第三十六話 ある夢魔の日常
『黒の君』は語る。
「で、どうだった時間旅行は。これで僕は何でも出来るって分かったでしょう?
え? ダメだった? 昨日録画し忘れたって言う深夜アニメの時間になったって言うのにぐーすか間抜けな顔して寝てる自分を延々と見せられたって?
そりゃあそうだよ。過去ってのはもう“終わって”いるんだから。変えられる訳ないよ。そもそも干渉すらできなかったし、過去のあらゆる存在に認識されてなかっただろう?
そう言う極端な矛盾を生じさせる行いってのは、その辺の魔術とか難易度が違うとかってレベルじゃない。
バタフライ効果ってあるじゃない。人の一挙一動がどのような効果を齎すか分からないから、その規模は無秩序に肥大化する。
多分そう言った影響はランダムに変化するから、それを計算に入れてわざわざ調整するなんて不可能だ。それって人間が出来る範囲じゃないから。
僕は確かに全知全能に近いけど、それって飽くまで人間が出来る範囲でって意味だから。誰も想像が出来ない事は僕には出来ない。でもそれって誰も分からない事だから、出来ないうちに入らない。
だからありとあらゆる事象を可能とする僕は、全能なのさ。それ以外の特別な事は、特別な才能を持った連中にしかできないけど、僕は元々色々出来るタイプの魔術師だから。
とは言え、特化型の一発芸みたな魔術しか使えない“緋色”なんかに負けたのは実に腹立たしいことだよね。あれも特別な例外の一人だよ。
あいつ自身、あらゆる矛盾の影響を受けないって特性を持ってる。まったく反則だよ。それってある種の絶対性だから、人間としては完全な存在だろうね。
まあ、だから人間の影みたいなあの『悪魔』に引かれるんだろうけれど。
・・・・つーかさぁ、過去に移動するなんて大魔術をなんつー使い方しようとしてんだよ君は。いや、それにゴーサインだす僕も僕だろうけれどさ。
ま、何も経験だよね。過去は変えられないって単純な教訓でした。
ところで、なんでわざわざこんな当たり前のことに対して口を大にしていったか分かるかい? 僕がそう断言する事に意味が有るんだよ。変な希望を持たなくて済むしね。
例外的に可能、なんて事は無い。人間には構造的に不可能なんだ。例え異世界からタイムマシンとか持ってきても、この世界じゃ機能はしない。有ってはならない事は、そもそも始まりすらしない。
これは、この世界で人間が生きる上での絶対的なルールだ。それを超えるには、それこそ神様にでも成らないとダメだね。
時間遡航からの過去改変、そして死者の“完全”なる蘇生。僕が発見した二つの『不可能』は、とりあえずこれだ。それだけは君に教えておくよ。
僕が出来ないと言った事は、絶対に不可能なんだからね。というか、出来る奴なんかいたらぶち殺すし、絶対に存在なんか許さない。」
いつかどこかでのある少女との会話より抜粋。
俺である。
クラウンの奴にぼこられてから何だか随分と長い間、寝ていた気がする。
クロムの奴が言うには、使うなと言っていた精神干渉系の魔術を使ってしまったから誤作動が生じて強制的にあの夢空間みたいなところから帰還してしまったうんぬんかんぬん。
まあ、それは俺が了承したとはいえあのバカ本がやったことだ。これは一応自業自得と言えるだろう。
ただ、あの夢空間で受けたダメージが現実にフィードバックするなんて聞いてない。確か聞いていなかったはずである。
お陰で、全身筋肉痛にも似た激痛が、翌日俺を襲ったのである。
ゲーム的には寝てる間に経験値を獲得する代償みたいなものだ、と変な例えを残してクロムはその現象を説明してきた。
それほどあの夢空間での経験はリアルな体験だったと言う事であるそうだ。
そのせいか、あれから丸一日ほど寝たきりである。
とは言え、クロムから感謝された。より多くのサンプルケースとして精神データを収集したかったとのこと。お陰で次に使うまでに完全に調整が出来るだろとも。
