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魔族の掟  作者: ベイカーベイカー
第五章 魔族戦乱
121/122

第九十六話 ダークメシア

夜の帳は等しく誰にでも訪れる。

それはいかような境遇、立場の人間であっても同じことだ。


そして焚き火を間にして対面し、座って夜営をしているこの二人にも等しく夜の闇は訪れた。

焚き火が無ければ夜の闇は今にも二人を押し潰してしまいそうなほど、真っ暗な夜だった。



月明かりはか細く頼りにならず、時折魔物の遠吠えすら聞こえる。

風が吹くたびに炎がバチバチと揺れ、何かを責め立てるように伸縮を繰り返している。


「ねぇ、何で僕を助けたの?」

そう問うのは、みすぼらしい少年だった。

泥にまみれた襤褸切れを纏う姿は、貧民街の道端で物乞いをしている光景が誰の眼に浮かぶだろう。


黒く、禍々しい短剣を両手で硬く握り締めてさえいなければ。




「我が信念、我が騎士道に反するからだ。」

そう答えたのは、こんな時にも甲冑を外さず、一部の隙も見せない騎士だった。


ちぐはぐな二人組みだった。

誰が見ても両者の関係を察することは難しいだろう。



そんな二人は、昼間に大立ち回りをして逃避行の真っ最中だった。


流浪の騎士である彼は、昼間街中で人が集まっているのを見れば、それはなんと年端も行かない子供の処刑だと言うのだ。

その処刑を取り仕切っていた司祭曰く、この子供は生まれながらの悪魔であるとのことだ。


そしてどうやったらそんなことが出来るのだろう悪行の数々を並べると、だから処刑するのだと、大いに住民を煽り、少年を処断しようとした。



教会が絶大な力を持つ昨今、彼らが黒といえば白だろうが黒になる。


しかしこんな子供まで、生まれながらの悪魔だと言って処刑するというのならば、それこそ誰でも処刑する口実を作れてしまうのだ。


そんな馬鹿な話があるものか、と彼は思った。

かつて仕官した国で上司の不正を見咎め、その報復で地位を失い流浪の旅を続けている彼はそんな蛮行を断じて赦せなかった。


そして何より、一体いかなる理由があれば子供を殺す理由となるのか。

悪魔ならば子供でも殺していいのか。


連中は自分たちが常日頃説いている教えと矛盾していることを行っていることを、わかっているのだろうか。



だから彼は目の前の少年を助け出し、その足で逃亡を図った。

短絡的だと思ったが、後悔はしていなかった。



「本気でそう言っているの?」

少年の疑問には、無学で浅ましい物乞いらしさは無かった。

まるで百戦錬磨の文官のような知性を湛えた瞳は、なるほど確かに悪魔の子というのもあながち間違いでもないのかもしれない。


少年は言わずとも語っている。

二度と誰も信じないし、二度と誰にも騙されない、と。


それが例え無私の行いで自らの命を救った相手でもだ。



「私は理想の騎士でありたいだけなのだよ。

そして理想の騎士とは、現実ではありえない矛盾を孕んだものなのだ。」

騎士に求められるのは、まずに忠誠、そして武力である。

主君の命令に忠実に実行する優秀な軍人であること。

これが現実にある理想の騎士。


強く逞しく義理堅い、優しく勇猛で不正を許さない。

騎士道を体現したような、騎士の鏡と言える存在。

これが絵物語での幻想の上の理想の騎士。


彼は無謀にも、その両者であろうとした。

その結果、職を失い、明日にはお尋ね者になるだろう身の上だ。



「正しいだけの人間はね、必ず裏切られるんだよ。」

「だろうな。

そして正しさとは常に、後ろめたさを抱えた人間の心を逆なでするものだ。」

理想を体現するということは、理想以外の全てを斬り捨てることだ。

でなければ、理想は矛盾となって瞬く間に瓦解する。


そしてそれは、人間の生き方ではないのだ。



「お前はこれからどうするつもりだ。

言っておくが、私はお前を養うつもりは無い。」

「・・・・。」

「安全な場所まで送りはするが、それまでだ。

私は次なる弱者の為に、戦わねばなるまい。」

聞き様によっては無責任な物言いだったが、彼の掲げる騎士道において、それは全く非道でもなんでもない。


例えば魔獣が村のひとつを蹂躙し、田畑や家屋を悉く破壊尽くしたとしよう。

そこに駆けつけた英雄が魔獣を倒し、村に平和が訪れたとして、村人たちは果たして明日をどうやって生きよう?

