第九十一話 奇跡の起し方
『黒の君』は瞠目する。
「え、なんだって?」
「汎用型鈍感主人公みたいな返事しないでくださいよ。
恥ずかしいけどもう一度言いますよ。・・愛とは何なんですかね?」
「うーん、詩的な回答をお望みかな? それとも私的な考察を述べるべきかな?」
「どちらでも構いませんよ。
ただ、ことの内容によってはあなたに対する私の態度が変容するかもしれません。」
「なるほど、やっぱり女って生き物は悪魔だ。
君が突拍子もなく話題を変えるのはいつものことだけれど、しかしどうしてそんなことを言い出すんだい?」
「ほら、色々なアニメや漫画の主人公は愛について思い悩むじゃないですか。
と言うことで、あなたの意見を伺いたくて。」
「ほう、じゃあ答えてやろうじゃないか。
真面目な言い方をするのなら、見返りを求めない献身だろうさ。
或いは、理由の無い行動原理とでも言うべきかな。」
「愛は理由ではない、と?」
「もし極限の状況下で取捨選択を迫られたら、きっとその時そいつは愛を理由などしないはずだからね。」
「なるほど。」
「つまり、愛とは即ち、順番なんだよ。
いざと言うとき何を切り捨て何を拾うか、時は自分さえも天秤に掛けられるか。
そういう、ある種の究極的な問いかけなんだよ。愛なんてものはね。」
いつかどこかでのある少女との会話より抜粋
私にとって、いや、我ら魔族にとって“賢者”エリーシュとは生きる偉人であると教えられる。
彼女の偉業は、誰もが知っている。
人間たちが荒廃し住めなくなった世界から脱出する際、『盟主』に私たちの祖先を共に連れて行くよう交渉し、それを成しえたと言うものだ。
今でこそ魔族はこうして“箱庭の園”にひっそりと暮らしているが、この世界に来た当時は我々魔族も地上との交流を持とうとしたこともあったと、師匠が言っていた。
様子見の意味をこめて初めは少数だったが、『盟主』は自らの同胞と魔族を同等に扱った。
だが結果は、大失敗。
我々魔族は、地上の原住人類たちには受け入れられなかったのだ。
『我々魔族は地上では生きられない。』
それが、“賢者”殿を含めた多くの魔族たちの当時の見解であった。
それがいつの間にか私たち魔族は人間たちに封じ込められ、抑圧され、閉じ込められていると言うことになっていると、師匠は嘆いていた。
師匠は、かつて地上へと交流に赴いた魔族の一人だったのだ。
かの『マスターロード』はその風潮を大いに利用して自分の権勢を保つのに利用しているが、誰もが本当は気づかない振りをしているだけなのだ。
私たちが住む世界と、地上はたったの“壁”一枚しか隔てていないと言うことを。
私はたぶん、夢魔としては変わり者である。
夢魔と言う種族はお気楽で快楽主義で、結構行き当たりばったりだ。
そういう事情もあってか、私は里の皆とは馴染めなかった。
私がこういう風に育ったのは、おそらく師匠の下で育ったからだろう。
別に私はそのことが嫌だとかは思っていない。
師匠には多くの知識を頂いたし、そこら辺の魔族より賢く育ててもらったことに関してはとても感謝している。
師匠の周りには多種多様な魔族が居るし、寂しいと思ったことは一度も無い。
そんな敬愛すべき師匠なのだが、あの“賢者”殿に教えを乞うたことがあるらしいのだ。
つまり、彼女は私にとって師匠の師匠。
ササカにとって『黒の君』に当たるような人物なのだ。
「(え、どうして、なんで“賢者”殿と戦うことになってるの?)」
私の胸中はそれで満ちていた。
ササカの報告で偵察中に彼女と遭遇したと話は聞いていたが、私は到底信じられなかった。
