第三十七話 ジョーカー
『黒の君』は語る。
「実に今さらな話だけれど、これは大事な事だから言うよ。実を言うと、僕の言っている事はあまり当てにしない方がいいよ。
ほら、別に明確に文章化されるわけでもないから、いつも僕の話は適当にその日の気分で話してるわけよ。だから前と同じ話題でも食い違う事が有るから。これ要注意ね。
だってさ、僕の言ってることって結構定義が難しい話だからね。そう言ってお茶を濁しておくのも良いかと思ってさ。
まあ、後で僕がこう言ってたからー、みたいな理由でごちゃごちゃ言われるのが嫌なだけなんだけれど。
うん分かってる。これはただの予防線だ。
とは言え、僕が君に対して嘘を言う必要はないし、何より僕は君に伝えなければいけない事がたくさんある。
全く、矛盾しているよね。だけど、僕に肩を並べられる連中の誰ひとり、矛盾を抱えていない奴はいなかった。むしろ、それが際立ってさえ居た。
そう言う欠点こそ、人間性って奴なのかもね。」
いつかどこかでのある少女との会話より抜粋。
「全く、こんな時間にこの僕を起こすなんて、本当に君たち人間って毎回毎回トラブルを抱えて来なきゃ気が済まない生物なのかな?」
クラウンは実に辛辣な嫌味を言ってきた。
ただ、当人は別に嫌がっているようではなさそうで、次から次へと起こる事態を楽しんでさえいそうだった。
あれから、俺はまず主人であるクラウンに助けを求めた。
普通ならその場に居たサイリスから、ラミアの婆さまに頼むべきなんだろうけれど、その時の俺はそこまで考えが及ばなかったのである。
単純に、本物の悪魔に対抗できそうな奴がクラウンしか思い浮かばなかったと言うのもある。
合理的な判断なんてできなかった。
気が動転していたし、多分かなりの醜態を晒したと思う。
「すまない・・・・。」
クラウンの奴を叩き起こした時も支離滅裂な言葉を喚き散らしていた覚えがある。
落ち着いてから、随分と気恥ずかしくなった。
「気にしなくて良いと思うわよ、こいつら“獣の眷属”は身内が死んでも、ああ残念だったね、で済ませる連中だから。」
「それは価値観が違うだけだよ。僕らだって同胞達の死を悲しみ、悼んだりするさ。
だいたい、人間に近い感性を持つ君達“夜の眷属”とはそもそも前提が違うんだ。」
サイリスが気を使ってくれているのがわかるが、クラウンは始めからそんなつもりはやっぱり無いらしい。
獣に近い魔王の眷属、対人間に特化している魔王の眷属、コンセプトの違う両者は始めから相容れるような存在では無いみたいだった。
「うるさいねぇ、お前さん達は少し黙って居られないのかい。」
すると、ラミアの婆さまが天幕の中から出て来た。
俺たちは今、婆さまの工房の前でたむろしていたのだ。
「婆さん、エクレシアは大丈夫なのか?」
俺は堪らずに婆さまに問うた。
「無理だね。手に負えないよ。」
そして、彼女はあっさりと匙を投げた。
「そんな・・・・。」
「魔界の魔族とこっちの魔族は、人間で言うと精霊くらい掛け離れているからねぇ。
私らはこっちの世界に完全に根を下しているが、連中はそうでない分、より幻想に近い位置に居る。相手になる筈もあるまいよ。」
悪魔の凶刃に倒れ、呪われたエクレシアをラミアの婆さんを持ってしても覆す事は出来ないと言う。
俺の知る限り魔族で最も優れているだろう呪術師である彼女でも、不可能だと。
「下級悪魔程度なら、人間は自分の信じる神の力を借りでもして追い払うこともできたんだろうが、流石に上級悪魔じゃねぇ。これは人の手に余るだろう。」
婆さま曰く、基本的に悪魔に目を付けられたらご機嫌を取って帰ってもらう他ないのであるそうだ。
「何かしら裏技で誤魔化してうやむやにしちまうのが最良なんだけれどねぇ。最初に三日って期限を提示されたんじゃあ、小細工する暇もありゃしない。」
「交渉には応じるって言ってたが・・・。」
「十中八九、無理難題だろうねぇ。悪魔は基本的に言った事は絶対に覆さない。
ただのパフォーマンスに違いないねぇ。より深い、絶望を与える為に。」
「や、やってみないと分からないだろ!!」
多分だが、俺はまだ気が動転していたのだろう。
溺れる者は藁も掴むと言うが、後が無い者は本物の悪魔でさえ頼るのだ。
それがたとえ、その悪魔本人が不幸を齎していたのだとしても。
もう、引っ張る必要もないだろうから、結論から言おう。
俺はバカだった。