正直、こうして寝たきりになる以上、プラスマイナスゼロな気がする。
それとも、生死を超えた実戦と言う奴はただの訓練や鍛錬よりずっと実りが有るのかもしれないが。その辺はエクレシアとかに聞かないと分からないだろう。
「はあ、なんで私があんたの世話なんかしないといけないのよ。」
サイリスの奴が不機嫌そうに鞭みたいに細い尻尾を揺らしている。
なぜかは知らないが、彼女はクロムの奴が調合したと言う秘薬を食事の度に持ってきてくれるのである。
確かに普通なら二日は続くだろう痛みは半日で大分楽になった。ただ、持ってくる薬の味や色が毎度変わっているのは非常に気になる所ではあるが。
ところで、この第二層と言う場所の気候は比較的に俺の住んでいた日本に似ているが、季節は初夏なのか若干暑さが付き纏っている気がする。
ついでに今まで明かしていなかった事だが、俺は汗っかきである。
つまり、暑苦しいのである。薄い毛布だけとは言え、一日中同じ場所で寝転がっていたら蒸し暑くもなるし、汗で服も気持ち悪くなる。
クーラーなんて気の利いたものは無いし、冷たい物で代用しようとも魔族の連中はそもそも氷自体知らなかったりするだろう。
そこでふと、一緒に揺れてるサイリスの背中の蝙蝠っぽい翼が気になった。
「なあ、そいつでパタパタしてくんねぇか。」
「は? なに真顔で言ってるのよ。」
まるでセクハラでもされたみたいな表情でサイリスは言った。
「暑いんだよ・・・。少しくらい良いじゃん。」
「・・・確かに今日は暑いわよね。」
今日の外は晴天だったらしいから、その暑さにサイリスの奴もうんざりしている様子だった。
いつもは魔術師っぽいローブ着てるのに、今日はシャツにミニスカートと露出度多めの薄着である。こいつが夢魔らしい恰好しているのを初めて見た。
「でも部屋の温度を下げるくらい自分で出来るでしょう?」
「俺はお前らみたいな魔族と違うんだよ。」
「いや、熱量の操作なんて魔術の基礎の基本じゃない。」
何バカなことを言ってるの、みたいな態度でサイリスは言った。
「悪かったな、素人で・・・。」
「いえ・・・それってもう、素人なんてレベルじゃないわ。
才能はあるらしいけど、そんなんじゃ持ち腐れよ。ちょっと、一回で良いから軽く指から魔力出して見せてよ。」
こんな感じで、とサイリスは人差し指の先から青みがかった魔力をライターみたいに放出した。
「こ、こうか? ・・って、おあッ!?」
やれと言うので見よう見まねでやってみたが、ボン、となぜかそんな変な音と共に瑠璃色の炎が弾けた。
「わぁ・・・本当にあなたって、魔術を使えるだけなのね。」
「え、どういう事だ?」
どこか見下しているような表情のサイリスに、何だか悪い事をしてしまったみたいな後ろめたさが有ったので、俺は思わず聞き返した。
「魔力の色って、基本的に薄いほど良いのよ。それは純度が高い魔力で、魔術に成す時に効率や負荷が良くなるの。
それに魔力の精度や強度にも影響するわ。同じ魔術でも、純度が高い魔力で引き起こされた魔術の方がより強力で、崩壊に対する耐性が高いの。
更に純度が低いと、相手のレジスト能力や魔術同士相性で威力が削減されやすくなる。これが出来ないと、魔術師として優秀とは言えないの。」
「な、なるほど・・・。でも、クラウンの奴やエクレシアとかはそんな事一言も」
「そんなの魔力が制御できるのが大前提だからよ!! 魔術が使えているんだから、もうその辺りは既に大丈夫だって思われてるんでしょうね。
まあ、クラウンの奴は生まれつき魔力の制御が得意な種族だから、そもそもこう言った基本は知らなかったかもだけど。
・・・・道理であんたの行使した魔術はバカバカって破れたりすると思ったわ。具体的な対抗策が無かったら、基本的に魔術って外的要因で途中に崩壊したりしないのにね。」
俺の頭で分かったことでサイリスが言いたい事を纏めると。
お前、へたくそ。
だった。
・・・結構へこんだ。
