第三十三話 妖精少女
『黒の君』は語る。
「え? 不老不死に興味無いって? そりゃあとても健全で結構だね。
昔から不老不死を求める逸話なんて大抵が失敗談ばかりだからね。そんな幻想を追い求めるバカを戒める教訓でもあるのは知っての通り。
始皇帝が不老不死を求めて水銀を材料にした薬を呑み続けて死んだなんて有名な話だ。方法は間違ってないんだけれどねぇ、それで不死性を得るには人間辞めなきゃならない。
当然、僕もガキの頃はそんなモノも追い求めたりしたさ。結局完全な不老不死は無理だったけれど。限りなく完全に近づく事は成功したね。
今でこそ『黒の君』何て言われているけど、最初は白魔術とか錬金術とか研究しててね、十七の時には不老に至ったものだよ。
それから他人の“死”に触れているうちに怖くねってね、それから二百年は狂ったように“死”を拒絶し続けたさ。
だけど人間っていうのはね、中国の思想やタロットのアルカナのように死ぬ事を含めて完成されているんだよ。死なない人間って言うのはね、人間じゃないのさ。
だから僕は完全の追及を止めてしまったのさ。惨めだし、愚かだからね。
でもね、それまでに追求してきた不死があまりにも“完全”に近づきすぎて、僕自身死ぬ方法が分からなくなってしまったんだよ。滑稽だろう?
僕は目を付けられてしまったのさ。人の言葉で言う所の『神様』にね。より正しく表現するなら、『抑止力』だとか『監視者』だとか、そう言う概念にね。
異様な力を持った人間ってのは必ず邪魔が入ったり、途中で不慮の事後によって死んだりするけれど、僕はそれを跳ね除けて存在し続けた。
―――つまり、『世界』と言うシステムの一部に組み込まれてしまったわけだ。
要はこの世界に何らかのアクシデントが有った場合、高確率で僕にお鉢が回ってくる。無理やり僕が解決せざるを得ないような状況がめぐってくるって事だよ。
舞台装置の都合の良い神様じゃあるまいし。そう言う意味じゃ、僕はよりにも寄って完全な不死を手に入れてしまったのかもしれないね。
笑えるだろう? 僕は神様の真似ごとをさせられてたんだよ。その点はあの緋色に感謝してやってもいいかもしれない。次会ったらぶっ殺すけど。
もしこの世に全能の神が居るとして、魂に才能を振り分けた張本人が居るとしたら、『それ』は決して才能を無駄にしないだろうね。僕だってそうする。
何が言いたいかと言うと、目立つ才能は決して埋もれさせないってことだよ。
歌や踊りの天才は、歌や踊りの天才として宿命づけられるだろうし、射撃の天才は射撃の天才として人生を全うすることになるのさ。
だから、自分の秘めた力から逃げることなんてできないのさ。それは結局自分を否定することになる。
――――え? 君も自分の運命から逃げたりしないって?
それは結構だ。君ぐらいになると自分の運命に逆らうことが格好良いとか勘違いしてる輩が多く見受けられるからね。そう言う連中は失敗してから気付くのさ。自分の愚かさにね。
僕は思うんだ。ある程度の才能は前提だけど、魔術を使えば比較的簡単に不死には至れる。理論だけならこの地上の人間にも出回ってるからね。
でもだからこそ、そこには理性が必要なのさ。死を恐れる本能の恐怖からではなく、人間として人間を辞める理性がね。
・・・え? 話し長いしつまんないから違う話題にしたいって? ちょっと、君は僕のありがたーい話を何だとッ―――」
いつかどこかでのある少女の会話より抜粋。
時間はエクレシアがクロムと合流したぐらいである。
場所は精霊宮の本殿。
その赤い絨毯が敷き詰められた中世の宮殿に、その場にそぐわない白衣とボディスーツの五人の人間が存在していた。
かの『プロメテウス』の助手である、シンシア以下四名である。
そんな目立つ集団だが、使用人と思われる人物と何人もすれ違っても誰も彼らには気付かないようだった。
しかしここは精霊魔術の総本山でもある。
使用人と言えども、精霊魔術を当然のように体得している。彼らは警護兼ねているし、そんな魔術師の巣窟で自由に動き回るのは並大抵ではない。
なにせ、精霊魔術の使い手は空間でモノを見る。
視覚的に見えないとか、気配を遮断したとかではその目を誤魔化せない。とにかく感知能力が優れているのである。
