、後ろの木の幹に叩きつけられていたので返答は出来なかった。
俺のカバーをするように、エクレシアが前に出る。
しかし、あの圧倒的なフウセンの剣戟の嵐の前に、彼女も防戦一方だ。
「あははははは、死ね、死ね、死ね死ね死ね!!!」
対魔眼専用の防護魔術を使用して居るのに、息が詰まるような感覚に俺は襲われている。
それはエクレシアも同じらしく、すぐに生命活動が停止してはいないようだが、かなり辛そうな表情をしている。
まるで、強制的に高山病になっているように、息がしづらいし頭が痛い。
このまま運動失調にでも陥ったら、目も当てられない。
「死ね、壊れろッ、私の前から消えて無くなれ!!!」
だが、その時異変は起きた。
「―――あぁ!?」
フウセンの、両目から真っ赤な血が流れ落ちたのだ。
血走って赤くなった両目から、血が溢れて零れたかのように。
「いたい・・・・。」
そして、フウセンが頭を両手で押さえてそう言った。
「いたい、いたい、痛い痛い痛いいいぃぃぃ!!!」
大きく頭を振って、自身に訪れる痛みを振り払うようにするフウセンは、見ていて痛々しい。
「やはり・・・。」
険しい表情のまま、エクレシアは今の内に彼女から距離を取ってそう呟いた。
「どういう事だ?」
「あんな強力な魔眼、人間の脳では耐え切れないってことですよ。
最悪、失明どころか脳の神経が焼き切れるでしょうね。」
それは納得が出来る話だった。
見ただけで相手を殺せる魔眼なんて、何の代償も無く扱えるはずがない。
身体はまだただの人間でしかないフウセンが、そんな異常な現象を起こすと言う事の反動は重く大きいのだ。
むしろ、普通の人間なら即死してもおかしくないほどの反動だろう。
人間の認識できない情報を、眼を通して無理やり理解すると言うのはそれほどの苦痛を伴うらしいのだ。
所謂、邪気眼みたいなのがやたら代償やら暴走やら封印やらと設定付けされているのは、何の根拠がないと言うわけでもないのである。
「なるほどねぇ・・・。」
そして、軽機関銃を両手で抱えたままのクロムが漸く駆けつけて来た。
「なんだか変な割り振りだと思ったけど、そう言う事なのね。」
「なにがだ?」
「第二の魔王が言ってたでしょ。魔王の魂を五つに分けたって。
でもその中じゃ、圧倒的に『才能』が有利じゃない? あの魔王の言い草じゃ、お互い殺し合えって言っているようなものだったし。
これだけ圧倒的な才能があれば、魔物の軍勢も魔族の軍隊も物の数じゃないわ。起こるのはただ作業的な虐殺よ。
そんなのあの魔王が望む訳ないじゃい。劇的な展開も、ドラマもロマンも巻き起こらない訳だし。
魔王の力を完全に使いこなすには、他の断片が必要不可欠なのよ。
むしろ、他のどれよりも扱いが困ると私は思うわ。『叡智』で魔術を構築し、『精神』で制御し、魔術に耐えうる『肉体』が無ければ、危険な爆弾と変わらないもの。」
「たしかに、あの魂の割り振りは魔術的な見地から疑念を投げ掛けざるを得ないと思っていましたが、そう言う事ですか。」
二人はそう言って納得したようだ。
つまり、変な風にバランスが取れていると言う事か。
確かに強力な魔眼を魔術として構築できるほどの『才能』はチートすぎるもんな。
だが、今回はその変なバランスが崩れて起こった悲劇だ。
このままフウセンが戦闘不能に陥ってくれたのなら、万事解決と行かなくても何とか誰も大きな負傷も無く終わっただろう。
廃人に成ってもおかしくないだろう魔眼の反動を受けたんだから、気を失っていても当然なのに。
「・・・ああ、そうか。それなら、頼むわぁ・・・。」
彼女は、進化する。
それを示すように、彼女の魔剣の刀身にぎょろりとした生物的な瞳が浮き上がり、こちらを凝視してきた。
それと共に、息苦しさが復活した。
「あれは・・・魔剣が、負荷を肩代わりして、それどころか維持と構築まで自動で行っていると言うの!?」
クロムが息を呑む音が聞こえた。
まるで、俺と魔導書の関係みたいだ。
「まさか、あの魔剣って振る時に補正が掛かるだけじゃなくて、魔術の行使にも補助が掛かるんじゃ・・・。」
自らの不完全さを補うように、強く成る。成長する。進化する。
今まで扱い切れていなかった自らの魔剣を、理解し、使いこなし始めている。
「みんなみんな、死ぬんや。消えろ消えろ消えろ。」
もう、彼女の瞳は元通りの眼球に戻っていた。
血の流れた跡だけが、嘗ての名残を見せる。
まさに化け物。
もはや、人間らしさはどこまで残っているのだろうか。
「ねぇ、今疑問に思ったんだけれど。」
そしてこんな時に、空気が読めない事に定評のあるクロムがポツリと口にした。
「みんな死ぬって言ってるけど、貴女って、死ねるのかしら?」
彼女にしては、ただの生物的な見地からの疑問だったのかもしれない。
だけど、あの魔王は言っていた。
魔王の肉体は、不死身だと。
「知ってる? 魔王の魂って、肉体が滅ぼされた後も、適当な生物に取り憑いて、嘗ての肉体に再構築してしまうらしいのよね。
魂は肉体や精神に影響を受けるけど、人間は流石にそうはいかないわ。
それほどまでに強大な影響力を持つのよ、魔王の魂って。
だから疑問なのよね、今の貴女って、死ねるの?」
クロムの言葉が正しいなら、それは不死身と言うより、不滅だ。
どうして、『盟主』が魔王の力を禁忌としたのが、それだけでも十分に分かる。
あまりにも危険すぎるのだろう、魔王の魂は。
「この場合は文字通りの意味として聞いてほしいのだけれど、貴女ってそのままだとこの後、山無しオチ無し意味無しってことになるんじゃないの?」
そこまで彼女が言って、ああ、と俺は漸く思い当たった。
クロムの奴、フウセンに説得を試みているのだ、と。
・・・・分かり難いわ!!