それらを保障し、守るのが領主の役目であり、また彼らを助けた英雄の責任ではない。


彼が守るのは目の前の危機とその人命だけであり、守りきれなかった財産の保障など考慮の外だった。



だから彼は、後日少年がのたれ死にしようと構わず置いていくだろう。

彼が掲げるのは騎士道であって、人道ではないのだから。


それが、彼の歪さだった。



「誰かに仕える気は無いの?」

そして少年は、彼の歪みを射抜くように見抜いた。

だから思った。こいつは、利用できるかもしれない、と。



「騎士は生き様じゃないよね、立場のはずだ。

今の君は、ただの夢想家に過ぎない。」

それくらい、分かっているのだろう。

彼は、皮肉げに笑った。



「果たして、私が仕えるに値する主君は居るのだろか。」

彼にもわかっているのだ。

彼の理想と現実を同時に体現する主君など、居るはずがないことなど。


だからこうして流浪の旅をしながら、弱者を助けている。

たいてい流浪の旅をする騎士の物語は、本物の騎士として叙された者たちばかりだというのに。


それが彼の現実だった。

他人から見れば、彼は無様な狂人に過ぎないのだ。




「だったらさ、僕がなってあげようか?」

少年は立ち上がり、胸を張ってそう言った。


「僕がお前の理想の主人になってやるよ。」

それは誰がどう聞いても、子供の戯言に過ぎなかっただろう。

幾ら少年が聡明であっても、こんなみすぼらしい子供に剣を捧げる人間などどこに居ようか。


だが、その時、一陣の風が吹いて焚き火の炎を揺らした。

一瞬、彼の背後に有った木の幹に彼の影が大きく映し出された。


それは、眼の錯覚だったのかもしれない。

その影は異形の姿を取り、紅い瞳で彼を見下ろしたように見えたのだ。




「・・・・なるほど。」

一瞬呆けた騎士だったが、どこかストンと納得できた。

彼の主人となれる人など居ない。だが、悪魔ならばどうだろうか。


彼を苛む理想と現実の壁など、打ち破れるのではないだろうか?



