第三十四話 ドラゴンスレイヤー
『黒の君』は語る。
「え、昨日の話聞いてなかったからもう一度だって?
あのねぇ、僕の話は週刊雑誌の連載コラムじゃないんだよッ!!」
いつかどこかでのある少女との会話より抜粋。
魔術連合本部、第二十六層。
一口には表現しきれないほどの豊かな地形があり、多くの文化圏の中流階級の魔術師たちが居を構え、彼らに対する商売を目的に下級の魔術師たちが町を作る中々に活気のある階層である。
中堅程度の実力を持つ魔術師が一番多く集まる場所でもある。
そんな場所の北西部にある一等地に、ひと際大きな屋敷が有る。
この階層を管理している家の人間の屋敷である。
そしてその屋敷の一室には、厳重に管理された部屋があった。
一言で言えば、宝物庫である。
家の者以外がその一室に入ろうものなら、瞬く間に迎撃用の魔術が発動し、愚かな侵入者の消し炭さえ残さないであろう。
だが、そこに保管されている者は、見る者が見れば目を疑うような宝物ばかりである。
そこには現代では到底手に入らないだろう、歴史的価値のある物や無数の魔具が綺麗に整頓されて置かれており、この部屋の持ち主の几帳面さが窺える。
しかし、この場を魔術師が見れば必ずこう言うだろう。
――――統一性が無く、無秩序だと。
それくらい古今東西、珍しい物や曰くのある物をとにかく収拾したと言わんばかりのラインナップなのだった。
お互いの魔術的要素が干渉し合わないよう、ここに結界を敷いて居るほどである。
中には神話や伝説の伝承を再現したレプリカも存在し、宝物庫であるのと同時に武器庫でもあった。
そして、なぜかそんな色んな意味で危険極まりない場所に、サイネリアは居たのである。
「・・・確か、・・この辺りに・・・。」
一か所に何十もの結界が敷き詰められているだけあって、複雑な構造をしている。
外から見れば六畳間くらいの一室だが、広さはその十倍を優に超える。空間が圧縮されているのだ。それだけでもかなり高度の魔術である。
もはや小さな迷路であるその宝物庫の奥の奥に、一振りの宝剣が飾られている。
嘘か真か、それはオリジナルのジョワユーズだと言う。世に出せばルーブル美術館と喧嘩になるだろう。
サイネリアはそれを手に取る事などなく、それどころか一瞥すらせずに目的の物をそれの横から引っ張り出した。
『世界の魔剣シリーズ(レプリカ)』と銘打って、一つ一つ丁寧に様々な剣が飾られている壁がある。
オリジナルのそれより比べれば価値は劣るが、兵器としての機能はこちらに置いてある代物の方が遥かに恐ろしい。
ダインスレイブ、ティルヴィング、アンスウェラー、カラドボルグ等など、有名どころは抑えられているようだった。
そして、その中にある、バルムンクと並んで飾られている、一振りのレプリカを彼女は手に取った。
魔剣グラム(レプリカ)である。
これを作った本人は完全にその力を再現した、と嘯いているが、正直使えたら儲け物みたいな感覚でサイネリアはやってきたのである。
なにせ、この時代にファニーのような超本格的なドラゴンを相手取って戦うなんてマズ無いからだ。その効力など実証しようもない。
とは言え、竜を殺した魔剣の名を冠しており、それを目的に作られたのなら、多少なりとも“そういう”効果を得るものである。ただその力の濃さが大海に一滴程度か、飽和水溶液に近いか、やっぱり分らないが。
とりあえず適当に振ってみるが、彼女はそう言う術式を解析して使う前に効力が分かったりしたり、力を感じられたりする魔術師じゃないのでその価値はやっぱり分からない。
彼女自身、剣なんて使った事ないが、まあその辺は何とかすると自己完結して彼女はその場を立ち去ろうとした。
「何をしておられるのかしら、“お姉さま”。」
が、振り向いた先に、般若の如き形相をした女性がいた。
「父上がたまに帰ってこいと言った、だから帰ってきた。それじゃ。」
