第十八話 魔術師再び。
「・・・・・・・・・疲れた。」
あのジャンキーどもが死んでから二日はたっただろうか。
結果的に想定していた魔獣との戦いより被害は少なかったのだから面倒なことは忘れろとゴルゴガンの旦那にも言われた。
俺が思っている以上に、“処刑人”だなんて呼ばれている連中はヤバイらしい。
今日から俺の仕事も再開され、本格的に警邏が始まった。
今朝はエクレシアと鍛練をして、昼にはそのまま仕事である。
小さな村だと思っていたら結構広い村だった。
ここは“壁”に沿って三日月のような形で集落が出来ており、縦に長い。俺の行動範囲は中心の町に向かって横なので、予想以上に短く見えるだけだった。
その縦に長い村を五週ほどもすれば、人間の体力では結構きつい。
これくらい普通だと言わんばかりの魔族の連中には羨ましいばかりである。
しかしこれも俺の首に掛けられた借金を返すため、文句なんていっていられない。
そうやって帰って来れたのは、夕方になり日も落ちかけている頃であった。
「ん? サイリスか。」
すると、屋敷の前を箒で掃除をしているサイリスを見かけた。
いつもこの時間に掃除をしているらしい。人間は朝方だが夢魔は夕方に掃除をするのだろうか。全くどうでもいい話であるが。
だがふと見てみると、いつものように淡々と箒を掃いているように見えて、どうもその動きがぎこちない。
そして、なぜか持ち方もどこか変である。
箒を左腕の脇に挟んで、体ごと捻って箒で掃いていたのだ。
よく見てみると、彼女の服の右腕が袖の部分から全く欠如していた。
「おい、サイリス・・・その腕・・・」
「ん? ああ、これ。邪魔だから切り捨てた。」
「は?」
一瞬、俺はサイリスが何を言っているのか分からなかった。
「契約の代償に右腕を持っていかれたのよ。この程度で済んでよかったわ。本当はもっと段階を踏まないと話だって聞いてくれないのに。」
「おい、右腕って・・おい・・。」
「なによ、まさか負い目とか感じてるわけ?」
サイリスは仏頂面でどこか不機嫌そうにそう言った。
「私は私が助かるために行動しただけよ。あのままだったら私は殺されてた可能性は高いんだから。別にあなたには関係ない。」
「だけどよ・・・いや、なんでもない。」
俺は彼女に対して何を言うべきなのか分からなかったと言うのも有るが、何を言ったところでどうにもならないことを理解していた。
魔族とはこういった変なところでプライドが高い。
人間には理解できない何かがあるのだろう。
「その、魔術とかでどうにかならないのか・・?」
「魔術はそこまで万能じゃないわよ。
でも仮に私に腕が生えてきたとしても、多分私はそれを扱うことは出来ない。悪魔に取られた腕はね、決して元通りにはならないの。
体が不自由な人は何かしらの補助で歩けるようになるかもしれないけれど、私の場合全く逆。体が健康でも、もっと根本の部分でダメなのよ。
人間は、悪魔に魂を売ると言う表現をするけど、まさにその通りね。
才能は魂に依存しているのだから。では魂から腕を動かすと言う才能を食われたら、もうどんなに健康な体でも、恐らく来世だろうとも二度と私は腕を動かすことは出来ない。
・・・・・悪魔に魂を売るとは、そういうことなのよ。」
なんとも衝撃的な話だった。
俺は確かに後ろめたさを感じていたが、それは罪悪感すら覚える内容だった。
「それって、割に合っているのか?」
「たとえば砂漠で飢えて水を欲したときに悪魔が現れて、水を与える代わりに腕を一本寄こせと言われたら、あなたはどうするかって質問と同じだけど、あなたはそれに答えられるの?」
「それは・・・・。」
「魔術ってね、極論を言えば自分のやりたいことの過程をある程度無視して実現することなのよ。普通なら不可能なこともそうやって可能とするの。
でも、普通なら出来ないことは、普通じゃない対価を必要とするの。
分かる? 普通なら出来ないことの代償は、命を差し出せといわれたって文句は言えない。だって、自分の人生全て費やしても不可能なことって、世の中にはあるでしょ?
