第二十一話 マスター・ジュリアス
「そろそろ、戻ってくるだろうとは思っていたよ。」
私が大聖堂の騎士団本部に戻り、マスター・ジュリアスの執務室を訪ねると、開口一番に彼はそう言いました。
「騎士エクレシア、貴殿の報告を聞かせてもらおうか。」
「無期限の任務からの勝手な撤退、これは任務放棄にはならないのですか?」
「お前は真面目だな。ではお前を指揮していたのは誰だ? その場の上官の命令に逆らったわけでもないお前を罰することは出来んよ。」
現場は現場だ、とマスター・ジュリアスは語りました。
当然ながら、詭弁です。
「お前は特務を遂行していたと言う自覚が足らないようだな。
超法規的措置とでも言うのか? 後ろ暗い任務をさせているのだから、それを表沙汰にするようなことはできないのだよ。」
「やはり、マスター・ジュリアス・・・・。あなたは魔族がどういう存在か理解なさっていたのですね?」
「当然だろう。私は第二十九層にある“大図書館”の閲覧を許されている。
そこには我々がこの地球に来る以前の歴史が全て保管されている。当然、魔族と呼ばれている連中のことについても知っている。」
「まるで、私がテロリストのような物言いだ。」
超法規的措置とは、基本的に国民的を人質に取られた国家が理不尽な要求に屈して法律を無視する行いをすることだ。
それは、教義に逆らう行いをした私への皮肉のつもりなのでしょうか。
「お前の人権を守るためだと言えば聞こえは良いか?
魔族に与する任務など、正気の沙汰ではないからな。私も出来る限りのことはしてやるつもりだ。」
まるで初めから用意してあったかのような応答でした。
いや、彼にとって予想できる程度の質問ばかりだったに過ぎないのでしょう。
彼にとって、本当に折込済みなのでしょう。
私がここに帰って来ようが、魔族の地にて屍になろうが。
「では、『カーディナル』に会わせてください。」
「なに?」
「出来る限りのことは、しでくださるのですよね?」
私がそのように言うと、彼は一瞬驚いたような顔をしましたが、すぐにニヤリと笑ってみせました。
「ああ、直接の報告を『カーディナル』は求めている。
ただ、彼女は今、無粋で急な来客に対応を追われ、取り込んでいる最中だ。それが終わればすぐにでも会わせてやろう。」
彼にとってはそれすらも想定済みだったのでしょう。
ただ、私からそんなことを言い出すとは思っていなかった、そういうことらしい。
基本的に『カーディナル』への取次ぎは誰にでも可能であるが、彼女は多忙なため優先順位の関係で会えるのが数年先というのもざらです。
私も何かの行事などでしか会ったことはない。
「詳しいことは『カーディナル』に聞くべきだろう。
名目上は騎士団の長は“騎士総長”だが、騎士団の運営方針を決めるのが彼女であるのは周知の事実だからな。」
「はい。」
「だがそれとは別に、私も個人的興味がある。『カーディナル』への報告とは別に、お前から見て魔族はどんな連中だったか教えて欲しい。」
「マスター・ジュリアス、私は・・・・。」
「ちなみにこれは全く関係の無い話だが。」
すると、突然彼は私の言葉を遮ってそう言った。
「私がまだ若い頃の話だ。
信仰の篤いとても若く将来性もある真面目な司祭上がりの異端審問官が居た。
彼は管区長となるべく従士としての過程を消化し、騎士としての位階を得た後、司祭として働き、見事その働きが認められいよいよ異端審問官へとなれた。
後はその過程を消化し、総長から叙階を受けるだけであった。
彼は貧困に喘ぐ家系を苦に育ち、そのまま出世して家族を楽にしたいとよく言っていた。・・・・・私の、無二の友でもあった。」
どこか懐かしむように、マスター・ジュリアスは語りだした。
「管区長に選ばれるには、従士として教えを請う騎士に位階を貰い、司祭として五年以上働き、異端審問官として三年以上・・・でしたか?」
「その通りだ。更にその中から選出されるパラディンから更に成績が良いものにだけなれるのが、管区長だ。」
私は一応確認までにそう問うた。
出世には興味がなかったので、その辺りがあやふやだったのです。
そう一口で言うのは簡単ではありますが、それは非常に難関とも言える過程だ。
まず従士から騎士に格上げされるかどうかは、師とした騎士の裁量次第であるから、十年経っても騎士になれない者も居る。
