第三十五話 メリスという女
第二にして『美学』の魔王は語る。
「命の価値を計ると言うなら、それはやっぱり生まれた瞬間じゃないね。
ボクは『黒の君』なんかが生まれるよりずっと前から生きて来たけど、この考えを改めた事は一度もないね。魔術師たちは魂で人の価値を推し量っているようだけど、そんなのは愚者の見識だよ。
例えるなら、多くの他人の知らない事を知っている事に優越感に浸っていながら、宇宙と言う巨大な閉ざされた真理の海に抱かれている、そんな滑稽さかな。
価値が決まっているものに、意味なんてないじゃないか。だって、それは上に下にもいかないってことだろう?
だったら、常に石にも宝石にもなりうる、人の心こそ尊く、美しいとは思わないだろうか? 脆く、不安定で、不確定で、哀れで、愚かで、でもだからこそ、何かを変える力が有る。
だからボクは強烈で、目が眩むような、魂が燃え尽きんばかりの命の輝きを愛している。それは人間の心にしか無いものだからねぇ。
それを悪趣味だと言うのなら、この世に存在する形ある物すべては俗物だよ。
いいじゃないか、俗物でも、馬鹿馬鹿しくても。この世界を彩るなら、枯れ木ですら賑わいになるだろう。心を動かすのなら、悲劇ですら愛おしい。
この世の色が褪せ、退屈と退廃が人々の心を腐らせ無い限り、ボクは愛する人類をこの腕の中に抱き続けよう。
――――だからリュミス。ボクに心変わりさせないでおくれよ。
この新天地で、万が一ボクを失望させるようなことがあれば、この世界の全てを闇で覆い尽くしてあげよう。
その暗闇の中で、ボクは人の可能性を信じよう。そして、それすらこのボクから裏切ると言うのなら、人など、もはや存在する意味なんて無いだろう?」
西暦1018年、『盟主』が初めて地球の空気を吸った日より。
魔術連合本部、第二十七層。
ここは人間が住む領域の中で、最も鉱物資源に恵まれた階層である。
その反面、険しい山脈が大部分を占め、過酷な環境が人の立ち入りを拒み、超常の力を持つ魔術師にも手が付けられない場所が多く存在しており、長い間放置が続いていた。
だが人の手が加えられた場所は、疑似的な天候操作や整地にて極めて安定した土地と化し、魔術の実験場として解放されている場所もある。
時には組織的に下級中級層の魔術師達が一攫千金に臨み、先人が掘り進めた炭鉱に挑み、行方不明になる者も多い。
それ故にアンデッド系の魔物が多く、聖職者を目指す者が修行場として立ち入ることもある。
しかし、それはもはや数ヶ月前の話である。
現在、計画的な地下資源の採掘が進められ、次々と山々を開拓している。
そうして手にした地下資源と開拓と同時に大規模な計画栽培で、形骸化しほぼ死に体であった錬金術師ギルドを立て直したある魔術師がここに居を構えている。
「あははははは、それは大変だったわねー。」
言わずもがな、その魔術師とはオリジナルのメリスその人である。
奥にある雪被る山の裏側で、人目に付かないように作られた人工的で現代的な建物や施設の数々は、まるで秘密基地のような趣きである。
「ええ。いい迷惑をこうむりましたよ。」
その施設に隣接して建てられている洋館は、リネンが『盟主』より与えられたものである。
悪魔をファウスト博士の如く召使のように働かせて造らせた庭園にて、二人は茶会を楽しんでいた。
「んで? 師匠は何て?」
「しばらくの無償労働ですって。あれだけ楽しんだわけですし、まあ、妥当と言ったところでしょうかね。」
「妥当・・? 大分温情が入ってる気もするけど?」
生来の皮肉屋な性格のメリスは、そんな意地悪な言葉をリネンに投げかけた。
「それを考慮したうえでと言う話ですよ。」
「魔術師がそんな不確定なものまで当てにしちゃダメじゃない。」
「とは言え、『盟主』に借りを作ったのは得策ではありませんでしたね。もう少し工夫して遊べば良かったでしょうか。」
「遊び、ね・・・。」
メリスはリネンの物言いに、クスクスと笑みを零した。
「これからも、その“遊び”は続けるのかしら?」
「まさか。『盟主』に釘を刺されましたよ。それに、私はあの『カーディナル』の相手は二度としたくありませんね。」
「なんでかしら? ああ言う分かりやすい連中、大好きだったじゃない。」
「徹底的に追い詰めるとあっさり舌を噛むような生臭連中を嬲って何が面白いと言うんですか? 結局楽しめたのは一人や二人くらいで、あんなに可愛がりの無い連中は初めてでしたよ。」
まるで苦虫を噛み潰して吐き捨てるようにリネンはそう語った。
「無駄に訓練されていましたし、二度と相手にしませんよ。私はもっと簡単に自分の信仰に唾を吐けるような馬鹿な連中が好みなんです。」
「つくづく理解できない感性ねぇ。」
「自分の作った武器で人を殺すのが好きな貴女が言いますか。」
「それは違うわよ。まるで私を快楽殺人者みたいな言い方しないでほしいわね。」
心外だと言わんばかりに首を振るメリスは、このように語った。
「私は自分の武器が使われて、いっぱいいっぱい人が死んでくれるのが嬉しいのよ。だってそれは私がそれだけ良い物を開発したってことじゃない?
