表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
三章 祈願祭へ
51/122

第四十四話 魔物掃討作戦 後篇



『黒の君』は語る。



「僕も遣り直したい過去とかってあるのよ。

例えばほら、僕ってこの地球を何千年も前から魔具の観察実験場にしてたからさ。その場の勢いで作って放り投げた物もあるわけよ。

これは酷いってネーミングの物もあればさ、ぼくのつくったさいきょうまぐ、みたいなのもあるわけよ。いやー、恥ずかしい。

でもさ、僕の故郷が滅びるから助けてーってだいたい千年前に馬鹿弟子に泣き付かれた時に、ここを紹介したのは正解だったね。

思った通り、僕の実験道具に右往左往してくれちゃってたりしてさ・・・。絶対そのうち全部の魔具が連鎖反応でドカンってなると思ってたんだけど、中々どうして粘ってるみたいなんだよね。

あ、これオフレコね。僕は滅びを迎える故郷の同胞達を救う為に善意でこの星に逃がしたって設定なんだからさ。あははははは。」

「いや、流石の私もその話はちょっと引きますよ。」

「え? あ、うん、出来心だったんだよ・・・ごめん、その、嘘だからね?」

「・・・・ぼくのつくったさいきょうまぐ。ぷくく」

「あう・・・・すごく死にたい。かつて今この時ほど、自分が不死身だったのが恨めしいと思った事はあるだろうか・・・。」


              いつかどこかでのある少女との会話より抜粋。











時間と言うのは、自分が窮地に陥っていると長く感じる物であると言うのを実感していた。



現在、俺と隊長は旦那に召喚命令を受けて本陣の仮設テントにやってきていた。

そこで俺は山の上で見た光景の説明をすることになったのだ。


勿論、ワイバーンに関する任務の報告と併せて。



「なにはともかく、無茶な任務を完遂ご苦労だった。礼を言う。」

と、旦那から労いの言葉を頂いた。



俺達が山から本陣までの道中には既に魔物の反撃が始まっていたようで、俺達としても気が気ではなかったが何とか持ちこたえているようだった。

どうやら、こちらの伝令によって戦略が見直されたらしく、ギリギリで対応し混乱せずに済んだのが大きかったらしい。

そして相当クラウンの奴が暴れたようで、そう言った要因が重なりこちらの損害はほぼ軽微らしいので安心した。


しかし旦那の話によると、他の村の連中の中には半壊し撤退を余儀なくされたところもあるようだ。

そして、今回の魔物の反撃が組織的なものであり、魔王が指揮しているのではないかという噂も流れ始めている。



俺達はそのことについて話し合ったが、結局俺達の知恵ではどうにもならず、ラミアの婆さまを呼ぶことになった。

旦那としてもそれは不本意のようらしく、隠居中の非戦闘要員の助力を得るのは心苦しいようだった。


苦境故に仕方ないが、無理を押してエクレシアに尋ねてもこの状況に関するだろう有力な情報は得られなかった。




「まあ、何かしらの指揮系統が有ると言う事はもはや疑う理由も無いじゃない。だけどそれについて今考える時間は無い。

だったらそれを含め魔物どもをどう効率的に排除するかどうか、考える方が建設的だよ。」

結局、クラウンのその言葉が結論となった。



「では、主力部隊で偃月陣を敷いて斬り込み中核とし、他の部隊を随伴として側面と後方の防御と足止めに尽力させ、後方から弓兵部隊の射撃を浴びせる方針で行くか。」

旦那は自軍と魔物の勢力図を見て、そう呟いた。


ちなみに偃月の陣形とは「Λ」みたいな感じで部隊を展開する攻めの姿勢だ。



「及ばずながら、この状況で攻めに転じるのですか?」

「勿論後退しながらだ。それにうちの連中に長期戦を見据えた防衛戦が出来ると思うか?

