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第四話 たった六秒の初戦闘





盗賊が出たと言う声に、俺は音の鳴っている櫓を探した。


近くにはない、遠くに建っている櫓が小さく見えるだけだ。

そして、畑から逃げようと走る魔族が何人か見える。



「丁度いい、君が倒しなよ。」

「え!?」

突然のクラウンの物言いに、俺は目を見開く。


「あのくらいの相手なら小手調べ・・・倒せないようならさっさと死んだほうがマシってくらいの雑魚だね。」

クラウンの目には盗賊が見えるのか、畑の向こう側を指差してそう言った。


俺の目には小さな土ぼこりしか幾つか有るようにしか見えない。



「それより、向こうにもいるっぽいけど大丈夫なのか?」

「騎士の旦那が何の為にいると思っているんだい? 警備兵くらい居るよ。

そんなことより自分の心配した方がいいと思うけどねぇ。僕は手伝わないし。」

そんなことを言っている合間にも、土ぼこりは近づいてくる。



「僕が居たら話しにならないだろうから、近くで見てるよ。

君が本当に選ばれた人間なら、どうにかできる筈だ。」

「お、おい!!」

さっさと村の方に帰ろうとするクラウンを追おうとするが、彼に手が触れる寸前でまるで幽霊のように消えてしまった。



「俺がしたことあるのなんて・・・せいぜい路地裏の喧嘩ぐらいで・・・。」

「おいおい、なんだぁ?」

「おい、こいつ人間じゃねぇか?」

そんな声と共に振り返れば、犬のような顔をした二足歩行の化け物が、人が乗れるくらいの大きさの黒い犬に乗っているのが見えた。


数は5組。




―――『検索』、69ページ。


種族:コボルト  カテゴリー:獣人・妖精種

性格:臆病で残酷  危険度:C  友好性:皆無


特徴:

ゴブリンに並んで魔族の主な労働階級である下級魔族。

二足歩行した犬のような外見をしている。

主に坑夫として優秀であり、魔族の保有する鉱脈に行けばその辺りに集落を作っているので、ほぼ確実に出くわす。

特筆すべきは、優れた冶金技術を持っており、基本的に手先が器用であることである。

魔族の一般的な武器防具の殆ど彼らが生産しているといわれている。

ゴブリンと同様に下級魔族では知性は高く、独自の文化を持っている。


能力としては魔族の平均から劣るが、集団で行動するため割と厄介である。

妖精種だが、人工物を多用するため精霊魔術の類は衰退したのか使えない。


他の獣人と同じように、同系の魔物を使役する場合がある。彼らは犬型の獣人なので、ブラックドックなどが一般的である。

そうなると危険度はBにまで上がるので注意。





出てきた情報は、自分が最悪の状況に置かれていると言う結果を俺に知らせるものだった。


連中の騎乗している犬はブラックドックというらしい。

魔族の知識はあるのに魔物の知識はコボルトの項目に名前ぐらいしかない。

魔族も魔物も、どっちも魔王陛下とやらの配下には変わらないのに、随分と極端だ。


ここまで全く無いと、意図して魔物については記述しなかったと思えるくらいだ。



「どうするよ?」

「頭のとこに連れてけばいいだろ、奪っちまえば全部一緒だ。」

「だなだな。」

と、勝手なことを言うコボルトどもの手には、鉄で補強された木製の棍棒が握られている。

誰一人として剣など武器は持っていない。


こいつら、剣や槍を扱うのに熟練が必要なのを知っている。

より扱いやすい打撃武器で棍棒という選択は素人が下手な武器を持つより賢いだろう。


冶金技術が高いと言うだけあって、その辺は弁えているのだろう。

逆を言えば、こいつらはそれほど戦いなれている訳じゃないってことだ。



ここは奇襲で何とか1体は仕留めたい。

そんな冷徹な考えが俺の頭に浮かぶ。




―――『提案』 対軍魔術の使用を推奨、最も適した魔術は『天の竜巻』と判断しました。



頭の中に規則正しく並ぶ文字の中から単語が浮かびあがり、そのように文章を構成し、そう俺に示唆してくる。

なんと言う親切設計。


本当に『パンドラの書』には意思があるようだ。

人間の魂が材料に使われているのは本当なのかもしれない。


何でもいいから任せると俺が念じ返すと、更なる文章が脳内に浮かび上がる。



―――『却下』 術者の技量不足から『天の竜巻』をキャンセルしました。



「(え、ええええぇぇぇぇぇ!!!)」

期待させておいて出来ないだと!? しかもそれは俺のせいだと!!

