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魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
三章 祈願祭へ
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第四十話 probatio diabolica



天性の殺人鬼にして転生する『死神』は語る。



「あぁ? 俺がなんで殺しをするかだって? お前その質問何度目だよ。

んなもん理由なんてねーよ。息をするのと同じだよ。それとも生き様って奴か?

あー、哲学みたいなものって言うとそっちの学者に悪いな。いやいや、そこまで気取ったもんじゃねーな。

つーか、なんだよ理由とか。基準とかねーよ。強いて言うなら、ただ俺の前に立ってるってことか? この俺に対して前に立つとか、死にたいって言ってるもんだろ?

極論、生きてるから殺すんだよ。そこに意味だとか、理由だとか、覚悟とか趣味嗜好、美しさや思想、崇高さなんざ求めてどうすんだよ。

誰かを殺すってのは、生きてる奴の特権だろ。俺は生きてるから誰かを殺すし、生きてるから殺されるんだ。だいたい転生三十回目のぐらいでその辺を悟ったな。

強さってのはカンストすんだよな。限界があんだよ。才能とかそう言うのじゃなくて、もっと根本的な上限があるんだよな。つくづくそう思うぜ。

だからよー、この俺を満足させる敵ってもう出てこねーんだろうなぁ。だったらよ、もう俺って生きる意味って無くね?

うーん、結局何だろうな。まあ、いつかこう言うのにも飽きて、・・・そうだな、人類も百億ぐらいに増えたらその全部を皆殺しにしてみようぜ。そんぐらい居りゃあ、少しはやりがいがある筈だ。

