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魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
二章 悪魔騒乱
35/122

第三十話 理を制する者





「ガキのくせに、粋がるからこうなるんですよ。」

まんまと上級悪魔の術中にはまり、ツタの触手に再び捕らわれたエクレシアを見下だすリネンは薄く笑っていた。


「適当に嬲ったら魂を引っこ抜いて、他の連中の相手もしてあげてくださいね。

ふっふふふふ、自分たちの神の力を悪魔に使われなんて知ったら連中どんな顔をしますかねぇ。」

「ねぇねぇちょっと、リネンリネン。」

「なんですか。」

リネンは急に鬱陶しそうな表情に成って、クロムに向き直った。



「やりすぎよ、やりすぎ。」

「えー、別に良いじゃないですか。私の数少ない生きがいなんですから、偶には我がままくらい良いじゃないですか。」

「さっきは手加減してくれるって言ったじゃない。」

「ええ、確かに手加減するつもりでしたよ。

ですけれど、なんかやってる内に楽しくなっちゃっいまして、ついつい・・・。」

えへへ、とおどけたようにリネンは笑って肩を竦めた。



「冗談じゃないわ。全く、冗談じゃない。

まあ、半分どうせこうなるだろうとは思ってたけど、私と貴女との友情を信じたのに。」

「あれ、聞いていませんでしたか?」

リネンはなぜか不思議そうに首を傾げた。



「てっきり、私は“本体”から話を伺ってると思っていたのですけれど。」

「本体とか無いから、私は、“一人”しかいないんだから。

当然じゃない、この世界に同じ人間は二人として存在できないんだから。でも、たとえ同じ人間が数百人や何千人と居ようとも、その全てが“同一人物”なら、それは矛盾してはいないわ。」

「前に得意げに教えてくれましたね。

でも今に成って疑問に思いましたけれど、別に全員が全員同じ食事や生活を送れているわけじゃないんですよね?

そこにやっぱり細かな差異とか生じるんじゃないんですか?」

尤もな話ね、とクロムはリネンに頷いた。



「この世で最強の観測者は、人間よリネン。今この世界に存在する六十億を超える人間の認識は、物理法則を絶対のものとしているわけ。

じゃあ、その六十億以上の人間が全く同じ顔で、全く同じ背丈、全く同じ声、全く仕草や記憶。そんな人間を、何十人が存在しているなら、誰かがそれを認識した時にその全てを“同一人物”と定義することができる。

世界を騙すって、簡単なことよ、リネン。

所詮は騙されやすい人間の認識でしかないんだから。故に、“私”はここに居ながら第二層にも存在できるし、世界中のどこにでも居られるわけ。」

だから私は不死じゃなくて不滅の魔術師なの、と彼女は嘯く。


私を殺すには、“私”を全滅させる他にないのだから、と。



「私は、百二十七人目だから。」

そう言ったクロムの首に掛かっていた小さなプレートを胸元から取り出した。


そこに刻まれた文字は、こうだった。




『メリス№127 戦闘用』


百二十七人目の、メリスの同一人物だと言うことを示す。

ただそれだけの認識票ドッグタグだった。




「ドッペルゲンガーの怪異も型無しですね。」

「でもね、だからと言って、全員の“私”の意識を共有しているわけじゃないのよ。

私と同じ戦闘用に調整された個体だけでも今は四百人も居るのよ、そんなの全員の“一人”を統括しているオリジナルの“私”の脳が処理できなくなる。

だから全体の思考を上から見下ろすくらいしかできないのよ。

・・・・・というか、なんでこんな状況でこんな説明させるのよ。」

「ああ、こいうことですよ。」

次の瞬間。


ぶすり、とクロムの腹から真っ赤な手が生えた。




「え・・・・・?」

振り返ったクロムの後ろには、何も居ない、が存在していた。



「ステルスウォーカーって、上級悪魔ですよ。ほら、人間って家に一人でいると、誰も居ないのに暗がりに誰か居る気がして怖くなったりするじゃないですか。それが具現化した存在ですよ。

この間、その能力を模すとか言って、研究開発担当の“貴女”に一体引き渡したんですけれど、知りませんでしたか?」

リネンは、笑いながら言う。


「なん、で・・・?」

クロムは血を口から零しながら、問うた。




「貴女のオリジナルから、私との関係性を疑われないようにするために、目の前の貴女を殺して下さいって、言われたんですよ。聞いていませんでしたか?」

「うわぁ・・・私でも、そうするわぁ、流石、“私”だわ。」

ぶす、っと彼女の血で真っ赤に染まった手がクロムの腹から引き抜かれる。


ばたっ、と倒れた彼女の下に、血だまりが出来る。



「私の為に貴女の命の一つを犠牲にしてくれるなんて、本当にメリスは私の親友ですよ。」

「それでも・・・わたしは、恨むわ、よ。私の、記憶は、バックアップが、あるんだから。

同じ・・番号の私が、再び補充、された・・・その日、私は貴女に、対する・・恨みを抱いたまま・・・・地上に蘇るわ。覚えて、おきなさい・・。」

「そんな私もありなんじゃないかって、メリスが言ってましたよ。」

余人には意味不明な言葉を持って、リネンはこちらを見つめるクロムに優しげな笑みを浮かべた。



「人間にはあらゆる可能性があるからどうのこうの、人生の局面がどうちゃらこうちゃら、無限に生じる選択肢は普通一つか選べないから総当たりしてなんちゃかんちゃら。

そうしているうちに、窮極の極致に辿り着く自分がいずれ生まれるんでしたっけ?