「いいだろう、もしお前が私の主人となるというのならば、以下のことを守って頂こう。」

「何でも言っていいよ。」

「では、ひとつ、非道で卑怯な振る舞いをしないこと。

ひとつ、弱者を助け、強きを挫く事。

ひとつ、横暴や不正を許さないこと。

ひとつ、むやみに命を奪わぬこと。

ひとつ、名誉を重んじ、己を貫き通すこと。

ひとつ、誇りを伴い、行動を決すること。

ひとつ、部下の諫言を聴き入れる器量を持つこと。

ひとつ、誓いは必ず守ること。」

「お、多いね・・。」

彼を上手く利用しようと考えた少年は、己の稚拙さを露呈しながらも頷いた。

そんなものはその場しのぎでも良かったからだ。


そして己の理想を語る騎士も、言いながら自嘲気味に笑っていた。

主人に自らの理想を押し付けるなど、それはもはや騎士ではないからだ。



「そして最後にもうひとつ。

―――誇りの為に、決して命を投げ出さないこと。

以上を守ることが出来れば、私はいかなる主命にも左右されず、一遍も迷い無く永劫に忠実な騎士であり続けるだろう。」

「うん、わかった。誓うよ。」

少年は、笑みを浮かべてそう言った。



「ならばたった今から貴殿は我が主だ。」

騎士はそう言って恭しく傅いた。


実のところ、彼に少年の魂胆など分かっていたのだ。

彼も少年を見捨てたいわけではない。

故に口実が欲しかったのだ。



彼はどうしようもないほど堅物で、どうしようもないほど不器用だった。

いずれ時が来て、その時に解任されればいいと思ったのだ。

それこそ流浪の旅をする自分にふさわしいのだと。



「うん、今日から君は僕の騎士だ。」

そう言って、少年は彼の肩に己の手にしていた魔剣の刃を置いた。


この禍々しい短剣は、彼の魂の半身にして彼が処刑される所以となった魔剣であった。

誓約剣『スウェアオブデッド』。


お互いの魂を縛り付ける、不滅の誓約を刻む魔剣だ。

かなり下位の魔剣だが、用途が限定されている為、それに限れば強力な効力を発揮する。

それこそ、死しても解けること無いほどの。


それを使って日々の糧を得て食いつないでいた少年は教会に目を付けられ、その力を教会の為に使うことを強いられるのを拒否したところを処刑されそうになったのだ。




「最初の命令を、我が主。」

「うん、じゃあね。」

少年は最初の命令を下した。


「あの追っ手を何とかして欲しいかな。」

闇の奥深く、教会の追っ手の松明を指差し彼は言った。



「了解した、我が主よ。

我が魂の写し身たる魔剣に誓って、その命令を完遂させよう。」




ひとつ、少年の誤算をあげるとすれば。

彼の持つ誓約剣は相手だけでなく自分にまで大きく影響を及ぼすということを全く考慮に入れていなかったことだった。

彼は聡明で頭も良かったが、結局は世の中を知らない子供に過ぎなかったのだ。


この事で少年は彼と大変付き合い方を苦労させられることになるのだが、それはまた別の話である。

そしてそれこそが『黒き赤文字の悪魔』の行動規範の原型だということは、後世の誰もが知る由も無いことだった。







・・・・

・・・・・

・・・・・・





十歩の距離を置いて、俺と騎士は対峙する。

向こうのギャラリーは息を詰まらすような雰囲気のこっちと違って、ぶっ殺せー、だの、がんばれ先輩ー、だの声援まで飛び交っている。


お互いの歩幅まで考慮して決められた十歩は、絶妙な距離となって行動を躊躇わせる。

どちらが仕掛けるにしても、相手の行動の全容を見極めるには十分すぎる距離だ。

そして何かしらの対処をするにも十分な距離でもある。



「ふむ、このままでは埒が明かない。」

お互いが動かなくないまま二分は経過した頃だろうか、痺れを切らしたように彼は言う。


「見ての通り我が主君はせっかちでな。

これ以上駆け引きを楽しませてはくれなさそうだ。」

「何でいちいち僕を引き合いにだすかなぁ。」

「ではまず、年長者としてこちらから一手を繰り出させて貰おうか。」

余裕と貫禄を匂わせる態度で、彼はとぐろを巻く蛇の柄を持つ魔剣を真横に、水平に伸ばした。


次の瞬間、津波のように枯れ葉が迫ってきたのだ。



「風を操る魔剣かッ」

枯れ葉は彼が魔剣を振るった直後にやってきた。

すぐさまこちらも風を操る魔術で枯れ葉を散らすと、その中から彼が突貫してきたのだ。


速い。

迎撃の一閃は読まれていたかのように受け流される。


追撃は空中の紙のようにひらりと避けられた。

返しの一撃は、風を纏った魔剣が炸裂した。


濃縮された風が解き放たれたそれは、爆弾の爆発のそれとなんら変わりが無い。

簡易障壁で衝撃を和らげ、吹っ飛ばされながらも空中で体勢を整えて、枯れ葉の上に着地した。



「今の不意打ちをいなすか。」

「似たようなことをする相手は何度か居たんでね。」

「そうか、ではいささか退屈な芸を見せてしまったな。」