芸術品のように使わないで飾られるんじゃなくて、ちゃんと作られた目的の為に使用して結果を残してもらいたいの。
それは正当な評価として私に転化されるわけよ。」
「ああ、どうして武器なんか作るのか分かりましたよ。
ただ単にその方が目立つからですね。いつも思うんですが、貴女の派手好きと自己顕示欲の高さは時々目に余ると思いますよ?」
「なに自分には常識が有りますよー、みたいな態度で言うのよ。」
不満そうに口を尖がらせてメリスはそうぼやいた。
そんな彼女を無視して、リネンはバスケットに入った動物を模ったクッキーのどれを食べるか真剣に悩んでいた。
「そりゃあ私って、真面目ですから。」
「真面目・・・そう、貴女は真面目よね。私なんかよりずっと。」
言っていて自分が嫌になるメリスだった。自分がいい加減な性格である事ぐらい自覚しているようだった。
改める気などなさそうだが。
「好きな事だけして貴女は楽しそうで良いですよね。」
「わ、私だって興味の無い事以外はちゃんとやるわよ。見えない所で。」
「貴女の部下も大変ですね。」
向こうでせっせと自分の仕事をしている友人と全く同じ顔の連中を見やって、リネンは呟いた。
「良いのよ、いっぱい私が居るんだから。人生、いっぱい選択肢が有る。それって素晴らしい事じゃない?
――――好きな事を好きだけして、好きなように生きて好きなだけやりたい事だけをやるの。それだけで私は幸せなのよ。」
「そんなのは孤独の幸せですよ。」
「人間は絶対的に孤独じゃない。他人と百パーセント理解しあえるなんてことは不可能なんだから。」
「それが理解し合うなんて思っているから、貴女は孤独なんじゃないんですかね。」
まるで可笑しなことを言うように笑みを浮かべてリネンはそんな言葉をメリスに投げかけた。
「井戸の中のカエルは、井戸の中で幸せを見出してはいけないなんて事は無いでしょう? 海に幸せが有るとは限らないんだから。」
「自分に都合の悪い話題になるとすぐに難しい話にして曖昧にするのは相変わらずですね。」
「こほん。あー、やっぱりリネンと一緒に語り合うのは楽しいわー。」
棒読みだった。何より図星だったのだろう。メリスは目を逸らしてそう言ったのだから。
そうして友人らしい他愛もなく下らない話に興じていると、向こうのメリスの基地から全く同じ顔の白衣姿の彼女が駆けて来た。
「ねぇねぇ、今度はこんな企画を立てて見たの。これってあの計画に利用できないかしら?」
「じゃあ適当に経理担当に説明して予算下せば良いじゃない。いちいち私に確認取るほどじゃない雑事にまで聞きに来ないでよ。」
「そんなのオリジナルへの嫌がらせに決まってるじゃない。ずるいわよ、私もリネンと一緒にお茶したいわ。」
「母親から生まれなかった事を恨めばいいでしょう?」
「むー。まあ良いわ。とりあえず、統括担当なんだから、しっかりとこれに目を通して、円滑に“私”達が仕事できるようにしておいてね!!」
そしてどっさり、と彼女は山盛りの書類の束を置いて去っていった。
本当に同一人物かと疑いたくなるほどの嫌味っぷりである。
「彼女も自分なのに人望は無いんですね。」
「次からはチップじゃなくて爆薬でも頭の中に仕込もうかしら。」
リネンの嫌味に対しても、メリスは笑顔を作ってそう答えた。それが歯をがっちりと噛みしめてぶるぶる震えていなければ完璧だった。
「これは由々しき問題ね。研究担当も主任を設置して私の負担を減らさないと駄目ね。」
「そうやって一人だけ楽をしようとするから、部下から信用されないんですよ。」
全員が全員同じ思考回路をしているのに、信用も何も無いような気もするがリネンは一応そう忠告しておいた。
「何でよ。みんな私なんだから自分の為に働いたって良いじゃない。」
「全員平等な立場なのに、貴女だけが上位の命令系統にいるのが気に入らないんじゃないんですか?」
「元と言えば、私が作ったのよ!! そんなのってないわ!!」