正直今の説明の十倍くらいの長話だったんで、あんまり覚えていませんが。

だから、一人くらいリネンと敵対する“私”が居ても良いと思うわ、とか言われました。」

正直私には理解できませんが、とリネンは肩を竦めた。




「あははははは、流石私よね!!! 私最高ッ!! 我ながら、狂ってる・・・・。」

一頻り壊れたように笑うと、クロムは己の血だまりに顔をうずめて動かなくなった。



「親友に裏切られても絶望しないとは、確かに狂っているのだろうな。」

つまらなそうに、上級悪魔が呟いた。


「それだけ私が信用されていないってことでしょうね。

だって、メリスは自分大好き人間ですから。有益無益でしか人を判断できない可哀そうな、そのくせ惚れっぽくて割と純情なところもあるんですよ。

いつか駄目な男に誑かされないか心配ですよ。」

「召喚主よ、貴殿は親友殿を愚かしいと思っているのか、それとも親愛を抱いているのか?」

何か人の心に関心が有るのか、上級悪魔が問うてきた。



「あんまり信じてくれる人が居ないんですけれど、実は私、結構情が深いんですよ。

貴方も役に立ってくれたら、正式に契約を結んでも良いですよ。待遇は応相談ですが。」

「それは断ろう、貴殿と私は合わない。」

「それは残念ですね。」

リネンは、ただ笑うだけだった。




「おい、リネン。」

するとその時、リネンの背中から両腕を肩の上に置いて彼女の顔を掻き抱くように、一人の男が現れた。


その男は、金糸で意匠がされた真っ赤な服装に、悪趣味な首飾り、両手のどの指にも色とりどりの指輪がはめられている。

更には純金製のブレスレットや、ブランド物の最高級腕時計、そして両耳にはこれまた悪趣味で高そうな水晶のドクロのイヤリングまで付いていた。

まるで持ち物に金を掛けることに何か意味を見出しているような格好である。


だが、その成り金のチンピラみたいな男の瞳は、紅く瞳孔は縦に割れている。

傍から見れば悪い男に引っかかった町娘の二人組と言う風体だが、例えば悪魔たちに二人の内どちらが恐いかと問われればこのチンピラみたいな男の方だと答えるだろう。


本物の悪魔から悪魔呼ばわりされるリネンより、その男は純粋に邪悪で恐ろしいのだ。




「おや、どうしましたか、ファニー。」

リネンは問うていながら、くるりと首を回して抱きついてきた男の唇に口づけをした。

男はそのまま顔を抱きしめる力を強くすると、お互いの舌と舌を絡め合う濃厚なキスに発展した。



「召喚主よ、次の命令は如何に?」

このままではこんな所で情事にまで発展しそうな雰囲気だったので、上級悪魔は事務的に問うた。

実はこの中で一番真面目なのは彼だったりする。

悪魔は無駄な事をしないし、必要なら無駄を省く連中なのである。



「っち、邪魔しやがって。まあいい、

リネン、そろそろ潮時だ。調子のってへまするのはいつものパターンだろ。」

「そう・・・ですね。どうせ目的は達成していますし。

これで保険が取れれば儲け物だったという感じでしたし、そろそろ引き上げますかね。」

リネンはエクレシアを前にした狂ったような態度は鳴りを潜め、熟考し冷静な判断を下した。



「それで、予想通り“魔導師”たちは集合していますか?」

「ああばっちりよ、今この階層に、邪魔者はいねーよ。」

「そうですか、私はこれから上に行って彼らに顔を出していきますから、これでファニーも大暴れできますね。」

「おう、欲求不満でしかたなかったぜ。」

「もうッ・・。」

リネンはファニーに頬を舐められて、いじらしく身を捩った。

先ほどの悪行っぷりからは想像できない姿である。



「じゃ、行きましょうか。」

「・・・・いや、待て、どうやらお前に客のようだぜ、リネン。」

「おやおや。仕方ありませんね。」

「次の予定までへましないように俺が見張っててやるよ、好きにやりな。」

ファニーはリネンの髪の毛を手で梳きながらそう言った。


「ええ。」

リネンが頷くのを確認すると、ファニーはどっかりその場に座りこんでこれから起こる茶番を想像して、にやにやと笑い始めた。





「貴様が、黒幕か・・・・。」

「おや、これはまた可愛らしいお客さんですね。」

濃い瘴気の中から現れたのは、精悍な顔立ちの中にも幼さが隠しきれない、少年だった。


リネンは一目で年齢が十代半ばも達していないと見破った。

教会の騎士としては若すぎるな、と言うリネンの思考を裏付けるように、その少年はハルバードで武装はしているものの着ているのは礼服だけだった。



リネンは、努めて挑発的に言った。


「ここは子供の遊び場じゃありませんよ、お姉さんの邪魔をするとあそこの人たちみたいになっちゃいますよ。」