「この娘と同じ歳月の分だけの生け贄を用意せよ。
―――――即ち十九歳以下の十九人の処女の子宮を差し出せ。」
悪魔が要求してきたのは、そんな鬼畜じみた条件だった。
「ふざ、け・・・」
俺は拳を振り上げようとして、悪魔の足元でうつ伏せのまま苦しそうに呻いているエクレシアを見て、辛うじて躊躇えた。
「この要求に従うのであれば私はいつまででも待つ所存ではあるが、私は正当な報復としてこの娘の生命を頂戴している。
死に至るまでを推定して、それが三日後の夜明けと判断したからそう告げたまで。
精神論を信じるのも良いだろうが、果たしてこの娘がどこまで持つかな・・・。」
どういう経緯か知らないが、相当な恨みを覚えているらしかった。
そう、この悪魔は、始めからエクレシアを殺す気でいるのだ。
これは交渉ではなく、一方的な処刑宣告だった。
「別に、私はこの娘を恨んでなどいないよ。」
ふと、悪魔が俺の心を見透かしたようにそう言った。
恐らく、いやきっと、確実に見透かしているに違いない。
「下らない理由でこの世界に召致され、その結果が肉体を失ったと言うだけでは割に合わない。
精神エネルギーを奪えれば別に誰でも良かったのだが、丁度呪詛の対象として適材が居ただけの事。強いて慰めの言葉を掛けるならば、運が悪かったとでも言えば良いか?」
「この野郎・・・・。」
悪魔は淡々と、どこまでも事務的な、一方的な事実を容赦なく突きつけてくる。
邪悪で下卑た笑みや笑い声を出すわけでもなく、そうやってじわじわと煽ってくる。
「お前は、災害にいちいち怒りを覚えるのか?
今のお前は竜巻に罵詈雑言をぶつけ、火山の噴火に己の怒りの内をぶちまけるのと同じだよ。所詮私は、この場に置いて現象に過ぎない。
そこに意思が介在して居るか否か、規模が大きいか否か、鎮める術が有るか否か、その程度の差があるだけだ。」
ただの幻想だ、と悪魔は言う。
だから言えるのだろう、運が悪かったな、と。
「この、悪魔め・・・・。」
「お前は我々に、人間め、と言われて何か感じるのか?」
話にならなかった。
そうして、一通り言いたい事だけ言って、悪魔は消え失せた。
未だあの奇妙な剣は、彼女の背中を刺し貫いている。その刀身の中に、今まで消えて居た邪悪などす黒い炎が灯る。
これが、この悪魔の魂だと、サイリスは言っていた。
「見た所、魂に直接干渉するタイプの極めて特殊な魔剣らしいわね、下手にいじるとエクレシアの魂にダメージが行く可能性が有るから触っちゃだめよ。」
すると、クロムが天幕の中に入ってきた。
彼女が色々調べた結果、この特殊な魔剣の中に自己の魂を保存しているらしく、これでは全く干渉が出来ないらしい。
この魔剣をどうにかしなければ、手の施しようもないとクロムは言った。
体を滅ぼされて無事なトリックの、タネらしい。
「このタイプの魔剣と言うのは基本的に持ち主と同じ魂が宿ってるのよね。それを利用して存在を同期させて、殺された直後に自動的に魂の保存を行うって感じかしらね。参考になるわ。」
エクレシアを倒した人知を超えた魔術の正体をあっさり看破したクロムは何だか妙に頼れるような気がした。
多分錯覚だろうけれど。ホント頭だけは良い奴である。
「で、どうにか出来ないのか?」
「無理に決まってるじゃない。魂を握られてるんだから。どうしようもないわ。」
やっぱり錯覚だった、この頭でっかち女め。
と言うか、クロムでお手上げならいよいよもってどうしようもなくなくなってきた。
「ああん、くそッ!!」
結局、その日はお開きになった。
当然何の解決策も出なかった。
ゲームなどの知識でしか悪魔の存在を知らない俺は、悪魔なんてロールプレイングゲームに出てくる十把一絡げの雑魚同然だと心のどこかで思っていたのかもしれない。
だが、そうではなかった。
本物の悪魔と相対する権利を持つのは、本当にごく限られた一握りの存在だけなのだ。
それ以外の凡人は、そもそも対決する機会すらなく、ただ一方的に蹂躙される。
これが、悪魔。人の悪意の具現なのだと。
砂を噛みしめるような思いで、俺は今日、思い知った。
敗北ではなく、純粋な屈辱の味を知った。
同じ土俵どころか、同じテーブルにさえ着けなかった。
イライラする。ムカムカし過ぎて、もう良い時間だと言うのにちっとも眠れない。けど、自分にはどうしようもない。
もしかしたら、俺はもう諦めていたのかもしれない。