「どうせ、魔術が上手く行使できていたのも、殆どが魔導書の力なんでしょうね。ホント反則にも程が有るわね。
あなた分かってる? 今のあなたって雑巾みたいなものなのよ。
魔力って言う水を吸って、魔導書って人間に廊下の汚れを拭われて、あんたって言う雑巾は休憩して魔力っていう水を吸って汚れを落とす。・・・・立場、逆転してるのよ?」
「・・・・・・ぅぇ・・・」
あまりにもショックな内容の上、的確な表現過ぎてぐうの音も出なかった。
「・・・何となくは、わかってたけどさ・・。」
「あんたは魔術を使って戦う訓練より、まず魔術を使いこなす訓練をした方が良いわね。なんなら、マイスターにでも頼んだら?」
「それだけは絶対に嫌だ。」
クロムの奴に何かを頼んだら、絶対に何かしら要求してくるに決まってる。
それに、こっちが素人だと言ってぐちぐちと嫌味を言ってくるのは目に見えている。
「クラウンの奴は・・・まあ、あいつに何かを教えるってのは無理でしょうね。」
続けてサイリスがそんな事を言った。その上、今はエクレシアの奴は居ない。
となると。
「サイリス先生、お願いします。」
「はぁ!? いやよ、なんで私が・・・」
「他に頼れる奴なんて居ないんだよ。お願いです、お願いします。」
俺は今、土下座をして頼み込んでいる。
むき出しの地面の床に額を擦りつけて居る。だけど良いんだ。今の俺なんて、所詮は雑巾なんだから・・・プライドなんてありはしないのだ・・・・・泣きたい。
「いや、私ってあんたの思ってるほど暇じゃないんだけど。」
「空いた時間だけで良いですから、お願いしますッ!!」
「えー・・・」
身を捩って全身で嫌そうな態度を示しているサイリス。
「あんた、ただでさえ私に借りが有るじゃない。借りの上乗せってことになるけれど、あんたはそれでいいの?」
「お願いします。」
「あんたさぁ、ただでさえ借金してるらしいじゃない。
私、借金重ねて娼館に売り渡されて心身共にボロボロになったり、奴隷として売られて馬車馬みたいに働かせて知り合いが見ても分からなくなるほど痩せこけたって話なら腐るほど知ってるんだけど。」
「でも、それは結局このまま役立たずの雑巾だったら、それこそボロキレのように捨てられるじゃないか!?」
なんだかプライドを捨てたらどこまでも情けない男になってきているような気がするが、残念ながら今の俺はそこまで頭が回っていなかったのだ。
と言うか、多分俺よりサイリスの方が格上なのは間違いないだろうし、この魔族社会で目上の相手に平伏すのは割と当たり前だったりする。
「まーねぇ。クラウンの場合だと、生け贄が妥当だけど。
ほら、ドレイクの神様って人間の皮を剥いで自分の子孫を詰めるなんて血生臭い伝承しか残ってないから。
だから連中は人間を殺して神に捧げれば、より高い知性を得られると信じてるの。」
「・・・・・・」
前にも聞いたこと有るが、改めて聞くと寒気がするような話だった。
だが、そんな馬鹿な、とそのオカルトじみた信仰を否定できない世界に自分は足を突っ込んでいるのだ。
「そ、それだけは嫌だ・・・。なんでも、するから・・。」
「・・・・はぁ。しょうがないわね。私もあんたに貸しを返してもらわないまま死んでもらうのも何だか損だし、貸しの上乗せで手を打ちましょう。」
こんな感じで、俺はそうやってサイリスから了承を引き出す事に成功した。(世の中の主人公の全てが格好良いわけではないのである。)
ところで、この時俺はすっかり忘れていた。
夢魔、サキュバス、彼女は立派な悪魔なのである。
そんな彼女と契約したと知れば、多分エクレシアから(別に入信した訳ではないが)破門を言い渡されるに違いないのであった。
――――――――――――――――――――――
「・・・・・・・・」
クラウンはイラついていた。
からは書庫のテーブルの前の椅子に腰かけ、片手で本を開いて読書をしていた。
しかしイラついてるのだ。
床を抉らんばかりの貧乏ゆすりが、彼が読書に集中出来ていないことを如実に示していた。