そんな魔術師相手にどうやって隠れて動き回っているかと言うと、それは彼女達の装備のお陰である。
「―――F地点到達。作戦経過は予定より遅延が6秒。上々の首尾です。」
「やはり、新型のステルススーツの性能は精霊魔術の使い手をも誤魔化せるようですね。マイスターメリスの実験部隊の報告の通りです。」
「飽くまで試作品の量産品・・・完全ではない事を留意との事ですが、私には死角が思い当たりません。」
凡そ空気の対流での相対的な発見でないとまず不可能と言う、恐るべき性能を誇るステルススーツは視覚聴覚に止まらず、電子的魔術的な手段を持ってしても見つけることは出来ない。
飽くまでカタログスペックだ、と言って売りつけたメリスだが、その悪魔的な技術はまさしく驚異だった。
なにせ、背後に本物の悪魔が協賛しているのだから、当然とも言えるが。
「ですが、カタログスペックが無駄に高いマイスターの作品は注意が必要だと聞いています。性能が高すぎて使えない事がままあるそうですが、これはそれがない傑作のようですね。」
「逆に性能が尖った奇抜な作品が妙に扱いやすいと評判ですからね。」
「実験部隊の方々も大変な苦労をしていそうです。」
こんな無駄話をしていても、全く気付かれない。
気味が悪いくらい高性能な逸品であった。
欠点はコストがアホみたいに高く材料が極めて貴重である事ぐらいだ。あと防御力は当然皆無である事か。
他には地味にポケットが無いから何も仕込めない。だから彼女達は機能性重視の仕込み可能な改造白衣を纏っている。
メリスと『プロメテウス』は裏で手を組んでいる。
当然、彼はその伝手でこの一件より先にリネンの存在を知っていた。
彼はこの騒動の犯人がどこの誰か始めから知っていたのである。
それどころか、『プロメテウス』と通じている『パラノイア』や、その『パラノイア』に彼女に恩が有るギリアにまで手を回していた。
そうして、仮にリネンをどうするか決議を取る時に有利になるようにあらかじめしていたのである。
だから不自然にギリアが登場したり、『カーディナル』に敵対して居るはずの『パラノイア』が“議会”に現れたのである。
『マスターロード』は当然リネンの味方をするだろうし、メリスは『盟主』から『ピブリオマニア』を代役に抜擢しているので、始めから出来レースだったと言える。
それくらい、あの場はどろっ泥だったのである。
「ターゲット“コードF”の前に到着しました、これより突入します。」
そして、侵入者たちはある一室の前に到着した。
人間には読めない言語がみっちり壁に刻まれ、封印されている一室だった。
シンシアはその言語をノートパソコンに備え付けられている小型カメラでスキャンすると、妖精の国で使われていると言う妖精言語だと検索の結果がでた。
力ある文字の代表であるルーンのように、文字そのものが神秘を秘めている。
「さすが『魔導老』。妖精言語を完璧に解読しているようですね。」
そこには確かに理解している者にしかできない規則性があった。
妖精のような気まぐれな連中が、ここまできっちり封印をしないだろうから、それは間違いないだろうと推測される。
「博士からメッセージです。気に入らないから爆破しろとのことです。」
「了解、爆破して突破します。」
そう言って、顔色一つ変えることなくシンシアたちはC4爆弾を壁に設置していく。
傍から見てかなりシュールな光景だった。
「演算完了しました。準備オーケーです。」
「了解、爆破します。」
ノートパソコンでタイピングしていた部下の報告を受けて、シンシアがスイッチを押した。
どかん、と爆音と共に壁が崩れた・・・りはしなかった。
爆発はした。しかし、振動も閃光も爆音も爆炎も、完璧に制御され消去された。
ただ、壁を破壊すると言う目的だけを達成させて。
そして、厳重に封印されていた壁の中は、――――子供部屋だった。
少なくとも、子供部屋と称するに必要なものは殆ど揃っていた。
絵本にぬいぐるみ、カラフルなボール等などの無数のオモチャ。子供の感受性を高め、育む為の無数の品々が無秩序に散らばっていた。
「――――おねえさんたち、だぁれ?」
そしてその中心に、まだ十にも満たないだろう幼い少女が居た。