進軍中に彼女に出くわしたときも驚いたし、変な魔剣士に襲われた時も彼女が首謀者として嗾けていた。
そんなことをする理由が、まったく持って理解できなかった。
その理由は当人の口から語られたが、到底理解できる類のものではなかった。
「つまり、奴は狂人だったと言うことよ。」
冷静な“自分”が判断した。
口に出されても受け入れがたい言葉であった。
そう、狂人。狂人なのだ。
「ここは落ち着いて、冷静に状況を分析するのよ。」
私は己にそう言い聞かせた。
「この状況を切り抜けるためにはどうすればいい?」
「と言っても、周りはやる気満々のようよ。」
そうなのだ。
あの魔族の偉人相手に、この面子は真っ向から戦いを挑むつもりなのだ。
本気を出した『マスターロード』で漸く良い勝負が出来そうな相手に。
とは言えこっちにも最高の面子が揃っている。
神話の時代に行っても通用しそうな悪魔召喚師に錬金術師も居る。
私を含めた残り三人はハッキリ言って誤差にも近い戦力だ。
「だけど、この戦いを決めるのはその二人ではなく、その誤差だと私は思うわ。」
「どうすればいいの?」
「じゃあお互いの状況を考えましょうか。」
内心びくびくすればするほど、対照的に冷静な“自分”が浮上してくる。
「まず相手、相手はかの有名な“砂漠の魔女”エリーシュ。
おそらくギリシア系黒魔術に加えて独自の魔術で相手を間接的に倒すタイプね。
彼女によって状況に陥ったことで、二通りの結末を考えられる。」
「私たちが全滅するか。」
「私たちが彼女を取り逃がすか。」
「彼女を倒すことは出来ないの?」
「あのレベルの魔術師は殺したくても殺せないものなのよ。
恐らくBランクの不死性は最低限備えているだろうから、正規の手段で殺される要素がある相手にこうして顔を出す理由が無い。」
「それにここは彼女の狩場。」
「どれだけ口で言ったって、退路と脱出の手段を三つも四つも残しておくのが魔術師よ。
そして状況は圧倒的に不利。」
そもそも、黒魔術師が直接敵の前に姿を現すのだとしたら、それは死亡確認する時だけだろう。
私ですら敵の前に姿を現さずに始末する方法を思いつくのに、その道を窮めた魔術師がそんな真似をする理由とは何か。
つまり舐められているのだ。私たちは。
「彼女は陰湿に策略を張り巡らせるタイプの魔術師よ。それは間違いない。
そんな彼女が姿を現した。だけどそれも策略のひとつと捕らえても良いかもしれない。
例えば、この空間。」
「まずはこれをどうにかしないとね。」
私はこの無限にも続きそうな果てしない砂漠の果てに思いを馳せた。
「魔術師の戦いは以下に自分に有利な状況で戦えるか、だけどこの場合は最悪に近いわね。
あの状況でここまで自分に有利な空間を引っ張り出してくるなんて。」
「マイスターはどう攻めるんだろう。」
どうやら彼女には何か作戦があるらしい。
何度か交戦したことがあるらしいから、そうでなくては困るのだが。
そんなことを考えているうちに、この砂漠に魔界が顕現した。
普通の魔術師なら想像だにしないだろう。恐るべき魔術だった。
「ふむふむ、実を言うとね、召喚魔術自体は準備さえ整っていれば多くの場合、素人にだって行使できる代物なのよ。
だから彼女のように素早く悪魔を呼び出すと言う行為はあまり評価されないところなのよね。
重要なのは、いかに悪魔を制御するかなのだから。」
それぐらい私にも分かる。だって実際に悪魔を使役している身なのだから。
「かのソロモン王が偉大なのは、ひとえに全ての悪魔を掌握せしめたと言われる制御能力にあるわ。
悪魔召喚士の実力と言うのは、つまりそこにあるのよ。
では彼女はどうかしら?