「何だかイラついてるわね。」
すると、他人の家だと言うのに遠慮なくずかずかとサイリスが書庫に入り込んできた。
「なんだ、君か。」
「なんだはないじゃない、せっかく私が薬を調合してきてあげたっていうのに。」
いつもサイリスはクラウンに相対すると不機嫌そうになるが、今日に限ってはにやにやと笑っていた。
「幾らマイスターでも魔族用の薬はすぐには作れないみたいでね、私がわざわざ調整したのよ。有りがたく受け取ってほしいものだわ。」
そう言って、サイリスは左手で薬液の入った瓶を指し出した。
「・・・僕にもプライドが有る。施しは受けないよ。」
「なにが有ったかしらないけれど、その右腕、動かないんでしょ? あんたはこの村の切り札なんだから、不確定要素は無くしておきたいのよ。」
「ふん。」
クラウンは一応自分を立てたサイリスに鼻を鳴らすと、彼女の持っていた瓶を掠め取った。
「メイね、その腕。」
そして、不意打ちのようにサイリスはそう言った。
「まさか、なんで僕が人間なんかに」
「まさかとは思うけど、誇り高い戦士であるドレイクが嘘を吐くの?」
「・・・・ああ、そうだよ。」
と、クラウンは不機嫌をより露わにしてそう言い放った。
「ちょっと資質を見ようと思って。ガチで、殺す気でやりあった。」
「幾ら魔導書が有ったからって、あんたが一撃貰うとはね。」
「いいや、聞いたところによると『黒の君』の魔導書の能力は、持ち主の資質にある程度依存するらしい。あれが強くなればどのようになるか見れただけ儲け物だね。
結論から言うと、―――――僕の目に狂いはなかった。」
クラウンは言う。あの少年が強くなるのは約束されていると。
「英雄の資質ね・・・十中八九、私達魔族の害になるわよ。」
「それならそれで利用のしようもある。僕は僕の夢を諦める気はない。」
「野心ね、私達魔族にしては珍しい感情だわ。あんた、やっぱり変人だわ。」
「やりたいことをやろうとして、何が悪いのさ。僕はこんな狭い箱庭になんか収まりたくない。もっと広い世界に行きたいんだよ。」
クラウンはサイリスの持ってきた薬を飲み干すと、瓶をテーブルに叩きつけてそう言った。
「好きにすればいいじゃない。だけど、そうも行きそうにないかもしれないわよ。
さっき、師匠が騎士殿に急に呼ばれたって愚痴ってたわ。マイスターが長い壁を作ってるじゃない? それについて役人が来て説明を求めて来たらしいのよ。
何でも上の階層とかじゃ食糧不足から暴動が多発してるらしくてね、鎮圧に苦労しているから警戒しているらしいのよ。」
「たかが喰い物のことでうっとおしいね、これだから上層の下等生物どもは。」
それは食べ物で一度も苦労した事のない輩の物言いだった。
「それで、役人は追い返したの?」
「ええ、こっちは開拓の村なんだから文句が有るなら護衛を用意しろだとか、税金に関して足元見るのを止めろとか、色々言って追い返せたらしいわ。」
「騎士殿も、ここ最近の魔物の活性化には頭を悩ませていたからね。
これで僕ら魔族の暮らせる場所や農地が増えると良いんだけれど。」
傍若無人なクラウンも、自分が手伝っている事だからか結構その辺りには気にしているようだった。
魔物と言うのは殺せば殺す分だけ出てくるような繁殖力の高い猛獣どもだ。
そもそもの食糧難と言うのも、こいつらが大繁殖して畑とかを食い荒らしていくからなのだ。
巨大な箱庭であるこの大地の気候というのは安定していて、かなりの不作でもなければ飢餓に陥るなんて珍しいくらいなので、食糧不足なんてことがあるならそれが殆どの原因だ。
そのことで近々、この間の盗賊どもと同じように再び近隣の村や町と連携して大規模な掃討作戦が行われる予定だ。
「駆逐し尽くさないと、満足に開墾もできないからね。」
その際に巻き起こるだろう虐殺劇に思いを馳せているのか、にやにやとクラウンは嗤っている。
「そう言えば、あんた祈願祭の話聞いた?」