司祭になるにもまず助祭にならなければいけないし、その為にはかなり勉強する必要があるらしい。
そして、異端審問官は騎士の位階を持つ中でも更に司教の位階を持つ者にしか成れない超が付くほどのエリートだ。
時には死刑すら執行する彼らが簡単になれるはずもないのは当然の話ですが。
更に、我々の通称は“聖堂騎士団”ですが、その中でも特に優秀とされる部隊には“近衛侍従聖堂騎士団”と書いてパラディンという本体正しい意味で最高位の称号が与えられる。
その中から選ばれる管区長は、文武共に最高のものが求められるエリートの中のエリートの、更にエリートと呼べる方々です。
幼い頃から従士として勉強を両立させながらやるとしても、人生の半分は必要になるくらいの時間は必要になるでしょう。
まあ、軍隊で言えば将軍みたいな地位に当たりますので、簡単になれるわけないのは当たり前なのですが。
なぜこれほどまでにややこしいかというと、『カーディナル』の方針で「現場を知らない人間が上に立つ資格は無い。」とのこと。
まあ、中間管理職なのでそれくらいの経験を積んでくれた方が良いと言うことなのでしょう。
ちなみに、彼ことマスター・ジュリアスはそういう意味で伝説となっています。
彼は十五歳の頃に師から三年で従士から騎士へとなり、同時に助祭としての位階を叙階され、三年後には司祭となって五年間で中東地域を大体三地域ほど改宗させ、その間(事務でも良いのに)イスラムの過激派と戦い、その過程を終えると翌年には司教の資格を得て叙階。
その翌年には異端審問官となって(これも事務でも良いのに)最前線で異端者の摘発と処断に務めたという。
当然その途中に彼は近衛侍従聖堂騎士団・・・まあ、略して“近衛”で構わないのですが、既に近衛の一員であったそうです。
そして二十九歳という驚異的な若さで管区長に就任したそうです。
この記録は恐らくこれからも絶対に破られないだろうと言われています。
それで実家は代々続く魔術師の家系で、所謂貴族型の家系ゆえに財産も豊富だというのに家を出て騎士団に入団。その上、人格者で多くの部下に慕われている・・・。
私などには想像がつかないほど優秀な人で、完璧な騎士、騎士になるために生まれた、とまで謳われている人なのです。
そして、数々の同僚を差し置き、騎士団本部に管区長として配属。
管区長に序列は無いが事実上の、騎士団ナンバースリーである。
正直、私が最初に呼び出されたときは嘘かと思ったほど雲の上の方なのです。
「私と彼とは十歳も年は離れていたがね、欠員が出たのでほぼ同時に異端審問官として配属された。彼は優秀な男だったよ。」
十歳も上で優秀なのだから、十歳下で同じ領域にいた彼は前人未到としか言いようが無いのでしょう。
「異端審問官がどれほど過酷な職務をするかは語るまでもないが、彼は少々真面目過ぎていてな。
神に縋って罪人を処断するのは間違っている、と精神防護の魔術を施さずにその職務を全うしていた。」
「え・・・?」
「正義感も強い奴だった。書類仕事でもしていれば良いものの、騎士としての力が有るのだから神の為に尽くし、一人でも多くの人間を救おうとしていたよ。
私は彼と多くを語った。年も離れていると言うのに、幼い頃からの友だと思わんばかりに意気投合し、多くの理想を語り合い、幾多の仇敵を屠り、可能な限りの罪人を裁いてきた。
しかし、異端審問官として配属されて二年目の夏だった。彼は心を病んでしまった。」
私は、ごくり、と口の中に溜まっていた唾を飲み込んだ。
「人は精神を魔術で保護せねば、いずれ磨耗して朽ち果てる。ただ過ごすだけでも、人の心は二百年も耐えられない。
敵の恐るべき呪詛から心を守るためにも、魔術師として当然の防護策だ。
しかし彼は、どこまでも正しく愚かしい人間であり、最後まで聖職者だった。
私は生涯前線で戦うつもりであったが、彼の意を汲んで管区長に成ることを選んだ。本当は自分がどこまでいけるか試す為に上を目指したのだがな。」
「・・・・・・・・・・」
「お前がどのような決断を迫られたか、一部始終を聞いている。
神を恨むなとはお前の気持ちを推察することしか出来ない私には言う権利は無い。
・・・・だが、お前の口からその先を言わないでほしい。
私はこれ以外の生き方は知らないのだ。もし、神への翻意を見せるようなら、私はいつでもギロチンを振り下ろせる立場に居るのだからな。」
