幕間 “議会”は踊る
『黒の君』は語る。
「あくまで魔術師として個人的な見解という前提だけど、“宗教の自由”なんて言う法律より愚かな法を僕は知らない。
例えば地獄の概念で言えば、人は死後にどの地獄に属するかわからなくなるだろう? 六道地獄や奈落、聖書の地獄、北欧神話なんかのヘルヘイム。
それぞれの神話から派生した“直系の世界”ならまだしも、僕の弟子がいる世界はそう言うのから外れているタイプだからねぇ。
この世界では人間が信ずる神の下へ召されるって事になってるなら、宗教を自由に選べるってことは、地獄を自由に選べるってことだよ。そんなの馬鹿げた話だろう?
そんなの都合の良い救いを求めるのと同義だって話さ。
―――――え? それって結局、思想を縛っているってことじゃないかって?
じゃあ君は思想に縛られていないと? 何事にも囚われず、自由な発想で、自由な選択を行い、自由気ままに過ごしているとでも?
そんなの赤ん坊と同じじゃないか、知己も知恵もない獣と同じだよ。格好付けた詩人でもあるまいし、ある程度の束縛の下での自由でなければ、社会の“人間”とは言えないのさ。
“自由”だなんて、それひとつの思想だよ。愛やら恋やらと同じで浮かれた言葉だから、それに誰も気付こうなんて思いもしないけれど。
それが思想であれ、時の権力者であれ、周囲の環境であれ、人が何かに隷属するなんて、当たり前のことなんだよ。それに逆らうなんてバカか狂人のそれだよ。
人間は群れる生物なんだから、群れから外れた奴が人間扱いされないのは極々当然の話さ。差別や区別はあって当然だし、無くなったらそれは人間の社会じゃないだろうね。
そう、明確な“差”や“違い”にこそ、魔術には重要でね。あれ、なんか関係ない話になっていないかい?
・・・え、オチ? そんなの有るわけないじゃないか。真面目な話なんだから。雑談だから別に構わないじゃないかって言われてもねぇ・・・」
いつかどこかでのある少女との会話より抜粋。
「知ってるかねぇ? 普通、あまり考えられないことだが、無罪を立証するのと同じくらい、犯人と断定する事は同じくらい難しい。」
「なるほど、第三者や協力者が進んで自ら真犯人を庇おうとしてボロが出る推理小説みたいなシチュエーションと同じですね。
たとえ犯人だと分かっていても、証拠が無いから憎たらしくも捕まえる事が出来ない。そういうことですか?」
然り、と『カーディナル』は頷いた。
場所は戻って第二十九層の“議会”の会議場。
時はたった今、リネンが登場して自らが犯人だと名乗り出たところである。
「犯人だと言っているのだ、とりあえず拘束なり尋問なりするべきではないのか?」
「貴様はブラックホールや恒星とかが突然出現して被害が出て、これをやったのは私ですと名乗り出て来た奴を犯人として終わりにするのか? 馬鹿馬鹿しい。」
半ば答えを予想していたのかにやにやと笑いながらの『プロメテウス』の提案を、彼女は律儀にもちゃんと言い返した。
実際そんな事が起こったら被害どころの話ではないが、例え話故に誰も『カーディナル』の言葉に突っ込む事はなかった。
だが、話の内容としては間違っていない。
この一件が複雑化しているのは、現代の魔術師が苦労して実体の下級悪魔を召喚してもせいぜい一体が関の山だと言う事だ。
千体を超える悪魔の軍勢を従えて襲ってきました、私が犯人だと言う奴が出ました、はい逮捕、と言うわけにはいかないのである。
「それは困りましたね。わざわざ名乗り出たのに、このままではただの目立ちたがり屋になってしまいます。」
「では、確かの証拠を提示すればよろしいのでは?」
そう例え、リネンが真横に悪魔を侍らせていたとしても。
「それ以前に、私を前にして悪魔を連れているとは、いい度胸だと言うほか無いな。」
