第九十二話 そして英雄は誕生する
俺は、目の前の状況を冷静に受け止めた。
それはなんだ?
サイリスが、石になったのだ。
「あっはっは、なにこれ、こういう展開なの!?」
“魔女”が笑う。
まるで喜劇でも見ているかのように。
砂を乗せていた風が止んだ。
それはなぜだろう。
決まっている、奴が笑うためだ。
「ねぇ、見せて、もっと良く私に見せてよその顔を!!」
楽しそうに、いかにも楽しそうに。
奴は笑い声を上げていた。
俺は勤めて冷静だった。
瀑布のごとき激情が押し寄せてきていても、俺が自身に課した魔術によって激情に駆られることは無い。
そう、そうなのだ。
サイリスが、石になったのだ。
目の前の、“魔女”によって!!
「・・・・こ・・」
「んん?」
「殺して、やるッ!!!」
俺は自分の心を雑巾のように搾り出して、その言葉を吐き出した。
「どうやって?」
そう問いかける奴の表情は、今までのように笑みが浮かんだものではなく、実に真剣みを孕んだ真顔だった。
「どうやって、私を殺して見せるの?」
―――お前に私が殺せるの?
それは、この状況に似合わない真面目な問いかけだった。
くすくすと、けらけらと、可笑しそうに笑う奴に怒りで目の前が霞んできた。
だからだろうか、俺は奴が石像と化したサイリスを一瞬怪訝そうな表情で見たのを見逃した。
「私をだしに使うなんて、とんだ役者が隠れていたものね。」
そしてそいつの口の中で噛むような呟きが、俺に聞こえるはずも無かった。
それもそのはずだった。
目の前が、何重にもぶれて視界がぐちゃぐちゃになったのだ。
目の前が仇敵が居ると言うのに、俺は荒く息を吐きながら剣先を定めることすら出来なかった。
これも奴の魔術だろうか、そう考える頭さえ残っていなかった。
そうだ、そんなことを考える頭は要らない。
俺に必要なのは、奴を殺すための怒りだけだ。
全身が沸騰したかのように熱い。
それで居て、水中の中に居るような足元がおぼつかない、奇妙な感覚に捕らわれていた。
俺の怒りが極限まで練り上げられようとしたときだ。
―――――俺は、気づけば知らない場所に立っていた。
「―――――。」
俺は言葉を発しようとして、それが無意味なのだと知った。
言葉を発せ無いのではない、言語の伝達と言う行為自体が無意味なのだ。
なぜ俺がそう理解できたか分からない。
ここがどこで、どういう場所なのだか、俺は恐らく生涯を尽くしても説明できないだろう。
日本語は世界広しと言えどもかなり複雑で細やかなニュアンスを表現できる優れた言語だと自負しているが、恐らくそれを駆使してもこの場所を語ることは出来ない。
だが、あえて言うのならばここは神殿だった。
そう、言葉ではなくイメージするのなら・・・・。
そのイメージが、この漠然としたこの場所に具現化して現れた。
まるで、夢の中に居るかのような不可解で非現実的なこの場所は、俺が最も理解しやすい場所へと変化したのだ。
そうして具現化したこの場所は、白亜の柱が立つ荘厳な神殿。
古代ギリシャの建物のようでありながら、まるで建てられたばかりの新築のごとき輝きを放っていた。
まるでギリシャのパルテノン神殿のような場所だが、現実のパルテノン神殿は果ても見えないような広大さはないだろう。
縦横奥行きなどの三次元、いや、それでは説明が出来ない法則によってこの空間は成り立っていた。
こんな場所が現実にあってたまるものか。
だが、俺は一度だけ、こんな現実味の無い空間に足を踏み入れたことがあった。
かの大師匠が居を構えていた魔具の内部は、ここまで超次元的ではなかったものの、この世のものとは思えない場所だった。
そして俺は、気づいた。
見られていた。
俺は顔を上げた。だが、上げる顔が無かった。
そもそも顔も体も必要なかった。
俺は今、三百六十度全てを視認できた。
俺の思考は一瞬であり、永遠であった。