私は断言するわ。こと悪魔召喚の分野においてあと三千年は彼女を超えるものは現れないでしょう。」
べた褒めだった。
だが当然かもしれない。
彼女は望めば“魔女”や“魔導師”の称号も思いのままのはずだ。
「まあ、今は彼女のことはいいわ。
問題はあいつのことね。」
そう、今問題なのはとりあえず共同戦線を張っている味方ではなく今直面している敵のことだ。
「勝てると思う?」
「流石にこれほどの相手だし、私が手を貸すのもやぶさかではないのだけれど。
私としてもあなたと言う中継地点と人材をやすやすと失いたくないし。」
鏡合わせの“自分”が私に手を貸してくれるという言葉を聞いて、私は少し安堵した。
よその候補は知らないが、自分の半身が私に手を貸してくれたことなんて殆ど無い。
せいぜい私が失敗したときの後始末を手伝ってくれたときぐらいだ。
だがしかし、彼女が手を貸してくれたところでどうにかなる状況だろうか。
魔女術と言う魔術体系は本当に戦闘に向いていない。
戦闘適正は錬金術にも劣るくらいで、占星術よりマシと言う程度でしかない。
「それはあなたが場数を踏んでない未熟者だからよ。
あなたも魔術師なら知略と策略をもって場を制することを考えなさい。」
「あう・・・。」
普通に叱られた。
「仮にもあなたは私の後継者候補、その際有力者としての自覚を持って欲しいものね。
あなたにはいずれ、最低でも彼女は超えて貰わないと。」
「彼女って言うと、ダリアのこと?」
「確かにアレは飲み込みも早く、早熟したゆえに生き残ることが出来た。
最も扱いやすいけれど、彼女は既に独立して後継者候補を外れているも同然よ。
私が言う彼女とは、現人類で最も優れた魔女術の使い手のことよ。」
「つまり、現状では最も優れた魔女ってこと?」
「そうなるわね。」
最も魔女術に優れた魔女と言われても、私には師匠しか思い浮かばない。
「彼女も独立して自分の道を進んでいった一人だから同胞に数えてはいないのだけれどね。
彼女は代を重ねた魔術師の家系であり、嘗ては“処刑人”に名を連ね、“魔導師”『パラノイア』の後釜は彼女しか居ないだろうとあの『盟主』も断言したほどの逸材よ。」
私はその言葉に驚いた。
人間にそんな素質の持ち主が現れるなんて。
「じゃあどうしてその人を後継者にしなかったの?」
「ちょっと思想的な問題があったのよ。彼女はね。
若い頃なんて断固として教会に対抗すべし、なんて言ってたこともあったわ。」
うわぁ、と私は思った。
流石にそれは問題がありすぎる。
魔族で言えば“代表”に楯突こうとするような物だ。
「それだけ魔女と言う職業に誇りを持っていたのだけれど、実力が伴っていたからなお悪かったわ。
・・・おっと、これは関係の無い話だったわね。
この戦いに勝てるかどうか、だったわよね。その点に関しては実を言うと、あまり心配はしていないわ。」
「え、どうして?」
私は彼女の言っていることが分からなかった。
不利な要素ばかりだと言うのに、なぜ彼女は不敵な笑みを浮かべられるのだろうか。
或いは、自分が加わればあの恐るべき“魔女”を倒せると言うのか。
「それは彼の資質に頼るところもおおきいのだけれど。」
彼女はそう言ってササカを示した。
「ササカが?」
「ええ、恐らくこの場で最もあの“魔女”に勝つ可能性が高いのは彼だと思うわ。」
「そんな、まさか・・。」
ササカと“賢者”殿の実力は比べるのもおこがましいほど離れている。
彼女の言葉にどんな意図があるのか私には分からなかった。
「星が見えないのが残念ね。そう簡単に彼の旅路は見えないか。
マイスター・メリスも同じ考えのようね。本命は自分たちと見せかけて、彼に賭けているようよ。」
「マイスターがそんな不確定な作戦を立てたっていうの?」
「今回の遭遇は、彼女にとっても予想外ということよ。
彼女の精神構造の歪さは思わず笑っちゃうわ。見た目こそ報復に燃えていながら、誰よりも損得勘定を考えている。
彼女が最もこの場を切り抜けるのに適した作戦は、弟子の資質に賭けるという選択だったのよ。」
「そんな、ササカにあの方を倒せるわけがッ!!」
私の心の中に、突如として不安が湧き出した。
しかしこんな、胸が締め付けられるような不安は初めてだった。
「それはね、恐怖と言うのよ。」
