第二十五話 騒乱の第二十八層
「警邏第五隊、隊長以下十四名、ただいま到着しました!!」
「ああ。これで全員だな。」
マスター・ジュリアスは到着の報告に来た部隊の隊長を見送ると、そう呟いた。
大聖堂前の騎士団本部には、常駐戦力である聖堂騎士その数凡そ五百余名。
各階層を警備や、ここ“本部”の外から戦力を呼び戻せばその数はもっと膨れ上がるが、援軍は期待できない。
無いものを数に入れるほど、楽観的ではなかった。
「(騎士総長と最精鋭のパラディンが不在なのは痛いな。いや、敵はそれを狙っていたのか。
それにしては、敵の意図が見えない。)」
大量の悪魔を呼び出してけしかけるなんて、常軌を逸している。
ここは教会系の魔術師の総本山。奇襲をかけるにも真昼間である。
悪魔たちは途中の町にも目もくれず、一直線でこちらに向かっているという。
それはおかしいと断言できる。
悪魔がわざわざ現世に現れるのは、人間の恐怖や絶望などの負の感情を連中が主食としているからだ。
それが徒党を組んで天敵にである自分たちに突撃しようとしているのは、狂言じみた言動をする中にも合理性がある悪魔らしくない。
これは明らかに背後に連中を操っている誰かがいるということだ。
それもそのことを隠そうともせず、堂々と公言するような態度が悪魔たちの行動の異常性から垣間見れる。
だが、それにしてはあまりにも非効率すぎる。
悪魔は基本的に人間より強く、ずる賢く、邪悪だが、この地上ではその能力の大幅が制限される。
その制限を軽減するために、召喚主は悪魔に魔力を与えて本来の力を発揮させようとする。
直接彼らの住む魔界から呼び出したってそうなるのだから、人間の負の精神エネルギーを欲するずる賢い悪魔たちは分身を使って世界の法則を騙し、分身体をこの地上に送りこんでくる。
悪魔を呼び出す際には、その分身体を呼び出すのが魔力のコストや難易度から見ても現実的だし、何らかの物品や生け贄に憑依させた方が無駄が少ないし、悪魔も能力を発揮しやすい。
そういったセオリーが、完全に無視されている。
意図が見えないのは、悪魔ではなくそれを裏から操る黒幕のことである。
悪魔を使うような魔術師なら、もっと狡猾で卑怯な手段を使うはずである。
悪魔召喚の性質上、そうせざるをえないのだ。
それが堂々と正面から殴りこんでくる。
日本であればば、これはヤクザが警察庁に殴り込みを掛けるような異常な事態なのだ。
準備さえ整えばこれくらいできるだろう組織はジュリアスは思い浮かぶが、そういった連中は当然監視しており、こんな大規模な活動をする動きも見えなかった。
下級悪魔ぐらいなら一匹二匹は見逃すが、この規模になるとそうもいかない。
まるで狙ったかのような、厭味ったらしさすら感じる行動なのだ。
「(よほどの実力者か、よほどの狂人だろうな。こんなことをするのは・・・。)」
そう思考を締めくくって、ジュリアスは次の行動に移ることにした。
「整列、完了しました。」
「ああ。」
付き添いの侍従長の言葉に頷き、ジュリアスは階段を上るように空中へ三歩上った。
ちょうど、網目のように整列した甲冑姿の騎士たちが見渡せる位置だった。
「諸君、我々はどうやら、異世界へ迷いこんでしまったようだ。」
そして、空気の読めない笑えぬジョークを言い放った。
音量は普通だが、それはいかなる術か、最後尾の騎士たちまで十分伝わった。
「・・・・失礼、騎士団長や、『カーディナル』ならもっと気が利いた言葉が出るのだろうが、生憎と私は詰まらない着飾った言葉を好まない。」
誰一人くすりともしなかったからか、ジュリアスはそんな風に言い直した。
「聞いての通り、現在は我々は未曽有の異常事態に直面している。