しかし、当然ながらそんな言葉は今のフウセンに届くはずもない。
「・・・・・・・・・・・・・。」
と、思ったら、フウセンはおもむろに魔剣を逆手に持って、自分の胸に突き刺した。
思わず悲鳴の一つでも上げたくなるような、ショッキングな光景だった。
だけれど、フウセンはポツリとこう漏らした。
「死ななへん・・・。」
と。
血の一滴も流れなかった。
フウセンは、痛みすら感じた様子は無かった。
そこまでの一連の動作を見て、俺は思った。
こいつ、正気だ。・・・狂ってなんて居ない。
いや、一般的に言えば狂ってるのかもしれないが、まだ正常な思考能力が残っている。
いいや、それも違う。
自分を狂っていると思っていないと、彼女は今の自分を受け入れられないのだ。
クロムは多分それに気づいている。
エクレシアも、そう思ったから彼女を救いたいと思ったのだろう。
まだ、引き返せると。
「お前、自分が最後の一人なるまで、続ける気かよ?」
俺は共有認識の魔術を切るように魔導書に指示して、ちゃんとした俺の国の言葉でそう言った。
彼女の魔剣の瞳の所為で息苦しいことこの上ないが、俺は必死に言葉を紡いだ。
「このまま俺たちを殺すのは、お前なら容易いかもしれない。正直手に負えなくなってきているのは肌で感じてる。
だけどお前、そうしたらもう戻れないぜ?
本当に、魔王になっちまうんだぜ? お前を人間だと信じてる奴を裏切って、人間にとって有害な化け物に、本物の怪物になっちまうんだぜ?」
「もう遅いねん。」
フウセンは、今度こそ普通に泣いていた。
ただの人間のように、ごく当たり前に。
「自分でも分かるんよ。身体だけやのぅて、ウチの心まで違う“何か”に変質してるんが。
もう、こんなんウチやない。何でもかんでも暴力で解決するのが一番やって、何かと思うようになっとるんや。
ウチもそう思うのが、楽なんや。だって、そうしたら、ストンと腑に落ちるんや。これが己にとって正しいと思えるんや。」
それが、魔王。
魂は、精神と肉体に影響を及ぼすとクロムはさっき言った。
彼女は恐れているのだ。
自分が、別の何かに変わってしまうのが。
「だから、文句があんなら、あんたらが止めてぇな。
もう、ウチは考えるのが嫌なんや。あんたらを殺せば、もう何も考えなくて済むような気がするんや。・・・・だから、死んで。」
フウセンが、魔剣を振るう。
彼我の空間が黒く染まり、触れる者全てを破壊する光線が薙ぎ払う。
超重力的な何からしい、俺には想像すらできない理論で構築されているだろう魔術攻撃を、彼女は望むだけで行使する。
瞬間的にブラックホールでも発生したかもしれないが、そんな矛盾した現象は瞬時に消滅し、破壊だけを残していく。
「創世期十五章一節―――わたしはあなたの盾である。」
だが、エクレシアが聖書の言葉に隠した術式を発動させる。
彼女の騎士団はこうやって信仰心を確かめながら、魔術を行使する。
黒い空間が届く寸前で、見えない壁に衝突して消えた。
「それは逃げですよ、貴女も分かっているのでしょう?」
あらかじめエクレシアが準備して居なかったら、多分即死だっただろう。
フウセンは、明らかに成長している。
「貴女は、恐れているだけだ。
凶行を行う自分ではなく、他人が貴女を見る目に。」
俺たちを守る為に前に出たエクレシアは、フウセンにそう言い放った。
「貴女は理由をすり替えている。
貴女は“処刑人”として、数多くの戦いを行ってきた事でしょう。
しかし、それとこの理由を同一にして語るな。
もう終ってしまった事に対して貴女は手遅れと言うのなら、それらに対して僅かにでも後悔を抱いて居るのなら、これからの自分に対して悔い改めるべきです。
彼の言ったように、この一戦を超えたら、貴女はもう引き返せなくなるッ!!」
「うるさい、分かった風な口を利くなや。」
だが、フウセンはもう考える事を放棄し始めている。
「文句があんなら、止めてみせろや。話は、それからや。」
「はん要は、ただ一言だけ、お前はこう言いたいだけだろ。」
俺はフウセンの前に躍り出て、負けるのを承知で魔剣の軌道を邪魔するべく鍔迫り合いを挑んだ。
「―――――助けてください、ってな。
ここは世界の中心じゃねーから、恥ずかしがらずに叫べよ!!!」
「古いわッ!!」
初めて関西人にツッコミされた。
いや、今は真面目な話だろうがよ。
「お前は誰からも見捨てられたわけじゃねーだろうが!!