「それじゃ、じゃないわ。おねーさま!!」
刺を投げつけるような言葉と共に、何らかの魔術まで飛んできた。
空間そのものをメチャメチャに歪ませて走るそれを、サイネリアは咄嗟に持っていた魔剣グラム(レプリカ)で応戦した。
すると、本来なら形を持っていないはずの魔術的現象が消失した。
「わーーお。これ本当に竜斬れるかも。」
「お父様が鋳造し、鍛えた物だから当たり前しょう!!」
彼女の名は、カルミア。
カルミア・ハーベンルング。
このハーベンルング家の現当主である。魔導師ギリアの生家でもある。
二歳違いの、サイネリアの実の妹である。
容姿は姉妹だけあってよく似ているが、全体的に緩く脱力してる姉と違って雰囲気から言葉遣いまで刃のように鋭く尖っている。
「そして、貴女の手にしているそれは、私の財産なのよ。姉ぇーさまのような出来そこないとは違って、父上から正当に受け継いだね!!」
「・・・・・っぷ。」
殺意と怒気しかない妹の言葉に、姉は嘲笑を返すだけだった。
「その父上を超えられなくて、次の世継ぎの為の道具にしか思われてないくせに。」
「代々受け継がれてきた魔術の一つも扱えず、地上の下等生物どもの粗雑な薄っぺらい理論で構築された空っぽの魔術しか使えない用無しがよく言いますこと。」
たったそれだけのやり取りが、二人の関係の全てを物語っていた。
そうでなければ、長女ではなく次女のカルミアが当主になる筈もないのだ。それ故に二人の溝は永遠に埋まる事は無い。
サイネリアは彼女の言う道具になるのが嫌で家を出た。
才能は偏っていたが、彼女のスペックは古くから続く魔術師の家柄に相応しいものだったから、今は“処刑人”なんて汚れ仕事などをしているのだ。
とは言え、父が魔導師などしていなければ普通に最高クラスの魔術師であるカルミアは、研究者タイプの魔術師であるにも拘らず物凄く強い。
将来を期待されていないからと言っても、父親から魔導師の秘術を全て受け継いで余りあるスペックと才能を誇っている。むしろ父親が特殊で異常なのである。
正面から挑んだら、サイネリアの頭脳は勝率二割以下と弾き出している。
事実、先ほどの一撃は魔剣グラム(レプリカ)を持っていなければ狭い通路の行き止まりであるから、回避不可能で即死だった。
そんな彼女でさえ魔術の最果ての真理に到達できていないのだから、一体どうしろという話でもあるが、そんなのはサイネリアの知る所ではなかった。
「さぁ、今なら両手両足ぐらいで許してあげますわ。ですから、私の財産から手を離しなさい。」
「ちょっと竜が出たから借りるわ。すぐ返すから。」
「何を寝ぼけた事を仰るのかしら、頭までおかしくなりましたか?」
「だったら二つ上の階層を見て見れば良い。」
妹の典型的な貴族思考に急に面倒くさくなって、サイネリアは最低限のことだけを口にした。
「はぁ?・・・・・はぁ!?」
呆れつつも、遠見か何かの魔術で一応確認したらしい。
彼女のつり目がサイネリアでさえ今まで見た事ないくらい大きく丸く見開かれている。
「・・・・信じられない、何が起きてるの。」
驚きつつも、すぐに状況を把握したのか、はあ、と息を吐いた。
分かりやすい情報源が、目の前に居るのだから勝手に読み取ったりしたのだろう。息をするように当たり前に、ごく自然に魔術を使う。
サイネリアは睨んだがカルミアはどこ吹く風だ。
「持ってけば?」
そして、姉としては意外な言葉が妹から帰ってきた。
「使える物を使う事に惜しまない性質なのよ。
私は部屋で見てるから。それを使わずに何も得られない結果は確定しているけど、それを使った結果は金貨千枚に値するかもしれない。
実験の為の散財なら私も許せるし、父上はその方が喜ぶでしょう。」
妹は、生粋の魔術師だった。
魔術の研究の為にバカみたいな額を毎日のようにつぎ込んでいるだけはある。