そうすりゃ、何か新しく悟れるかもな。くはははは。」




          どこかの時代のある殺人現場での会話より抜粋。










俺はこの上なく高揚していたが、同時にこの上なく冷静でもあった。

そもそも、冷静で無ければ集中力を欠いて、魔術なんて扱えるはずもない。


魔術師として一番最初にするのは、精神修行。或いは、精神改造だ。

そうでなければ、今まで十八年も不健康な現代生活をしていた人間が、刃物で斬られたりして冷静でいられるはずが無い。


これは魔導書のアシストの一つで、精神防護の一種だ。

感情の分化。複雑に混ざり合っているはずの感情が、ひとつひとつ独立して、優先順位を設定されている。



だから俺は、例え体のどこかが千切れて、悲鳴を挙げて恐慌状態でも、戦闘時なら魔術を扱える。

憎い相手を前にしても、冷静にどう斬り殺すか考えられる。


そう、客観的という矛盾した言葉は、ここまでして実現されるのだ。



だから俺は、冷静に自分があの悪魔に勝てる可能性が低い事をちゃんと理解していた。

上級悪魔の強さは、エクレシアが十人居てもギリギリ対等だそうだ。


エクレシアの十倍。悪魔に対して有効な手段を持っているはずの彼女らでも、十倍以上の戦力で漸く勝ちが見えてくるという敵なのだ。

それこそ聖人でも無ければ、上級悪魔を退けるのは実質的に不可能なのだ。


俺なんかが、俺どころか俺の周囲の優秀な魔術師たちでも、手も足も出なかったのは当たり前だ。

ラミアの婆さまは、人間から見て精霊に近い存在だと言ったが、どちらかと言うと人間から見て神様に近いのだ。連中は。


理不尽で、どこまでも一方的。起源が同じなのも頷ける。

所詮モノの見方に過ぎないのだから。




だがしかし、相手が一方的にできる土俵ではなく、こちらの手が届き、ぶん殴れる距離。

相手が肉体を失っており、わざわざエクレシアにとり憑かなければならないほど弱体化している。その上、今無理やり実体化しているものだから、その消耗具合は計り知れない。


この物理法則に支配された世界では、悪魔の存在など机上だけしか許されない。

いや、物理法則しか観測できない人類が支配している世界では、悪魔など信じられず、十全な力を発揮できない。


ここまで相手に不利な条件が重なり、ようやく戦力対比は五分五分だ。



悪魔との戦い方は、既に予習済みだ。

魔術戦は如何に有利な状況での立ち回りをするかが肝要だ。

それが、ましてや悪魔が相手となると。その重要性は格段に増す。


連中は魔界の瘴気に紛れて、自身の存在をこの世界の法則から自身を隠蔽する。

そして、瘴気のある空間を“魔界”と定義し、その力を取り戻すのだと言う。



そしてその瘴気は、もう既にあの悪魔の全身を覆うように揺ら揺らと立ちこめていた。

俺の選んだ選択は、悪魔と言う危険な相手に浅慮であっても、突撃一択だ。それ以外に何が有る。俺はあいつを八つ裂きにしてやりたいんだ。



危険は承知である。

元より、時間も無い。


五分も有るなんて思えない。大師匠が五分と言ったのは、エクレシアが死んだ直後からであり、その時既にタイムリミットのカウントは始まっていたのだ。

ならば既に、三十秒以上時間を無駄にしている。

ごちゃごちゃと戦術やら戦い方だとか、考えるだけ時間の無駄だ。


斬る、斬り捨てる。バラバラの、八つ裂きだ。

単純に、それを成す為だけに集中力の全てを費やす。




「うらああああああぁぁあぁ!!!」

魔剣ケラウノスを片手に、悪魔に斬り掛かった。

距離にしてだいたい40メートル。

必要歩数は三歩、移動時間は二秒。


人間なら確実に仕留められる間合いだ。


俺は動く前に一度魔剣を振るって牽制に斬撃を飛ばす。

一歩踏み出した所でもう一撃、斬撃を繰り出す。

魔剣の軌跡が瑠璃色の弧を描いて、剣を振った速度で悪魔に飛来する。


普段の俺ならともかく、ジャンキーの技量を再現して放たれたそれは、鉄の塊だって両断するだろう。


しかし、本命は二歩間合いを詰めた所での魔剣による雷撃だった。

そして三歩目で叩き斬る。



斬撃で動きを制限して雷撃を叩きこんで、斬り捨てる。

きっと人間相手なら五回は殺していたと思う。


きっと、なのだから当然俺は今の連撃で仕留められなかった。


あの野郎、手の甲だけで軽々と斬撃を弾いて、直撃したはずの雷撃は寸前で両脇にそれ、俺が斬り掛かる頃にはその場に居なかった。

いや正確には斬り捨てたのだが、それは枯れ木だった。

変わり身の術かよ。粋な技使いやがって。




「良いだろう。最早選り好みはしない。貴様の絶望で損失を少しでも埋め合わせするとしよう。」

そして、先ほどの怒声とは打って変わって、冷たさすら覚えるほど無感情な声で悪魔はそう言った。


この悪魔は前に言った。自身は現象だと。

理由など無いのだ。損失の帳尻合わせの為に、失った分を補う為に今ここに存在している。


台風が通り道を過ぎ去って根こそぎ暴風雨で吹き飛ばし、地震が発生して周囲を破壊し尽くすのと同じだ。

理由など無い。誰の利にもならない。ただ存在だけで害悪。


具現化した存在だけの悪。・・・即ち、悪魔。






「“象徴顕現”―――呪縛結界『処刑場・嘆きの森』。」



その直後、この世界が黒く塗りつぶされた。







―――――――――――――――――――――――――――――





「ああ、彼死んだかもしれません。」

水晶玉に浮かび上がる光景を眺めているリネン・サンセットはぼんやりと呟いた。


クロムの方向を受けたメリスが彼女を経由して知った情報は、当然この邪悪な魔術師にも伝わっていたのだ。



「そう? あれだけ弱ってるならいけそうな気もするけど。」

「悪魔は切り札を切りました。無理でしょう。」

メリスの言葉に、リネンはきっぱりとそう返した。



「まあ、彼は応援してあげても良いんですが、その相手が彼女ではね。」

「よく言うわね。一晩中あの娘の苦しむ姿をにやにや笑って見ていたくせに。」

「まあ、私の後始末の杜撰さがこのような不幸を招いた事には遺憾の意を示させて貰っても良いですけれど。」

リネンの物言いに、メリスはくすりと笑みを浮かべた。



「神にとって奇跡があるように、その起源が同じと言うならば、悪魔にとっても奇跡に相当する何かが有るとは思いませんか?」

「ああ、アレはそういうものなのね。」

メリスは水晶玉を覗きこんでそう呟いた。



「“象徴顕現(probatio diabolica)”。悪魔の証明と訳されていますが、意味はまるで違います。

固有の伝承を持つ伝説の悪魔や、発生条件が特殊で強力な悪魔は、周囲の環境条件を強制的に自分の優位な状況へ変える事が出来るそうです。

神々が何かしらを司り象徴を持つように、悪魔もその伝承の象徴を具現化できるのですよ。神の奇跡に対になる、邪悪な奇跡です。」

「私たち魔術師は、神を法則として認識しているわ。

つまり、それと方向性は違くとも同一の物だと言うのね。

分類にするなら、“創世魔術”に近いかしら。この世ならざる法則を具現化し、自身が神の領域に足を踏み入れる究極の魔術に。

でもあれは神様一歩手前の所業だから、我々より神に近しい悪魔の方が強力って事になるのかしら。」

基本的に悪魔に人間が勝てないのもそれなら納得が行くわ、とメリスは頷いてそう言った。



つまり、前提から違うのだ。

人間とはスタート地点から違うと言っていい。


勝ち目など、始めから用意されていないのだ。悪魔と戦うと言う事は。




「いいえ、必ずしもそうとは言えないかもしれません。」

しかし、リネンは否定した。悪魔の術中に嵌まり、苦境に陥っている少年を興味深そうに見詰めながら。



「あの悪魔は、確かに切り札を切ったのです。それはつまり、もう後が無いんですよ。

普通なら、“象徴顕現”は使われるはずの無い自身そのものであり、悪魔そのものなのです。彼は今、あの悪魔の持つ原風景に立たされている。

・・・もし仮にですが、それを破るような事が有るとすれば?