なんてふざけた魔導書だ。


そうイライラしていると、次の文章が形作られる。



―――『提案』 魔導書の最適化を提案。本書は術者の技量や思考パターンに合わせて魔術的なバックアップを行います。最適化を行いますか? イエス/ノー?



「(イエス、イエス、いえーす!!!)」

俺が逃げ腰なのと武器も持っていないことを確認すると、コボルトどもはマッドドッグから降りて俺に近づいてきた。

縄を持っていることから縛り上げて売り飛ばそうと言う算段だろう。人間はそれなりに高く売れるようだし。


五体全員俺に近づいてくるわけではなく、三体は周囲にばらけて戦利品の作物を物色している。

俺にとっては願ってもない展開だが・・・・。




―――『報告』 現在所有者のパーソナリティーを分析、最適化中です。 現在45% 終了予想時間:あと20秒。



残念ながら二十秒後には俺は組み敷かれて両手に縄を縛られ転がされたまま足を縛られているだろうと言う光景がありありと予想できた。



「(そう言えば、ラミアの婆さんは防衛機能がどうたらこうたら言ったな、それで何とかならないか!?)」

俺が魔導書に問いかけると、こう返答が来た。



―――『不可』 最適化されなければ使用不可能。 本書に設定されている防衛機能は最低限の生命維持です。



「(は? どういうことだよ。)」

俺は少しでも時間を稼ごうと、じりじりと後退りながらコボルトどもと距離を取ろうと悪あがきをする。



―――『回答』 所有者の生命レベルが本書の設定する最低ラインに触れた場合、本書は設定に従い無作為に座標転移を行い、三十日間の生命維持を行います。その間、回復や生存の見込みや救援がなければ、一定期間後に生命維持を放棄し、本書は次なる継承者を求め転移致します。つまり、見捨てます。




「(・・・・・・・・・ふざけんなよッ、そこは何とかしろよ!!

ラミアの婆さんめ、これのどこが完璧な魔導書だ!!)」

冷たすぎる対応に俺のイライラは頂点である。



―――『反論』 本書は完璧です。それは本書と我が創造主に対する侮辱と受け取ってよろしいでしょうか?



何でけんか腰なんだよ、本のくせに・・・。

俺が何かを言う前に、魔導書は俺の頭の中の文字を動かして文章を作る。



―――『定義』 本書の目的は知識の伝達と継承、その使用にあります。その目的が達成され続ける限り、我が創造主の意向に反していても問題はありませんが、それが不可能と判断されるのならば、・・・あなたは、不要なのです。