多くの種族の集まりよる部隊となればお前達のように多様性に富むが、反面に組織的な結束力が落ちるものだ。

故に基本的に同族同士で部隊を組む物だが、今回はそこまで想定できていない。今からそれをやるには時間が掛かり過ぎる。

だったら得意なやり方で守るしかあるまいよ。」

旦那の戦略に隊長は疑問を呈したようだが、それは長年あの多種多様な種族を纏めてるだけあって理路整然としていた。



「なるほど、出過ぎた真似をしました。」

「ホントだよ、あんまり調子に乗らない事だね。」

クラウンにそう言われて、隊長はより一層頭を下げた。


旦那の目の前で無ければ跪いて赦しを乞うていたかもしれない。



「身の程は重々承知の上です。」

「おいクラウン、別に良いじゃないか。こっちは被害あんまり無かったんだし。それに気づけたのは隊長のお陰なんだぜ。」

かなり卑屈な物言いに申し訳なくなって、少し庇うような事を言ってしまった。



「偶然だよ。僕らだって空から確かめれば気付いて居たさ。

事実、言われて確かめて気付いたからすぐに対応できたんだ。

恥ずべきはそんな簡単な事に気付かないで魔物の尻を追いかけることに夢中になってた事だよ。全く、魔物如きが忌々しい。」

「ああ、全くだ。」

クラウンの言葉に、旦那は深く頷いた。


忘れがちだが、クラウンは指揮官クラスの魔族なのだ。

当然、戦略的・戦術的な見地は持ち合わせているのだった。



「クラウンや旦那でも想定できなかったことなんだから仕方ないじゃないか。

とにかく今は、前線で戦ってる仲間に一秒でも早く命令を伝えた方がいいと思うんですが。」

最後は旦那に向けてそう俺は言った。


「君も頭悪いんだから意見しないで欲しいんだけれど、まあ正論だ。」

前の俺なら歯牙にもかけなかっただろうが、悪魔を撃退して以来、クラウンも俺に対する見方を少しは変えてくれたようだった。



「俺も前線に出よう。こんな後ろより前に出て直接指示して部隊の再展開をしたほうが早いだろう。それに低下した士気も上がるだろう。おい、些事は任せたぞ。」

「ご随意に。」

副官にそう申しつけると、旦那は立ちあがった。


「ひひひ、相変わらず血の気が多いねぇ、ゴルゴガン。」

すると、同時に仮設テントに入ってくる人物がいた。



「婆さん!!」

俺はあまりにも早いラミアの婆さんの登場に、驚いていた。

なにせ、伝令が行ってからまだ十分も経っていない。せいぜい話が向こうに伝わったかどうかと言う頃合いだろう。



「うちの弟子が良い手下を捕まえて来たからねぇ。」

婆さんに追従していたサイリスが頭を下げた。

そして彼女の影のように、あの悪魔アルルーナが付き従っている。


確かに悪魔なら転移系の魔術ぐらいお手の物だろう。

俺が斬った時にいつの間にか枯れ木に変わってたのもそれの一種らしいし。




「婆さま、俺は前線に出る。悪いが難しい考え事は後回しになった。」

「そうかい。わざわざ呼び付けた事に文句の一つぐらい言わせて貰いたいものだが、あの数を見ちまうとそれは賢明だねぇ。

ではお行きな。あれだけの数が村まで押し寄せて来られちゃ堪らんからねぇ。」

はい、と頷いて旦那は仮設テントから出て行った。



「はてさて、呼ばれてきて偉そうなこと言ったが。

結局こんな事態に関する心当たりと言う物は無いんだけれどねぇ。」

「やっぱり婆さまでも駄目か。」

半ば予想していたのか、クラウンの声に落胆はさほど無い。



「陛下のことを研究するなど恐れ多いからねぇ。

こればかりは“代表”にでも聞かないとどうにもならない。」

婆さまはそう断言した。

人間でも魔王に関する事柄はタブーだと聞いている。それは魔族も違う形で禁忌なのだろう。


多分クロムならそんなの関係無いかもしれないのだが、肝心のあいつはここにはいない。

あいつの戦闘力から忘れがちだが、あいつは非戦闘要員なのだから。


魔導書に訊いてみても、解答は不明と淡泊に返ってきた。



となると、万策尽きてしまう。

俺と隊長も長居する訳にはいかないし。



あ、そう言えば。

多分この世で一番、魔王に関する事に詳しい人が居るじゃないか。




「大師匠に訊くのは?」

「アレが僕ら魔族の為に働いてくれると思うのかい?」

あっさり、クラウンにその案は切り捨てられた。

確かにその通りだった。


あの人は多分、魔王の脅威が人類に関わらなければ決して動いたりしないだろう。



「それより、ワイバーンの方は本当に大丈夫なんだろうね?」

「多分だけど大丈夫じゃないのか? いや分からないけど。

それにしても、なんでワイバーンがグリフォンの鳴き声ひとつで一斉に退避したりしたんだ?」

クラウンが俺の達成した任務を蒸し返してきたので、逆に気になっていた事を問うてみた。


「それはグリフォンが風を操るのがワイバーンより上手だからだよ。

連中の強みは集団での空中戦だけど、逆に言えばそれしかない。地上に落とされたワイバーンなんて雑魚なんだよ。

そして風を操るグリフォンを前にすれば、ワイバーンなんて幾ら数が居ようとも空が飛べなくなるんだ。流石にクイーン級は別だけれど。」

クラウンはそう講釈してくれた。


ああ、だからあの時俺は目が合ったのに見逃されたのか。

流石のあのレベルのワイバーンは長く生きて非常に高度な知恵が付いているのだろう。