ここがどこか把握するのも十分な時間があり、俺が次にどうしたいか考える度に時間が進む。
俺が望めば一瞬も永遠であり、永遠すらも一瞬であった。
ここはそういう、時間の概念が無意味な場所だった。
そして俺が誰かに見られていると知覚したのも、俺の都合が相手側と合致したからだ。
逆に言えば、俺がその情報を知覚するまでその時間は永遠に来ない。
いや、矛盾している。この言葉ではこれを説明できない。
俺はこの空間での時間経過を“時間”であると説明したが、恐らくこれは時間の概念ではないだろう。
この場所で物事が次に進むには、・・・・なんと説明すれば良いか。
そうだ、ローグライクRPGを思い浮かべれば良い。
その中のルールのひとつに、この手のゲームは厳格にターン制であり、こちらが行動しない限り相手も行動しないと言うものがある。
まさしくそんな感じだ。
だが、そんなことは心底どうでも良い。
この状況説明も、自分の心を落ち着ける手段に過ぎないからだ。
度々で悪いが、俺はそれを説明する手段を持たない。
仮に説明をする必要があるのなら、念話をもってして直接イメージを伝えるほか無いからだ。
あまりにも莫大で、曖昧だからだ。
しかしながら、明確な意識を感じる存在。
それが、俺を見下ろしていたのだ。
この果てしない空間と比べてすら、それの全容を把握することは出来ない。
上下の概念も無意味なこの場所でなぜ見下ろされているのかと分かるのかと言えば。
それは存在の格が違うからとしか言い様がない。
俺は今、それをどう表現すれば良いのか分からず姿形すらも曖昧な存在に対して、畏怖していたのだ。
まるで本能に刻まれているかのごとく当たり前のように畏怖し、畏敬し、傅いていた。
見ている。見られている。
そう、それは俺と言う存在を切り開いて三枚に下ろし、その全てを把握しようとしているかのようだった。
一瞬のようで永遠でありながら永遠のようで一瞬の後、俺を値踏みするような視線の性質が変わったのを知覚した。
それは、俺に対して何かを待っているようだった。
何が言いたいのかまでは分からない。
ただ、漠然としたニュアンスで、俺が察したのだ。
そして、俺のアクションを待っていた。
俺はその存在に対して、言い様の無い奥ゆかしさを感じた。
目の前の超然とした存在は次元すら違うところから見下ろされている。
こんな感覚は大師匠からすらも感じたことが無い。
もしこの存在に性別があるのなら、女性だろう。
俺がそう思うと、今まで明確な姿を持たなかったその存在が、俺のイメージを元に形作られていく、
俺は息を呑んだ。
知覚の意味の少ないこの空間で、それは明確な意味を持つ姿だったからだ。
神。
女神だ。
漸く、俺はこの本能に訴えかけられるような感覚の意味に気づいた。
これは人間なら誰しも持ち得る、創造主たる神性への畏敬だったのだ。
どこか半端だった俺の信仰心を一瞬で確固たるものにする、神への敬愛だった。
俺は目の前の女神に言葉を伝えた。
こうして目の前で神と対面しているこの状況で、言語としての言葉は意味を成さない。
だから俺は心の全てを目の前の女神に預け渡した。
女神は頷いたような気がした。
そして、その手を俺に――――触れた。
どこかで、梟が鳴く声が聞こえた。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
魔力が、風となって砂塵を舞わせた。
その砂漠に居た誰もが、その現象を目にしていた。
「これは・・・」
エクレシアは、中ほども砂中に体を引きずり込まれているのも忘れてその光を見ていた。
遠く、その光はササカの体から発していた。
魔力の収束現象。
感情が高まりすぎると魔術が暴走したりすることがあるが、これは一歩先に進んだ段階だ。
その極限まで高まった感情が形となり、具現化する前兆。
それは即ち、
「何を、何を引き当てるの、我が弟子ッ!!」
遠く、怪物に顎に潰されるのを必死に堪えているメリスが叫んだ。