だってそうだろう? 俺なんかより遥かに頭の良い奴らが口を揃えて無理だと言ったんだ。俺が必死に知恵を絞った所で、どうしようもない。
そして、それが分かっているからこそイライラする。
それを認めてしまいそうになる俺自身にムカムカする。
そこで俺は、まだ頼っていない奴がいた事を思い出した。
普通だったら本当に最初に頼るだろう奴なのに、それに思い当たらないくらい俺は今まで気が動転したいたらしい。
「おい、魔導書。どうにかならないのか?」
或いは、サイリスにあんなこと言われていたから、意図的に意識から外していたのかもしれない。
―――『返答』 答えは全て御身の中に。解決策は既に有ります。
「なんだって・・・?」
この時、俺は魔導書の物言いに素直に納得できなかった。
なにせ知識人たちが揃いも揃って首を横に振っている事案なのだ。
いくら最強の魔術師が記した魔導書だからと言って、彼女らも何かしらの分類で屈指と言えるほどの魔術の使い手なのだ。
流石に俺も体面通りに受け取ることはできなかった。
―――『回答』 あの魔剣を抜き去る術は有ります。しかし、どの道、悪魔に彼女の魂を握られている以上、成す術は無いので魔剣を除去できても意味は有りませんが。しかし、手段と過程の一つとしてその事は考慮出来る内容かと。
「なに・・・できるのか? そんなこと。」
ラミアの婆さまは分からないが、クロムの奴は最大の障害があの魔剣だと言うような物言いをしていた。
それは、大幅な進展になるのではなかろうか。
―――『返答』 こちらも魔剣を使います。魔剣キマイラヘッドの力なら、彼女を苦しめるあの魔剣の制御権を奪取することが可能かと。
「魔剣キマイラヘッド・・・。」
忘れもしない、あの狂人が遺した無数の刃物を自身の刀身とする超常の力を持った柄だけの魔剣。
「出してくれ。」
俺が頼むと、魔導書が了承の意を返し、俺の手には例の魔剣が出現した。
魔剣キマイラヘッド。
剣格にライオンとヤギ、グリップエンドに蛇の彫刻が施された、剣の柄だけ魔剣。
それはまるで、無数の刀身を肉体とするキマイラの頭部である。
「俺に、使えるのか?」
魔導書に問う。
―――『回答』 貴方にだけしかできません。
魔導書は、核心を持ったように言う。
それを証明するように、魔剣キマイラヘッドを握る手から、この魔剣そのものの情報や使い方が流れ込んでくるようだった。
―――――――この魔剣は、俺を主と認めている。そう確信した。
そして、確かにこの魔剣の力なら、エクレシアに刺さっている魔剣を引き抜くことは可能だと言うのが分かった。
実は錯乱していた当初の俺は、彼女に刺さっていたあの魔剣を抜こうと必死になっていたが、全く駄目だった。
クロムに触るなと言われて背筋が冷たくなったのは思い出したくもない。
俺は試しに、魔剣ケラウノスを地面に突き立て、この無刀の魔剣の力を物にする為、一晩中特訓することにした。
・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・
結局、俺はその日の夜、ゴルゴガンの旦那のところまで押しかけた。
演習場にある装備を使わせてもらう為である。
事情を話したらすんなりオーケーを頂けた。男前である。
押しかけたと言うとなんだか失礼だが、様々な種族が住むこの村では、人間のように活動時間が限られて夜には人・・・魔族が居なくなったりはしない。それも考慮している。
とは言え、そうなると騒音問題の関係で夜行性の魔族とそうでない魔族の住む区画はキッカリ分けられていたりもする。
そう言えば旦那はオーガ種なので夜行性だが、あの人は昼間も働いている。一体いつ寝ているのだろうと時々気になる。
そうして演習場の模擬戦用の剣を使って実験したところ、武器としての機能を持った刃でなければ魔剣の力の範囲に及ばない事が分かった。
最初は俺の実力不足かと思った。
魔剣の能力は俺の魔力制御力に依存するようだから。
あと、所有者の存在している刃物は引き寄せられないようだ。正確には、誰かが手にしていない刃物しか魔剣キマイラヘッドは吸い寄せられない。
能力だけみれば、使いどころが悩む魔剣である。
今回のエクレシアに刺さっている魔剣は、所有者こそ居るが手に取っていない状態なので、吸い寄せられれば制御権を奪う事が出来る。