「(はっきりと・・・・要らないと言いやがったな、このクソブック・・!!)」

この魔導書は、本当に目的のためにしか存在していないのだ。


製作者の性格が窺い知れる様な自分勝手さだ。

勝手に持ち主に選んで、勝手に焼けるような痛みで知識を植え付け、それで使えなければ要らないだと、冗談じゃない。




「(結局、お前も“人間”なのかよッ!!)」

だったら、そんな本は俺も要らない。


この魔導書を投げつけてやろうかと思ったその時である。





「フオオオオオオオオオオオォォォォ!!!!」

うず高く積まれた作物の陰に隠れていたオークが、突然飛び出して作物を物色しようとしていたコボルトの一匹を殴り飛ばした。

こいつらは鼻が利きそうなものだが、幸いここはさっきクラウンの奴が掘り返して土臭さが充満している。そして今日は風も無い。


こんな箱庭の中で風があるかどうかは知らんが、頭上には人口太陽が見えるし、きっと雨風もあるんだろう。



「ばか、逃げろよ!!」

そいつはいつも俺に食事を届けてくれるオークだ。

クラウンとはどういう関係かは、知らないが、何かしらの利害関係なのだろう。


しかし、それを言うには俺との対応は明らかにそれを超えていた。

この場所に来て初めて人間という枠で俺を見なかった奴だ。


何とか助けてやりたいが、俺にはどうすることも出来ない。

それに、相手は武器も持っているのだ。



「オ、オレノ、オレノ野菜ニ手ヲダスナァァァ!!!」

しかし、俺はコボルトの奴が真横に吹っ飛ぶのを見て、何だか大丈夫そうに思えた。


しかも、何だか戦い慣れているようにも見える。




―――『検索』、59ページ。



種族:オーク  カテゴリー:人型・怪異

性格:凶暴  危険度:B  友好性:皆無


特徴:

繁殖力が高く、数の割に魔族の平均以上の戦闘力を持ち、魔王の軍に多くの兵士を輩出している下級魔族。

同名の海生魔獣が居るが、関連性は不明。

体格は人間よりやや大きく、緑色の肌をしており、豚のような鼻が特徴だが、彼らの起源に豚は全く関係していない。


知能は低く、辛うじて言語を扱える程度である。

思考が単純で、上位種族の理不尽な命令もただ愚直にやり続けるなど、頭はそこまで良くない模様。恐らく、優遇や不遇の概念が無いと思われる。


それだけに暴れるとずっと暴れ続ける。

同族が仲間を押さえつける光景を筆者は度々目にしている。

力が強く、非戦闘時には強力な労働力となっているようだ。


反面、そう言った文化性を得られず育ったオークは凶暴であり、魔族も襲うので疎まれ、駆除されることもある。





・・・どうやら、俺の杞憂らしい。

あのオークの奴は俺よりずっと強いに違いない。




―――『報告』 最適化が完了しました。マイマスター。あなたは正式に私の所有者です。


「うれしかねーよ。」

コボルト達がオークに気を取られ、俺を捕まえようとしていた二匹も仲間の応援へ向かったお陰で、そんな言葉を言えるくらい余裕は出来た。



しかし、オークの奴が強いと言っても、多勢に無勢。

武器を持っているのと無手では全く違うし、何よりコボルトの奴らはすばしっこく、オークの奴は翻弄され始めている。


このままではマズイのは目に見えている。



「おい、魔導書。何とかする方法を教えろ。」

俺は手にした魔導書を見下ろし、睨みつけながらそう言った。



―――『提案』 敵勢勢力の対処に最も適した魔術を選択 → ルーンによる強化魔術とメインウエポンによる近接戦闘を推奨。

―――メインウエポン 対魔族用に具備されている魔剣『ケラウノス』の使用を推奨。



「俺、剣なんか使ったことないぞ!!」


―――『返答』 本書のバックアップは完璧です。魔剣『ケラウノス』、顕現を開始します。



次の瞬間の俺の右手にはずっしりとした重みが現れた。

しかし、俺の右手にはまだ針金で作ったような型しか見えない。


だが、それは徐々に肉付けがなされ、完全に姿を現した。



それは、長剣であった。

刀身の中心が羽のように十字の刃が伸びており、芸術的なセンスが窺える。



そして、魔導書から俺の全身に這うように文字が広がる。

肌の上を這いずり回るような感覚が広がり、むず痒い。


それが全身に広がると、青っぽい光を発し始めた。

この光は、あの時俺が手にした小箱も発していた光だ。



その光こそ、魔力。

万物の力の根源、第五元素である。


魔導書の著者は嘯く。

この力を完全に使いこなせれば、全能の神にも成りうると。



事実、俺の体は重力に縛られているのが嘘のように軽くなった。

俺の体は羽毛のように軽く、羽が生えたようにどこまでも飛んでいけそうだった。



俺は跳躍する。

コボルトまでの距離は軽く二十メートルはあった。

しかし、そんな距離など、俺は軽く踏み込むだけで踏破する。



孤軍奮闘し、今まで敵を引き付けてくれていたオークを助ける。



―――『補助』 記録してある戦闘経験を反映。適格化します。


次の瞬間、全身の文字が脈打つ。

頭の中に俺ではない誰かの記憶が流れ込み、俺は無意識に左手に魔剣を持ち替える。


重心、間合い、剣の振り方、全てが初めから知っていたかのような動きで俺はコボルトを背中から切り伏せた。



魔剣の一撃は、斬撃だけでなく斬り付けた瞬間に雷光が走り、ダメ押しの追撃を掛ける。

当然、即死である。


完璧にまでに相手の命を奪い、絶命させ、滅ぼす。

ただそれだけを追求した、魔剣だ。




「おし、次ぎッ!!」

そして、俺が次のコボルトに狙いを定める。



―――『警告』 直ちに戦闘を終了し、十分な休息を取ってください。



「はぁ!? この状況で何を言ってるんだ!!」

構わず俺はもう一匹のコボルトを斬り付ける。

あのすばしっこかったコボルト共も、突然の奇襲に対応できず、俺の逆襲の第二撃を受ける。


俺に気を取られたもう一匹のコボルトが、オークに殴り飛ばされる。

そして、最後に残ったもう一匹は、不利を悟ったのか、ブラックドックに向かって走り出す。



俺は手にしている魔剣をコボルトの背に投げ付けると、吸い寄せられるように簡単に命中し、串刺しにして絶命させた。




「ははは、なんだ、簡単じゃないか・・・」

そう、簡単だった。あまりにも簡単すぎた。



―――『強制』 ただちに全術式を解除。これより本書の使用を二十四時間禁止致します。




「は? 何を言って――――――」

ぶち、と何かが千切れる音がした。



ぶち、ぶち、と続けて何かが千切れる音がした。

どこから?



「え・・・・?」

まるで、俺は壊れた人形のように頭から地面に突っ伏した。

ここが耕されてやわらかい土でなかったら、頭から血を流していたかもしれない。


だが、それ以前に俺は両腕から、両足から、血がだくだくと流れていた。

腹も千切れそうなほど痛い。


未だに筋肉が千切れる音が鳴り止まない。

痛すぎて全く何が痛いのか分からない。




「あーららー。初めてなのに無理しちゃって・・・。」

すると、クラウンの笑い声が聞こえてきた。



「これは・・・なんで・・・」

「君ら人間は、あんな風に動くように出来ているのかい?

使ったこともない強化魔術をいきなり際限なく使うからこうなるんだ。

普通は少しずつならしてからつかうもんだよ、そうじゃないと体が追いつかないじゃないか。君は人間なんだから、人間を超えることは出来ないんだよ?」

当たり前のことを、当たり前のように、クラウンは言った。



そう、人間は二十メートルを一瞬で跳躍なんてしない。

使ったこともない剣でコボルトを両断なんて出来ない。

重量のある剣を投げて一撃でコボルトを刺し殺したりなんて、出来ない。



条理を逸したのだから、その反動は当然のように俺に牙を剥く。



―――『警告』 現在マスターがあの状態での予測戦闘可能時間は、二秒です。


魔導書が、残酷なまでの真実を突きつける。




「にびょう・・・?」

その三倍は動いた。

たった六秒動いただけで、この有様である。


もっと強い相手だったら?

多分、俺は全身から血を垂れ流して出血死、あるいはショック死していただろう。



「人間は上手い事を言った。

深淵を覗くと言うことは、深淵を覗かれると言うことである。

魔術を研鑽することは、人間を辞めることに等しいのさ。まあ、全くの素人である君にこれは酷なことだろうけれど。」

そう言いながら、クラウンは青っぽい光を俺に差し向ける。


それだけで筋肉が千切れる音は止み、少しずつ痛みが引いてきた。



「い、いたたたたたた、痛い、痛い、痛いいいいいいいいいぃいい!!!!」

だが、それは正常な感覚を取り戻すと言うことである。



―――『補助』 過剰な痛みを感知、痛覚を解除します。



すぐに魔導書が対応してくれたが、その完璧なまでな対応に、俺は心の底で恐怖を感じていた。




「痛い・・・痛いよぉ・・・」

俺は、また涙を流していた。



―――『疑問』 マスター、痛覚は遮断しました。不備がありましたでしょうか?



魔導書が問う。

だが、人を道具扱いするこいつには分からないだろう。


この痛さを、こいつは絶対に理解できないだろう。



「ねぇ、人間。君はこの痛みを乗り越えられるかな?