なんと悪魔が徒党を組み、恐れ多くも『カーディナル』のひざ元であるこの騎士団本部と大聖堂に向かって一直線に向かってきているのだ。」
現状を確認するようにそう語るジュリアスは、いつものように淡々としていた。
「かつて、最初の第一次十字軍は凄惨で残虐な殺戮と非道にて道を血に染め屍を築き上げてきた。
信仰心の欠片もない馬鹿な傭兵を起用するからそのようなことになるのだ。
聖地回復こそ成功したが、所詮はそれだけだ。神はその為だけに血を流すことを望まれまい。
我々騎士団の誓約にもあるな、神を理由に剣を振るうことはするな、と。どう言い繕うが我々の行いは神の教えに背く行為だ。」
一息でそう言葉を紡ぎ、一呼吸を置いて、だが、と彼は前置きをした。
「我々が今から戦うのは、悪魔である。
性質として連中を理解することは可能だろう。私も弱肉強食という自然の摂理、神の敷いた原理を否定するつもりもない。
しかし、しかし、だ。連中は悪魔なのだ。根源的に我々の害を成すモノと記されている。
騎士の本来の存在理由は、住人や領民の財産と生命を守ることだ。
ここにいる連中はほとんどが魔術師故に守るに値するような輩かどうかは疑問ではあるが、敬虔な信徒も大勢いることもまた事実である。
それ以前に我々は、誇りを持って、命を賭して悪魔を駆逐しなければならない。なぜなら―――」
そこで一度ジュリアスは言葉を切って、再び一呼吸をした。
「悪魔は、人類の敵であるからだ。そしてこれは、我々の矜持を守るための戦いでもある。
私は人を斬ることに抵抗を覚えるが、奴らは、人ではない。
これは、無益な戦いではないのだ。我々は、連中に対してなんら遠慮することはない。
連中は敵である。命を賭けるべき理由ある宿敵であり、神敵である。
――――今こそ、この来たるべき戦いに私は諸君に非道な言葉を告げよう。
死ぬまで戦え、と。敵を殺し尽くすまで戦え、と。神の為に死ぬまで戦え、と。
戦いの中での死のみが栄誉である、と。ただそれだけが我々の唯一の救いであると。」
どこまでも淡々とした、熱の籠らない演説だった。
しかし、宗教的結束により始めから士気など頂点である彼らに無駄な熱気など必要無かった。
その上に、集団心理を利用する対群衆用の魔術を彼は使用している。
故に、ジュリアスが語った全てを疑問の余地なく実行するだろう。
ここに集った五百余名の騎士たちに、もはやそれぞれの個性など存在してはいない。
戦闘が終わるまで、敵を殺し尽くだけの正義と神罰の機械と成り果てたのだ。
これで悪魔に惑わされることはあるまい、とジュリアスは複雑な気分になりながらもそう思った。
「勇敢なる神兵たちよ。私に続け。地上の悪そのものを、一匹残らず根絶やしにするのだ。」
「「「「「「「「「「神の御心のままに!!」」」」」」」」」」
騎士たちは一斉に剣を掲げてそう宣誓した。
「――――出撃ッ!!」
そして、戦いは始まった。
・・・
・・・・
・・・・・
「『カーディナル』!! 私も戦います!!」
「お前さんはすぐに己の任務に戻りな。これは命令だ。」
槍を担いで廊下に行こうとする『カーディナル』に、エクレシアは追従しようとしていた。
「ですが!!」
食い下がるエクレシアに、『カーディナル』は睨みの効いた一瞥を送った。
「本来なら、実体化した悪魔はよほどの状況でなければ異端審問の執行官クラスでなければ対応を禁じている。
地上では連中の能力の九割が制限されてはいるが、実体化している悪魔はその制限を自力で覆せる。」
あれを見ろ、という言葉共に『カーディナル』の指先が持ち上がる。
釣られるように窓越しに見えたのは、錆のような色の風が辺り一帯を覆っていた。
「魔界の瘴気だよ。連中の世界では空気のように存在するが、人間にとっては毒でしかない。