何度も言わせんなッ!! お前は、自分から、本物の、化け物に、成るつもりかよッ!!」
言い終わるのと同時に、俺は押し返された。
赤子の手を捻る様に押しのけられ、腹にワンパンチ、ボディーブローを喰らった。
「あんたやって、もう分かっとるやん。
ウチがもう、心の底まで化け物やってことを。」
耳元で、囁くようにそう言われた。
言い返そうにも、俺の身体は腹からくの字に曲がり、肺から全部息を吐きだしている。
「だから、助けてなんて上等なことは望まへんよ。
ただ、止めてぇな。あんたらがウチを壊して止めても、ウチがあんたらを壊して進んでも、もう考えなくて良い事には変わらんからな。」
その言葉を聞いて、俺は理解した。
もう、彼女は諦めている。
無気力と言っても良い。
この世界の不条理と、悲しみから逃げる為に。
「ああ、止めてやるよ。」
そう口を開いて、そう言えたかどうかは分からないが、俺はそう言った。
「うーん、つまり、ブッ飛ばせば良いのね。
シンプルで良いわ。シンプルイズベスト。偉い物理学者も、物事は可能な限り単純な方が良いって言ってたし。
私、現実の問題はごちゃごちゃとした面倒なことより、こういった単純な事の方が好きよ。」
そして空気なんて読まないクロムは、軽機関銃を発砲する事に躊躇いなど無かった。
おい、俺がフウセンの目の前に居るんだぞ!!
火薬で熱せられた弾丸が赤いレーザーのように飛来する。
凄まじい連射力でフウセンの障壁をごりごりと削り、ただの魔力へと霧散させて行く。
それはまるでミニガンみたいだ。
俺は以前、三十ミリの機関砲が試射されている動画を見たこと有るが、あれはコンクリートの建造物が爆撃に遭ったみたいに木端微塵になっていた。
それに遜色ない破壊力だった。
「ハチの巣にされて生きてられるのかしら、あはははは!!
映画みたいに全部の弾丸を叩き切ってみたりしてみなさいよ!!!」
こいつやっぱりバカなんじゃねぇの!?
こんなの人間相手に使うもんじゃねぇだろ!! 戦車隊でも相手にするのかよ、ってなぐらいのオーバーキルを齎す兵器だった。
しかし、竜の鱗も削り落とせる、と豪語していたライトマシンガンの威力は、フウセンの見えない障壁が徐々に押されて彼女の元へ近づいている。
フウセンも反則だが、こっちの威力もふざけてる。
流石のフウセンも、命の危機を感じたらしい。
俺を突き離して、その場から離れた。
だが、彼女を追う魔弾の掃射はある程度クロムが射線を合わせるだけで、まるで生きているかのように曲がってフウセンに喰らい付く。
なにあれ怖い。
俺は絶対本気のクロムの敵に回したくないと心底思った。
フウセンも避け切れないと悟ったのか、魔剣を振るって超高密度の魔力の斬撃を放った。
その直後、魔力の塊が炸裂する。
目の前が瑠璃色一色に染まった。
それが、衝撃波となって飛んでくる。
ミネルヴァが頑張ってくれているのか、俺達に届く前に魔力が清浄化されて沈黙した。
そこにフウセンの姿は無い。
「ちッ、こっちの弾道補正のジャミングに魔力の密度を上げるなんて、改良が必要かしら。」
「お前は一体何と戦ってるんだよ。」
SF小説に出ても大丈夫そうな兵器なんか作りやがって。
「ですが、攻めるなら今です。
放出系の魔力障壁の復元と展開は簡単ですが、その分術者に負荷が大きい。あれほど削られて平気なはずがないでしょう。」
「じゃあ、予定通りに。」
クロムが一足先に森の中に入って行った。
俺とエクレシアは、フウセンを追う。
そしてすぐ見つかった。あれだけ濃い魔力を追うのは簡単だ。
遮蔽物の多い、木々の密集地帯に彼女は居た。
良い判断だが、こう言う森林地帯での戦い方は慣れ必要だ。
魔物狩りで慣れてる俺はともかく、現代暮らしだろう彼女がこの地の利を生かせるとは思えない。
と、思っていたら、根本的に間違いだった事に気付いた。
この直後に俺たちが体験したことを一言で表すなら、大地が捲れた、である。
海を森に置き換えて考えてほしい。
そこで津波が起こったのだ。
そう。木々や草花、土が、まるで本のページのように、畳を裏返すかのように、捲れあがって、襲いかかってきたのである。
轟音と共に、大地が揺れる。
「もう笑うしかねーや。」
「笑ってる場合ではありません!!」
俺たちは反転して、土砂や木々の落下から逃げる。
後ろで凄まじい音が聞こえるが、どうなっているのか考えたくも無い。
「往生際が悪いわぁ。」
だが、そんな馬鹿げた攻撃も、ただの目くらましに過ぎなかった。
土砂の津波の中から、瑠璃色の魔剣が伸びて来た。
形状は、超巨大な鋏だった。
俺たちを左右から、真っ二つにせんと大きく広がり、閉じる!!