「まあ、こんなこと疑っても仕方ないか。

さっさと行きなよ。僕もこれから一暴れしないといけないからね。」

旦那は前線指揮だからまだしも、なんで指揮官クラスでもお前が最前線で暴れるんだよ、と喉元まで出かかったが何とかその言葉を呑みこんだ。


とは言え、こいつの精霊魔術の爆音は山脈からの道中からでもボンボンと聞こえた。

流石は、出会ったら逃げろ、と魔導書に記されている数少ない魔族だ。


上級魔族は多いうちの村だが、範囲攻撃とかが得意なエリート種族は殆どいない。そう言う連中は隠れ住んでいたりや第一層に多く居るらしい。

魔族の領域でも最深部に近いこの第二層でもあんまり見かけないのだから、本当に化け物じみて強力な魔族は滅多に居ないのだろう。


それでもうちの主力軍団と戦いたいとは思わないが。




「ねえ、アルルーナに訊いてみたら良いんじゃないの?」

すると、言うタイミングを待っていたのか、サイリスがいきなりそう口にした。


「え?」

「こいつ予言や誰かの秘密を暴いて教えるの、大得意だもの。」

「って、それは・・・大丈夫なのか?」

俺は特に考えずにサイリスと悪魔を見比べてそう言ってしまった。



「それは私の能力に対する不信か? 或いは私が不徳を成すと言う事に対する不安からか。

人間は一度決まった事に対してなぜ疑念を挟む。正直理解できない。」

「そこまで言っていないだろ・・・。」

悪魔は特段不満そうな声色をしていなかった。

多少そう言う気持ちはあったかもしれないが、思っても無いことをぐちぐち言われる筋合いはないのだ。



「じゃあ、試しにそいつの好みを言ってみたら?」

と、急に茶化すようにクラウンが俺を指差し言った。



「は、はぁ!?」

そしてその矛先にされた俺は堪ったものではない。

クラウンの奴、普段は尊大な発言ばかりで目立たないが、こいつ言う事が時々下品なのだ。



「黒髪が見えるな・・・ふぅむ、それも長髪。これは幼馴染の姿を投影しているのか? しかしそれに自分の趣味嗜好を付け足すのはどうだろうか。つり目に鞭――」

「ぎゃあああああああああああああ!!!」

俺は考えるより先に動いていた。

本来なら戦闘中に行うべきなのだが、俺の性癖を暴露しようとしているこいつに黙らせる事しか頭に無かったのだ。


いや、今俺は冷静に内心を記している訳ではない。

恥ずかしくて死にそうなのだ。



「ばか、落ち付け!!」

あまりの錯乱ぶりに、隊長に羽交い絞めにされた。

俺は叫びながら暴れたが、涙目だったのは確かだった。



「えー、ないわー。・・・こんな感じ?」

「や、やめろ、変身するな!?」

言葉とは裏腹に声が笑っているサイリスが、何やら俺の好みの理想像みたいな感じの姿になっていた。



「大丈夫よ。これ相手の理想の人に見えるような魔術を使ってるだけだから。」

「な、なんだ・・・。」

「勿論相手にどう見えてるか丸分かりだけれど。」

「いぎゃああああああああ!!!」

いっそ、殺せ。

クラウンの奴は一人で爆笑している。本来爆笑と言う言葉は複数人が大笑いしている様をいうが、敢えてこの場はこの表現をさせて頂きたい。そのくらいこの野郎は笑っていた。



「いつまで遊んでるんだい。」

「あいたッ!?」

ぺしん、とサイリスが婆さまに叩かれて、姿が元に戻った。

いや、元に戻したのだろう。



「ちなみに、あたしこの戦いに凶兆が見えるが。お前さんはどうなんだい?」

「それも当然だろう。私には魔獣が見える。それも複数。」

婆さまと悪魔の言葉は、まだふざけ顔だったバカ二人までも黙りこませた。



「魔獣が、複数!?」

そしてその言葉に驚愕したのは隊長もだ。この場を任された旦那の副官も同じらしい。



「え、おい、マジかよ?」

「これは何者かに率いられているのか? 魔物とも、魔獣とも、一線を画す獣が見える。その姿はまるで、獣の王者。」

「相手は魔物だけでなく、魔獣をも統べると言うのか。」

混乱している俺を尻目に、悪魔にクラウンは語りかける。



「知性無き魔の獣たちは、その王者を前にすれば凶暴な牙や爪を下し、須らく頭を垂れるだろう。その覇気、まさに魔王のそれだ。」

「魔獣の突然変異か何かかな。別に陛下じゃないのなら、問題無い。ただ叩き潰すだけだ。」

ただ訊いただけなのだろう、クラウンはそう結論付けた。


だが俺はその態度に対して、悪魔がぼそりと呟いたのを聞き洩らさなかった。

果たしてそれはどうなのだろうかな、と。



「そしてその脅威は、今にもこの地へと迫っている。

・・・・そして、獣の王は凱旋を行うだろう。」

俺がその意味深な言葉を問いただそうとする前に、悪魔はそう語る。



「僕らが、負けるとでも?」

クラウンが目を細めて悪魔を見やった。


「この予言を是とするか、覆すかはその場に居る者たちの行動によるだろう。」

悪魔は、予言を行っただけだ。

それが確実だと、誰も言ってはいない。


だが、それでも悪魔は言ったのだ。

誰の心の隙間にも突き刺さる、脅威の存在を。



そして、早くもその予言は的中する事になった。





「失礼、この陣営の指揮官はここに居られるでしょうか?」

その時、この仮設テントの本陣に入ってくる者がいた。


「君は・・・。」

その人物にクラウンは瞠目した。