あの中では文字通りこの世の条理は通用しない魔界と化している。
下級悪魔ですら、その中では一個小隊で掛かっても厳しい。しかもあの数では個々の戦闘力では無意味なのさ。」
「それは・・・」
それでもエクレシアは何かを言いかけて口篭った。
悪魔の総数は傍目から見て百や二百では利かないのは明らかだったからだ。
「なに。こちらも無策ではない。勿論対抗する術は存在する。
これほどの事態にもなれば、“処刑人”も動くだろう。それにここには何人“魔導師”が居ると思う? 決して大事には至らんよ。」
「他の“魔導師”に救援を求めるのですか?」
「それまでの事態になれば、ね。人命よりプライドを優先するほど愚かではないさ。
・・・・おい、そこの。まさかただでこのまま帰ろうなんてむしのいい話はないよねぇ?」
急に口数の少なくなった男へ『カーディナル』は目を向けた。
「っち。そのまま行ってしまえばいいものを。」
「貴様みたいな自己主張の大きい奴のことを忘れるかい。」
「・・・・・まあ、よかろう。手伝ってやろう。」
無駄に大仰で尊大な態度で、しかし妙にから寒く『プロメテウス』はそう言った。
それがエクレシアにはちぐはぐに見えて、何だか奇妙に感じた。
「アビゲイル君、あの悪魔の軍勢を突破するまで彼女の護衛をしてあげたまえ。
私の戦闘に君が耐えきれないのもあるが、個人的に彼女のことは気に入っているからね。」
「はい、了解しました博士。」
人形のように彼の背後に控えている助手のアビゲイルが小さく頷いた。
「別にあの悪魔たちを突破する必要はないがね。不要な気遣いだよ。
敵勢の掃討が終わってからでも構わないわけだが。」
「それもそうだな。それまで待機していると良いだろう。」
二人は妙な連携を見せてそう言った。
エクレシアにはどう考えても勝手な行動をしないように見張る監視にしか思えなかった。
『カーディナル』が赤の他人にそれを許したのは、戦力に余裕がないからだろう。
「分かりました・・・・」
歯がゆい思いを覚えながらも、私は頷くしか出来なかった。
・・・・
・・・・・・
・・・・・・・
「おい、これはどういうことだ?」
「老よ、いきなり呼び出しておいてそれはないだろう。せめて何が言いたいかハッキリと・・・おや?」
場所は変わって、“精霊宮”。
庭に面したテラスのテーブルに横にある椅子に腰かけているのは、『魔導老』。
一陣の風と共に突如として現れたのは『マスターロード』だった。
彼は『魔導老』に睨まれて困惑していたが、異様な魔力の臭いを見つけて見てみれば、錆のような色をした風が渦巻いているのを認めて、納得した。
「なるほど・・・しかし、あれは私ではない。」
「貴様の態度を見るまでそうは思わなかったがな。こんなバカなことをするのはパッと考えて貴様しかいないからな。」
「それはこの私がまるで考えなしに喧嘩を売る馬鹿だと言っているのか?」
それは心外だ、というように首を振って、『マスターロード』は彼の対面に座った。
「だったら、普段から思慮深さをみせることだな。」
「わからんかな、韜晦しているのだよ。己を低く見せ、侮らせる。他の同胞にはなかなかできぬことだぞ。」
「だったら傍目から丸分かりな野心を隠した方がいいぞ。」
「その方が間抜けに見えるだろう?」
「・・・・・・・・ああ、そうだな。」
この辺りは種族の違いなのだろうな、と納得することにした『魔導老』だった。
「しかし、魔界の悪魔も魔族に違いないだろう。お前が疑われるのは当然だ。」
「全く違うな。全然違う。人間と精霊くらい違うぞ。これは貴様がどうしてもと言うから全ての種族の人数を調べてやった時に話してやっただろうが。」
