第二十六話 行動開始
「くそ、埒が明かないな。」
そう呟いた『カーディナル』は、民家の屋上にて槍一本で立っていた。
周囲には背中から翼を持つ漆黒の肢体、刺々しい鎧のような肉体を持つ邪悪な生物。
魔界に最も多い、デーモン種の悪魔であった。それが数十と居る。
「神は幾度このような試練を下されば気が済むのだろうか・・・。」
「己の悲運を呪っている場合か?」
背中合わせに立っていた『プロメテウス』が、面倒くさそうにそう言った。
もうすでに三時間はぶっ通しで戦い続けである。
しかしそれでも一向に悪魔の数が減る気配が無い。
「“処刑人”が複数参戦しているし、ここにいるのは殆どが魔術師だ。抵抗もしている。
下層から魔術師ギルドの依頼を受けてくるだろう傭兵どももそろそろ掛け付けているだろうが・・・」
疑念を確認するように『プロメテウス』が呟いた。
「どこからか増援が沸き出ているか。道理で数が減らない訳だ。」
彼女の槍の一閃で、ばたばたと悪魔が墜落して消滅している。
しかし、消えた悪魔を穴埋めするように新たな悪魔が登場し、包囲を固める。
「指揮官クラスの上級悪魔まで動員されたか・・・・無秩序だった悪魔どもが組織的に行動しているな。」
ダン、ダン、と断続的に『プロメテウス』の両手にあるデザートイーグルが火を噴く。
機械のように正確に悪魔の頭蓋や心臓を撃ち抜き、次々と殺害していく。
当然ながら、悪魔たちもただ黙ってやられているわけではない。
多数の魔法陣を幾つも操り、高等な魔術を展開して人一人簡単に即死するだろう一撃を連発している。
「ところで。」
『カーディナル』は悪魔たちの魔術の一斉射撃を、障壁を展開して防御しながら返す刃で槍を一閃、一歩も動かず悪魔たちを撃墜していく。
「そんなおもちゃでよく悪魔と戦う気になれるな。」
戦闘の真っ最中だと言うのに、彼女はそんな無駄口を叩いた。
「なに、手の内を見せたくないのはお互い様だろう。言わせるな恥ずかしい。」
淡々と機械的に『プロメテウス』は銃撃で一体ずつ悪魔と撃墜していく。
「ふん。ただの拳銃で悪魔が墜とせるか。一体どんな小細工をしているのか、参考までに聞こうと思ってな。」
「あの『カーディナル』がわざわざ魔術のカラクリを訪ねるか。
お前たちには恥というものを知らんと見える。古臭い魔術しか知らないお前たちには理解できまいよなぁ。」
「勘違いするなよ。私は聞かせてほしいと言っているのではない、聞かせて見せろ、と言っているのだよ。」
「はん。嗤わせるな。」
お互い一歩も譲らぬ傲慢さで言い合いながらも、周囲では激戦が繰り広げられている。
地面には悪魔の死体が山のように築き上げられていた。
「そちらこそ、その槍はロンギヌスのレプリカだろう? 取り落とすなよ。」
「私をシャルルマーニュ帝やフリードリヒ帝と一緒にするな。」
「そちらこそ、模造品で悪魔とやりあうとは、随分とお気楽なものだ。貴様らの秘蔵の聖遺物を開帳して見せたらどうだ。私がお前たちの起源を知らぬわけあるまい。」
「必要なら、今から神の下に赴いてこの槍を父の血に染めて帰ってくるが?」
「・・・・ふん。自ら奇跡を勝ち取ろうとする気概だけは好ましいとだけ言っておこうか。」
「そうとも、祈るだけの生活なぞ百年もすれば飽きる。」
そう呟いた『カーディナル』は、懐から聖書を取り出した。
「ローマ人への手紙、第六章二十三節――――罪の報いは死なり。」
彼女は聖句を詠みあげる。
すると、彼女たちを取り囲んでいた数十の悪魔たちが突如として悶え苦しんで、息絶えたのである。
それはまさしく神罰の如く。
「神にその命を返せ、くそったれども。」
普段なら口にしないような暴言も、相手が悪魔だからオーケーなのである。
「・・・やれやれ。」
なんとも言えないという態度で、『プロメテウス』は白衣のポケットから乾燥した植物の茎が詰まったガラス瓶を取り出した。
その中身を悪魔の死骸に撒くと、激しく燃え上がる。
「ギリシャに伝わる神の火だ、悪魔祓いにはもってこいだろう。」