彼の身のこなしならば、恐らく今ので追撃が出来ただろう。

風を使う魔剣の持ち主が、空中に居る敵を一方的に攻撃できないのでは話にならない。



彼にとって決闘とは殺し合いではなく、あくまで誇りと名誉を賭けて武芸を競うためのものなのだろう。

だからだろうか、俺はどことなく楽しかった。


「今度はこちらから仕掛けさせてもらいますよ。」


―――『了承』、術式“トロイの木馬”を発動します。



幻術を発動させ、彼の背後に回りこむ。




「残念だが、それは悪手だ。」

彼は幻覚に惑わされることなく、正確に俺を見据えて斬撃に乗せられた突風を繰り出す。


「なッ!?」

「馬鹿、足元よ!!」

師匠からの叱咤が飛んできた。


しまった、例え幻覚で視覚を封じても、こんな枯れ葉だらけの足場ではどこにどう移動したかなんて丸分かりだ。


己の失態を悟った俺は、全身を殴打されるような強烈な暴風に吹き飛ばされた。



「かッ、ふ!!」

かろうじて受身を取ってダメージは最小限に抑えたが、彼はこちらに向かって跳躍した。



「こなくそッ!!」

風を纏うような軽やかな跳躍からの大上段の一撃をいなし、僅かに生じた隙で体勢を立て直した。


「次は剣技を競わせてもらおうか。」

そう言って、彼は疾風のような連撃を繰り出してきた。


しかしこちらは純粋な剣術なら負ける気はしない。

こちらには、ジャンキーの戦闘経験があるのだから。



「くッ」

打ち合って三合、初めて目の前の騎士が己の不利を悟った。


俺はその一瞬の隙をついて、奴の魔剣をその手から弾き飛ばした。



「取った!!」

返す刃で、決定打となるべく一撃を放つ!!


だがその瞬間、空気が凝縮し、渦巻く風が得物を失った騎士の手に現われた。

そして一瞬のうちに顕現したのは、今しがた弾き飛ばした彼の魔剣だった。


俺の返す刃は奴の魔剣に届かなかった。

まるで猛烈な見えない力によって押し返されるようだった。


その直後、荒れ狂う暴風が吹き荒れ、俺はとっさに後方へと飛んで退避した。



「おっと、しまった。

得物から手を離すとは・・・これは負けておくべきところだったな。」

「こら、なにを寝ぼけたこと言ってるんだよ。」

「しかし我が君よ、あれは自らの油断が招いた不覚だ。

そして私は自らをとても恥じ入っている。年下だからと言って侮ったのだ。」

作法にとことんうるさい彼としては、今のは十分に判定負けとなる要素だったのだろう。

確かに明確な勝敗として、武器を取り落とすのは確かな判断基準のはずだ。



「君らは勝敗に関して特に決めては居なかったはずだ。

だったら勝負は続行だよ。続行!!」

「ふむ、確かに。形式にこだわり、そのことを念頭にいれなんだ。」

後ろの『悪魔』に後押しされ、彼は魔剣を構えなおした。


「失礼、見苦しいところを見せた。」

「・・・いや、俺としても借り物の剣技で勝ちましたって言われてもな。」

普段ならちっともそんなこと思わないが、それは相手がとんでもない格上ばかりだからだ。

こう素直に戦いを挑まれては、後ろめたさを感じざるを得ない。



「借り物?」

「どう見ても別人の戦闘経験を転写してるでしょ。

つい最近まで素人だった彼に純粋な剣術で負けるようなら君はクビだからね。」

「なるほど。」

後ろからの刺々しい言葉を受けて、彼はひとつ頷いた。



「なに、貴殿は己に何一つ引け目を感じる必要は無い。

力とは善悪を問うものではなく、何を為すか己に問いただすものだ。

確かに自らを研鑽し、努力の末に得た力は確かに誇らしく、素晴らしいものであろう。

だが、そうして得た力を暴虐や悪行のために振るう者も居るのもまた事実だ。

力の有無に是非を問うのならば、その方法はひとつしかあるまいよ。」

そう言って、彼は魔剣を眼前に掲げた。



「こちらは、もはや容赦はせんぞ?」

「くッ」

俺は、このとき彼に気圧された。


師匠は余計な覚悟は身を滅ぼすから死ぬ間際で丁度いい、と語る。

無用な覚悟は視野を狭める、と。



俺は魔術師だから、状況を冷静に分析する能力を問われる。

そして魔術師は死んでしまうような戦いは避けるように立ち回るのが基本だ。

だから師匠も簡単に死に繋がるような覚悟を決めるなという。


しかしながら、師匠は覚悟すること自体は否定していなかった。

己の意志を確固たる物にするのは、時として思わぬ力を発揮する。



だが、彼の場合はどうだろうか。

彼は己の生き様に覚悟を決めているのではない。




――――己の生き方に殉じているのだ。


覚悟なんて、とっくに飛び越している。

己の生き方に命を掛け、それに対し何一つ恥じることなく生きている。


彼の生き様はエクレシアというより、むしろ師匠のほうにすら似ていた。




「はぁッ!!」

彼の持つ魔剣から細長い竜巻が伸び、獰猛な肉食獣のように襲い掛かってきたのだ!!