「・・・・なぜ、そこまで分かっていて、そのようなことを仰るのですか?」
「今は人権に訴えたほうが周囲の受けがいい、『カーディナル』の方針だからだ。」
マスター・ジュリアスはおどけるように笑ってそう仰った。
「正直、彼女のやり方は気に食わないがな。彼女のやり方は少々神を蔑ろにしすぎる傾向にある。
人を信じられないのだよ、彼女は。誰よりも人類を愛し、献身している彼女がな。
そして全ての十字架を己で背負おうとしている。私には到底真似できない。彼女の経歴を聞けば、我が友も同じような道を辿ろうとしていたことは想像に難くない。
だから私は、彼女を変えることが出来なかったことを今も悔やんでいる。
お前も、心を病んでしまった友と良く似ているよ。心の揺れが体内の魔力をぶれさせているのが良く見える。」
「あ・・・・」
「自分の魔力の隠蔽は基本だ。実力を悟らせない意味でもな。
それが出来ていないようでは、自分の心理状況を垂れ流しにしているのと同義だ。真っ先で戦場で死ぬタイプだ。」
「・・・あはは・・」
自分で全く気づきませんでした。指摘されると急に気恥ずかしくなってきました。
勘の良いクラウンさんが気づいていたわけです。
「我々の魔術は信仰心を拠り所にしている。その根源が揺らいでいるようでは、然もありなんと言うべきだが、実を言うと私は今すごく怒っている。」
「・・・・はい?」
「当然だ、お前のような人間を出してしまったことは我々管理職の不始末だ。
しかし、神を信じられぬ人間は犬畜生以下だ。私が騎士団に求めているのは、日常生活の片手間程度の信仰ではなく、戦いで殉じるのを良しとする絶対的な信仰なのだ。
お前も騎士に成る時にそう誓ったはずだ。」
「は、はい!!」
何だか、急に彼の雰囲気が物々しくなったような気がした。
「神の為とは言え戦って人を殺し、浅ましくも罪人を裁こうとする我々が天国に行く権利はない。
だから我々は自ら進んで地獄へ行くことで神への信仰心を示すのだ。
だと言うのに、信仰心が揺らいでいる? それは冒涜というのだよ、騎士エクレシア。仲間を銀貨数枚で売り渡すに等しい裏切りだ。
こういう言い方は酷だと承知の上でお前の上司として言わせて貰おう、お前が信徒として、騎士として確りしていればこの場に今お前は居なかった筈だ。」
「お、仰るとおりです・・・。」
そう、私が未熟だったから、私はここに居るのだ。
マスター・ジュリアスのお怒りは尤もだし、傍から見れば理不尽な物言いも心を鬼にして仰ってくれているのだと分かる。
「お前に問おう。お前は人間か? それとも犬や家畜と同レベルの不信者か?」
「わ、私は、身も心も神の為に戦うことを誓った騎士ですッ!!」
「いい返事だ。今回は魔族に毒された故にそのような考えに至ったのだと思ってやるが、二度とそのような思考に陥らないように心の底から鍛えなおしてやろう。
丁度『カーディナル』からお前を呼んでくるよう言われた時間にはまだ猶予がある。
実は私もこれから従士の訓練を直接指導することになっている。丁度いい機会だから、お前も参加するといい。」
そう言ったマスター・ジュリアスは口では笑っているのに目が笑っていなかった。
どうやら、初めからその積もりだったらしい。
マスター・ジュリアス。
騎士団で最も厳格で、容赦のない御方だと言われています。
私は訓練場に付くまで、生きた心地がしませんでした。
・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・
「なあ、ジュリアス様すんごく気合は入っていないか?」
「ああ。この間は三人くらい医務室に送られただろ、あいつらまだベッドから出られてないみたいだぞ。それなのに今回はあれだ、どうしよう・・・。」
びくびくしている従士たちがそんな会話をこそこそとしているのが聞こえる。
正直、申し訳ない気持ちで一杯だった。
彼は木刀で軽く素振りをしているが、その一振り一振りが空間を揺るがしているように見えるのは気のせいであって欲しいところです。
集まった従士たちは三十数名ほどで、年も性別バラバラだ。
二十台半ばにもなる者も居れば、十代にまだ入ったばかりのような少年もいる。
ジュリアス付きの従士が多いが、他の騎士に師事する従士でも時間が空いていれば自主的に訓練に参加して少しでも研鑽を積めるようになっている。