「ええ、彼って親切なんですよ。困っている私を“善意”で助けて下さるって言っているんですからね。」
ここでこの悪魔と契約してるから当然だ、何て言えば即刻首を落とされるだろうが、狡猾なリネンは悪魔に憑かれている人間に強硬な手段をとれない事を良く分かっていたのだ。
人間に憑いた悪魔は厄介で、聖水や聖書の文言であっさり退治するなんて宿主の命を握っている悪魔には出来ないのだ。
だから悪魔祓い、エクソシズムとは本来腰を据えたネゴシエートが主になっている。
ジュリアスのように端から悪魔と交渉しないしそれに憑かれた輩は人間じゃない何ていう態度とは、方向性がまるで違うのである。
「ああ、なるほど、確かに貴様は犯人らしいな。」
たったそれだけのやり取りで、『カーディナル』はリネンが犯人だと確信した。
その要因は経験則だったり、第六感だったりする。
魔術師なんて言うイマジネーションが大事な業界では、往々にして理論より感覚の方が信用に値する局面があるのである。
何より、『カーディナル』は彼女の目を見て確信した。
人間とは思えない、汚れに満ちた瞳。
幾ら雪ごうとも洗い流しきれない業が、魂にこびり付いているのだ。
具体的に表現するなら、禍々しい雰囲気が有るとか、人間にしては邪悪な威圧感があるとか、そう言う類の話になる。
この場に居る誰もが、己の霊的感覚が彼女を犯人だと告げている。
それくらい見抜けないようでは“魔導師”は務まらない。
だからと言って、人間の世界は感覚ではなく理論の世界。
彼女が真っ黒だからと言って証拠もなく犯人だと決めつけることはできないのだ。
とは言え、
「証拠など後から幾らでも出るだろう。」
面倒くさそうに、『魔導老』が呟いた。捕まえた後に調べれば証拠など出るなどと言う意味ではない、証拠なんてものは後から幾らでも作れば良いと言ったのだ。
例えなくてもでっち上げることなぞ、ここにいる面々には造作もない。
本当の意味で“事実”を捻じ曲げるなんて芸当が出来る者も居る。
世間が求めているのは、分かりやすい理由だ。
難解な数学の問題の答えの過程など殆ど誰も知りたいとは思わないのと同じように、重要なのは犯人を捕まえたと言う結果なのだ。
それで面子は保たれる。それで十分なのだ。
「とりあえず、茹で釜にすればよかろう。」
「うわぁ、酷い。」
そう結論にした『カーディナル』に、非難めいた呟きを洩らす『パラノイア』
茹で釜とは、所謂異端審問で使われるあの茹で釜である。
熱したお湯に手を突っ込んで平気ならそれは魔女で、そうでなかったら大火傷のどっち転んでもごめん願いたい代物だ。
本来なら、尻尾の出さない黒魔術師に対して異端審問官が使う手口である。
尻尾も角も翼も丸出しにしていたリネンには不必要な工程だが、こう言う場合にも使われるのだ。
「なんと言うか、予想はしていましたが、予想通り過ぎて逆に引くと言うか。
そうそう、自首したのですから自己弁護の機会くらい頂けませんか?」
「そうだ、茶番じみた裁可なぞどうでもいい。それより、汝は何者ぞ?」
一応神聖と言う事になっている審判を茶番扱いされた『カーディナル』は眉を顰めたが、好奇心が顔に出ている『エンプレス』はどうでも良さそうだった。
「先ほど名乗りましたが?」
「違う違う、出自を訊いておるのだ。どこの誰か、家名或いはこれだけの事を起こしたのなら自ら誇れる師くらいはいるだろう?」
内心このままスルーされるとひやひやしていたリネンだが、彼女に一つ問いが投げかけられた。
「私は思想犯ではありませんよ、脅されてやらされたのです。」
「ほう?」
それは『エンプレス』の求めていた答えではなかったが、その場にいる“魔導師”全員の興味を引いた。
「脅された、これは可笑しなことを聞いたぞ、今回の一件を起こせるほどの魔術師が、よりにもよって脅されたからだと!?
