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魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
第五章 魔族戦乱
122/122

第九十七話 大山鳴動蝙蝠一匹

※お知らせ

黒赤軍団名簿禄は新シリーズ“赤錆の空”の方へと移させていただきました。

目次の一番上からいけますので、興味がある方はどうぞ。

彼らの魔界での生活も不定期更新予定です!!!







一方その頃、クラウン達は侵攻作戦を決行していた。


アリーチェ率いる“夜の眷属”を後方に加え、彼らはセテア城目掛けて進軍していた。



「クラウン様、前方から死者の軍勢が出現したようです!!」

「数を最初に言えよ。」

クラウンは伝令兵に億劫そうに応じた。


「はッ、失礼しました。

周囲の木々もあり、正確には不明ですが、少なくとも千は下らないかと。」

「そうかい、じゃあ全員に戦闘態勢を取らせるよう伝達。

不用意に突撃したりさせずに遠隔攻撃で数を減らすんだ。」

「ではそのように通達いたします。」

伝令の魔族を見送って、ふん、とクラウンは鼻を鳴らした。



「不機嫌そうですね。」

作戦に同行する夢魔の族長、アリーチェが彼が見かねてそう言った。


「ああ、そうだね、とっても面白くないからかな!!」

彼はこれでも抑えているつもりなのだろうが、ドレイク種は生来より声が大きい。

彼の護衛たる親衛隊の面々も、彼のあからさまに不機嫌な声色に肩を縮こませることしかできなかった。



クラウンが不機嫌なのはいくつも理由があった。

だが主な理由はふたつ。


一つ目は、ササカ達が居ないことだった。

彼も自分の父親のように人間の柔軟性と対応力には一目置いている。

ササカは自分の同士で、仮にも主力の一人なのだ。そして、アンデッドの専門家のエクレシアまで不在と来ている。

自分の実力でもアンデッド如きどうにでもなると彼は確信しているが、戦力というものはあればあるほどに良いのだ。

そして彼は、指揮官として当然なのかもしれないが、出し惜しみというものが嫌いだった。


基本的に魔族という種族は、攻撃こそ最大の防御という考えが根底に存在している。

兵を防衛に充てるくらいなら徹底的に敵を殲滅するのが手っ取り早いと考えるのである。


・・・単純に話し相手がいなくてつまらないというのもあったが、もちろん当人はそれに気づいていない。



二つ目の理由というのが、権能部の作戦不参加だった。

作戦決行前日になって、彼らのうち一人がやってきて、中央都市に戻るので作戦には参加できない旨を伝えてきたのだ。

理由を問えば、彼らが護衛していたハーレント子爵が一時撤退を決めたからだという。

それはつまり、戦力として積極的に使い倒してやろうとしていた二者の離脱を意味していた。


今回の作戦は、当然彼らを戦力として組み込まれていたので、配置の練り直しにクラウンは夜を徹した。

これで不機嫌になるなというほうがおかしいだろう。


だから誰もクラウンに声をかけられなかったし、冷静さを欠いている指揮官に何も言えないのである。

とは言え、彼は元々後方でおとなしく指揮などするつもりはなかった。


魔族にとって、前線で活躍する猛将と、後方で指揮する智将、どちらが鼓舞されるかは言うまでもない。

アリーチェの同行を許したのは、後方の管理を押し付けるつもりでいたからだ。



とは言え、わがままも言っていられない。

クラウンは“精霊の眼”で戦場全体を監視していると、突如として精霊たちに乱れが生じた。



「なんだ、何が起こった!?」

果てには地響きまで起こり、敵の攻撃かと混乱まで生まれる始末だった。

クラウンは舌打ちすると、大きく息を吸い込んだ。


その直後、彼の口から轟音が響き渡った。

予想外の事態に動転していた兵たちの心は、恐怖に凍りついた。


立ち向かうものの勇気を挫く、ドラゴンの咆哮だった。



「お前たち、役に立たないなら消し飛ばすけどどうする?」

クラウンの冷酷な宣言に、恐怖に駆り立てられた兵たちは死に物狂いで敵に突撃していく。


これは多少の犠牲は覚悟のうちかな、なんて考えながらクラウンは空を仰ぎ見る。