「私は“代表”の秘書官をしている者です。

この度は、火急の知らせがあってここに参りました。」

そう名乗ったのは、バフォメットの男だった。

同僚に同族が居るが、身なりから立場まで全然違う。



「一体何の用だよ。」

この場を任されている副官が対応しようとしたが、それを押しのけてクラウンが言った。



「・・・第九層から第三層までで行われる掃討作戦が、中止せざるを得ない状況に陥ったのです。

各階層にて謎の魔獣が現れ、魔物や魔獣を率いて次々と戦闘不能状態にまで各陣営の勢力を追い詰め去っていくのです。」

一瞬彼はクラウンを見たがそれだけで、淡々と火急の知らせとやらを口にした。



「それは、どの階層にもその謎の魔獣とやらが居ると言う事かい?」

「いえ、目撃証言から同一個体だそうです。信じられない事ですが、その謎の魔獣は各階層をどういう手段を用いているのか移動しているのです。」

そして婆さまの疑問に秘書官のバフォメットはそう信じられないことを口にした。



「ふざけてる・・・。」

それは誰の、何に対しての呟きだったのか。




「今やこの階層にも現れ、各村々の陣営を鎮圧。そして現在戦闘行為を行えている勢力は、もはやここしかないのです。

こうして事前に奴の情報を伝える事が出来た所もあったと言うのに。」

秘書官の言葉は、重々しく圧し掛かる。



「無駄だと言う事を知っての上でお願い申し入れに参りました。

奴は無益な殺傷はなさらないようで、戦闘を行わないのであれば立ち去る事でしょう。今すぐ作戦の中止を指示してください。」

諸機関の物言いから、恐らく全ての陣営にその提案をして、その全てを蹴られたのだろう。

それでも、義務として彼は口にしたのだ。


まるで、泥を被る様に。




「これだか頭だけの種族は嫌なんだ。

答えはノー。旦那だってそう即答しただろうさ。これは魔王陛下の為の戦いを銘打っているんだ。その戦いで、敗戦なんて有り得ない。

こちらの全滅か、敵勢の殲滅しか、結果は有り得ない。」

「若君・・・貴方なら、そう仰られるだろうとは思いましたよ。父上の若い頃によく似ています。」

「帰れよッ」

クラウンに怒鳴られて、秘書官はそう半ば諦めたような表情のまま、立ち去った。



「知り合いか?」

「知らないね。」

何か意地を張っているのか、クラウンは頑として答えようと言う様子では無かった。



「はぁ、とんでもないことになったねぇ。」

その様子を呆れたように見ていた婆さまがそう呟いた。



「なにをしているんだい。全面抗戦なら、早く伝令しないか。」

「は、はい!!」

婆さまに言われて、旦那の副官が弾かれるように動いた。



「魔族の殆どを相手にして尽く退けた謎の魔獣・・・お手並み拝見させて貰おうじゃないか。」

クラウンはそう吐き捨てるように言って仮設テントを出て行った。



「メイ、俺達も行くぞ。何だか事が大きくて状況が把握しきれないが、マズイって事は分かった。」

「はい隊長。同僚たちが待ってます。」

ああ、と頷いて俺は隊長に追従して同僚達の元へと向かった。






・・・・

・・・・・

・・・・・・





「うえぇ・・・・」

状況は外も激変していた。


部隊の再配置を待っている間に、魔物の軍勢が味方以外の大地をほぼ埋め尽くしていたのだ。

空中にもイナゴの大繁殖みたいに魔物が空を飛び交っているのを、こちらの精霊魔術や弓矢で何とか食い止めている感じだ。

他で戦っている勢力は無いと聞いたし、そっちの連中がこっちに来たのかもしれない。



正直、これを前にして戦おうなんてどうかしていると思う。

大師匠はかつて世界人口を上回るほどの魔物の軍勢と戦ったと言っていたが、きっとこんな気分だったに違いない。



「これ全部殺したら十万どころか、二十万いけますね。」

「三十万は行くだろ。」

誰かのぼやきにそう返せる程度には、うちの隊の同僚達の士気はあるようだった。


以前の俺だったら戦意喪失して混乱して居たに違いない。

だが俺は今、不思議なほど落ち着いている。



「良い面構えになったな、最初に会った頃とは大違いだ。」

攻勢に出る陣形が旦那の陣頭指揮の下に着々と組みあがっている中で、隊長は槍を担いで俺にそう言ってきた。

水辺に住むリザードマンは剣よりも、水中で使い勝手のいい槍を得意とするのだ。

隊長も今回の作戦に掛ける意気込みは本気なのだろう。



「考えて見れば一カ月足らずと言うところか。

これだけ短い時間でお前も戦士になったと思うと、俺も鼻が高い。」

「俺の国には、男子三日会わざれば剋目してみよ、ってことわざがあります。

もう昔の前の俺と同じとは言わせませんよ。」

「なるほどな。確かに雄はそうでなくてはならないな。俺にも故郷に残した昔馴染みがいるが、今頃いい女になっているだろうか。」

「幼馴染の話は止めてください。」

俺の中の閉ざされたトラウマががががががが。



「なんだ、お前も故郷に想い人が居るのだと思っていたが。」

「聞きたくありませんね!!」

俺は首を振って隊長の言葉を一緒に振り払おうとしていた。そんなことできる筈も無いのに。


「ああ、なるほど。昔の女は忘れたってことか。今は良い女が居るものな。」

「今も昔もなにも、俺とあいつはそう言う関係じゃありません。」