悪魔は、物質ではなく精神的な生物です。悪魔自身とも言えるその秘奥が破られるような事が有れば、その存在を揺るがすと言う事には成りませんか?」

「ああ、なるほど。自分の精神に取り込んでいるようなものなのね。

勿論自分の心の中だから神の如く振る舞えるけど、それを破られてしまえば自分の精神が相手に屈したと言う事になるものね。」

ええ、とリネンはメリスの解釈に肯定した。



「これはこれ以上無いピンチで有りながら、同時に悪魔を本当の意味で打倒する最大のチャンスでもあるのです。

彼の真価は、今まさに問われていると言っても良いでしょう。」

「面白い言い方ね、それはまるで彼に期待しているようじゃない。」

「相手が聖職者なのは置いておいて、一人の少年がただ一人の女性の為に戦うって構図は、素直に尊いと思っていますよ?」

私は冷血漢ではありませんから、としたり顔でリネンは答えた。




「そう、じゃあ賭けでもしましょうか?」

「良いですね。では悪魔の方に今晩のおかずを賭けましょう。」

ぶふッ、とメリスは思わず噴き出してしまった。



「じゃ、じゃあ、私は人間の方に今日のデザートを賭けるわ。あはは。」

「おやおや、分の悪い賭けに貴方が参加するとは意外ですね。」

「言いだしっぺだもの。それに、分の悪い賭けは嫌いじゃないわ。

浪漫よ、浪漫。素晴らしい言葉よね、夢と情熱がたったそれだけの言葉にたくさん詰まっているんだから。」

そう言って不敵に笑うメリスを見て、リネンはまた何だか変な事に力入れているんだろうなぁ、と思ってしまっていた。



「はあ、ロマンですか。前から思っていたんですけれど、貴女は変な所で情緒的ですよね。貴女惚れっぽいんですから、一時的な感情で変な男に引っかからないでくださいよ。」

「変な男が私を魅了するなんてこと、できるわけ無いじゃない。私の理想の高さは、貴女も知ってるじゃない、リネン。」

「はぁ、そうでしたね。」

リネンは生返事で頷いた。彼女の頭には将来どこの誰かにべた惚れして何もかも投げ出す様が浮かんでいた。

想像して、それは無いか、とその妄想を斬って捨てた。



「でも一つだけ言わせてもらうなら、そんなの関係無いですよ。誰かに心奪われた時は、理想だとか、現実だとか、どうでも良くなるんですよ。」

「含蓄のある言葉ね。流石経験者は違うわ。」

茶化しているのかふざけているのか分からない言い方で、メリスはそう締めくくった。



そして二人が水晶玉に目を落とした時、一対の双眸が二人の両目と合った。

クロムの体を使っている、『黒の君』だった。


次の瞬間、水晶玉が破裂して木端微塵に砕け散った。

“偶然にも”尖った破片が二人の心臓に向かって飛び、ものの見事に突き刺さった。



「あーあ、やっぱりバレてましたか。・・・・服が。」

リネンは胸に刺さった破片を引き抜いたが、彼女はけろりとしていた。血すら流れていなかった。


「大師匠も酷いわね。“私”の一人の製造のコストと時間くらい知っているでしょうに。こんな突発死なんて割に合わないわ。」

メリスはそもそも自分に刺さった事になっていなかった。彼女と同じ形の誰かの命が消えただけである。



「じゃあ、結果は後で聞けばいいかしら。」

「そうしましょう。」

二人にとって、それだけだった。

夕食のおかずとデザートが消えるか増えるかかの、その程度の些事に過ぎなかった。






――――――――――――――――――――――――――――――――





声が聞こえる。


赤ん坊の泣き声に似てるが、それよりもっと甲高い。

そして、赤ん坊の泣き声ならもっと生き生きした、生命の脈動が溢れるような声のはずだ。


だが、この泣き声にはそれが無い。

この広い空間全域に、ただただ響く泣き声は、聞いているだけで人を死に至らしめるだろう。



俺は大げさな物言いをしている訳ではない。

事実、俺は死にそうになっていた。


狂いそうになっていた。



暗闇の樹海で、全方位から反響する死の呼び声が、俺を地獄に引きずり落とそうとしている。


ただの樹海じゃない。

人面樹だ。人の顔が幹に浮き出た、人がそのまま樹木になったようなものが、そこらかしこに乱立している。


その表情は、みな口を開け、目を見開いて、絶望に満ち溢れていた。

その人面樹の口から、嘆きの叫びが轟くのだ。



これは、プラボティオ・ディアボリカと言うらしい。

悪魔の固有技能であり、悪魔を象徴する大魔術。


魔導書がそう言っていたが、もう彼女の声すら聞こえないし、そんなことを考える余裕すらない。



泣き声が聞こえるのだ。

この森の嘆きが、叫びが、慟哭が、絶望が。


俺の脳髄の全てを支配する。

それでも、俺は無駄と分かりつつも歩みを止めない。


歩き続ける。さっきまでは走っていたが、今では引き摺るようにしか歩けない。


・・・・歩く?

いや違う。俺はそんな事を忘れるほど、今の状況を把握していないのか。




ジャキン。ジャキン。


そんな音が、後ろから聞こえるのだ。

ギロチンが落ちて、何かを切り裂く音だ。



ここは、処刑場だ。

俺が最初に居た場所に、数々の拷問器具や処刑道具が転がっていた。


それらが、追ってくるのだ。


この、絶望と嘆きに満ちた樹海で。

死の協奏曲が奏でられる。


苦しみと、悲嘆で、奏でられる。


地獄に等しい悪夢の夜。

狂気のみの世界。




最初の内は、電撃でこの樹木を薙ぎ払う気力は有った。

しかし、それも長くは続かない。


もはや時間が無い事も忘れている。

それどころか、時間の感覚すら消えている。



これが悪魔。

悪魔の本気だ。


ふざけている。反則にも程が有る。

あんな化け物に、勝てるわけが無い。



ジャキン、ジャキン、とギロチンが迫る音が聞こえる。

逃げられない。足に何かが絡まっている。


もう、俺の今後を考える余裕すらない。

頭がぐちゃぐちゃになる。


なにもかんがえられない・・・・・。






―――――ほんとうに?




なにもかんがえられないのならば、なにもかんがえなければいい。


りせいなんて、かなぐりすてて。

あの、あくまを、やつざきにすればいい。


さいわい、おれには、なにもかんがえられないきょうきのなかで、ひゃくねんいじょうたたかいつづけたおとこの、きろくがある。



しこうをとれーす。

やつのまけんは、おれにちからをかしてくれる。


きおくをとれーす。

まけんの、きおくがぎゃくりゅうする。



おれは、このとき、おれでなくなる。

ひとをやめる。



じゃんきーの、きょうふのこんていがよみがえる。


きんいろの、てんばつがいう。

こうしょうしながら、さつりくはいう。


―――――わらいなさい。えがおでいないと、かみはあなたをすくいませんよ。わらいなさい、わらって、あのいたんしゃをみなごろしにするのです。



げらげらげら。



よっかつづいた、あくむはいう。


――――ひとびとよ、くひひひ、あれは、あひゃひゃ、あくまです。あはははははは、ころしなさい。ぎゃははははは、ころしなさい。かみのために。



おもいだせ、あんなあくまなんかより。

あの、せいなるばけもののほうが、こわいだろう?