従士の仕事は雑用もいいところで、日々は訓練に費やされる。
時には師に付き添って実戦に連れて行かれることもあるそうですが、少しでも早く騎士に叙されたいと思うのは人の情と言うものでしょう。
ちなみに騎士団お得意の本格的な集団戦法は、騎士になり配属が決まってからであるから、従士の段階では効率と自主性を重視しているのです。
流石騎士団ナンバースリー。彼の教えを請おうと訓練に参加したものも多く、私が混じっていても特に気にする人も居ないようでした。
しかし、突き付けられたのは実戦に近い模擬戦の訓練・・・。
今現在、作戦を立てて良いと彼に言われて三十数名の面々は親しい者同士だったり、とにかく周囲の者たちと組んで対抗しようと話し合っている。
この様な形式はポピュラーなので、みんな慣れているのでしょう。
定期的に行われるこういった形式の訓練は、とにかく分かりやすい形で実力を示すことを熟練し教官を務める騎士は求めているのですから。
「ん・・・・?」
ふと、一人だけ異彩を放っている少年が居たのが気になりました。
少年と称したのは、十台半ばくらいにしか見えなかったからなのです。
最年少と思しき少年も年上の従士の方々と一緒に作戦を立てているのに、彼だけは一人でジッと素振りをするマスター・ジュリアスを見ていたのです。
何だか気になって私は彼に声を掛けようと思いましたが、その時、彼が武器を構えたのを見て、反射的に私もジュリアスの方を向いて模擬戦用の刃抜きされた剣を構えました。
経験上、作戦を考える時間を与えて奇襲すると言うのはどんな教官も一度はするのです。不意を突かれて文句を言うようなら、それは騎士になっても無駄死にするだけですので。
「いつまで考えているッ、邪悪な異教徒が目の前に迫っていたらどうする!!」
案の定、不運にも一番近くに居た従士の二人が蹴散らされた。
十数メートルくらい距離があったのに、一瞬でマスター・ジュリアスは詰めてきたのです。かなり、本気のようです。
「どうした、何を呆けている。」
仲間が蹴散らされたのに、反応すら出来なかった者を、彼は蹴り飛ばした。こうやって隙を作ったものから容赦なく蹴落とされていくのである。
「いつまで固まっているつもりだ、虫かお前たちは!!」
ある程度手加減されたと思える衝撃波が、その場にいる全員を襲った。
私を含めて例外なく誰もがその衝撃で吹き飛ばされ、集団だった私たちは訓練場の広範囲にバラバラに引き離されてしまったのです。
ここで、吹き飛ばされても運よく仲間が近くに居た者、咄嗟に防護の魔術を使いすぐに立て直せた者、偶然何とかできた者、それすらどうしようも出来ずに気絶した者に分かれた。
この時点で三十数名居た従士の内、十人は脱落していた。
それを見たマスター・ジュリアスは嘆息していた。
集団戦が機能できない場合の状況を想定させようとしていのか、三分の一の脱落者を見て呆れ果てていた。
「我々が異教徒や邪教徒に屈することは有り得ないし、有ってはならない。貴様らの信仰心はその程度か、可能な限り連中を殺して死ぬ気で戦え!!」
その体たらくに、マスター・ジュリアスも怒鳴り声を上げた。
その気迫に圧倒されて身じろぎした者の腹に、どこからか取り出したのか彼は円形の何かを投擲して脱落させた。
それは、車輪であった。
木製の厚みのある代物ではなく、中世の馬車に使われるような金属製の薄い物だ。
つまり、当たったらかなり痛い。
当然ながら、本気で彼が投擲したら人の体など真っ二つになるだろう。
「次は、誰だ?」
脱落者に当たってから上空で弧を描いて戻ってきた車輪を掴んで、マスター・ジュリアスは品定めするように従士の面々を見渡した。
「あ、ああああああッ!!」
「気合だけは一人前だな、冷静さを知ってから出直して来い!!」
恐怖から蛮勇に駆られた一人の従士が、車輪を顔面から受けて昏倒した。
当然、気絶している。この辺りから一定以上の実力は有ると、マスター・ジュリアスも容赦が無くなってきているようだった。
「これから五分、耐え切った者には私から次の騎士候補に推薦してやろう。
今度の管区長の叙階に合わせて、一部隊ほど増設を考えている。世界は広い、人手はいくらあっても足りないからな。」
それは彼が言うと信憑性が高いし、嘘ではないはずだ。