リネンは後ろに設置してある逆十字とそこに張り付けられている連中を示しながら言った。


しかし少年は、それを見ても眉ひとつ動かさなかった。



「悪魔は、皆殺しだ。それを使役する、貴様らもな。」

その言葉は嘘ではないと示すように、彼の持つハルバードは悪魔の血で濡れていた。


「舐めるなよ、これでも先日のイタリアの事変で異教徒を三人斬り殺した。」

この歳で、恐らく見習いの身でありながらその実力、将来は有望だろう。

ただ相対する悪い魔術師はその芽を刈り取る気満々であったが。



「ああ、なるほど。」

だが、リネンはそれよりも、その短いやり取りだけで全てを理解した。




「貴方、もしかしてもっと小さい頃、親を悪魔に殺されましたか?」

少年は答えない。リネンの揺さぶりに動揺した素振りも見せなかった。

だが、一瞬、確かに一瞬、目蓋が動いたのを彼女は見逃さなかった。



「そうですか、それはさぞや憎いことでしょうねぇ。ですが、愚かだ。」

少年はもはやリネンの言葉を聞いていなかった。


彼はすぐさま疾走し、こちらに向かって斬りかかってきたのである。

正しい判断である。


このような遭遇戦に於いて、リネンのような魔術師には魔術の準備をさせる時間を与えないのが常道である。



だが、あまりにも正し過ぎた。


リネンは上級悪魔に目配りした。

上級悪魔は即座に動いた。


否、動くまでも無かった。



少年の周囲一帯の地面から、間欠泉のようにツタが爆発したように現れたのである。

ハルバード一本で、幾ら実力が有ろうと見習いで火力の低い魔術体系の人間の子供など、まな板の上の鯉も同然だった。




「ぎゃはははははは、あっさり返り討ちにあってやんの!!! だっせぇなぁ!!!」

ファニーが可笑しそうに手を叩いて笑った。


べちゃり、と少年は二人の目の前に叩き落とされた。



「おの、れ・・・。」

「あれー、今さっき悪魔を皆殺しにするとか言ってた奴が地べたを這いつくばってますねぇ、聖職者が嘘を吐いちゃ、だめじゃぁないですか~。」

ぐりぐり、と少年の頭を踏み躙りながらリネンは満面の笑みを浮かべながら言った。


「おいおい、リネン。許してやれよ、まだまだガキじゃねぇか。

それに相手がお前じゃどんな奴が相手でも結果は同じだろ。」

「そうですかねぇ?」

とぼけたようにファニーに聞き返す、リネン。


こう言う相手には人質を取るより、徹底的に侮られ、あまつさえ敵に同情されることが何よりも屈辱なのだ。



「じゃあ、助けてくださいお願いしますって言えたら、見逃して上げますよ?」

「ふざけろッ!!」

「うーん、じゃあ、こうしましょう。」

まるで名案が思い付いたと言わんばかりの表情で、リネンは両手を合わせた。



「今から上空百メートルの高さから貴方を頭から落としましょう。

貴方は神に祈るだけで良いんです、貴方の祈りが通じれば助かるんですからね。それとも、自分の信仰心に自信が有りませんか?」

「あ、悪魔め・・・。」

騎士クラスの魔術師なら、実際百メートルくらいから落下しても別に平気では有る。


だが、頭から落ちた場合、最悪自重で首の骨が折れてしまう可能性が高い。

まさしく、神に祈れと言わんばかりの、意趣返しに近い逆異端審問であった。




「貴方は自分が人間め、と言われて怒りを感じたりするんですか?」

「この、魔女がぁああッ!!」

少年は渾身の力を込めて、辛うじて手にしていたハルバードを振り上げた。



「相手の隙を窺うならもうちょーーっと、殺気を隠したほうが良いと思いますよ?」

絶妙なタイミングで、少年は振り上げた手をリネンは蹴り上げた。


がらん、と少年の手から落ちたハルバードの音が、死神の足音だった。



「はいじゃあ、お楽しみの自由落下ゲーム、始めましょうか。」

「ひゅうひゅーう。」

ファニーが横から適当に合の手を入れる。



「ちょっとストップ。」

「ん?」

「やっぱり全身の神経を霊媒手術でズタズタにして二度と体も魔力も動かせなくして、一生笑い物にされる呪いとか掛けるなんてなんてどうです?」

「ひゃぁ、イカすぅ!!」

「でしょうー? でも、その前に。」

これ以上何も言わせる気も無いと言わんばかりに少年の頭を踏みつけていたリネンは、彼の片足を掴みあげた。



「これ、やっぱり要らないんで返します。」

ぽい、っとリネンは前方に少年を投げ捨てた。




「私が担当の従士が世話になったな。」

現れたのは、マスター・ジュリアスだった。


濃い瘴気で見えないが、少なく見積もっても騎士が五十人以上は随伴しているだろう。