そこまで言って『マスターロード』は、屋敷へ行く『魔導老』を見送る。
数分も待たずして、彼はマロンタルトを1ホール持ってきた。
「自信作だ、味わって食べろよ。」
「うむ。」
『マスターロード』は大きくうなずいた。
「我々魔族にも、悪魔族と分類される種族がいるにはいるが、それは魔界の悪魔とは容姿や能力が似ていると言うだけで別物だ。
無論、魔界の悪魔の方が断然強い力を持っている。それに支配系統も違う。
獣の特性を強く受け継ぎし“獣の眷属”は私が多く支配し、没して城に閉じこもっているヴァンパイアロードの支配する人に近い形を持った“夜の眷属”。
そして、初代魔王陛下が君臨し支配する魔界の“悪魔”。我々魔族は大きく分けてその三種類に分けられる。」
「それは前にも聞いたな。我々人間は知性の強弱で上級魔族と下級魔族と分類しているが。」
「まあ、種族単位で序列があるがな。上位種と頭に着く種族も居れば、下位種と頭に着き肩身の狭い種族も居る。
しかし我々魔族は個々の強さの方が優先される。種族など単なる目安でしかないわけだ。」
言いながらも、彼の視線は『魔導老』が切り分けているマロンタルトに釘付けだった。
「最強クラスの種族の奴がそうは言っても説得力はないぞ。」
「まあ、ほとんどが私に比べれば虫けらみたいな連中ばかりだがな。たまに使える奴が居ると言う認識だ。」
「相変わらずの傲岸不遜の傍若無人ぶりだな。まあ、貴様にとっては他人など無いも等しいのだろうが。」
「この私に並び立てるのはせいぜい貴様くらいなものだよ。」
そう言って、『マスターロード』はマロンタルトを一切れ丸ごと口に入れて咀嚼する。
「親父。」
するとその時、屋敷からギターケースを背にしたちゃらちゃらした青年が出てきた。
わざとらしく着崩したテカテカしている革ジャンとジーンズ、穴あきグローブに色白の化粧。
いかにもビジュアル系バンドでも組んでいそうな風体だった。
「ヒュー、何だいこのイカス御仁は。」
「いいからさっさと要件を言え。」
『マスターロード』を見ておどける青年に、すさまじく煩わしそうな態度で『魔導老』はそう言った。
『これはお前の養子か?』
『いや、弟子の一人だよ。偽装訓練の為に地上で研修させて帰ってきたらこの有り様だ。』
念話でそんな返事が返ってくると、なるほど、と『マスターロード』も微妙な心境になった。
「あのファンキーな連中のことだよ。
一応、非常時ってことでうちの領地の連中を招集しておいたぜー。」
「御苦労。ではすぐに集まるってくるだろうな。」
「では私はお暇するか?」
「それを食ってからで別に構わんよ。誰かさんのせいで身内にはちゃんと説明をする必要に迫られたからな。」
『魔導老』の嫌味にも、そうか、と『マスターロード』は頷いた。
そう言っている間にも、次々とローブ姿の魔術師が現れ、ちゃらちゃらした青年の横に並んでいく。
その数、約十名。
「転移系の術をほぼ全員か。かなり躾けられてるな。」
約一名酷く浮いているのを無視して彼らを一瞥した『マスターロード』は、素直にそう評した。
そのほとんどが彼を見て渋い表情をしていたが。
それも当然だろう、と『マスターロード』は思った。
尊敬しているだろう人物が人類の天敵とつるんでいるのを見れば、渋顔の一つも浮かべたくもなるだろう。
「我らが偉大なる導師、御指示を。」
それでも文句ひとつなくトップの指示を仰ぐ辺り、流石プロの魔術師と言えた。
「見たところ、連中が屯しているのは教会区画だけだ。
戦線が拡大して、この精霊区画に入ってこないよう、警戒だけはしておけばそれでいいだろう。」
『魔導老』の対応は冷静であった。
そして優雅に紅茶の入ったカップを持ちあげ、口を付けようとしたその時だった。