「ああ、その話なら騎士殿としたよ。退役したとは言え、魔王陛下のお言葉を賜る為にここの連中総員で馳せ参じないといけないからね。」
「眉唾だと思ったけど、マジな話なのね。」
半ば信じられないと言うような表情のサイリス。
彼女の言った祈願祭とは、魔王の復活と誕生を祈願し、死した魔王との交霊によってそのお言葉を授かる為の儀式とそれと同時に行われる関連行事の事である。
それによって今後数年の魔族全体の方針を決定する、と言う魔王不在を解消する苦肉の策みたいなものだった。
苦肉の策でも何百年と続けば伝統で、立派なお題目も既に形骸化している。そもそも魔王と交霊できる人物がいないからだ。
そんな中に、退役したとは言え本物の魔王が登場である。
これは魔族全体が結集して千年来の忠誠を誓う大チャンスなのである。
その為にも邪魔な魔物どもを蹴散らさなければならなくなったと言うわけである。わざわざ近隣の町や村と共同して掃討作戦をするのはその為だ。
「もし陛下が人間と戦争だ、って言ったらあんたの夢も叶わなくなるわよ。」
「その時は仕方ないよ。だって陛下が言うんだから。」
「それもそうね。」
クラウンも、サイリスも、もしそのような采配を魔王が取るのだとしても、疑問の一つすら浮かびはしない。
そもそも、彼ら魔族の上位存在である魔王に逆らうなんて考えは持ちえないし、介在する余地もない。
そのように、出来ている。
たとえ、首を自分で掻き切れと言われても、何の躊躇いもなく実行するだろう。恐怖や、力の差などそれ以前の問題なのだ。それほどまでに、魔族にとって魔王とは絶対なのである。
「楽しみだなぁ、陛下はどんなお姿をしてるんだろうか。」
先ほどの不機嫌さなどどこへやら、クラウンは鼻歌でも歌いかねないほど上機嫌になっていた。
サイリスは、クラウンが不機嫌になる前にこのまま帰る事にした。
・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・
それから数日後、サイリスはクロムの手伝いをしていた。
「えーと、鉄の剣を五十、弓矢を八十セット、あとは納品するだけね。」
彼女の工房前に置かれた荷台に積まれた大量の武器を見下ろすと、面倒くさそうに溜息を吐いた。
「お互いギブアンドテイクで利用しあっているとは言え、こんな簡単で単純な作業をさせられるなんて。」
この大量の武器をクロムに発注したのは、当然ながらこの村の領主であり騎士候であるオーガロードのゴルゴガンである。
宣言通り数日であの巨大な壁を完成させた彼女は、今度行われる掃討作戦の為の武器の作成を依頼した。
「それなら、雑用を手伝わせられる私の身にもなってほしいわ。」
サイリスの師匠がクロムの腕を見込んだらしく、現在サイリスはクロムの下で修業させられている。
とは言っても、やらされているのは単純な雑用ばかり。
肝心のその技術の一つも伝授されていない。今回の彼女の言う単純な作業すら、手伝わせて貰わなかったのである。
まるで師匠に弟子入りしたばかりの下積み時代に逆戻りしたようだわ、とサイリスはうんざりしていた。
「私にただの鉄の剣なんか作らせるしょっぱい仕事をさせるなんて、ホントいい度胸だわ。」
しかし、クロムは聞いていなかった。完全に無視である。
サイリスはかなりイラっとしたが、こんなことで怒るのも馬鹿らしいので我慢した。
何だかんだで彼女もクロムの腕を認めているのである。
彼女は仕事を適当にこなしたみたいに言っているが、ちゃんと剣の一本一本に魔術的な処理をして耐久性や切れ味を底上げしている。
「はぁ、せめて火薬とか使えればなぁ。護身用の武器以外は周りの文化レベルに合わせて使ったり作ったりしないといけないなんて、ホントどうにかしてほしいわぁ・・・。」
そして、ぼそぼそと何やら不満を垂らしているらしいので、もうサイリスは彼女に口を出すのを止めた。
「ひゃッ!?」