鈴を転がしたように響く可愛らしい涼やかな声は、将来の美声を約束している。
まるで日の光を一度も浴びた事など無いような絹のように色白でマシュマロのように柔らかそうな肌には、白い肌着が一枚だけだった。部屋の隅には豪奢で煌びやかな衣服が有るにも拘らずである。
日の光に当たれば輝くだろう色素が薄めのプラチナブロンドが腰まで伸びている。
全体的に少女は浮世離れした儚さを持っていた。一枚の絵画に収めても良いほど、少女は愛らしく、この年で魔性の近い魅力を兼ね備えていた。
ほぼ完全に機械で精神を制御されているはずのシンシアたちが、突入を一瞬ためらったほどである。
その姿はまるで妖精のようで、妖精が自分たちの仲間だと勘違いして攫ってしまわれても可笑しくないほど、彼女は存在が儚く美しく希薄だった。
逆に言えば、同じ人間とは思えないほどの美しさだった。
「・・・間違いない、彼女です。」
確認するまでもなくシンシアは確信した。
彼女こそ、『魔導老』と同じ魂を持つ少女だと。
『恐らく、資質としては老より上だろうな。』
勝手にシンシアのノートパソコンの通信を使って『プロメテウス』が口出ししてきた。
『老が生まれ育ったのは自然環境が壊滅し、荒廃した星だ。
彼ほどの才能を持ってしても、そんな環境では妖精や精霊の祝福を受けられまい。その点、彼女は生まれながらにして妖精の祝福を受けて誕生したようだな。この差は大きい。
彼女は恐らく、いや必ず老を超える精霊魔術の使い手になるだろう。
なるほど、道理ですぐに殺さぬ訳だ。この才能を摘み取るには惜しいと見たか。生かしておけばいずれ自らを脅かすだろうに、見上げた『盟主』への忠誠心だ。すぐにでも確保しろ。』
「了解しました。」
シンシアが了承の意を返すと、通信は途切れた。
「あれ、いまおとこのひとの声がしたよね!! どこにいるの!? ねえねぇかくれてないで、お話しようよ!!」
深海のように無垢なグレーの瞳がきょろきょろと周りに散らばる。
ギリシアの女神アテネが持っていたとされる海のような輝くグレーの瞳にはただ無垢なだけではなく確固たる知性すら感じられる。
事実、ほぼ完ぺきなはずのステルススーツを身につけている彼女達の姿が、この幼い少女には見えているようだった。
正面から見詰められたら、自分たちの行おうとしている所業を見透かされるようで、シンシアは顔を逸らしながら彼女に近づいた。
「ちょっと待って下さい、彼女の近くに多数の高次自然情報思念体の反応が!?」
詰まるところ、妖精が彼女の近くにいっぱい居ると言っている。
この部下の報告を聞いて、シンシアは足を止めた。
妖精なんて、今時絵本とかで可愛らしく表現されているが、日本や中国での言い方は妖怪や魔物である。妖魔と言い換えても良い。
昨今の自然環境の数を減らしているが、その多くがこの“本部”に保護されていると言う。
当然、それの担当は『魔導老』である。
その性質は気まぐれで、人間に味方する事があるがその伝承の多くは人間に害をなしている。彼女達は悪戯程度にしか思っていないだろうが、その大抵が洒落にならない危険が伴っている。
彼女達は誤って人間を殺しても、人が蟻を一匹踏み潰してしまった程度にしか思わないのだろう。故に人間にそれを責める資格は無い。
「シャンテ、児童保育プログラムのダウンロードを・・・。」
「は?」
「こちらから踏み込むのは危険です。少女の方からこちらに来てもらうのです。」
「・・・了解。」
若干躊躇ったものの、部下はシンシアの指示に従った。
「ねぇねぇ、おねーさんたち、どこからきたのー?」
しかし、そんな余計な手間を掛けることなく、少女は立ち上がってシンシアの方に歩いて来た。
「・・・・・・」
何と言い返せば良いのか分からないシンシアは思わず思考の為に全身の動きが停止してしまった。
こんな状況に対応するマニュアルなんて彼女の知識に無いのである。
「あー、それより、ちゃんとドアかはいらないとだめなんだよー。もうだめなんだからー、おじちゃんにおこられてもしらないんだからねー。」
唯一の出入り口であるドアを指差しながら、少女はそう言った。
ただ、壁以上のガチガチに封印が施されており、そう簡単に開くはずもない。
「お、お嬢ちゃんのお名前はなにかな・・?」