「分かって無いなぁ。これだから皮も剥けてないガキは。そう言うのはいつの間にか出来てるもんなんだよ。」

「はあ。」

分かったような事を言う隊長に、俺は適当に相槌を打つだけにした。



「男は女の為に戦えれば上等だ。それだけで生きて行く理由になる。」

隊長は、魔物の軍勢を見据えて槍を担ぎ直してそう言った。


「それに男はそれ以外の事を考えて生きるのは窮屈だ。

お前も下らん理屈をこねているが、いざとなれば察するさ。体で理解する。他の誰をも殺してでも、誰かを欲する時があるんだよ。」

隊長らしい情熱的な言葉だった。


隊長は人間で換算するとだいたい32歳ぐらいになるらしいから、恐らく経験でものを言っているのだろうけれど。



「そんなもんすかねぇ・・?」

「お前も良い年だろ、女の味を知る前に死ぬのは嫌だろ?」

「それは嫌ですね。ええ。」

なぜか俺は反射的に頷いていた。

いや、自分でも分かっている。童貞のまま魔物に殺されて死ぬなんて、そんな人生嫌過ぎる。



「それで良いんだよ。こう言う殺し合いの時には、死ねない理由を何かしらでっち上げておかないと、いざという時に諦めちまうんだ。」

そう言って、俺の背中を叩いた。

どうやら隊長は俺に発破を掛けてくれていたのだろう。


俺は素直に、頭を下げた。

俺の周りには、この人のようにちゃんとした大人は居なかったから。


俺は立派じゃなくて良いから、こう言う大人になりたいと思う。




「始まるぞ。」

そして、その時が来た。


『我らの盾となった精鋭たちよ、よく頑張った。今こそ引いて、立て直すのだ。』

何かしらの魔術によって戦場に大きく響き渡った旦那の声が合図となり、最前線で魔物と戦っていた部隊の全てが一斉に引き返してくる。



『全軍突撃せよ!! 魔物どもを排除するのだ!!』

旦那の声に、待機していた魔族達が同調するように声を挙げた。


俺もあらん限りの声を挙げて、走り出す隊長や同僚達と共に駆けだした。



『衝突後は、深追いはするな!! 徐々に後退し、戦線を維持しながら戦え。背後にあるのは、我々の住処であることを忘れるなよ!!』

一応あらかじめ全軍に通達されていることだが、この熱気ではどれだけの者が聞いているだろうか。


最前線で防衛していた魔族達が後退してきて、すれ違う。

全身ボロボロだった。ギリギリまで皆戦っていたのだろう。


それが抜ければ、居るわ居るわ、魔物の海だ。


俺としては戦術級の魔術があるので、そいつで一掃したいところだが、長期戦が見込まれるこの戦いでは不可能だ。



「飽くまで俺達は主力の為の足止めだ、忘れんな!!」

隊長が、周囲に飛び交っている喧噪に負けずにそう声に出した。


陣形を組んでいる俺達も、隊長に頷いた。



俺達の役割は自分達の身を守り、これ以上魔物どもを後ろに行かせない事だ。

後は主力の連中が敵を蹴散らしてくれる。


と、中央の主力部隊の方をちらっと見て見れば、魔物どもが冗談みたいに宙を舞って空飛ぶ魔物を巻き込んで落ちて行って魔物の海に消えて行く。

・・・文字通り、蹴散らしているようだった。



「余所見すんじゃねぇ!!」

すると、俺の目の前に飛びかかってきた魔物を、隊長が串刺しにした。

魔物相手だからと言って、少々油断していた。


「すんません!!」

俺も魔剣ケラウノスを振るって応戦する。

広範囲に広がる電撃を魔物どもに浴びせて、怯ませ、痺れさせる。



「今だ!! 斬り込め!!」

そのような光景は他でもよく起きている。

友軍の精霊魔術がバコンバコンと前方で炸裂しまくっている。


そうやって魔物を怯ませた所で、後方の弓兵部隊の一斉掃射が空に陰りを齎す。

魔族の人間とは比べ物にならない弓矢の射程により、矢は最前線の俺達を余裕で飛び越え魔物どもに降り注いでいく。



本物の空気だった。

暴力と暴力が蹂躙し合う、ここは砲弾が飛び交うような本物の戦場だった。




「うおりゃあ!!!」

三体同時に襲いかかってきた魔物を斬り捨て、更に飛びかかろうとしてきた魔物に電撃を浴びせる。

悪いが、どんな魔物が俺の相手か考えるのも面倒だ。

どうせ魔物なんてどれも同じような物だし。



「馬鹿!! 突出すんな!!」

「すんません!!」

何だか謝ってばかりだが、俺は隊長の指示に従って元の位置にまで戻った。



「伝令です!! 戦線を十メートル後退!!」

ラサヤナさんが伝令を持ってきた。まだ戦い始めて数分しかたっていない。

その分、小刻みなのだろう。


「早いな!!」

戦闘時ゆえに気分が高揚していた俺は思わずそう言った。



「旦那も切羽詰まってるんだろうな。流石に主力の連中でもあの数を捌くのは無理だうからな!!」

隊長がぶんぶんと小枝のように槍を振り回して、魔物を撃墜していく。


同僚達を見ても、バフォメットが攻撃呪術を打ちこんでワータイガーが斬り込み、それをケンタウロスが背後から弓矢で援護しているのが見える。

流石ベテラン、連携によどみが無い。

他の面々もそいつら程ではないが、よくやっている。



「後退だ、後退!!」

魔物の濁流に押されるような形で、前線が僅かに後退する姿が俺にも見えた。


魔物たちは、仲間の死体を踏み越えて俺達に獰猛に襲いかかってくる。

俺達も正気じゃないのなら、こいつらもイカれてるな。