上空には、あの毒々しいまでの霧が嘘のようにスウーッと消えてなくなろうとしていたのだった。






・・・・

・・・・・

・・・・・・




「霧が晴れたぞッ、爺さん!!」

「それぐらい、ここからでもわかるわ。」

水を得た魚のようにはしゃぎ駆け込んできたドラッヘンに、フリューゲンは頭を押さえた。

もう少し落ち着きを持てないのか、と若い頃の自分を棚に上げてそう考えていると、彼は見知った気配に眉を顰めた。



「今すぐ全騎出撃だッ、いいな!!」

一応、今作戦における大将を務めるフリューゲンに許可を求めるあたり、彼も彼で冷静だったのかもしれないが、逸る気持ちを隠そうともしない。


「まあ待て、若。向こうの状況の確認が取れぬうちにうかつに動いては・・・。」

「随分と消極的な判断だな。

若さが取り柄だったかつての貴様とは違うということか。」

ドラッヘンを諌める言葉に被せたのは、フリューゲンもよく知る人物だった。

というより、その男を知らぬ魔族など居ないだろう。


入口から堂々と侵入してくるその偉丈夫に、拠点内で作業していた魔族だけでなく、ドラッヘンまでも硬直した。




「優秀な部下を寄越しておいて、今度は御自らやってくるとはな。『マスターロード』。」

「状況は常々変化しているということだ、我が宿敵よ。」

そう、『マスターロード』。

中立を貫いているはずの彼が、なんと第五層に直々にやってきていたのだ。


「いったいいかなる用向きかな?」

あまりにも突然の来訪に、判断材料が少なすぎてフリューゲンもその意図が想像できなかった。



「まさか、自身が手塩にかけて育てた部下たちが信用ならないわけではないだろう?」

「違うな、我が最高の部下を遣わしても釣り合わない事態になったのだ。」

「なに?」

『マスターロード』の表情は硬かった。

いつもは傲慢が服を着ているような男だが、今日は心なしか肩身が狭そうであった。


一生分の付き合いがあるフリューゲンですら、彼のこのような姿は一度も見たことはなかったのだ。

だが、彼の背後を見ればその理由も知れよう。


天幕の外には、ハーレント伯爵以下十数名の吸血鬼。

そのどれもが騎士に叙された強力な魔族ばかりだ。


そして、一際目を引く美貌が一人。



「騎士『マスターロード」。配慮はありがたいのですが、こちらも一刻を争う事態。

当方も長居をするつもりもございません。これ以上ご迷惑をかけるつもりもございませんから。」

その鮮やかな美声に、『マスターロード』は振り返った。


「しかし、筋を通す必要があるのです。

現在、我々の状況はご説明した通りなのです。

我々は今とてもデリケートな時期なのですよ。」

彼がこうも低姿勢で説明する相手は、姿形は人間そのものだった。


だがその威圧感、神々しいまでの美貌、どれをとっても『マスターロード』に引けを取らない。

彼女こそ、“ノーブルブラッド”の首領。

伯爵位を持つ、最強の吸血鬼に他ならなかった。



「そのデリケートの時期にするのが、戦争ですか?」

血色の瞳は、どこか冷めたような視線で『マスターロード』を見ていた。


「我々はそれ以外に方法を知りませぬ。」

「そうですか。ですが私には話し合いを意図的に排除しているようにしか思えません。

同じ苦難を背負った者同士、理解しあえるのではないのですか。」

「何も知らぬよそ者が何をほざく。」

「・・・・・。」

「失礼、伯爵殿。一介の騎士風情が過ぎた口を叩きました。」

両者の間は何物にも立ち入れぬ極寒の空間があった。



「筋を通すというのなら答えてくれ、『マスターロード』。

他人に戦いに口を出す理由とやらをな。」

あまりにも険悪な雰囲気なので、思わずフリューゲンが口を出した。

リリス伯爵と対峙していた『マスターロード』は彼に向き直った。


「以前、貴様には語ったことがあるはずだが。」

「・・・・・まさか、来ておられるのか!?」

眼を見開き驚愕するフリューゲンに、『マスターロード』は無言で頷いた。



「爺さん、どういうことなんだ?」

疑問をはさむドラッヘンの声も聞こえていないのか、フリューゲンは視線を『マスターロード』に向けたままリリスの方に向き直って問いかける。


「して、我々にいかなる用向きか。