それを叶えるんだから、悪魔に腕の一本差し出すくらいで文句を言うのは自分の願いを言っておいて身勝手とすら言える。ましてや同情されるのも筋違いなんてない。
私が言いたいことは、そういうことなのよ。」
俺は、本当に何も言えなかった。
あの、仲間にすらジャンキーと呼ばれていた魔術師を俺は思い出していた。
強力な薬物で死に瀕してはいたが、その代わり武器に対して鉄壁に近い防護の力を持っていたし、強力な加護を得て鬼のような強さを誇っていた。
あの二人組みと、サイリスもエクレシアも、そして俺も同類なのだ。
何かを言えるはずなんてない。
そんな危ないことは止めよう、なんて偽善は口が裂けても言ってはいけない。言ったら、多分俺は彼女に絞め殺されるだろう。
それくらい、連中は自分たちの魔術に誇りを持っているのだ。
「あ・・・」
俺は、無言のうちにサイリスから箒を毟り取っていた。
「俺がやる。」
「・・・・・そんなことしても、この間の借りには釣り合わないわよ。」
「俺がやりたいからやるんだよ。」
多分、俺は何も言えない自分が嫌で苛立っていたのだろう。
ムシャクシャして、しかしどうすることも出来ず、だからこんなガラにもない行動を取ったのかもしれない。
クラウンにこんなことは愚痴っても仕方ないし、エクレシアにこの胸のうちを打ち明けても彼女は感謝していてもサイリスの自業自得としか言わないだろう。
このムカムカした気持ちは、自分で解消するしかないのだ。
「私、あなたを誤解していたかもしれない。」
「昨日エクレシアの奴もお前に対してそんなことを言ってたな。多分お前の前じゃ絶対に言えないだろうけれど。」
感謝していても表立って感謝できないとはどういう気分なのだろうか、俺にはエクレシアの気持ちなんて永遠に理解できないだろうが。
「いいえ、きっと人間って種族を誤解してたのかもね。
私の母親は私を捨てて人間と一緒にどこか行ってしまったの。だから人間なんて所詮甘い声と色っぽい仕草をするだけで簡単に騙されるような連中下らないだと思ってた。」
「否定しきれないのが悲しいところだな。」
夢魔は同種の異性同士では交配できない種族だ。
だから普通は種として生まれた子供を優先するのが当たり前なのだ。
夢魔は基本的に同性の子を産み産ませる、つまり、彼女の母親は同族のサイリスを捨てたことになる。一応確認の意味で、母親が捨てたと言うことならばそういうことになる。
夢魔が子供を捨てるなど、仲間意識が非常に強いらしい“夜の眷属”にはまず見られない事例であると、魔導書が言ってくる。
「でも、何となく人間のことが分かった気がするわ。
私は一度夢魔の集落に行ったことがあるけど、彼らに馴染めなかった。
族長は私を一族に迎え入れてやるからいつでも帰ってきて良いと言ってくれたけど、多分私の帰る場所はあそこじゃない。私を拾ってくれた師匠のところだけなのよ。
・・・・私も、母親と同じなのかもしれないわね。仲間を仲間と思えなかったんだから。こんな辺境に居るのは当然よね。」
「みんな辺境辺境って言うが、ここってそんな特殊な場所なのか?」
話題を変えようと俺は彼女の話には触れずにそう言った。
「魔族は普通、同族同士が固まって生活するの。異種族同士が共生目的で一つの集落を形成するなんてここぐらいなものよ。
最初は開拓の命令が送られて異種族同士住まいを作っていたら、いつの間にか、職にあぶれたり、何らかの理由で仲間と過ごせなくなった者たちが流れてくるようになって労働力として雇用して行ったらしいわ。」
時々魔獣とか、魔物とかがよく出てくるようだし、中々上手くいかない現状を思うと、かなり難航をしているのが窺える。
「ふーん。」
「終わったらその辺の立て掛けて置いてくれればいいから。」
サイリスはそれだけ言うと、バランスが取れずに歩きにくそうにしながら屋敷に戻っていった。
「・・・・・・・」
そして俺は、黙々と箒で埃を気が済むまで掃って行った。
・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
「サイリス、サイリス。呼ばれたらさっさと来んかい。」
「はぁい、師匠。」
その夜、私が片腕で四苦八苦しながら調合用の薬品を整理していると、私は師匠に呼ばれた。