超えてくれないと面白くないけどね、それに僕は超えると信じている。」

勝手なことを、クラウンは言いながら笑っている。

俺が今日使った六秒を全部当てても到底勝てそうにない化け物は、俺を見下して笑っている。


俺は、早くも心が折れそうだった。



だが、その時、ふわりと俺の体は浮いた。

オークが俺の体を背負ってくれたのだ。



「オレノ名ハ、ギィンギ。オマエ、仲間。

タスカッタ、アリガトウ。オマエノ、名ハ?」

オークは・・・オークのギィンギはそう言った。



「・・・・メイ、だ。人間の、メイだ。」

「ソウ、カ。イイ名ダ。メイ、オマエハ、仲間ダ。」

「・・・・・・ああ。」

ギィンギの言葉は、なんら特別な言葉ではなかった。


詩人のような風情のあるような言葉でも、偉い政治家のような知性溢れる言葉でもない。ただ単純に、俺を認めてくれただけだった。


俺には、今まで一度も掛けてもらったことのない言葉だった。




「じゃあ、今日は帰ろうか。

メイ、今日も君は僕の期待を裏切らなかった。

ねぇメイ、僕は本当に君が手に入れる力がどのようなものになるのか、楽しみにしているんだよぅ?」

帰りの道中、クラウンはいつにもまして口の紐が緩かった。

軽く俺が血塗れに成るのを知ってて放置したくせに。


もう、こいつはこういう奴だと諦めることにした。





・・・・・

・・・・・・・

・・・・・・・・・・







さて、第二層でメイがひぃひぃ言いながら頑張って生きている頃である。

場所は変わってほぼ正反対に位置する、第二十八層。


そこの階層の実に四分の一を占めるのは、その中心に聳え立つ大聖堂。

常に聖歌が鳴り止まないそこは、正しく聖域である。



その中にある一室に、“管区長室”という部屋がある。


今まさにそこに入ろうと俯く、まだ少女と女性と中間と言うべき女が一人居た。

今日、彼女はその部屋の主に呼び出されたのだ。



修道服を纏った彼女は、当然その大聖堂に住む修道士である。ここには彼女のほかに一万人近い修道士が住んでいる。


第二層の地獄みたいな化け物の巣窟では当然なく、大理石で惜しみなく整備された道や美しい庭園が広がり、幾つモノ教会が一定の法則に則って置かれている。



こんこん、と彼女はドアをノックする。

入れ、と威厳に満ちた声が、彼女の入室を促す。



「失礼します。」

彼女が入室すると、その部屋の主たる男が目に入った。

声と同じように外見も威厳に満ちている。


彼の背にある壁には、真っ赤に染められた十字の紋章が掲げられている。

それが示すのは、彼らが神を仰ぎ、矛盾と共に戦う騎士の組織ということである。


テンプル騎士団を起源に持つ、唯一無二の奇跡の保有者を己の神と定めながら、その奇跡を預かり行使すると言う異端である、修道士にして戦闘魔術師の集団。

魔女狩りの時代を超え、今も尚、神に逆らう邪悪な異端者を摘発し、裁きに掛けんとする彼らを、聖堂騎士団・・・通称、“パラディン”と恐れられている。



彼はその本拠地であるこの大聖堂で管区長を務めるナンバースリー、要は騎士団で三番目に偉いと覚えておけばいい。

名を、ジュリアス。通称、マスター(菅区長)・ジュリアスと呼ばれている。


「騎士エクレシア、失態を犯したらしいな。」

「わたくしはもう、騎士では有りません。剣は捨てました。」

「そう簡単に捨てられては困るのだよ、お前ほどの逸材がな。

それに、先ほどお前の処分が決まったのだからな。」

「いかような処分でも。主の科す試練なら、今まで幾つも乗り越えてまいりました。

しかし、この度の極東日本での任務・・・異教徒の逃亡、回収予定の魔具の喪失に、あまつさえ一般人を巻き込んでしまいました。私には剣を持つ資格など無いのです。」

「ふん、少々・・・いや、真面目すぎるきらいがあるとは聞いていたが、これは相当だな。世捨て人ではないのだぞ、特に、我々はな。」

含みのある言い方でジュリアスは言ってから、笑みを浮かべた。