まさか本当に筋を通しに顔を出す貴殿ではあるまい。」

「然り、ことは非常にデリケートなのだ。」

勝手に話を進める面々に、ドラッヘンは面白くなさそうに腕を組んだ。


「なんつう異様な集団だ。」

ハーレント子爵及び吸血鬼十数人に、付き人らしき棺桶を抱えた少年。

その周囲を権能部五人が固めている。

更に『マスターロード』とリリス伯爵が居るのだ。

こいつらと相対すると知っただけで、そいつの心臓は止まることだろう。




「つまり、足を貸せということか?」

「この森の中を進むには、いかに身体能力が高かろうとも空を進むより勝ることはないはずだ。」

「当然だな。」

あの光さえ遮る深い森は、案内するものがいなければ進むことすら難しいだろう。


「それにしても、吸血鬼一匹を狩るのにこの大物取り。

大山鳴動鼠一匹に終わらることはないだろうか?」

「我々は、あの『黒き赤文字の悪魔』に最大限の警戒を持って相対すると決めています。

彼らが味方に付いた以上、我々も本気にならなくてはなりません。」

フリューゲンの懸念に、リリス伯爵は語気を強めてそう答えた。

まるで親の仇でも眼に浮かべているかのようだった。


そこでふと、フリューゲンは思い出す。

リリス伯爵は、かの流血公の娘である。

かの『悪魔』は言っていたではないか、あの吸血鬼を殺したのだと。


まさしく彼女にとって、親の仇なのだろう。あの『悪魔』は。

つまり、首領自らの参戦はかたき討ちも含まれるということだ。

そこまで考えて、フリューゲンはようやく好意的な返事をできた。



「なるほど、ならば何も申しませぬ。

若、出立の準備をするぞ。」

まさか自分の想像がまるっきり外れているなんて思いもせず、不機嫌そうに腕を組むドラッヘンに声をかける。


「・・・了解だ、爺さん。」

「若、済まない。今回はこの老いぼれの顔を立てて頂きたく存じます。」

「爺さん・・?」

ドラッヘンは彼の態度に驚いた。

いつまでも自分を若造呼ばわりして一度たりとも敬意を払ったことがないフリューゲンが、頭を下げたのか。



「もういい、状況はよく呑み込めないが、それだけ大事だってことだろう。

爺さんがそこまでいうのなら、俺は死地にだって余裕で赴ける。」

気をよくしたドラッヘンは、そのまま部下たちに号令をかけて、飛竜を集めさせた。


その最中、彼はリリス伯爵にずっと視線を向けられ、居心地が悪そうにしていた。




・・・・

・・・・・

・・・・・・




「了解。伯爵、ターゲットの魔力波を見つけたそうです。」

あの毒々しい霧が消え去った今、ワイバーンを駆るリンドドレイクたちを阻む者たちなど居なかった。

吸血鬼たちを乗せたワイバーンたちは、一時間も掛からず目標を補足した。


「わかりました、我々はその付近に降下します。

これは我々の戦いですので、助力は不要です。」

「わかりました、我々は友軍が救出に向かった村へと向かいますので何かあればそちらに。」

フリューゲンの声を聞き届けると、リリス伯爵たちは深い森の中に飛び降りていった。



「各員、警戒を厳に。周囲からの攻撃に細心の注意を。」

地上に降り立ったリリスたちは、即座に行動に移した。


彼らは何百年と吸血鬼狩りを行ってきた精鋭である。

その経験と五感は、補足した吸血鬼を尽く狩りつくしてきた。



「伯爵、対象を発見しました・・・・ですが。」

いち早く見つけたのは、魔術による探査をしていたハーレント子爵だった。


「どうかしましたか?」

「それが・・・。」

ハーレントが結果を報告すると、百戦錬磨のリリスも眉を顰めた。



「まずは、真偽を確かめましょう。」

程なくして、彼らはターゲットの吸血鬼を発見した。


血塗れのバスタブに浮かぶ吸血鬼の死体と、その中に浮かぶ頭部を。



「どういうことですの・・?」

彼女たちは、凶悪な吸血鬼であるエリザベートを追ってきたのだ。

しかし、その当人の死体が目の前に置かれている。


こんな状況は、何百年と吸血鬼と戦ってきて初めてだった。



「生体反応はありません、完全に死亡しています。」

ハーレントがそう告げる。

それは復活する可能性すら無いことを意味していた。


ではいったい、だれが彼女を殺したのか?