メリスは本気でそう言っているのである。長い付き合いのリネンは分かっているからこそ、友人に忠言を述べた。
「そう言えばこの間、面白い映画見ましたよ。自分が作ったクローン人間に反逆される内容なんですけれどね。」
「それはそれで構わないのよ。私を消しされるほど“私”が成長したってことだから。ねぇ、それって私が自分を超える存在を作り上げたってことに等しいじゃない?
でもそんな下らない理由で反乱を越されるのは御免だわ。」
このように、メリスは普段はどこかズレているのである。
超然としているようで、どこか俗っぽいのだ。
これで何かしらの目的を持って行動しない限り、何もしようともしないから始末が悪い。
“自分”と言う自分が確実に満足しうる結果を残せる手足がたくさんいるから、自分は何もしなくていいと考えているからだ。
彼女は完璧主義者だが、同時にかなりの面倒くさがりなのだ。
そんな自分の事は自分が一番分かっていると言うべきか、そんな訳でああして“メリス”は無理やり仕事を押し付けて来たのだろう。
だからリネンが言ってる事も結構適当である。
「あーあ・・・もう布団に潜って寝ようかしら。
この辺夜になると寒いから炬燵とかぬくぬくしてすんごく居心地いいのよ。もう一生あの中で過ごしても良いってくらい。」
「私はこのまま友人が駄目に人間になるのを、ただただ指を咥えて見てろと言うのですか? 私は貴女に悪魔を指し向けて堕落させろと命令した覚えは無いのですが。」
「これだから文明の利器を知らない田舎娘は。
あれは魔性の器具よ。ええ、きっとベルフェゴールの化身に違いないわ。あれに耐えきれるなら貴女も耐えてみなさい。」
「ふふふ、受けて立ちましょう。私に使役できない悪魔はアイツぐらいですよ。」
リネンは不敵に笑って見せた。
・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「なにしてんだお前ら?」
ファニーが一つ上の階層でヴィクセン達と激闘を繰り広げ、その足でリネンの屋敷に帰還して最初に見たのは、籠に入ったミカンが乗ったコタツの中で首まで潜ってる二人だった。
「ファニー、助けてください。こいつは化け物です。きっと夢魔が私を再び地獄へ引き入れようと手引きしているに違いません。」
「馬鹿言ってんじゃねーよ。カタツムリかお前ら。」
こっちはさっきまで殺し合いしてたんだぞこの野郎みたいな表情でファニーは溜息を吐いた。
そう思うのも当然で、彼の胸からはまだ諾々と血が流れているのだ。
「おや、割と致命傷を受けてるみたいですが大丈夫ですか? 心臓も止まっているようですし。」
それくらいで死ぬようなほど柔ではないのはわかっているので、形式だけの心配をリネンは彼に向けた。
「こんなの三日もすりゃあ治る。それまで残存魔力で血が流れてる状態にしねーといけねぇから、その間は動けねぇ訳だがな。」
この時代の連中も捨てたもんじゃねーよ、とファニーは楽しげに語る。
蛇と竜の伝承が混在している彼にとって、心臓を止められるくらい別に何ともないようだった。
「凄い生命力ね、ちょこっと血を拝借。」
床に垂れたファニーの血を小指で掬って何のためらいもなく舐めるメリス。ただし炬燵から下半身は絶対に出そうとはしない。
「あー、うん・・・なるほど。」
「どうです? ありとあらゆる言葉を理解できるようにでもなりましたか?」
どういう結果が待っているか知っているからか、リネンは可笑しそうにメリスにそう言った。
「いいえ、舐めて見て分かったけど、竜の血って潜在能力の覚醒させる力が有るのかもね。多分不老身になったのも、動物の言葉を理解できるようになったのも、シグルド自身の資質なのよきっと。
英雄って基本的に文武に優れた連中だから。私の尊敬するご先祖さまだって仲間と共に魔獣にも立ち向かったと言うし。」
「でしょうね。」
「お陰で、同様の効果を得られる秘薬を思い付いたわ。