俺もすかさず距離をとり、いつもの魔剣を取り出し変形させて“銀の矢”を番える。

放たれた摂氏三千度の閃光は竜巻を切り裂き、その先にいた騎士に直撃した。


爆炎が巻き起こる。



「その年で弓矢まで扱えるか、天晴れだ!!!」

黒煙の中から、騎士は飛び出す。


今の一撃を完全に無力化するのは不可能だったのだろう。

鎧の一部が剥げて、生身の身体が晒されていた。



俺もさっきのでしとめられたとは思っていない。

続いて番えていた三本の“銀の矢”を冷静に解き放つ。


三条の灼熱光線は、間近を過ぎ去るだけで身体が焼け焦げるに違いない。

明らかに個人に対してオーバーキルの過剰威力だが、俺はこれでさえ彼を殺せる気はしなかった。



「我が身、風となりて一体とならん!!!」

灼熱光線が直撃しようとした寸前、彼の姿が渦巻く風となって掻き消えたのだ。


そして、眼前に風が結ばれるように渦巻き、彼の魔剣とその腕が現われたのだ。

俺はとっさに変形した魔剣を捨てて、己の半身たる魔剣で迎撃した。



「いい判断だ。」

受け止めたその場で魔剣は風となり、圧縮された空気が炸裂した。


「あ、くッ!?」

とっさに障壁を張って防御したが、そんなもの気休めだ。


俺の目の前は一瞬で真っ暗になった。

周りが暗くなったのではない。


度重なる暴風の乱舞で足場となる枯れ草が剥がされ脆くなっていた所に落ちたのだ。


俺は焦りながらそこから這い出ようもがいていると、突然俺の片腕が掴まれた。




「これでお互い、ひとつずつ醜態を晒したな。」

それはかの騎士だった。

彼は俺を引き上げると、何事も無かったかのように十歩の距離をとって振り返った。


「・・・狙ってやったでしょう?」

「ほう、卑怯だと謗るかね?」

「まさか、でも殆ど偶然に近いでしょ。俺がそこに落ちたのは。」

今思えば、彼は足場も巻き込むような攻撃を多用していた。

彼は俺が脆くなったところに足を取られるのは狙っていただろうが、まさかあそこまで深く落ちるのは想定していなかっただろう。


でなければ、あんなに早く、落ちてすぐに彼は俺を引き起こしたりはしないだろう。

卑怯というのはあの場で無抵抗だった俺を攻撃することでなのだから。


少なくとも、彼の騎士道精神は本物だった。




「そろそろ決着をつけようぜ。

彼女と師匠の前でこれ以上醜態は晒せないしな。」

「ふむ・・・。」

彼は己が仕える主を振り返り、頷いた。



「良かろう、我が最大の一撃を持って貴殿を屠ろう。

見事これを凌いで見せれば貴殿の勝利といたそうぞ。」

「ん?」

俺は、今まで微塵も感じなかった揺るぎを彼から感じた。


まるで勝負を焦っているかのような勝利条件を突きつけてきた。

しかし、実を言うとこちらとしても好都合だった。


頭に血が上って決闘なんて始めてしまったが、ミネルヴァの所在がまだ分からない上に、下では仲間たちがアンデッドどもの親玉に向けて戦っているのだ。

ミネルヴァを捕まえて、彼らの元に一刻も早く駆けつけなければならない。


俺は静かに頷いて、彼を見据えた。

そして奴は、己の魔剣を頭上に天高く掲げたのだ。



「我が半身、暴風剣“サイクロンウェーブ”よ。

今こそ真の力を顕現するのだ!!」

その刹那、爆音と共に衝撃波が襲った。

衝撃波と思わんばかりの暴風だった。



「くそッ!!」

俺はとっさに足場の枝葉にしがみ付いた。

いかに風から身を守る魔術で防ごうにも、これは限度を超えている。