「伊達にプロメテウスと名乗っては居ないな。」
「本業ではないゆえに個人的興味での研鑽だがね。それにくどいだろうが私は自らそう名乗ったことはない。」
彼が撒いたのはウイキョウの茎を乾燥させ砕いたものである。
ギリシャ神話の伝承によると、プロメテウスは神々から盗んだ火をウイキョウの茎に隠したという。
それを魔術として運用したのが今の形である。
「―――――失礼仕る。」
ふと、屋根の上に悪魔とは違う新たな人影が出現した。
「これはこれは、ギリア殿ではないですか。」
不満たらたら不機嫌全開だった『カーディナル』の表情が、一瞬にして営業用の慈悲深い笑みにすり替わった。
現れたのは、赤銅のような赤毛を持つセンスの良いローブを纏った三十代半ばほどに見える男であった。
魔導師ギリア。
千年続く魔術師の名門ハーベンルング家から誕生した、“魔導師”の一人である。
典型的な貴族型の魔術師であり、“魔導師”になったのがごく最近の為、権力の掌握に執心しているとの噂である。
「第二十八層が悪魔の襲撃に遭っていると聞き、居ても立っても居られずはせ参じた次第です。
偉大なる『カーディナル』よ。もしよろしければ、わたくしめも神の戦列に加えさせてはいただけないでしょうか?」
「これはこれは、なんと心強いことでしょうか。貴方のような勇猛にして精強な魔術師が参戦するとなれば、もはや敗北など万が一にもありますまい。」
まともな神経の人間が聞いていれば、じんましんでも出るような浮ついた会話だった。
魔導師ギリアは北欧系の魔術師である。当然、ヤハウェもキリストも信仰していない。
ただ単に筋を通しに来ただけだ。『カーディナル』の覚え良くしようと、勝手に来たのである。
彼女の心境としては、自分の領地である第二十六層に帰れ、私の土地に土足で入り込んでくるな、であろう。
『プロメテウス』にはそんな『カーディナル』の内心が透けて見えるようだった。
「それでは『プロメテウス』殿も、御武運を。」
ちゃんと彼に声を掛けることを忘れないギリア。彼は鼻で笑うだけだった。
ギリアは仮面のような笑みを湛えたまま、虚空に同化するように消え去った。
彼とほぼ同時期に“魔導師”になった『プロメテウス』は、彼のことを気にいっていない。
そして彼が今まで居た場所に、『カーディナル』は唾を吐きかけた。彼女も同じようだった。
「仮面紳士が。お前が誰にでも良い顔をしているのは承知の上だと言うのに。」
「あれでも実力は本物だ。我ら“魔導師”の中でも分かりやすい武闘派だからな。存分に利用してやればいいではないか。」
「腹の中に混沌を飼っている男だぞ、あ奴は。その場に応じて十以上の人格を使い分け、時には専門以外の魔術すら繰る曲者だぞ。突如として豹変するあいつの態度を見て誰が信用できようか。」
不機嫌全開のしかめっ面に戻った『カーディナル』は言葉も吐き捨てるようにそう言った。
「きっと性根はその辺にある悪魔のように腐っているに違いない。」
「聖職者の言葉とは思えんな。」
「私が聖職者なのは改宗する気がある奴と可能性がある奴、そして同じ神を信ずる者の間だけだ。それ以外は靴の裏の土以下だ。だから貴様に説教などするつもりもない。」
「おやおや、あまりにも悪魔どもの相手が退屈なので説法の一つでも聞いてやって気を紛らわそうと思っていたのだが。」
「説法は仏教用語だ、たわけ。わざとやってるだろう。」
そうこうくだらないことを言っている間にも、悪魔たちはぞくぞくと集結してきている。
『カーディナル』は、おもむろに虚空を見上げると、槍で一閃した。
すると、その軌跡に沿って瘴気が切り裂かれた。
その先に、巨大な魔法陣が存在していた。
第二十八層の“天井”に展開され、三層からなる大規模な巨大な儀式魔法陣だった。
その魔法陣を、彼女は知っていた。
「禁術、“魔界門”・・・・。まさか『盟主』まで敵に回すつもりか。」
それは、無差別に魔界の悪魔を召喚せしめる、かなりフリーダムなこの“本部”ですら使用を禁じられている禁忌の大魔術であった。