ならお互いおかしい者同士、笑い合おうじゃないか。




「伝令!! 十メートル後退!!」

「またか!!」

また数分で後退が指示される。

俺はその命令に別段不満があるわけでもない。そこまで劇的に後退しているわけでもないし、魔物どもに呑まれない為にはそれも必要なのだろう。


事実、俺以外にも部隊の連中が突出しがちで、周囲のフォローを行っている所も見える。

旦那の言っていた事は概ね正しかったようだ。


こいつら、マジで防衛戦に向かねぇのな・・・。




「おいッ、あれ!!」

「魔獣だぁ!!」

そして、いよいよお出ましのようだった。


巨大な獣が味方であるはずの魔物を踏みつぶしながら、こちらに向かってくるのが見えた。

魔獣である。どいつも全長十メートルを超えている。


巨大なサーベルタイガーみたいな奴と、巨大な狼みたいな奴、巨大な熊みたいな奴の三体だ。

うん、我ながら貧相なボキャブラリーなのがよく分かる表現だった。


勿論魔物の突然変異なので、それぞれ俺の知る普通の動物とは細部に色々と違いがあるのだが、それを説明する意味は無いだろう。




「マジで徒党を組んできやがったのか!?」

あの悪魔の予言は当たったと言う事か。



「伝令です。50メートル後退。魔獣に備えて密集陣形にて対応し、決して後ろに通すなと!!」

「了解、下がれ下がれ!!」

流石に魔獣相手では一溜まりも無い。

あんなのに突撃されたらどんな軍勢でもどうしようもないだろう。


あんなのを止めたかったら重機関砲でも持ってこないと無理だ。

残念ながら火薬の爆発も魔術の一種みたいに思っている魔族の連中にそんな装備は有る筈も無く、俺達は後退を余儀なくされる。




「前を固めろぉおお!!」

「後ろに通すなッ!!」

「奴らを止めろ止めろ!!!!」

周囲から怒号が響き渡る。


精霊魔術や呪術、弓矢が矢継ぎ早に魔獣たちに降り注ぐが、連中の進撃を阻む事はできない。

軽く跳躍するだけで、それらを軽々と飛び越えるのだ。



そして、俺達の前にも魔獣は飛来する。

両翼と中央に一匹ずつ、化け物が迫ってくる。



「おい、トロール隊の奴ら向こうに取り残されてないか?」

その時、同僚の誰かがそう言った。

釣られて俺も魔物の軍勢を見やると、確かにそこには今にも魔物どもに呑みこまれんとしているトロール隊長たちが見えた。


場所としてはすぐそこだが、魔物に埋め尽くされたこの戦場でその距離は途轍もなく長い。



「欲を出したか、豚野郎が!!」

隊長はそう怒鳴って、魔物を振り払うようにして前に出た。


「隊長に続け!!」

俺も隊長の男気に追従する。

雷撃で周囲の魔物を薙ぎ払いながら進む。


そうして出来た道を、同僚達が展開して死守する。




「おい、豚野郎!! てめぇ何してんだ!!」

「うるせぇ!! てめぇこそ余計な事済んじゃねぇよトカゲ野郎が!!」

「違ぇよ、微妙にスコアが俺らより上回ってるあんたらに、勝ち逃げされたくないだけだ!!」

そんなやりとりをしつつも、トロール隊長の部下達が退路の魔物を蹴散らして後退を始めている。


だが、事態はそれを許さない。




「GYURUUUUUUU!!!」

魔獣だ。狼みたいな魔獣が、隊長たち二人の前に降り立ったのだ。

ぶおん、と言うこっちまで余波の風がくるような一撃を、魔獣を繰り出す。


「くそが!!」

咄嗟にトロール隊長が前に出て、棍棒を盾にして受けたが、彼はまるでボールのようにブッ飛ばされた。

恐らく、隊長を庇ったのだろう。

棍棒は真っ二つに折れてはいるが、遠目から見てもトロール隊長の致命傷には至らなかったのが幸いだ。



「おい、ふざけんなよ!!」

隊長の怒りが、魔獣に向けられた。

しかし、味方の援護を受けねば魔獣を相手に出来るわけが無い。



「ッ!! 『アキレスの盾』よッ!!」

俺は隊長の前に『アキレスの盾』を展開する。


魔獣の爪が、がぎん、と音を立てて円形のシールドに衝突する。



「隊長!!」

「分かってる!!」

皆まで言わずとも、隊長は俺の呼びかけに応じてすぐに後退をした。


しかし、だからと言って魔獣がそうさせてくれるとは限らない。

魔獣にとって小さなシールドなんて軽快に避けて、再び俺達の目の前に迫ってきたのだ。




「マズイッ!?」

今の『アキレスの盾』は急に展開したから、俺は術後硬直で咄嗟に動けなかった。


だが。



「安心してください、させませんから。」

俺の脇を、知っている顔が通った。


「はぁ!?」

それは、エクレシアだった。

今まさに精神的に不安定で寝ているはずだった、彼女だった。



彼女は手に持っていた物体を―――アレは魔剣だ、一目で分かった―――に口づけした。


その瞬間、彼女の手に有った魔剣がバラバラに分裂する。

だいたい三十のくらいのくすんだ金色の正三角形が彼女の周囲に展開して浮遊する。



その直後、今にも隊長を捻り潰さんとしていた魔獣の動きが、ぴたりと止まってエクレシアを凝視した。

そして一度唸り声を上げると、脇目も向かずに彼女に一直線に向かった。


まるで、仇敵にでも出会ったかのように。



そのまま、魔獣はエクレシアにその強靭な爪の一撃を見舞ったが、どういう強度をしているのか、彼女の周囲を守る様に集まり連結した正三角形の物体は微動だにしていなかった。