さっそく調合してみましょう。これが有れば、誰にどんな才能が有るか分かる様になるに違いないわ。」
基本的に魔術などの才能と言うのは、鍛錬して磨いたりしないと分からないものだが、その過程をすっとばせるとメリスは言う。
そんなのが開発できれば世紀の大発明だろう。
人間の魂の優劣なんて、“魔導師”と言う連中であっても感でしか分からない。
人間としてダメな感じのメリスだが、彼女は本当に大天才なのである。
「そんな風に竜ってのはかなり経済的というか、どこを取っても無駄になる部分は無いのよ。
その肉は長寿の薬、角は貴重な触媒だったり、鱗は秘薬の材料、その眼球は魔力炉の代替にも使えるし、牙は護符にもなる。骨を削って剣にすれば、同じ竜の鱗を貫く武器にもなる。
そして、その心臓と脳髄は賢者の石の材料になる。殆ど単体の素材のまま使うのはこれだけなのよ。それだけ強力な力を秘めているってことね。」
「それは凄いですね。でもファニーを切り刻んだりしたらメリスと言えども一人残らず殺しますから覚えておいてくださいね。」
「貴女を敵に回すほど私は馬鹿じゃないわよ。それに、何が有っても私達は親友同士じゃない。」
メリスが言うとどうにも歯が浮くような台詞だった。
「分かりませんよ。以前『盟主』から研究費を削減されたから反逆したって愚痴ってたじゃありませんか。」
「止めてッ!? それは私の黒歴史なの!! 恥ずかしいから二度と口にしないでよ!!
お陰で師匠にフルぼっこにされるわ、妹弟子のカノンには殺されかけるわで、ホント酷い目にあったのよ!!」
本当に恥ずかしいのか、メリスは炬燵の中に完全に入ってしまった。
「私が聞いたところによりますと、それって調子に乗って『本部』に攻め込んだのが原因だそうですが?」
「きゃ!? 酷い、それ師匠が言ったのね!! いいもの。いつか事実上隠居させて、ここを乗っ取ってやるんだから。」
「そう簡単に行きますかねぇ・・・。」
どうせまた何かやらかして失敗するんだろ、みたいな言葉が言外に含まれてそうなリネンの呟きだった。
しかし、メリスはやたら真剣な表情になって炬燵から上半身を出して、テーブルの上に両腕の肘を汲んで置いた。
そして恋人を寝取られた女みたいな憎々しい表情なってこう言った。
「あのね、師匠やカノンからすればもう千年以上昔で、水に流してやってみ良いかなー、なんて事だとは思うけど。私にとってはたった半年近く前なのよ。
師匠がなんで何千年もここのトップをやっているのに無能無能と舐められているか分かる? 師匠の師匠であるあの『黒の君』を超えられていないからなのよ。
師匠を超えられない弟子ほど虚しい事は無いわ。私はそんなの嫌よ。絶対いや。
私の上に誰かが立っている事自体大嫌いだし、カノンなんかに同情されるなんて真っ平なのよ。ムカついてムカついて嫌になる。
私がしたい事するのを邪魔する奴なんで皆嫌い。誰だろうと許さない。」
まるで呪詛でも唱えているような、感情の吐露だった。
「おや、あの妹弟子とは仲良さそうにしていたじゃないですか。」
「何バカな事言ってるの。師匠の秘術を継げるのは一人なのよ。あれはね、いつか殺す敵なのよ。いつか必ず、八つ裂きにして何よりも無残に殺してやるわ。」
「自他共に認める天才なのに執念深いのが残念と言うべきか、人間らしくてむしろ好ましいと言うべきか・・・。
彼女の方は貴女を慕っているようですが? 貴女と彼女も方向性と言うか、お互い違う魔術を研鑽しているじゃないですか。」
何でそこまであの甲斐甲斐しい妹分を嫌いになれるのか、リネンは分からなかった。
ちなみにメリスの妹弟子であるカノンとは、処刑人の筆頭として『盟主』の邪魔者を始末するここ“本部”では死神の代名詞みたいな存在である。
空間転移と弓を扱う魔術の達人で、例え標的が地球の裏側へ逃げても必ず仕留めると評判だ。
リネンも話した事あるが、実に実直で敵対したはずのメリスのことお姉さまと慕って本気で尊敬している様子だった。