黙って荷台の武器の山に布を被せてロープで荷物を固定していると、サイリスの全身に電撃のような刺激が走った。
「へぇ、ちゃんと神経は通ってるのね。わさわさ・・・。」
何と、なんの脈略もなくクロムがサイリスの尻尾を掴んで、更にはくすぐってきたのである。
「や、やぁん、・・・やめ、やめて・・・。」
すると、サイリスは腰砕けになったように地面にへたり込んで甘ったるい声でそう言った。
「ふんふん、やっぱり尻尾って性感帯だったりするの?」
「ちが、だから、やめ、はぁん!!」
「いやね、私これでも人工生命体に明るいから、こういうオプションに興味が有るのよ。もふもふ。」
「ひゃあ!? 付け根はだめ、だめぇ!!」
「へぇ、こう言う風になってるのね。これって脳じゃどういう扱いになっているのかしら。もみもみ。ぱふぱふ。」
「な、なんで胸揉んでるのぉ!?」
そんな感じでクロムはサイリスの全身をまさぐっていると。
「い、いい加減にしろッ!!」
「わひゃぁ!?」
もう我慢できなくなってサイリスはクロムの首筋に触れた。
「なに、これ、悔しい、びくんびくん・・・。」
すると、そんなアホなこと言いながら、クロムは地面に崩れ落ちてビクビク痙攣していた。
「情事の最中でも術式を組める夢魔の集中力と快楽への耐性は参考になりましたか、マイスター?」
自身の快感を強制的に押し付ける、種族固有魔術『淫魔の接吻』だ。
押し付けたもんだからサイリスは澄まし顔である。
「くせになりそう・・・・あふぅ。」
「というか、納品するなら早くしてくださいよ!!」
ただ、サイリスの内心は爆発寸前だった。
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先日頼んだ通り、あの後サイリスは暇が有ったら俺の魔力の純度を上げる訓練を手伝ってくれている。
そのおかげか、若干というか、気持ち魔力の色が薄くなった気がする。
あれから何も無く村の警邏をしたりしているが、村の外では魔物が多いらしく、農作物を荒らすので二十人位の小隊規模で狩りに参加したりと集団行動が多くなった気がする。
そんな日々を過ごしているが、エクレシアはまだ帰ってこない。
期限はあと一日だ。
最近、村中が今度あるらしい祭りに浮かれているが、俺の気分は憂鬱であった。
「なにぼーっとしているの、集中しなさい。」
「あ・・・すまん。」
そして現在、俺はサイリスに指導を受けている最中だった。
と言っても、口で説明できない感覚レベルでの話なので、試行錯誤を繰り返して、一番効率の良いイメージを掴もうとしているだけなのだが。
それでもそれが正しいのか分からないので、それを分かっているサイリスの協力は必要不可欠なわけで、素直に感謝しなければならない。
時刻は既に真夜中。
サイリスは夜行性だが、彼女は自分の時間を削ってくれているのだから。
「あの女の事を考えてたわね。顔を見れば分かるわ。」
「え・・・顔に出てたか?」
「分かるわよ。私を誰だと思っているの。女と二人っきりなのに他の女の事を考えてるなんて、失礼なやつね。」
「それは悪かったが・・・俺とお前はそういう関係じゃないだろ。」
「女には女にしか分からない矜持ってものがあるのよ。」
サイリスはそう言ったが、俺にはまるで理解できない話のようだった。
俺は女って言う生物が時々妙な理不尽さを持つ事を知っている。
「なに、やっぱりあの女の事が好きだったりするの?」
「・・・何でもかんでも恋愛感情に持ってこうとする女子の反応だな。そう言うの止めてくれよ、それで一度勘違いして手酷く振られた事あるんだよ。
別に男女間の友情が成立するとかそんな話じゃなくて、うーん・・・俺からしたらエクレシアは師匠なんだよ。しかも神職者だ。不埒な真似なんか出来るかよ。」
「え、でも彼女、教会の騎士位だけど基本的に修士って扱いだから結婚できるはずだけど。宗教的純潔はともかくとして。」
「いやだから、なんでそんな話が飛躍してるんだよ。」