シンシアはしばらく動かしていない顔の筋肉を動かして何とか作り笑いを浮かべて、そう少女に問うた。
「うーん、わかなんない。きがついたら、ここにいたから。なんにもしらない」
そこには明らかに記憶消去がされた人間特有の返答があった。
魔術で記憶を消された人間が自分の事を尋ねられると、自分に残っている一番古い途切れた記憶に関することを口にする傾向が有るのだ。
容姿からしてロシア系だろうが、その真偽は永遠に不明だろう。
この少女に、もはや過去は無いのだろう。
『魔導老』が妖精を介してチェンジリングを行われているだろうし、そうなれば地上でこの少女を覚えている人間は居なくなる。
そこまで徹底されているだろう。
しかし、そんなことに同情する暇は無い。
シンシアは近づいてきたのを良い事に、ゆっくりと隙を窺って彼女を捕まえようと手を広げた。
「うーん、なまえなまえ、そう言えば、きにしたことなかったなぁ。ねぇねぇ、みんな。わたしのおなまえ、いったいなにがいいとおもう?」
すると、少女は振り返ってピョンと延ばされたシンシアの手からすり抜けるようにジャンプした。
「うんうん、うんうん、・・・・うーん、じゃあ、それ、ミネルヴァがいい。なんかいちばんカワイイからそれにするー。」
魔術的にはこれ以上無く的確だが、ミネルヴァが一番可愛いという時点で妖精のセンスが窺い知れるというものだったが、妖精の観測が出来ないシンシアにはどうでもいい話だった。
「ねぇ、それより、わたしお外いきたい。」
「え?」
「おじちゃんって、ときどきわたしをお外にだしてくれるけど、それいがいずーっと、おへやのなかにいないとダメだっていうんだよ。
みんなはそんなことしなくてもいいんだっていうから、わたしもお外でいっぱいみんなであそびたい。」
どうやら長らく軟禁されているらしく、ミネルヴァと名乗る事にしたらしい少女はぷんすかと頬を膨らませて不満を口にした。
「じゃあ、お姉さんと一緒にお外に遊びに行こうか?」
精一杯明るく振る舞って、シンシアはそう言った。
「うん、でも・・・・」
「でも・・?」
「でも、おじちゃんが言ってたの。おじちゃんいがいがきても、だれのいうこともきいちゃダメだって。どうしようかなぁ・・・」
「私じゃなくて、お嬢ちゃんが言いだしたから良いんじゃないかしら?」
「あ、そうだね。そうだったね!!」
子供は単純で助かる、とシンシアは安堵の息を漏らした。
すると、少女ミネルヴァは目を急に輝かせて床に落ちている絵本を開いた。
「すごい、すごい!! おっきなドラゴンさんだぁ!!」
その意図がその場にいた誰かに伝わる前に、ぐしゃりという音が響いた。
鮮血が飛び散る。
振り返ると、シンシアの部下の一人の頭をスイカのように掌で粉砕した『マスターロード』が居た。
「菓子の駄賃代わりにネズミの駆除をしてやろうと思ったら、老の屋敷にはとんだネズミも居たものだなぁ。」
彼は人差し指を立てて無造作に腕を振るっただけで、もう一人の部下が真っ二つに切断された。
「本当の強者は弱者相手に滅多に力を振るったりしないものだが、どうしてか分かるか? 安易に力を見せびらかすのは子供だからだ。子供はいかな強大な力を持っていても、弱く見える。」
二人の部下の犠牲を経て、残った三人は意思疎通を終えた。
終えて、三人目の部下の胸部に穴が開いた。
「おや、ネズミがこの私に挑むか。」
四人目の部下が、シンシアの盾になるべく『マスターロード』の前に出た。
直後に、一番無残に彼女は死んだ。上半身が木端微塵になり、血の噴水となった。
あまりに一方的過ぎて、どうしてそうなったか誰も理解できなかった。
「わぁ、まっかだね!! でも、このあかい水のにおいヤダ。」
幼い少女には人の死を理解できないようだった。
無邪気に、笑う。だが血しぶきで汚れた顔には、僅かに不快そうな表情が浮かんだ。
「作戦、失敗・・・・無念です。」
もはやこれまでと、シンシアは白衣の胸ポケットの中に入れてあった転移呪符を使用した。
一瞬で転移呪符が燃え尽き、シンシアの体が掻き消えた。
「ふん、ネズミの親玉によろしく伝えろ。」
その一瞬だけでシンシアを余裕で殺害できたという態度で『マスターロード』は、鼻を鳴らしてそう言った。