・・・・もっとましな言い訳は無かったのか?」
凄味を利かせて『カーディナル』はリネンを睨んだ。
「事実ですから仕方ありません。無理やりやらされたからこそ、こうして解放された今、弁明と釈明に参った次第なのです。」
「ぬけぬけと、どの口が・・」
「これでも私は、『盟主』から身分を保障された身なのですが。それでも話を聞いてくれませんかね?」
「なに? では貴様は彼女から庇護を受けていながら、裏切るような真似をしたと言うのか?」
『魔導老』の目が鋭くなる。
「それが本当なら、『盟主』から何も返答が無いことと辻褄は合いますね。」
一考の価値はあるのでは、とギリアが口を開いた。
「それが戯言ではないという証拠は?」
「それを証明してくれる方を連れてくればよろしいのですね?」
「信じてやりたいのは仕事でもあるが、こちらも大事な部下の命が掛かっているからねぇ。」
しかしながら、『カーディナル』の表情は明らかに言葉と裏腹に、と言う感じだった。
「では、『マスターロード』。貴方は『盟主』からこの私を紹介されたはず。
私が『盟主』の庇護下にいることを証明してくださいますか?」
「ん? ああ、そう言う事もあったな。」
不意打ち気味に声を掛けられ、今にも眠りそうになっていた『マスターロード』は何度も頷いた。
「それは本当か?」
「ああ、人間ながら素晴らしい実績が有ると紹介を受けた。此度執り行う祭りに於いて誕生復活の祈願の際には是非とも巫女をしてもらおうとなっている。」
『魔導老』の問いに、『マスターロード』は眠たそうに目を擦りながら答えた。
「では彼女の素性くらい知っておろうな?」
「知ってはいるが、この私から言う必要性も筋合いも感じられんな。」
半ば話の蚊帳の外に置かれている意趣返しか、『マスターロード』は薄笑い浮かべてそう言い放った。
「これから事実を曲げるのだ、それならば真実を知ることにどれほどの意味が有る。偽りの歴史が刻まれるのに、なぜ真実が必要か。
偽る方が真実を知りたがる、・・・・それは驕りだよ。そうは思わんか?」
「つまり、言う気はないと。」
つまらなそうに『エンプレス』が彼の言葉を総括した。
「聞くに、人間は我らが魔王陛下に関わるのはタブーの中のタブーなのだろう?
私はそのタブーに貴殿らが触れないよう、気配りをしているだけだ。」
そしてその『マスターロード』の言葉は、当然誰もが無視でき得ないものだった。
空気が凍りつくとは、このような場合を言うのだろう。
確かに彼が口にしたのは、禁忌の中の禁忌だった。
「魔王? よりもよって、魔王に関わっているだと!?」
「おっと、これは失言だったかな。」
爆弾を投下した『マスターロード』は意地悪く笑った。
ふと、その時、その場の空気中の魔力が動いた。
それは誰かが隠すことなく魔術を行使した証拠でもある。
そして、何らかの魔術を行使したのは、今まで殆ど会話に入ってこなかった『ピブリオマニア』だった。
「ここに、真実はある。」
彼女が行使したのは、転送の一種だったらしい。
彼女の手には新たに一冊の本が有ったからだ。
題名『シークレットセブン黙示録』 著者:W・H
「それは、かつて魔術師の捨てた世界の資料本の原本ではないか?」
『カーディナル』がそのタイトルを見てそう口にした。
しかも、『黒の君』の著作である。
「この第十期の、彼女の記述が有る。」
そして、『ピブリオマニア』はあるページを手さえ使わず開くと、やたら大きい白亜の円卓に映像として投射した。
拡大され、投射されたページの映像には、見出しに『マスター・デビルサモナー』と描かれている。
写真並みに精巧な似顔絵も付いて。
そして、そこにはリネンの行ってきた所業が詳しく挙げ連ねられていた。
「大した、経歴だ。」
興味本位だった『エンプレス』が引くくらい、リネン・サンセットと言う女の二十二年余りの人生の非道がそこには記述されていた。