それは知っている。だけど、違う。
こんなの知らない。こんな恐怖、知らない。
「そうでしょうね。
その感情はあなたが始めて抱くものだから。
大丈夫、私に任せなさい。・・・いいえ、違うわね。」
彼女は芥子の実を取り出した。
それは急速に枯れ果てるのと同時に、少量の白濁とした液体を残した。
地面に転がり落ちた枯れた実は崩れ落ち、すぐに砂と見分けがつかなくなる。
彼女の手の平の生アヘンが蒸発するかのように消えうせた。
違う、消えたのではない。魔女術の秘儀により、私の体内に打ち込まれたのだ。
どくん、と私の全身の血が神秘の実の力を体中に巡らした。
今までの思考が曇っていたかのように思えるほど、頭の中がすっきりと晴れていく。
芥子の実の薬効により私は軽いトランス状態になったのだ。
その直後、私の中にすさまじい情報の放流が混在化してきた。
「今こそ、表と裏、本当にひとつになりましょう。」
私と自分が溶け合う。
それは陰陽太極図のように、分かれて存在していた二つの精神が重なった。
本来はありえない現象を、あの神秘の実は起こしてしまう。
私は彼女の意図の全てを悟った。
ついでとは言え、私に花を持たせてくれるだなんて、憎らしいじゃないか。
私は精神世界での会話から現実へと帰還する。
「周囲の魔物どもはリネンに任せなさい。
私たちは、直接奴を攻撃するわ。」
「勝算はあるのですか?」
「勿論。そのために、いろいろと対策はしてきたわ。
勿論、奴の殺し方だけじゃなく、石化魔術に対してもね。
私は支援に徹する形になるわ、概要は今伝える。」
マイスターは私たちに作戦概要を念話で伝えた。
「つまり、奴の気を引けばいいんですね?」
「そういうことね。」
ササカの問いに、マイスターは頷いた。
彼女はただでさえ低い勝率を高めようとしているのだ。
「なんて楽な仕事なんだ、何も考えずにぶん殴ればいいだなんて。」
「うそ、今のでどうやったらそう考えられるのよ・・。」
彼は本当にそう考えている。私は思わず呆れてしまった。
「なんというか、その、こういう修羅場はお互い慣れたものでして。」
エクレシアが苦笑してそう言った。私は笑えなかった。
その分だけ、二人は傷ついたと言うことだから。
「行くぞ。」
ササカは短く告げて、“賢者”殿・・いや、“魔女”エリーシュへと向き直った。
「笑っちゃうわ、あなた達ごときが本気で私に勝とうとしているわ。」
「やってみねぇと分からねぇだろうが!!」
エリーシュの嘲笑を受けながら、私たちは彼女の元へと走り出す。
「笑っちゃうわ、笑っちゃうわ。」
すると、前面から砂が槍のように鋭く無数に伸びて飛び出してきたのだ。
「邪魔だッ!!」
ササカは魔剣から雷撃を迸らせて、それを退けた。
「馬鹿ね、終わりよ。」
それによって舞い上がった砂煙の置くから、魔女の嘲笑が聞こえた。
「石化魔術が来るッ」
語気を強めてエクレシアが言った。
エリーシュの石化魔術の前兆は、砂埃や砂煙だという教訓があるのだろう。
「それに触れてはなりません!!」
「いいえ、違うわ。」
エクレシアの声を否定したのは、マイスターだった。
彼女は一枚の呪符を前に投げつけると、それは一瞬のうちに周囲の光を奪った。
ほんの数秒の間、私たちは完全な暗闇の中に居た。
「なんで自ら視界を閉ざすような真似を!?」
砂煙の収まった先のエリーシュに剣を向けたまま、エクレシアが問う。
「視線よ。」
マイスターは確信を持った口調でそう口にした。
「私、ずっと気になっていたのよ。
人間を石ころに変えるなんて、錬金術的な観点から見ても、黒魔術的な観点から見ても並大抵のことじゃない。
生物が無機物へと永久的に変貌させるなんて、無抵抗の相手でもなければ不可能なのよ。
しかも自分の都合の良いように手駒として再利用までしている。
私は今まで、そういうものだと思っていた。だから構造変化に対する魔術で対抗しようとずっと考えていた。
だけど、この魔術にはカラクリがあったのよ。」
マイスターは不適に笑った。
「奴の石化魔術の正体は、分子構造の改変とか大仰なものじゃない。
・・・・蜃気楼の一種よ。」
「え、どういうことです?」
ササカには理解が及ばなかったようで、彼はマイスターに問う。
「逃げ水って知っている?