聖職者に相応しくない、しかし、ある意味聖職者に相応しい、同情と哀れみの笑みである。



「本当にこれを人に科す試練なのだとしたら、私は主が随分と冷酷になったものだと思うがね。いやいや、敬虔でないものには元から冷酷か。」

「マスター・ジュリアス。そのような言葉は慎んでください。」

「おっと、失礼。

それより昨夜、神託があったのだ。我らが『カーディナル』よりな。」

その言葉に、俯いていた彼女・・エクレシアも顔を上げて驚いた。



「主が、直接私に試練を課すのですか!?」

おぉ、と感極まったようにエクレシアは跪いて、涙ぐみながら両手を組んだ。


「所詮は魔術さ。下らない下らないただの魔術。愚かな人の業でしかない。

しかし、主の声には変わらないと言うことさ。主の足に縋るしかない、我々人間とは本当に愚かな存在だよな。」

ジュリアスが失笑を浮かべる。



『カーディナル』とは、彼らの首領。

魔族が称する“箱庭の園”を支配する『盟主』と、十一人の偉大なる魔術師の一人。


一つの文明の魔術を極めた十一人を、魔術師は知識の伝道する者の証として、“魔導師”の称号を持ってそう呼ばれる。

魔族の“代表”もその一角だ。



「曰く、魔族が乱れる、と。

あれだけ大規模の儀式をして聞こえるのがこれだけだ。笑わせるよな。

そこで、『騎士総長』(グランドマスター)の召集の元、各管区長が集められ、会議が行われた結果、その混乱に乗じて布教を進めると言う結果に至った。」

「・・・・・・・・・・・・・」

エクレシアは、一瞬何を言われたのか分からなかった。



「それは、真ですか?」

「俺も自分が正気かと疑いたいね、しかし、我々の正気は主が保障してくれているのだよ。全く、残念なことにな。」

「・・・・・・・・」

その言いも寄れぬジュリアスの言葉に、エクレシアはなんと声を掛ければいいのか分からなかった。



「お前には、十字架を背負ってもらうことになるな。

今回の布教の相手は、言葉や習慣、肌の色が違うとかいうレベルの相手ではない。隣人どころか、別の惑星まで離れているといっても過言ではない。

金に汚いとユダヤ教はブラックジョークに例えられるが、我々は信者に汚いと言われるのだろうかね。」

エクレシアには、ジュリアスが怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも既存の感情を表しているのか分からなかった。

それほどまでに今回の一件は方向性が逸脱していたのだ。



「知っての通り、魔族は手ごわいぞ。それも、お前一人で行くのだ。

これはまさに聖人の苦行だよ。お前は伝説になるだろうな、そしてそんな苦行を言い渡した私も、歴史書に残るだろう。

はっきりと言うが、誰も期待していない。『カーディナル』一人が推し進めて決めたようなものだ。

いくらお前がジャンヌダルク以来の逸材だからと言って、この仕打ちは主を恨むなと言っても仕方が無いほどだ。」

「嬉しいです。マスター・ジュリアス。

そこまでわたくしを心配なさってくださるのですね。」

「・・・・お前は、野たれ死ぬんだ。

別に全くお前と同じ顔をした別人がこの大聖堂の門を叩いたとしても、我々は友愛と親愛を持って迎えるだろう。それを忘れるなよ。」

「はい。」

「もう行け、俺はお前のような信仰に酔ったような人間が嫌いなんだ。」

「はい。」

エクレシアは頷くと、十字を切って踵を返した。



「待て、お前は剣を捨てたのだろう。では代わりの剣が必要だ。

・・・・・・・選別だ、聖遺物が仕込まれた聖剣だ。持っていけ。」

ジュリアスは腰の剣を鞘ごと抜くと、それをエクレシアに投げ付けた。


彼女は、振り返ることなく手を後ろにやるだけで受け取った。




「お前に主の導きがあらんことを。」

「ええ、マスター・ジュリアス。貴方にも。」


斯くして、また一人、地獄を訪れる人間が増えた。










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