げらげらげらげら。



じゃんきーのきおくのなかにだけしかいないはずの、あのあくむがおれをみた。

きおくだけにしかいないはずなのに、きおくにない、きんいろのえみをうかべている。


そして、わらう。こうしょうする。



――――いひゃひゃひゃひゃ、うひひひひひえひゃひゃひゃひゃ、ぐひひひ、あはははははははは、けひひひひひひ、うくくくくくげひゃひゃひゃひゃひゃ。


やめてくれ、なぜおれをみる。

なぜ、かくうのおまえがおれをみる。


まるで、あいつのきおくをとおして、おれをにんしきしたみたいじゃないか。



きんいろの、せいじょはいう。

かれのきおくにないはずのことばを。



――――はやく、ころしなさい。でないと、あなたがいたんしゃですよ。


こわい。こわい。こわいこわいこわいこわいこわい――――恐怖。

あれは恐怖そのものだ。




「うぎゃああああああああああああああああああああああああ」

狂いながら、俺は戦う。


あの赤ん坊のような悲鳴すら塗りつぶす、あのおぞましい哄笑が頭に鳴り響く。

狂気が、狂気を塗りつぶして、俺は恐慌状態を取り戻した。

何も考える余裕が無いのなら、何も考えられない理由を無視すれば良い。


理論など無い、俺は今、狂っているのだから。



その中の、冷静な俺が魔術を担当する。

狂気の中でまだ正気の俺が、戦う。



漸く俺は、戦える。

あの悪魔に勝てるのならば、俺は手段を選ばない。




「愚かな。なぜそこまでしてお前は戦うのだ。」

悪魔が問うてきた。


理解できないと、そう言う心境なのだろう。



「お、お、おれ、おれが・・・」

俺の中に有る恐怖のせいで、呂律が回らない。

格好悪いったらありゃしない。


でも良いんだ、今俺は狂っているんだから。



「お、おま、おま、おまえを、や、八つ裂きにしたいからだ!!」


それに、もう狂ってる俺は、理由なんて忘れたよ。



斬り裂く。邪魔な人面樹を斬り捨てた。

最初に何度も試したが、無駄だった。


だが、そんなのは関係ない。うるさいから、壊すのだ。



「あが、が、あひひ、ひひ・・・。」

俺は笑う。恐怖で引きつった笑みを浮かべる。


笑わないと、神は俺を見捨てるから。

笑顔で無いと、幸せじゃないから。


笑わないと、あの金色の殺戮が、俺を見るから。




ごちゃめちゃぐちゃぐちゃめっちゃめちゃ。


あのふざけた面の木を、次から次へと破壊する。

壊して壊して、壊しまくる。


無限の広さがあるかと思われたあの人面樹の樹海が、唐突に終わりを迎えた。

もしかしたら、全部壊し尽くしてしまったのかもしれない。



それは困る。

でなければ俺はこの衝動を、一体何に対して発散しなければいけないのだ。




「なるほど、お前は絶望しないのか。とんだ、無駄骨だ。

私は消えるしかないのだろう。滅びるしかないのだろう。

だが人間よ、愚かな人間よ。せめてお前だけは手ずから道連れにしよう。ただ嬲り殺されるだけの私の世界で、お前はこの私を引き摺りだすことに成功した。

私が完全に後の無い状況と、貴様の後先考えない愚かな真似の所為ではあったが、それだけは賞賛しよう。私を滅ぼす人間よ。私を殺す人間よ!!!」

悪魔が何か言っている。

だが、そんなのはどうでもいい。


肝心なのは、重要なのは、あの悪魔が俺の前に現れた事だ!!!




「っひ、うひッ、ひひっ、うひひひひ。」

俺は笑う。楽しいから、あいつを殺せるから、笑う。

でもなぜだろう、何か大切な事を忘れている気がする。


だが、殺す。八つ裂きにする。

倒すし、バラバラにする。



そうだ、こう言う時は気分が良いので歌でも歌おう。

こう言う時は国家でも歌おう。大和魂だ。

ああ、しまった。あのよく分からない歌詞覚えてないや。


仕方ないので適当に即興で歌おう。



「このような気分になったのは、生まれて初めてだよ。人間。」

「あーああーああーあーーああーあー!!」

俺も、最高にハイって奴だぁ!!