「これは、この光は・・。」
更に遠くのリネンはその光を知っていた。
なぜなら自身も経験があるからだ。
だが、彼女の経験とは相違がある。
この光は、彼女の嫌う色があった。
彼女が受け付けられない、忌々しさが有った。
「漸くか、漸くかッ!!」
ここには居ない『悪魔』が椅子を蹴飛ばして立ち上がり、テーブルの上に置かれた水晶に映し出されたその光景に狂喜した。
「早く見せろ、早く見せるんだ、君の素質を、可能性を!!」
ばんばんと、テーブルを叩いてはしゃぐ自らの主人の蹴飛ばした椅子を起しながら、オリビアはササカの前に現われた一振りの剣を見通した。
「これは。」
彼女をして、久しぶりに息を飲んだ。
「君にも分かるか、オリビア。」
『悪魔』は笑顔だった。満面の笑顔だった。
「よりにもよって、SSS(最上級)ランクを引き当てやがったよ!!」
それは即ち、魔剣の発現だ。
・・・・
・・・・・
・・・・・・
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおお お お お お お お おぉぉ!!!!」
絶叫だった。
自分の魂を引きずり出され、共鳴する。
どこか遠く遥か彼方にある形を持った自分の魂を手繰り寄せる。
半分以上、意識が吹っ飛んでいた。
自分が何をしたのか、何をされたのか、そして何が起こったのか。
俺は認識できなかった。
ただ、ひとつだけ俺には分かることがった。
「まさか・・・。」
俺は、それを手に取る。
「この私が、恐れていると言うの・・?
この私が恐怖しているですって・・?」
目の前のこいつを、ぶち殺したいと言うことだ。
「こんなガキを。二十にも満たない子供を。」
それは、彼女にとって絶対に納得できないことだろう。
遥か格下の俺に、恐怖心を抱くなど、あってはならないことだろう。
俺は刃を振るう。
だが、奴には届かない。
空振りだ。
俺の刃が奴に届く寸前で、奴の姿は砂となった。
何度繰り返しても、俺の刃は奴には届かなかった、
三度、四度振るっても、俺の魂が具現化した剣は奴には届かない。
「まさか、こけおどしだとでも言うの?
だとしたら、お笑いだわ。」
届かないのなら、仕方が無い。
届かすしかない。
俺は刃を振るった。
「え?」
奴を、切り裂いた。
彼女の反応も最もだろう。俺も初見ではそうだった。
刃が刀身より先、有り得ざる場所にまで広がるなんて、一体誰が対応できるだろうか。
これで俺は何度もあの死神に斬り殺された。
この技術とも奇術とも魔術ともとれぬ妙技を扱えたのは、俺が今普通の状態じゃなかったからだと思う。
「痛い? この私が痛みを感じるですって?
嘘よ、そんなもの、とっくの昔に失ったはずだわ。」
だと言うのに、魔女は笑っていた。
「あははは、痛い、痛いわ。この原始的な、生物的な痛み。いったい、一体何百年振りかしら。
あはは、生きてる、生きているわ、私は。」
ある種の狂気的な、おぞましさすら感じる笑い声だった。
そんな彼女を俺は追撃しようとして、・・・・出来なかった。
ばさっ、と俺は剣を取り落とした。
これ以上、俺はこの剣を手にとって居られなかったからだ。
重い。あまりにも重い剣だった。
物理的な重さではない。
この剣を担う者に課せられる多くの希望や期待が、あまりにも重かったのだ。
これはまさしく英雄が担うべき剣だった。
伝説の英雄が振るい、数々の勝利と栄光を約束することを同じように求められる。
それがこの剣を持つ資格だった。
俺は今、怒りに支配され、感情のままにこの剣を振るった。
恥ずかしさで死にたくなる。
この剣を担う者は、俺個人の感情など超越した“英雄”といった物語の幻想でなければならない。
これを振るうのは個人だが、振るわれるのは個人の為ではない。
俺には無理だった。
俺のような矮小な人間には、こんな大それた代物を手にするなんて無理だった。