血で血を染め、築いた骸は一山どころではない。
悪逆非道にして、死と退廃こそが人生そのものと言っても過言ではなかった。
「同じ人間とは思えないと言ってくださっても結構ですよ。
とは言え、よくここまで調べましたね。あの人が私をここまで敵視してくれたことは、名誉に思うべきでしょうか?」
「確かに人間の所業とは思えんな。」
だからと言って『魔導老』は何かしらの感情を表には出さなかった。
「では、どうやってこんな昔の人間がこの時代、この世界にやってきて、あまつさえ肉体を取り戻して現世に舞い戻っているのだ?」
呆気にとられていた『プロメテウス』が真っ先にそう問うた。
死者の蘇生は魔術の到達点の一つだ。
魔術の理論上は可能であるとされているが、現実では成功例が数少ないことから、それがほぼ不可能であることを示している。
あの『黒の君』でさえ、“完全”な死者蘇生は出来ないとされている。
「肉体の方は友人が用意してくれていたんですよ。
肝心な私の魂と精神は、“虚無の闇”に行っていたので。交信が有ったので、手探りで現世と繋がりを見つけて肉体に逆召喚したわけです。」
まるで悪魔みたいなやり方ですけれどね、とリネンはどこか可笑しそうに笑った。
「裏技だな。死者蘇生の多くの障害は、魂と精神の消失にある。
まさかそれの保管場所が“虚無の闇”とは。かなり限定的ではあるが、確かにそれは死者の蘇生だろう。偉業だな。『盟主』が保護する訳だ。」
「でも言うのは簡単だけど、それってかなり現実味は無いわ。
完全な虚無の空間、そんなとこに放り込まれた人間の魂や精神が、異常を示さない訳ないじゃない。もしそれが本当なら、本当に人間じゃないわよ。」
納得しかけている『魔導老』に、『パラノイア』は首を振って否定する。
「言うなれば、人間をカプセルかなんかに閉じ込めて暗い海底に投げ捨てられたようなもの。普通なら、気が狂うのが当り前よ。」
「私は精神防護にそれなりの自信が有りますから。
それに、一人で虚無に墜ちたわけじゃありませんからね。」
「悪魔を従えるくらい面の皮が厚いようだからな。」
そんな『プロメテウス』の皮肉に、リネンは意に介した様子は見せなかった。
「とは言え、あの場所は地獄の更に下と言うにふさわしい場所でした。
永遠とも一瞬とも分からない、膨大な孤独と虚無感・・・確かにただの人間なら一瞬で廃人になるでしょうね。この私とて、あれから未だ夜は一人で眠れません。」
あれほどの所業を重ねてきたリネンがそう言うほど、“虚無の闇”は壮絶な場所だったらしかった。
「とりあえず、死者蘇生の定義は難しい。それこそ魂の在り処と同じようにな。それをこの魔術を極めた我々で語らうのも有意義だろうが、話を一度戻そう。
問題は彼女がどうしてこのような事態を引き起こしたか、それの決着をどう付けるか、だ。そうだろう?」
そして話が余計な方向に行かないよう『プロメテウス』は舵取りした。
これは彼の言う定義の話をすると、余裕で丸一日を消費してしまうからだ。そして結局話はまとまらない。そんな無駄は彼の嫌う所だ。
「あ、やっと聞いてくれますか、良かった。
昔のことなんてどうだっていいんですよ、大事なのは今とこれからなんですから。」
「脅されたと言ったな、では貴様を脅したのは一体どのような目的で貴様を脅し、このような真似をさせたのだ?」
「よくぞ聞いてくれました。」
その為に来たんですよ、とリネンは溜息を吐いてそう言った。
「皆さんは、“緋色の魔女”についてご存じですか?」
「なに!?」
リネンの言葉に反応したのは、『魔導老』だけだった。
「誰だ? 私の知る限り、今まで“魔女”の称号を得たのは三人だけのはずだが。」
「私も彼女がそう呼ばれているなんて知ったのはつい先日です。
彼女を知っている人間は数少なく、しかしその影響力はまさしく魔女にふさわしいと『盟主』に伺いました。」