事実、振り上げた彼の手は邪魔が入って振り下ろせなかった。
心臓をぶち抜かれて即死したはずの、シャンテと呼ばれていたシンシアの部下の一人が『マスターロード』に触れずに彼の手を遮っていた。
それは彼女達の使う物理魔術とは原理そのものが違う、呪術の類だった。
「まさかこんなところでお目に掛かるとはな。」
「うひひひひ・・・。」
先ほどまでの一切感情が浮かんでいなかったのが嘘のように、彼女は不気味でおぞましいとすら思える笑みを湛えていた。
それこそ、男を誑かす為に本性を隠していた毒婦のように。
次の瞬間、景観が色褪せる。
世界が二人だけを切り離したかのように、止った。
「東欧最悪と謳われた魔女『パラノイア』。貴様も老に牙向くか。」
「まさか・・・。『プロメテウス』には借りがあるからねぇ。あれのお陰で面白いものが作る事が出来た。」
「ほう? なんだそれは。」
探りを入れることなく、『マスターロード』は問うた。
「地上最強の劇毒だよ。」
「最強の毒だと? ヒュドラの毒でも再現できたのか?」
「あんたは知らないだろうけれど、地上の人間は資産を情報に変えるのさ。それを壊す情報の海に垂らす一滴の毒が齎す被害は、前に作ったペストの比ではないでしょうからねぇ。」
何が可笑しいのか、そんな悪魔のような事を口にして笑う『パラノイア』。
死人を動かすのも、赤の他人に自分の魔術を使わせるのも、彼女にとっては造作もない。むしろ得意分野なのだ。
彼女曰く、本当の死は肉体的や精神的な死ではなく、誰の記憶にも残らない事である、と語る。
悪名高き『パラノイア』のもう一つの二つ名でもある秘術、『精神感染』は、自身の精神の鏡像を作り、それを他人の精神に刷り込ませる魔術。
魔術の制御は精神で行うのだから、それはただの一般人をある日突然に魔術の達人にさせることも可能である。
それはあたかも自身の心の中にもう一人の自分として現れ、“二重人格”として人知れず地上で蔓延している。
そうやって、彼女は己の叡智を受け継ぐに相応しい弟子を探している。同時に、彼女は人間の心の中に永遠に存在し続け、ある種の不死を体得していた。
そこに彼女自身の人格は考慮されてはいない。感染した人間の精神と一体化する為、残るのは魔導師としての最高位の技術だけなのだ。
そこまでして、彼女は彼女の言う死から逃れている。
この世界に亡霊として存在し続けている。
そしてこの秘術は、最近魔導師となったギリアにも影響を受けていると言う。
『プロメテウス』はその力を利用し、優秀な魔術師を量産する計画を思い付き、彼女がそれに乗った。
だからやろうと思えば、今逃げたシンシアだって、今はエクレシアの隣に居るだろうアビゲイルだろうと、一瞬で自分の支配下に置ける。
そんな危険性を承知の上で『プロメテウス』は彼女達を運用しているのだから、何を考えているのか分からないと言われても仕方が無い男である。
「ふん、舐めるなよ。知っているぞ。こんぴゅーたういるす、とか言う奴だろう。地上に放った間諜から聞いて、我々も一部こんぴゅーたを導入しているのだ。」
「くひひひ。まあ、お互い利用しあっているだけだがね。
それでも良い研究は出来た。色々と面白い結果も得られたしねぇ。」
むしろそれ以外の関係が想像できない両者だが、そんな無粋は言うまい。
「まあ、今日の所はお前さんと話が出来て良かったということにしておこうか。なるほど、魔族か。その手が有ったなぁ・・・・くくく。」
そうして、不吉な言葉を残して、『パラノイア』は去った。
ばたり、とただの死体だけがその場に転がった。
色褪せていた世界も、すぐに色彩を帯びて時間が動き出す。
「きゃー!! すごい、ほんものだ、ほんもののドラゴンさんだぁ!!!」
目の前で惨劇が繰り広げられたと言うのに、少女ミネルヴァはぴょんぴょんと跳び跳ねて『マスターロード』の方に駆けよっていく。
周囲の妖精が「危ないからやめた方が良いよ」とか言っているのに、まるで意に介した様子が無い。
「なんだ、このガキは。老の隠し子か?」
「ドラゴンさんドラゴンさん、でもこのまっかなお水、くさいからお風呂にはいらないとだめだよー。でも、よくみるとこのドラゴンさん、ごほんのよりちっちゃいかも。あしで立ってるし」