彼の指が、突如としてぴくりと止った。
すぐに『魔導老』は、戦場となっている方を見やった。
錆色の風が渦巻いている場所から、無数の悪魔がちょうど四方八方へ飛び散りだしたのだ。
「なにが、起こっているのだ・・・・。」
そのまさに悪夢のような光景に、集った魔術師の一人がうめくように言った。
「思うに、略奪が目的だろう。」
むしゃむしゃ、と三切れ目になるマロンタルトをゆっくりと咀嚼している『マスターロード』が言った。
「魔界と言う世界は、無限に広がる不毛な大地と錆の味のする塵の風が延々と舞う世界。
当然、連中の食糧たる精神のエネルギーは他の世界から奪うしかない。
普段は分身体や交霊などでしかちまちまとこの地上に現れることしかできない悪魔が、集団になって強硬な手段に移ったと言ったところだろうな。」
それは、実に分かりやすい構図であった。
「貴様ッ!! 魔族の親玉がなにを!!」
それは『マスターロード』が言えば、とても身勝手な台詞に聞こえただろう。
魔術師のうち、若い一人が声を荒げてそう怒鳴った。
よく見れば、彼は先日『マスターロード』に引きずられた青年だった。
「まあまあ、落ち着けよ―――」
と、ちゃらちゃらした青年がその青年を諌めようとしたその時、錆色の風がこちらまで広がってきた。
「っく、魔界の瘴気がここまで・・・・」
砂漠の砂嵐ほどではないが、埃が舞っているような空気に咳き込む者もいた。
錆の臭いに、錆の味のするおぞましい風が更に拡大していく。日の光も遮られ、薄暗い空間へと変貌していく。
「すぐに浄化するように手筈を整えろ。部下を総動員してな。」
そんな状況下でも、『魔導老』は冷静だった。
彼らの扱う精霊魔術が唯一備えている特性。
それは、自然環境の浄化である。
化学物資などによる汚染や、魔術によって歪められた空間そのものを、精霊を通じて正常な状態に戻すことができる唯一の体系なのだ。
「エクレール、貴様は区画内に侵入する悪魔の防衛と掃討をしろ。」
「へいへい。」
エクレールと呼ばれたちゃらちゃらした青年は肩を竦めて同意した。
「どうやら、“処刑人”も出張ってきたようだな。」
『魔導老』が教会区画の方を見やると、瑠璃色の光が魔界の瘴気ごと悪魔を吹き飛ばしているのが見える。
そのまま、彼は両手を耳に当てた。
「――――ゴガアアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!!!!!!」
その直後、落雷のような轟音が彼の目の前から発生した。
『マスターロード』が、体を反らせて天に向けるように咆哮を挙げたからだ。
それを至近距離で受けた約十名の魔術師のうち、二人は失神して倒れた。
更に五名は金縛りにあったかのように硬直し、残り三人はなんとか耐えたが青い表情をしている。
そんな弟子たちを見て、未熟者どもめ、と溜息を吐く『魔導老』。
「いきなり騒ぐな。」
普通の人間なら心臓が止まるだろう上級竜族の咆哮を騒いだの一言で済ませる『魔導老』も大物だった。
「ゆ゛る゛ざ゛ん゛!!! あいづらぁぁぁぁぁ!!!!」
狂ったように突然叫びだす『マスターロード』。
その原因を探ろうとして、視線を落とした『魔導老』はすぐに理解した。
まだ食べられていない半分ほどのマロンタルトが、錆色の塵まみれになっていたのだ。
「うがあああああああああぁぁぁぁ!!」
そしてその錆色に染まったマロンタルトを見て、『マスターロード』は半狂乱に至っていた。
「・・・・・そんなにうまかったか?」
「美味かった!!!」
両手をテーブルに叩きつけて破壊しながらそう言う彼に、『魔導老』はそうか、としか呆れて言えなかった。
「私の獲物を汚した罪は万死に値するうううぅぅぅ!!!