「何でしょうか、師匠。」
何の用か聞こうと敷居の布を潜って師匠の下に行くと、師匠はテーブルの前に座ってキセルを咥えて一服していた。
「師匠、煙草はお止めになってくださいとあれほど申し上げたじゃありませんか。それでは静養になりません。」
「うるさいねぇこの弟子は。お前さんはこれが煙草だって言うのかい?」
顔を顰めて師匠はそう言った。
「そう言えば・・・タバコの臭いが・・・。」
「ただの水蒸気だよ。何だか物足りない気もするがねぇ、口の寂しさを紛らわすにはうってつけだろうが。」
「・・・・・それで、何の御用でしょうか?」
私がそう言うと、ああそうそう、と師匠は思い出したかのように足元に置いてあった皮袋から何かを取り出した。
「その腕じゃ不便だろう? ちょっとこしらえたんだがどうかね?」
そう言って師匠が取り出したのは、右腕だった。
「・・・それは、腕ですか?」
「それ以外の何に見えるんだい?」
呆れたように師匠はそう言った。
「自動書記に使う霊媒を宿してある。お前が思った通りに、それこそ本来の腕のように動いてくれるはずさ。」
「しかし、師匠。私はもう二度と腕は動かせないはずですが・・・。」
「だから別の者に動かしてもらおうってこうしてこしらえたんじゃないか。
お前さんはその辺の小狡さが足らない。魔術ってのは裏技抜け道卑怯上等の世界だと教えたろう?」
にやりと笑って師匠はそう言った。
確かにその通りである。
教会と魔女の戦いも騙しあいの歴史だ。
相手の裏を掻くために考えを巡らし、策略を駆使する。
悪魔に体を差し出したって、平気な顔をするくらいの胆力が無ければ東欧の魔女術なんて修めることなんて出来やしないのだ。
そう、私自身が動かせないなら、別の何かにやってもらえばいい。
代用と流用、魔術師の基本的な思考である。
「・・・・何これ、感覚まであるの!?」
「ほう、精巧だとは思っていたが、くっ付けただけで神経まで通るのかい。」
試しに服を捲って無くした右腕にその腕を付けてみると、まるで悪魔に取られたのが嘘のように腕が自分の物のように動かせたのだ。
しかもである、左手と不揃いであったにも関わらず、仮初の右腕は長さも大きさも私に適したように伸縮して完全に左腕と見分けがつかなくなってしまった。
ここまで来ると、常識が逸脱した魔術師でも君が悪いレベルだった。
「まるで、神の御業じゃないですか・・・。」
「あっはっはっは、私たちは悪魔崇拝者じゃないか。それが神の御業とは皮肉かね。では、差し詰めそれは“悪魔の腕”とでも称すればいいかね。」
可笑しそうに師匠は笑うが、私には一体どうやってこんなものを作ったのか到底理解が及ばなかった。
「これを、師匠が・・・?」
「動かす為の術式の方はあたしだが、腕の方は違うね。この煙草も同じ奴が作ったのさ。向こうは向こうで腕の性能を十分発揮できるような術式を褒めてはくれたが、あんなものは児戯のようなものさね。」
「こんなもの、一体誰が・・・。」
私には一度も褒められたことがないってくらい厳しい師匠がべた褒めである。
明日にでも天変地異が起こるんではないのかという気分になった。
「さて、ね。“代表”の紹介で私のところに来たとか言っていたが、胡散臭い女だったねぇ。あれほど胡散臭い女は死ぬまでに二度とお目に掛かれんだろうくらい胡散臭い女だった。
他にも用事があるとか言っていたが、用事なんてあるものなのかね。
お前を呼ぶすぐ前まで居たんだが、何やら急いでいるのか出て行っちまったよ。」
探せばその辺にいるんじゃないのかい、と師匠がそう言った時である。
パン、と外から渇いた音が聞こえたのである。
・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・
「いやー、それにしても君が居るおかげで食費が浮いて楽だよ。
やっぱり頭の弱いオークなんかじゃダメだね。」
クラウンの奴がそんな自分勝手なことをのたまったのは夕食の席のことである。
エクレシアが料理を出来ると知ったときには興味本位に任せ、出来が思いのほか良かったのかそれからこんな調子である。