「救護班。誰か、この馬鹿を連れて行け。」

「ハッ。」

すぐに背後に控えていた女性騎士の一人が少年に肩を貸して濃い瘴気の向こうへと消えて行った。




「ほーら、調子のって遊んでっから取り囲まれちまったぞ。」

「やーですね。こんなの取り囲まれた内に入りませんよ。」

「空間を遮断する結界張られちまったぜ、すげぇ手際だな。」

「想定の範囲内です。」

リネンはにやりと笑ってファニーにドヤ顔を見せた。


「貴方達、あそこにいる人質がみーえませんか?」

「あそこに何が居るのかね?」

「あれですよ、あーれ、・・・・あるぇ?」

リネンが振り返ると、そこに有るはずだった十三の逆十字が倒壊していた。

しかもご丁寧に人質も全員居ない。



「な、なんで教えてくれなかったんですか?」

「だってこっちばっか有利じゃつまんねーだろ?」

「それはそうですが・・・。」

けらけらと笑うファニーを、リネンは少し恨めしそうに見詰めた。


昇降魔法陣の上に居る人質を監視させている悪魔を動かすわけにはいかない。

かといって、呼び戻せば人質には逃げられる。

ジュリアスたちがわざわざ仕掛けずに待っているのは、リネンにその選択のどちらかを選ばせるためだろう。



「(随分とお優しいこったなぁ。)」

内心そんなことを呟きながら、ファニーは笑みを深めた。


ちなみに今、上級悪魔が捕えているエクレシアは人質に入らない。

彼らは彼女一人くらいなら、尊い犠牲で済ませるくらいは覚悟しているはずだ。



「うーん、参りましたねぇ。どうします?」

「もう乳臭ぇガキじゃねぇんだから自分で考えろよ。」

「うわぁ、酷い。酷いですね。愛する私に対してその仕打ち、酷いとは思いませんかね?」

リネンのあからさまに時間稼ぎな問い掛けに、ジュリアスは鼻で笑うだけだった。


しかし、その下で彼は二人の間抜けなやり取りのどこまでがブラフか見極めようとしていた。

この世で、彼女のような魔術師ほど信用していい人間は居ない。




「うーん、うーん、・・・・よし、良いでしょう。

先ほど捕えた騎士殿の魂を解放して差し上げなさい。異端審問でも何でも受けて上げましょう。」

「良いのか?」

「交渉の余地がある事を示したいだけですよ。」

「なるほど。」

上級悪魔は、静かに頷いて魔剣を掲げた。


すると、そこに灯っていた炎が消え失せたのだ。




「でも、私も自分が大事ですから。

彼女はその為の人質にしましょうか、私の話を聞かないと彼女の魂は悪魔に喰われますよ。」

「勝手に話を進めないで貰おうか。」

冷淡な口調で、ジュリアスが口を開いた。



「では参考までに、私の罪状を訊いておきましょうか。」

「そこまで言うなら聞かせてやろう。まずは神への背徳から語ろうか?

それとも現実的に、今回の一件で生じた損害や傷害についての話からするか?」

「やっぱり長くなりそうだからパスで、そう言うのひっくるめて全部ってことで良いんじゃないんですかね、私ってば被告席で長々と罪状を読み上げられるのとか嫌なんで。」

リネンの物言いはもはや罪科は確定しているのは分かっている人間の物だった。


歴戦の異端審問官だったジュリアスは、なぜかそこに違和感を覚えた。



悪魔の使役。

そんなの発覚し、異端審問に掛けられるなら例外無く火炙りだ。


それは使役する側は当然理解しているはずだ。

それなのに、わざわざ罪状を確認する、そこに意味など有るはずもない。



「(何を考えている、この女・・・。)」

ジュリアスは警戒を一段階挙げる。




「それにしても、一人や二人くらい襲いかかってくるとは思ったのですが、規律が徹底しているんですね。私も昔、教会とことを構えたことが有るのですが、その時はちょっと挑発するだけで、ふふふ、入れ食いでしたよ。」

「なぜ、このようなことをした。場合によっては釈明の機会もあるだろう。」

ジュリアスはリネンの言葉を無視して、自分の聞きたいことだけを問うた。



「ああ、それは貴方達の親玉に直接言いますから、貴方達の知る必要の無い話です。」

「・・・・まさか、本気で話し合うつもりか?」

「さっきからそう言ってるじゃありませんか。何を聞いていたのですか?」

心外だ、と言わんばかりに両手を挙げてリネンは溜息を吐いた。


なに暢気に話してんだ、と思う人間も居るかもしれないが、魔術師の戦いはただ魔術をぶつけるだけではない。

言葉の裏一つに、策略があるのである。


例えば相手から言質を引き出し、それを頼りに制約を掛けるとか、言葉からどこの出身か割り出しどんな文化圏の魔術を使うのか、外見や仕草などでも分かる事は数多にあるのだ。