「聞いたこともないな。」
『プロメテウス』も、『エンプレス』も知っていないと言う。
やはり知名度は皆無のようだった。
“魔女”の称号はその時代に魔術の威光を知らしめた最高の女性魔術師に与えられる。
地上の人間に神秘を隠匿している我々にはもはやその称号を得る者は二度と出なくなるだろう、と誰もが思われている。
その称号を得たのは今までで三人。
その中に、今のリネンが言った魔女は存在しないのだ。
「老には、心当たりがあるようだが・・・・」
「うむ、まさか彼女が・・・いや、そう言う事なら有りうるか。」
知っている事がるらしい『魔導老』は顔を顰めていた。
「誰なのだ、老よ?」
言うのを躊躇っている『魔導老』に、畳みかけるように『カーディナル』は言った。
「彼女は次元の旅人。かの『黒の君』に並びうる唯一の魔術師。
並列する世界どころか、別の軸にまで移動する事が出来ると言うその力は、ある種の究極に達しているらしい。
彼女は“世界”の例外である特異点そのものだ。知っているはずもない。」
「信じられないな。」
そう呟いた『エンプレス』は、疑っていると言うより信じたくないと言う様子だった。
「私も一度しか会ったことは無い。亡霊みたいな女だったよ。
いや、亡霊なのだろうな。一つの目的に執着し、その為にいかなる手段をも用いると言うのならばな。」
「ええ、彼女の目的は自分が従属し忠誠を捧げていた『悪魔』の復活。
彼女は私にあの『悪魔』の召喚をしないと殺す、と脅してきたのですよ。」
本当に迷惑な話です、とリネンは心底嫌そうにそう言った。
「その際に、こんなものを手土産にね。
これで従わない魔術師がいるなら、是非とも教えてくださいな。」
そう言って、彼女が白亜の円卓の上に放り投げたのは、帽子だった。
それは所謂、とんがり帽子と言う奴だった。
黒塗りだが古い品物のようで大分くたびれており、張りが無く三角形の天辺がペタンと半ばから後ろに折れている。
いかにも魔女や黒魔術師が持っていたりしそうな代物だった。
それもそのはず、これはかなり古臭い黒魔術師の正装の一つだ。
すると、この場に居る殆どの“魔導師”がガタッと立ち上がってそれを凝視した。
「馬鹿な!?」
そう声を荒げて言ったのは、『カーディナル』だった。
立ち上がった“魔導師”の誰もが、絶句している。
「どうしたのだ?」
反応が無かったのは、『プロメテウス』と『マスターロード』だけだった。
ただ、『ピブリオマニア』だけは、我関せずと本を広げたままだった。
「知らないのか? 同志『プロメテウス』。
それは己の師から受け継いだと自慢していた『黒の君』の一張羅の一部だ。」
「なに!?」
それを『魔導老』から聞いて、『プロメテウス』もその事態を把握した。
「少し前に遭遇し、殺し合いになった際に討ち倒し、奪ったのだと。
これが、私が情状酌量を求める理由ですよ。こんなもの突付けられてどうしろっていうんですか。」
「信じられん、信じられんな。」
「ええ、・・・冗談でしょう・・・」
何度も確認するように、『エンプレス』も『パラノイア』もただ呆然としている。
「まさか、そんな・・・あの『黒の君』が、死んだと言うのですか?」
そして、ギリアが誰もが認められない事実を口にした。
「そしてあの『悪魔』は召喚に際し、神に信仰を捧げた敬虔な十三人の生け贄を要求されました。
その為には、どうしても“調達”が必要でした。」
「・・・・なるほどな。そう言う理由か。」
かたん、と脱力したように椅子に体を落として、『カーディナル』は納得したと言うように頷いた。
「私が憎いですか?」
「人を憎むのはもう飽きたよ。
私の部下たちは、悪魔と戦って死んで行ったのだろう? だったらなぜ悲しむ必要がある。同じ人間と殺し合って死んで行くより、ずっと良い事だと思わないかねぇ?