俺には出来ない。
荒唐無稽な冒険活劇の登場人物のように無敵でタフで最強の主人公の真似事なんて、とてもできない。
この剣を持つものは、完全無欠の英雄でなくてはならないのだ。
それだけの希望で、この剣は出来ている。
『少年よ。』
打ちひしがれ膝を突く俺に語りかける声があった。
魔剣"リゾーマタ”だった。
『小さき少年よ。聞いて欲しい。』
彼はいつの間にか俺の前に浮いていた。
そして、彼がその姿になる以前の姿が浮かび上がっていた。
彼は俺を見下ろし、こう言った。
『私は、この戦いに関わるつもりは無かった。
君が負けそうになろうとも、そこの彼女が石になった時も、だ。』
彼はそう言って、石像と化したサイリスを一瞥した。
『私が手を貸せば、別の結果が待っていただろう。
そうだ、私は彼女を見殺しにしたのだ。』
彼は淡々と、事実を口にした。
『私がかつて、あの女と対峙した時、彼女は今のような呪いのような生き方はしていなかった。
怒りと恐怖を撒き散らす生き方ではあったものの、それは人の範疇であった。
私は彼女を斬れなかった。憐れだったからだ。
エルフの感覚は人とは違うとよく言われるので理解してもらう必要は無い。
だが結果として、私は彼女を斬ればよかったのだ。』
彼の言葉には、深い悲しみと後悔が滲んでいた。
『だが、彼女は・・奴はある時、怪物となった。
姿形ではない、心が怪物と化したのだ。
私は彼女がそうなるのを止める機会を逃してしまった。
あの『悪魔』が居なくなり、魔族の指導者をしていた時は落ち着いていたが、今や奴はかつての姿を取り戻しつつある。
お願いだ。彼女を止めてほしい。不躾な頼みであるのは理解している。
本来このようなことを口走れる立場でもないと言うことも承知だ。
だが、もう、見るに耐えないのだ。
しかし、もしそれが叶うのなら、我が全能を君に預けることも厭わない。』
「・・・・・どうして。」
『ん?』
「どうして、俺に力を貸す気になったんだ?
俺が死んじまっても構わなかったんだろう。」
エルフの倫理観など分からない。
妖精のように理解しがたい価値観を持っているのかも知れない。
だからこそ、分からなかった。
そんな彼が、なぜ今更になって力を貸そうなどと言うのか。
『確信したからだよ。
君は私を成り行きで手にしたに過ぎないと思っていた。
だが違う。この剣を見て確信した。これは大いなる導きであると。
彼女を止める、これが最後の機会である、と。』
「買いかぶりすぎだ。
俺はそんな器じゃない。」
『分からないのか?
己の魂が、己の片割れを求めているのを。』
俺は砂の上に落ちた剣を見下ろした。
そんなの分かっている。
こんな剣、今まで見たことも無かったのに、まるで自分の体の一部のように違和感が無いことぐらい。
この剣は俺が手にするべきものじゃなかったのだ。
あの空間、あの人知を超えた存在によって呼び起こされただけで、きっと俺には永遠に関わることなどなかったはずなのだ。
『では逃げるのか?
それも良かろう。誰が君を批難しようとも、私はその選択を責めまい。
弱者が強者を恐れるのは自然の摂理だ。
だが見よ、君の後ろの者たちは逃げるのかな?』
「それは・・・。」
『ならば何を迷う、何を恐れるのだ。
・・・君は英雄の責務を前に萎縮しているのだろう。
だがその剣を持ち主になった時点で、もはや君はそれから逃れるすべは無い。
分かっているのだろう? 少年よ。』
「俺は・・。」
その時俺は、耳が劈くような笑い声を耳にした。
あの魔女ではない。
たった一度だけしか会ったことがないが、それだけでもう二度と絶対に忘れないだろう声だった。
「ぎゃあああはははははははぁぁ!!
なーに、しけた面してんだ我が親愛なる宿敵よーぉ!!」
忘れもしない。あのジャンキーだった。
「ひーひゃはは。そんな面じゃ俺まで萎えちまうじゃねーか。
なぁなぁなぁなぁなぁ、お前と俺は仲間だろぉーう?