裏技と言うか、この場合トランプの大富豪で自分にだけ有利なローカルルールを適用するようなものだろう。
解散した時に各自時間を決めて対策を考えてくると言う事になっていたので、結局俺は翌日の夕方まで仕事をする以外に何もできなかった。
リザードマンのゲトリスク隊長にも話が行ってるらしく気を使ってくれたが、俺は生真面目に、ストイックに仕事に努めた。今日も魔物狩りだった。
そうすることでしか、俺はエクレシアに顔向けできない気がしたのだ。
魔物を殺し、自分を殺して、無我にならなければ、俺は自分の精神の平穏を保てなかったのかもしれない。
俺がこうしてただ生きているだけで、エクレシアが苦しんでいると言う事実を、俺は認めたくなかったのだ。
俺が息をしている間に、この地球の裏側では何人もの人間が死んでいると言うのに。
俺は浅ましい人間だった。
そして夕方、仕事を終らした俺はラミアの婆さまの屋敷に赴いた。
俺以外、昨日居た面子は全員揃っていた。
どうやら、俺が来るまでに意見を交換していたようだが、進展は無いようだった。
みんな妙に協力的なのが気になったが、だいたい全員の性格は把握している。クラウンやクロムの奴は面白半分に違いない。或いは悪魔に呪われた人間が珍しいのかもしれない。
そこで俺は、魔剣キマイラヘッドの事を切り出してみた。
「まさか、それって本当なの?」
クロムは驚いたように聞き返してきた。
「嘘吐いてどうするんだよ。」
「魂の宿っている魔剣って例え奪い取ったからと言っても使える訳じゃないの。
いいえ、まず所有者以外使えないと言っていいわね。よほど貴方と魔剣との波長が有っているのか・・・・でも前例が無いわけじゃないのだけれど。
愛する人間に魔剣を渡してその人間が戦場で活躍したって話もよく聞くし。でもそれって本当に伝承に残るレベルで希少な事例なのよ。」
と、若干興奮気味にクロムはまくしたてた。
「そう言うもんなのか?」
「あなた分かって無いわね。これは若干タブーだけれど、“処刑人”から奪った魔剣なら、その“処刑人”が使用した魔術をその魔剣を触媒にして扱えるのよ。
なにせ、基本的に魔剣と所有者は同じ魂が宿っているんだからね。魔剣そのものにも才能が設定されていると言う事になるわけよ。」
「・・・え、それってすごくないか?」
魔術ってのは九割以上才能が物を言う業界だと言う。
つまり、魔剣キマイラヘッドはあのジャンキー野郎の魂そのもので、奴と同じ魔術を使える可能性が眠っていると言う事らしい。
それも、最悪と恐れられている殺し屋集団の才能だ。
それは単純に条理を逸した魔剣の力以上の価値が有る。
「かなりガチで凄い事例ね。類稀な資質よ、貴方。」
マジックアイテムの専門家であるクロムがここまで言うんだから、多分そうに違いないのだろう。
「でもそれって使う本人より道具の方が凄いってパターンの英雄英傑じゃないかな? ギリシャ神話ならヘラクレスよりペルセウス寄りみたいな。」
そこで凄くグザッとくる一言をクラウンが漏らした。
「努力だって才能のある人間にしかできないのよ。
魔族のあなたには分からないでしょうね。道具を使う才能で武功をあげた英雄は枚挙に暇が無いけれど、それが豪傑の武勇に劣るものだと私は思わないわ。
道理で、剣術にセンスが感じないと思ったわ。そもそも適性から違ったのね。」
クロムの奴、俺を褒めてるようで貶しているのではなかろうか、このアマ。
「しかしねぇ、あの魔剣が抜けた所で呪詛の影響から逃れられるわけじゃないんだよ。問題はそこなんだ。」
「分かってるよ婆さん、だけどいざとなったら手段として使えるだろ。」
表情を変えずにそう言ったラミアの婆さまに俺はそう答えた。
「呪詛はもう完了しているのよ。割り込む余地が無い。今現在効力を発揮して、あの悪魔が解かない限り現状打つ手は無いわ。
何とか抑制術式を組んで時間稼ぎしてるけれど、焼け石に水ってところね。魔界の悪魔って、私達にとっても伝承だけの存在だから、まるで勝ち目が見えない。」
サイリスが難しい顔をしてそう俺に告げた。
俺たち人間に例えるなら、歴史の授業に出てくる偉人に挑む感じなのだろうか。
「伝承の存在にして、無名の悪魔っぽかったけれどね。」
クラウンの言うとおり、俺は悪魔に詳しいわけではないが、あんな植物っぽい外見の悪魔なんて聞いたことも無い。
「悪魔に詳しい知り合いに聞いた話だけれど、悪魔の数って増減が激しいらしいのよ。