そして、その正三角形の物体がその隙に魔獣の体に次々と張り付いていく。


その直後、魔獣が咆哮する。

まるで全身に激痛でも走ったかのように、全身が痙攣し、立っているのもままならずに地面に崩れ落ちた。



「苦しいでしょう? 今、救ってあげましょう。」

ザシュ、とエクレシアは抵抗も出来ない魔獣の首にハルバードを落とした。


まるでアニメとかでしかあり得ないと思っていたほど派手な血飛沫が噴き出した。

その血飛沫からも、正三角形の物体がエクレシアを守る様に動いた。



そして首の半分を切断された魔獣は、地面に大量の血を垂れ流してすぐに息絶えた。




「おいエクレシア、なにが有ったんだ?」

全身鎧姿のエクレシアの迫力は、俺が知る彼女の物と違っていた気がした。


魔獣がいとも簡単に撃退され、周囲の魔物共も流石に恐れをなして攻撃を躊躇っている。

それが、知性などない魔物を恐れさせるほど強力な彼女の魔剣の力なのだろう。



「ああ、これのせいですよ。」

すると、ヘルムのスリットから顔を覗かせる程度しか肌を露出していないエクレシアは、手に魔剣を呼び戻した。


正三角形の物体が次々と連結し、剣の刀身のように、長方形になって集結する。

よく見ると、くすんだ金色のバラバラの刀身にはそれぞれ銀色の貨幣が描かれていた。



そして、今まで感じていたエクレシアの威圧感が消えた。

あれは精神干渉を行う魔剣らしかった。


魔剣と言うと何だか物々しい剣に聞こえるが、その大半は直接相手を殺傷するような物は少ないらしい。

魂が宿り、持ち主の精神が反映されている物が何処からか来ると言う魔剣は、持ち主の性質を反映した力を持っているらしい。最初聞いた時は、そういう現象が本当かどうか疑ったが。