ぶっ殺す、あいつら、ぶっ殺す、ぶち殺す。ぶち殺すぶち殺すぶち殺すぅうううううう!!!」
「ガキか貴様。」
溜息を吐く『魔導老』の横で、『マスターロード』は手短な所にいた下級悪魔(軽く百メートル先を飛んでた)を引っ掴み、頭をがぶりと噛み砕いた。
「ぺっ!! 私は、食事を邪魔されるのが殺したくなるほど嫌いなのだあああ!!
貴様らなぞ、貴様らなぞぉ、このマロンタルトの一切れにも劣るわ!!」
そして、彼は噛み砕いた悪魔を吐きだすと、地面に転がっている錆色の塵まみれのマロンタルトを口直しとばかりに全部呑みこんだ。
「腹壊すぞ。」
「生まれてこの方、病気になったことすらないわ!!」
冷静な『魔導老』の一言に、『マスターロード』は執拗に悪魔の体を踏みにじって溜飲を下していた。
「だったら庭を汚すな。・・・お前たち、何をしている。さっさと言われたことをやらんか。」
『魔導老』の弟子たちは、気絶した二人を介抱していた。
『マスターロード』の咆哮に当てられて金縛りだった面々も、何とか回復していた。
「冗談きついぜ、親父ぃ・・・・竜の叫び声には強烈な精神ショックを与える作用があるって教えてくれたのはあんただろうがよぉ。俺も頭がおかしくなりそうだぜぇ・・・」
エクレールがぽん、と倒れた仲間の頭を叩くだけで目を覚ましていた。
そんな状態で魔術を使えるだけで十分凄腕である。
「精神の防護は魔術師の基本だ、馬鹿者。
基本を極めること即ちそれが奥義。だから未熟だと言ったのだ。・・・貴様も落ち着かんか。」
苛立つ『マスターロード』があまりにも見苦しかったからか、『魔導老』は軽く風の精霊を操って彼の頭もぶん殴った。
「だがなぁ・・・・だがなぁ・・!!」
「これ以上騒いでもいいが、先ほど焼けたスフレがしぼんでしまうがそれでも構わないならな。」
「・・・・・ふん、我ながら大人げない。ふっはっはっは。」
ぐちゃぐちゃになった悪魔の死体を蹴り飛ばして、急に態度を改める『マスターロード』。
「貴様の食い意地もいい加減ホトホト嫌気がさしてきたぞ。」
それを見て呆れ顔がますます深まる『魔導老』だった。
「・・・・・ああ、なるほど。」
「何をしているかエクレール、貴様もさっさと行け。」
もうすでに彼以外の弟子たちは忠実にさっさと命令に従ってどこかに行っている。
「いやね、長年の疑問が一つ氷解したなぁ・・と。」
「なに?」
「だって親父も俺らも甘いもんなんて食わねぇじゃん?
それなのにわざわざ高いスイーツの食材やら調理器具買ってくるし・・・親父もボケたのかなぁ、って俺ら皆で遺産分配の相談を―――」
最後まで言い切る前にエクレールは直接『魔導老』にぶん殴られた。
「いいからさっさと仕事しろ!!」
「いえっさー、ひー!!」
殴られた頭を押さえながらエクレールは跳躍すると、そのまま風に乗って飛んで行った。
「なんだ、騒がしい奴だな。」
「奴はエクレール。あれでも妖精から声が掛かるくらいの逸材だ。
子供心が残っていると言えば聞こえはいいが、所詮はただの未熟者だ。」
「なんだ美味そうな名前だな、それより早くスフレ寄越せ。」
「・・・・・・・・・・こんな場所でか? とりあえず、中に入るぞ。」
そうして二人は、錆の塵が舞う外から屋敷の中に入って行った。
更新が安定しないですみません。
使っていたパソコンが調子悪くて今まで書くのが遅れました。
とりあえず、来週を乗り切れば多少の時間的余裕があるので、もう少し次は早く更新したいと思います。