悪魔も神様と同じようにっていうか、そもそも起源からして悪魔や神様なんて人の見方次第なんだけれど。それで、悪魔の存在がちゃんと信じられた時代には十一兆くらい居たとか。」
「じゅ、十一兆!?」
人間の六十億なんて可愛らしく思える数字だった。
「でも今は十七億ぐらいらしいわよ。今の地上は科学万能時代、人の心に悪魔が付け入る隙は有っても、そもそも信じられていないんだから新たに誕生したりもしない。
強い悪魔なんて、今でこそ上級悪魔か伝承に残るような連中だけだって。」
何だか虚しい話よね、とクロムはおどけたように笑ってそう言った。
「で、専門家の彼女に悪魔の交渉に関するアドバイスを通信で貰って来たわ。」
「なんだか悪魔の専門家って響きが胡散臭く感じるんだが。」
「大丈夫よ、彼女はとても実践的な人だから。」
何が可笑しいのか、とても気に食わない笑みを浮かべてるクロムは何だか無性に腹立たしかった。
「曰く、悪魔との交渉は大前提として対等じゃないとダメらしいのよ。
弱みを見せた時点でもう負けてるんだってさ。契約なら破棄するように動けば良いけれど、呪詛の場合どうしようもないそうよ。何とかするにしても、三日じゃ時間が足りなさすぎる。」
「おい自称天才。それって、諦めろってことか?」
「普通なら、そう言うわね。実は貴方が来るまで私達は待ってたの。」
「わざわざどうしようもないって言う為にか?」
「少し落ち着いたら、気が張っててぴりぴりしすぎよ。」
鋭い口調になっていた俺を、サイリスが気だるそうに諌めた。
「貴方を待っていたのはね、悪魔の呪詛を退ける方法・・・いえ、ジョーカーが有るからなのよ。彼女を確実に助ける、ね。」
「その物言いは、裏が有りそうだな。」
確実なんて言葉なんか、現実主義者のクロムが言うわけない。
「いいえ、これを使えるのは多分あなただけだからよ。」
そう言って、クロムは見覚えのある物を持ち出してきた。
「それは・・・・!?」
俺は、不意打ちを食らった気分になった。
それは、手に収まるくらいの小さな小箱。
奇妙な文様が刻まれたそれは、俺をこんな魔境につれて来た、元凶であるマジックアイテムだった。
俺はすっかりその存在を忘れていた。
忙し過ぎたと言うのもあるし、状況がめまぐるしく変わる日常で、気にする余裕がなかったのだ。
「これの解析を彼女に頼まれていてね、つい昨晩これの機能が判明した訳よ。」
「どういうものなんだ、それは・・・。」
「率直に言えば、パンドラの箱の一種ね。多分それが原型の魔具だと思うわ。これは、希望と同時に災厄を与える壺。
聞いた話によると、貴方はこれのお陰で窮地を脱したけれど、今のようにより過酷な状況に追いやられた。捻くれた代物よ。」
「それで、エクレシアは助かるのか?」
「まさか。確かに助かるでしょうけど、より過酷な状況になって彼女を苦しめるでしょうね。問題は、そこじゃないのよ。」
「もう前置きはいい!! さっさと本題を話せよ!!」
あまりにも回りくどいもったいぶった言い方でクロムが言うので、俺は思わず声を荒げてそう言った。
だが、
「ねえ、貴方誰に向かって口聞いてるの?」
次の瞬間、俺は喉笛を蹴り挙げられた。
ほぼ無拍子。反応する暇すらなかった。
「――――カァは!?」
槍のように鋭い蹴りだった。
多分、本気でやったら首くらい真っ二つに出来るくらいには達人的なキレがあった。
俺は、無様にむき出しの地面の床に喉を両手で抑えて蹲る。
「一度くらいまぐれで勝ったくらいでなに調子乗っちゃってるのかしら。
私あなたみたいな礼儀も分からないバカは大嫌いなのよね。可哀そうだから本当に善意で助けてあげようと思ったけれど、気が変わったわ。」
どこまで本当かは分からなかったが、多少残念そうな響きは有った。
「馬鹿、バカ、バァカ!! 私はね、私の話を聞かない奴なんて大嫌いなの。あなたみたいなバカに分かりやすくミキサーで砕いたように分かりやすく順序立てて話してあげてるって言うのに。」
馬鹿と言うたびに、俺に蹴りを浴びせてくるクロム。
俺に成す術などなかった。
痛みが、雨のように次々とやってくる。
打撃、打撃、打撃。鉄板でも仕込んでそうなほど堅いブーツの足蹴は、とても素人の物ではなかった。
毎日工房に篭っているような奴が、いつどうやってこんな体術を得られるのか。俺は打ちのめされながら愕然としていた。