道理で次から次へと悪魔が沸いてくるわけである。
「クソ外道がぁ・・・・。」
あまりにも人類に多くの被害と災厄をもたらす魔術として、術式すら封印されている。
どこで知ったか知らないが、これを躊躇い無く使う術者を、彼女は赦すわけにはいかない。
「神の裁定に委ねることすらおこがましい。この私が直接地獄に叩き落としてやる。」
怒りがこもった呟きと共に、『カーディナル』は悪魔を叩き斬った。
そして、彼女は一枚の呪符を取り出して額に当てた。
「教皇。私です。前々から頼まれていた聖遺物をお譲りしようと思いまして・・・・はい。当然ながら、教皇にはお願いしたいことがありまして・・・。」
・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・
「マズイ・・・・・」
エクレシアは非常に焦っていた。
悪魔との戦闘が外で開始されてから丸三日が経っている。
予想以上に長期戦の様相を呈している。
噂によれば強大な魔術師、“処刑人”、“魔導師”が何人も投入されているらしい。
それでもかたが付かない。先日暴動が起こった日には数こそ凄まじかったが、たった半日で鎮圧せしめたというのに。
これは悪魔の駆逐かなり手古摺っていると見える。
軟禁状態のエクレシアに食事を持ってきてくれるアビゲイルが劣勢ではないと言うが、状況は泥沼化しているようだった。
しかしながら、今のエクレシアは悪魔のことより気になることがあった。
それは、騎士団の本拠地に来る前に、第二層でクラウン達とした約束である。
一週間で帰らなければ、彼は―――――。
「ない、そんなことになるはずがない!!」
嫌な想像を振り切るように首を横に振っても、エクレシアは気が気でなかった。
ここに来るまでに要した時間は二日。
そしてもう三日ここで過ごしてしまった。時間的余裕はもう殆ど無い。
「――――。」
エクレシアの決意は早かった。
今日までずっと磨いていた愛用のプレートアーマーをベッドの上に置いて、対魔術処理の施されたケブラー繊維で出来た防刃ベストとスラックスを着こんだ。
これだけでちょっとした鎧くらいの防御力はある。その上に更に鎖帷子を着込む。
足から太ももまで装甲と取り付け、広げられた鎧を自分で装着、肩の装甲を通して両腕に装着、腕まで保護する籠手を両手に装備する。
視界が僅かしかない首まで覆うヘルムを装着して、うっとおしいまでの完全武装を施した。
久々に鎧を着たので、その感触を確かめるように動いてみる・・・問題無い。
試しに腰に帯びた剣を抜いて素振りをするが、動きは平時と全く遜色ない。
最初は嫌だった全身を締め付けられるようなギチギチの感触も今は懐かしい。
これでも軽量化されてはいるがその総重量はエクレシアの体重の半分はある。
鎧の全てのキャパシティを防護に費やすため、魔術による軽量化は行われていない。
その甲斐あってか、戦闘機の機関砲くらいなら正面から耐えきれるし、大規模な魔力爆発の後でも生きていられる。
更にこの上から装備者の魔術による防護などを加えるため、その防護力は鉄壁である。
あらゆる魔術の体系で生存率がダントツな理由もその辺りにある。
しかし、ここまで重装備なのだから、普通は自身の防護に魔術を割く必要はない。
戦闘中に使える魔術はせいぜい五つまでだと言われているし、エクレシアもその辺りは実戦経験で理解している。その内の一つを割くのは利口ではない。
荷物はポケットに突っ込んだ財布の中の有り金だけである。
余計な荷物は持ってきていないし、どうしても持っていきたい物はないからだ。
そして、エクレシアは鎧と一緒に立てかけてあったハルバードを担いだ。
クロムに貰った奴は残念ながら第二層のクラウンの家に置いてきてしまった。
こんなことになるなら持ってくればよかったと、エクレシアは溜息を吐いた。
この鎧も、布教活動だと言うので持って行かなかったが、あの場所はそんな甘い所では無かった。