彼女のどこが憎らしいのか、これっぽっちも理解できないリネンだった。
「子供の頃ね、私とカノンとアーチェリーの試合をやったの。弓を使う魔術なんて多いから、教養として私もやってたのよ。
完敗だったわ。私ってそれまで挫折とかした事なくてね、私より優れた人間なんて居ないって本気で思ってたの。
凄く屈辱だったの。悔しくて悔しくて血反吐が出そうだったわ。
その日から、あの子の妹分じゃなくて、排除すべき敵になったのよ。」
「狭量ですねー。」
「貴女には分からないでしょうね。今まで格下だと思って可愛がって来た子犬が、手首を噛みついてきた気分だったのよ。
リネンだって、そこの彼を誰かに取られたら嫌でしょう?」
「――――ぶち殺しますね。どんな手を使ってでも。」
「でしょう?」
それが全人類共通の当り前だと言わんばかりの態度で、メリスはそう友人に促した。
確かにそうですね、と真顔で頷くリネンに、横で聞いているファニーはそんな下らないガールズトークに呆れ顔であった。
「あ、そうだ。あの子はあれでも可愛いから、人形にして私の部屋に飾ってやることにしましょう。勿論、精神と魂はそのままにしてね。ふっふふふふふふ。」
そんな邪悪な想像してほくそ笑んでるメリスだが、これが誰も愛するなんて事も知らない彼女なりの愛情表現なのである。
普通、彼女は他者の才能に嫉妬なんてしないのだから。
彼女の言う事が全て本当なら、当然突出した才能を持つリネンも嫉妬の対象になるべきなのである。
基本的に損得でしか勘定をしない彼女にとって、たったそれだけが他者を理解しようとする殺意と言う名の愛情なのだ。
「と言うか、貴女も酷かったらしいじゃない。私が研究用に用意した魔王の血を勝手に使って“四番目”を復活させた上でボロ負けしたそうじゃない。」
「あれは私の所為じゃありませんよ。」
急にリネンは不機嫌そうな表情になった。
「・・・黄金を作りたいなら、こいつを貸してやろうか?」
ファニーの指には数々のゴテゴテした指輪が有るが、その中から彼は黄金の指輪を示した。
かの有名な、黄金を生み出し、持ち主を呪い何れ死に至らしめるアンドヴァリの指輪である。伝承ではシグルドの死後に色々あって紛失しているが、どうしてか今は彼の手にある。
嘗ての所有者から相当恨まれているのは明らかで、この現代まで続く神代の呪いとはげに恐ろしきものである。
彼としては口を挟む気にはならなかったが、空気が悪くなったので冗談めかしてそう言ったのだった。
「い、要らないわよ!!」
がたがた、とメリスの入っている炬燵が揺れた。
「私たち魔術師は相対的な黄金の価値より、それの持つ魔力の親和性や魔術的な価値の方がずっと意味が有るのよ。
だから人工的に作られた黄金なんて、見た目通りだけの物質的な価値しかないじゃない。そんなの要らないわ!!」
難しい事を言っているが、要は呪いが怖いから遠慮すると言っているのだ。
「遠慮すんなって、リネンのダチだ。どんなものでも金ぴかにしてやるぜ?」
「それは良いですね。メリスも私の不幸の一端を味わえば良いと思いますよ。」
「止めて!! 引っ張り出さないで!! きゃ、リネン、ちょっと目が据わってるわよ、やめて!! 脱げる、脱げるからぁ!!」
「ぎゃははは、いいねぇ、もっとやれよ!!」
炬燵の中でごちゃごちゃと格闘している二人の姿を透視して、可笑しそうにファニーは笑って煽る。
しかし、すぐに喧噪は静まった。
「どうした、もっと面白く乳繰り合えよ。」
「ムカつく事を忘れていました。メリスって案外着やせするんですよね。」
「あー。なるほど。」
しくしくと擬音を口にして乱れた服を整えるメリスと、ムスッとしているリネンを見比べて、ファニーは納得の表情だった。
「俺はお前くらいスレンダーの方が好みだぜ? と言うか、お前が好みだ。」