魔剣のレプリカなど、彼女にとって消耗品でしかないのだろう。
「ついでだから、あれへの助言ついでに私個人の考察でも聞く?」
何やら急に機嫌が良くなったのか、カルミアは姉に対してそんな事を口にした。
「勝手に言えば? つーか、自分でやれよ。」
サイネリアからそんな悪態が漏れても仕方が無い。貴族の嗜みだか何だか知らないが、カルミアは正当な後継者として父親から剣の手解きを受けているはずである。
父親の秘術の一端を知るサイネリアは、あとは魔剣の相性で十分竜殺しを達成できると思っている。伊達に武闘派ではない。
「実際に自分で使って試す、それだけが実験な訳ないじゃない。これだから脳みそに筋肉が詰まってるバカは嫌なんですの。」
「・・・・・。」
面倒だから今度は言い返さなかった。
何だかんだ言って、彼女の知識は罵声に耐える価値があるくらいには当てになるのは認めているのである。
そんな話をしているうちに、二人の居る場所が一転していた。
宝物庫に居た筈の二人が、いつの間にか書庫に立っていたのである。
「家が表向きはルーン魔術の大家として看板を掲げているのは言うまでもないわね。まあ、実際北欧系の魔術が主軸なのは否定できないけれどね。」
そう言って、カルミアは本棚から一冊の本を取り出した。
タイトルは、北欧神話の本である。
「そしてあのドラゴンは多分、北欧神話に出てくる邪竜ファフニールかそれに類する存在でしょうね。」
カルミアはそうあっさりと断言した。
「なんでよ?」
「あなた、ドラゴンと聞いてどんな姿を浮かべる? どうせ大きくて鰐のように鋭い牙を生え揃えた頭部をして、羽が有り空を飛んで火を吐くとかそんなんでしょう?
だけどね、悪魔の化身としてのドラゴンほど、姿が一定しない存在はいないのよ。
蛇のような異形だったり、足や翼が無かったりね。人間と共生し、世話になれば恩を返したりもするわ。まさしく幻想種の代表にふさわしい不確定さよ。
でもあのドラゴンを思い出してみなさい。実に一般的に普及した分かりやすい姿をしていたでしょう?
それは分かりやすい敗者だからよ。分かりやすい悪役と言っても良い。」
「あれが北欧神話のファフニールなら、それこそその姿は一定していない。蛇とも竜とも言われてる奴じゃない。」
「伝承から変身能力を備えてるのよ。姿かたちの関係ないわ。
分からない? ドラゴンが有名なのはその悪逆からじゃない、英雄に打ち倒されたからなのよ。
所詮は英雄譚の日陰、ただのやられ役かもしれないけど、シグルドの竜殺しの逸話は同系の話しとしては最大に有名な物と言えるわ。並ぶ物が有るとすれば聖ジョージ、次点でベオウルフくらいかしらね。
そこは物議を醸し出しそうだけど、敢えて私はそれを一番にするわ。
なんてったって、竜を殺した英雄が不死身になったんだもの。これ以上のインパクトは無いでしょう? 竜を倒して改宗させる話や相打ちになるなんて憧れなんて感じ得ないもの。
さて、そこに一番有名な姿に一般的なイメージが収束する。そして大抵の人間が竜と言えば西洋の竜を思い浮かべるようになる。
そう言う意味では、そのファフニールは後世に大きく影響を残したわ。その役割は非常に大きい。
西洋の古代竜なんて数も多くない。仮にファフニールじゃなくても、大きく外れていないでしょうね。・・・・まあ、余談はこれくらいにしましょう。
―――――具体的な対抗策だけれど・・・・。」
長々と前置きを述べて、カルミアは邪竜への対抗策を語った。
「・・・・・・本当にそれでいいの?」
「最高クラスの概念を有する竜の装甲には神霊級の魔術じゃないと傷一つ付けられないわ。単純な魔力抵抗力性能も人間とはケタが違うでしょう、減衰結界とかそういうレベルよ。
そもそも、魔術師って言うのは基本的には英雄の引き立て役なのよ。だって魔術師がドラゴンを倒したなんて話、そうそうないでしょう?