個人的にはどうにも俺の口には魔族の料理は口に合わなかったので嬉しいことではあるが、こいつはもう少し他人に対して感謝の気持ちとかを知るべきである。
と言うかこいつ、肉類とか味が濃いものなら大抵美味い美味い言って食ってるだろうが。後は量さえあればそれでいいみたいな奴である。
そう言えば最近オークのギィンギに会っていないな。忙しいのもあるが、せっかく同僚になったのだし今度顔を出しにいくのも悪くないかもしれない。
「私としては、調味料が足らないことが少々惜しむべきことですが。」
エクレシアはそう言ってテーブル一杯に大皿に盛られた料理を幾つも置いていく。九割がたクラウンの奴が食ってしまうが。
地上にはない食材ばかりの中で、これだけ人間用にアレンジできるのは素直にすごいと思う。調味料が少ないから、味は単調なものばかりなのは彼女の悔やむとおりだがそれは仕方が無いことだ。
こんな場所で人間の食い物にありつけるのなら、神に感謝したっていい。
そしてエクレシアが料理を並べ終えようとしたその時である。
からーん、と玄関のベルが鳴った。
「なんだいこんな時に、ちょっとメイ、君が出てよ。」
目の前の食事に目が眩んでいるクラウンはそう言った。
「はいはいっと。」
どうせクラウンの奴にしか尋ねてくるような輩は居ないから二度手間になるだろうが、という文句は言う方が手間になるので俺は素直に出ることにした。
「はーい、どちらさまですかー。」
食事前でやる気が出なかったのは俺も同じだったのか、そんな適当な声で対応してしまった。ちょっと恥ずかしい。
そしてドアを開けると、見覚えのある奴が立っていた。
「ちゃおー。」
と、同時に真っ黒な筒状の物体が突きつけられた。
拳銃だった。
「おまッ」
「そしておやすみなさーい。」
パン、とそのまま発砲。
俺は驚いた拍子に思わず尻餅をついてそれを避けれたが完全な偶然であった。
むしろ、一発目はわざと外したに違いなかった。
「お前、クロムッ!!」
「なーに驚いているのよ、また逢いに来るって、言ったじゃない。」
あの日、最後を看取ったはずのクロムが、本当に健康体のままの姿で俺の目の前に現れたのである。
「あなたはッ!?」
「ぎゃあああ!! 僕の夕食がぁああ!!」
エクレシアが驚いて料理の盛られた大皿を床に落としてしまっていた。クラウンの奴は敢えて無視する。
「あの時、本当に痛かったんだからね? ちょっとやり返しに来ましたー。」
明らかに感電ってレベルじゃない電光を放っているスタンガンを片手に、にこにこ笑っているクロムが拳銃の銃口をこちらに向けてきた。
「お前、本当にクロムなのか?」
「私が本当に私なのかって?
難しい質問ね。哲学的な問答は嫌いじゃないわよ?」
「そういうことじゃねーよ!!」
何となくもう一度化けて出てきそうな感じではあったが、本当にまさか生き返って会いに来るなんて思いも寄らないだろう。
「おい、お前。」
ふと振り向くと、明らかに怒っているだろうクラウンが立ち上がった。
「―――ッ」
「よくも僕の夕飯を台無しにしてくれたね。」
何かクロムが言う前に、クラウンは軽く手を振るった。
次の瞬間、クロムは全身から冗談みたいな量の血を撒き散らして吹っ飛ばされた。
どうやら凄まじい力で全身を殴打されたらこうなるだろう感じだった。
「・・・・・・・・お、おいクラウン。」
「ちょっと、なにするのよ。代わりはいくらでもあるけど、無意味に壊さないで欲しいんだけど。もったいないじゃない。」
「うおッ!?」
すると、俺がクラウンに何かを言う前にクロムは全くの健康体のまま現れたのである。
ちなみに足元には己の死体が転がっている。
「私にとって死なんて上辺だけのものに過ぎないのよ。別に驚くことじゃあないわ。」
クロムは自分の死体に何かの液体を振り掛けると、死体が砂漠の砂のように乾いて跡形もなくなった。
「精霊魔術は流石に想定外ね、うーん、相性最悪だけど今の私は無限の命がある。そっちの彼が落ち着くまで繰り返しても構わないけれど?」
「いいや、僕は知的で通ってるんだ。流石にそんな物見せられたら僕も驚く。」
俺はこのとき激しくクラウンに文句を言ってやりたかったが、俺は空気の読める日本人なのでそんな言葉を飲み込んでいた。
「・・・死が無意味だって?