暑さで地面が熱せられ、空気が膨張して光の屈折率が変わり、道の先に水が見えるような現象のことよ。
これはそれの応用みたいなものよ。
見て、この砂のきめ細やかさ。これ、珪砂よね。つまり、ガラスの原料よ。
地上の公園でも見かける一般的な砂だけれども、ここの砂の一粒一粒が特殊な形状をしていたわ。
先日、持ち帰って顕微鏡で見るまで分からなかったのだけれど。」
「つまり、幻覚の一種だと言いたいのですか?
しかし、彼らは実際に石となっていますよ。」
エクレシアの言うとおり、周囲には石像と化した悪魔が無数に転がっている。
「違うわ、奴はこの砂の光の反射を通じて、視線を投げかけているのよ。
ただの視線や邪視の類なら、普通の魔術師でも対抗するのは容易よ。
だけれどこれは違う。すさまじい乱反射が何万何億と繰り返されて、対象の視線に到達する。
いくら魔力抵抗力が高くても、これほどまでの数で押されれば敵わない。パソコンを見続けたら目が疲れるのと同じでね。
こうなれば、相手を催眠状態にするのは簡単だわ。そして魔力に対する抵抗力と言うのは生理現象。
それを自ら解除させて、後はゆっくりと石にするの。」
どう当たりでしょう、と言わんばかりにマイスターはエリーシュに笑みを向けた。
返答は、拍手だった。
「流石と言うべきかしら。
錬金術的観点と、黒魔術的観点からの考察。お見事だったわ。
この魔術の仕組みはきっとあなたにしか解明できないと思っていたわ。」
まるで解説が終わるのを待っていたかのように、彼女は手を叩いて笑っていた。
「でも、それって結局防ぎようが無いんじゃ?」
そこでササカが根本的な問題を提示した。
彼女が余裕なのも当然だ。
彼女の魔術のタネが割れただけで、破られたわけではないのだから。
「まさか、私がタネを見破られた魔術を使うわけ無いじゃない。そんな無粋な真似しないわ。」
彼女は笑う。
「でも、それは所詮、一番使いやすいってだけの代物に過ぎない。
ま さ か、これで勝ったつもりじゃないわよね?」
その足元から広がるように、砂漠の大地を這うように砂塵が駆け回る。
「まずい、アレは見たことがある。
あれは触れたところを侵食する石化魔術よ。防壁をッ!!」
「ええッ」
マイスターの声に応じてエクレシアがドーム上の防壁を張った。
砂塵は瞬く間に砂漠を多い尽くし、そして消え去った。
「防壁がッ・・。」
エクレシアが呻き声に近い声を漏らした。
そう、ドーム上の防壁は砂塵が過ぎたところだけ綺麗に石化していたのだ。
「さあ、お遊びはここまで。
存分に殺しあいましょう。」
エリーシュが右手を差し出す。
そこから竜巻が生まれ、砂を巻き込みながら私たちに襲い掛かってきたのだ!!!