とは言え、それは俺も知らなかった。
エクレシアの所属している教会は、基本的に女性は修士止まりでそれのトップが女性と言うのはなかなか異例と言うか、不可解な話だ。
「え、だってあれもちょっとは整えれば化けるわよ。私も人間に化けれるけれどね。ふふふ。それはともかく、男だったら、ああいう可愛い子を侍らしたりしたいと思わないわけ?」
「なんだそのくだらない話は。」
「だって男にとって女子の数はステータスじゃない。」
「頼むからそれが魔族全体の常識だとか言うなよ。」
生憎と、俺はそんなハーレムとか桃色に染まった浮ついた台詞は大嫌いなのだ。
「逆に聞くけど、サイリス、お前は女をとっかえひっかえするような男に好感を持てるのかよ。」
「え、別に良い男なら私は肉体関係だけでも構わないけれど。」
「おいおい・・・。」
そもそも貞操観念からしてこいつらとは違うようだった。
「ああ、あなたって度量少なそうだもんね。慕ってくれる女の子が大勢いても、それを全員愛せるわけがないわよね。」
「そもそも前提から間違ってないか? 愛情に平等なんて無ぇだろ。」
「そうかしら? そこまでは経験ないから分からないわ。」
「じゃあ断言してやる、無いね。絶対に無い。仮にそんな事が可能だとして、絶対にそう言う関係は破綻する。この世には、時間って物が有るんだからな。
毎日違う女性と歩いているのなんて見たら、俺が女なら百年の恋も冷めるな。それに男ってのは一人の時間ってのが必要な生き物なんだよ。その内そんな関係鬱陶しくなる。
ほら、よく言うじゃねぇか。博愛の裏返しは、一人から枝分かれした薄っぺらい愛情だってな。」
自分でここまで言えた事に驚いた。
どうやら、過去の語る価値もない他愛もない失恋は俺の根底に想像以上に根深いトラウマを植えつけてくれたらしい。
「頑張って博愛主義になろうとして涙ぐましい努力をしているあの女には言えない台詞ね。」
「あいつも神職者なら俺の言葉を分かってくれるさ。だって、あいつの信仰する神様の聖書に書いてあるんだからな。」
俺の言葉に、サイリスは茶化すように口笛を吹いた。
「お熱いことで。私の付け入る隙もないわね。」
「ちょ、おいッ、俺を堕落させる気だったのかよ!?」
俺は咄嗟にエクレシアから貰った十字架のペンダントを服の上から握りしめた。
「え、それは無い。だってあんた好みじゃないもん。」
「・・・・・・・・。」
だったらこの一連の会話は何のために行われたのだろうか。
もしかしたら、他愛もない雑談のつもりだったのかもしれない。
俺は、ああやっぱりこいつサキュバスなんだな、と思ったのだった。
「ああ、ただ男性経験はないけど、女性経験はあるわよ。夢魔の集落に行った時に手練手管や魅了の術とかいろいろ叩きこまれたわ。」
ふと、なにか思い出したようにサイリスがそんな事を言いだした。
思いだしただけで疲れたような表情なっているのだから、あんまりいい思い出ではないのだろう。
「それはちょっと興味あるな。」
「え、あんな非生産的な行動のどこがいいのよ。もしかしてあんた、男色の」
「違うわ。んなわけあるかよ。そう言うの好きな女子ってのは俺の国にはたくさん居るらしいが、少なくとも俺は違う。」
「なーんだ。」
何気につまらなそうにするサイリス。
全くとんでもないこと言いやがる。
「ところで自分から見て異性同士のまぐわいは忌避感が出にくいって聞いたけど、本当なのか? いや、嫌らしい意味じゃなくてな。」
「うーん、それは流石に分からないわ。私もまだ若いし。
ただ、経験から言わせて貰うと、集落の皆はちょっとハードだったわね。ノーマルとか、アブノーマルとか含めて。」
三日三晩飲まず食わずは当たり前だったわ、とボソッと呟くサイリスになぜか哀愁を感じた俺だった。
何だか、サイリスが夢魔の集落の連中に馴染めなかったのは主にこれが原因なのではなかろうか。
と言うか、なんで俺はサイリスと猥談なんかしているんだろうか?