「誰がちっちゃいだと!? 我こそは由緒あるドレイクの、って、角に触るな!!」
百二十センチくらいの少女がぴょんぴょんとジャンプして、身長二メートルを軽く超えている『マスターロード』の額にある角に触るのは並大抵ではないのだが、彼は煩わしそうに少女を振り払う。
しかし、『マスターロード』の腕で視界が一瞬少女の姿が遮られると、その刹那に少女は壊れた壁から羽根でも生えているかのような身軽さでぴょんぴょんとスキップしながら消え去った。
「なんだ、あのガキ・・・・。」
『魔導老』の失敗は、『マスターロード』にあの少女の事を伝えていなかった、ただその一言に尽きた。
流石の彼も、他人に自らの急所を教えることはしなかったのである。
そして、なぜか『魔導老』はその急所がどこかに行っても探す事などせずに静観の構えを取ったのである。
「そんなに大事なものなら、事前に私に言っておけば良いものを。」
事情を聞いた『マスターロード』はそう不満そうに語った。
「例えば貴様は魔剣グラムを隠していて、それをこの私に教えたりするのか?」
「ないな。絶対にないな。」
「だろう?」
そう言う事であった。
「ではなぜ追わない? 自らの心臓が独り歩きしているのだぞ。追うのが当然ではないか。」
「いつも思うが、貴様はいつも当たり前のことを当たり前のように言うのだな、その性格、少し羨ましいぞ。」
「私は生まれながらの強者だ。弱者と違って何一つ偽る必要が無いのだ。弱者の策を堂々と粉砕し、姦計を踏みつぶす。それに、私は自身の頭脳を駆使してまで殺したいと言う敵についぞ会っていない。
慢心していて当然なのだよ。」
『マスターロード』は堂々とそう言い放った。右手にスフレが乗ったスプーンが無ければ格好よさ二倍になっていたかもしれない。
「では私が敵になったらどうする?」
「それはそれは楽しい戦争が出来るだろうな。老と心行くまで殺し合いに興じるのも実に面白いだろうな。その際は部下総勢でお相手させてもらおうか。
それより話を逸らすな。私の質問に答えろ。」
「うむ、では答えるか。」
わざわざ勿体ぶるような態度でハーブティを口に運んでから、たっぷり時間を掛けて『魔導老』は答えを口にした。
「実はな。」
「うむ。」
「まだ何も考えていないだけなのだ。」
「ううむ、・・・・なに?」
驚いたように『マスターロード』は『魔導老』を見た。
「聡明な老がまだ何一つ手を打っていないと言うのか?」
「逆だな、捕まえる手立てが無いから手を打つ意味が無いのだ。」
「なぜだ? 相手は所詮ガキだろう。」
「ここに来るまではな。彼女はここ来て十以上妖精と無意識に契約を交わしている。いや、妖精が勝手に将来有望な子供に唾を付けたと言った方が良いか。
もはや彼女は妖精の仲間だ。そんな存在をどうやって捕えろと言うのだ。彼女はひとつの“森”として機能し、周囲の精霊が無条件で手を貸すだろう。」
そして周囲の妖精はそんな都合のいい存在が連れ戻されることに許すはずもない。
なぜなら、多くの森の妖精とは森が無いと存在できないからだ。
そこで妖精たちは、人間と契約して森として機能させることで、森の無い都会での行動をも可能とする事が出来る。ある種の寄生である。
その為には十分な資質が必要だ。そして、十以上の妖精を受け入れるキャパシティは異常であり、もはや森と言うよりアマゾンの樹海というレベルである。
今の彼女の捉えると言う事は、アマゾンの樹海に足を踏み言ってそこに住む過酷な環境に一人立ち向かうのと同義になる。
それに自然を操る妖精が十以上も味方しているのだから、手に負えない。
「幾ら老とて、妖精を縛る事は出来ないか。」
「彼女らと友好を築くには、ある程度の悪戯には目を瞑るしかないのだよ。彼女らにはここに居てもらっているのだからな。
連中と付き合っていれば菩薩のようにどこまでも寛容になれるぞ。」
はぁ、と『魔導老』の表情には一種の諦めさえ浮かんでいる。
精霊宮での損害の収支の九割が彼女らの悪戯なのだから、諦念の一つや二つも浮かんでくると言うものだろう。
「では、結局何もしないのか?」
「私にでさえどうにもできないのだ、誰にもあれをどうこう出来るはずもあるまい。それに私は思うのだよ。彼女は必ずここに帰ってくるとね。」