一緒にあの死神を殺そうって誓った仲じゃねーか。」
狂った言動、狂った思考、狂った笑い声。
胡乱げで焦点さえ定かではなかったその視線は、はっきりと俺の後ろに向けられていた。
振り向くと、俺の真後ろには襤褸を纏った漆黒の人影が佇んでいた。
あの夢の中と同じように、こんな至近距離だと言うのにその相貌は窺い知れない。
ただ暗い、闇の底のような暗黒の奥に赤い双眸が瞬いているだけだった。
そしてそいつは、今まさに俺の首に手を掛けんとしていたのだ!!
「なぁ、死んじまうのか、我が宿敵よー。
つまんねーなー、さみしーなー。お前となら、どちらがあの死神を先に倒せるか張り合えると思ってたのによー。
なー、どうなんだ、我が宿敵よー。」
「なぁ。」
「うぅぅん?」
「俺に、お前の力を貸してくれないか?」
「何の為にだ?」
ジャンキーは、真顔で問うた。
そこには狂人ではなく、往年の武芸者としての顔があった。
「大切な人たちを守るためだ。」
「それは愛か?」
「そうかもな。」
頷くと、ジャンキーは笑った。
「男が戦う理由なんて、愛だけで十分だ。
つまり何も要らないってことだ。男はその為に戦い、そして殺される。」
「一緒に戦おう。今だけでなく、あの死神も一緒に倒すんだ。
お前と一緒なら、倒せそうな気がするよ。」
「ぎゃははは、そうでなくちゃぁな。
じゃあ、これからはこう呼ぼうか。―――――戦友よ。」
そしてジャンキーが居た場所には誰も居ず、魔剣"キマイラヘッド”が落ちていた。
「情けないよな、ここまで激励されて、漸くその気になるなんて。」
俺の意識したことなんて、彼らにとっては幼稚なものに過ぎないのだろう。
いや、意識なんてしたことも無いのだろう。
彼らは英雄だから英雄らしく戦ったわけではなく、その行いが、強さが、英雄と呼ばれるにふさわしいからそう呼ばれたのだ。
「貴方もそうだったんですか?」
俺は目の前に佇む幻影にそう言った。
それは魔剣“ケラウノス”いや、『パンドラの書』に記録された戦闘技能と経験が具現化した姿だった。
それ故に人影のような姿にしか見えない。
そこに彼の記憶や魂が有る訳ではないのだから。
だが、彼の技術を模倣し、彼の経験を自分のものとしているうちに分かった。
彼もまた、英雄と呼ばれるに足る人物の一人だったのだと。
「ありがとう、先輩たち。
俺、頑張って見るよ。」
そして俺は、地面に落ちていた己の魂の片割れを手に取った。
俺の葛藤は、一瞬の出来事だった。
魔剣たちの魂が俺の体を通じて俺の魂に語りかけたのだ。
「いつまで笑ってるんだ、クソ魔女。」
「っくふふ、まさか私に一撃与えたくらいで、調子に乗っちゃってるの?
もう容赦はしないわ。貴方は私を本気にさせたのだから。」
風が巻き起こる。
砂塵が舞い上がる。
魔女の姿が砂嵐の中に掻き消える。
『“精霊の眼”を使え。』
魔剣“リゾーマタ”が俺に語り掛けて来る。
「この枯れた砂漠に精霊が居るのか?」
『精霊は万物に宿っている。彼らが居ない場所などない。
妖精と会話ができる君になら可能だろう。使いたまえ。』
「オーケー。」
俺は魔剣“リゾーマタ”から経験を読み取り、“精霊の眼”を発動させた。
するとどうだろうか。
俺は人間がいかに狭い視野しか見ていないかを思い知った。
これが、ミネルヴァの見ている世界か!!
三百六十度、手に取るように分かる。
“精霊の眼”は直接知覚するのではなく、精霊を通して間接的に周囲の状況を把握する術だ。
このような視界が完全に閉ざされた状況でも、昼間以上にくっきりと見える。
そして今更になって漸く分かった。
エクレシアが危ないッ!!!
「はぁッ!!」
俺は斬撃を放った。
ここから彼女の位置まで優に二百メートル近くある。
普通なら届かない。
だが、今の俺なら届く。
気を練り、精霊の力まで借りた俺の一撃なら!!