「あれ、殺しちゃまずかったか?」

その答えを知る者は、真上からやってきた。


一瞬の出来事だった。

ブオン、と風が吹き荒れたと思うと、声がした方にあった巨木が崩れ落ちたのだ。



「うお、さすが吸血鬼の親玉・・実力は噂通りってわけか。」

「何者ですか?」

彼女は魔剣の切っ先を、地面に降りてきた相手に突き付けて問うた。



「俺はグリース、『悪魔』の旦那に雇われているもんだ。」

グリースと名乗った男の言葉に、周囲の吸血鬼たちの殺気は一段階跳ね上がった。


「おいおい、なんだよ、俺はお前たちにメッセージを伝えろって言われただけだぞ。なんで何もしていないのに殺されそうなるんだ?」

「彼女を殺したのはあなたですか?」

「ん? ああ、まずかったか?」

あっさりと肯定するグリースに、周囲も困惑が隠せない様子だった。


「あなたたちは彼女と組んでいたのではないのですか?」

「あ? そいつは初耳だな。俺たちはこんな薄汚い吸血鬼なんかと組んじゃいないぜ。

敵の敵は味方とは限らないが、味方の味方が味方とは限らないってことだ。

俺たちはあくまでもこの先の城主の味方をしただけであって、そいつらが抱えていた仲間と俺たちを同じにみられちゃ困るぜ。

現に、あんまりにもムカつくんでぶっ殺しちまったぜ。」

そう言って、彼は血糊の付いた黒塗りの魔剣を示した。


吸血鬼の彼らにはわかった。

その血糊と、死体から流れる血が同一のものであると。


間違いなく、今回の目標を殺したのはこの男だった。



「特に、死霊魔術師は嫌いでね。

一目見た時からぶっ殺したかったんだ。いやぁ、すっきりしたぜ。」

けらけら、とグリースは笑う。


リリスは切っ先を微塵も動かさず、バスタブの中の頭部を盗み見る。

死ぬ直前まで、殺されたと気づかなかったというような表情だった。



「つーかさ、そろそろ俺も旦那からの伝言を伝えていいか?」

リリスは、目線にハーレント子爵に向けた。

この状況でも落ち着きを払っている彼は、頷いた。


グリースは、懐から折りたたまれた紙片を取り出し、読み上げた。



「えーと、『まんまと罠に嵌った皆さんへ。

やあリリス、僕の撒いた餌にまんまと引っかかってくれたね。

今そこで骸を晒していると思う吸血鬼は、君らが長年追っかけていた吸血鬼じゃないんだよねー、これが。

そもそも吸血鬼というのは、本当に当人かどうかは関係なく現象として存在している。

ドラキュラ伯爵が本物とは別に存在しているようにね。

逆に、吸血鬼を別の吸血鬼であると錯覚させる方法を、僕は知ってるんだよねー。

君たちは、僕に誘い出されたというわけだ。

とは言え、僕は君たちに何かしたいわけじゃない。リリス、君に会ってほしい人がいるからだ。

そう、その相手というのが、この先に住む城主、かの『原生』の吸血鬼である彼女だ。

こんな回りくどい手を使わないと君は引っ張り出せないから、少しばかり苦労したよ。

僕らは今回の一軒をこれで手を引くつもりだ。

だから君たちがこのまま背中を見せて逃げ帰ったとしても、別に僕はちっとも怒らないし、臆病者と笑ったりもしないよ。

遣いの者を送るので、会うのならば彼女に付いて行ってね。

それじゃ、バイバイ。また会えたら遊ぼうね。『黒き赤文字の悪魔』より。』」

グリースが、伝言を読み終えるのと同時に、ハーレントは恐る恐るリリスを盗み見た。


グリースに突き付けた魔剣の切っ先が隠しきれないほど揺れていた。

端的に言えば、激怒していた。



「それを見せてもらっても構いませんか?」

「おう、どうぞ。」

務めて冷静でいようとするリリスは、ほとんど奪い取る形でグリースから伝言の紙片を奪い取った。


ハーレントも後ろから内容を確かめるが、一語一句グリースが読み上げたものと同じだった。



「んじゃ、俺はこれで。俺はこれからひと暴れする予定なんで、お暇させてもらうぜ。」

「あなたが遣いではないのですか?」

「え、だってそこに彼女って書いてあるだろ?