俺がこのクロムに、まるで勝てる要素が一つもないのだから。
天才がみな、人格者であるはずもない。
「普通さぁ、そんな風に這いつくばって、お願いします助けてくださいってお願いするべきでしょ? なに、もしかして私と貴方は対等だと思ってるの? 嗤わせないでほしいわ、凡人が。
ホント、おバカさん。親は貴方に一体どういう教育をしたのかしらね。」
「親は関係ないだろ!!」
俺はそう叫びたかったが、生憎喉を蹴られた直後にそんなことできるわけがない。
「ごめんなさい、って言ってみなさい。それで許してあげる。」
嘲りを帯びた声色から、慈愛に満ちたような優しそうな声色でクロムは言った。
無邪気な好奇心に、悪意が同居しているような女がそう言ったのだ。
ふざけるな、と思った。なんでこんなに蹴られなきゃいけないのかと、反抗したかった。
歯を食いしばって、彼女を見上げると、もう一度蹴られた。今度は顎だ。
理由は、目が気に入らないと彼女は語った。
その一撃で、半ば不安定だった俺の心は、あっさりと暴力に屈した。
「ご・・・ごべん・・・な・・・ざい・・。」
声を絞り出すだけで痛む喉から、単語にすらなっていない音を出すことしかできなかった。
普段のクロムの性格だったらここで、「え、聞こえなかったからもう一度。」なんて言うのかもしれないが、その時はあっさりと、分かれば良いのよ、と言うだけで終わった。
「もう良いかい?」
そんな空気を引き裂くように、ラミアの婆さんが言った。
「あのさ、それ僕のなんだけれど。」
話が進まないじゃないか、とクラウンが溜息を吐く。
「良い事教えてあげる、人間って蹴られると謙虚になってこんな風に一つ学習するのよ。」
「それは良い事を聞いた。今度から試してみるよ。」
クラウンは、そんな下らないジョークに笑い返した。
「メイ、今のはあなたが悪いわ。マイスターは採算度外視で色々と試してくれているのよ。」
俺が蹴られるのを黙って見ていたサイリスは、何の感慨も持って無さそうな表情だった。
なに下らない事やってるのよ、とでも言いたげであった。
痛みは慣れているつもりだった。
これまでそれなりに切った張ったの世界で生きていたつもりだったが、そんなのは分かっていたつもりだったのだ。
殺意に勝る恐怖は無いと思っていた、だが違った。
殺し合いとは何の関係の無い所での、理不尽な暴力。
それは誤魔化しきれない、理由なき恐怖だった。
俺は今この瞬間、ただもう痛いのは嫌だと思うだけで、思考が埋め尽くされていた。
確かに、俺はクロムの言うとおり、一つの事を学んだのだろう。
犬のように。奴隷らしく。
「それで、重要なのはこれの機能じゃないのよ。」
そして、クロムは最初と変わりない態度で、大好きな説明を始めた。
「まあ、貴方はもったいぶるのは嫌みたいだから細かい話は無しにして、実際にやってもらえば分かるかしらね。・・・どうなるか分からないけれど、貴方はそれで良いんだもんね。」
と、思ったら、意趣返しのようにそんな事を口にした。
俺が反論できないのを良い事に、クロムは小箱の術式を起動させた。
小箱の表面の文様が、瑠璃色の光を帯びる。
「はい。ま、頑張ってね。」
彼女は満面の笑みを浮かべて、小箱を俺に放り投げて来た。
視界が瑠璃色の魔力に染まる。
俺の意識はそこで途絶えた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
俺は気が付くと、深い霧の中にいた。
「ここはどこだよ・・・・。」
さんざん蹴られた痛みもない。
そもそも、ここに居るという感覚すらない。まるで夢の中のようだった。
そうなるとクロムの奴が作った妙にリアルな夢空間と正反対だが。
「つーか、どうすればいいよ・・・。」
途方に暮れるとはこのことだった。
距離感がまるで掴めない霧の世界。
まるで、この世に自分がただ一人しか居ないように思える。
「・・・・・・・。」
「見て居られませんね。」
ふと、そんな声が聞こえて周囲を見渡すが、誰も居ない。
いや、ほんの少し先も見えない深すぎる霧の中から、不意に現れた。
現れたと言っても、霧の所為で人影しか見えないが。
「だれだ、お前・・・。」
「白状ですね、マイマスター。私ですよ。」
「は?」
私ですよと言われても、俺はこんな声の女なんて知らない。
いや待て、こいつ、俺をマスターと呼んだか?