「伏せろッ!!」
俺達の胴体を狙っているのか、伏せればどうにかやり過ごせるだろう。
鋏を飛び越えると言う手もあるが、ジャキンジャキンと何度も開閉する鋏を思い浮かべて、それは悪手だ。
土砂に押しつぶされるかもしれないが、胴体真っ二つよりかはマシだろう。
俺はエクレシアの手を引いて、地面に倒れ込んだ。
頭の上を刃が木々を巻き込んで通り過ぎる。
「みんな、おねがいッ!!」
そして、危うく土砂に埋もれる所を、ミネルヴァが土砂の津波を止めてくれた。
文字通り、止めたのだ。俺達の真上で今にも落ちそうになっている。
ナイスアシストだ。
「やっぱり、クロムの言ってた通り、ここじゃ勝ち目無いな。」
「・・・・ええ。」
しかし、幾ら俺たちが囮だとは言え、状況はジリ貧だ。
結局、打開策を持っているアイツ頼みなのだ。
「早よぉ楽になれや。」
停止した土砂を切り開いて、フウセンが歩み寄ってくる。
そして、そのまま魔剣を振り下ろす。
伏せたままの態勢でそれを避けるのは至難の業だが、俺は避けられた。
俺の纏っていた黄色いマントの端が、まるで生きているみたいに地面を押して俺の体を反転させ、無理やり立ち上がらせてくれたのだ。
そう、このマントは生きている。
触れば分かるが、微妙に脈打っているし。
気持ち悪い事この上ないが、このマントは可能な限り俺の身を守ってくれるよう動くのだ。
何かの戯曲の話をモチーフにしているらしく、風の力も纏っているらしい。
クロムは何て言ってたっけ、確か黄服の王だかなんだか。
詳しい事は知らない方が良いと教えてくれなかったが。
ともかく、それのお陰で俺は何とか彼女の魔剣の一撃を、こっちも魔剣を使って弾く事が出来た。
エクレシアは俺と違って流れるように立ちあがっている。
俺もあんな風になりたいものだ。
「もう、いい加減―――。」
死ね、とフウセンは言いたかったのだろう。何度も彼女は言って来たのでわかる。
しかしそれは叶わなかった。
村の方から凄まじい閃光が迸ったと思うと、彼女の障壁に直撃した。
「ぁ――――!?」
一秒にも満たない間だが、何か青白い光の球体みたいなのが、フウセンの魔力障壁に阻まれたのが見えた。
それは、ほぼ一瞬で彼女の障壁を食い破り、驚愕に目を向くフウセンの左肩に直撃し、そのまま後ろに飛んでいった。
擬音で言い表すのなら、ちゅどーん、とこの第二層の箱庭の外周の“壁”が粉砕された。
かなり“壁”に近かったらしく、そこには青々とした美しい海が広がっていた。
だが、俺の目の前は真っ赤に染まっていた。
フウセンの左腕が、今の閃光で引き千切られたのだから。
「あ、あぁ!? ああああ!!!」
あまりに強力な一撃はフウセンを地面に背中から叩きつけたが、すぐに彼女は自分の状態に気付いた。
「あはははははは!! どうよ、どうよ!!
私が開発した、レールキャノンの威力は。ほぼ光速で射出されるプラズマ弾は、核シェルターだって紙切れ同然よ!!」
そして一人で大笑いしながら、クロムの奴が現れた。
そのプラズマ弾が過ぎたらしい、弾道上はマグマのように地面が赤く煮えたぎっているのが、そのイカレた威力の程度を示している。
もう完全にSFじゃねーか!!
どうやら、これの準備をする為にあの小人の軍勢を村に置いてきたのだろう。
作戦は概要だけしか伝えられてないから、まさかこんなものまで持ちだしてくるとは思わなかった。
「流石に魔王に通用する兵器なんてこれくらいしかないから準備に手間取ったわよ。
なにせ、今のは嘗て魔王の使っていた魔術を再現して居るんだから、かなり効いたでしょう?
次は腕一本じゃ済まないわよ。降参するなら今のうちよ。」
自分の兵器の齎した結果に実に楽しそうにクロムは言った。
このままでは彼女一人が悪役になりそうだからフォローさせて貰うと、この時彼女はフウセンが失神する事を狙っていたようだ。
流石に腕一本吹っ飛ばされば、人間痛みで気絶する。
あの時フウセンの動きは止っていたし、狙おうと思えば彼女の急所を撃つ事も出来ただろう。
しかしそうは成らなかった。
彼女は、予想以上に人間から掛け離れていたのだ。
だが、それで駄目なら今クロムが言ったように脅すしかない。
今まで、今回のように決定的な負傷などした事など無いであろうフウセンに、自分の体の一部が引き千切られると言う事実は衝撃的で、心折れるものに違いないのだから。
そして、今までの彼女の余裕は全て、自分の才能に絶対的な自信に裏打ちされていた。
事実、彼女は本気になれば、ほぼ無敵に近い状態に成る筈だ。
しかし、今の一撃はその根幹を破壊する物だ。
自分は一方的に狩る者ではなく、天敵が確かに存在するのだと、教え込ませられたことだろう。
結果的に、これ以上痛い目に遭いたくなければ、降参しろ。
そういう流れに成る。
それを、俺は非難する事は出来ない。
程度の違いはあれ、俺もエクレシアも、彼女を痛めつけて止めようとしていたのだから。
だが、クロムに唯一誤算が有るとするのなら。
「あ、あああああ、あああああああ、いた、いた、痛い痛い、痛い痛い、痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃ!!!!
ウチの、ウチの腕がああああああああああぁぁぁぁ!!!!」
――――彼女の精神が、まだ余りにも人間らしさを残していたと言う事だろう。
それは、ごく普通すぎる反応故に、異常に身を置く俺達の誰もが予想を超えた事態だった。
要するに、フウセンは想像を絶する痛みに錯乱して居るのだ。
そして、片腕が無くなるなんて、戦う者なら当たり前のように起こりうる事象が、まるで想像していなかっただろうフウセンは、その恐怖に混乱している。
ある意味で、今までで一番厄介な状態になってしまった。
「ちょ、えッ、痛覚の遮断くらいできないの?」
そして一番頭の良い奴はこの予想外の展開に困惑していた。
「本当なら、ここで私の出番なのですが・・・。」
エクレシアは苦渋に満ちた表情をしていた。
彼女の気持ちは、それこそ痛いほど分かるのだろう。
だが、彼女も容易に近寄る事は出来ない。
なにせ、フウセンは混乱してめちゃくちゃに魔剣を振り回しているのだから。
今の彼女は、完全に理性を無くして居る。
いつ魔力の波動がきてもおかしくはないのだ。
「おい、こんなの予定に無かったぞ。」
「え、だって、自分の作った兵器がどんな感じか見てみたいじゃない。相手は最高の的なのよ!?