八つ裂きにして撫で切りにしてマーボー茄子にしてやんよ。



「ららららぁー♪ あらららー♪ くらららー♪」

悪魔が手にしたギロチンの刃が飛んでくる。

せっかくいい気分なのに。


魔剣の斬撃で撃ち落とすと、俺もお礼参りに出かけた。

土産話は刃傷沙汰と電撃会見だ。



そしたら悪魔の野郎、触手プレイにSMとかレベルたけーわ。

俺は触手で鞭打ちされて悦んだりしねーよ。俺をお前の趣味に付き合わせんじゃねーよ。


悪魔の触手を三枚に下ろして全体をローストする。

だけど悪魔の野郎はそんな調理法はごめんらしく、付け合わせの枯れ木がこんがり丸焼きになるだけだった。


だが、次の瞬間、あの人面樹たちがわらわらと出現して、俺を取りあうようにダンスパーティのお誘いに来やがった。

しかも連中全員触手プレイが好みと来た。



「俺はノーマルなんだぜー!!」

地面に転がっていたギロチンの刃を手に取り、魔剣と一緒に全員のお相手を仕った。


それはまさにダンスマカブル。

死の恐怖を前に半狂乱になって踊る様を表すその単語は、今の俺に相応しい。



すると、あの悪魔の野郎今度は俺のケツを狙ってやがったのか、地面から太くて硬くて鋭い槍みたいな触手が次々と出現するのだ。


「おいおい、俺は受けじゃねーよ、責めさせろよ。でも俺×悪魔の同人誌なんてみたくもねーよ!!」

しかし801好きの女子の妄想力は計り知れない。

もしかしたらもう既に・・・。やべぇ、背筋が震えてきやがった。




「お前の言っている事は意味が分からない。」

「俺も分かりたくねーよ。」

悪魔のマジックショーは続く。

今度は地面から突き出た触手がにょきにょき成長して、全部悪魔の姿に成りやがった。


その数、五体。

にょきにょき言ったが、瞬間移動のマジックみたいに早かった。つーか、本物のマジック使えるじゃん、悪魔だし。


その悪魔軍団は、変幻自在な軌道の鞭で俺をしばくつもりらしい。



「では今度はこちらから、人体切断ショーの開幕でーす!!」

視界を埋め尽くすほどの触手責めを、魔剣とギロチンで新たなフェチズムの世界を開拓する。


執拗な触手責めを耐えきると、今度は不意打ちで俺に毒々しい液体をぶっかけてきやがった。

嫌らしい神経毒だ。


直接口にしたわけじゃないし、今現在俺の体内は内功を魔術的に再現して居るので多少の毒には耐性が有るが、これはすぐに気化して広がるヤバい毒だ。



これは確実に俺を逝かせに来ている。

ならばこっちも地獄にエスコートしなければならない。


先ほどから幾ら幾ら出てくる奴を切り裂いても、まるで萎える様子が無い。

普通少しは消耗して見せる物なのだが、その様子も無い。


つまり、あれだ。今まで相手にしてたのは、玩具だってことだ。

本物そっくりの玩具ってヤベーな。興奮するわ。それだけ悪魔野郎を切り刻めるってことだもんな。



そして、肝心な本体は隠れてどこかにいるってことだ。

そいつが分かれば世話ないが、なに、すぐ分かる。




「お前の全てを曝け出して見せろよッ!!!」

悪魔の玩具を四体干物の仲間入りにさせてやって、もう一体の胴から真っ二つにする。


ギロチンの刃を捨てて今叩き切った悪魔の玩具を直接掴んで、力任せに引っ張った。

そして、ビンッ、と思いのほか簡単に強い張りが返ってきた。



触手の角度と引っ張った時の張りと感触で、だいたいの位置はそれで掴めた。

約百メートル先の、地下十メートルくらいだ。


しかし、残念ながらそこに居る悪魔野郎の全身を晒させる方法を持っているわけではない。



――――そう、昨日までは。


今の俺は違う。



魔剣ケラウノスは元々、ある技を再現する為だけに作られた代物らしい。そのあと色々と機能が追加された感じだ。

魔導書はに最初に記録されていた誰かの戦闘経験に、奥義と呼べる必殺剣が一つ収録されていた。


それを再現するには、とても俺の技量では不可能だった。

だが、今の俺はジャンキーの戦闘経験と技能が有る。


それを総合すれば、その技を再現する事は可能になるのだ。




俺は、地面に魔剣ケラウノスの切っ先を付けて、そのまま疾走する。

地面に擦れて、魔剣の切っ先が火花を散らす。


加速する俺の姿勢は徐々に低くなり、それにより魔剣を持つ手に力が入り、切っ先がどんどん地面に埋まっていく。


魔剣の全体が、雷を帯びて、俺の全身を包みこんで迸る。

今まで使えなかったが、この魔剣ケラウノスの能力は電気的に筋力を増強させ、俺の全身のリミッターを外し、極限の力を発揮させる事を可能とする。


その上、内功が加わり、ようやく必要条件が達する。

更に剣術としての技量を大きく求められる。



百メートルが一瞬に思える。

限界まで振り絞った力は、地面と言う鞘に半ばまで埋まった魔剣を解き放つのにふさわしい時を待っている。



だが、肝心な物がその技には足りていない。

そうそれは、名前だ。必殺技には、名前が無いといけない。


魔導書にはその技の名前が載っていなかった。

大師匠は自分で改良して良いって言っていたし、ここまで本来の技と過程が違うとなると、もはや別物だと言える。


だから、俺が名づけよう。この奥義を。



そしてその時が来た時、俺は思いっきりその一撃を振り放つ。

その名も、秘剣。





「―――――“雷霆”。」




やや地面に向けて振り放たれた雷光の一撃は、約三十メートルもの距離の地面を放射状に抉った。

城壁すら引き裂く、俺の至高の一撃だ。



そして、地面が吹き飛ぶ瞬間、地面に根を張っていたあの悪魔野郎の姿を捉えた。


俺は空いているポケットに片手を突っ込んだまま、悪魔に向かって走り出した。




「よもや、この私が負けるだと? 馬鹿な。」

その信じられないと言った言葉とは裏腹に、悪魔の口調は淡泊だった。



「こいつは効くらしいぜ、おぉら、逝っちまいな。」

そして俺は、ポケットの中から取り出した蹄鉄の護符を握りしめ、その両端を悪魔の体に突き刺した。


護符の力が、悪魔を退ける。




「GURUAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」

悲鳴ではなく、今度の叫びは断末魔に近かった。



その直後、この世界が割れた鏡のように、音を立てて砕け落ちていく。

それはどこか、心が折れた音のようにも聞こえた。








・・・・・

・・・・・・

・・・・・・・





「う・・・・あ・・・あれ・・あ?」

気が付くと、俺は元の場所に立っていた。


目の前には、どす黒い炎のような物体が―――悪魔の魂だ―――浮いていた。




「わお・・・マジで勝っちゃったよ。」

大師匠の呟きが、俺を現実に引き戻す。



「え、俺は・・・確か、赤ん坊の悲鳴のような声が聞こえて、おい、魔導書。俺はあの後どうなったんだ?」

何だかとても取り返しがつかない事をしていた気がするが、あのまま死闘をしてた事以外、何も覚えていない。




―――『拒否』 穢らわしいので話しかけないでください、マスター。



「はぁ!?」

訳が分からん。しかし何だろうか、今すぐ地面に穴でも掘ってそのまま埋まって永眠したいこの衝動は。

だが、そんなのはどうでもいい。




「それより、大師匠!! 時間は!!」

「ああ、それね。うーん、ギリギリアウト。」

大師匠は、ちっとも残念そうな表情もせずに、あっさりとそう答えた。





「・・・・・・・・・え?」

「だから五分過ぎてる。丁度いま十秒オーバーしたところ。」

僕の体内時計は正確だよ、と大師匠は笑いながら言った。



だが、俺は大師匠が何を言っているのか理解できなかった。

理解したくも無かった。


だって、それは、だって、だって。



エクレシアが■んだって事を、認めることになるじゃないか!!!