話半分で聞いていたが、エクレシアが言ってたことはマジだったのかよ・・・。」
「理論上は可能でも、実質的に殺すのが不可能ならば、それは不死身と変わらないとは思わない? でもこっちの“私”もあなたに会うことを楽しみにしていたのに、残念ね。
お陰で私が来る羽目になった。」
もはや砂の塊となった己を見下ろして、クロムは薄笑いを浮かべながらそう言った。
「まあ、仕切りなおしには丁度いいのかもね。
さっきは挨拶代わりにぶっ放したけど、本来の目的はこっちこっち。ここに来たのは完全についでの寄り道なのよ」
クロムはそう言って、懐から丸められた紙を取り出してクラウンに放り投げた。
「・・・・うそ、“代表”の紹介状だ。しかもラミアの婆様への。ありえない。」
「まさか、あの『マスターロード』が、人間に魔族の領域を歩かせることを許したのですか!?」
クラウンもエクレシアも、そこに書かれている内容に驚いている。
「素直に歩かせてくれるわけないじゃない。所詮建前に過ぎないわ、そんなの。話の通る魔族なんて、そんなに多くないしね。」
「まあ、そうだろうね。」
クラウンは頷くと、その紹介状を丸めてクロムに投げ返した。
「でもお陰で、大手を振ってこういった場所では歩き回れる。」
「お前、自分のしたことを分かっているのか?」
「私? 私が何かをしたかしら?」
そのとぼけたような態度に、俺の怒りのままに立ち上がってクロムの胸倉を掴んだ。
「この村で散々暴れやがったじゃねぇか!!」
「ああ、そのことね。そんなつまらないこと、忘れてくれたっていいじゃない。そんなことをした個体は死滅しているんだし。」
「そういう問題じゃねぇだろうが!!」
「止めてください、メイさん。」
ふとその時、エクレシアから制止するよう声が聞こえた。
「確かにあの非道を行った彼女は死んだのです。それは確かである以上、そこにいる彼女のにその責を問うことは出来ません。」
「エクレシア、お前はそれで良いのかよ!!」
「いいはずがないでしょう!! ですが、生と死を超えた人間を裁く法など、人間には無いのです。私だって、悔しい。」
両手を握り締めながら、エクレシアは憎憎しそうな表情でそう言った。
その表情を見ると、俺も思わず手をクロムから離していた。
「なるほど、師匠は胡散臭い女だって言ってたけど、確かにこれ以上無いくらい胡散臭い女だわ。」
すると、夜の暗がりからサイリスが現れた。
「あら、その腕・・・あのラミアの魔女の弟子ってあなただったの。
どうかしら? 一センチ四方の紙で鶴だって折れちゃうくらい精密な動きが出来るように作ってるんだけど。」
「おかげさまで、気持ち悪いくらいぴったりだわ。」
サイリスは夕方までは無かったはずの右腕を左手で抑えながら、不快そうな表情でそう言った。
「何の用でここに来た、用が済んだならさっさと出てけ。」
「ふっふっふ、私も嫌われたものね。
用は済んだといえば済んだし、済んでいないと言えば済んでいない。」
にやにやと笑いながらそんなことを言うクロム。
「どっちだよ。」
「用は済んだけど、やりたいことは残っているのよ。しばらく採取や素材集めをするからこの辺を拠点にして活動する予定なのよね。」
「冗談じゃない。」
「ええ、身内が面倒を起こしたんだもの。ただで居させてくれなんて厚顔無恥な真似はしないわよ。誠意は見せると言う形で、ここの領主にさっき言っておいたわ。
それなりの仕事を引き受けさせてもらうことになっているの。
私は魔族の領地を歩かせてもらっているんだから、それくらい当然でしょ?」
用意のいいことである。
文句を言われることなんて想定済みなのだろう。
彼女からすれば、旅の恥のかき捨てだっただろうに、クラウンたちからの反応からして人間が魔族の領域に踏み込むのは相当難しいらしいし。