それにほら、事実通用したじゃない!! ここは凄いって褒め称える所じゃないの!?」
少しでもこいつを擁護しようと思った俺がバカだったよ!!
俺が思った事は殆ど事実だろうが、こいつは素でこんな奴なのだ。もう諦めた。
エクレシアにして、もう個性として受け入れるしか、と言わしめるほど、煮ても焼いても食えない性格なのだ。
「つーか、魔王に関する事柄ってタブーじゃなかったのかよ。
魔王の使ってた魔術なんか使っていいのかよ。」
「師匠に頼んだら、実演してくれたわよ。」
「おいぃ!!」
色々と突っ込みたい所はあったが、俺が何か言う前にクロムは続けた。
「きっと魔王はこんなに危険だからもう禁忌に触れるな、って言いたかったんでしょうね。
師匠も分かって無いわねぇ、私がそんなことに頓着する訳ないじゃない。」
「お前最ッ低だなぁ!?」
こいつ、一回死んだ方が世の為なんではなかろうか。
あ、俺が一回殺したか、こいつ。
馬鹿は死んでも治らないと聞くが、それは本当らしい。
「あ、そう。じゃあ貴方一人であれを何とかしてみなさいよ。」
「ぐぬぬ・・・。」
まさかこんなセリフを言う日が来るとは思わなかった。
「危ないッ!!」
そして、こんな事を言いあっている場合でも無い。
空間が、揺れた。
震源地が無い上に、空中も揺れた。
世界が、揺れている。
「ひっぐ・・・うぐ、嫌いや。
あんたら、みんなみんな、嫌いや。大嫌いや。」
魔剣を持つ右手で、フウセンは涙をぬぐいながらそう言った。
「ウチの、ウチの腕、返せ、返せ、返せぇええええ!!!」
おい、フウセン。
お前まさか、気付いてないのか?
お前、今引き千切られたはずの、左腕が、生え換わってるんだぞ?
淡い瑠璃色の、異形の左腕が。
まるで、今までの腕など、必要無いとでも言うように。
必要に応じて、生物の常識を超えて、進化する。
そして、その魔手に青白い光が集まって行く。
「げッ」
クロムは、咄嗟に森の中に呪符を投げ入れた。
その直後、さっきの意趣返しとばかりに、全く同じプラズマ化した超高速の魔力弾が彼女に直撃する。
ほぼ初速に等しかったし、その凄まじい熱量は俺にも伝わってきた位だったから、彼女の肉体は塵すら残らなかった。
こいつ、あれを“覚えた”のか!?
どんな術式か理解して居ないだろうに、見ただけで、その魔術を再現したとでも言うのか!?
有り得ない。
ふざけてやがる。
そして、あの腕は、魔術を扱うに最適な腕なのだろう。
魔王、という単語が頭を過ぎる。
魔を統べる、王。
・・・・魔術の、王。
「・・・・なにしろ、予定通りです。」
そう言ったエクレシアは、殆ど苦し紛れだった。
「こっちですよ。」
エクレシアが、自身の魔剣に口づけを落とす。
三十の断片が彼女の周囲に散らばり、今までクロムに抱いていた憎悪が、彼女に移行する。
「あんたも、嫌いやあああああぁぁぁぁぁ!!!」
青白い閃光が、再び彼女の左手に集まる。
バチバチと異音を立てて、電光が舞う。
それが放たれる前に、エクレシアはなんとさっきの砲撃で空いた“壁”の穴に飛びこんだ。
直後に、彼女の居た場所にプラズマ弾が過ぎ去っていく。
「にげるなぁあああああああああッ!!!!」
フウセンも、叫びながら後を追う。
作戦はこれでほぼ完了した。
「上手くいったわね。」
すると、草木の中から枝葉まみれになったクロムが這い出て来た。
「お前ってきっとゴキブリより生命力有るのかもな。」
「呪符の展開がコンマ一秒遅れたら即死だったわ。」
彼女は咄嗟に変わり身の術みたいな魔術を使って、逃げ延びたのだ。
「お膳立ては整ったわ、いよいよ決戦ね。」
「やっと防戦が終わるのか、いや、これからが本番だな。」
フウセンは分からなかっただろうが、あのプラズマ攻撃を喰らう直前、クロムは笑っていた。
自分の作戦の成功を確信したからだ。
直径百キロ高さ一キロの円柱とは言え、この第二層は極めて広大な密室なのだ。
非常に魔力が滞留しやすい。
だが外は、“壁”の向こうは海なのだ。
そう、太平洋。世界で一番広い海が広がっている。
しかも今日は風が強い。
魔力を武器とする魔王フウセンに対抗するには、魔力の濃度が高く成りにくい戦場は、大前提なのだ。
漸く、五分五分の戦場だ。
「これを、貴方に渡しておくわ。」
「なんだこれ?」
渡されたのは自動拳銃に見えたが、根本的に構造が違うようで、見慣れない形をしている。
「中には注射針と薬剤を封入した弾丸が入っているわ。
それを射出して、彼女に当てて頂戴。これを受けたら確実に彼女は戦闘不能になるわ。」
「・・・・毒物じゃないよな?」
「まさか、天然由来の厳密には毒性の無い物質を使っているわ。最も安全に彼女を鎮圧できるのは、この方法しかないと思うわ。。」
「・・・まあいい、あんたはともかく、あんたの道具には信頼してるからな。」
「なにを言っているのかしら、私自身も道具なのよ。」