ゲームに例えるなら、『挑発』に近い効果を持つのかもしれない。

防御力が優れたキャラクターに、敵の攻撃を集中させるスキルの事を言う。

何ともエクレシアらしい魔剣の力だった。



そしてその時、向こうから断末魔の悲鳴が聞こえて来た。


見れば、主力部隊が熊みたいな魔獣を撃退したようだ。

流石の魔獣と言えども、あの魔族の軍団が相手ならば敵ではないようだ。



もう一体の魔獣も彼らの手によれば問題は無いだろうと、そう思われた。






――――同胞達ヨ、退ケ。コレ以上ハ無意味ナ犠牲ダ。




その時だった。

そのような声が聞こえたのは。



その場に居た全員、それこそ魔族の全てにもそれは聞こえたらしい。

だから波のように引いていく魔物たちを、誰も見て行くことしかできなかった。


あっちの方に居る魔獣さえも、じりじりと引いていく。



「・・・・どうなってやがる。」

これを好機とばかり隊列に戻り、陣形を立て直す俺達にも、動揺は広がっていた。



「分かりません、分かりませんが、あの『黒の君』はこの状況に心当たりがあると仰っていました。」

「大師匠が・・!?」

それは色んな意味で驚きだ。

エクレシアの言葉は、それだけ信じられないような内容だった。


あの人は魔族の行く末なんてどうでも良さそうに思えたから。




「曰く、十中八九、直接魔王が関わっていると。」

「なんだって!?」

俺は素っ頓狂な声を挙げてしまった。


だが納得はいく。あの人は魔術師でも、最低限人類の味方だった。

それが行く行くは人類の脅威となりうるのなら、その芽を狩り取ろうとエクレシアに助言と助力をしたに違いない。


そうでなければあの状態のエクレシアが、とても動けるようには思えなかったからだ。




「しかし、前例はあるそうです。魔物や魔族を支配し操ることに。

魔王研究の第一人者にして、現存する最古の魔術師であると言う“月光”の魔女は、『魔王の威光』の解析に成功し、夜の眷属を味方にしていたそうです。

その内容はオーソドックスなもので、自分より知能の低い生命体に対する精神的格差を利用したものだそうです。」

「つまり、どういう事だ?」

「掻い摘んで言えば、自分より知能の低い相手の精神に自分は偉いと刷り込ませて支配下に置くのです。

種を明かせば簡単ですが、同時に普通の人間には真似を出来ない類の規模の魔術です。使い魔として一匹や二匹を使役するのとは訳が違う。

ですが、今の声を聞きましたようね。これで確信を持てました。」

そこまで説明してから、エクレシアは前を向き直った。



その先には、十以上の巨体を従える、一匹の獣がいた。

魔獣たちが付き従い、その進路に有る魔物たちは邪魔にならないようにモーゼの奇跡の如く割れて道を作る。



その獣は、既存の生物のどれにも当てはまらない。

敢えて言うならば、熊に狼を足して二で割ったような姿をしていた。身長は十メートルを満たない程度。


その格好も、お世辞にも魔物の王者とは思えないほどみすぼらしい。



だが、事実として魔物や魔獣たちは、あの獣に従属していた。


俺も一目見て分かった。

他の魔物や魔獣とは違う、知性に近い何かをあの獣から感じられる。


そして感じるのは、言葉にできない威圧感だった。

俺はこの感覚を知っている。ミネルヴァの雰囲気に近いが、それよりずっと暴力的で、同時に理性を兼ね備えた圧倒的なカリスマだ。





「あれは、魔王に類する何かでしょう。」

エクレシアが、確信を持ってそう言った。




「アレが、魔王の一種だと・・?」

それを証明するように、魔族達は今までの熱気と打って変わって水を打ったような静けさだった。

風が吹く音すら聞こえるほど、静かだった。



獣は、言った。


――――コレ以上、無意味ナ殺戮ヲ止メロ。我々ガ争ウ意味ハ無イ。




魔物とも、魔獣とも違う、理性を持って言葉で説く獣だった。

伝わってくる言葉にそれほど高い知能は感じられないが、単純で、それ故にしっかりと全域に響き渡る。



――――サレドモ、戦ウト言ウノモ良シ。分カリ合エヌト、言ウノナラ、最後ノ一人マデ戦ウノモ、我々ノ宿命ダ。




魔獣や、魔物たちが、その言葉を期に一斉に唸り声を上げ始めた。


俺は思った。これは勝てない、と。

あの獣は格が違う。



多少力が強い奴らが集まっているからとか、そう言うレベルでは相手にならない存在だった。

魔王、それに近い存在。



人間の俺にはよく分からないが、敢えて他の魔物や魔獣と違いがあるとすれば、奴は本能ではない確固とした意思の下に行動していると言う事か。


強大な精神を内包する大いなる獣。

それは俺達の人智を超えた未知なる存在だった。




『・・・撤退しろ。』

そして、程無くして旦那の声が戦場に響き渡る。



『我らの命は、魔王陛下の為にのみ費やされる。

この場の見栄やプライドの為に戦い、命を無駄に消費する事はあってはならない。』

旦那の言葉は、ただの負け惜しみでは無いのだろう。

恐らく苦渋の選択だったに違いない。


普通だったら負け惜しみにしか聞こえないだろうが、相手がこの獣だと分かっている以上、誰も不満など述べようにも無かった。

だが誰が否定しようとも、少なくとも俺はその選択を英断だと称えよう。



あの獣とは、戦ってはいけない。

少なくともこの場で死力を尽くして殺し合う意味は無い。



各々が、命令されるまでも無く退却の準備をし始めた。

それを見届けて、あの獣はその姿を翻して魔物の海へと消えた。



軍団と化していた魔物たちも、それを期に一斉に散り散りになっていく。

魔獣たちも、あるべき住処に帰って行った。




「一体何なんだ、あれは・・・。」

俺達も自分達の住処に帰還する為に歩きながら、誰と無く呟いた。



「分からねぇよ。分からねぇが。」

隊長は言った。




「俺達の敵だろ。」

それだけで、あの獣を言い現わすのは十分すぎると言わんばかりに。



多分隊長は俺と、恐らくエクレシアも同じように確信していたに違いない。

あれは、いずれ超えなければいけない敵だと。


それより今は、あの選択をした旦那に食ってかかっているだろうクラウンを宥める事を考えるのが先だろう。







魔王に近しい獣。

しかし、なぜそんな物が誕生したのだろうか。



だがその謎は、意外なほど早く語られることになる。

他でもない、元魔王によって。


約三日後の、魔王祈願祭初日のその日に。



そう、この戦いは、予兆だったのだ。

これから魔族全体を巻き込んで、ぐちゃぐちゃに掻き回す、巨大な戦いへと続く、前触れにしか過ぎなかったのだ。



漸く、俺達の戦いのプロローグが終わりを迎える。

そうなのだ、考えて見れば半年以上もあったような俺の一ヶ月ちょっとは、ただの序章。料理で言えば下ごしらえでしか無かったのである。



全ては魔王の掌の上。

混迷は、まだまだ始まったばかり。



混沌の時代が、今訪れる。








魔剣百科事典コーナー



魔剣:「トレーズベーゼ」

所有者:エクレシア

ランク:S+


特徴・能力。

断片剣。くすんだ金色の三十の正三角形のバラバラの刀身が連結した形をしている魔剣。

三十の刀身の欠片には銀色で貨幣の意匠がなされており、この魔剣の銘の「十三の口づけ」を意味する通り「ユダの接吻」の逸話がモチーフになっている事を示す。

能力は高性能かつ多機能、そして高負荷である。

複数の任意の対象に所有者に対する強烈な敵愾心を抱かさせる事が出来る。逆に味方以外全ての対象に敵愾心を抱かせることもできる。

この魔剣は刀身に口づけすることで発動し、所有者の周囲に展開し自動防御を行う。

この時の強度は所有者の精神力に依存し、その際のダメージは彼女の精神にフィードバックする。

この魔剣の刀身に触れた者は、所有者が精神的苦痛を受けていた場合、触れている相手にそれを移し返す事が出来る。

使用者がエクレシアの場合、魔剣自体が彼女の意思そのものを反映されており、魔術的キャパシティが二倍になるほか、自身の使用した魔術の維持をさせる事が出来る。

つまり戦闘時に使用できる魔術の数が二倍になる。防護の魔術に多大なリソースを割いている彼女には防御しながら攻勢に出る事が出来るし、更に防護を重ねることも出来る。非常に汎用性が高い。

しかし当然ながら、そう言う使い方をすれば維持する魔力も倍増し、フルに魔剣の力を使おうものなら長時間の戦闘は出来なくなる。

本来安定性を重視する彼女の所属する騎士団とは別方向に特化した魔剣である。

それが彼女の不安定な内面を如実に表しており、自己犠牲に尽くしながらも信念の為に他人に苦痛を押し付ける彼女の矛盾をこの魔剣は示している。




※何とか忙しい期間は終わりました。

しばらく休みなのでこのまま安定して更新出来たらいいな、と思っています。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