アーサー王伝説のマーリンなんかその代表よ。昔から、ドラゴンを倒すには強力な武器での物理攻撃って決まっているの。得意でしょう? バカみたいに物理攻撃するの。」
そんなの対抗策でも何でもないだろ、と口から出そうになるのを我慢したサイネリアだった。
「時間の無駄だった・・・。」
「これでも最大限の助言はしたわよ。それに根拠もある。あの竜の存在していた世界ならまだしも、ここは物理法則が支配する世界。あの巨体で立つのは中々に消耗するでしょう。」
物理的に、十メートル以上の生物は立つことはできないとされている。
その三倍はある巨体は、この『世界』のルールに反する。矛盾している。つまり、存在しているだけで消耗するのだ。そうしてこの世から消えろと圧力を掛けているのだ。
ましてや幾ら大きいとはいえ、あの翼であの巨体を支え更には空を飛ぶなどとなると、その負荷は計り知れない。
その矛盾が大きくなりすぎると、最悪消滅するとか言われている。
これは魔術の難易度に直結している。難しい魔術ほど、矛盾に対する抵抗が強い。
例えば、サイネリアがこの場から地球の裏まで空間転移を行うとして、そこには克服すべき結果として『一瞬で地球を半周した』という事実が残ることになる。
それは、それこそ物理的に一瞬で地球を半周できるほどの負荷として残る。当然、肉体は木端微塵だ。塵すら残らず燃え尽きるかもしれない。
そうでなければ、それは空間転移ではなく時間転移だからだ。
この世は『原因』と『結果』で出来ている。
だから魔術師は、条理にそぐわぬ魔術を使う時に偽装を施すのだ。
故意的に焦点をずらして難易度を下げるのは、常套手段だ。
或いはそれは、『不可能』を『可能』にする代償なのかもしれない。
「まあ、相手は元々が魔術師・・・いや、この場合は魔法使いかしらね。
そう言う伝承が有るんだから、矛盾に抗する方法なんて幾らでも知っているでしょう。なにせ、私達が神と仰ぐ方々から宝物を奪ったなんて話が有るくらいだから。」
「竜種は古来より多くの知識を抱えていると伝えられている。」
「ええ。知と力を兼ね備えた怪物。最強最悪の幻想。だから北欧ではドラゴンスレイヤーに勝る偉業は無い。経歴に箔が付くなんてレベルじゃないもの。
・・・身内からそれが出ればさぞかし父上も鼻が高いでしょうからね。」
とは言いつつも、カルミアは可笑しそうに笑っているから半ばおちょくっている気分なのだろう。
いや、彼女に対する皮肉だ。
「もう行く。」
「せいぜい楽に死ねない事を祈っているわ。」
「それは、あなたも同じよ。」
栄光は得てして、同じだけの悲劇を齎す。
伝説に伝えられる英雄達の末路を皮肉ったのか、それと同じ道を歩もうとしている姉を嘲っているのか。
彼女の胸の内を知る方法は、無い。
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『どうしたよ、もう息切れか? こっちはお前の遊びに付きあってやってんだ。ほれほれ、俺様から一枚でも鱗を剥ぎ取って見せろよ。ぎゃはははははは!!!』
「はぁ・・・はぁ、遊びと、はッ・・・ちゃうわ!!」
必死に言い返すも、フウセンの息は絶え絶えだった。
彼女は何度ファニーに挑んでも、いかなる手段を講じても、簡単にあしらわれてしまっていた。
フウセンの長所は有り余る膨大な魔力による純粋なエネルギー攻撃だが、そもそも人間の作り出す魔力攻撃など、ファニーにとって水浴びみたいなものなのだ。
ロイドが言った通り、相性は最悪である。
フウセンは、半ば意地になって戦っているようなものだった。