そう思うと何だか気恥ずかしくなって、話題を逸らそうと何か適当な事を言おうとすると。
「オイ、メイッ!! クラウン様ハ、居ルカ!!」
闇夜から、オークのギィンギが飛び出してきたのである。
こうして会うのは割と久しぶりなのだが、彼は夜行性で昼間は動きが鈍り、夜目が聞く為夜の警備を担っていることを警邏のシフト表で知っていた。
その証に、今の彼は鉄のこん棒に革の鎧を纏っている。恐らく警邏の途中なのだろう。
「おい、どうしたんだ!?」
本来なら言いたい事は沢山あるのだが、その尋常じゃない様子に思わず狼狽してしまった。
「人間ノ雌、クラウン様ガ飼ッテイル、人間ノ、雌ガ・・・!!」
「ギィンギ!? 本当か!!」
俺はその内容に思わずギィンギに問い返した。
それは間違いなく、エクレシアに違いない。
「アア、怪我ハ無イガ、カナリ疲弊シテイル。今、村ノ入リ口ニ・・」
「わかった、今行く。あと、クラウンの奴は今寝てる。起こすと機嫌悪くなるから放っておけ。大丈夫、どうせあいつは俺らの事なんて気にも留めないから。」
「ワ、ワカッタ・・・。案内スル。」
ギィンギは頷いて、踵を返して先導する。
暗闇に包まれた村を走る。
昼ほどではないが、夜行性が多い魔族の姿がぽつぽつと見られる。
横には広くはない村なので、彼に追従して走って五分もせず、目的地にたどり着いた。
「エクレシア!!」
彼女は誰も居ない警備隊の詰所の前に佇んでいた。恐らく、ギィンギが今日の担当だったのだろう。
厳めしい鎧姿で、兜を脇に抱えて、彼女は立っていた。
「ああ、すみません。ただ今戻りました。
ただ・・・徹夜で行軍しまして、これ以上は限界で・・・。」
エクレシアは、一歩こちらに歩もうとしただけで、ぐらり、とその体が揺れた。
「おい、大丈夫か!?」
相当疲れているのか、エクレシアの声にはいつもの張りは無かった。
俺は彼女の手を取って、転ばないように支えようとした。
「ありがとう、メイさ―――」
ただ、それは出来なかった。
「人間が最も油断するのは、長らく離れて居た親愛を有する人間に会った瞬間だ。」
なぜなら、彼女の後ろには暗闇その物のような暗闇が居て、彼女の背中から刃を突き立てて居たのだから。
人間が全身黒タイツで覆ったように真っ黒で、枝分かれしたようなツタで覆われた五体。
人ならざる植物のように蠢く右手。
頭部には南国の植物の葉っぱのように大きな葉が数枚。
のっぺりとした顔は、目や口、眉毛や鼻も付いていない。
そして、唯一人間のような左手の、焼き肉にでも使うような使い捨ての網で剣の形を作ったような脆そうな刀身の剣が、彼女の背に、突き刺さっている。
「あ、なた・・・は・・・」
エクレシアが、信じられないと言った表情で振り向いた。
「我らは魔界に住まう真の悪魔。人智を超越している。
よもや一度斬り殺された程度で、この世から消え去るなどと、ゆめゆめ思わぬ事だ。これは復讐にして報復である。この呪詛は、三度日が沈んだ後にお前を死に至らしめるだろう。
その成就を持って、貴様の魂は永遠に魔界を徘徊することとなる。
これを聞く者よ、これを回避したくば、生け贄に応じよ。交渉の場は、設けよう・・・。」
悪魔はそう言って、その姿を消した。
その代わりとでも言うように、網目の刀身の中に、邪悪極まりないどす黒い炎が灯った。
「上級、悪魔が・・・なぜこんな所に。」
あとから来たらしいサイリスが、呆然と目の前で起きた急展開に唖然としていたが、今の俺にそんなこと気にならなかった。
ばたん、とエクレシアが地面に倒れる。
後ろから背中を刺されていると言うのに、血は流れていない。どうやら物質的に刺された訳ではないようだった。
だが、今の俺にはそこまで頭が回っていなかった。
何も考えられなかったのだ。何を考えれば良いのか、分からなかったとも言える。
俺はただ呆然と、物言わぬ骸のように意識を失ったエクレシアを身下すことしかできなかった。
いささか急ぎ足な気もしますが、今までゆっくりだったのでちょうどいいのかもしれません。
ようやく本来の主人公にバトンタッチできました。なんだか久しぶりで彼のこと忘れてる人もいるかもしれませんねWW