「うーん、でもやっぱり、ただで異端審問を受けるのってのも嫌ですね。絶対痛いですよね、あれ。それに私って、結構負けず嫌いでしてね。

だから・・・・」

リネンは指を鳴らした。




「精いっぱい、抵抗しまーす。」

上空に、巨大な魔法陣が展開された。

そこから、黒い悪魔が無数に舞い降りて来た。



「儀式が必要な魔術を、この速度だと!?」

現代の魔術師の大多数が悪魔と交信し、その一部の力を降霊させるのでも入念な準備が必要とされる。

それなのに、本体をこんなに大量に召喚せしめるその実力は、常識はずれも甚だしい。


仮にジュリアスに気付かれずに魔術を構築していたとしても、寸前まで気付けないほど彼も耄碌しては居ない。



「別に私は召喚はしても、契約はしていませんからね。

私はただ彼らにこう言っているだけです、好きなだけ暴れていいから、ちょっとだけ私の言うことを聞いてくださいってね。」

「おのれ、そのような言い逃れができると思うかッ!?」

「それは貴方がたの神に聞けばよろしいのでは? それでは、私は忙しいので。」

リネンの奇襲で、騎士たちは一気に隊列を乱され、乱戦状態に突入した。


彼女は余裕の表情で結界の解除に取りかかる。



「逃がすかッ」

「おい待てよ色男。」

邪魔が入らなければ確実にリネンを捉えていただろうジュリアスの神速の一閃が、阻まれた。


ファニーが、片手でジュリアスの剣を掴んだのだ。



「貴様、やはり人間ではないなッ。」

「ああ・・・人間だったぜ。」

そうして対峙した二人はそのまま、ファニーにより無理やりこう着状態に陥ってしまった。



「隊列を立て直せ!! 冷静に対処して防御を固めろッ!!!」

ジュリアスの怒号が、今の状況を物語っていた。







――――――――――――――――――――――――――






寒い。

エクレシアの思考を支配しているのは、そんな言葉だった。


金属の棒から伝わる冷たさは手から伝わり、腕から肩、首から胸元にまで浸食し、今は頭の天辺から足の親指まで冷え切っている。


極寒の冬山で遭難し、山小屋で一人寒さに震えるのはこんな気分なのだろうか。

既に体温は、零度を下回っている。


体が凍りつくのは時間の問題だった。

だが、エクレシアは漠然とした寒さに心を閉じ、恐怖に抵抗することでしか自分の身を守る事が出来なかった。




「くくくくくく。」

悪魔が嗤っている。

エクレシアは、反応する気力も無かった。



「お前は、それで耐えているつもりなのか?」

「・・・・・・・・」

本来なら死んでいて当然の体温のエクレシアには、口を開くことなんてできるはずも無かった。



「お前はただ、屈し続けているだけだよ。

ただ心を閉ざし、私はまだ負けていないと自分に言い聞かせている、ただそれだけだ。」

それは、エクレシアの心を抉る言葉だった。


「本来なら、お前の性格ならそれはあり得ないよな。

確かに今は極限の状態だろうが、お前はそれを許さないだろう。お前は、今の自らの状態を恥じるだろう。お前はお前を許さないだろう。」

悪魔はエクレシアが言葉を出せないのを良いことに、好き勝手言う。



「立派だが、さぞ生きにくいだろう。

お前はいずれ、自分自身に押しつぶされて死ぬのだろうな。」

そして、悪魔はそんな言葉を残した


その時、エクレシアの意識の牢獄であるこの部屋に、声が響いた。




「これは、さっきの貸しよ。一度だけ、助けてあげる。」

それは、“処刑人”ジェリーの声だった。






「―――ッあぁ!?」

ぶつッ、とエクレシアの意識は一瞬にして現実へと引き戻された。

精神干渉の魔術を無理やり断絶されたショックで、一瞬凄まじい頭痛がエクレシアを襲う。


精神攻撃に耐性の有るはずのエクレシアをあっさり拘束する悪魔の技量も凄まじいが、それを無理やり解呪するあのジェリーと言う“処刑人”の魔術も悪魔じみていた。



「こ、これは・・・・。」

頭痛の痛みが後引く頭で、エクレシアは状況を確認する。


数十人の騎士と悪魔が入り乱れての大乱戦。

陣形を組み直し組織的に対抗がなんとか出来て優勢な騎士たちと、地力と数に任せて各個の騎士を圧倒する悪魔たちとが周囲に点在している。


現状ではどちらが優勢とも言えないが、状況がこのまま続けば悪魔の方が有利だろう。




「(私は・・・・)」

エクレシアは、今現在全身をツタで拘束され、空中に持ち上げられている。



「(私は、何もできないのですかッ!?)」

せっかくジェリーに助けてもらったと言うのに、これでは全くの無駄になる。


悔しい、悔しかった。

歯を食いしばって、何もできない自分を憎んだ。



だが、そんな彼女の祈りが通じたのか、エクレシアにチャンスが訪れた。




ひゅん、と彼女の目の前に何かが飛んできて、一瞬にして炸裂した。

それは、無数のバタフライナイフ。



「いけ、増殖剣『ミリオン・バタフライ・インフィニティ』。」

それを投じたのは、血だまりの中で笑っている、クロムだった。


たった一本にして、百万本のバタフライナイフ。

一本の質量の中に百万本のナイフが同時に存在しており、最大値である百万本に達するまで無限に増殖し続ける古代錬金術の粋を集めた魔剣だった。


しかし、その最大値に達するまで無限に増殖すると言う特性は、そこまで重要ではない。

武器としての性能はただのナイフ以上の物ではないから、魔剣としてのランクは下から数えた方が早い。