それに、ここ最近の“連中”はなぜか活動していないからな。化け物との実戦を知らない若い連中には良い機会だっただろう。」
「今初めて、万全の準備をして貴女に挑んで良かったと思いましたよ。」
慈愛すら浮かんでいる『カーディナル』に、リネンは薄ら寒いものを感じていた。
「道理で、最近の『盟主』の動きがおかしいと思った。」
「ああ、あの御方が本当に死んだかどうかはともかく、あの御方が仮に死んだと信じて『盟主』が何か動こうとしているのなら、厄介だな。」
「『盟主』は抑圧されるとその反動で何かしでかすからなぁ。」
そして、“魔導師”たちは口々にそんなことを言いだした。
それはどちらかと言うとダメな意味で優秀な味方に動かれて何が起こるか分からないから困ると言った状態に近いようだった。
「私は彼が死んだなどとは思ってはいない。
彼の不死に対する執着心は異常だ。自らの死を否定し続けて来た彼が、今さら楽に死ねるなどとは私は思ってはいないぞ。」
顔を顰めて憮然とそう言い放ったのは『プロメテウス』だった。
「だが、それでもあの御方の帽子がここにある以上、確かに敗北したと言う事実は受け止めなければなるまい。」
「確かにあの御方が死ぬなんてことは無いでしょうが・・・。」
『エンプレス』やギリアも、そうは言っても表情は硬い。
「あの『盟主』の権威はほぼ全てがかの『黒の君』の威光だ、その張本人が詳細不明の人物に少なくとも敗北したのだと、下層の魔術師どもにどう言える。こんなこと、どう説明しろと言うのだ。
とにかく、一つずつ問題を処理しよう。あの御方については『盟主』の指示を仰がなければなるまい。扱いの難しい問題だからな。」
そう言った『魔導老』の言葉に、殆どの“魔導師”が頷いた。
「で、私の処遇はどうなるんですか?」
このままではめまぐるしい状況に忘れ去られるかもしれないとリネンはそう問わずには居られなかった。
「まず、貴様が『盟主』の下に居るのなら、この一件について他言無用にすることだ。これは貴様自身の為でもある。
なぜなら今回の騒動は一番の被害を受けた『カーディナル』から訴状が『盟主』に届くだろう。そこで内々に処罰を受けることになるのだからな。
それで手を打つことにするのが妥当だと思うが如何に?」
「それでよろしいかと。」
いつの間にか仲裁役になっている『魔導老』の言葉に、『カーディナル』は頷いた。
「言っておくが、これは特例だ。我々は“魔導師”の役目は魔術の保全と伝道。
貴様の魔術を失うのは惜しいとも思っている故の判断でもある。」
「多少の人命より私の力の方が重いと?」
「地上で幾ら原住民同士での戦争が起きようとも、誰かが魔術の真理の果てに辿り着くものは居ると思うか?
命にはな、それぞれ価値が有るのだよ。等価ではないのだ。」
それは実に魔術師らしい現実を見据えた言葉だった。
「神職を前にしてそう言う事は言わんでほしいね、老よ。」
「では聞かなかった事にしておけばよかろう。
ここは盟約を結んだ魔術の叡智を極めた者どもが集まり、協議する場所だ。関係の無い事は後にしていただきたい。」
ここにいるのは人である前に、魔術師である連中ばかり。
『魔導老』にも、『カーディナル』にも、自らの秘術を守り伝える為なら、どのような非道にだって手を染めるだろう。
「では、『盟主』の回答がでるまで一時解散としよう。私も部下たちを助けねばならないからな。」
「一応ですが、契約の下にある悪魔は強制帰還させることもできますが?
雑多な下級悪魔は流石に勝手に呼び出して好きにやらせているだけですけれど、それだけで大分違うと思いますが?」
試すように、リネンは『カーディナル』に言った。
「余計な御世話だねぇ、『盟主』との盟約が有るとはいえ、お前さんとは思想相容れない敵同士だ。
それに自分たちの戦いは、自分で決着させるさ。それが人間の義務だよ。」
『カーディナル』は揺らがない。
絶対なる神の御名の下に。
より完全に近づく為に、魔術師として。
皆さん、今年もよろしくお願いします。(うちは現在喪中なんであけおめ言えないのです。)
今月はちょっと忙しいので、更新は少ないと思います。