『おめぇ、もうちぃいっとお勉強した方が良いぜ。魔力の親和性の理論なんて魔術師なら誰でも知ってるだろ。バカの一つ覚えみたいに攻撃攻撃・・・その魔剣も泣いてるぜ。』
「黙れ―――」
『お前がな。』
鉤爪のような鋭い五指が降ってきて、絶妙な隙を突かれたフウセンを地面に押しつぶす。
『お前、純正な魔術師じゃねーだろ。
普通魔術師ってのは代を重ねて、矛盾に耐えられるように作りかえられているもんなんだよ。そうやって質の良い魂を引き当てやすくするのと同時に、魔術を使う基盤と地力を作るのさ。
お前みたいなパッと出の一代の天才型魔術師ってのは、そう言う理由で長生きできねぇ。自分の扱う強大な魔術の負荷に耐えられなくて、呆気なく死んだりする。
お前はその負荷を無理やりバカ魔力で治癒して騙し騙し動かしてるみてーだが、そんなのは吸血鬼にでもなってからやりな。』
「く、この・・・ッ!!」
ファニーの巨体で押し潰されそうになっているのに、フウセンはそれを無理やり押し返そうと力を込める。
『あーあー、涙ぐましいねぇ。そして虚しいねぇ。
親は子を選べんと言うが、魂は肉体を選べない。それこそ神の采配だからな。よりにもよって、ごく普通の体にそんな強大な魂が宿ってしまうなんて、実に残酷な話だ。』
「じゃああああぁぁぁぁぁかましいいいいいいぃぃぃ!!!」
フウセンの魔力が、彼女を中心に爆発する。
瑠璃色の光が周囲を焼き尽くす。
『わーおわお。あと十年すりゃあその胆力、良い女になるだろうねぇ。』
なんとフウセンは魔力の爆発で地面を吹き飛ばして無理やり脱出したのである。
『だが、今は自分で自分の危険も感じれねぇガキだよ。』
「・・・・・・・・・・・」
『どうした? もう小鳥のようにぺらぺらと喋れねぇほど消耗したか? しただろうなぁ。そんな貧弱な肉体で、大出力の魔力放出は実に堪えるだろうからなぁ。』
「う・・・っせ・・」
図星を突かれたフウセンは、魔剣を杖に立っているのがやっとであるのにそう言い返した。
まだ彼女の魔力はあれだけ使用したのに、四割近く残っている。
しかし、魔力の多さは実のところ魔術師の業界ではあんまり重要視されたりしない。あれば良いが、魔力の調達の方法はそれこそ幾らでもあるからである。
魔力を御する技量と精神力が無ければ、それこそ魔力はただの水より役に立たない。
『お前、魔力はどんな色してるか分かるかぁ?』
「なに・・・言うてんや・・。」
『本来、魔力は無色透明なんだよ。それが純粋で純粋であればあるほどな。
お前は魔力を可視化できるほどの密度で操れる稀有な才能を持っているようだが、そんなの無意味だぜ。なにせ、色の濃い不純物まみれの魔力だからな。
それは魔力を現象に転換する効率が悪いってことだ。お前は馬鹿みたいに魔力を持ってるから良いなんて言い訳にならねーよ。そんなのはただの未熟の証明でしかない。
だからその分早く消耗する。折角大量の魔力が生かせずに無駄になる。』
「っ、くぅ・・・」
自分の弱さを的確に指摘してくるファニーに、フウセンは怒りだけでなく屈辱を感じていた。
完全に舐められている。
自分にこの状況を打破する手段が無い事を完璧に読まれているからだ。
『あーあ、お前の相手すんの飽きたわ。もっと骨のある奴探してくるわ。』
「ま・・」
て、までフウセンを言う事は出来なかった。
魔力の急激な消耗による衰弱が、彼女の意思でどうにかできる領域を超えた。
つまり、倒れたのである。生命力を垂れ流して戦うようなものだから、当たり前と言えば当たり前であるが。
『ここで死ねれば、楽なんだろうが――――』
ファニーの尻尾が倒れたフウセンに襲いかかる。
大地を叩き割るような衝撃が、彼に虚しさを伝えるだけだった。