きっとクロムでさえ予想外の事態を経てここへ居るのかもしれない。
「なんと魔術師らしい用意周到さ・・・。」
これにはエクレシアも呆れ顔だった。
「自分の要求を突きつけるときは地盤を固めてからって言うのは教会の常套手段じゃない。まあ、連中が何十人も動員してやっとなことも、私は一人で軽く出来ることだけど。
あんまり周囲との格が違うと言うのも考え物よねー。」
「浅ましい選民主義者の錬金術師が、よく言いますね。」
「黙れよ、浅ましいのはあんた達も同じでしょう? 薄汚れたグノーシス主義者どもが。どちらが神の力を騙っているのか自分たちの方がよく知っているくせに。
私がこの間知り合った聖職者の女も、それくらいは弁えていたわよ?」
多分俺はこの時、エクレシアが心の底からキレたのを表情から悟った。
それを必死に顔に出さないようにしているのが見て取れる。
「・・・・・こういう頭だけは良さそうな奴と口喧嘩はするもんじゃないぜ?」
「分かっていますよ!!」
何となくそんなことを言ってしまうと、必死に押し殺していただろう怒りがだいぶ出ていた。言ってから彼女もハッとなっていたが。
どうやらエクレシアとクロムの相性は最悪らしい。
「しかし、よくもまあ“代表”が許可を出したものだ。
一体全体、どんな裏技を使ったんだい?」
エクレシアなんてどうでも良さそうにクラウンがそう口を開いた。
「ちょっと知り合いに掛け合ってもらったのよ。持つべきものは古い友人だとは思わない? まさか冗談で頼んだら本当に許可が出るなんて驚きなのは私も同じだけど。」
「“代表”に口利きできる友人ねぇ、そいつは人間かい?」
「多分、悪魔だと思うわ。」
多分クラウンは皮肉でそう言ったんだろうけど、クロムは真顔でそう返答した。
「まあ、冗談よ。」
そう言ってクロムは笑ったが、こいつが言うと冗談に聞こえないし、多分冗談じゃないのかもしれない。
「それより、師匠に何の用があってここに来たのよ。まさかただ会いにきたって訳じゃないでしょう?」
そこでサイリスが睨むような視線を向けたまま、クロムに問うた。
「当然よ、この辺でしか手に入らない素材の在り処や、有りそうな場所を聞いていたのよ。その代償にその腕を作らされたわけだけど。
まあ、向こうは教える気なんて無かったんだろうから腕なんて要求してきたんだろうけど、そこはほら、私って天才だから。
ちょちょいのちょいで腕の一つや肉体の一つくらい、軽く造って見せたわけ。すごいでしょ?」
「・・・・すごいのか?」
「あなたは腕を作れって言われたらその場で作れるの?」
言われるまでも無いことだった。
少なくともサイリスが悔しそうにするくらいにはすごいことなんだろう。
と言うか、こいつ。さっきから無駄話が多い気がする。自意識が高いようだし、そこから来るお喋りなだけだろうけど。
「で、その天才様がこんなところで無駄話をするからには、ちゃんと理由があるんだろうな?」
「そうそう、話が早いわね。」
てっきり自慢話がしたいだけかと思ったら、ちゃんと理由は有ったらしい。
「暇なときでいいから、素材集めを手伝ってもらおうかと思って。
いやー、どうも私一人じゃ無理そうなところにあるのが多くて多くて。」
「どの面下げてそんなこといえるんだろうな・・・。」
「あれ? お断りする感じ?」
「当然だろうが、このボケ!!」
まさか断られるとは思っていなかったのか、クロムは本当に意外そうな表情をしていた。自意識過剰にも程があるわ。
「え? なんで? 私の英知の一旦に触れられるのよ? とっても嬉しいことじゃないの。この私に協力を要請されるなんて、一生に一度あるか無いかだと思うのに。」