気を引き締めて、エクレシアは長年過ごした宿舎の自室を後にした。
「行くのですか?」
自室のドアの横に立っていたアビゲイルが彼女に問う。
「止めないでください。」
エクレシアはヘルムのスリットを上げて顔を露わにしてそう言った。
「なぜ止める必要があるのですか? 私は博士より貴女を悪魔の存在する領域の突破までを護衛することを命令されています。」
「待機しろと言われていませんでしたか?」
「命令は撤回されてはおりませんし、それは作戦を博士により提示されたにすぎません。」
すごくへ理屈だと、エクレシアは思った。
「・・・・始めから、突破させるつもりだったんですか。」
「博士は遅かれ早かれこうなるだろうと予見していました。
現在戦況は膠着し、掃討戦から散発的で小規模な遭遇戦へと移行しました。教会は悪魔の掃討より、包囲しての拡散を防ぐ消極的な戦術を取っています。」
アビゲイルは手にしているノートパソコンを開くと、そう言った。
「まさか、あり得ません。我々が悪魔に対して後手に出るような戦術に出るなんて。」
「実は悪魔の大規模な召喚を行っているのは上級悪魔だと判明しました。当然、我らは総力を挙げてそれを破壊しました。
これは包囲が完了し、後援として参加した『魔導老』配下の精霊魔術師の瘴気の浄化が行われ、瘴気が薄くなったことで判明したことですが、悪魔が戦力を結集させてはいるようですが、敵増援は完全に断たれたようなのです。しかしそれでも悪魔の総数は一向に減ってはいないように思えます。」
「なぜですか?」
「恐らく敵首謀者が複数の使い魔を経由しての超遠距離召喚魔術を行っていると予測されています。」
「犯人は、上級悪魔ですか・・?」
「彼らは頭が良い。直接人間とことを構えることはしないとの結論が出ています。」
「では単独犯では?」
「悪魔はリターンが高くてもリスクが高い行動はまず行いません。との結論が出ています。」
「まさか・・・・。」
思わずエクレシアは呟いた。
悪魔との召喚魔術は感度と精度が最重要だとエクレシアは書物で読んだことがある。
悪魔の召喚には契約が必要不可欠であり、その為に対話をする必要があるからだ。
それを複数の使い魔を経由して遠くの遠くへ直接召喚するなんて、あり得ない。
向こうで召喚してからこちらへ転移させたとも考えられるが、それはコストの面で現実的ではない。
少なくとも誰も感知できない遠距離から召喚魔術を行使するなんて、そんな馬鹿げた神業が出来る人間が反旗を翻していることになる。
むしろそれは悪魔がやったと言われた方が納得できるくらいである。
そして、そんなことが出来る人間は、エクレシアは一人しか知らない。
「まさか・・・・『黒の君』の逆鱗に触れたということですか?」
まず誰もが考えるだろう、結論だった。
黒魔術専門の人類史上最高の魔術師、人呼んで『黒の君』。
その伝説は、エクレシアも聞き知るところだった。
数千年生きてなお存命する彼は、数百年の間に時々天災のように現れ、天災のように去っていくと聞いたことがある。
現れる度にその時代の魔術師を恐怖に陥れ、気に入らない相手は容赦なく地獄の底に引きずり落とすとか。
「それはまず考えられることですが、それはまずあり得ない、と盟主から回答があったようです。」
「なぜですか?」
エクレシアは『盟主』が世にも恐ろしき『黒の君』の唯一の弟子である、と言われているのは知っている。
『盟主』はあまりにも無能だという話で、それは眉唾だろうと陰口を叩かれているのは聞いたことあるのだが。
「あの御方はこんな回りくどいことはしないとのことです。
あの御方なら派手に現れて自己主張し、自ら災厄の如き魔術で破壊を繰り広げるとか。
“魔導師”の方々にもかの御方と直接面識がある方も多かったので、概ねその通りだろうと結論が出ています。」
「な、なるほど・・・。」
彼の伝説を聞きかじった程度のエクレシアにも、納得がいく理由だった。
伊達に『黒の君』、即ち“黒魔術の暴君”と呼ばれているに違わない話である。