『あーあ、残念無念。』
寸前で何者かの助けが入ったらしい。ファニーは、むしろ憐れむようにそう呟いた。
『んまぁ、魔剣を持つ人間が、楽に死ねる訳ねーか。ぎゃはははは!!』
多くの魔剣は、栄光と同時に破滅を齎してきた。
ましてや、彼女の持つ魔剣は所有者と同じ魂を持っている。
まさか、全ての魔剣が持ち主の為に働く為にわざわざ次元を超えてやってきたなんて美談が、この世にある筈もない。そこに意思が有るのなら、尚更だ。
障り、祟り、呪い、不幸を呼び込むのは当たり前である。
『あぁ。ガキにかま掛けてたら無駄な時間喰っちまった。
全然壊したりねぇから、もっと暴れっか。人間は殆どいねーから、殺したりねーんだよなぁ。んー、あとどんぐらい時間あっかなぁ。』
丁度そこに、子供連れの男が崩れたがれきの上に立っていたので聞いてみた。
『おい、そこのダンディー。今何時だ? ここの人工太陽じゃ当てになんねーんだよ。』
「丁度先ほど午後四時になった所だ。」
「ねぇ、パパ。おやつの時間パスしたんだから、ちゃんとケーキ買ってよ。」
「ああ。分かっているさ。」
男は少女に頷いて見せた。
「我こそは『盟主』直属懲罰抹殺部隊“処刑人”ヴィクセン。
北欧の財宝を抱擁する邪竜と見受けるが、相違ないならこの俺の挑戦を受けるか?」
『そう言う貴様はベルセルクだな。この獣臭い臭いを忘れるものか。
男のくせに雌狐の名を取るとは、魔術師風情が勇敢な戦士達を騙るのか? それも子供連れとはな。俺様も舐めれたものだ。』
と、言いつつもファニーの口調は楽しそうだった。
相手を、『本物』と認めたからだ。
ジュリアスと同じように、殺し殺されることができる、相手だと分かったからだ。
「はい、パパ。」
「ああ、ありがとうな。」
ヴィクセンは少女から、セレブなどが持ってそうなふさふさで厚い毛皮のコートを受け取った。
勿論、ただのコートではない。魔術に使う触媒だ。
『熊や狼ではないな、狐の毛皮か。』
「今時、伝えられる魔術をそのまま扱うのはリスクが高い。時代に合ったアレンジ、複合が必要になる場合もある。」
コートを纏ったヴィクセンは、先ほどまでと全く異種の雰囲気を纏っていた。
たった今まで理性的だったヴィクセンの瞳には、暗澹とした残虐性がありありと浮かんでいた。
そして、彼は瓦礫の上に四つん這いで唸り声を挙げた。
『なるほど、ベルセルクの術式にアニミズムや狐憑きの伝承も混じっているのか。どの道、所詮は獣だ。狂乱状態になるのは変わらんのか。』
「いっけぇ、パパぁ!!」
最後に少女は鞘に収まっていた剣を引き抜いて、獣と化した父親に投げ渡した。
彼は口で剣の柄を受け取ると、助走も無しに凄まじい速度で跳んだ。
無造作にファニーは腕を振るって叩き落とそうとするが、柔軟と言うには少々常識はずれな動きでヴィクセンは彼の手を逆に踏み台にしたのである。
具体的には、真横から来たファニーの手を受け止めて、くるりとその上に器用に上ってそこから跳躍した。
すかさず、反対側の手が襲来するが、空中でもう一度跳んで易々と避けて、ファニーの懐に跳び付くと、口で咥えていた剣を手で持って殴りつけるような一撃を加えた。
即座にファニーは振り払ったが、軽業師のような動きでバック転の用量で回りながら、軽々と地面へ降り立った。
『やるな、お前。』
がむしゃらに殴りに来たわけではない。今のはファニーの心臓の位置を確かめる為に近づいたのだ。
この狐は犬などに狩られる、そんな玉ではない。
純然な狩人だ。
『ああ、霊感を重視したのか。熊や狼ではなく、狐である事により身体能力ではなく、呪術的な感覚や第六感を伸ばしたと言ったところか。現代の魔術師は、よくそんな事を考えるものだな。』