俺は今、いったいどんな罵声を浴びせればこの女を追い返せるか必死に考えていたが、多分この女は俺のボキャブラリーの数倍をもってして言い返してくるだろう事は簡単に予想できるのが悲しい。
「この辺にしかないような素材を使って、一体何を作る気だい?」
「賢者の石。」
それはあっさりと、とても簡単にさらりとクロムはとんでもないことを言った。
「・・・・・・・・それこそ、冗談じゃないのか?」
「あら、アレの価値が分かるなんて、現代の人間にしては分かってるじゃないの。」
「日本じゃ錬金術はかなり有名だからな。」
主にアニメやゲームでの話だが。その中でも賢者の石は最高難易度に設定されていることから、多分現実でも無理ゲーなくらい難しいんだろう。
「とりあえず年内完成を目標にしているわ。どんなものかは大体頭に出来ているから、材料さえあればすぐにでも作成に取り掛かれるんだけど、いかせん現代じゃ手に入らないようなものばかり。
正直諦めていたんだけど、あのラミアに聞いた限りは不可能じゃ無さそうなのよ。」
「・・・・・・マジかよ。」
「どう? 協力する気になるでしょう?」
俺は思わずエクレシアの方を見てしまったが、彼女も碇を忘れるくらい驚いて俺の方を見ていた。
「確かに面白い話だけど、こっちにメリットがないじゃないか。」
「そう? 完成したらあげてもいいわよ、賢者の石。」
まるでプラモデルでも作ってやるみたいな言い方であった。
「それを本気で言っているなら、君は正気じゃないよ。」
「え、だって他人が作れる程度代物に何の意味があるのよ。
私はその更に発展したものを作りたいのよ。不老不死とか、尽きぬ黄金とか、そんなの今でも十分間に合っているのよ。私にとっては通過点に過ぎないわ。
それに、先人の教えは大事かもしれないけど、それにすがるだけってのはねぇ?」
多分こいつはすごいことを言っているんだろうけれど、こいつが言うとそのすごさも半減以下である。
「うーん、僕らにも目標があってね、君がそれに付き合ってくれるなら僕は手伝ってあげてもいいと思うな。」
「おい、良いのかクラウン?」
「そんな偉大な研究に関われるなら僕としては喜んで手伝ってあげても良いよ。だけどそれだけじゃないからこう言ったのさ。」
俺が言いたいのはそういうことじゃないわボケ。
「まさか、本気にしてたの? あの話。」
サイリスはとたんに呆れたような表情になった。
「本気も本気さ、あれなら生まれて初めて本気になれる気がするんだ。だから出来る限りのことはやってみたいと思うよ。」
「なになに? どんなはなし?」
「人間と魔族の共存さ。力でねじ伏せるよりずっと我々魔族が地上へ進出するには現実的だと思うけれど?」
「あははははは、そんなの無理に決まってるわ!!」
クロムは可笑しそうに笑ってそう言った。
確かに馬鹿馬鹿しい話だが、こいつにだけは笑われると非常にムカつくのは俺だけではないはずだ。
「でもまあ、面白い研究題材にはなるかもね。そういうの、嫌いじゃないわ、私。
・・・・・良いわ、契約は成立ということで。」
「おいおい、マジかよ。」
クラウンの奴が勝手に物事を決めるのはいつものことだが、今回ばかりは割りと承服しかねる。
「不満かい?」
「お前も節操無いとは思うが、俺はこいつを仲間にするのは反対だ。」
「同感です。」
うんうん、とエクレシアも俺の言葉に全面的に頷いている。
「あはははは、奴隷の君たちが僕に意見するなんていい度胸じゃないか。」
この瞬間、俺の胸の中に絶望が満ちたのは言うまでもない。
多分エクレシアも同じ気分だったに違いない。
「じゃ、そういうことで。・・・・奴隷って、ぷくく・・・。」
クロムは口元を押さえながら手をひらひらと振って去っていった。
「・・・・・あの女、いつか絶対泣かしてやる・・・。」
言ってから、なんか自分の小ささに悲しくなってきた俺であった。