時間も無いので話半分に聞き流したが、その時のクロムの表情を見ていたら俺は絶句していたかもしれない。
「それより、エクレシアも待ってる。行こうぜ。」
「ええ、早く終わらせましょう。これ以上、あんな哀れな人間は見てられないわ。」
クロムにしては、何とも意外な言葉だった。
「なによその顔。私だって女の端くれよ。
私自身、或いは他の誰かを女性としての尊厳を奪うような真似は誓って決してしないわ。絶対にね。」
心外だと言わんばかりの態度だった。
「でも、それ以外の事は平気でするんだろ?」
「あらら、貴方ってもしかして師匠より私の事を理解して居るかもね。」
・・・やっぱりこいつ、冗談抜きで最悪だわ。
俺たちは、“壁”の穴から、海上へ飛び込んだ。
マントがなびいて、自由落下が安定した降下へと変えてくれる。
クロムが用意してくれたブーツが、虚空を大地と同じように踏みしめる事を許してくれる。
俺の思う通りの場所を踏み締めることができる。
俺は空を歩いている。
だが、クロムの奴は何だか背中に鋼鉄製の翼みたいなスラスターを背負って、火を吹きながら飛んで居やがった。
ちょ、このやろ、格好良いじゃねぇか。
ズルイぞ、俺もそっちの方が良かったんだけど。
一方、エクレシアとフウセンは海面上で斬り結んでいた。
俺は頭から落下する姿勢で彼女らの元へ向かう。
「待たせたッ!!」
「大丈夫です、少し時間を稼いでください!!」
「分かったッ!!!」
エクレシアは何かをするらしく、自分から前衛を任せて後ろに下がった。
「うあああああああぁぁぁああ!!!」
全身海水でびしょ濡れのフウセンが、泣きながら魔剣を振るう。
衝撃で海水が飛び散る。
左腕からプラズマ弾を形成しようとするが、びしょ濡れのフウセンはそれで感電しているようだ。
しかし、それでも彼女はお構いなしだった。
膨大な熱量の青白い閃光が、迸る、
海面上より僅かに高い位置を足場に戦っていた俺は、咄嗟にマントが俺の行動を調整して、絶妙な位置でプラズマ弾を回避する。
避けるだけで焼けるように熱い。
実際火傷していたが、内功の自然治癒で今は我慢だ。
プラズマ弾は水面に命中し、爆発的な水蒸気を生み出した。
チャンスだった。
水蒸気の周囲を埋め尽くし、この辺りの魔力が更に薄くなる。
そこに、空中で待機していたクロムが上空から軽機関銃で銃撃を加える。
「うああああああああああ!!!!」
魔弾の嵐に削られる障壁の音に恐怖を覚えていたのか、フウセンは振り払うように左腕を振るった。
「うえッ!?」
異形の腕が、クロムを掴んだ。
殆どその過程を無視していたので、俺はどうやって彼女を掴んだのか分からなかった。
だって、物理の常識を超えて、ひっ捉えたのだから。
そして、これを助けたのは、エクレシアだった。
この時彼女は、いや、俺に前衛を託した直後に彼女は、このような念話をしていた。
『エクレシア、聞こえるか。私だ。』
念話の相手は俺も何度か話に聞いた事のある、マスター・ジュリアスという人物からだった。
彼女は俺に前衛を頼んでから、返事をした。
『はい、こちらエクレシアで相違有りません。』
『良し、繋がったか。座標特定までは簡単だったが、中々繋がらずに四苦八苦していた所だ。
話は『カーディナル』から伺った。いや、殆どの情報をぼかされたが、お前がいま強大な敵と戦っているのだと言うのは分かった。
恐らく、悪魔にでも匹敵するような敵なのだろうな。それも、我ら騎士団を総動員するほどの、邪悪な敵ということか。』
『いいえ、違います。マスター・ジュリアス。
私の戦っている相手は救いを求めています。決して邪悪な存在ではありません。自分を見失っているだけなのです。』
『そこでの全権を任されているお前がそう言うのならば、そうなのだろう。
私はお前の信仰心を疑ってはいないから、素直にそれを信じよう。』
『・・・ありがとうございます。』
『礼など要らない。当たり前の事だからな。
こちらはお前を手の空いている騎士団総員でバックアップする準備が出来ている。グレゴリオ聖歌隊も総動員だ。
今、『カーディナル』が、耳が有る者は聞け、と世界中の信仰心厚い信者たちに呼びかけ、祈りを集めている。』
『なんという・・・。』
その想像以上の規模に、エクレシアも絶句したらしい。
『そのような事が可能なのですか?』
『先日の悪魔退治の一件の全権限を教皇から得ている。これもその延長と言う事にするらしい。
どういう状況かは知らないが、直接的な支援をするなと言われたからな。お前を媒体として“聖域”を形成する。
一応聞くが、お前が主のように奇跡を起こすように見せかけ、人心を集めるなどと言う下らない目的では無いだろうな?』
『誓って、そのようなことではありません。』
『飽くまで確認だ。これから支援を行う儀式魔術は、そう言う物だからな。屍の山を築いて、成しうる奇跡はなど神と聖書の中だけで十分だ。
恐怖と強制の中での野蛮な信仰など、神が望むべくもない。そう言うのも聖書の中だけで十分だ。』