その斬撃は過たずエクレシアの体を通過し、サンドワームだけを切り裂いた。
「見える!!」
返す刃で師匠を食い殺そうとしている巨大アリジゴクを切り裂いた。
俺には出来る。
今の俺なら出来る。
なぜなら、この剣を手にした俺は、最強無敵の英雄なのだから。
「分かるッ!!」
振り払うように、刃を一閃する。
空振りではない。この砂嵐を維持していた存在を斬ったのだ。
俺の刃の軌跡の先には、真っ二つに引き裂かれた砂色のドラゴンが崩れ落ちていた。
間を置かずして、砂嵐が吹き止んだ。
「おい、アルルーナ、居るんだろう?」
「・・・ああ。」
俺が声を掛けると、そいつはゆっくりと姿を現した。
全身が干からびかけていた。
こいつにとってはこの場所はすこぶる相性が悪いらしい。
「おまえ、今までどこに居やがった。」
「分かっているくせに。あの砂嵐の中では出たくても出られなかったのだ。」
そうだ、それは俺も分かってた。
あの砂嵐のジャミングは強力で、こいつの実体化すらも阻害されていたのだ。
「サイリスを守れなかった分を仕事して返してもらうぞ。
二人をここに連れてきてくれ。」
「承知したが・・・お前はなぜ怒り怒り狂っていないのだ?
我が主人がこのような辱めを受けたのだぞ。」
俺はこんなときに禅問答でもしたいのかと思いながら、そいつに言った。
「怒りでこの剣を振るわけにはいかないからな。」
「・・・わかった、最低限の仕事はしよう。」
そう言ってアルルーナは掻き消えた。
「よくも私のかわいいペットを痛めつけてくれたわね。」
「へッ、すぐに元通りになるくせに何言ってやがるんだ。」
エリーシュの声が聞こえる。
今度はすぐそこからだ。
「あなたにこの幻影の中から本物を見破れるかしらね?」
ただし、周囲にはエリーシュの姿が何十もの現われ、その全てからその言葉が発せられたのだ。
驚くべきことにこの数十人のエリーシュが全て本物であると精霊の感覚が告げていた。
「まあ、今すぐ死に絶える本物を見分ける必要など無いのだけれど。」
全てのエリーシュが俺に指先を向けた。
俺は可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「なにが、可笑しいの。」
プライドの高い彼女には心底不愉快だったのだろう。
さっさと魔術を発動すれば良いのに、苛立ちのこもった言葉を発した。
「お前さ、あの時逃げたよな。
あの魔剣“デストロイヤー”からさ。」
奴は本当に不死身で、物理攻撃が効かない、或いは、この幻影のように幾らでも替えが聞くのかもしれない。
だけど、奴は逃げたのだ。
恐れて逃げたのだ。
だったら、やるべきことは簡単だ。
「こいつッ」
初めて、ここに来て初めてエリーシュの奴が焦りの混じった声を漏らした。
だが、遅い。
俺は手短な位置に居たエリーシュの一人を斬り捨てた。
バッサリと、後に残ったのは崩れ落ちる砂の柱だった。
そして。
「あ、ぎゃ嗚呼ああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
エリーシュの絶叫だった。
「ほら、斬って見せたぜ。本体をな。」
簡単な理屈だ。
俺が今切ったのは奴の端末に過ぎない。
幾らでも使い捨てられる身代わりだ。本来なら奴にダメージが入ることは無いだろうが、奴はそこに精神を投射していた。
使い魔を使役し、それが何かしらの要因によって破損する場合、ある種のフィードバックを受けることがある。
それが高性能なほど感覚を同期しなければならないのだが、奴の身代わりは砂だ。
どんなに殴られても砂は痛みを感じない。
それを何十と操るなんて、俺にはとても真似できない所業だ。
だが、精神にダメージを受けさせる方法ならどうか?
仮に奴の端末が魔剣“デストロイヤー”で斬られれば、奴はその場で精神的な死を迎えるだろう。
では俺は奴の精神を斬ったのか?