「では、一体どこの誰が・・・。」
「現在、貴女が気にするべきは犯人の特定ではないでしょう?」
「・・・・・ええ。」
エクレシアはあからさまな話題の逸らし方に疑念を覚えずには居られなかったが、その通りなので頷いた。
「なるべく悪魔との遭遇を避けるようなルートで進みます。ナビゲートは任せてください。
悪魔との戦闘が避けられない場合は、私の魔術では悪魔相手では不足でしょうから、支援に徹しますのでよろしくお願いします。」
「分かりました。」
淡々と丁寧に述べられるアビゲイルの説明に、エクレシアも頷く。
「行きましょう。」
もう一度、エクレシアは深くうなずいた。
「・・・・・くそっ」
宿舎の外に出ると、エクレシアは外の光景に歯噛みした。
遠目から見て、悪魔が何体か徘徊していた。
少しばかり遠くが見渡せるほど瘴気は薄くなったが、その中でも悪魔は健在だった。
エクレシアにとってこの場所は第二の故郷、美しかった街並みを穢されるのは、我慢ならないことだった。
「術式を索引、・・・・・ヒット。
現状に最も適していると思われる、術式“プラトンの洞窟”をダウンロード・・・解凍・・・。」
一方、その後ろでカタカタとエクレシアがうっとおしく感じるほど激しくアビゲイルはタイピングをしていた。
「術式を展開・・・抵抗はしないでください。」
「え?」
なにを、と問う前に、エクレシアの感覚がぐるんと反転した。
「ここは・・・?」
感覚が平常に戻り、エクレシアが見た物はこの世の物ではなかった。
この世界がペンキで真っ黒に塗りつぶされたような、現世とは思えない光景が広がっていた。
彼女の呟きが、異様なほど響いた。
「ここは我々の影の裏側、それを視覚化した異相空間です。」
「こんな場所・・・いつの間に作ったんですか。」
「ここは影の世界ですよ。この世に光が差したその日に構築されたはずです。」
「はぁ・・・。」
自分の知らない世界観の魔術なのでエクレシアには全くその原理は理解できなかったが、とりあえず頷くことにした。
先の一瞬で理解したが、彼女は自分よりかなり格上の魔術師だと分かったからだ。
術の展開から発動までがまるで分からなかった。エクレシアには本当にただパソコンをカタカタと弄っているようにしか見えなかった。
『プロメテウス」は、科学技術の中に巧みに魔術を紛れ込ませるのが得意だと聞いたことがある。
彼は近年統合された物理現象を操る物理魔術の権威であり、第一人者だと言う。その助手を務めているだけはある、とエクレシアは思った。
「しかしながら、現実があっての影の世界。
肉体がこの世界に居ようとも、完全に我々の痕跡を隠せたわけではありません。
ですので、一度悪魔の駆逐が完了している精霊区から、昇降魔法陣まで最短距離で移動します。」
アビゲイルはノートパソコンの画面をこちらに向けて、そこに表示されている地図の大まかなルートを示して見せた。
「なるほど・・・では、万が一悪魔に遭遇したら手筈通りと言うわけですね。」
「はい。地上の悪魔に接近すれば恐らく気付かれるでしょう。ただ、こちらから向こうの状況を確認するのは難しいので、こちらから接近してもギリギリまで発見は遅れるでしょう。
・・・・最悪、不意打ちを受けることは覚悟していただきます。」
「私たちは常に魔術師の陣地に突撃しています。不意打ちを受けるなんて日常茶飯事ですよ。」
「流石ですね。では移動を開始しましょう。」
打合せもそこそこ、二人は走り出した。
・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・
魔術により底上げされた身体能力により、風のように走ること三十分。
アビゲイルの提案で危険性は増すが、建物などの上を通り直線的に駆ける。
その結果、何物にも邪魔されず『魔導老』が治める精霊区画に差し掛かった時だった。
「前方注意、敵反応。数は一。」
アビゲイルが注意を促してくる。
こちらが悪魔に接近しているようだった。同じようなことはもう三度もあった。