『・・・はい。』
その時エクレシアは、マスター・ジュリアスの言葉に感極まっていたようだ。
『では、『カーディナル』の言葉を伝える。
これより己の預かる全権限を持って、“聖戦”を発令する。
地上の、耳が有る者は聞け、我々は今、この地上で無辜の民を守るべく、脅威と理不尽と戦う同胞たちの為に、ただ神に祈れ。
誰をも殺す事なく、何をも略奪する事無く、ただ信じ、ただ祈る者たちを守るために戦う同胞の為に、祈れ。それが我々の行える聖なる戦いだ。
これを聞く、ただ神を信ずる者たちよ。この言葉を聞けた事は、すぐに忘れるだろう。しかし、私が覚えていよう。
この世界に済む我々の声が、まだ神に届くのだと、私が覚えていよう。
人の全てを賭けて戦う仲間の為に、同胞達よ、ただ神に祈るのだ。これは、“聖戦”。人類総算の戦いだ。
人が人たる故の、それを証明すべく戦いである。――以上だ。』
そう、伝えてからマスター・ジュリアスは、気に入らないな、と呟いたと言う。
『まるで、自分が使徒か何かみたいな振る舞いだ。
所詮我らは一介の魔術師に過ぎないと言うのに。
私は素直に『カーディナル』を尊敬してはいるが、その一点だけはどうしても、気に入らない。』
それは、彼を知るはエクレシアにとって意外な、ただの愚痴だった。
『勝て、エクレシア。これはお前だけの戦いでは無い。
人類の信仰の盾と成り、その全てを背負って絶対の勝利を齎す、我ら騎士団最強最高の戦略級儀式魔術、“聖戦”だ。
お前はその大義を持って、お前の認めた敵を駆逐しろ。』
『ええ、ですが、私の前に敵はいません。』
『では、お前の認めた不義理や不正義を滅ぼせ。
前を向けない奴がいるのなら、引っ叩いてでも正すのだ。神は我々の拠り所だが、幻想として縋るだけの者に救いは無い。』
『承知して居ます。』
『ならば、行け。今は、お前が人類の全てだ。』
その言葉に、エクレシアは重みを感じなかったらしい。
人類すべてが双肩に乗っていると言われても不思議とプレッシャーや重圧を感じなかったという。
なにせ、この“聖戦”は発動そのものが、勝利フラグみたいなものだから。
もう、彼女にとって勝ちは確定して居るようなものらしかった。
ここだけ聞けばなんのこっちゃ、と思うかもしれないが、それには当然理由が有る。
そして、時間はクロムが捉まった所に戻る。
今にも魔力をプラズマ化させてクロムの奴が塵に成ると言う時に、フウセンの異形の腕が半ばから断ち切られた。
エクレシアの剣から放たれた真っ赤な炎が、それを切り裂いたのだ。
拘束から解かれたクロムはすぐに空中で態勢を立て直した。
エクレシアを中心に静謐な空気が広がっていた。
何ものにも侵しがたい、絶対的な静寂が。
ミネルヴァの持つ清浄な空気とは違う。
あれは自然なものだが、これは違う。一切の不純物を許さない、清廉で潔白な、聖なる空間だった。
それを見た時、俺は思わず胸元にあるエクレシアに貰ったロザリアを握りしめていた。
負ける気などもう、微塵もしなくなった。
「嫌い、嫌い嫌い、嫌い、大嫌いッ!!!」
フウセンが、新たな左腕を失って、重心がずれてふら付いた。
それでも、彼女は魔剣を振るう。
水蒸気を押しのけて、高密度の魔力が衝撃波と共に広がる。
だが、それが燃える。
フウセンの魔力が、燃える。
エクレシアの炎によって、何の意味も無くただ枯渇する。
そうして出来た隙に、クロムが軽機関銃の銃撃を叩きこんだ。
同時に、エクレシアが炎を放って、障壁から削られた魔力を燃やす。
「なに、これ、どうなって・・。」
フウセンの圧倒的な魔力が、全て無意味と化していく。
彼女の魔力が現象に成る直前に、燃やされて、意味が無くなる。
これこそ、彼女の騎士団に伝わる最強の呪詛。
その名も『聖絶』だった。
詳しくはレビ記の二十七章に記載されていて、神に捧げて、その一切の使用を禁ずると言うものだ。
その対象が人間なら必ず殺し、邪悪な神を崇めるなら剣と炎を持って滅ぼして、神に捧げる。
つまり、この世から切り離されて、使用不可に成る。
そしてこの魔術の対象は、現象にすら及ぶ。
一言で言えば、反則だった。
チートである。
“聖戦”と言う圧倒的に限定的な状況下でしか使用できないが、使用出来ればほぼ負け無しの必殺の魔術だった。
「今よッ!!」
クロムが叫んだ。
そして、魔力障壁の全てを剥ぎ取り、魔力を燃やし尽くして、今フウセンは丸裸だった。
決めるのは、俺だけしかいないようだ。
エクレシアはいま手加減などできないし、クロムの手持ちの武器はあのバカみたいな威力の軽機関銃だけだ。
俺は、水面上を蹴って、フウセンに肉薄する。
「来るな、来るなッ、あんたらなんて、嫌いなんやあぁぁ!!」
片腕が無く、重心もままならない状態でも、彼女の魔剣は的確に俺に向かってきた。
だけど、それは今の彼女の状態で的確、と言う意味だ。
まともに剣が触れない状態での的確な一撃など、所詮悪あがきに他ならない。