残念ながらそんな魔術は会得していないし、そんな機能を持つ魔剣もない。
ただ本気で、殺意を乗せて斬ったのだ。
当の本人が本当に斬り裂かれたと思ってしまうほどに。
奴がこの剣を恐れていたのも助けとなった。
奴もこの剣の特殊な力で斬られたと思うだろう。
違うのだ。この剣は。これはそういう剣ではない。
俺が奴に一太刀浴びせられたのは、ひとえに先輩たちの力を借りたからだ。
この剣の力ではない。
「ササカさんッ!!」
一斉に崩れ落ちるエリーシュの変わり身を尻目に、俺はエクレシアがこちらに駆けつけてくるのを視界に捕らえた。
「よく、自らの殻を打ち破ったわね。
さすが我が弟子。私の教え方が良かったのね。」
師匠も一足早くこちらに転移してきてそう言った。
「ササカさん、彼女は・・。」
「今はいい、目の前の敵に集中しようぜ。」
そう言って俺はエクレシアの声を遮り、真っ直ぐ前を見据えた。
「よくも・・・。」
そこには、秀麗な顔を歪ませた魔女が立っていた。
「よくも、この私をコケにしたわね・・。」
「なぁ、疲れないのか? そんな余計なプライドなんか持ってさ。」
「黙れッ」
エリーシュは激怒した。
当然だろう、俺は奴自身を否定したのだから。
奴にとってプライドは自尊心であるのと同時に、生き方そのものなのだから。
俺は敢えて奴の逆鱗に触れたのだ。
「・・・いいわ、見せてあげる。」
不意に、エリーシュがクスリと笑った。
「私の本当の姿を。」
彼女の体の輪郭が崩れ落ちた。
「でも覚悟することね。」
女性の姿だったエリーシュは、人の形そのものを失った。
ギリシャ神話には、数多くの奇形な怪物が登場する。
幾つもの動物の体を持つキマイラなどが有名であり、中には想像だにできない怪物も居る。
例えばギリシア神話最大の怪物であり、台風の語源ともなったテュポーン。
頭が星に触れるほど巨大で、腱までが人、その下が蛇、肩(或いは手)に百の蛇(或いは竜)が生えており、眼や口からは火を吐くという。
全く色々盛られていて何が何だか想像も出来ない。
そして、俺はその魔女の本当の姿をこのように記すだろう。
「この姿を見て、生きて帰ったものは居ないのだから。」
砂で出来た蛇のような胴体に五十の人の口と一対の百の人の瞳があり、頭部のような物はない。
足は無く、砂漠と一体化しており、口と瞳も根元の砂漠にまで広がっている。
それが奴の本性だった。
「なんじゃこれ。」
正真正銘、これ以上ないほど“怪物”という言葉が当てはまる物はこれからの生涯お目に掛かれないだろう。
「ギリシア神話には女神の嫉妬からその姿を怪物に堕とされる美女が数多く居るのだけれど・・。」
師匠はやれやれと首を振った。
「自らの言動の醜さゆえに怪物に変じることもあるらしいわね。
あなたの場合、自ら魔術でそうなったのでしょうけれど。」
『お前にだけは言われたくないわね。』
もはや女性形だった頃の美しい声色は無かった。
五十の口から発せられるのは呪詛のような、怨嗟のような身の毛もよだつ声音だったのだから。
「ギリシア魔術には二通りの道があります。
神に気に入られ力を借り受けるか、自らを醜く変じて力を得るか。
・・・あなたは、それでよかったのですか?」
『貴方には分からないでしょうね。
誰かを愛し、愛されることを知っている貴方には。』
エクレシアの言葉も、奴は拒絶した。
『もう、少しも手加減してあげない。
・・・本気で、少しの油断も無く、確実に殺してあげる。』
こんにちは、ベイカーベイカーです。
いやぁ、漸くササカの覚醒まで漕ぎ着けました。たぶん作中で一二を争うチート剣のお目見えとなりました。
冗談抜きで最強クラスの剣です。詳しい描写は敢えて避けましたが、あれで殆どササカは魔剣の力を使ってません。
というか意図して使える類じゃないのですが、まあ、ビームとか出ませんし、かなり地味だけど堅実に強力なものです。その詳しい能力はおいおいということで。
次回、チート剣無双? となるかなぁ・・?
それではまた。