「おいまさか・・・お前、・・・魔導書か?」
探る様に、俺は尋ねた。
「やっと気付いてくれましたか。」
「いやいや、普段は俺の頭の中で文字が浮かぶチャットみたいな感じの会話じゃねーか、普通に気付くわけねーだろ!?」
魔導書の中に意思があるとは聞いていたが、まさか自我まで存在しているとは。
文字だけの会話だったから、ただ俺が機械的に感じていただけなのかもしれないけれど。
「なあ、魔導書。ここはどこなんだ?」
「貴方を魔族の下へ導いた魔具の中です。」
「パンドラの箱の一種だって言ってたよな。パンドラの箱って言うと、あれだよな。災厄が入っている開けてはいけない箱で、それを開けたせいで世界に災厄が満ちたって言う。」
「壺という解釈もありますし、詰っていたのは希望だと言う説もありますが。」
「ああそうだ、最後に希望が残ってたって言う話しなんだよな。」
それが原型として作られた魔具と言う事は、ここは差し詰め災厄の渦中と言ったところか。
「こんな話はご存知ですか、人の不幸と幸福の総量は釣り合っていると。
あの魔具は、使用者にその両方を加算させ、短期間で偏った消費をさせるのです。だから、短期的に幸運が舞い降り、短期的に不幸が訪れる。それこそ、因果まで捻じ曲げて。」
「なるほどな、だから俺は日本から遠く離れたあんな場所に逃げ延びたってわけか。まったく、とんだ不幸だぜ。」
「そうでしょうか? 貴方は結局、あのドレイクに拾われ、今日まで生きて来れているではないですか。幸福の解釈は、貴方に依存しないのです。
その代わり、数々の逆境が不幸として訪れましたよね?」
「あー、うん。まあね。」
魔獣に襲われたり、あのジャンキー野郎に襲われたり。
「原型となったパンドラの箱は、神々の悪意によって遣わされましたが、これの本来の目的は別にあるのです。」
「それはなんだ? と言うか、お前、これについて詳しいな。知ってたのか?」
「いいえ、たった今知りました。案内しますから、とりあえず、こちらにきてください。貴方を待っている人がいるのです。」
「え・・・?」
それはまるで、この霧だけの世界に俺以外の誰かが居るみたいな言い方だった。
いや、この場合、魔導書も一人にカウントすべきなのか?
一応体が無いだけで人としての要素はあるわけだし。
「こちらです。」
俺が何かを言う前に、魔導書の影はその身を翻した。
慌てて、俺もおいて行かれないように付いて行く。
「ところでマイマスター、流石に先ほどのように無様に一方的に蹴られるのはどうかと。」
「んな!? お前俺のコンディション把握してんだろ!? こっちは参ってるんだよ、・・・・それに、俺が蹴るよりは良いだろ。」
「フェミニストを気取っても無様なのは変わりませんよ。」
「うるせーよ、本のくせに・・・。」
俺は悪態づくように呟いた。
俺が雑巾のように扱われているのと同じでも魔導書のことを信用していたのは、魔導書は本だからだ。
携帯電話と同じようなデバイスであり、俺以外には物言わぬし意見もしないからだ。
携帯電話に自分の性癖を秘めて好きなエロ画像やエロ動画を保存しておく真理と同じで、俺の内面を知っている魔導書にはそう言う事に触れてほしくは無かったのだ。
「一応私の性別は女性なので、そのような例えは遠慮願いたいのですが。」
「うっせぇよ!! お前青少年の繊細な心を踏み躙んなよ!!」
半ば癇癪を起したように俺は怒鳴った。
「そういや、お前も人間だったんだよな。なんで魔導書なんかになったんだよ。やっぱり、魔術の為って奴か?」
今日の俺は多分、後から見直してみれば恥ずかしくなるくらいガキっぽかったに違いない。
俺だって他人の内面に踏み込むなんてアホなことはしたくない主義だし、他人に説教かませるほど経験有るわけでもないし、説教して優越感に浸れるほど勘違いもしていない。
「・・・・・・・・・・。」
魔導書は答えなかった。
「はん、それで良いんだよ。お前も俺を利用してんだろ、だったらそれだけで良いんだ、下らないこと持ち出してんじゃねーよ。」
俺はまだ、ガキだった。
クソが付く様な、尻の青いガキだった。
達観して、大人ぶって、他者より満ち足りていると思いたがっている、愚かで盲目なガキだった。
「マスター、一つだけ忘れないで頂きたい。私にも、自我が有る。私は別に貴方に忠誠を誓っているわけでもありません。」