「散開ッ」
マイスターの号令と共に、私たちは左右へと散らばって避けた。
もはや竜巻と言うより渦巻く流砂だった。
こんなものに飲み込まれればひとたまりも無いだろう。
「青臭いガキ共、せめてあと百年は経験を積んでから挑むことね。」
そしてエリーシュは右手を振り払うように振るった。
その直後、周囲の砂が爆発的に舞いとんだ。
そして急に風が強くなる。
辺りは瞬く間に砂嵐に遭ったかのように砂で視界が閉ざされ、少しの先も見えなくなった。
腕を目の上において砂から両目を守ろうとしたが、その時地面に違和感を覚えた。
「これはッ、流されている!!」
エクレシアの声が少し遠くから聞こえた。
「まずい、これは分断かッ!!」
別の方向の、更に遠くからササカの声がする。
「やってくれるわねッ」
マイスターの声も、いずれの仲間とは別の方からだ。
どうやら全員が同じ方向へと流されているのではない。
それぞれ別々に押し流されて、この視界不良の中で分断されたのだ。
私は風除けの魔術を発動させ、念話を試みた。
例え目が見えない状況でも、念話でお互いのイメージを伝え合えば大まかなお互いの位置は把握できる。
のだが、まったく繋がった感触がしない。
やはりこの砂嵐は、ジャミングのような効果も持ち合わせているのだろう。
「この砂漠では私が支配者。
この私こそが全ての生命の頂点なのよ。」
それでいて、エリーシュの声は砂漠全体に響き渡るようであった。
これでは奴の位置すらもつかめないだろう。
そう、並みの魔術師ならそうだろう。
史上最も優れた魔女の技量と知識を持つ精神と完全同期した私は、今だけは最高の黒魔術師だった。
黒魔術を扱う魔術師は、自分の周囲に意識を伸ばして人や構造物を把握する知覚領域を形成することが出来る。
天敵の多い黒魔術師はそうやって逸早く敵味方や異変を察知することが必須なのだ。
一般的な黒魔術師ならせいぜい周囲100m程度だが、今私は周囲数キロを知覚可能だった。
私の心に凄まじいまでの全能感が支配する。
砂嵐の範囲外で内側を見ようとして苛立っているリネンの表情まで分かる。
だがそこまで知覚領域を延ばしたというのに、あの“魔女”の姿はどこにも見当たらなかった。
私は流砂に押されながらも、冷静に状況を観察する。
「あなたたちは、その食物連鎖の一部として消えていくのよ。」
どこからとも無く、エリーシュの声が届く。
そして流砂がとまったかと思えば、地面からもぞもぞと何かが這い出てきた。
蟻だった。
赤と黒の肢体を持つ、全長一メートルは有ろうかという巨大蟻だ。
それがワラワラと沸いて出てきた。
他の三人も同じような状況だった。
ササカは巨大な鉄サソリ。
エクレシアは無数の小型サンドワーム。
マイスターは巨大アリジゴク。
「面倒ね。」
だが、“仕込み”を行うにはこれ以上無いチャンスだった。
私は手早く蟻を片付けた。
具体的には、最初に私に襲い掛かってきた蟻の頭を爆薬で吹き飛ばしたのだ。
すると、まったく同じように蟻たちの頭が消し飛んだ。
似たものは影響しあうという類感呪術の基礎概念を利用した呪術だ。
比較的対策が取り易い魔術であるが、あの蟻にそんな知能もあるまい。
とは言え、これで蟻は全滅させた。
と思ったら。
なんと、蟻たちは吹き飛ばされたはずの頭部が時間が撒き戻されたかのように復活したではないか。
「(再生、復元、いや、違う・・・まさかッ)」
今度は酸性の毒薬で溶かしたが、蟻たちは何事も無かったかのように復活する。
「命を固定化しているの!?」
なんてことは無い、この蟻たちは破壊されようが殺されようが、そうされる以前の状態で保たれていると言うだけだ。
あの石像たちが魔術によって破壊されても再生するのとは違い、状態そのものを保存されているのだ。
恐らく、ある一定以上の損壊をトリガーにして、瞬時に元の状態へと上書きされるのだ。
当然これは大魔術であり、割に合わない多くの魔術のひとつだ。
なぜならその状態の設定する為に大規模な儀式場が必要だからだ。
制御や維持も面倒なら、別に対象を不死身にするわけでもない。
これほどの砂漠の中でだからこそ出来る大盤振る舞いと言っても良いだろう。
この魔術にて命を固定化された生命は、老いもせず飢えもせず、生きた姿そのままを標本にされていると言っても過言ではない。