洪水にも匹敵するだろうファニーの尻尾が、ヴィクセンの這う大地を薙ぎ払う。
それを跳び避けたヴィクセンを待ち構えていたのは、真っ赤に燃える灼熱だった。
爆発的に空気中を燃え広がる火炎は、回避させることなど許さない。
だが、あろうことかヴィクセンは炎の中に自ら跳び込んだのだ。
伝承通りならベルセルクは炎に対する耐性を持っているが、それと竜の力ではそもそも存在の格が違う。
しかし、ヴィクセンはその火炎を突破して、ファニーののど元まで肉薄したのである。
『なに!?」
そして、再び懐に潜り込んだヴィクセンは、鋭くなった爪で無理やりファニーの鱗の一枚を引き千切ったのである。
そこに口に咥えていた剣を突き刺し、柄の頭を殴る様にして深く肉に喰い込ませた。
『お、のれ・・・!!』
それは今回初めてのファニーの負傷にして、絶対なる強者として悠然としていた彼が、キレた瞬間だった。
針の一刺し程度だったが、それは彼のプライドに見事に傷を付けた。
『殺す。』
言葉は淡々としていたが、陽炎のように彼の体が揺らめいていた。
『――――アンドヴァリよ、俺をもっと醜く呪え。』
三十メートルあった巨体がぐにゃりと粘土のように崩れ、再構成されていく。
西洋の竜らしい二本の足は消え失せ、翼も消え、腕が伸び、肉体が細長く伸びて行く。
その姿は、まるで蛇のようである。
『殺す。殺す。殺す。』
ダンダンと短い間隔で更に長くなった尻尾を大事に打ち付ける。まるでそれが彼の怒りだと言わんばかりに。
しかし、幾ら姿が変わろうと、ヴィクセンは戦闘行為に躊躇いを持たない。
四本脚での加速から立ち上がり、二本の脚で跳びあがり、ファニーの体に挑む。
だが、大地を蠢くファニーの素早さは彼のそれを遥かに超えていた。
しゅるしゅると水が流れるように自然にその場から消えていた。
その余りの素早さに、直後にヴィクセンが背後から奇襲を受けた。
寸前で察知して回避行動に移ったが、成すすべなく瓦礫の中にヴィクセンは突っ込む羽目になった。
その中から這い出たヴィクセンの行動は、極めて慎重だった。
瘴気とは違う、毒々しい色をした霧が広がっているからだ。
極めて殺傷性の高い劇毒だった。
伝説に謳われるヒュドラの毒は土地を永遠に枯らし、不死である神すら殺すほどであると言う。
最も毒竜としての記述の多い彼の毒の息吹は、それらに追随すらするだろう。
そして、急に騎士団たちと戦っているはずの悪魔が数体ほどやってきて、瘴気をばら撒いていく。
そうして濃くなった瘴気の中に、バカみたいな巨体である筈のファニーが気配を隠して消え失せたのである。
あとに何も残らない破壊と殺戮を好むファニーが、ここにきて絡め手を中心に戦術を変えた。完璧に殺しに来ている証である。
悪魔に例えられるその狡猾さは、まさしく蛇であった。
だが次の瞬間、地面の僅かな揺れを察知してヴィクセンはその場から跳び退った。
一秒前自分が居た場所には、巨大なファニーの尻尾が突き出てきて、がむしゃらに尻尾を振り回し、地面に叩きつけ、暴れ回る。
破壊。破壊。破壊。
ぐちゃぐちゃにすることこそが目的のような尻尾の攻撃の意図を、すぐさまヴィクセンは察知した。
蝕むように毒の霧が広がっていくのが、がむしゃらな尻尾に振り回された空気によってかき乱され、より広範囲に毒霧が広がっていく。
ファニーはそうやって追い詰めようとしているのだ。
それも、じわじわと毒が広がるのを待つのを嫌って手っ取り早くしようとしている節が有る。
そうして、暴れるだけ暴れて尻尾は引っ込み、そこから毒の霧が溢れだしてくる始末。
獣の本能が、下手に動いたら死ぬと命じている。