俺は今にも無性に頭を掻き毟り、叫び出したい衝動に駆られた。

だが、出来ない。


まるで全身の筋肉が全ての力を使い果たしたかのように言う事を聞かなくなり、俺はその場に半ば倒れ込むように膝をついてしまったからだ。




「くそ、くそッ!!」

冗談だろ、冗談だと言ってくれ。

俺はいったい何のために、あんな化け物と戦ったと思ってるんだ。


そんな、そんなふざけたことが有ってたまるか!!!



「大師匠、ほ、ほんとうに、時間切れ、なのか。」

俺は、藁にも縋る気持ちで彼に問うた。



「うん、五分過ぎたね。」

だが無情にも、過去は決して戻らないと言わんばかりの表情で、大師匠は頷いた。




「あ・・・あ、あ・・・・。」

俺はその現実に付いていけず、涙すら出なかった。

ただ、ただただ、疲れたと、そう思った。



「大師匠・・・他に方法は無かったんですか?」

「他にって?」

「エクレシアを死なせる以外の方法が、無かったかって聞いているんだよ!!」

俺はその時、この世で最も怒らせてはならない人物に対してそのように叫んでしまった。



「え、だってそれが一番手っ取り早いし。」

だけれど、大師匠は悪びれもせずそう言った。



「そんな、そんなそんな・・・ッ!!」

「んん~? 君だ大丈夫かい? かなり消耗したみたいだけれど。」

「俺の事なんてッ!!」

俺はわがままを言う子供のように、大師匠に怒鳴り散らした。


分かっていた。

大師匠は最善を尽くしてくれていたと。


確かに彼の手に掛かれば、事態は簡単に解決しただろう。

だが、それでは問題に直接関わっていた俺達が、彼に全て丸投げにするのと同じだ。



現実に生きている俺たちが、それだけはしてはいけない事だと思う。

伝説の存在である彼に、軌跡を願ってはいけないのだ。


俺の心中に有るのは、情けなさと後悔でいっぱいだった。



俺の様子に流石の大師匠も心配になったのか、彼は眉を顰めてこう言った。




「それよりさ、僕は彼女の蘇生に取り掛かりたいんだけれど。調子が悪いなら休んだ方がいいんじゃないの?」

「―――――え?」

俺は、一瞬聞き間違えかと思った。



「え、でも、エクレシアは・・・手遅れじゃ・・・。」

「ああ、うん。手遅れだね。普通なら。あれ、言ってなかったっけ? 宗教観とかで結構伸びたりするって。」

「え、だって、大師匠は五分が限界だって。」

「え、あれは五分以上は確実に助かる保証は無いって意味で言ったんだけれど。彼女の場合、あと一年は持つと思うよ、異例だね。

聖人の奇跡に最も有名で数多いのはね、死後に死体が腐食せず、生前のままの姿を保っている事なんだよね。

これは聖人として認められる基準にもなっているほどポピュラーな奇跡だ。」

彼女は資質あるね、と大師匠は感心したように頷いてそう言った。



「だいたい助からないのは、肉体から魂が完全に乖離して消滅してしまうからであって、魂が肉体に残ってさえいれば、僕なら千年経とうが蘇生は可能だよ。

ちなみに、一度でも肉体から霊的に魂が乖離してしまうと、元の肉体に収めても魂が離れやすくなるし、下手すると将来悪霊に成りやすくもなる。

魂と精神だけの霊体になると、精神が消耗して何れ魂が本能のままに襲うのが、悪霊だとか死霊だとか言われてる存在なのさ。」

聞いてもいない事まで詳しく説明をしてくれる大師匠。


「流石に何年も前に死んだ人間を生き返らせろ、と言われても無理だよ。

魂や精神の再現は出来ると言えば出来るけど、そんなの限りなく本人に近い偽物にしかならないからね。例え0.01%の違いでも、その齟齬は拭えない違和感として根底に残る。