「まったく・・・言ってくれれば、もう少し割り増しに作ったのに。どうせ脂肪の塊だし、何なら今から足しても―――」
ファニーが空気読んで気障ったらしい台詞に被せて、メリスが言った。
直後に、リネンは人間業とは思えないほど鋭い手刀が彼女の首を両断した。
「ひどい、悪かったとは思うけど、何も悪魔の力を使うこと無いじゃない。」
「貴女以外にこんな事はしませんよ。」
そして、首を切り落とされたのがまるで幻のようにそのままのメリスは、尚も手を振り上げるリネンに向かって落ち着けと両手で自らを庇おうと突き出している。
何ともないよう見えるが、きっかりメリスは死んだ。
同一の存在である“メリス”の誰かに、その死を押し付けたから本人は無事なのである。
「貴女の空気の読めなさはちょっとばかし矯正した方が良いと思いますよ。具体的には、その口を捩じってひん曲げたりしたりして。」
「ご、ごめんなさい、悪かった、悪かったから。」
瞳に炎が灯ってるリネンを宥める為に、メリスは平謝りである。
「敵衆ねッ!? きゃー!! 敵の襲撃とか、こんなこと初めてだからどうやってぶっ殺そうかしら!! ・・・って、あれ?」
すると、リネンの屋敷のドアを蹴り破って二十人ばかりの迷彩服姿の“メリス”がオリジナルの異常を感知してか武装して突入してきた。
「・・・・え、もしかして、リネンとやるの?」
「実は私、リネンとやりあったらどっちが強いか興味あったのよね!!」
「え、マジでやっちゃうの? やっちゃうの? 面白そー!!」
「なにその実験、たのしそーね!!」
そして彼女達はやる気である。
姦しく騒いでいても、軍隊アリのようにその動きは植えつけられており、テキパキと部隊は展開され、二十の銃口はしっかり制圧射撃の用意を終えている。
「はぁ・・・リネン。汚れたから風呂入るぞ。いい加減流したかったんだ。」
「え、ちょっと・・・!!」
そこで、空気を読んだファニーがリネンを引っ張っていく。
残されたのは、急に真面目な表情になったメリスと、何だか面倒くさそうな表情になった同じ顔が二十ばかり。
「これは、訓練よ。そう、訓練。
私が緊急事態に陥った時に、どれくらいの速さで駆けつけてくれるかという――」
「つまんない、みんな帰ろ。」
オリジナルの言い訳を無視して、部隊指揮担当の一人がそう口にして残る武装“メリス”の集団はぞろぞろと帰って行った。
「ねー、ぶっちゃけ、常駐戦力四百人も要らなくない? どうせ私達って実質切り札だから肝心な局面でしか戦わないし、みんな暇してるわよ。」
「だよねー。こう言う無駄なことは適当に原住民教育して賄えば良いのに。私って本当は開発志望だったのよ。維持コストも馬鹿にならないって経理担当がぼやいてたし。」
「私は探索班志望してたのよ。どうせ能力は殆ど変わらないんだから、どこに誰が配置されたって同じなのに。」
「捜索は楽しいらしいわよ。魔族の方に行ってるチームとか羨ましいわー。何だか面白い協力者が得られたって話じゃない。」
「それより原住民で構成した実験部隊の連中で遊ぶ方がよかったわー。あそこの開発部ってイロモノばっか作るから面白いし。」
と、次々と隠す気もない愚痴を言いながら。
まるで怠けてるのはあんただけだと言うような物言いである。
「ちょっと!! そう言うのは私じゃなくて、各担当の情報官の振り分けだからその采配に私は関係ないじゃない!!」
「無駄な事して無駄に“私”の一人を消費したんだから、無駄口の一言ぐらい言ったっていいじゃない。」
「うぐッ・・・」
最後に狭い通路を通って行く“メリス”に、言い訳できない騒ぎの張本人はがっくりとうなだれた。
多才であり、魔術師としてトップクラス。
文武共に持ちうる才能全てが秀でているメリスであるが、人の上に立つ才能とか、指揮官としての才能とか人望とかはあんまり無いのであった。
「もう何よ!! 師匠の癇癪受けるの全部私なのに!! 師匠の押し付けてくる書類仕事とかの雑務とかするのも私だけなのよ!!