どれだけ耐熱加工された品物でも、マグマの中に放り込まれてはひとたまりも無いのと同じだ。


彼の魔剣は、風を操るという特性に特化している。

しかもその上で魔剣としてのランクが高い。最低でも確実にAランクは超えているはずだ。


こと風を操ることに関して、最強に近いはずだ。

魔剣は独自の法則によって稼動しており、魔術で彼の操る風を妨害したりは出来ない。

そして能力は単一なのに、イヤに汎用性が高いのが厄介だ。



更に問題なのは、その持ち主がその強大な魔剣の力に驕っていないことだ。

手足のように完全に使いこなしている。

俺は今までさまざまな多芸な人たちを見たが、一芸をここまで極めてる相手は初めてだった。


だからここまで苦戦させられた。



俺は、絶え間なく吹きすさぶ暴風に立ち向かうように立ち上がった。

彼の掲げる魔剣は竜巻となって天空に伸びている。


立っているのがやっとだった。眼も開けられない。

日本のような大型の台風が毎年のようにやってくる国に住んでいても経験が無いような暴風だ。

家屋がこの風に晒されればひとたまりも無いだろう。


“精霊の眼”を使い、俺は周囲を把握する。

やはり完璧に統制された暴風に見えて、微妙にむらがある。

ここまで大規模の風を操るとなると、精密さを欠くのかもしれない。



暴風の壁が、断層となって俺を押しつぶそうと迫ってくる。

全身が圧迫され、足場が膝まで埋まる。


そして、圧倒的な空気の壁が目の前に迫り---


見えた!!




一瞬の風のむらを突いて、俺は魔剣で風の壁を引き裂きその中に抜けた。

耐え切った、と思った直後に自分の考えが甘いと知った。


台風の中心は風が吹いていないと、どこか勘違いしていたのだ。

目の前には、更なる風の壁が座していたのだ。


誰が想像できるだろうか。

台風の中に台風が更に存在しているなどと!!



気象学の常識を超えた現象に困惑している暇など無かった。

俺は選択を迫られたのだ。


即ち、どうやって抵抗するか、だ。

後ろにはたった今抜けてきた風の壁がある以上、逃げるという選択肢はないのだから。



俺が決死の覚悟を決めて、対処を決めようとしたその時。




突然、フッと風が吹き止んだ。





「え・・・・。」

困惑は声に出た。



「今のを抜けられた以上、これ以上はいたずらに傷つくだけだ。素直に負けを認めよう。」

「いや、ちょっと待てよ。そんな簡単に認めていいのかよ!!」

「私は今のをやろうと思えば数十分維持できる。

だが流石にそれは個人の技量を逸脱している。そして無理に続けたところで、無用な怪我が増えるだけだ。

初めの壁を抜かれた時点で、私の負けなのだ。」

そこまで言われては、俺は何も言えなかった。

なぜなら、彼はやろうと思えばきっとあの状態から俺を磨り潰すことだって可能だったはずだからだ。


手加減されたとは思わない。

ただ殺し合いではなかった、それだけの話なのだ。


彼は彼の中のルールに従い、勝敗を決めたに過ぎないのだから。



「それに、我が主もそろそろ限界だろうからな。」

「えッ」

言われて、俺はあの『悪魔』に意識を向けた。



「は? お前言ってるのさ。しかも僕の許可も得ずに負けるとか何なの。」

辛辣な声を掛ける彼の声は、しかしどこか上擦っていた。

しかし彼の騎士はその言葉に意に介さず、周囲の従者たちを睨むように視線を向けた。



「貴様ら、いつまでただ飯を食らっている。

棒立ちで主の負担になっているだけとは何事だ!!