「ほう、老の直感は予知レベルだからな。老がそう言うのならばそうなのだろう。」
「彼女がいずれ己の力を自覚した時、頼るのは私以外あるまい。その為の楔は既に打ち込んである。逃れられぬよ。彼女は自らを縛る運命からはな。」
「魔術師は運命という言葉を嫌うのではなかったか?」
「彼女は凡庸で雑多な有象無象とは訳が違う。自らの意思で運命に影響を与えられる才能を持っている。それなのに運命を嫌う理由がどこにあるというのだ?」
「なるほどな。」
納得したと言う風に『マスターロード』は頷いた。
「つくづく、魔術とは人間如きには荷が勝ちすぎる代物だと言う事だな。」
「そう。人は人以上の力を得てはいけないのだよ。それ以上を望む事を本来は許されない。だが、そこから逸脱する術を知ってしまったばかりに、愚かな人間が増えてしまったのだよ。」
哀れだよ、と『魔導老』は嗤った。
「この世には、自分たちが踏みつぶされる蟻だと分かっていない人間ばかりだ。
自分たちがヒエラルキーから逸脱した存在だと過信している。その三角錐は、人の序列としても存在していると言うのにな。」
千年もの間、この世界を見て来た男はそう呟いて目を閉じた。
その逡巡の間に彼の頭で一体何がめぐっているのか、計り知れる人間は居ない。
「さて、そろそろ“議会”の時間だ。行くとしようか。」
「うむ。茶番を始めに行くとしよう。」
そして場面は移る。
―――――――――――――――――――――――――――――
「きゃああああ!! すごいすごい!! ドラゴンさんだ、本物のドラゴンさんだッ!?」
まんまと精霊宮から逃げ出した少女は、きゃぴきゃぴと大はしゃぎで騒いでいた。
なぜかと言うと、先ほどファニーが現れたからである。
まさに己は大怪獣だと言わんばかりに破壊を巻き散らかしているファニーに、まるで物怖じしない少女はやはり将来は大物になるだろう。
間近で竜の咆哮を聞いているはずなのに、けろりとしている。
普通なら大の大人でも震えあがって足がすくみ、立っていることすら困難なはずである。至近距離で咆哮を受けた騎士団たちは精神防護が有るはずなのに大半が気絶していたというのに。
楽しそうに歓声すら挙げている。
彼女の周囲は魔界の瘴気を寄せ付けず、完全な清浄に保たれている。
無垢もここまで行くと愚かささえ備えているものだが、彼女は悪魔には一切関わろうとはしなかった。それどころか、清浄な空気を纏っている故に目立つはずなのだが、悪魔に遭遇すらしない。
無知蒙昧でも害意には敏感な様子だった。
「ねぇねぇ、マジでヤバいから逃げようよ。ホントシャレにならないから。」
「そうだよそうだよ、あれはヤバいから、逃げよ、逃げよ!!」
その奔放さは、本来自由気ままな彼女に憑いている妖精が涙目になって逆に翻弄されているほどである。
「えー、でも、ドラゴンさんだよ? もうごほんのなかにしかいないんでしょ?」
「そうだけどー。そう言う場合じゃないって。」
一般的にフェアリーと称される分かりやすいイメージが普及している妖精が、何とか思いとどまらせようと説得を試みる。
このままではエンシェントドラゴンに突撃してしまいそうな勢いだったからだ。
「うんうん、外がこんなになってるなんて部屋の中に居るんじゃわからなかったけれど、これは本気でマズイって、うちらで守れるのも限度が有るんだからね?」
比較的に真面目らしいフェアリーが不服そうにしている少女に言い聞かせるようにそう言った。
身長三十センチくらいしかないフェアリーが四倍は大きい少女にそんな風に言う光景はなかなかファンシーで微笑ましい光景だった。
「でも、ぶっちゃけあたしらには関係なくね?」
「だよねー。巻き添えにならないくらいに離れてりゃ大丈夫っしょ、最悪あの人に頼んで見逃してもらえば良いし。」
パックやピクシーなどと称される妖精が、あろうことかそんな事を言った。
妖精に掛かれば天下の邪竜もあの人扱いである。
「さんせー、さんせー、あたし、あの人の肩に乗って遊びたいでーす!!」
説得していないもう一人のフェアリーが手を挙げて大声で言った。
「あ、それたのしそー!!」
そんな彼女の提案に、少女は目を輝かせた。