見た目や性格は同じだからって付けあがって。能力は私よりみんな一割くらい低くなってるくせに。ぽんこつどもが!!」
「うわ、自分の技量不足を棚に上げて被創造物の私達にその責任押し付けるとかこのオリジナル酷過ぎるわ。」
「たった一割ぐらいの差であそこまで言えるなんて、そこまで自分を卑下するなんてことないのに。建前の上では同一人物なんだから。」
今回の騒動を機にリネンの屋敷に監視と家事手伝いをさせる為に急遽派遣された給仕服姿の“メリス”数人が蹴り破られたドアを修理しながらぐちぐちと自分達の創造主に非難を浴びせる。
自分たちの仕事に不満を抱いているのが露骨に顔に出ている。
「やらないといけない事だってはわかってるんだけどさー、分担作業だからやりたくないことだってやらないとだしさー。」
「わかった、わかったわ。他の潜入班担当とローテーション組むようにするから。研究班と開発班とかと、暇な連中との交代を定期的に検討するから。」
度重なる非難轟々に耐えかねる形で、大本のメリスが折れた。
「ホントかしらねー。」
「そこまで言って、やっぱやーめた、なんて言わないのは分かってるんだけどねー。何だかんだ言って自分だし。でもこんなつまんない仕事やらされてるのムカつくからそれだけじゃねー。」
まだまだ譲歩を引き出せると見て、わざわざ聞こえる位置でぼやきながら掃除を始めた給仕要員達。
自分の性格くらいちゃんと分かってるようだった。
「あんまりぐちぐち文句ばっか言ってると、言語機能とか思考回路とか排除してバカにするわよ。どうせ裏方なんて人形でも良いわけだし。
それが嫌ならスクラップにして記憶のバックアップを初期化するわよ。」
だが、やっぱり誰かに指図されるのが大嫌いな連中の大本は、自分自身に指図されるのも大嫌いだった。
「ば、馬鹿な私なんて、存在価値無いじゃない!!」
「うるさいわね、・・・あー、うっかり間違えてボタン押しちゃったー。」
実にわざとらしい表情で、メリスは懐から取り出したリモコンみたいな長方形の物体を操作した。
すると、最後までぐちぐち言っていた給仕担当の一人がぱたりと倒れるように息を引き取った。
もう完全に恐怖政治の様相である。
「そ・・・そこまでするなんて思わなかったわ。自己満足の為に私達にこんな格好と仕事させてるくせに・・・」
「だまらっしゃい、下位個体の分際で。それとも馬鹿は馬鹿に相応しく、次作られる貴方達にはそれ相応の知能が良いかしら? いいのよ、馬鹿担当。そう言えばまだ作ってなかったから。」
その発想は無かったわ、と清々しいほど外道な笑みを浮かべてる大人げないオリジナルに、戦々恐々してる同じ顔の給仕たち。
傍から見たら果てしなく虚しい一人芝居でしかないのだが、残念なことに彼女達の意思は統一されているわけではなかったのであった。
「お、鬼が居るわ。悪魔ね、私の悪魔!!」
「うるさいわね、悪魔でいいなら悪魔らしい対応にするわよ!! バカ、バカ、この馬鹿バカども!!」
そして更に残念なことに、こうした罵り合いが結局自分ひとりに帰結するなんてことに、この時点で誰も全く気付いていなかったのである。
「まだやってるんですか?」
結局、その不毛な罵り合いが終わるのは、バスタオル一枚のリネンが着替えを探してやってくるまで続くのであった。
人間だれしも欠点はあるという話。
メリスという人間のだいたいの性格と人となりの話でした。