俺は違うぜ。俺はそいつを届けたら好きにしていいって言われてんだ。」

「待て!!」

ハーレントは、敵の部下を見過ごすつもりはなかった。


だが、次の瞬間には転移魔術が発動し、グリースの姿は跡形もなく消え去っていた。




「・・・伯爵、誘いに乗りますか?」

ハーレント子爵が強張った表情のまま問う。

しかし彼は、この後に彼女がどのような結論を下すか予想が付いていた。


「勿論、行きますよ。我々をコケにされて引き下がれないでしょう。」

そして、ハーレント子爵のほぼ予想通りの答えが返ってきた。


彼は思わず頭を抱えたくなった。

己が吸血鬼となり、吸血鬼の研究を続けて九百年。

吸血鬼に関しては第一人者の自負があり、いくつもの論文をこの業界に認めさせた実績がある。


その中で最もたる研究が、吸血鬼の弱点の克服である。

日光に弱い、十字架に弱い、川が渡れない、等々の弱点を穴埋めし、生命の究極を目指した。

その集大成が己であり、目の前のリリスであった。


正面から彼女を殺しきる方法は、例外を除けば皆無だろう。

不老不滅に不死、どこぞの漫画のような究極の生命体の如き完全さを誇っていても、しかしどうしても取り除けない欠点があった。


それが吸血鬼が吸血鬼であるが故の、プライドの高さである。

とは言えそれは個人差がある。ハーレント自身、利益の為に平気で頭を下げられる人種だ。

だがほかの多くの同胞は、それをしないだろう。


それは強大な種族ゆえの傲慢なのか、はたまた性格の問題なのか、ハーレントは彼女のそういった不安定さを矯正できずにもうすぐ千年になろうとしていた。



何の成果も得られずにこのまま帰れないというのもあるだろう。

しかし、あれだけ挑発され、尻尾を巻いて背中を見せるというのを彼女はどうしても我慢できないのだ。


彼女は基本的に正義の人だが、性格にそこそこ問題を抱えている。

それだけが完璧な彼女を完璧足らしめない要因でもあった。



どうしたものかと考えを巡らせていると、周囲に薄い霧が立ち込める。

その霧は徐々に密度を増すように一か所に集まり、やがて一人の人影を映した。


霧を介して、転移し現れる前兆だった。




「ごきげんよう、“ノーブルブラッド”の皆様方。」

現れたのは、喪服のような黒いドレスの女だった。

リリスのように美しく長い金髪ではなく、よく見るセミロングの栗毛であり、長身の彼女とは違って小柄。


「ワタクシはッ!?」

そして、こけた。

転移した場所が若干地面より離れていて、足場がなく慌てたら体勢を崩すという転移あるあるをしでかした。

誰しも一度は経験するものであり、覚えがある同胞たちの顔に苦いものが浮かんだ。



「ご、ごほんん!! ワタクシは偉大なる我が主の命によって遣わされた従者が一人。

ヴァンパイアの真祖の末席を汚させていただいております、チェリーと申しますわ。」

彼女は慌てて立ち上がり取り繕うと、胸を張ってそのように名乗った。



「吸血鬼・・・。」

みしみし、とリリスが歯噛みする音が聞こえてくる。


よりにもよって、遣いに寄越したのが吸血鬼であった。

それは吸血鬼狩りを生業とする彼らにとって、これ以上ない嫌がらせであった。



「失礼ですが、貴女がリリス様ですか?」

リリスだけでなく周囲の同胞までもが惜しみない殺気を送る中で、チェリーと名乗った吸血鬼は確認するようにそう言った。


なぜだろうか、ハーレントは小さな違和感を彼女から覚えた。

彼女は間違いなく吸血鬼だ。だがそう思うと何か違う気がした。

それを言葉にするのは難しかった。明確に言葉にできない感覚だったからだ。




「ええ、そうです。私がリリスです。」

リリスは魔剣を握る力を込める。

いつでも目の前の吸血鬼を斬り捨てられるように、油断なく彼女を見据えた。


「まあ、やはり貴女がそうでしたのね。」

すると、彼女は無防備にリリスに近づいてきた。

警戒心の欠片もなく間合いに踏み込んでくるその姿に、リリスは一瞬いつか助けた村の子供の姿が脳裏に浮かび、斬るのを躊躇ってしまった。


そうしてリリスの寸前までやってくると、チェリーは予想外の行動に出た。




「わ、ワタクシ、貴女のお父様のファンなんですの!!