そもそも、百万本のナイフを操ることなどどんな魔術師にだって不可能だし、一本にして百万本という特性が分裂した後も一つへと戻ろうと言う作用が働いてしまう。

正直、魔術品としての価値しか持たない、骨董品なのだ。


だが、クロムは・・・メリスはその最大の特徴である、一本にして百万本という特性を最大に生かす事が出来る。



一本が、百万本。

百万本が、一本なのだ。


その中でも、たった一つだけある本体の材質を、練成し直し、魔剣の余剰キャパシティに術式を付与することが出来る。

そしてそれは、百万本全てに影響を及ぼす。



例えば、百万本のナイフを爆薬にすることだって、出来る。




一瞬で一本から銀色の濁流と見まごうばかりの大量の銀のナイフが、エクレシアの全身を拘束していたツタに突き刺さり、その材質が一斉に変化する。

変化した後に、出来たのは液体だった。


物質の元素や構成を大幅に組み替え、足りなければ魔力で代用し、全く別の物質へと変化させる高等な練成の果てに出来たのは、――――ニトログリセリンの原液である。




そして、爆発。

展開されたナイフ数百本分の質量の爆薬が、起爆した。



エクレシアは、その爆発の中から生還した。

彼女も全身を守っている鎧が無かったら流石にできない芸当だったが。




「はああああぁぁぁぁぁ!!!」

手元にハルバードは無かった、だから腰に帯刀している剣を抜いて、今まで自分を苦しめていた上級悪魔へと向けた。


だが、精神干渉を切断されたのをエクレシアが目を覚ましていた時から知っている上級悪魔が、彼女の攻撃を許すはずも無かった。



間に合わない、本来なら、エクレシアはこの局面で負けていた。




悪魔による拷問を受けての極限の状態での生還、そんな異常状態でエクレシアの精神は研ぎ澄まされていた。

過剰なストレスと恐怖、そして重く圧し掛かった彼女の責任感。


それらが、あの時と同じように、あの重く苦しい選択をした、あの時のように。







「―――――術式、『聖ヒルデガルドの幻視空間』を発動。」


彼女に、限界を超えさせる。





十三世紀に活躍した中世ヨーロッパ最大の賢女の名を冠したその魔術は、彼女が体験したと言う幻視体験を魔術的に分析し、解明しようとした時に生まれた副産物である。

ヒルデガルドは幼少の時から所謂トランス状態ではない状態で、「生ける光」と呼ばれる宗教的幻視を何度も体験したと言う。


この魔術ただ名前を冠しているだけで、殆ど伝承の神秘は継承してはいないが、奇跡に遭遇した人間の極限の精神状態で、魔術を行使することが出来る。

幻覚を応用した、精神制御の一種である。



一言で言えば、一瞬だけ明鏡止水の境地に自身の精神を高める事が出来る魔術なのだ。


魔術を行使する上で最大の障害は、自分自身のイメージである。

あらゆる感情によって生じる雑念や邪念は、円滑な魔術の運用を阻害する。


イメージが崩れれば魔術としての強度や神秘性も落ちるし、そもそも発動すらしないこともある。

魔術師は常に平静でなければならない、と言われているのはこの為だ。



しかしこの魔術は、その一切合財を取り払う。

余計な思考は完全に取り除かれ、澄み切った静止した水面のような精神状態で、魔術を構築、行使することが可能となる。


更に、それは肉体にも影響し、一瞬と言う時間を自身が体感する時間にまで引き延ばしてしまい、結果的に超人的な身体的能力を発揮したように見える。



そう、ただの一撃のみ、エクレシアの剣は達人の物へと昇華される。

その上に、彼女は魔術を乗せる。


自身を教会と定義し、そこには神が存在しているとする。

この状態で、更に自身をトランス状態に移行させるそれは、一種の神降ろしに近い。



そしてこの時、彼女の能力はまさしく、――――神域に達する。





ただの一振り。



彼女はジュリアスから受け継いだ聖剣を振るった。

それだけで、幻視空間の射程範囲内に居る悪魔全てを引き裂いた。






「わぁお。」

召喚した悪魔の半数を撃滅せしめた一撃を受けたはずのリネンは、ただただ感心していた。



「凄いですよ、ファニー、大ピンチです。

手持ちのストックが全滅してしまいました。今の私の耐久力って地上の一般人くらいしかありません。」

「そりゃあ、不味いな。撤退するぞ。」

ずっとジュリアスと睨みあいをしていたファニーが、リネンの真横に出現した。


ほぼ同時に、騎士たちが張ったこの周囲一帯を覆っていた結界が消滅した。

二人は騎士たちから逃げるように、背を向けた。



「逃がすかッ!!」

そして、騎士たちの中から一人の男が躍り出て来た。


手には切っ先の無い幅広の剣を持ち、鎧を付けずに黒い礼服を纏ったその姿は、死刑執行人。

処刑を前提とした、戦闘を行う異端審問官に他ならない。




「――――これより異端審問を開始する。」

異端を狩ることに特権を与えられた即興の裁判は、被告と死刑を言い渡す裁判官しかいない。



「貴殿が数多の悪魔をを使役し、人類に混乱と災厄を齎したのは明確である。」

「それで?」

あろうことか、状況を不利と見たリネンが、振り返ってそう言った。




「待てッ!!」

その瞬間、急に嫌な予感が過ったジュリアスが、走りながら声を挙げた。


しかし、それは間に合わなかった。



「邪悪な異端者に、もはや弁明も釈明の機会すら不要ッ、即刻、火炙りの刑に処する!!!」

「あはははははははは。」