少女はファニーが高い建物ぐらいにしか思っていないのか、彼の肩の高さから地上を見下ろす面白さに思い馳せている様子だった。
「えー、ヤダよ、あそこ絶対熱いじゃん。あたし燃えるのとか勘弁だよ。」
そこに草花を起源とするフェアリーが顔を顰めた。
「どーかん。つーか、なんか目が逝っちゃってる人間と戦ってるじゃない、あの人。そんなのに巻き込まれるの嫌だよ、わたし。」
更にもう一体のフェアリーが文句を言いだした。
こんな感じで妖精たちは全くまとまりが無い連中だった。
「ねぇねぇ、いっぱい人が固まってるところ見つけたよ。なんか悪戯したら面白そうな感じ。」
そんな感じでわいわいやっていると、一匹のフェアリーが向こうから跳んできた。
とても子供らしく純粋に悪い笑みを浮かべていた。
すると、たった今までごちゃごちゃと論争していた妖精たちが、一斉に嫌らしい不敵な笑みを浮かべた。
もう彼らの頭にはファニーで遊ぶことなんてどっかに言って、バカみたいに集まってる人間達にどう悪戯を仕掛けるか知能の全てを費やしていることだろう。
「ううーーん、みんなやりたいこときまったならそれにしようか。」
自由奔放に見えて少女は皆の意見を聞くようだった。自分より小さいからお姉さんぶってるのかもしれない。
しかしここに居る妖精たちは殆どが有史以前から存在して居たりする。
彼女らは森と共に生き、森と共に消えて行く。
「じゃ、れっつらごー!!」
妖精スプライトが巻き起こした風が、吹き荒ぶ。
釣られるように砂塵が巻き起こった頃には、そこには誰も居なくなった。
「きゃーー!! ここあのひとの近くじゃない!!」
騙された、と言わんばかりにぶるぶる震える花の妖精がいた。
時折風が吹いて火の粉が飛んでくるくらい、ファニーに近い場所だった。
「だからあの人と遊ぶのと、人間で遊ぶの、どっちもできる場所にきたのよ。」
へへん、としたり顔のスプライトがそう言った。
彼女の言うとおり、丁度すぐそこに昇降魔法陣があり、魔術師たちがなんとか動かそうと四苦八苦している様子が見て取れる。
「とりあえず、あの魔法陣を動かして超スピードで天井にどっかーんでぶつけたりするのなんて面白そうじゃない?」
「それ前やったじゃない。地面をずどーんと地盤ごと引き下げて斜めにして転がり落とすのが良いと思うわ。」
「いーやいや、ここはあの人を呼んできて人間達が慌てふためき驚く姿をね・・・」
他人が聞けば涙が出るほど鬼畜な悪だくみを提案しながら、妖精たちは論議を重ねて行く。
「ねぇねぇ、それよりあの子・・・」
「ん?」
「ん?」
「んんぅ?」
ふと気付くと、少女ミネルヴァが居なくなっていた。
と言うより、妖精たちはどんな悪戯をするか熱中しすぎていて、彼女が「こんな所に居るのは危険です!!」とわざわざ大声で警告してきた自らのリスクに省みず保護しに跳んできたエクレシアに連れて行かれたことなど全く気付いていなかっただけである。
「・・・・・・・えぇ~」
「・・・・私らからあいつを攫うとか、いい度胸じゃん。」
そんな一部始終を聞かされた妖精たちは十人十色の反応を見せていた。
「つーか、いつの間にか人間達居なくなってるし。」
やる気が萎えたと言わんばかりに地面にへたり込むフェアリーが一匹。
「それより、私たちの大事なあいつが居なくなっちゃったじゃない!! 取り戻さないと!!」
「そうよねぇ、あんな逸材、もう出会えないかもだしー。」
「んじゃ、取り戻しに行こうか。」
そればかりはまとまりのない妖精たちもあっさりと決まった。
そして、妖精たちは輪になってくるくると飛び回り始めた。
くるくると、くるくると、古来より様々な伝承を持って言い伝えられてきた妖精の輪が、魔力の円環となって集束していく。
彼女達は、そうしているうちにフッと消えた。
一説には妖精の国へと通じると言われる魔力の痕跡だけが残り、明日には菌の輪となりキノコが生えてくることだろう。
忙しいんですが、はかどらないので書いた。反省はしてない。
思いのほか長くなってしまいました。なるべく短くまとめてそろそろ主人公の方に視点移動したいところでしたけれど。
それにしても、前書きが長すぎたかなとちょっと反省。あの人の台詞は書いてると次々でちゃうのですよ。