もしよろしければ、さ、サインを頂けないかしら!!」

すっと、一冊の本とペンを差し出したのである。


その言動を含めて、誰の理解も及ばなかったのは言うまでもない。

ハーレントも、彼女の言葉の意味を咀嚼するのに、深読みや比喩を疑い十秒近く時間を要した。



「・・・・・裏側でいいですか?」

「ええ!! よろしくお願いいたします。」

リリスは律儀にも本とペンを受け取ると、堅苦しい筆記で自分の名前を書いた、


「一生の宝物ですわ。家宝にいたします。」

リリスのサインを受け取ったチェリーは、狂喜乱舞して大事そうにサイン入りの本を抱きしめた。



「あ、あの、もしよろしければ、ですが・・・。」

呆気に取られる周囲など気にせず、チェリーは急にもじもじとし始めた。



「今度はなんでしょうか・・。」

「さ、差支えなければ、ですが・・・・お、お、お姉さまと呼んでもよろしいでしょうか!!」

満面の笑顔だった。

これ以上ないほど満面の笑みだった。



「か、構いませんが・・・。」

部下たちに慕われ、そのように呼ばれることなど慣れているからか、それともどう答えればいいかわからないからなのか、リリスは緩慢に頷いた。


「じゃ、じゃあ・・・。」

チェリーは頬を赤らめていう。

今度はなんだ、と呆れだした周囲の面々も思ったことだろう。


チェリーは脱力して空いていたリリスの片手を手に取ると、うるんだ目で彼女に訴える。




「血を頂いてもよろしいでしょうか?」

その瞬間、リリスは我に返った。

チェリーの手を振り払うと、返す手でチェリーを振り払ったのだ。


華奢なチェリーの体はそれだけでくの字に折れ曲がる。それは同時にリリスの並外れた怪力を示していた。

弾き飛ばされた彼女の体は減速しないまま巨木に叩きつけられた。



「本性を現したか、おぞましい吸血鬼・・・。」

地面に倒れ、身じろぎもしないチェリーにリリスはつかつかと詰め寄る。

吸血鬼でありながらその性を嫌悪する彼女は、吸血鬼殺しの魔剣を振り上げた。


「そうやって、いったい何人の血をすすってきた。」

怒りと、憎悪が宿る瞳は、魔剣を握る手をきつくする。



「な・・にを、おっしゃって、いますの・・・?」

「そうやって無害を装い、何も知らない人たちから血を吸い尽くして来たのでしょう。

そうやって浅ましく、おぞましく、生きてきたのでしょう?」

冷たい視線で、リリスはチェリーを見下ろす。


その時、ハーレントはえも言えぬ感覚に襲われた。