リネンは、その判決を嘲るように嗤っていた。


彼女の足元から、人間が一瞬で炭化するだろう灼熱の炎が噴きあがった。



それはただの炎ではない。

異端審問系の魔術は、相手の宗教的敵対者であることを定義し、神の代行として罰を与える処刑の魔術である。


中世暗黒時代のヨーロッパに発展し、異教徒を震えあがらせた他宗教弾圧の異端審問を戦闘用に縮尺されている。

これこそ、彼らの神聖魔術体系の他系統魔術に対する圧倒的アドバンテージである。



この魔術で異端と定義される宗教的背徳行為を行った場合、問答無用で即死させる攻撃が飛んでくるのだ。

ギロチン、火炙り、絞首、石打ち等々と、人間を即死させる威力と状況が出現するのだ。


何が出てくるかは罪の度合いによるが、リネンに当時最大の酷刑と言われ、死体を埋葬する彼らの宗教としても、彼女を焼き尽くす火炙りが出てくるのは当然の話だったのかもしれない。




殆ど火柱としか言いようの無い過剰な火力だが、これはいちいち磔にして足元に火を焚いて何時間も放置するなんてことが出来ないからである。

魔術で重要なのは、結果なのだから。



誰もが、そこに掛け付け、悪魔と戦っていた騎士たち全員が、終った、と思った。

悪魔たちも、呆然とリネンが火刑に処されるのを見ているしかできなかった。



だが、だが、ただ一人、足を止めたジュリアスは別の物に視線が行っていた。



―――――嘲るように嗤う、ファニーに。





そして、



「わぁ、派手に燃えましたね。」

自分が処刑される様を、可笑しそうに笑って見ているリネンがファニーの横にまで当然のようにどこからか歩いてきたのだ。



「馬鹿、な・・・」

死刑を執行した異端審問官が呆然と呟いた。

絶対不可避の魔術が炸裂したにも関わらず平然としているのは、不可能なのだ。


しかもこの異端審問魔術は、対象が変わった場合、発動すらしない。

確実に殺す為に、殺す相手によってその都度調整が必要だからだ。



だから外しもしないし、避けることもできない。




「いやぁ、みなさん、ご迷惑を掛けました。

わたくし、リネン・サンセットは、神の裁きによって真人間へとなりました。」

そして、彼女はそんな馬鹿げたことを口にした。



「貴方のお陰ですよ、ありがとうございます。」

「馬鹿な、もう一度だ、もう一度ッ!!」

しかし、幾ら異端審問官が先ほどと同じように処刑を言い渡しても、今度は火の粉一つ巻き起こる事はなかった。



「もう一度って、おかしなことを言うんですね。

一度裁かれた罪をもう一度裁くなんてあははははは、自らの無能をさらけ出すようなものじゃありませんか。」

何を冗談を言っているのか、とリネンは満面の笑みで言った。



「それが、それが狙いかッ!!」

ジュリアスには、リネンがわざわざ何をしたかったのか、理解してしまった。



「一事不再理、って言うんでしたっけ?

これを含んだ大陸法がヨーロッパに普及したのは中世末期、いやぁ、残念でしたねぇ。あと四百年早かったら、私をちゃーんと殺せましたのに。」

一度裁いた罪は、決してもう一度裁いてはいけない。

それは被告人に無限に処罰を受けるリスクがあるのは不公平であると言う事から来ている。


だが、彼らの神は絶対で、その名代として裁いた罪は、神の名を汚す行為に当たる。




「いったい、どうやって・・・・。」

異端審問官が、己の失態の重さに崩れ落ちた。



「ドッペルゲンガーって、知ってます?

所謂“成り代わり”の怪異が具現化した存在ですよ。この手の話は色々ありますが、この悪魔は襲う相手に完全に成り切り、魂すらも模倣して存在を奪い取る。」

ドッペルゲンガーに遭ったら死ぬってそういう事ですよ、とリネンは講釈した。



「まあ、偉そうに言ったものの、これは私の友人の受け入りなので。

ドッペルゲンガーと契約して、私の二重存在とてこの場で躍らせ、こうやって処刑されて罪を裁かれるのを待っていたわけです。

同一人物な訳ですから、私の罪も裁かれたも同然って訳です。いやぁ、メリス、世界を騙すってのも簡単ですね。」

リネンはまだ辛うじて息をしているクロムを見下ろしてそう言った。


刺された腹部を抑えたクロムは口だけで、そんなの出来るのはあんただけよ、と言った。




「貴方達の神も、大したこと有りませんね。」

リネンの哄笑が響き渡る。


それは騎士団の、完全なる敗北だった。



「じゃ、今度こそ本当に貴方たちは用無しですね。

これから私は、真人間になった私は、『カーディナル』の所へ行って今回の一件の全てを伝えに行くつもりです。」

「それは、『カーディナル』はこのような失敗をしないから、弱みを消すためにわざわざこんな茶番をしたのかッ」

怒りに満ちたジュリアスの言葉に、ええ、とリネンは頷いた。



「流石に彼女の程の聖職者は私も初めてなので万全を期したかったのですよ。

いやぁ、貴方達は本当に、バカみたいに踊って、バカみたいに役に立ってくれました。

神に代わって罪を裁くとか、本当に笑わせてくれますよね。楽しかったですよ。

・・・・少しは身の程を弁えたんじゃないんですか?」

誰も、リネンの言葉に言い返せない。



だが、ふと。



「仕方ないな・・・。」

ジュリアスが、どこか達観したように笑った。



「この場でお前を斬り捨てよう。お前を『カーディナル』の下へ行かせる訳にはいかない。」

「あれぇ、そんなことして良いんですか?