「ああ、最初のあれか。そんなの、お互い様だろ。」
使えなければ容赦なく見限る、彼女は始めにそう言った。
それで良いと思っていた。こっちも利用しているんだから。
「ですが、あなたの才覚が彼女に劣るものだとは思ってはいません。
私を、失望させないでくださいね。マイマスター。」
「・・・・・勝手な事、言うんじゃねーよ。」
話は、それで終わった。
それからすぐに目的地に辿り着いた。
霧の中にひっそりと建っている、小さな邸宅。
しかし、人が営みの感じない、綺麗に整備されているだけの無人の家のように思えるほど、生活感が感じられない場所だった。
「お待たせしました、我が創造主。我が主を連れてまいりました。」
「ああそう、まあ入れてあげなよ。」
「はい。」
魔導書の呼びかけに対し、壁越しなのにハッキリとした声が聞こえた。
そして、彼女はうっすらとしか見えない玄関のドアノブに手を掛けて、扉を開く。
「どうぞ。」
と、魔導書が促す。
俺は、意を決して玄関の扉を潜った。
そこには、室内だから当然のように霧は無かった。
シンプルだが、何も無い木造の部屋があるだけだった。
特徴と言っても、目の前の壁にまたドアが有るくらいだろうか。
がちゃり、と魔導書が玄関の扉を閉める音に反応して、俺は振り返った。
そして、見てしまった。魔導書の姿を。
「どうしましたか?」
魔導書は、多分俺の内面が分かっててそう言ったに違いない。
彼女は、何も無かった。
そこに存在しているという以外、何も無かったのだ。
人間と影が入れ替わったらこうなるのではないかと思えるような存在で、とても言葉では表現できないような状態だったのだ。
多分だが、彼女の状態を示すには人間の表現では不可能であるほど、特殊で、類を見ない、異常な、異質で、怪異な、筆舌しがたいものだった。
俺は、その姿に空気を求める金魚のように口を開閉させることしかできなかった。
「なにしてるのさ、早くこっち来なよ。」
俺は、そう呼びかけてくる人物の恐ろしさを、この時初めて自覚した。
言っていたではないか、彼について、皆が皆、同じように。
俺は、震える手で部屋の奥のドアを開けた。
「解析されているのはわかっていたんだけどさ、その術式の癖からして僕の弟子の弟子その1が来るんだと思っていたけれど。まさか君が来る事になるとはね。」
ドアの奥の部屋には、一人の少年がテーブルの前の椅子に腰かけて、興味深げな視線を俺に送ってきていた。
今時のイメージからでも古臭いと感じられるような、先端が半ばで後ろに垂れたとんがり帽子。
俺の見た事もない様式だが、伝統性を感じられる赴きのローブ。
そのどちらも黒い。漆黒だった。
染めているのか、少年の髪は緑色だった。少なくとも地毛のような自然な色では無かった。
少年と表現したが、俺と大して変わらないだろう見た目だった。
・・・見た目は、そうだった。
「初めましてだよね、僕はウェルベルハルク・フォーバード。」
一応本人だよ、とそう名乗った少年は言う。
「―――――皆は僕の事を『黒の君』と呼ぶね。まあ、よろしく?」
彼こそは、史上最強にして最高の魔術師。
曰く、何千年も生きている。
曰く、決して逆鱗に触れてはいけない。
曰く、全知全能。
あの魔導書や小箱の製作者にして、魔王を倒した英雄の一人。
まさしく、ジョーカー。
魔剣百科事典コーナー
魔剣:「ソウルレスケージ」
所有者:上級悪魔(アルラルネ)
ランク:C
特徴・能力。
牢獄剣。銀色の網目で出来た刀身を持つ魔剣。
切っ先に居る対象の魂を奪って、刀身の中に閉じ込める。
そうして出来た魂の抜け殻は、この魔剣を介して操る事も出来る。この時捕らわれた魂は絶対に抵抗できない。
その際に捕らわれた魂は、炎のように可視化される。それにより、この魔剣はカンテラのようにも見える。
ただし、この能力は一度に一人の対象にしかできず、二人以上の魂を閉じ込める事は出来ない。
汎用性は高くなく、効力が限定されている分、ランクは低いがこの魔剣の力に抵抗が難しい。
魂を奪うと言う特性は地味に見えるが、それは魔術師にとって究極的に弱点を突く事でもあるため、天敵とも言える魔剣である。
魂に直接干渉するタイプの魔剣は珍しく、その性質は魔界の拷問官である持ち主の無機質な性格を現している。