それは彼が九百年に及ぶ魔術師人生から培われた魔術的感覚、つまりは第六感が告げたのだ。


彼女を殺してはいけない、と。



なぜ、そのような感覚に襲われたのか、ハーレントは理解できなかった。

吸血鬼の上位種としての魔力抵抗、幾重の防護魔術、ハーレントにそのような感覚を植え付けることなど不可能に近い。

魅了を得意とする吸血鬼が、魅了に弱いなどと笑い話ではないからだ。


彼の感覚に答えを出したのは、この場で誰よりも経験を積んだ歴戦の同胞たちでも、一番長くリリスに付き従ってきた彼自身でもなかった。




「リリス様!!!」

その声は、“ノーブルブラッド”の末席に名を連ねる、一番若い同胞にしてリリスの側付きである少年だった。



「ダメです、リリス様!!」

なんと彼は、今にも斬り殺そうと魔剣を振り上げたリリスの前に立ちはだかり、両手を広げてチェリーを庇ったのだ。


「ビーン!? どうして!?」

リリスが困惑するのも無理はない。

その少年はリリスが特に目を掛けているお気に入りである。

人命救助以外で吸血鬼化を絶対にしないリリスが、唯一衝動的に一目惚れして眷属にしてしまった初めての相手だった。



「ビーン・・・どうして、どうしてそいつを庇うの・・。」

彼に立ちはだかれたリリスの衝撃はいかほどのものだっただろうか。


「リリス様、彼女はおそらく。」

ビーン少年は、リリスが魔剣を下したのを見て取ると、真剣な表情でこう言った。



「人を殺したことがないと思います。」

ビーン少年の言葉で、ハーレントの違和感が氷解した。


そう、あまりにも、彼女からはあまりにも血の気配が無かったのだ。

血の匂いではない。それは業のようなものであるのと同時に、吸血鬼にしかわからない吸血鬼同士の共通認識のようなものだ。

それを人間の感覚で説明するのは難しい。


例えるなら、あの人は今日カレーの匂いがするからカレーを食べたな、という感覚だ。

多くを殺し、殺戮の限りを尽くした吸血鬼はその気配が常人にもわかるほど濃密になる。

一般的には、寒気や恐ろしさとなって知覚できる。


詰まるところ、吸血鬼はお互いを吸血鬼と認識できるのである。

これは当然の機能で、お互いに共食いをしないための生物としての本能だ。



チェリーはそれが、希薄だった。

希薄といっても分かりにくいという意味ではない、彼女のような吸血鬼の前例など見たことないからわからなかったのだ。



「人を殺したことがない・・? 