そしていずれ自分にとって都合のいい人間にしか見えなくなる。そんなのを許容するのは異常者だけだよ。」

だから“完全”な死者蘇生は不可能なんだ、とどこか吐き捨てるように大師匠は言った。



つまり、大師匠にとっての、“完全な死”を迎えなければ蘇生は可能らしかった。

何だか思わせぶりな言い方で悪魔を倒せと言うもんだから、彼の言葉を本気にしてしまった。



「は・・・はぁ・・・。」

何だか、力が抜けた。



「この世には、『奇跡』と言う概念が有る。

時にこの世の条理を超越した、不条理な力だよ。なにせ、僕の長年の研究から見出した数字を容易く凌駕して見せた。

僕はね、この世に神の介在が確かにあると信仰しているよ。」

大師匠は、何だか彼に似合わない台詞を吐いた。

だが、素晴らしいと賛美すると言うより、少々刺が混じった言い方な気がした。


けれど、本当にエクレシアが助かったのが奇跡だと言うのなら、俺も確かに神を信じても良いかもしれない。明日から祈りの時間をさぼらない事にしよう。

そして彼は何やら魔法陣を敷いて、エクレシアを蘇生する為の儀式をし始めたようだ。





「最初の頃は頼りないガキだと思ってたけれど、なかなかどうしてやるようになって僕は嬉しいよ。」

すると、クラウンがそんな事を言ってきた。

何となくだが、こいつと大師匠の性格は似てる気がする。


「悪魔の一匹くらい退治して見せないと、僕の目的を果たすのに付き合うのは到底無理だろうけれど。」

「アレ以上の相手なんて正直勘弁してほしいけれどな。」

冗談じゃない、と俺は首を振ってそう言った。



すると、俺の目にあの悪魔の魂が目に映った。

完全に沈黙し、ただ空気中に邪悪な色としてだけ存在していた。

先ほどよりその炎が小さくなっているように見えた。当然だ、奴の存在はこの世に許容されてはいないのだから。



「・・・・なまじ強くて死ねないってのは哀れだな。」

俺は、魔剣ケラウノスを振り上げた。




「ねぇ、待って。」

すると、俺に治癒魔術を施していたサイリスが急に俺を制止した。



「なんだよ、情けを掛けるつもりはねーぞ。」

八つ裂きにしてやるとは言ったものの、もう八つに裂けるほど大きくも無い。しかし、俺はこいつを絶対に許さない。


サイリスはもしかしたら、悪魔の一種として奴に同情しているのかもしれない。



「情けなんて掛ける必要はないわ。八つ裂きにするよりずっと良い方法が有るの、どうかしら?」

いや、そんな事無かった。

こいつも悪魔だったわ、そう言えば。凄く嗜虐的な笑みを浮かべてやがる。



「好きにすれば良いんじゃねーの?」

何だかこんな笑顔をしてるサイリスには勝てない気がした。


俺がそう答えると、サイリスは悪魔の魂を手に取った。




「ねぇ、取引しない? 貴方だって消えたくないでしょう?