あっさりと、俺は彼女の手から魔剣を弾き飛ばした。
俺は同時に、俺の手にしている魔剣を捨てて、指を彼女の身体に突き立てた。
「あがッ!?」
フウセンが、苦痛に呻く。
当然だ、急所を衝いているんだから。
所謂、点穴と言う技だ
経脈を衝いて、魔力を動かす為に必要な循環経路を遮断する。
本来なら俺なんかが扱える技じゃないし、使うのも恐れ多い中国武術の奥義だが、今回ばかりジャンキーの奴に後輩の不始末の為に使用させて貰う。
フウセンは、成す術も無く海の中へと倒れ込んだ。
もう、彼女は抵抗すらできないだろう。
幾ら進化しようが、人体なら構造的にすぐ動かすのは無理なのだ。
「俺の・・・俺達の勝ちだよ。駄々っ子は終わりだ、魔王。」
そして、俺はクロムから渡された拳銃で、彼女の動脈を撃った。
ぷすっ、と圧縮された空気が解き放たれた音がして注射針が飛来し、彼女の肌に突き刺さり、中の液体が彼女の体内に入り込む。
「あ、あ、あああああああああああああああああああ!!!」
その直後、彼女の全身から膨大な量の魔力が波動となって解き放たれた。
咄嗟に、エクレシアがその魔力を燃やす。
だが、今回は物理的な衝撃を伴うような類の物では無かった。
すぐに、彼女の魔力は収束した。
ただ、フウセンが気を失って海水に浮かんでいるだけだった。
あの瑠璃色に染まっていた髪の毛も、黒髪に戻っている。
そして、千切れた左腕から、血が流れて海を赤く染める。
「おい、一体、なんなんだよ、今のは・・・・。ぶっちゃけ、かなりビビったぞ。」
俺はクロムの奴を咎めるように睨んだ。
「ただの強制覚醒薬よ。」
「なんだそれ、麻薬か何かか?」
「違うわ、竜の血の効力を分析して作った、自分の才能を強制的に目覚めさせる秘薬よ。
強制的な覚醒に伴って、まだ完全じゃない未熟な肉体が耐え切れず、・・・・ほら、彼女は気絶したじゃない。」
クロムは何の悪びれもせずにそう言った。
「だけど、それって・・・・。」
「このまま覚醒が終了するまで、あの調子で居させる気?
徐々にではなく、目覚めた時に急な変化が有った方が自分を受け入れられるかもよ。少なくとも、錯乱したままよりはずっとマシよ。」
疲れた表情で言うクロムに、こいつに振り回された俺は何も言えなかった。
一度眠れば、確かに多少は落ち付くだろう。
問題を後回しにしただけとも言えるが、少なくとも悪化はしないだろう。
ちゃんとフウセンは倒したんだから。
「とにかく、私達の勝利です。いえ、人類の勝利です。」
エクレシアはフウセンに止血を施しながら、そんなむず痒いことを言った。
この後、俺は本当にその通りなのを知ってビビるのだが、それは今関係ない話だった。
「みんなーーーー!!」
するとその時、ミネルヴァの奴がピーターパンさながらの空中浮遊をしながら、俺に飛びついて来た。
「みんな、みんな、だいじょうぶで、よかったぁ!!!」
ミネルヴァは涙を目に溜めて、俺の体に顔を埋めてそう言った。
ちょっとロリコンでも良いかな、なんて思い始めたのは秘密だ。
ともかく、こうして一連の騒動の大部分は、こうして終わった。
同時に、俺たちは誰も知らない人類の英雄になった。
きっとこれからも、この事は誰にも知られないのだろう。
だけど、それで良い気がした。
なにせ、俺らがやったのは聞き分けのないガキをぶん殴って黙らせただけの、ただそれだけの話だ。
偉業に成るような事は、何一つとしてない。
これは奇跡でも何でもない、ただそれだけの話なのだ。
それに、本当の波乱は、これからなのだから。
魔剣百科事典コーナー
魔剣:「ヴァイデューリァ」
所有者:フウセン (風間千明)
ランク:SS
特徴・能力。
幻想剣。ラピスラズリの原石を削って作ったような、オーソドックスなロングソードの形状をした魔剣。
魔力と全く同じ性質を備えている為、本来はもっと薄く白い。
持ち主の意思に応じてその形状を変化させ、最も効果的になるだろう攻撃を自動的に繰り出す事が出来る。
魔術を行使する上でも、持ち主がどうしたいかを読み取ってそれを現実にして発動する。
また、それが持ち主の技量にそぐわなくても、この魔剣自体が魔術を行使する上で的確な形状に変化して対応する。
まさしく万能な能力を秘めた魔剣であり、その代わり完璧に扱うには非常に高度な技量を要求され、それが出来なければ魔剣に振り回される。
普通の剣の形は、フウセンのごく一般的な普通の精神が反映されている。
様々な力を発揮するこの魔剣の能力は、彼女の魔力のように膨大な可能性の広さを示唆している。
※一話の文字数最長を更新してしまいました。
ところどころ会話が入って見にくい上に盛り上がりに欠ける内容になりましたが、三章最大の山場はここで終わりです。
この三章は次の話で終わりですかね。
もうすぐ実家に帰るので、出来れば次をあげてからすっきりした気持ちで帰郷したいです。
実家じゃ話を書く気分になれないので。