そんな馬鹿な、そんな吸血鬼が、居るわけが・・。」

「・・・十一人。」

ゆらり、とチェリーは立ち上がった。

リリスは即座にビーン少年を背後に移した。


「お父様、お母様、弟、お爺様、従姉妹、友達、恋人、自分、我が主、仲間の一人、赤錆さん。

ワタクシが今まで血を頂いた人たちですわ。」

殴られた痛みは大分引いてきたのか、腹部を押さえながらもチェリーは言う。


「知らない人の血なんて、触れたことすらありません。

知らない人の血なんて、気持ち悪いですもの。」

そこで、彼女は唇を切っていたことに気付いたのか、指でそれを掬うとうっとりとした表情でそれを眺めると、艶めかしくそれを舐めとった。



「ワタクシ、チェリーが好きなんですの。

ああ、さくらんぼのことですわよ? 好きすぎて呆れられるくらい。だから主もワタクシのことをチェリーと呼ぶようになったくらい。

血は好きですけど、チェリーとどちらかを選べかといわれますと、間違いなくチェリーを選ぶでしょう。」

それは、彼らの常識ではありえない、血を絶対に必要としない吸血鬼だった。


リリスでさえ、定期的に血を摂取しないと弱体化は免れない。

そんな吸血鬼の存在を、ハーレントは瞬く間に理解した。


「第三種・・・自然発生でもなく、既存の吸血鬼の眷属となったわけでもない、起源を別とする第三の吸血鬼・・。」

そして同時にそれを立証する仮説まで頭に浮かんだ。

そのような吸血鬼、ありえないわけではないのだと。



「あのぉ、先ほどからワタクシのことを吸血鬼と仰いますが、できればワタクシのことはヴァンパイアと称してくださいまし。

ええ、細かいニュアンスの違いだと仰りたいのはわかりますが、その言い方だとワタクシ東洋の化け物みたいじゃありませんか。

ワタクシはあくまで、優雅で気品溢れるヴァンパイアなのですから。」

共通認識の魔術は、意思疎通の際に微妙にお互いの認識によって食い違いが起こる。

彼女はそれすらも嫌って訂正をしてきた。



「まさかあなた、武器も握ったこともない・・・?」

吸血鬼は見た目にそぐわぬ怪力を備えていることが多いが、彼女が幾ら華奢でも、武器を扱うのならそれ相応の筋肉の付き方がある。

彼女にはそれが一切ないのだ。修羅場をくぐった気配すらも



「ワタクシ、主と契約する際は絶対に荒事に巻き込まないでほしいとお願いいたくらいですわ。

それに我が主が仰っていたのですが、最近のヴァンパイアはとにかく武闘派が多いのだとか。

何故にヴァンパイアが強く勇ましい存在でなければならないのでしょう。

ワタクシの愛読する本に登場するヴァンパイアは知的で耽美な方々ばかりだというのに。」

仮に、吸血鬼を温室で培養すれば、彼女のような吸血鬼が生まれるのだろうか。



「ワタクシ、誤解が解けてうれしく思います。

勘違いで争いになるなんて、とても悲しいことですもの。」

こちらが何も言わなくなったことから、彼女はそう判断したのだろう。

『悪魔』の従者だからと言って、必ずしも戦いに秀でているわけではなかったのだ。



だとすれば、もし先ほど彼女を殺してしまったら・・・・ハーレントは嫌な想像を振り払った。

仮に殺してしまっても、彼女は間違いなく吸血鬼だ。

しかし、自分たちの大義は揺らいだかもしれない。


自分たちはいつも弱者の為に戦い続けてきた。

吸血鬼の脅威から、理不尽な争いから。


自分たちは、危うくそちら側になり掛けたのだ。





「さぁ、リリスお姉さま、共に参りましょう。

セテア城にて、貴女の来訪を待っておられる方が居りますゆえに。

できれば道中、貴女のお父様についてお聞かせくださると嬉しいですわ。」

チェリーは無邪気な笑みを浮かべてそういった。


あの『黒き赤文字の悪魔』は、我々に最悪の刺客を送り込んできたのだと、今になって悟った。


我々が、絶対に殺すことができない吸血鬼を!!







毎度毎度超展開ですまない。

エリザベート、あれ張ったりだったんだ。

そして以前から名前ばかりは出てたとは言え新たに登場人物増やしてすまない。

ドラッヘン達が活躍を待ってた人たちすまない、彼らの活躍は次章からなんだ。

この小説は戦記物ではないので、冒頭のように大規模戦闘は細かく描写されないのであしからず。だって奇策とか思い浮かばんもん。

そういうわけで、書きたいこと大体書き終わったのでこの章も一気に折りたたまります。この章長かったなぁ・・。

そういうわけで、また次回、ではまた。


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