「迂回しましょう。現状の戦力では交戦はなるべく避けたいですから。」
「はい。そうしたいのですが・・・・。」
最後まで言われるまでも無く、エクレシアは気配で察した。
「―――――ミツケタ。」
ずごん、と真下から巨大な漆黒の腕が伸びてきて、エクレシアを握りつぶさんと飛び出してきた。
「ハァッ!!」
空中からの不安定な姿勢からだと言うのに、エクレシアはハルバードをぶんと回して巨大な腕に叩きつけた。
それで魔力で出来ていたらしい巨大な腕は、ばん、と漆黒の粒子となって霧散した。
「シネ。」
しかしそれは囮だったらしく、真正面前方に魔法陣を展開して魔術を発動寸前にしているデーモン種の悪魔が居た。
「やああああぁぁぁぁぁ!!!」
だが、エクレシアは臆することなく突撃する。
重装甲に任せた突撃による各個撃破は聖堂騎士団の基本戦術である。
漆黒の炎が悪魔から放たれる。
邪悪に染まった暗黒の炎は、十の人間を一瞬で消し炭にして余りある威力である。
始めから避ける気も無いエクレシアに、当然ながら直撃を受けた。
だが、彼女は怯まなかった。臆することなく、速度を維持して悪魔に突撃する。
悪魔とエクレシアの距離が肉薄した。
エクレシアがハルバードを振りかぶる。
悪魔は当然彼女ら騎士団の戦い方を知っているし、その場から距離を取ろうと翼をはためかせた。
「術式“サンライトレーザー”を展開。」
アビゲイルの指先が悪魔を狙う。
「照射。」
極限まで凝縮された太陽光が、彼女の指ほどしかない細さのレーザー光線が悪魔の右目を穿った。
太陽の光が持つ神聖な力が弱点な悪魔は、エクレシアが迫っているのに金切り声のような悲鳴を挙げた。
その隙を見逃すまでも無く、ばっさりと悪魔の体をハルバードが捉える。
ばしゃ、とごっそりと抉り切られた悪魔の下半身から溢れ出たおびただしい量の血が、地面に撒き散らされる。
「終わりだ。」
振り下ろしたハルバードを捨て、帯刀して剣を抜刀したまま悪魔を斬り捨てた。
右肩からバッサリと肉体を無くした悪魔はそのまま虚空へ消え去った。
「逃げた・・・が、あの様子では長くはないな。」
悪魔の血糊を振り払って鞘に剣を戻すと、エクレシアは呟いた。
「先を急ぎましょう。」
「ええ。」
アビゲイルに頷いて、エクレシアはハルバードを拾ってすぐに駆けだした。
「・・・・・・・・・ターゲット・・確認・・・グヘヘ。」
現実世界に逃げ延びた悪魔は、残った腕を使って第二十八層の“天井”に向かって漆黒の光を放った。
すると、“天井”に人間には理解できない文字が刻まれた。
それを見届けると、悪魔は下卑た笑みを浮かべて息絶え、魂を残して消滅した。
「お手柄ですね。」
間も無く、その悪魔の魂を手に取る者が現れた。
人間の手だった。
「―――――楽しくなってきましたね。」
ぐしゃり、と悪魔の魂を握り潰し、ぱっぱと埃を払うように両手を叩いた。
女の、声だった。
「さて、と。次はどうしましょうか。」
彼女の目の前を、騎士団の小隊が駆けて行った。
誰も、彼女に気づかない。
「そうだ、あいつらにしましょう。生け贄は、新鮮な悲鳴を奏でてくれないと。」
彼女が指を鳴らす。
突如として地面から出現した五体の悪魔たちの強襲を受けて、騎士団との乱戦状態になった。
「・・・駄目ですねぇ。」
彼女はそう呟くと、戦況なんかに興味はないのか、隊列を乱された騎士団が持ち直して悪魔の一体を撃破したことに目もくれない。
「やっぱり、友人の頼みごとを先に済ませましょう。暇してる奴は全員行きなさい。早く。」
彼女がそう呟くだけで、地上に現れた悪魔の行動が一斉に変化した。
「私って、何て友達思いなんでしょうね。・・・・ねぇ、メリス?」
彼女の手には、“ターゲット”と裏に書かれた写真があった。
表には、エクレシアの胸部から顔までが写されていた。
また大きく時間が空くと思われていただろうが、そんなことはなかった。
モチベーションが一定でなくてすみません。