しかし、この局面でそれを言うのはズルイというものだった。
思わず顔を見合わせた従士二人の頭上に、突如として落雷が落ちた。
「敵から目を離すとは何事だ。」
感電して真っ黒焦げになった二人を見下ろしてマスター・ジュリアスはそう言った。
一応手加減はされているようだったが、怪我を負うことは前提にしているのが窺えた。それを防いで身を守ることは、できて当然なのだと思っているに違いありません。
「ああ、言い忘れていた騎士エクレシア。
貴様は当然五分耐えられるよな、出来なければ位階を取り下げるからその積りで。」
「え・・・」
名指しでそう言われ、私は表情を強張らせてしまった。
「危ないッ!!」
従士の誰かがそう言った。
直後に飛んでくる、鋼鉄の車輪。
しかも、死角からだった。
「ッ―――!!」
多分、言われなかったら対応できなかっただろう。
割と本気で投擲されただろう車輪の一撃は、咄嗟に剣を振り上げて防いだにも関わらず、ちっとも威力が減衰されなかった。
右肩に車輪が直撃し、当然のように吹っ飛ばされる私。
綺麗に磨かれた訓練場の床を滑って、止まる。
「い・・たた・・・」
流石に一撃で昏倒させられるようなら、私は騎士に成れては居ない。
それなり実戦経験も積んでいるし、何とか常に私の身を守る防護の加護が衝撃を和らげてくれているので、戦闘続行に支障が出るほどではなかった。
「はぁッ!!」
私に気を取られている隙でも突こうとしたのか、先ほど気になった少年が自分の背丈の倍はあるハルバードを振り上げてマスター・ジュリアスに強襲を仕掛けた。
しかし、完璧な騎士と称される男は、重量のあるハルバードを小枝のようにいなしてしまった。
そして反撃に遭う。流れるような動作で木刀が少年の体を捉えた。
「うぐぅ!!」
クリーンヒットだった。
しかしながら、少年はそれで吹っ飛ばされても、地面に足をつけて踏みとどまった。
まだ闘志は消えていない。立つのがやっとだろうに、凄まじい執念だった。
だが、それだけだ。
その程度では、決してマスター・ジュリアスには届かない。
というより、このままでは五分と言わず、三分で全滅は必至でしょう。
それは不味かった。
メイさんとの約束で、一週間で帰らなければ、彼は酷い目にあってしまう。
騎士の位階を剥奪されるような事が有れば、恐らく最低でも一年は帰って来れないでしょう。それだけは本当に避けたい。
「なんだ、従士の質も落ちたな。本当に、この程度か。」
そう、マスター・ジュリアスは言った。
挑発ではなく、本当にそう思っているようであった。
しかしながら、騎士団の戦法は基本的に集団であり、バラバラに引き離された状況ではどうにもならず、そして隙を見せれば即座に叩き潰される。
こんな状況で様子を窺う以上、どうしろと言うのがここに居る彼らの心境でしょう。
「はぁ・・・・。まさかとは思うが、お前たち。」
見かねたマスター・ジュリアスは車輪を投擲した。
武器を構えている誰かにではない、既に倒れ伏し、気絶した従士の一人でした。
「私が無力化した相手に、攻撃を加えないとでも思ったのか? 敵は暢気に気絶した相手にトドメも刺さず、安全に戦況を進めようとするとは思わないのか?」
車輪がその従士に至る頃には、車輪は投擲するに適した大きさではなく、その従士の身長と同じくらいの大きさになり、彼の両手足が車輪に固定されて転がって戻っていく。
「私が邪悪な異教徒なら、この様に膠着した場面に直面したとするならば、とりあえずこの様にするだろうな。」
マスター・ジュリアスは車輪に固定された従士の腹に木刀を振り下ろした。
「うあッ!!」
気絶している従士の生々しい悲鳴が響いた。
その残虐な振る舞いに、誰もが目を見張ったり表情を引きつらせていた。
「車裂き・・・・人のすることじゃない・・・。」
震えた声で誰かがそう言った。
そう、マスター・ジュリアスが行おうとしているのは、中国やフランス、中世ヨーロッパで行われた、車輪に括り付けた罪人の手や足、そして腰などを砕き拷問または処刑する残虐なものです。
異端審問官を経験した彼なら、当然平気でそのようなことも出来るでしょう。
それは、ここに居る誰もが知るところ。
「そして、この残虐な行いに耐え切れなくなり、飛び出してきたバカを叩き殺す。それで、お前たちはどうする?」
試すように、マスター・ジュリアスは問いかけてくる。