さっさと魔界に戻り、各々の業務に戻れ!!」

怒声にて一喝。


すると、周囲の面々は若干ばつが悪そうにしながら現われたときと同じように、陽炎のように消えていった。

ただ、若干数名ほど消えずに残っていた。



「・・・・チェリー、貴様はなぜ戻らない?」

「よろしいじゃありませんか。

わたくしはどうせやることなどないのですから。

我が主、しばし同行をお許しください。」

そのうちの一人は、喪服のような黒いドレスに黒い日傘を差した美女だった。

彼女は優雅に一礼して、自らの主人に傅いた。



「・・・・いいよ、確かに君の力は使えるだろうからね。」

彼は若干顔を顰めていたが、すぐに笑みを浮かべてそう答えた。



「我が主よ、見栄の為に虚勢を張るなと常々申し上げてきたはずなのですが?」

「ほんと、うるっさいなぁ、お前は。

お前の説教なんて聴きたくないんだよ。いつまで僕をあの時と同じだと思ってるのさ。」

「マスター。」

「なにさ!!」

自分の騎士につらつらと言い返す『悪魔』の横から声を掛ける存在を彼は視線の強さをそのままに睨んだ。


残ったもう一人、魔女エリーシュだった。



「彼らにはそれなりに迷惑を掛けましたので、それ相応の報酬は必要でしょう。

どうかそれを。」

「ああ、うん。好きにしなよ。そもそもこれは君のなんだからね。」

そう言って、彼は手に持っていた『大地の宝玉』を彼女に手渡した。

彼女は、それをそのままこちらに投げ渡してきたのだ。



「うおッ!?」

至宝だというそれを、俺は慌てて受け取った。



「好きに使いなさい。だけど忘れないことね。

それを使うタイミングを誤れば、忘れられない痛みを追うことになる。

・・・『盟主』がそれを死蔵させた理由を考えることね。」

そう一方的に言い放って、魔女エリーシュは消え去った。


もしかしたら気のせいかもしれないが、今の言葉を口にした彼女の眼から険が取れていた気がした。

死が、彼女を狂気から解き放ったのかもしれない。


最後の俺に忠告をよこした彼女は、間違いなく魔族たちから称えられる賢者であったのだから。




「では、我らも退散するとしましょうぞ。」

「あ、こら!!」

騎士にまるで荷物のように小脇に抱えられた少年は抗議の声を上げるが、彼らは天辺から飛び降りて地上へと消えていってしまった。

一人残った美女はいつの間にか居なかった。




「終わったのか・・・?」

突如として発生した異変の終幕が、思いのほかあっさりと訪れたことに俺は拍子抜けしていた。

総合的に見れば全くそんなこと無いのだろうが。


振り返ると、そこには二人しか居なかった。




「リネンの奴は?」

「もう帰りました。」

俺が問うと、エクレシアが答えた。


「あなた馬鹿じゃない? 必要の戦いをするなんてどうかしているわ。」

「師匠・・・すみません。」

「あの状況で喧嘩売るとか正気の沙汰じゃないわ。」

師匠は相当に怒り心頭の様子だった。



「私も彼女に同感です。

むやみに戦いを挑む状況ではありませんでした。」

思わずエクレシアを見ると、彼女もかなりご立腹のようだった。


「えっと、その、ごめんなさい・・。」

俺は素直に頭を下げた。

しかし、いつまで経っても叱咤も許しも無かった。

顔を上げると、強張った二人の顔があった。



振り返ると、そこに彼女は居た。

まるで幽鬼のような佇まいであるのに、そこにいる気配や違和感を全く感じなかった。


くすんだ赤毛の女、あの『悪魔』の従者の一人がミネルヴァを抱きかかえて立っていたのだ。



「・・・おい、ミネルヴァになにをした?」

俺はゆっくりと彼女に向き直ると、同じようにゆっくりと彼女に訪うた。




「この娘を我が主に会わせるわけには行きませんでした。」

しかし、彼女は―――オリビアは俺の問いには答えずに淡々と言葉を紡ぐ。


「眠っているだけです。」

そう言って、彼女は俺に向けてミネルヴァを突き出してくる。

そっと彼女を抱きかかえ、そして本当にすやすやと眠っているだけなのを確認すると俺はホッと安堵して胸を撫で下ろした。




「おい、待てよ。」