あの石像たちが石化魔術によって石にされた人間なのなら、これは対象を石にせずに石化させたのだ。
悪趣味も極まればここまで行くらしい。
これを何とかするには儀式場を破壊するのが手っ取り早いが、この状況でこの広大な砂漠からそれを成すのは非常に難しいだろう。
となると、同じくらい難しい、術者を倒すと言う選択肢しかない。
私は何とかジリ貧になるのを覚悟しながらも状況を維持することを決めた。
決定打が無いのは、黒魔術師ゆえに仕方がないのだ。
「くッ、きゃぁ!?」
そうして最初に悲鳴が上がったのは、エクレシアだった。
彼女は通常サイズのサンドワームが足に巻きつかれ、地面に引きずり込まれようとしていた。
通常サイズと言っても、その全長は十メートル以上で胴回りは大人の腕ほどもある。
何とか切り離そうとするが、もう足は膝まで砂の中だ。
サンドワームは次々と彼女の足に、胴体に、腕に、巻きついて砂の中に引きずり込もうとしていた。
「エクレシアッ!!」
鉄の体と光沢を持つ巨大サソリと孤軍奮闘していたササカも、彼女の悲鳴に気を取られたのかサソリの爪が足を掠めた。
「な、がッ」
たったそれだけだった。
その足が動かなくなり、彼が膝を付いた理由は。
彼を助けるものは居ない。
マイスターは今まさにアリジゴクの顎の中で必死に食われまいと抵抗している。
リネンは砂嵐の外で無数の魔物の軍勢に悪魔で対抗している。
「まあ、所詮、英雄の宿命を背負っていてもこの程度よね。
五十年に一度? 私は何千年生きていると思っているの。」
“魔女”エリーシュの嘲笑が響き渡る。
その時、私は彼女の姿を捉えた。
今まで全くどこに居たのかも分からなかったのは、この砂嵐の中だからだと思ったが違った。
そういうことだったのか。
私にも読めた、あの魔女の正体が。
そしてそんな彼女が姿を現した理由はなにか?
簡単だ。トドメを刺すためだ。
彼女の正確からして、最後は必ず自分の手で行うだろうと簡単に想像ができる。
私は、あらかじめ準備していたビンを開け放った。
そこに入っているのは、クリーム状の物体だ。
そう、世にも有名な魔女の軟膏である。
私は、魔女術の秘儀にて一瞬にして体全体にその秘薬を行き渡らせた。
私の意識が、遠く離されたササカの元へと飛んでいった。
「サイリスッ!?」
ササカはさぞ驚いたことだろう。
突然燐光が発したと思ったら、私が現れたのだから。
この砂嵐の中では転移魔術も上手く作用しないだろう。
だが、これは別の法則でもって意識ごと“飛んだ”のだ。
汎用性が高く弱点が知れ渡った転移魔術などとは違う、魔女術の秘儀なのだ。
私は驚き固まるササカをよそに、素早く自分の仕事に取り掛かる。
まず、彼の足に入り込んだ毒を抽出。同時に酷く腫れていた傷口を処置。
これで問題なく彼の足は動くはずだ。
そして、“仕込み”も終わった。これで私の役割は終わった。
これまでの作業は、ほぼ一瞬。
今の私だから出来る神業だった。
「お願い。」
私は魔女エリーシュからササカを遮るように現れた。
つまり、私は彼を庇うべく、トドメを刺すため魔術を打ち出した彼女の射線へと出たわけだ。
「負けないで。」
その言葉が最後となった。
直後、私は背中から形容しがたい衝撃とも付かない何かを喰らった。
その感触は一瞬で、すぐに全身が硬くなり、重くなる。
これが石化魔術か。
私たち夢魔の魔力抵抗力は魔族でも上位だが、そんなものは関係ないと私の体を侵食してくる。
数瞬も過ぎていないと言うのに、彼は石になっていく私を見ながらその表情は私が今まで見たことも無いものへと変わっていった。
私は、最後まで笑っていることにした。
彼を不安がらせたくなかったから。
こうするしかなかったとしても。
私は彼の顔を見ながら、永遠にこの体から意識を手放した。
こんにちは、ベイカーベイカーです。
まずはやっとここまで書けたという思いです。
あの前回があれでこのドシリアスなんだぜ・・・?
エリーシュですが、普通にやったらまず倒せませんし、まず勝てません。
今回のようにぼっこぼこにされます。あの砂漠の中で彼女に勝てる相手は作中で四人ぐらいしかいません。
次回は視点がササカ君へと戻ります。いよいよ、彼の覚醒です。
ではまた次回。乞うご期待ください。