このまま魔界に帰っても消耗が酷くて緩やかに消滅を迎えるだけなんでしょ? だったら、私が貴方のこの世界に繋ぎとめる楔になってあげる。

私は貴方に飢える事のないように精製した魔力を提供しましょう。極端に貴方を束縛するつもりも無い。ただ契約して、その力と叡智を、この私に貸しなさい。

その代わり、私の体が朽ち果てるまでこの私に付き従いなさい。高だか数百年、貴方にとって瞬き程度の時間でしょう。

我が名はサイリス。我は汝に契約の是非を問い、私は汝に誰何をする。」

まるで、相手に情事でも持ちかけるような甘い声色で、彼女は言った。




「・・・・・・良いだろう。汝を、我が主と認めよう。

だが答えて貰わねばならない。なぜそのような気を起こしたのか。憐れみか、同情か、それとも怒りからか?」

か細い声で、無機質な悪魔の問いが返ってきた。



「完璧な状態でこの世界に顕現している貴方を、逃す手は無いと思ったからよ。ただ、それ以上の理由は無いわ。」

「裏切るかもしれないぞ。」

「種族が違ってもそれくらいわかるでしょ。同じ悪魔なんだから。貴方の性質くらい分かるわ。」

「そこの人間に恨みを買うかもしれないぞ。」

「彼は最初に貴方を恨んでないって言ったじゃない。」

「いずれ後悔する日が来るかもしれないぞ。」

「その後悔も、飲み干しましょう。

私は、師匠の弟子として生きると決めているのだから。」

そう言いきったサイリスは、きっと俺が目指すべき姿なのかもしれない。




「・・・・了解した。我が主殿よ。契約を交わそう。

我が古き名はアルルーナ。我はドイツの古き伝承の一端にその名を残す、魔草アルラウネの化身なり。我が力を持って、我が主殿に未来の成功を約束しよう。」

悪魔はそう応じて、サイリスの手の中に消えた。





「え、まさか、そいつって女だったのか・・・?」

「悪魔に性別は無いだろうけれど、多分元はそうだとは思うよ。アルラウネの語源から考えるに、元は女神の一種だったのかもしれない。」

「うぇ・・・め、女神・・・!?」

「不思議な事じゃないじゃない。悪魔なんてだいたいが神様の変形した形だし。僕は悪魔の起源がそもそも神様と同じだって言ったじゃない。」

作業の片手間にそんな事を言ってくる大師匠。


そう思うと、何だか色んな意味でとんでもない奴を相手にしたような気がするんだが、俺は。




「はい、終わり。」

そして、俺は自分のしたことに慄いているうちに、大師匠は夕食の味付けでも終わったような感じで、エクレシアの蘇生を終えた。


本当に、あっさりと終わった。

大師匠にとって、本当に造作も無い事だったのだろう。



「じゃあね。たまには遊びに来てくれると嬉しいな。暇だし。相談くらいになら乗ってあげるからさ。」

大師匠はそう言うと、がっくりと地面に崩れ落ちて両手で手を突いた。


もう、彼ではなかった。

彼女に戻っていた。



「うぉえッ」

そして、クロムは両手で口を抑えて、泣きそうになりながらも醜態は晒さなかった。



「だ、だいじょうぶか・・・?」

何だか声を掛けるのは憚られたが、それでも彼女の様子にそう言わずには居られなかった。



「大師匠に、初めて本気で殺意を覚えたわ・・・でも、ただ、主導権を奪われる私じゃない。ふふっ、ふふふふふふふ・・・・。」

まるで幽鬼のように、クロムは邪悪に笑った。

今の彼女は、悪魔より悪魔らしかった。




「ちょっと体にガタが来てるから、私はもう帰るわ。うふっ、ふふふ。」

「お、おう、ありがとな。多分だけど、あんたのお陰で助かった気がする。」

「そんなの当たり前じゃない。」

そんな傲慢な返事をして、クロムはよろよろと立ちあがって帰って行った。





「あ・・・あれ、わたし・・・は?」

そして、ベッドにうつ伏せに寝ていたエクレシアが、ついに目を覚ました。



「エクレシア・・・良かった。お前、大丈夫か?」

俺も決して万全に歩けるコンディションでは無かったが、何とか立ちあがって、破れたテントから部屋に入った。



「え・・・メイ・・・さん?」

「おいおい、まさか記憶喪失になってるみたいなテンプレみたいなオチとか止めろよ。」

俺の名前を呼んでいる次点でそれはないが、意識不明の重体に陥った人間が記憶を失っているなんて典型的過ぎて最早冗談だ。



「おい、起き上がれるか?」

「・・・・!?」

俺が彼女に手を差し出した時、エクレシアの反応は異常だった。



「待ちなッ。」

大師匠が蘇生を行っている時もエクレシアの側に居たラミアの婆さまが、異変を察知してそんな鋭い声を挙げた。


しかし、もう遅かった。




「や、やぁ・・・や・・・」

彼女が、身じろぎして、ベッドの端まで後退ろうとして、失敗していた。


まるで、起き上がる事を忘れてしまったかのように。




「・・・え?」

俺は彼女のその行動の意味がその時、全く理解出来なかった。



「いや、嫌、見ないで・・・こんな、惨めな、私を・・いや、嫌、嫌々・・見ないで、お願いだから・・・・嫌、みないで・・・・。」

そこに、俺の知るエクレシアは居なかった。


そして俺がどうすれば良いのか、今の状況の訳が分からなくなっているうちに、彼女は半狂乱になって叫びだした。

その悲痛な叫びは、俺には表現できなかった。



エクレシアは、何かに脅えていた。

涙を流しながら、俺を見ていた。まるで、俺の背後に悪魔でも居るとでも言うように。




「落ち着きな!!」

ラミアの婆さまが、自らの首を引き千切らんばかりに頭を振って叫ぶエクレシアを、無理やり押さえつけた。

激しく動く頭に反して、彼女の体は壊れた玩具のように時々痙攣するように動く程度だった。



俺はこの時何か出来たとは思えなかったが、俺はどうすればいいか必死に考えていた。

出来る事が有るとすれば、恐らくそれは速やかにエクレシアの前から消えることだけだっただろう。


彼女の抵抗が激しく、押さえつけるのにサイリスまで参加し始めた時、クラウンがぽつりと呟いた。




「ああ、もう駄目かもしれんね、あいつは。」

そんな風に、俺を地獄に突き飛ばすような呟きだった。


頭の中が、真っ白になった。




すると、



「どうしたの・・・・?」

疲れて眠っていたはずの、あの幼女―――ミネルヴァが、異常を察してか目を擦りながらとぼとぼと歩いてきた。



「お姉ちゃん、どうしたの?」

そこで、彼女はエクレシアの様子を見て、首を傾げた。


まだ十歳にもならない子供の彼女には、彼女の状態を説明するにはあまりにも複雑すぎた。



だが、彼女は分かったらしい。

理解とか知識とか、そう言う話ではなく、彼女は自分が何をすればいいのか、当たり前のように知っていたのだ。




「だいじょうぶだよ、こわくないよ。わたしがいっしょにいてあげるから、泣かないで。おうたをうたってあげる。だいじょうぶ、だいじょうぶだよ。」

多分この状況の何一つ理解していないだろう少女の無垢な言葉は、俺の心にも響いてきた。


必死に檄を飛ばして落ち着かせようとしていた婆さまとサイリスでも駄目で、今にも魔術を使って眠らせようかと言う判断を下そうとしていた二人の間に、少女は割って入る。

アレほど暴れていたエクレシアが、彼女から目を離せなくなっていた。



「ほら、こわくないよ。どうしてもこわいなら、わたしがいっしょにねむってあげるから。これで今日、かみなりが落ちてきてもへいきだよ。」

ミネルヴァは正面からエクレシアに抱きついて、体格は全然見合っていないはずなのにまるで聖母のようにそう言った。



何だか、圧倒的だった。

あの悪魔以上に、勝てる気がしなかった。


こわくないよ、と何度も言い聞かせているうちに、エクレシアはいつの間にか安らかな眠りに付いていた。

気が付けば、ミネルヴァも一緒になってぐっすりと眠っていた。



それに気付いた瞬間まで、この場に居た誰もが彼女に無意識のうちに支配されていた。


これが、カリスマと言う奴なのかもしれない。

存在するだけで他者を圧倒し、屈服させる天性の能力。



少女ミネルヴァ。

ローマ神話に登場する、女神の名を持った少女。


その名にふさわしい威光を持った少女。






俺はこの日、神の存在を信じた。


だけど神様。エクレシアの信じる神様。

俺はこれから貴方に対する祈りを忘れません。

貴方の事を心の底から信仰しますし、これから俺に試練を賜わして下さると言うのなら、喜んで受けましょう。



エクレシアに、あんな試練をお与え下さった神様。

ですから、神様。どうか、貴方を恨む事を許して下さい。


貴方を心の底から信仰していた彼女に、このような運命を与えた貴方を恨ませてください。



神様。これが貴方の齎した『奇跡』の結果だと言うのなら、貴方は悪魔と何が違うと言うのですか。


それでも俺は貴方を信仰します。

貴方の存在を肯定します。

だから、だからせめて、恨ませてください。



そうでなければ、俺は本当にどうにかなりそうです。


神様。・・神様・・・。











熱い展開を期待していた人はすみません。

残念ながら、主人公の彼がまともに悪魔と戦って勝てるわけないじゃないですか。


とはいえ、我ながら今回の話は冒険したと思っています。

こんな危険運行は、ジェリーが出た時以来かもしれませんね


来週から暇がないとはいえ、徹夜で書いていたからテンションがおかしかったのかもしれません。


エクレシアは助かりましたが、助かっただけです。

助かることと救われることは、まったく別のものだという、今日のお話でした。


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