さも自分の役目は終わりました、と言わんばかりに踵を返して去ろうとする彼女を引き止める。



「俺には良く分からない。

あの騎士も、あの魔女も、お前も。

なんであんなに慕われて、忠誠を尽くしているんだ?」

師匠やリネンから蛇蝎のごとく嫌われる一方で、彼らからは惜しみの無い忠誠を受けていた。

俺には、どちらが正しい奴の姿なのか分からなかった。


彼女は俺の問いに足を止めると、こう言った。



「例えば、あなたは救世主が現われたとして、それはすべての人間を平等に救うと思いますか?」

「どういう、意味です?」

そう問い返したのはエクレシアだった。



「各々に価値観というものが有り、それが万人に対して平等である以上、個人差というものが現れる。

彼らにとって、その救いとは救い足りえないというだけの話だということです。

我が主は、あの人は・・・そういう人たちに手を差し伸べてきた。」

「彼はそのような報われない人たちを救済してきたというのですか?

しかし、それは一般的に背徳というのではないのですか?」

「当然でしょう。何せ彼は悪魔なのだから。」

きっぱりと、彼女は言い切った。



「・・・彼は元々は人間だと言いました。

しかし、私は人が悪魔に変じるなんて事例、聞いたことがありません。

それは悪魔に心を奪われ、その行いが悪魔そのものになるのと何が違うのですか?」

畳み掛けるように、エクレシアは問う。

まるで、それだけはハッキリさせておかなければならないと言わんばかりに。



「彼は自分の生誕に関して多くは語りません。

しかし彼は凡そ、奇跡と呼ばれるだろう現象を幾つも抱えて生まれたと言っていました。

母親は男性を知らずに彼を身篭り、三歳になる頃には今の背格好で周りのどの大人よりも頭が良かったとか。

もしそれが本当なら、周囲が彼を人ではなく、悪魔だと蔑んだのは当然といえるでしょう。

だからこそ、それだけの資質を備えた彼は反転してしまえたのだと思います。」

そう、堕天使のように。




「そんな馬鹿な、それが本当ならあいつは悪魔どころかむしろ―――」

「戯言ですよ。他愛も無い、あの人がいつも戯れに口にする虚言に過ぎない。

・・・・そうでしょう?」

それを口にし掛けた師匠は、彼女の能面のような表情を向けられて押し黙った。



「どうやら、口が滑りすぎたようですね。」

今度こそ、彼女は踵を返した。



「じゃあ、あんたも彼らと同じように、普通じゃ救われないってことなのか?」

返事を期待して言ったわけじゃない。

ただ、そう思うと俺はどこか悲しかったのだ。

彼女のぼろきれのような格好は、自らの主と同じ黒いローブと同じもののはずなのだ。


だというのに、彼女の衣服はツギハギだらけで、一体どんな過酷な環境を生き抜けばこうなるのか想像もつかないほどだった。

そうまでして、彼女はそれを脱がない。


それほどまでに、彼女はあの『悪魔』に忠誠を誓っていると言うのか。





「私の場合、もっと救いようの無いものですよ。

なぜなら、それは―――――」


彼女は去り際に、こう言い残した。




それは、宿命なのですから、と。







魔剣百貨辞典コーナー


魔剣:「サイクロンウェーブ」

所有者:『悪魔』の最初の騎士

ランク:A


特徴・能力

暴風剣。風のそのものを束ねた風を操る魔剣。

能力は風を操るというだけだが、その性質上、かなり汎用性が高く、多くの魔剣の中でも抜群の使い勝手を誇る。

その最大出力は、台風クラスの暴風の波状攻撃であり、対人対軍戦闘において大きな補正を得ることが出来る。

風の性質は持ち主を現しており、自由でありたいという願いとそれが叶わない現実を意味している。




こんにちは、ベイカーベイカーです。

ようやくひと段落つきました、結構長く掛かりましたね。

あと、黒赤軍団名簿は、流石に本編とは関係ないので、目次の一番上のシリーズもののところに新たに追加するよていです。

そこでは彼らの魔界での活動の記録を不定期連載するつもりです。

それでは、また次回。



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