その間にも彼は木刀を従士の右足に振り下ろす。
またもや、苦痛に呻く悲鳴が響く。
「私は約束を守るぞ。もし五分、お前たちが手を出さずに見ているだけなら、私は手を出さないことにしよう。勿論、騎士に推薦もしてやる。」
凄まじい発破の掛け方だった。
ここに居る人間に、そう言われて怒りを覚えない者はまず居ない。
みなそれぞれ理由はあれど、聖職者になる為にここに来ているのだから。
「あ、あ・・・ぼくは、ば、バカで良いッ!!」
そうして最初に飛び出したのは、運よく生き残っていた最年少だろう少年だった。
しかし彼が技量も伴っていないだろうのは、火を見るよりも明らかだった。
「あ、バカ、くそッ!!」
釣られて仲間と思わしき年上の従士が追従した。
私も、自然と体が動いていた。無謀な突撃を刊行しようとしていた少年の前に出て、右手で制した。
「え・・・。」
「貴方は負傷者の救出を。相手の技量を見極めるのも騎士として重要なことです。」
「でも・・・」
「早くなさいッ!!」
思わず怒鳴ってしまって、彼はビクンと身を竦ませたが、仲間が彼を引っ張って後ろに下がっていった。
「自分の得意する分野で各々戦いなさい。前出るものは前へ、支援を得意とするならばそれに徹し、実力が不足だと思うなら負傷者を守りなさい!!」
そう指示を飛ばしながら、私は従士だった頃を思い出していた。
がむしゃらに教官に挑み、なぎ倒されては立ち上がる毎日でした。
そして諭され、教訓を学び、研鑽する毎日。
ひどく懐かしく、私が一番楽しかった時期だった。
「ふん、そうでなくてはな。」
私以外にも一斉に前に出た十名近い面々を見て、マスター・ジュリアスも楽しそうに笑った。
・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・
なんと言うか、ひどい戦いだった。
「そろそろ五分経つな。訓練は一旦中断だ。」
そう言ったマスター・ジュリアスは、汗の一粒すら流していなかった。
あれから私を含めた十数名の猛攻、後方からの魔術支援を含めても一撃入れることすら敵わなかった。
それどころか、数として有利だった私たちは誰一人例外なくボロボロです。
なんと言うか次元が違うとかそういうレベルの強さでした。
それでもあれから脱落者を二名に留め、何とか五分耐え切ったのです。
「や、やった、ぼ、ぼく、騎士に成れる!!」
「バカ、騎士には最低でも十四歳なってからだ。」
「えーッ!!」
そんな最年少の少年とその仲間の従士の声に、力尽きて床に転がるみんなが笑った。
「お前の担当官には私から話を通しておく。年齢と実力が十分になればいつでも騎士に慣れるようにな。」
「え、本当ですか!!」
「ああ、私は嘘と化け物と異教徒が大嫌いだ。」
マスター・ジュリアスは確かにそう言って頷いた。
「それより、彼は大丈夫ですか?」
私は車輪に固定された従士の安否を確かめようと、体に鞭を打って立ち上がろうとしたとき、彼はあんなに叩かれたのが嘘のように立ち上がった。
「あ、自分は平気なんで大丈夫ですよ。」
「え・・・・。」
「マスター・ジュリアスに一芝居するように頼まれてたんですよ。それに自分は一端の騎士なのであれくらい平気ですし。」
流石にちょっと痛かったですけどね、と彼ははにかみながらそう答えた。
彼が騎士だと分かると、なんだよー、みたいな雰囲気に包まれて、誰もがぐったりと床に突っ伏した。
「私が邪悪な異教徒みたいな真似をするわけがないだろう。
なんだ、お前たち、本気にしていたのか?」
冗談にしては笑えない部類だと言うのに、マスター・ジュリアスは真顔でそう言った。
それはもう、誰もが抗議をしたいところだろうが、それを言う気力がある者は誰一人としていなかった。
「ふむ、そろそろいい時間だな。
騎士エクレシア、お前は『カーディナル』の執務室に向かえ。」
「は、はい。」
私は頷いて、立ち上がった。
何だか急に緊張感がこみ上げてきた。
「残りは定時まで訓練を行う。気絶した連中を医務室に運んだら訓練続行だ。
貴様らに集団戦法のイロハを今のうちに叩き込んでおいてやろう。あんな中途半端な連携で騎士になることは私が許さん。」
そのマスター・ジュリアスの一言で、ぐったりとしていた面々の表情が凍り付いた。
私はそんな彼らに同情しながら、訓練場を後にした。