なんならこの足で洗礼でも受けに行っても良いんですよ?」

「だからこの首を代償にすると言っている。

まあ、私は騎士団から追放されるだろうが、その辺りはどうにでもなる。」

その言葉に周囲から、ジュリアスを止めるような声が沸きあがる。


それだけの人望が彼にはあった。




「この宗教バカどもが。」

リネンは心底呆れたようにそう呟いた。

彼らは、今すぐにでもどうにでもしそうであったのだ。


「ホント、どっちが罪深いのか分かりませんね。」

まあいいですけれど、とリネンは笑みを深くする。



「ところで、真人間の私は悪魔を操るなんて怖いことはとてもできません。」

「なに?」

「本当は悪魔なんて私の一言で帰還を命令できるんですが、悪魔に命令なんて、そんな邪悪なことはできませんよねー。」

「貴様ッ!! 総員、構えろ!!」

リネンの意図を悟ったジュリアスが号令を掛けた。



「お前ら、さっさと働けよ。」

リネンの代わりに、ファニーが言った。

その瞬間、黙っていた悪魔たちが一斉に騎士たちに襲いかかった。




「貴女は・・・。」

「んん?」

再び乱戦状態寸前の戦況の中、全力を使い果たして膝を突いているエクレシアにリネンが振り返った。


「まだ居たんですか、約束通り人質は全員解放しますよ。

まあ、それはあっちにいる悪魔が全員こっちになだれ込んでくるってことですが。」

「なぜ」

「ん?」

「なぜ、このような無情な事をなさるのですか・・・?」

この時エクレシアは、リネンを敵対者ではなく魔術師として問うていた。


だからかもしれない。

リネンは答えた。



「同情を誘う訳じゃありませんからそう言っておきますが、こう見えて私って小さい頃に魔女狩りに遭ったんです。訳も分からず住んでいた町は火の海、私の両親は理由も無く殺されました。」

そんな言葉を聞いたエクレシアは、なぜか背中に冷たいものが流れた気がした。


それは、今の状況で彼女にはとんでもない皮肉でしか聞こえなかったからだ。



「両親も魔術師でしたし、私は才能が有りましたから、何とか生き延びようと両親の内臓を抉りだして、血で魔法陣を書いて、何とか偶々ファニーを召喚できて生き残ることができました。」

そして、そう語ったリネンの肩を、ファニーが抱き寄せた。


「始めのうちは復讐だったんですけれどね、そのうちだんだん楽しくなってきちゃいまして。

止められなくなっちゃいまして、何度も痛い目に遭ったりしましたが、それでもそれでも、貴方達みたいな聖職者をいたぶってぐちゃぐちゃにするのが、楽しくて仕方が無くなっちゃったんですよ。」

「まあ、そうなる様に仕向けたのは俺だけどなッ!!!」

ぎゃははははは、とファニーが笑った。



「だから、壊すんですよ。自分が正しいとか思いあがってるバカどもを。

確かに憎しみはまだありますが、何が憎いのか、もう分からないんですよ。」

「貴女は、悲しい人ですね。」

「哀れまれる筋合いは有りませんよ、好きでやってることですから。

・・・・・貴女とはまた会える気がしますね。その時も、敵だと思いますが。」

今度こそリネンは踵を返して、用が無くなったこの階層を後にする。



「では、ファニー。後は好きにしなさい。」

「おう。やぁぁッと出番だな。」

その瞬間、ファニーの体が膨張する。


圧倒的なその膨らみは、質量保存の法則など完全に無視し、まるで際限なく膨らむ肉の爆発に見えただろう。

だが、それは一瞬でしかなかった。


すぐに無秩序に見えた肉の膨張は、一定の高さに達すると全体の造形が見えて来た。



数秒もせずに形作られたのは、ファニーなんてふざけた名前の男の本性。





『ぎゃはははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!』

その叫び声だけで、悪魔との戦いに従事していた騎士たちの半数が卒倒した。



何とか耐えきって、その正体を見上げたエクレシアは絶句した。




全長が軽く三十メートルは超えているだろう巨体。

漆黒の全身には、鉄の剣などやすやす弾き返す鱗がびっしりとある。

その巨体を包めるだけの一対の蝙蝠のような巨大な翼は、ただの一度羽ばたいただけで突風が巻き起こる。

その背から伸びる巨体に見合う大きな尻尾は、本人の全長並みの長さが有る。


頭部には捻じれた一対のツノがあり、口元から息をするだけでゆらゆらと空気が揺れる。



存在そのものが、災厄。

古来より自然災害の象徴にして、彼らにとっては悪魔そのもの。





「エンシェント・・・ドラゴン。」

誰かが、呆然と言った。





『これでこそ、二度も死んだ甲斐があるってもんだぜ。

リネン、お前やっぱ最高だよぉ!! もっともっと、殺して壊して奪おうぜぇ!!!』

史上最悪の幻想にして化け物が、咆哮する。







「これが、本当の絶望ってやつですよ。」

そんなリネンの言葉を聞ける状態の人間は、もはや誰も居なかった。












※細かなところを修正・加筆しました。


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