ヴィクセンは動けない。瘴気のせいで鼻もきかないし、毒の霧と見分けが付かない。
そうして動かないでいると、いつの間にか毒が全身に回って本当に動けなくなる。
悪辣で、実に堅実で、悪意に満ちた殺し方だった。
このままでは手の打ちようのない、そんな時であった。
「パパぁー。あっち。」
緊迫した状況であるはずなのに、そんな軽い声が響いた。
「あとこれ、サイネリアちゃんが使ってだって。」
毒の霧の中を悠然と歩いてくる少女の手には、見まごうこと無き魔剣グラムのレプリカがあった。
それを手にしたヴィクセンは、少女が示した場所に向け、魔剣を投擲した。
『・・・・・くくく、やはり俺様はやられ役が似合いと言う事か。』
その一撃は、ファニーの鱗が剥がされた箇所を貫き、心臓まで到達していた。
ヴィクセンの意図することなく、まるで吸い込まれるように。
それでも、ファニーは可笑しそうに嗤っていた。
そして圧倒的な存在感が、深い瘴気の奥から現れた。
『なるほど、女狐か。見た目通りの年ではないとは思ったが。まんまと騙されたぜ。』
「自分の旦那の事を普通にパパって呼んで悪い?」
“処刑人”は基本的に二人一組。
まだ幼い容姿の少女は、見た目に似合わない妖艶な笑みを浮かべていた。
だからロイドも彼をこう呼んでいた。ヴィクセンの“旦那”、と。
彼女の正体は、その背中辺りで揺ら揺らと揺れている数本の狐の尻尾が物語っている。
『ふん、時間切れか。ちょうど俺も、俺の女から撤退するように連絡が来た所だ。
今日の所はここで退散してやろう。だが、貴様。ブラフとは言え俺に嘘の名を名乗るとは、覚えておけよ。』
「魔術師が偽名を名乗るのは一つの文化だよ。
それに間違ってはいない、私はヴィクセン。女狐の顔の一人だ。」
コートを脱いだヴィクセンはそう答えた。自分で着脱できるのだから、完全に理性まで消失はしないのかもしれない。
『なるほど、誇れよ。この俺様を退けた事を。ドラゴンスレイヤーの称号はやれんがな。』
そう言ってファニーは、その圧倒的な存在感を今度こそ消した。
「手加減していたとみるべきか、全力を出せない状況であるのか・・・。」
「どちらもだと思うわ。彼みたいな古代竜は存在そのものが矛盾しているんだから。
あんまり目立つ真似をすると自分に返ってくる。ここのような歴史の表舞台ではない『本部』だからこそ、あんなに暴れる事ができたのよ。
だって、彼はこの世に“存在しない”って事になっているんだから。」
或いは彼と二度とお目に掛かる事は無いかもしれないでしょうね、とヴィクセンの片割れたる少女は言う。
「幻想種の宿命か。難儀な事だ。」
もはや空想の中でしか、彼らは語られてはいない。
空想が現実になるなどと、そんな事は有ってはならない。
それを熟知していたからこそ、彼は引き際を弁えていた。
ファニーにとって“偶然にも”魔剣グラムのレプリカが飛んで来るなんて事態まで起こったのだ。長居は無用だと悟ったのだろう。役者は退場のタイミングを間違えてはいけない。
「仕事は終わった。俺達も退場するぞ。」
「はーいパパ、『盟主』には報告しとくねー。」
表向きは、敵も味方も欺くための父と娘。
決して彼がインモラルな趣味嗜好をしているからではない。
今のところそれに気づいているのはロイドや『盟主』を含めた数人だけである。
「―――――偉大なる神の僕たちよ、聞くがいい!!!」
瘴気から立ち去る二人の背後には、この階層全てに届くだろう『カーディナル』の声が響いていた。
この騒動は次で終わらせるつもりです。
長らく出ていなった主人公も、そろそろ出てきます。
でも・・・その前に、私の仕事やらないと・・・・orz